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お墓参り

2018年12月31日 23:59

大晦日の墓参

ことし一年が終わります。

そこで、皆でお墓参り。

かみさんの母方の祖父母と、
両親が眠っています。

この一年の御礼と、
来年の御見守りを、
祈ってきました。

来年がよい年になりますよう。

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ご愛顧に感謝

2018年12月30日 23:59

メロンパン店開店

年度替わりに開店したメロンパンの店も、
明日31日で9ヶ月が経ちます。

地域のお客さまの温かいご支持を受け、
店長やマネージャーの創意工夫と努力、
スタッフ全員の献身的な働きに支えられ、
本日、無事年内の業務を終えることが出来ました。

ということで、今夜は忘年会。

みなさま、
本年中のご愛顧ありがとうございました。

来年も、
美味しいメロンパンを焼いて焼いて焼きまくります。

それでは、よいお年をお迎えください。

お祝いのお花

2018年の年越しそば

2018年12月29日 18:41

年越しそば

きょうは、
かみさんと買物したついでに、
少し早めの年越しそば。

わたしは、梅おろし蕎麦。
かみさんは、辛味大根蕎麦。


信州信濃の新蕎麦よりも、
あたしゃあなたの傍がよい。



新年を迎える準備

2018年12月28日 17:10

穴八幡宮鳥居

12月28日は、
毎年の恒例になりました、御礼参り。

雑司が谷の鬼子母神堂
雑司が谷の大鳥神社
我が家の氏神様である氷川神社
一陽来復」の御守を授かりに早稲田の穴八幡宮

古いお札を納めて、
新たなお札を授かり、御礼参りをしてきました。

穴八幡宮

明日は掃除ができませんから、
神棚を清めて、お札をお祀りして、
新米とお神酒と塩と水をお供えし、
御榊を飾り、注連縄を張りました。

ご仏壇もきれいにして、
お水と果物など供え、線香を焚きました。

あとは、
わたし流の松前漬けと、
大根と人参の紅白なますを作りました。

これで、
新年を迎える準備は、最低限整いました。


時短

2018年12月27日 18:09

最近よく使われるようになった言葉の問題です。

「勤務」、「家事」、「メイク」、「家電」、「レシピ」
といった言葉などに共通する形容詞は何?

そう!「時短」です。

時短勤務、時短家事、時短メイク、時短家電、時短レシピ(時短料理)

「時短」とは「時間短縮」の意味ですが、本来は「労働時間短縮」のこと。
労働基準法第32条で週40時間労働制が企業に課せられたことに始まります。

使用者は、労働者に休憩時間を除き1週間について40時間を超えて労働させてはならない。
使用者は、1週間の各日については労働者に休憩時間を除き1日について8時間を超えて労働させてはならない。


ところが、
この「時短」が独り歩きし出した感があり、なんでもかんでも「時短」が流行るようになりました。

時短野菜

スーパーへ行けば、時短料理を実現できる商品が数多く並んでいます。

サラダでも、例えば20種類の野菜が切って混ぜてある商品があって、
袋から器に取り出してドレッシングをかければ、一品出来上がりです。
炒め野菜でも煮物でも同様です。

確かに20種類の野菜を買って来て、それらすべてを切って作るとなれば大変です。
その意味でいえば、割高感も薄れるというものでしょう。

フルタイムで仕事をして子育てや介護をしている人たちにとっては便利な商品ですが、
時間やゆとりがある人たちにも人気があるというのは、どういった傾向でしょうか?

わたしも、
便利だから、つい買ってしまいますが、時短で生み出した時間でなにをやっているのでしょう?
なんでも時短・時短だと、人生そのものが時短になっちゃいませんかねぇ・・・?



寒気

2018年12月26日 18:31

2018年12月26日天気図

今年1月25日、
東京都心で-4℃の最低気温を記録しましたが、48年振りのことでした。

今年も残すところ6日間。
暮れから正月にかけて冬型の気圧配置が強まり寒気の影響があるようです。


そんな寒気が長く居座ることを「寒波」といいます。
55年前の1963年(昭和38年)、日本全土に大寒波が襲来したことがあります。
昭和38年ですから「三八豪雪」とか「極東大寒波」と呼ばれています。

わたしの故郷・浜松も極東大寒波(低温)の影響は凄まじいものがありました。

両親はわたしを連れて、
昭和33年に開拓農民として浜松の三方原台地の北方に入植しました。
昭和38年1月は、みかんの初収穫を終えたばかりの時でした。

みかんの実を生らせて疲弊していた樹にとってこの大寒波は致命的でした。
葉は落ち樹も枯れて、地域のみかん農園はほぼ全滅したのでした。

しかし、
父は初収穫を終えたばかりの樹を根元から上を少しだけ残して幹を伐り、
切り株となった樹の横に穴を掘り、土を切り株に盛って幹と根を守ったのです。

夕食を終えて、
鍬を担いで出掛けてゆく父の姿を、6歳になったばかりだったわたしも憶えています。

お蔭で、
1.3ヘクタールのみかん園の樹は一本も枯れることなく、春にはまた芽吹いたのでした。

そんな伝説を幾つももっている父が、わたしは眩しくて仕方がありませんでした。
去年亡くなった父の人生と、既に還暦を過ぎたわたしの人生を比べたとき、
超えようもないその違いに愕然とします。


両親が三方原台地に入植した年に生まれた妹も、ことし還暦を迎えました。
実家のみかん園の樹も齢をとりました。

家業を継いだ弟と二人の甥っ子たちによって、
第一次開墾、第二次開墾で両親が開拓し植えたみかんの樹は、
全て新しい樹に植え替えられるのだそうです。

これで、
極東大寒波から父が守ったみかんの樹や両親が丹精したみかんの樹は、
一本もなくなることになります。

2018年12月28日寒気図



門松

2018年12月25日 23:59

正月飾り

むかしから三浦家に出入りしてくれている鳶職の家があります。

先々代の頭(カシラ)は、東京の鳶のなかでも大幹部でした。
その頭を継いだ義理の息子さんにも随分世話になりました。

しかし、お二人とも既に亡くなられてしまいました。

その後を継いだのは、わたしたちより齢の若い頭ですが、
毎年、我が家と店の正月飾りを設置してくれています。

後から先代の女将さんが料金を受け取りに来るのですが、
これまでは、クリスマス・イヴかクリスマスの夜が明けると、
我が家の玄関先に門松が設置されているといった塩梅でした。

ところがなんと!、
ことしはクリスマス・イヴの夜が来る前から設置してありまして、
思わず、クリスマスツリーに見立てて飾ろうかと思いましたよ。


「ちーっとばかし気が早くねいかい?頭(カシラ)」


小さなサンタクロース

2018年12月24日 23:59

サンタクロースさん

きょうは、クリスマスイヴ。

平素、
鬼子母神さまやお不動さま弁天さまに合掌しているわたしでも、
ついクリスマスソングを口ずさんでしまう一日であります。


わたしは、
小学4年から5年生の頃、喘息に罹って施設で生活したことがあります。

その施設で、わたしはクリスマス・イヴの降誕劇ヨセフを演りました。
マリアの役は、わたしがちょっとスキだったマサコちゃんが演りました。

スキな人といっしょにいるだけで子が産まれると信じていたわたしは、
なんの疑問も持たず、スキなマサコちゃんと夫婦芝居ができただけで、
有頂天になっておりました。

後年、
ヨセフイエス・キリストは、なさぬ仲の義理の親父だと知って複雑な想いに駆られ、
なにか、あの降誕劇ヨセフを演ったときから運命づけられていたのかな、
などと思うようになったのでした。


さて、
世界中には、さまざまな子どもたちが暮らしています。
キリスト教を信じる子もいれば、イスラム教ユダヤ教の子たちもいます。

貧しい子もいれば、豊かな子もいます。
辛い子も淋しい子たちもいます。幸せな子たちもいます。

ことし、
我が家にはちいさなサンタクロースの写真が届きました。

それこそが、わたしたちへの最大のプレゼントであります。

ところで、
このちいさなサンタクロースは、いつ我が家に来てくれるのかしら?


メリークリスマス!!



平成30年天皇誕生日

2018年12月23日 17:48

天皇陛下のお言葉

天皇陛下が、
本日満85歳のお誕生日をお迎えになられるにあたり、
国民に向けてお言葉を述べられました。

以下のとおり、
全文を宮内庁のホームページから転載させていただきました。

思いやり” と “人の考えていることを忖度できる能力”、
この日本国民の特性を活かして、陛下のお言葉を胸に刻みたいと思います。

天皇陛下ご近影

<天皇陛下のお言葉>

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉えんを迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵どしています。

そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来じらいこの伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労ねぎらいたく思います。

そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。


天皇皇后両陛下



冬至

2018年12月22日 22:55

柚子湯

きょうは「冬至」、
きょう東京の日の出は6時47分、日の入りは16時32分だそうです。
昼間が9時間45分、夜が14時間15分ということですから、
一年で一番昼間が短く夜が長いという日なのであります。

しかし、
冬至は「日の出から日の入りまでの時間が最も短い」のであって、
日の出が最も遅い日と、日の入りが最も早い日というのは別にあるそうです。

いずれにしましても、
古来「冬至」には太陽の力が最も弱まり、陰極まって万物みな衰えるが、
「冬至」が過ぎれば、徐々に太陽の力が再び蘇ると考えられてきました。

ですから「冬至」には、
体調を整えるためにカボチャを食べたり柚子湯に浸かるといった風習があります。

さて、
冬至」を迎えたから、これからは上り調子だなと考えるのか、
冬至冬中冬始め」で、これから厳しい冬が始まるぞと考えるか、
考え方次第ですわね。


認証

2018年12月21日 17:54

銀行に振り込みに行きました。

ATMが一つだけ空いていたので其処の前に立って、
「振り込み」のテンキーを押しました。

カバンの中から、
振り込み先の口座番号などを書いたメモを探しながら、
「銀行名」「支店名」「口座番号」などをテンキー操作し、
「振り込み金額」を入力し、「現金」を投入しました。

そして、
「お釣り」と「振り込みの控え」を受け取って退出しました。

駐車した車に戻り駐車料金を払って駐車場から出ようとして、
「アレッ?」と思い出しました。「名前を入力しなかった!?」

いくらなんでも、
テンキーで名前を入力したかどうかは覚えているでしょう。
確かに名前は入力しなかったのです。

なのに、ATMの画面に名前が表示されて、
「このお名前でよろしいですか?」という設問が出たので、
「はい」と押したのでした。

そのときは、
別に疑問にも思わずなんとなく操作をつづけたのでしたが、
後から思えば不思議なことです。

「なんで認証できたの??」

現金振り込みですから、
カードは使っていませんし、掌認証もしていません。

「なんで、わたしだって判ったの??」
「テンキーで指紋認証したの?」
「どこかのカメラで顔認証したの?」

不思議で不思議でならないので、家に帰ってから再び銀行に戻り、
もう一度手順を確認することにしました。

すると、
「振り込み」を押すと「カード」か「現金」かという設問が出ました。
「現金」を押すと、「電話番号」を入力しろ? ・・・?
「4桁の番号」を入力して? ・・・?

思い出しました!!確かにそんな操作をしました。

しかし「4桁の番号」は、きょう考えた適当な番号のはずなのですが、
以前同じ振り込み先へ振り込んだときに登録した番号だったのです。
それを忘れていて、偶然にも同じ番号をまた入力したのでした。

これでATMが「わたしだと判った」理由が解かりました。

それにしても、最近こんなことばかりです。
ゆうべも、どうやって帰宅したのか判らない。
ボーッとして生きてます。


パスポート

2018年12月20日 23:59

パスポート

更新したパスポートを受け取った。
有効期限は、2028年12月18日。

10年かぁ・・・。





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