FC2ブログ

光生軒のおばさんの一周忌

2018年08月18日 17:55

梅洞寺

秋の気配がし始めた八王子のお寺の本堂に読経が響きました。

きょうは、
去年8月21日に亡くなった光生軒のおばさんの一周忌法要でした。


去年のきょう、
早朝に家を出て、三鷹の病院に着いたのは7時少し前でした。

看病していた甥のSさんから昨夜の様子を聴き、
医師からレントゲンの結果とステントを交換する旨の説明がありました。

昼まで病院に居たわたしは、
息子が出演していた歌舞伎座の昼公演を観るためにHCUの病室出るとき、
おばさんに「弘太郎の芝居を観に行くから・・・」と云ったのは覚えています。

おばさんが、
なんて云ったのか正確には覚えていませんが、確か「うん、行っておいで」
そんな風に云われて送り出されたような気がします。

こうして翌日の昼頃まで、
会話ができていましたが、19日の午後15時15分、モルヒネが投与されました。



スポンサーサイト

「歌舞伎夜話」弘太郎と鶴松

2018年08月17日 13:13

tsurumatsu2_201808171258415fd.jpg yawa_koutaro_20180817125851764.jpg

「歌舞伎夜話」のお知らせです。

日時:8月26日(日) 18時30分開演~20時、
料金:3,000円
会場:歌舞伎座ギャラリー(歌舞伎座ビルの5階)

小学5年生のときにスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」に出演し、
小学6年生で三代目市川猿之助丈(現・猿翁)の部屋子となり
歌舞伎俳優になった市川弘太郎と、

勘三郎さんに「うちの子になってよ」と云われ、
小学5年生で故十八代目中村勘三郎丈の部屋子として
歌舞伎俳優になった中村鶴松さんのトークショーです。

同じ部屋子といっても、
慶應大学と早稲田大学、何は同じで何が違うのか?

そんな二人は、
いま公演中の歌舞伎座「東海道中膝栗毛」では犬と猫を演じ、
来月歌舞伎座の新作歌舞伎舞踊「幽玄」では伯竜・獅子の精を勤めます。



文芸坐の映画特集企画

2018年08月16日 11:45

新文芸坐「終戦の日特別企画」

昨日は、
新・文芸坐の「8・15終戦の日特別企画」の一貫で上映された
月光の夏」と「憲法くん」の上映とトークショーという企画を観たので、
あらためて、むぅむぅ(義父・三浦大四郎)のことを想い出しました。

渡辺美佐子さんと井上監督のトークショー

1978年(昭和53年)に文芸坐文芸地下で開催された
人世坐創業30周年を記念した映画特集の企画がありました。

「社会を告発する!」映画特集、
「ミュージカル」映画特集、
人間の条件 第1部~第6部通し上映企画」
網走番外地大会」
「ノン・シアターの旗手たち」特集ドキュメント篇
黒澤明監督幻の名作」特集

といった映画特集です。

特集を企画するだけでなく、企画の延長線上で、
当時学生だった大森一樹監督の「夏子と、長いお別れ」を製作したりもしました。

営業的には成功したとはいえない企画もあったようですが、
「こういった試みはソロバン勘定だけでは損得は決められないし、
文芸坐文芸地下が名画座として存在していられるのは、
常に何か意義のある企画を利益を度外視して打ち出しているからだ」
と、むぅむぅ(義父)は言っていました。

文芸坐と三浦大四郎

上記特集以外にも、
秋吉久美子と11日間」といった俳優の特集や、
デヴィット・リーン監督」特集といった監督特集、
「フィルムフェスティバル男優篇」
「フィルムフェスティバル女優篇」
「フィルムフェスティバル監督篇」

木下恵介フェア」などは木下恵介監督と高峰秀子さんが来館、
舞台挨拶をされました。

「青春ひた走り」傑作青春映画特集なんていう特集もありました。

また、
「ロシア文学の映画」作品を特集した「文学全集ロシア篇」、
「いろいろありましたこの10年、1970年代映しつづり」といった
変わった切り口の特集も企画しています。

クリント・イーストウッドのワンマンショー」
「特集!政治と暗殺」
スティーヴ・マックイーン特集」
「ポーランド映画名作集」
「スーパーSF世界特撮映画大会」
ゴッドファーザー大会」
エイゼンシュテイン・ワンマンショー」
今村昌平フェア」
小沢昭一 A級B級C級傑作映画大会」
「陽のあたらない名画祭」
「北欧映画祭」
「中国映画祭」
松田優作ワンマンショー」
にっかつロマンポルノ特集・燃えろいい女」
なんていう企画もありました。

むぅむぅと、小沢昭一さん
<「小沢昭一 A級B級C級傑作映画大会」で来館した小沢昭一さん>

そんな、
“映画特集の名人”だったむぅむぅ(義父・三浦大四郎)にとって、
“戦争”を特集しようと考えるのは至極当然のことだったのでしょうが、
むぅむぅの下で映画館経営を学んだ現在の新・文芸坐のスタッフが、
それを踏襲していることが嬉しいです。


「月光の夏」と「憲法くん」

2018年08月15日 23:45

美佐子さんと石澤先生を囲んで

きょうは、8月15日の終戦記念日ですが、
久しぶりに、女優の渡辺美佐子さんにお逢いしました。

ピン芸人の松元ヒロさんには「憲法くん」という一人芝居があります。

その「日本国憲法」を、
渡辺美佐子さんが演じた「憲法くん」という映画が出来上がりました。

それと、
1993年に公開された神山征二郎監督作品「月光の夏」という映画を、
二本立てで上映したあと、美佐子さんと「憲法くん」の井上淳一監督
トークショーを行うというので、新文芸坐に行ってきました。

月光の夏

渡辺美佐子さんとは地人会公演、
この子たちの夏」、一人芝居「化粧 -二幕- 」、「谷間の女たち」等の
制作担当者としておつきあいした関係です。

月光の夏」が公開されてから、
地人会の「化粧 -二幕- 」公演で2年続けて九州を巡演したことがありました。

そのとき、
移動日を利用して渡辺美佐子さんと知覧特攻平和会館を訪ねたことがあります。

1995年の夏には朗読劇「この子たちの夏」公演で全国を巡演しましたが、
公演地の広島で、渡辺美佐子さんの小学校のときの転校生で、
広島の原爆で亡くなった「水永龍雄クンの想い出話」を聴いたことがあります。

朗読劇「この子たちの夏」を演じる美佐子さんは、
母として子を想うというよりは水永龍雄クンをはじめとした、
亡くなった子らを友達だと想って演じているとおっしゃっていました。
演じていた女優さんたちは、ほとんど「この子たち」と同世代なのです。

ことし86歳になる美佐子さんは、
ことしの夏も、朗読劇「夏の雲は忘れない」公演で全国を巡演されています。

渡辺美佐子さんたちの世代にとって、夏は巡礼の季節なのかもしれません。
そして「日本国憲法」は、“この子たちが”手に入れた「希望」でしょう。

憲法くん


阿波踊り

2018年08月14日 12:06

阿波踊りの画像

わたしの父方の祖母は、
29年前に徳島市内から望める眉山という山の上の老人病院で亡くなりました。

祖母の最期は、病院のスタッフと父とわたしが看取りましたが、
入院中に祖母を見舞ったときのはなしです。

入院しているほとんどの人は寝たきりでしたが、
わたしは、ラジオカセットレコーダーとテープを持って見舞いに行きました。

祖母の枕元でカセットテープをかけますと阿波踊りのお囃子が鳴り響きました。

すると、しばらくして看護師さんたちが病室に入ってきました。

叱られるのかなと思って先に謝ったのですが、
看護師さんが云うには、病棟中の患者さんたちが手踊りしだしたというのでした。


祖母の葬義のときも、阿波踊りのカセットテープを流そうとしたら、
阿波踊りはお祝いの踊りだから葬儀で流すのはダメだ」と父が申しました。

父が申しますには、
城が完成したときに蜂須賀の殿様がお祝いに踊らせたのが阿波踊りの発祥だというのでした。

わたしが小さい頃、
父の実家が在る勝浦町でも阿波踊りを踊っておりました。

遠くからお囃子の音がしてきたなと思ったら、やがて音が大きくなり、連が近づいてきます。

連は町の辻々で暫し踊り、橋を渡ってまた踊り、観ていた人々も加わって踊ります。
女踊りは深編笠を被って揃って踊りますが、男踊りは各自個性的で見ものでした。

激しく踊る人がいるかと思えば、もはや止まっているかのように踊る人、
真面目そうに踊る人がいたり、面白可笑しく踊る人がいました。
その一人ひとりをじっくり観るのが楽しかったという想い出があります。
わたしも祖母が作ってくれた浴衣を端折って踊りました。こうして連は町中を流すのでした。


集団化して揃って踊る総踊りが観光名物になってしまった阿波踊りのことを、
生前に父が「面白くなくなったねぇ」と云ったことがあります。

踊る阿呆に観る阿呆、
仕切る阿呆に牛耳る阿呆、儲けようとする阿呆ですか・・・。



秋の気配

2018年08月13日 20:55

昨日の法事が終わって、
妹夫婦と従妹夫婦といっしょに浜松のホテルに泊りました。

夜は、
ビアガーデンに行き、高層階のラウンジでバーボンを飲み、
夜遅くまで部屋飲みして話し込みました。

今朝、
9時にロビーで待ち合わせてモーニングを食べに行こうと、
外に出ると、セミが五月蠅かったものの秋の気配がいたしました。

11時に徳島に帰る従妹夫婦と分れ、
妹夫婦とわたしたちは、駅構内に在る居酒屋へ直行しまして、
昼食を兼ねた飲み会が始まりました。

それでも、
午後の新幹線に乗り、集中豪雨のなか幸い大して濡れることもなく、
4時頃には帰宅したのでした。

すると、 
早速、愛知県の大府に帰っていった妹からメールが届きましたが、
やはり、実家に行って「お父さんがいなくなったことを実感しました」、
で、「お兄ちゃんは、ずっと元気でいてください」と書いてありました。

ですからわたしは、
「いなくなってないと思うよ。いつもわたしたちの傍にいると思う」
と返しました。


しかし、
もし親父がいつも傍にいるとしたら、ヤバイです。


父の一周忌

2018年08月12日 23:59

一周忌

今日は、
浜松の実家の父の一周忌の法要がありました。
 
命日は10月ですが、
みかん農家🍊は秋が忙しいので、新盆の法要と併せて
きょう行うことになりました。

ところで、この夏浜松は長い間雨が降っていません。
みかんの樹にも高温障害が出ることが懸念されます。
落果したり、日焼けを起こすことがあるのです。

さて、
自宅にお寺さんを呼んで、一周忌の法要を行い、
お寺に行って、また拝んでいただき、墓参しました。

ところが、本堂での御経が終わるや否や、雷鳴が轟き、
一天俄にかき曇り、大雨が降りだしました。

きっと父が、 
恵みの雨を降らせてくれたのでしょう。

これで人間もみかんの樹も一息つくことができます。







2018年08月11日 20:30

回向院

吉展地蔵尊

南千住2丁目は、南千住駅西口を出て左方向に歩き、
常磐線のガードを左に見て横断歩道を渡った先に在ります。

横断歩道を渡ると、小塚原回向院というお寺が在りますが、
その名のとおり、北千住2丁目は小塚原の刑場が在った所です。

小塚原の刑場は、江戸時代から明治初期に在った刑場です。
小塚原の刑場では、磔刑火刑獄門が執行されました。

小塚原回向院は、
そのように処刑された人々を埋葬し供養しているお寺ですが、
安政の大獄で処刑された吉田松陰たちのお墓も在ります。

また、1963年(昭和38年)に起きた吉展ちゃん誘拐殺人事件
吉展ちゃんを供養するお地蔵さんが建立されています。

尾花

その回向院を右に見て線路沿いに歩くと、行列ができることで有名な鰻屋が在ります。

開店は午前11時30分ですが、10時前に着いたときには既に行列ができていました。
わたしたちは3組目でした。

しかし、炎天下に1時間30分待つのはなかなかシンドイことです。
常磐線の高架の下に少しだけ日陰になっていたので腰を下ろして待ちましたが、
時間が経つと其処も日向になってしまいました。

列

わたしたちの後にも行列が増えましたが10時30分頃には昼の定員を超えました。
開店する少し前に店のシャッターが開けられて敷地内へ案内されました。

もうここまでくると、うなぎが食べたいというよりは、
頭の中は冷たいビールのイメージに満たされております。

ビール

そこで座るやいなや、うな重はさておきまずビールを注文。

うな重は注文してから4・50分かかるというので、
御新香の盛り合わせと、うまき、うざく、白焼きなどでうな重を待ちます。

うまき

うざく

白焼き

外では、行列をつくった人たちの約半分がまだ並んでいます。

先頭に居たお二人が食べ終わって席を立ったのは12時30分頃でした。
後半に並んだ人たちは開店から1時間以上待たされるというワケです。

こうして食べたうな重は、なるほど評判になるだけのことはあります。
小骨の食感もなく、すべてに軟らかい鰻の蒲焼が乗っています。

でも、食べる前に消費したエネルギーと摂取したエネルギーを比べると、
もしかしたらプラス・マイナスはゼロかもしれませんがね。 

うな重

親思い

2018年08月10日 09:56

帰省

去年の8月10日は、
浜松の実家に前日から帰省しておりましたが、朝早く目覚めました。

それでも、外からは弟たちが働きはじめた音がしておりました。

父は、まだ眠っているようでした。


線香を焚こうと仏壇の前に座りますと、
妹が贈ったのであろうスポーツドリンクが沢山並べられていました。

水分を摂らない父に飲んでもらおうと思って贈ったのでしょう。
それを、死んだ母親に供えている父のことが可笑しくて笑いました。


さて、
ゆうべのことですが、妹から電話をもらいました。

愛知県の大府市に住んでいる妹ですが、暑さはどうかと訊きました。

「毎日灼けるような暑さで、ことしの夏は異常だよね」と云うので、
浜松の実家の弟も同じようなことを云っていたぞと伝えると、
「まったくね・・・、もしお父さんが生きていたら大変なコトだったね」

妹も、まだ死んだ父親の身体の心配をしています・・・。


被爆聖アグネス像

2018年08月09日 13:39

マリア像

2011年3月の東日本大震災が起こった直後、
ニューヨークの国連本部に行ったことがあります。

国連本部内部の見学ツアーに参加するのが目的でした。

手荷物と身体のセキュリティー・チェックを受け、
見学ツアーの受付で$16払って申し込みました。

ヘッドホンセットと番号札を受け取りツアーが始まりました。
ヘッドホンはガイドの説明を聴くためですが、
議場の中でガイドが小声で話しても聴けるのです。

但し、
英語のツアーに参加したので(日本語ツアーもあります)
ほとんど何を言っているのか解りませんでしたけどね。

見学ツアーは、国連の歴史や役割と現在行っている活動について、
パネルや展示物を見ながら進みます。

議場の最後列の後ろの通路を通過しながら議場の様子を見ましたが、
議場内だけは撮影禁止です。

子羊を抱いたマリア像

さて、
そんな見学ツアーの展示コーナーに「原爆展」がありました。

なかでもわたしの印象に残ったのは、浦上天主堂の聖アグネス像でした。

聖アグネス像は、左手に迷える子羊を抱きかかえた石の立像ですが、
長崎に投下された原爆により背後から強烈な熱線を浴びています。
正面から見ても判りませんが、ケロイドの後ろ姿は目を背けたくなります。
右手は肘から先が失われていました。

ケロイド

聖アグネス像は、うつ伏せで発見されたのだそうです。
聖アグネスは、身をもって熱線から子羊を護ったのでしょう。

聖アグネス像は、1983年に浦上天主堂から国連本部に移されました。
無言で世界平和を呼びかけています。

説明書き

STATUE OF SAINT AGNES
NAGASAKI,JAPAN 1945

This stone statue of Saint Agnes was found face-down
In the ruins of Urakami Tenshudo,a Roman Catholic
Cathedral that was totally destroyed when tha atomic
Bomb exploded in Nagasaki, Japan.
The charring and mottling on the back of the statue
were caused by the intense heat and radiation.
The cathedral was located a half-kilometer from the
Epicenter of the explosion on 9 August, 1945.


津川はんの寝ずの番

2018年08月08日 23:59

「寝ずの番」


映画監督のマキノ雅弘はんの甥御はんが亡くならはりましたそうでんな。

そうだす、津川雅彦はんだす。78歳いいますんで、まだ若こうおますわ。


ところで、
津川はんは、マキノ雅彦ちゅう名で映画監督をやらはりました。
「寝ずの番」ちゅう映画で2006年に公開されました。

むぅむぅ(義父)の介護中、
むぅむぅ一人の映画館「文芸坐三浦館」でも上映いたしました。


「寝ずの番」は、中島らもさんの小説が原作でおます。

“寝ずの番”云いまんのは、
所謂、通夜の晩に故人を偲んで寝ずに夜明かしする風習のことだす。

映画は、故・六代目笑福亭松鶴師匠ご夫婦がモデルやそうでっけど、
或る落語の師匠の通夜で、その弟子である落語家連中が寝ずの番しながら、
みなで芸を披露し合うっちゅう、そんな趣向の映画になってまんにゃわ。

その出演者が、
中井貴一木村佳乃堺正章笹野高史岸部一徳高岡早紀
木下ほうか田中章土屋久美子真由子石田太郎蛭子能収
長門裕之富司純子といった面々でんねんけど、その“芸”の見事なこと。
俳優がここまでやれるかぁと、正直驚きましたで。

ご自身が俳優でっさかい、
俳優に要求される演技のクオリティーが高いんだっしゃろな?

黒澤明監督の「どん底」の馬鹿囃子のラストシーンを彷彿とさせます。

俳優としても数々の作品を遺され名優と評されました。
しかし、政治的発言は共感できないことも多かったんでっけどね、
この映画監督作品だけは支持させていただきま。


それにしても、やはり78歳は早ようおまんな。
アマチュアボクシングの78歳はえらい元気でっけどね。


合掌




「それでも、私はあきらめない」

2018年08月07日 18:12

それでも、私はあきらめない

黒田福美著「それでも、私はあきらめない」を購入しました。

本書は、去年7月に三五館より刊行された
単行本「夢のあとさき-帰郷祈願碑とわたし」を改題し、
加筆修正削除等が行われた改訂新版です。

少しでも、著者を応援するために。

それで、私はあらためて・・・。




最新記事