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転んでもただは起きぬ

2018年05月31日 23:59

セブリイの効能書き

昨日のつづきであります。

「皇國薬草研究所」の「セブリイ」の效能書き」は、
農学士・芦澤某の文として、このように書き始められています。

人類考古学の研究者といふよりも「サンカ文学の三角寛」として知られてゐる三角先生は、原始生活者の「サンカの女(ニク)たち」が、山を歩きながら子を産むと、山川の水で洗って懐へ入れ、何ごともなかったやうに、平気で歩いてゆく現實を目にして驚歎した。

だからそれが、
サンカが常用している薬草の効能なのだと謳っているワケなのでした。

適應症(適応症)としては、
凍瘡、夜尿、神経痛、冷症、産前産後、レウマチス、結核病、
胃病、腹痛、下痢、肺炎、気管支炎、褥瘡、呼吸器疾患、
肺壊疽、喘息、百日咳、火傷、其他カロリー不足症。
と書いてあります。

これでは、
「万病に効く」と書いてあるも同然で、現代では薬事法違反容疑ですが、
「セブリイ」には、大日本帝国陸軍がお墨付きを与えていたのです。

事実、
太平洋戦争時、陸軍の少年兵は14歳8ヶ月という年少者でありましたから、
燃料不足から、寒中の凍瘡と夜尿に苦しんだのだといいます。

ですから、
「セブリイ」は、陸軍へ大量に納められたのでした。

戦後になって、
祖父・三角寛の友人が、母に語ったそうです。
「三角寛は、転んでもただは起きない」

母は、
「父は戦争に敗けて何もかも失った日本人のなかで、
戦争で儲けた、数少ない日本人の一人だった」と云っていました。

しかし、確かに祖父・三角寛は、
機を見るに敏というか、臭覚が働くというか、天才的な才覚でしたが、
報国に尽くす少年兵を援けたい一心からの発案だったとも言えますし、
何がなんでも戦争の時代を生き抜くのだという意志からだとも言えます。

1945年8月15日、日本の敗戦を知った三角寛は、
「さぁまた、がんばって働かなきゃあ」と言ったといいます。


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セブリイ

2018年05月30日 14:18

セブリイ

むぅむぅ(義父)の遺品整理がつづきます。


「皇國薬草研究所」が発売した「セブリイ」の袋と効能書きが出てきました。

かみさんの祖父・三角寛は作家でしたが、
戦争が始まったころにはあまり書いていなかったようです。

その三角寛が戦争中に始めたのが「皇國薬草研究所」でした。


三角寛は、元々朝日新聞のサツ廻りの取材記者でした。
昭和初期に発生した強盗事件を取材していた祖父が、
編集記者だった荒垣秀雄に「“説教強盗”が現れた」と伝えたところ、
説教強盗」は昭和初期に世間を怯えさせる大事件になったのでした。

しかし、
説教強盗事件は難事件で、なかなか解決しませんでした。
祖父は、刑事が「犯行はサンカの手口」と言った一言から
サンカ」に興味を持ちます。

そのことが祖父・三角寛が、
サンカ小説」と謂われる小説を書き始めるキッカケになりました。


ものすごく簡単に言えば、
サンカ」と呼ばれた人たちがいました(サンカは自らをサンカとは言いません)。

その「サンカ」には諸説あって、未だ研究途上でありますが、
山窩(サンカ)小説家と謂われた三角寛の影響が、良くもワルくも濃厚です。


三角寛の「皇國薬草研究所」は、
そのサンカが常用している薬草だと言って、「セブリイ」を売ったのです。

しかし、かみさんの母によると、
「セブリイ」の原材料は、実を収穫したあとの茄子の木と、
夜中に近所のゴミ置き場から拾ってきたミカンの皮だったというのですが、
このつづきは、また明日。


ながらスマホ

2018年05月29日 17:59

ながらスマホ


“歩きスマホ”、“ながらスマホ”が問題です。

これだけ事故やトラブルが報道されていても、
巷を見れば、やはり“ながらスマホ”の人が大勢います。

ながらスマホが危険を伴うことは周知の事実ですが、
それでも、自分だけは大丈夫だと思っている人や、
ちょっとの間だけなら大丈夫だと思ってやっている人、
周りに人がいないと思ってやっている人もいます。

しかし、
考えてみれば、そんな人たちが街を歩いているワケですから、
お互いに相手に気づかないで事故が起こるのは当然です。

事故に限らず、お茶飲みながら、食事しながら、打ち合わせしながら、
携帯やスマホをいじられるのも不愉快なことです。

あれを見ていると、
“ながらスマホ”をやっているというよりは、
“ながら歩き”、“ながら運転”、“ながら乗車”、“ながらごはん”、“ながら会議”
なのではないかと思います。

スマホをやることが優先していて、
ついでに、“歩く”、“自転車や車を運転する”、“バスや電車に乗っている”
“ごはんを食べる”、“会議に参加する”、そんな感じなんじゃないかしら。

それじゃあ、そのスマホで何をやっているのかといえば、
コミュニケーション・ツール、動画、ゲームというのがTOP3だそうです。

いずれも“~しながら”やることじゃありません。

上手い問題解決の提案ではないかもしれませんが、
とりあえず、動きながらや移動しながらでは操作できなくしてしまうのも
手かもしれませんが、やっぱり無理でしょうかしらね?

歩きスマホはやめましょう!

「みんな会」熱海旅行写真日記

2018年05月28日 18:51

きのう5月27日、
東京駅9番線ホームに9時45分待ち合わせ。

10時ちょうど発車の「特急踊り子号107号伊豆下田行き」
電車移動は「みんな会」メンバーのKさんとMさんとわたしたち夫婦。

車中

Zさんは、
数日前に足を痛めて少々歩行が困難だということで一人車移動。

母さんと妹家族は、全員で車移動。
合計9人の「みんな会」熱海旅行。

蕎麦

11時21分、踊り子号が熱海に到着すると駅前でZさんが車で待機。
Zさんの車に乗り込んで多賀の蕎麦処「多賀」へ向かいました。

「多賀」で母さんたちと落ち合って、昼酒を飲みながら蕎麦をいただきました。

夕食

Zさんの車で熱海に戻り宿にチェックイン。
お世話になった宿は「旅館立花」で、元・AKB48のSさんのご実家でした。

昼酒のつづきを飲みながら、散策したり温泉に浸かったりして夕食を待ち、
夕方6時から宴会。

花火の夜

夜8時20分から、
「旅館立花」の屋上で熱海恒例の打ち上げ花火を観覧しました。

熱海花火


きょう5月28日は、
朝8時から朝食、10時「旅館立花」をチェックアウト。

「旅館立花」の近く、熱海三大別荘と謂われた「起雲閣」の庭園を散策。

大谷さ~ん

起雲閣

来宮神社参拝。

来宮神社


大楠前


大楠

熱海駅前の「みやま」で昼食と昼酒。

みやま

最後は、
お土産屋を冷やかして歩き、熱海駅前で解散。

「みんな会」熱海旅行

2018年05月27日 20:08

タケちゃん

入院したら見舞い客が後を絶たず、
意識不明になると集中治療室の前の廊下は人で埋め尽くされ、
教え子たちが集まって目を真っ赤にして泣きだしたと思ったら、
「この場所にこんなに大勢集まらないでください」と注意されました。

仕方がないので、
友人たちでローテーションを決めて、付き添うことにしたのでした。

すると、
付き添いの連中が夜中に病院のロビーで話す声がウルサイと・・・、
こんな付き添いは病院始まって以来無かったことだと・・・、叱られました。

五月蠅くしたことが功を奏したワケじゃありませんが、その後意識を回復し、
奇跡の復活を遂げたのかと思ったのに、急に旅立ちました。

上野の寺で行われた葬儀には、
本堂の床が抜け落ちるのではないかと本気で心配したほど多くの人が集まりました。

通夜の台所では、
そのむかし故人とナニかあったであろう女性たちや、おつきあいしていた女性たちが、
甲斐甲斐しく立ち働き、そんな女性たちをうちのかみさんが仕切っておりました。

葬儀・告別式、七七日忌・納骨、そして一周忌を終えたときだったと思います。
「毎年、命日に集まるんじゃなくて誕生日に集まろうや」ということになりました。

毎年、母さんを囲んでみんなといっしょに齢をとらせようということになりました。
誕生日が3月7日ですから、「みんな会」と呼ぶことにしました。

蕎麦処「多賀」

その「みんな会」で、きょうは熱海に来ています。

この26年間、何度も旅行の話は出ていたのに立ち消えてしまったのでしたが、
今回は実現しました。

ところで、この26年の間に「みんな会」メンバー3人が“あちら”に逝きました。
予定が合わずに、この旅行に参加できなかったメンバーも大勢います。

それでも、母さんは元気ですし、妹さん家族も息災です。


人世坐株主総会

2018年05月26日 10:31

一昨日も、このブログで彫刻家・朝倉文夫さんと三浦家のご縁を披露しましたが、
むぅむぅ(義父)の遺品整理で、かみさんの祖父である作家・三角寛の写真が出てきました。

「昭和33年、人世坐株主総会」とありますから、かみさんが1歳のときであります。


祖父・三角寛は、
戦後、護国寺の古道具屋から薦められたドイツ製の映写機を買って映画館をやろうと考えました。

そして“文士経営”と銘打ち、当時の文士や文化人たちに“名ばかり株主”になってもらって、
1948年(昭和23年)2月17日、池袋に映画館「人世坐」をオープンさせました。

そのときの株主が、
徳川夢声吉川英治井伏鱒二永井龍男今日出海横山隆一河盛好蔵大下宇陀児等。

祖父は人世坐の後、
1952年(昭和27)12月28日、北区滝野川(板橋駅前)に「弁天坐」、
1955年(昭和30年)12月27日、池袋東口に「文芸坐地下劇場」、
1956年(昭和31年)3月20日、文芸坐地下劇場の上に「文芸坐」を開館します。

したがって、昭和33年といえば、文芸坐が開館したあとであります。

それにしても、
この写真を見る限り、“株主総会”の緊張感はゼロなんであります。

人世坐株主総会①
<左から、永井龍男、むぅむぅ(義父)、徳川夢声、むぅむぅの親友で顧問弁護士増岡省三朝倉文夫

人世坐株主総会②
徳川夢声朝倉文夫井伏鱒二

人世坐株主総会③
三角寛永井龍男徳川夢声

人世坐株主総会④
徳川夢声朝倉文夫井伏鱒二、そして次がどなたか判らない>

人世坐株主総会⑤
西川辰美富田千秋横山隆一

人世坐株主総会⑥
河盛好蔵三角寛荒垣秀雄永井龍男徳川夢声


日常のなかの結婚記念日

2018年05月25日 20:21

結婚記念日の夕食

麻婆ナスと、きんぴらごぼうと、ひじきと大豆の煮物を作りました。

あとは、
めかぶ納豆、ブロッコリーとトマトのサラダ、谷中しょうが、漬物・・・。


結婚記念日が、日常生活のなかに埋没している。

それにしても、スパークリングワインに合わない料理だったかな?



「團菊祭五月大歌舞伎」

2018年05月24日 23:59

十二世市川團十郎五年祭

きょうは、友人に誘ってもらったので、歌舞伎座で芝居見物。
十二世市川團十郎五年祭「團菊祭五月大歌舞伎」夜の部

歌舞伎座

歌舞伎座の正面玄関を入ると團菊祭の恒例により、
九世・市川團十郎五世・尾上菊五郎の胸像が置かれています。

團菊祭

ところで、
これらの胸像は、彫刻家・朝倉文夫氏の作品であります。

実は、朝倉文夫さんと三浦家はご縁があるのです。

かみさんの祖父である作家・三角寛(本名・三浦守)は、
朝倉文夫さんと同じ大分県竹田の出身だったこともあり、
戦後に祖父が映画館「人世坐」を始めたときには、
文士経営と銘打って株主になっていただきました。

そんなワケですから、
かみさんの両親も、朝倉文夫さんのご家族とも親しくさせていただきました。

特に、
朝倉さんのご長女の朝倉摂さんとは終生仲良くさせていただきました。

朝倉摂さんは、日本の演劇界で知らぬ人はいない舞台美術家でしたが、
わたしもプライベートとは別に、舞台制作者としてお世話になりました。

菊五郎團十郎

團十郎不在で5年経ちます。


時代錯誤

2018年05月23日 11:02

予科練生

「日下兵長!」

たまの休日に散歩していると、
お宮の石段の上から上官が呼びました。

数十段はあろうかという石段を駆け上り、
上官の前に立って敬礼すると、上官はこう言いました。
「日下兵長、歯を食いしばれ」

覚悟して歯をくいしばると、思い切りビンタされました。

そして上官はこう言ったそうです。
「日下兵長、なぜ殴られたか解るか?」

「判りません」と応えると、その上官は、
「貴様は、優しすぎる」と言ったそうです。


これは、わたしの父から聴いた話であります。

父は、
昭和19年10月、15歳のときに両親の反対を押し切り、
志願して予科練に入隊し、昭和20年に兵長になりました。

昭和20年6月に予科練教育は凍結され予科練航空隊は解隊。
特攻隊員を除く予科練生は本土決戦に向け各部隊に転属し、
それで予科練生から兵長に昇進したのでしょう。

兵長になると、数人の部下がいたのだそうです。
16歳の兵長からみたら、大人ばかりだったそうです。

その中には、
懲役で兵役を逃れた元・ヤクザもいたのだそうですが、
そんな“大人”たちに甘く見られてはならない、
上官のビンタを、そんな意味として捉えたといいます。


さて、
いま話題の某大学アメフト選手が試合中に起こした反則タックル事件

相手チームのクォータバックの選手にタックルして怪我を負わせた選手が、
退場させられた後で負傷者用のテントの中で号泣していると、コーチから、
「優しすぎるところがダメなんだ」と指摘されたといいます。
アメフトは、戦争なんですか?


父は、甥っ子たちのことを指してこう言ったことがあります。

「 あの子たちは、優しいねぇ・・・。
 俺なんかは、戦争の時代に生きてきたからねぇ・・・、
 戦争は、相手にも親や妻や子があるかもしれないなんて考えていたら、
 鉄砲の引き金を引けないからねぇ・・・、優しくしていたら殺されちゃうからねぇ・・・、
 生きるために、生き残るために必死だった・・・。
 いまは、いいねぇ。
 平和ボケとかナントカ云うけど、恰好いい戦争より平和がいいねぇ・・・」

ことしも、「ログゥ展」

2018年05月22日 19:40

ログゥ展


紫陽花の季節

この季節がくると、
「ログゥ展」の案内状が届きます。


あじさいの季節


総武線「西千葉駅」前

ことし、「ログゥ展」はVol20を迎えました。


去年の今頃と、ことしと、
何が違うのかと云ったら、
この一年の間に、お互い親を亡くしたこと。


ログゥ展Vol20


最初の家族

2018年05月21日 12:59

三浦家②

むぅむぅ(義父)の遺品整理がつづいております。
なかなか捗りません。

遺品整理でも、もっとも捗らないのがアルバム整理。

山のようなアルバムを一冊ずつ確認してゆく作業は、
ノスタルジアと現実的な合理性との葛藤であります。


きょうも、さまざまな写真を見つけましたが、
このような写真を発見しました。

これがかみさんにとって、最初の家族。

三浦家①


ナットウキナーゼ

2018年05月20日 18:00

ナットウキナーゼ

西城秀樹さんが亡くなられたことのショックから、
国中の人が抜け出せないでいるようであります。

ヒデキが過去2度脳こうそくを発症し、
病気と後遺症を克服したことに焦点が当っています。

ヒデキが最初に脳こうそくを発症したキッカケは、
水分補給せずサウナに入ったことだといわれています。


わたしも、
血圧が高くなっていることに去年の暮れに気づきました。

未だに血圧降下剤は飲んでおりませんが、
いつ主治医から指示されるのか判らない状態です。

ところで、血圧が上がる原因は、
一般的には、原因不明の高血圧も多いのだそうですが、
喫煙、塩分の摂りすぎ、老化による動脈硬化だと謂われます。

動脈硬化とは、
文字通り動脈が硬くなることです。

動脈が硬くなると血管の内側がもろくなって、プラークが発生しやすくなり、
血管の中が狭くなったりして、血圧も上がります。

また、
プラークがはがれて血液中を漂い、血管を塞ぐ梗塞を起こすことがあります。

脳で詰まれば脳こうそく、心臓で詰まれば心筋梗塞です。


そこで、
わたしは、最近ナットウキナーゼを摂取することにしました。

所謂、血液サラサラを促す成分というのは様々あるのですが、
血管内のプラークの溶解作用を得られるのはナットウキナーゼだけだそうです。

ナットウキナーゼは、
摂取して2時間後から効果が現れ始め、約8時間効果が持続するのだそうです。

したがって、
血液が濃くなる睡眠中の効果を期待するならば、夜摂取すればいいのですが、
ナットウキナーゼが入っているからといって納豆を毎晩食べるのは困難です。

そこで、このカプセルを服用することにしたのですが、
毎日服用しはじめてから、毎朝測定している血圧が下がりました。





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