中日新聞朝刊

2018年02月28日 09:41

中日新聞
<2月28日中日新聞朝刊>

中日スポーツ記事
<2月28日中日スポーツ>

ホテルの部屋のドアの下に差し込まれていた中日新聞です。

昨日の中日劇場
連獅子」終演後のカーテンコールのことが載っています。

中日劇場最終公演シリーズ「歌舞伎舞踊特別公演」のカーテンコール。

市川右團次市川弘太郎の「連獅子」が終わった舞台に、
両脇に獅子を従えながら二人の師匠・市川猿翁丈が登場しました。


旦那(猿翁さん)が、
連獅子」をご覧になるという話は聞いて知っていました。

「私の人生では不可欠の劇場だ」
とおっしゃっていた中日劇場の最後の歌舞伎公演であり、
愛弟子二人が踊る澤瀉十種の内「連獅子」ですから、
旦那が、わざわざ東京からいらっしゃったのも分かります。

猿翁丈と右團次・弘太郎が舞台に登場すると、
悲鳴のような観客の歓声が沸き上がりました。

祈るように歓声に応え、感謝の意を表す三代目・市川猿之助・・・。

その三代目・猿之助丈を慕い追いかけてきた市川右團次(右近)丈、
その市川右近(右團次)丈を慕い追いかけてきた弘太郎。
そんな想いが凝縮された「連獅子」・・・。

その三人が揃った舞台を観ることが出来たわたしたちは、幸せ者です。


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これが最後

2018年02月27日 23:59

CIMG1436.jpg

昨日のブログにも書いたように、
1995年のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の3か月の再演公演で、
毎週1日だけ、主役のヤマトタケルを市川右近(当代・市川右團次)さんが演じ、
そのヤマトタケルを慕う少年・ヘタルベを息子・三浦弘太郎が演じました。

4・5月は新橋演舞場公演、6月が中日劇場公演でした。


1986年2・3月初演の三代目市川猿之助が創作した「ヤマトタケル」は、
スーパー歌舞伎の第1作で、それまでの歌舞伎の概念を変えたと謂われ、
多種の機構を使った大がかりな舞台や斬新な衣裳やスピーディーな演出が話題になりました。

三代目市川猿之助が主人公ヤマトタケルを演じ、
その三代目市川猿之助を慕って歌舞伎俳優になった市川右近がヘタルベを演じ、
その舞台を観ていた2歳の息子・弘太郎は、その市川右近に惚れたのでした。

本人は憶えていないと申しますが、
息子・弘太郎が歌舞伎俳優になりたいと言い出したのは、それがキッカケでした。

CIMG1438.jpg

きょうは、
そんな想い出の中日劇場で、そんな市川右團次(初世・市川右近)さんと、
これまでに何度も演らせていただいた「連獅子」を踊りました。

弘太郎が初めて「連獅子」を踊ったのは、17年前の2001年1月1日。

それはつまり、
21世紀の初日に憧れの右近さんと「連獅子」を踊るという奇跡的な出来事でした。

仔獅子のように右近さんに惚れ、右近さんを慕い、右近さんを追いかけて、
市川弘太郎はここまで来ました。

しかし、
弘太郎が中日劇場の舞台に立つのも、市川右團次さんとの「連獅子」も、
これが最後になってしまうことでしょう。

物事には、これが最後ということがあるものです。諸行無常というやつです。

しっかり目に焼きつけました。

CIMG1440.jpg

    

中日劇場閉場

2018年02月26日 23:59

きしめん

名古屋に来とりゃーす。


いまから23年前、
1995年6月の名古屋・中日劇場公演は、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」でした。

1986年2・3月、
三代目市川猿之助が創作した「ヤマトタケル」は、スーパー歌舞伎の第1作でした。

1995年4・5月、
新橋演舞場で9年振りの再演を果たし、6月は中日劇場にお目見えしたのでした。

3か月間上演するスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」公演の主役ヤマトタケルは、
三代目がお演りになるのでしたが、三代目が週に一日だけ昼夜休演すると申されて、
主役ヤマトタケルを、当時の市川右近さんが演じるように命じられたのでした。

本来、市川右近(当代・市川右團次)さんが演じられていたのが、
ヤマトタケルを慕って追いかける少年・ヘタルベというお役でした。

しかし、
右近さんが主役・ヤマトタケルを演じることになると、ヘタルベが不在になります。
そこで、ヘタルベ役に白羽の矢が立ったのが息子・三浦弘太郎でした。

弘太郎が10歳だった1993年、
第一回「市川右近の会」で、右近さんから「勧進帳」の太刀持ちのお役をいただき、
歌舞伎の初舞台を踏んでおりましたのを、旦那(三代目)が覚えていてくださったのです。

そこで、右近さんのご推挙もあってのことですが、
3か月間の「ヤマトタケル」公演は、週1日だけ弘太郎がヘタルベに抜擢されたのでした。

そのとき、弘太郎は初めて中日劇場の舞台に立たせていただいたワケです。
あの中日劇場の舞台に立った1995年の6月、弘太郎は12歳になりました。

三浦弘太郎が、歌舞伎俳優市川弘太郎になったのは、翌7月のことでした。


そんな想い出の中日劇場が、52年の歴史的役割を終え閉場します。

明日は、
その中日劇場の最終公演シリーズ「歌舞伎舞踊特別公演」です。
市川右團次さんと市川弘太郎は、「連獅子」を踊ります。




千穐楽と閉会

2018年02月25日 18:08

ここ“しばらく”の間、
わたしたちや多くの皆様を楽しませてくれたイベントが、きょうで終わります。

ひとつは、

歌舞伎座百三十年
松本幸四郎改め 二代目松本白鸚
市川染五郎改め 十代目松本幸四郎
松本金太郎改め 八代目市川染五郎
三代同時襲名披露公演「二月大歌舞伎」の千穐楽。

もうひとつは、

平昌冬季オリンピックの閉会です。

市川弘太郎は、
初役の歌舞伎十八番「暫(しばらく)」の埴生五郎というお役をいただきました。
随分とお勉強させていただいたようでございますが、
わたしたちは、この2月「羽生」と「埴生」で楽しませていただきました。

市川弘太郎が、このお役を演じることは「しばらく」はないかもしれませんが、
「参加」させていただけたことに意味があったのだと思っております。


さて、
明日、市川弘太郎は名古屋に参ります。


もんじゃ焼き

2018年02月24日 20:40

文字焼き屋

お好み焼き屋にあって「お好み焼き」と似て非なる食べ物、「もんじゃ焼き

葛飾北斎が絵の手本として描いたスケッチ画集「北斎漫画」に
鉄板に小麦粉を水で溶いたもので字を描く「文字焼き屋」の挿絵があり、
その「文字焼き」が「もんじゃ焼き」の原点なのではないかと謂われているそうです。

わたしが上京して初めて「もんじゃ焼き」を注文したときには、
お好み焼き」と「もんじゃ焼き」の区別がついていなかったものですから、
食べ方が判らず、お店の人に訊くことできず難儀したことを覚えています。

その「もんじゃ焼き」を、
「今朝、テレビで観ていたら食べたくなった」という若い友人と二人で食べました。

もんじゃ焼き

二人で一つも、持て余すかと思っていたのでありますが、
なんと、もんじゃ焼き二つとお好み焼きまで到達したのでした。

まだ、大丈夫なのかな?・・・オレ?



偏り

2018年02月23日 18:30

NHKの大河ドラマをつづけて観る習慣はないのですが、
たまたま、2月18日の「西郷どん」を観ました。

7話目のこの回のなか(45分間)で、
西郷吉之助(隆盛)の祖父と父と母がつづけて亡くなります。

主人公にとって、
個人的なことではありますが、重大なことが立て続けに起きたのに、
その割には、それらのことが淡々と描写されるだけで、
それが本流にどう影響を及ぼすであろうかという伏線を感じません。

それよりも、
大河というだけあって、歴史という大河を遡って見てみたいという、
大河ドラマの基本的なコンセプトが希薄な感じがしました。

西郷家や西郷家を取り巻く人々の“生活”が見たいのではなくて、
“歴史”が見たいのであります。

西郷隆盛像

さて、
先日用事があって、上野公園に行ってきました。

上野公園の象徴である西郷隆盛像は、
浴衣で犬を連れて散歩する姿をしています。

明治維新の立役者でありながら、
西南戦争を指揮して朝敵となった西郷隆盛を、
明治政府下で名誉回復を許したとは言え、
軍服姿で描くワケにはいかなかったのでしょう。

しかし、
その西郷隆盛像の後ろには、
上野戦争西郷隆盛の新政府軍と戦った
彰義隊士たちの墓が在ります。

相前後して、敵同士の顕彰碑が並んでいるワケであります。

彰義隊の墓

その彰義隊を全滅させる作戦を指揮した
大村益次郎の像は、靖国神社の大鳥居を入ったところに、
足元の人々を睥睨するかのように立っています。

靖国神社彰義隊西郷隆盛も祀ることなく、
大村益次郎像が人々を見下すように建っていることをみても、
明治政府靖国神社が長州閥に牛耳られ、
いかに愛国者を偏って選別したかが判ります。


突然死

2018年02月22日 18:00

さて、
きょうは、昨日の血液検査の結果を聴きに行ってきました。

総コレステロール値は、245(基準値~219)
γ-GTP値は、110(基準値~70)
クレアチニン値は、1.13(基準値~1.08)

以上は、基準値を上回ってはいますが、
昨年11月の前回検査時点よりは少し改善しています。

いつ痛風の症状が出てもおかしくないと云われた
尿酸値は、6.8(基準値~7.0)で基準値内に収まっていました。

要するに、
アルコールと脂質と塩分の摂り過ぎに注意しろということでしょう。

これまでは、自分で血圧を気にしたことはありませんでしたが、
あきらかな高血圧の原因は、多分それらによるものでしょう。

わたしの心臓だって血管だって、どうなっているか判りませんからね。


ところで、大杉漣さんが亡くなりました・・・。

それはまた突然で、
共演者たちに看取られて亡くなるという劇的な最期だったらしいですね。

死因は、急性心不全

急性心不全は、死因であって病名ではありませんよね。
急に心不全に陥った原因がある筈なのですが、特定されていないようです。

まずは急性心筋梗塞が考えられるでしょうが、
ご本人もご家族も周りの方たちも普段から健康に過ごしていらしたようですし、
ご高齢でもなかったワケですから、懸念や心配を感じていなかったようです。

それにしても、
大杉さんの場合は、発症から数時間後に亡くなるという“突然死”ですが、
突然なことではありますが、人生に「テイク・ツー(2)」はないのですねぇ・・・。

大杉漣


塩分7g

2018年02月21日 18:50

血圧日記

昨年末から血圧を毎日測っております。

と申しますのも、これまで血圧の心配などしたことはありませんでしたが、
たまたま去年末に測りましたときに、上が160下が120程度ありました。

そこで毎日測ることにしたのですが、大体上が150前後下が100前後です。
素人が診てもあきらかな高血圧でしょう。

そこできょうは、
風邪気味で咳も出ますし血圧も心配ですし、ついでに去年11月の検査で、
尿酸値が高いと指摘されたので、その推移も気になっていましたので、
巣鴨の主治医に診察と採血をしていただきました。

すると、
塩分を一日7g以内にすることと、適度な運動と、血圧手帳をつけるように
ご指示がありました。

その結果改善が見られないようなら、降圧剤を服用することになるようです。

塩分一日7g・・・。


ところで、
巣鴨に行きますと、必ずといってよいほど立ち寄る定食屋があります。

ということで、
本日は、さばの味噌煮定食にマグロの刺身とワカメ酢で昼食を摂りました。

料理が並んだところで、主治医の「塩分は一日7グラム以下」という声が・・・、
聴こえなかったことにして、いただいちゃいました。

但し、小心なので、勿体ないと思いましたが漬物と味噌汁だけ残しました。

高血圧

女神の痣

2018年02月20日 18:14

日本の美術

友人である詩人の若狹麻都佳が絵を描いたというで、観てきました。

場所は、上野の森美術館
展覧会「日本の美術 ~全国選抜作家展~」

今回、若狹麻都佳が出展したのは絵画「女神の痣」
若狹には、2006年に出版した「女神の痣」という詩集もあります。

さて、絵画「女神の痣」は、
どうやって描いたのか判りませんでしたので、作者に訊いたのですが、
絵画という概念の入口から観てしまう凡夫には解りませんでした。

しかし、
絵画でありながら作家の発露は詩的で、あらゆる可能性に満ちていて、
そして自由なのでありました。


但し、絵や詩を文章で説明するという愚は、避けたいと思っています。


女神の痣

「ニック・オブ・タイム」

2018年02月19日 17:32

「ニック・オブ・タイム」


久しぶりに映画のおウワサです。

WOWOWで、1995年製作のアメリカ映画、
ニック・オブ・タイム(Nick of Time)」を観ました。

「Nick of Time」の“Nick”というのは“刻む”という意味。

さしずめ、
「ニック・オブ・タイム」は、「刻一刻」というような意味でしょう。


さて映画は、
ある税理士(ジョニー・デップ)親子がロサンゼルス郊外の駅に到着します。

すると、
突然、なんの理由もなく警官を名乗る男女に車の中に拉致されてしまいます。

そして、娘を人質に取られ、
「娘を殺されたくなかったら90分以内暗殺を成功させろ」と、
或る女性の写真とスケジュール表と拳銃を渡されるのです。
その“或る女性”というのは、現職のカリフォルニア州知事。

主人公に与えられた時間は90分で映画も90分ですから、
映画の時間と実際の時間がほぼ同時に刻一刻と過ぎてゆくサスペンス映画です。

ところで、
この物語に登場するカリフォルニア州知事ですが、
彼女が何故暗殺されようとしているのか具体的に表現はされていません。

しかし、
匂わせているのは、彼女の“或る政策”を快く思わない人々の存在でしょう。

その“或る政策”というのは、一言で云えば“銃規制”でしょうか?




9年

2018年02月18日 12:18

9年目のブログ


きょうは2月18日ですが、なんの記念日かご存知でしょうか?

明日19日は、雪が溶け始める二十四節気の“雨水”ですが、
記念日ではありません。

きょうは、
わたしが、9年前唐突にブログを書き始めたという記念日です。


このブログは、
特筆すべき特徴がありませんが、あえて特徴を挙げるとすると、
この9年間毎日記してきたことでしょうか。

きょうのこのブログ記事で、3,288回目になります。

ところで、2009年の2月18日からきょう2月18日までの9年間には、
実にさまざまなことがありました。

多くの人たちとの出逢いもありましたが、
大切な人との別れも数多くありました。

未曾有の災害もありましたし、
この国が無くなってしまうかもしれなかった事態にも遭いました。
9年前には想像だにしていなかった事でした。

この先だって、なにが起こるか判りません。

しかし、
このブログを始めたキッカケは、次男が薦めてくれたからですが、
9年前の今頃、アメリカで事業を始めたばかりだった次男でしたが、
今月、3店舗目となる飲食店を新規オープンさせるようです。

これからだって、新たな出逢いがあることでしょう。


きょうで9年、まだ人生の通過点です。




レジェンドのつづき

2018年02月17日 14:34

金メダル

やっぱり、

きょうも・・・、この人でしょう。


そして、

この人も、・・・でしょう。






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