2017年02月28日 18:17
台風15号の影響で起こった青函連絡船の洞爺丸事故(転覆・沈没)は、
死者・行方不明者合わせて1,155人の犠牲者を出した日本史上最大の海難事故です。
拠って後に洞爺丸台風と名付けられたこの台風の被害は、実は洞爺丸だけではなく、
他の青函連絡船4隻も沈没し洞爺丸を含め1,500人以上の死者・行方不明者を出し、
北海道岩内町では、町の8割約3,300戸を焼失する大火(岩内大火)も起きました。
この二つの出来事をモデルにした小説で思いつくのは、
なんと言っても、水上勉さんの「飢餓海峡」と、三浦綾子さんの「氷点」でしょう。
そこで、きょうの文芸坐三浦館が上映した映画は、
1965年(昭和40年)公開の東映映画「飢餓海峡」であります。
原作は、水上勉さんの小説「飢餓海峡」で、映画化・テレビドラマ化され、
文学座や、わたしが所属していた地人会でも舞台化された物語です。
洞爺丸事故が起きた洞爺丸台風は1954年(昭和29年)でしたが、
「飢餓海峡」の物語の時代は1947年(昭和22年)の設定になっています。
戦後の混乱と貧しさと愛情と欲情といった世界観・人間観が表現されていますが、
それらをまとめるキーワードはと云えば、まさに“飢餓”でしょう。

さて、
この映画は内田吐夢監督作品です。
戦前の「人生劇場」、戦後の「大菩薩峠」や「宮本武蔵」シリーズなど撮った
映画創世記からの巨匠ですが、「飢餓海峡」は内田作品では珍しい現代劇です。
脚本は、映画「子育てごっこ」でも脚本を担当された鈴木尚之さんで、
内田吐夢監督と鈴木尚之さんは、「宮本武蔵」のシリーズでも組んでいます。
「子育てごっこ」のプロデューサーだったむぅむぅ(義父)は、鈴木尚之さんとも親しくなりました。
その鈴木さんから内田吐夢監督の逸話として、
この「飢餓海峡」を撮ったときのことを詳しく聴いたことがあったのだそうです。
この映画の配役は、
三國連太郎、伴淳三郎、高倉健、左幸子といった俳優が主たる役を演じていますが、
興味深いのは、当時喜劇役者として一世を風靡し喜劇界の大御所だった伴淳三郎さんを、
老刑事弓坂役で使い、自信を喪失させるまで内田監督が厳しく演技指導したことです。
内田監督が引き出したのは演技ではなく、自信を喪失しながらも執着する老刑事の姿でした。
内田監督は、当初から伴淳三郎という俳優の中にある能力を見抜いていたのだそうです。
その能力を本人に意識させずに引き出すために敢て厳しい演技指導を行ったのだそうです。
その甲斐があって?
伴淳三郎さんはこの弓坂刑事役で、毎日映画コンクール助演男優賞を受賞されたのでした。
しかし、わざと自信を喪失させるために衆人環視のなかで罵倒するなどという演技指導なんて、
むかしは映画でもあったのですね。
舞台の演出家でも、
俳優を罵倒しながら、当たらないようにコントロールよく灰皿を投げる名人がいました。
しかし、
そんな才能の引き出され方は、わたしなら嫌ですがね。
尤も、引き出される才能が、わたしにはありませんケド。
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