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「喜びも悲しみも幾年月」

2017年02月16日 17:53

「喜びも悲しみも幾年月」

きょうの文芸坐三浦館の上映作品は、
1957年(昭和32年)公開の松竹映画「喜びも悲しみも幾年月」。

木下惠介監督の大ヒット作品であります。

木下惠介監督は、
戦後の映画界で黒澤明監督と並び称される名匠でありますが、
静岡県浜松市の生まれです。

それでかどうかは判りませんが、
喜びも悲しみも幾年月」に登場する全国各地の灯台のなかで、
静岡県の御前崎灯台は物語でも象徴的に描かれている灯台です。

喜びも悲しみも幾年月」は、
昭和7年から昭和32年まで25年間の灯台守の家族を描いています。

戦争や息子の死といった悲しみと人生の喜びと家族愛を、
全国各地の灯台の在る景勝地を背景にして描いていますが、
佐田啓二高峰秀子が演じる夫婦が主人公です。


その佐田啓二さんといえば、
中井貴惠さんと中井貴一さんという二人のお子さんを遺して早世されました。

実はうちのかみさんと中井貴惠さんは同い年で、
共に林流の日本舞踊を習っていた幼馴染みです。

むぅむぅ(義父)も、
田園調布の家元のお稽古場で佐田啓二さんと遇ったことがあるそうです。

中井貴惠さんが7歳、中井貴一さんは3歳になる年に父上を亡くされたわけです。
そして去年2月、お二人の母上である佐田啓二夫人が亡くなられました。

夫と死別後、お一人でお二人のお子さんを育て上げた87年のご生涯でした。
喜びも悲しみも幾年月・・・。


「アニーよ銃をとれ」

2017年02月15日 23:59

「アニーよ銃をとれ」

きょうの文芸坐三浦館上映の映画は、
むぅむぅ(義父)にとっては、想い出深い作品なのであります。

1950年製作のアメリカのミュージカル映画「アニーよ銃をとれ」です。

1949年(昭和24年)の夏、
映画好きのむぅむぅは、初めて池袋の映画館・人世坐に行きました。
観たかった映画は、豊田四郎監督作品「鶯」でした。

以来、度々人世坐に通いましたが、
その当時人世坐には、むぅむぅのかつての芝居仲間Mさんが勤めていました。

そのMさんの紹介で、
経営者・三角寛の娘で、チケットのもぎりをやっていた母(義母)と出逢いました。
それが、むぅむぅが母と結婚することになったキッカケです。

1951年(昭和26年)11月、むぅむぅと母は結婚し、
翌年の1月に、映画館・人世坐の副社長(支配人)になったのでした。
それは、むぅむぅの映画人生の始まりでもありました。

そして、むぅむぅは副社長(支配人)になった1952年の8月、
周囲の反対を押し切って「アニーよ銃をとれ」と「虹を掴む男」、
この2作品を二本立てで上映したのでした。

人世坐の座席数は450席でしたが、
立ち見のお客をギュウギュウに入れると倍のキャパシティーがありました。
1日3回の上映でしたが、毎回満席で立ち見が出たといいます。
それを7日間上映しましたが、興行は大当たりしたのでした。

この頃から人世坐は、
“名画座”、“二本立て”、“ミュージカル路線”が定着したと謂われています。

むぅむぅにとって「アニーよ銃をとれ」という映画は、
「わたしが面白いと思った映画は必ず当る」という、自信がついた映画であります。


「我が家の楽園」

2017年02月14日 17:57

「我が家の楽園」

ヘンリー・フォンダともう一人、
「アメリカの良心」と謂われた俳優・ジェームズ・ステュアート

きょうの文芸坐三浦館の上映作品は、
そのジェームズ・ステュアートの主演作「我が家の楽園」です。

1938年に公開された、コロンビア製作のアメリカ映画で、
監督のフランク・キャプラは、アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞しました。

“人生を自由に楽しく生きる”

言ってみれば、
これが、この映画が発しているテーマであります。


以下、物語のさわりです。

世界一の企業を目指している金融業の一家がいます。
その父親は、軍需企業を買収し、敷地を拡張しようと考えます。
そこで、軍需工場の周りの土地を買占めようと買収を始めます。

ところが、
土地の買収が進んでも、一軒だけ立ち退かない家があります。

企業の副社長である息子(ジェームズ・スチュアート)の秘書が、
その家の娘(ジーン・アーサー)だと知った父親は息子に命じて、
買収工作に赴かせるのでした。

しかし、
その一家は金に興味が無いというだけではなく、ちょっと・・・、
いや、かなり変わった家族なのでした。

そして、
お金とは、友達とは、家族とは、・・・そして生き方とは、
人生で本当はなにが大切なのかということが描かれます。


そして驚くべきは、この映画が1938年に公開されていることでしょう。

1938年は、
ナチス・ドイツが支配地域を拡張し、我が国は日中戦争を拡大させ、
国家総動員法を施行した時代です。

そのようなときに、
アメリカ合衆国の人々は、「我が家の楽園」を創って観ていたのです。

やっぱり、そんな国と戦争しちゃあいけません。



「昭和史」

2017年02月13日 21:25

「昭和史」

きょうの文芸坐三浦館の上映は、いつもと少し趣きを変えまして、
NHKビデオ「映像でつづる 昭和史 第三部」にしました。

この第三部というのは、昭和20年~35年までの15年間の記録映像です。

むぅむぅ(義父)にとっては、
戦前・戦中の映像は、あまり見たくないことでしょうから戦後の第三部にしました。

しかし、戦後といっても、
終戦直後は、栄養不足、焼け跡、闇市、浮浪児、外地からの引き揚げ、進駐軍と、
苦労多き時代だったかもしれませんが、なによりも平和を享受することができる、
また、将来を夢見ることのできた時代でもあったでしょう。

でも我が国の人々は、
生き延びて食べてゆくための戦後の混乱のなかで、過去の総括をする余裕もなく、
進駐軍に翻弄され、朝鮮戦争の特需に踊り、東西冷戦の渦中に巻き込まれて、
自衛隊を創り、日米安保を結ぶことになっていました。

先週末のアメリカ大統領による日本の首相に対する“ゴルフ接待“”も、
一見、日米の友好を印象づけられますが、画期的だったと評価されたのは、
安全保障に関することばかりでした。

そんなニュースなど見ていると、
やはり、“日本の戦後”はまだ終わっていないのだと思ってしまうのです。


「麗しのサブリナ」

2017年02月12日 22:12

麗しのサブリナ

きのう上映した文芸坐三浦館の映画は、
かみさんのチョイスでありました。

訊けば、
アメリカの60年代の連続テレビドラマ「コンバット」を上映したのだそうです。
第二次世界大戦下のアメリカ陸軍歩兵連隊の分隊の活躍を描いたドラマで、
日本でも放送されて人気がありました。

その「コンバット」をビデオ化した4本分を上映したのだそうです。

わたしは、意識的に戦争物を避けて上映しますが、
むぅむぅ(義父)は、西部劇と同じく戦争物が大好きのようです。

しかし、
それは単純に娯楽作品として描かれた“戦争物”が好きだということで、
当然ですが、“戦争が好き”なワケじゃありません。

因みに、
むぅむぅより1歳年下でも兵士になった経験のある実家の父は、
娯楽作品としての“戦争物”は、観ようとしません。

「結果は敗けると分かっているからなぁ」と申します。


ということで、
文芸坐三浦館の本日の上映は、少し遅くなって午後からでした。
むぅむぅが、午前中にウトウト眠ってしまったからでした。

そして上映作品ですが、
このところ、「ローマの休日」、「昼下りの情事」とつづけて、
オードリー・ヘプバーン主演作を上映してきましたので、
きょうは、「麗しのサブリナ」を上映しました。

麗しのサブリナ」は、
1954年公開のアメリカ映画ですが、ロマンティック・コメディの名作です。

主演は、
ローマの休日」、「昼下りの情事」につづいてオードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーンにとって「ローマの休日」につづく大ヒット作です。

監督は、「昼下りの情事」のビリー・ワイルダーです。


ところで、
ローマの休日」の監督はウィリアム・ワイラー
昼下りの情事」の監督はビリー・ワイルダー
このお二人、よく間違えられたのだそうでありますが、仲良しだったのだそうですよ。

それにしても、
1929年生まれのオードリーと1899年生まれのハンフリー・ボガードが恋愛する設定、
30歳の齢の差ってどうなんでしょう?

わたしが60だから、30歳の女性ということになるんですが、・・・まぁ、いいけど。


3年B組

2017年02月11日 22:34

麁玉中学校

この写真は、
わたしの母校・麁玉中学校の現在の写真です。

この“麁玉”の“麁”という字は「鹿(しか)」という字ではありません。
麁玉中学校は、「あらたまちゅうがっこう」と読みます。

“麁玉”というのは、
「まだ磨かれていない玉」という意味もあるのですが、
天竜川も旧くは「麁玉河」と表記された記録があり、
現在の浜松市浜北区の北部地域の古い地名です。

ですから、
わたしは、麁玉小学校麁玉中学校に通いました。

その麁玉中学校3年B組の同窓会に行ってきました。

3年B組は、
中学2年・3年とクラス替えがなかったので同じ担任の先生で同じクラスメートです。

当然ですが、みんな去年・今年で還暦を迎えたワケで、還暦同窓会というワケです。


お互いの記憶の断片を集めて並べるような時間でした。

60年間のこれまでの人生の中の、たった3年間でしたが、
中学時代は、楽しい時間だったんだなと思いました。

懐かしい友人たちにも逢えましたが、
中学生だったころの自分に逢えたような気がしました。



「昼下りの情事」

2017年02月10日 22:06

「昼下がりの情事」

本日文芸坐三浦館の上映映画は、
監督・製作ビリー・ワイルダーの1957年公開のアメリカ映画「昼下りの情事」。

昼下りの情事」、
原題は「Love in the Afternoon」で、直訳すれば「午後の愛」、
しかし邦題は「昼下りの情事」、知らない人はアダルト作品だと思うでしょうね。


齢が倍ほども違う中年の色男を手玉にとる小悪魔の女性を演じるのは
オードリー・ヘプバーン

中年の色男は先日上映の「真昼の決闘(High Noon)」で保安官を演じた
ゲイリー・クーパーですが、この人“お昼”が好きなのかしら?

それにしても、1929年生まれのオードリーですが、
ローマの休日」のグレゴリー・ペックは1916年生まれで13歳違い。
麗しのサブリナ」のハンフリー・ボガードは1899年生まれで30歳違い。
マイ・フェア・レディ」のレックス・ハリソンは1908年生まれで21歳違い。
そして、
昼下りの情事」のゲイリー・クーパーは1901年生まれで28歳違いです。

恋愛に年の差なんてとは思いますが、それにしてもこう年の差がつづきますと、
なにか特別の“事情”があるのかなと気になります。

昼下りの“事情”・・・。



映画「若者たち」

2017年02月09日 18:59

「若者たち」

毎日みなさまにご報告するだけでご覧いただけない文芸坐三浦館の上映ですが、
本日上映した作品は、或る年代の方たちには懐かしい「若者たち」であります。

元々、フジテレビ製作の連続テレビドラマでしたが、それをリメイクし俳優座が製作した
1967年公開の映画「若者たち」三部作であります。

若者たち」は、
長男・田中邦衛、次男・橋本功、三男・山本圭、長女・佐藤オリエ、そして、
四男・松山政路という5人兄弟が主人公の物語です。

次男役だった橋本功さんは、既に亡くなられましたが、
ご一緒に別府旅行をしたことがありました。

三男役の山本圭さんは、地人会公演「はつ恋」という作品で、
旅公演をしていただきましたし、主人公・島村抱月の故郷である、
島根県浜田市に在る島村抱月のお墓参りにも同行しました。

四男役の松山政路さんも地人会の常連俳優でした。
水上勉作、地人会公演「はなれ瞽女おりん」という作品は、初演は五月舎製作でしたが、
初演時にはうちのかみさんが出演していたこともあって、以来仲良くさせていただいています。
その松山政路さんも「若者たち」では5人兄弟の末っ子役でしたが、ことし70歳になられます。


さて、
映画「若者たち」の原作・脚本は山内久さんですが、山内久さんはむぅむぅ(義父)の親友の一人でした。
「よくいっしょに遊んだ」というむぅむぅですが、「なにして遊んだんですか?」と訊ねたら、
「金がないからさ、話すばっかり」と応えました。

映画に登場する学生たちが議論する場面のモチーフは、その辺りにあるのかもしれません。



映画「サウンド・オブ・ミュージック」

2017年02月08日 18:00

「サウンド・オブ・ミュージック」

むぅむぅ(義父)は、
中心静脈栄養法のための手術を無事に終え、本日退院しました。

これから、自宅での高カロリー輸液の投与が始まります。


そこで、文芸坐三浦館は上映を再開しました。

退院後の上映第一弾は、「サウンド・オブ・ミュージック
ジュリー・アンドリュース主演のミュージカル映画です。

サウンド・オブ・ミュージック」は、
作曲:リチャード・ロジャース、作詞:オスカー・ハマースタイン二世
脚本:ハワード・リンゼイとラッセル・クラウスによる、
1959年の舞台ミュージカル作品でした。

それを、ロバート・ワイズ監督、ジュリー・アンドリュース主演で映画化したのが、
映画版「サウンド・オブ・ミュージック」であります。1965年に公開されました。

サウンド・オブ・ミュージック」は、
表題曲の「サウンド・オブ・ミュージック」をはじめ、
エーデルワイス」や「私のお気に入り」、「ドレミのうた」など、
おなじみの曲が数多い楽しいミュージカルであります。

しかし、
描かれている時代は深刻で、
主人公たちトラップ一家が困難を乗り越えてゆくキッカケを描いています。

それから、
トランプ一家ではなく、トラップ一家ですからお間違いのないように。



中心静脈栄養法

2017年02月07日 22:26

むぅむぅ(義父)は、今朝9時に再入院しました。

午前中は、血液検査、レントゲン検査などを行い、
肺炎など起こしていなければ、午後手術を施すのです。

手術といっても、
“処置”という人もいるような、軽度の手術だそうです。

なんの手術かと申しますと、
中心静脈栄養法という栄養療法があります。

中心静脈栄養法とは、
静脈を使って心臓に近いところまでカテーテルを入れて、
高カロリーの輸液を投与する高カロリー輸液療法のことです。

これは嚥下障がい認知症などによって、
栄養が経口摂取できなくなった人に栄養を補給するための手段です。

むぅむぅは、
中心静脈栄養法を行うために、CVポートという物を埋め込む手術をするのです。

CVポートは、
100円玉程度の大きさの本体と薬剤を注入するカテーテルで構成され、
そのCVポートを右または左の胸の鎖骨の皮膚の下に埋め込みます。
カテーテルの先端は、心臓近くの太い血管に留置されます。
体の中に埋め込みますので、外からはほとんど目立ちません。

CVポートには、セプタムと呼ばれる圧縮されたシリコーンゴムがあります。
そこに針を刺して薬剤を投与しカテーテルを通って血管内に投与されるのです。

この中心静脈栄養法を行っていても、食事を経口摂取することも可能です。
食べる喜びと、栄養価値から云っても、口から食事するほうが望ましいのですが、
嚥下障がいのリスクがあるので、療法の“両方”を併せて行ってゆくつもりです。

手術ですから、リスクが無いワケではありません。

しかし、上手くいけば、
明日退院して自宅で高カロリー輸液の投与を始められますと、云われていました。

そして、
その通りになりました。

むぅむぅは、明日午前11時に退院します。


「野の花ものがたり」

2017年02月06日 18:59

野の花ものがたり

つよしちゃん(ふたくちつよし)が、ホスピスの芝居を書きました。

劇団民藝公演 「野の花ものがたり」


わたしが、つよしちゃんと初めて遇ったのは、
いまからちょうど40年前のことでした。

確か、
母校・演劇科の自称「サロン」と呼ばれていた喫煙所だったと思います。

所謂、ヒッピーのような風貌で、
髪は縮れて肩まで伸びていましたし、アーミージャケットを着ていました。
そしてなにより、サングラスをとると眉毛が無かったのでした。

聞けば、
5期の先輩で、ニューヨークから帰ってきたばかりだということでした。

そのビジュアルから先入観を持ってしまった後輩も多かったのですが、
話してみると、意外な“オネエ言葉”(つよしちゃんはオネエじゃありません)。

演劇科の八ヶ岳合宿にも現れたので、すっかり仲良くしてもらいました。

以来、
つよしちゃんに演出してもらったり、つよしちゃんの芝居の演出助手をしたり、
つよしちゃんの芝居は、すべて観ることにしています。

つよしちゃんは、
新潟の六日町に、“やまざと”という古民家を持っていて、そこで戯曲を書きますが、
やまざとにはなんども遊びに行きました。息子を連れて行ったこともありました。

そういえば、
むかし、つよしちゃんとアメ横のお店でアルバイトをしていたこともありました。

そのバイト先には、つよしちゃんの後輩で、わたしの先輩でもあった、
タケちゃんや宮ちゃんもアルバイトをしていました。

そのタケちゃんが病気になったとき、
タケちゃんの中学・高校の友達とつよしちゃんやわたしたち夫婦で看病をしました。

しかし、タケちゃんは看病の甲斐もなく亡くなりました。
そのときいっしょに看病をしていたタケちゃんの中高の友達の、
オサムちゃんもヨッシーも既に亡くなってしまいました。

つよしちゃんと、
集中治療室に入っている宮ちゃんを見舞ったこともありましたが、
宮ちゃんも逝っちゃいました。

つよしちゃんとは、いっしょに何度もなんども泣きました。


そのつよしちゃんが、ホスピスの芝居を書いたので、
きょう観に行ってきました。


フラ新年会の写真

2017年02月05日 23:59

きょうは、2月5日。
わたしの弟の誕生日で、明日はわたしの母の命日であります。

そして、
もう2月だというのに、
きょうはかみさんのフラの生徒さんたちの新年会が催されました。

というワケで、
きょうは、フラの写真ブログであります。

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