よいお年を!

2016年12月31日 23:59

穴八幡宮鳥居

毎年、暮れになると早稲田の穴八幡宮へお詣りします。

穴八幡宮だけではありません。
我が家の氏神様である氷川神社、日常的にお詣りしている大鳥神社
それから、雑司が谷の鬼子母神堂法不動堂武芳稲荷堂などを回り
それぞれのお札や御守を授かります。


さて、
穴八幡宮といえば、「一陽来復」の御守が有名です。

この一陽来復の御守は、
江戸時代から金銀融通の御守として、冬至から節分まで授かる事ができます。
この御守を、大晦日の夜中24時ちょうどに恵方に向け高い場所にお祀りすると、
金繰りが良くなると言うので大変人気があります。

一陽来複」というのは、
昔の中国の占い本「易経」に出てくる言葉だそうです。

「易経」では、
全ての現象は太陽の力が強まったり弱まったりすることで起きると考えるのだそうです。

太陽は、冬至に力が最も弱まり陰の極みですが、
冬至を過ぎれば、徐々に陽が延びて再び力が蘇ると考えられたのでした。

そして、次第に運気が上昇するので、そのことを「一陽来復」と言ったのだそうです。

穴八幡宮

いいことがあったら気を引き締めて、
ワルいことがつづいたら、これから幸福に向かっていくのだと考えましょう。


みなさま、ことしもありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

御守



スポンサーサイト

見当識

2016年12月30日 22:41

<独り言>

なぜだろう?

「きょうは29日(木)」だと勘違いしてた。

昨日は、29日の予定をこなしてたじゃないか。
なのに、何故?

カレンダーを見なかったのかしら?
パソコンだって、携帯だって、日にちが表示されるじゃないか。

なのに・・・、ホワイ?

夕方になって、
介護ベットを交換してくれる業者が来て、(これも30日の予定通り)
交換とセッティングが終わって、書類に日にちを記載する段になって、
業者から「きょうは30日ですよ」と指摘を受けた。

そこから、慌てた。

だって、
明日(大晦日)は、箒も雑巾も使えないじゃないか!
それに、明日むぅむぅ(義父)が病院から帰ってくる。

神棚・・・、あっ、ご仏壇も。

明日が30日だと思っていたから、
明日、各神社仏閣にお礼参りに行って、お札を授かり、
明日、神棚と仏壇に供えようと思っていたのに・・・。

だけど、なんでそう思っちゃったんだろ?

ダメじゃん!
少なくとも、きょう中に神棚と仏壇を清めておかなければ、ダメじゃん。

そこで、
業者が帰ってから、慌てて神棚と仏壇を清めた。

普段の日ならいいよ。
でも暮れの、それも29日と30日を間違えたらタイヘンなこった。

でも、なぜ勘違いしたんだろ?

わたしも見当識障がいかなぁ・・・。


暮れの墓参り

2016年12月29日 23:59

なんとか、年賀状の第一弾を投函しました。

ところで、
あの大震災が起こった翌年の2012年から、
わたしたちは、“年賀状”をお出ししていませんでした。

あえて、「おめでとう」のご挨拶を避け、
“新年の挨拶状”を送っていたのでした。

それが、今回“年賀状”を送ったのには、
少しだけ理由がありますが、大した理由ではありません。

実は、友人の甥御さんが、
日本郵便?で営業の仕事をしているのだそうですが、
お年玉つき年賀状の売り上げ実績に協力するために、
友人から購入を頼まれたためでした。

しかし、安く買ったり高く買ったわけではなく、
まして、お年玉が当たる年賀状を買ったのでもなく
定価で購入しましたので、念のために申し添えます。

暮れの墓参り

そんなワケで、
きょうは、三浦家のお墓参りに出掛けました。

そのついでに、
大久保の街で、友人のRとかみさんの三人で、
またまた忘年会を済ませました。

モチロン、韓国料理!

韓国料理

좋은 신년을 맞이해 주세요.



和解と寛容

2016年12月28日 23:59

わたしは、
上げ足を取ったり、水を注したりするつもりはありません。

歴史的な慰霊であり、感慨深いスピーチだったと思っています。

同じように、あの場に立った者として、
そのスピーチの内容にも大いに同意するものです。

そして、
あの場に行ってみれば、日米どちらの国民であったとしても、
多分、みな同じことを思うでしょう。

但し、雄弁なスピーチの美辞麗句だけに囚われるのは危険です。

なぜなら、
勇ましい美辞麗句によって、75年前に戦が始まったのであり、
憎しみの美辞麗句によって、報復が始まったのですから。

そしていまでも、
シリアでは、アメリカとロシアの代理戦争が進行中であり、
多くの子供や女性や老人を含む無辜(むこ)の民が亡くなっている現実があります。
また、次期アメリカ大統領は、核能力を強化する必要を説いています。

我が国の沖縄では、
日米地位協定の変更もされないまま、オスプレイが再び飛行を再開し、
辺野古の工事も再開されています。

これが、
本当の「和解と寛容」の姿でしょうか?

きょうの、総理のスピーチの全文を載せさせていただき、
あらためて、これらのことについて考えてみたいと思います。



オバマ大統領、ハリス司令官、ご列席の皆さま、そして、全ての、米国民の皆さま。
パールハーバー、真珠湾に、今私は、日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。
降り注ぐ陽の、柔らかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。

そこは、私に、沈黙を促す場所でした。亡くなった、軍人たちの名が、記されています。
祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、
さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、
あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いた時、紅蓮の炎の中で、死んでいった。

75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。
耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。

あの日、日曜の朝の、明るくくつろいだ、弾む会話の声。
自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。
最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。
愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。
それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実をかみしめる時、私は、言葉を失います。

そのみ霊よ、安らかなれ-。
思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。

オバマ大統領、米国民の皆さん、世界の、さまざまな国の皆さま。
私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、
ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、
戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、
永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。

戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。
そして戦後、自由で民主的な国を造り上げ、法の支配を重んじ、
ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、
この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、米国民の皆さまに、世界の人々に、
固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、
戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。
攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。
碑には、祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め、
「日本帝国海軍大尉(だいい)」と当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave. 「勇者は、勇者を敬う」。

アンブローズ・ビアスの、詩は言います。
戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。
そこにあるのは、米国民の、寛容の心です。

戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、
食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、米国民でありました。
皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。
米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、
その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。
私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
 「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。
 「永続する平和を、われわれ全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる」。
エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。

私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、
改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
あの「パールハーバー」から75年。
歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。
それは、今までにも増して、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。
あすを開く、「希望の同盟」です。

私たちを結び付けたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領と共に、世界の人々に対して訴えたいもの。
それは、この、和解の力です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。
憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
 
寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。
憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、
今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。
日本と米国の同盟は、だからこそ、「希望の同盟」なのです。

私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。
パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。

私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さん米国人の子どもたちが、
またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、
パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。
そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。
オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。
(2016/12/28)

インフォームド・コンセント

2016年12月27日 18:22

わたしは、
むかし、ホームヘルパー2級の資格を取得したことがあります。

その学習・研修期間を通じて何度も聴いた言葉が、
QOL」つまり「クオリティ・オブ・ライフ(quality of life)」です。

介護や看護におけるベースとなる概念であり考え方です。

講師は、口が酸っぱくなるほどこの言葉を繰り返し、
わたしは、耳にタコができるほど聴いた言葉でした。

それには、単に“快適な環境を提供してあげましょうね”というよりは、
“その人らしい生き方を模索”することから始まる、利用者に向き合う姿勢が重要です。

なぜならば、その人の人生は、その人のものだからです。

同じく、
医療分野には、「インフォームド・コンセント」という概念があります。

これもまた、その人の人生はその人のものなのですから、
患者や患者の家族への「説明」と「合意」と「決定」を尊重した考え方に立っています。


この「QOL」と「インフォームド・コンセント」は、
医療従事者であれば、イロハのイとして習ったことでしょう。

しかし、
実際には、このイロハが徹底していないどころか、
高齢者の場合は軽んじられているように思います。

その背景には、
「医師の方が患者や患者の家族よりも判断が適切だ」という自惚れや、
「高齢者は難しい話が解らないだろう」、「高齢者は認知機能が下がっている」、
「高齢者は痛みに鈍い」、「高齢者は判断力が劣っている」といった偏見や、
医師の優位性意識が垣間見えます。


さて、今からわたしの家族に云っておこうと思うのですが、
もしわたしが病に倒れたら、それが終末期だったとしても、
必ず正確な病状と治療の選択肢とそのリスクを説明してくれる医師に掛かりたいと思います。

そして、全てを理解し、全てを自ら決定したいと思っています。
そこのところ、ヨロシク!




暮れのやること表

2016年12月26日 23:59

門松

クリスマスが終わりますと、
翌日の朝、我が家の玄関先に門松が置かれます。

祖父の時代から我が家に出入りしてくれている鳶(とび)の頭(かしら)が、
早朝に来て、門松を設置してくれるのです。

門松に使う竹の形状には、
先端部を斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類がありますが、
我が家の門松は寸胴です。

これに、注連飾り(しめかざり)を付ければ門松の完成です。

門松に限らず、正月飾りや餅つきは、12月29日を避ける習わしがあります。
29日は、「二重苦」に通じるとされていて忌み嫌うからであります。

こうして、26日の朝に門松が立つと、いよいよ押し詰まった感じがいたします。
大晦日の日が暮れるまでにやらなければならないことが目白押しです。

年賀状の宛名書きと発送。
大掃除は、大晦日には箒が使えないので30日までに終えなければなりません。
各神社やお寺にお礼参りに詣でて、お札などを授かります。
買い出しと、おせち料理の準備。
お墓参り。
むぅむぅ(義父)の看護と、年末年始一時帰宅の準備・・・。

ということで、

取り敢えず、
きょうは、友人のDちゃんとの「忘年会」と「年越しそば」を済ませました。



少しだけ

2016年12月25日 23:59

福島県大熊町で東日本大震災の津波に巻き込まれ、町内でただ1人、行方がわかっていなかった当時7歳の女の子の遺骨の一部が見つかり、警察のDNA鑑定で本人と確認されたことが、女の子の父親への取材でわかりました。
東京電力福島第一原子力発電所が立地する福島県大熊町に住んでいた当時小学1年生で7歳だった木村汐凪ちゃんは震災の津波に巻き込まれ、町でただ1人行方がわからないままになっていました。
父親の木村紀夫さんによりますと、今月9日、町内の熊川地区の海岸で行われていた復旧工事の現場で、汐凪ちゃんが当時身につけていたマフラーと一緒に首やあごの骨の一部が見つかり、その後のDNA鑑定で本人の遺骨と確認されたと、今月22日に警察から伝えられたということです。
(NHK NEWS WEB 12月25日 6時25分配信)


きょう各マスコミから、このような報道がありました。

「見つかって、よかったねぇ・・・」

みなさん、そうおっゃることでしょう。
わたしも、本当によかったと思います。

ご家族にとって、
この知らせは、クリスマスプレゼントのように感じられたかもしれません。


しかし、
わたしは、ただ“よかったね”で終わってはいけないのではないかと思いました。
もう少し、このご家族のことを知ってもいいのではないかと思ったのです。

それで、少しだけネットで調べてみましたら、
今回ご遺骨が見つかるまでのことが、少しだけ判りました。

汐凪(ゆうな)ちゃんのお父さんである、
木村紀夫」さんの名で検索をすれば、さまざまな情報を受け取ることができます。

詳しくは、各サイトの記事をお読みいただきたいのですが、
福島第一原発事故で全町民が避難している大熊町は、帰還困難区域です。

帰還困難区域とは、
特別な許可がなければ、立ち入りできない地域です。
町の大半が放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超えていて、
5年間を経過しても、20ミリシーベルトを下回らないであろう地域のことです。

原発から3㎞ほど離れた地区に住んでいた木村紀夫さんは、
津波で、父上と奥さま、そして次女の汐凪(ゆうな)ちゃんを失われたのだそうです。

しばらくして、父上と奥さまのご遺体で発見されたのだそうですが、
当時7歳だった汐凪ちゃんは行方不明のままでした。

原発の爆発を受けて、震災の翌日に避難指示が出されたため、
木村さんは生き残った母上とご長女を連れて県外への避難を余儀なくされました。

木村さんは、帰還困難区域大熊町に立ち入って汐凪(ゆうな)ちゃんを探すことが出来ず、
時が過ぎ3ヶ月に一度の一時帰宅が認められるようになると、避難先から戻って、
独りで汐凪(ゆうな)ちゃんを探しつづけていたのだそうです。

2013年5月以降、帰還困難地域への一時帰宅が1ヵ月に一度に見直されのを機に、
多くの仲間たちが木村さんの捜索を手伝うようになったのだといいます。

ゆうな

このように、少しでも広くみなさんが、
この事実を知ること、考えてみること、忘れないことが、
少しだけ、汐凪(ゆうな)ちゃんへの手向けになるのではないかと思いました。

汐凪ちゃんのご冥福をお祈りします。


尚、大震災による福島県内の行方不明者数は一人減ったので、残り196人。
震災6県合わせると、今年3月時点でまだ2,562人の方が行方不明だったそうです。



どうして、みんなと違うの?

2016年12月24日 23:59

ルドルフ 赤鼻のトナカイ

アメリカに、ロバート・L・メイという男がいました。

ロバートは、裕福な家庭で育ちましたが、
両親が、1929年の世界大恐慌で全財産を失ってしまいました。

1939年、
シカゴに住んでいたロバート・L・メイの妻は重病に罹って病床にありました。
メイ家の生活が苦しいなか、ロバートには4歳の娘がいました。

その4歳の娘が、ロバートに訊ねました。

「私のママは、どうしてみんなと違うの?」

そんなロバートが、
4歳の娘のために創作したのが、「赤鼻のトナカイ」という物語です。

「どうして、みんなと違うの?」
ロバート自身も子供の頃から身体が小さくて苛められていた経験があります。

ロバートは、
生きとし生けるものたちは、みんな神様が創ってくださったのだから、
みんな、いつかきっと幸せになれるのだということを、小さな娘に、
病と闘っている妻に、そして自らにも言い聞かせたかったのでしょう。


1964年、
ランキン・バス・プロダクションが「赤鼻のトナカイ」をアニメーションにしました。
RUDOLPH THE LED-NOSED REINDEER(ルドルフ 赤鼻のトナカイ)」です。

52年前に製作されたこのアニメーションは、人形を使って創られていますが、
このアニメーションを撮影したのは、日本のプロダクションとアニメーション監督です。

アメリカ人が毎年クリスマスになると観ると謂われているアニメーションであります。




川筋気質

2016年12月23日 17:28

「飯塚」は、芝居の旅公演で何度も行ったことがあります。

国の登録有形文化財に指定されている「嘉穂劇場」でも公演しました。

福岡県の「飯塚」は、明治時代から炭鉱で栄えた町です。
飯塚」や「田川」といった町が在る地域は「筑豊」と呼ばれていました。

筑豊の炭鉱で採れた石炭は、遠賀川を下る船で運ばれ、
日本最大の石炭積出港として栄えた北九州市の若松港から日本中へ運ばれました。

当時、黒いダイヤと謂われた石炭を採掘する炭鉱夫や、それを運ぶ船頭たちの気質は荒く、
筑豊から北九州まで、遠賀川沿いに住む人々は「川筋者(もん)」と呼ばれ、
その川筋者の気質を「川筋気質(かたぎ)」と云いました。

川筋気質」は、
火野葦平の長編小説で、何度も映画化された「花と竜(花と龍)」や、
五木寛之の長編小説で、これも何度も映画化された「青春の門(筑豊篇)」、
同じく映画化されている、岩下俊作の小説「無法松の一生」などの主人公や
登場人物の気質を思い出していただければ、お解りでしょう。


ところで、
筑豊本線の新飯塚駅で下車して、宿に向かってタクシーを走らせると、
遠賀川と内住川に架かる橋の手前左側に、大きな総合病院が見えます。

現在の副総理のご実家の企業グループが経営する飯塚病院であります。
企業の創業者である副総理の曾祖父も、炭鉱採掘から始められました。

柳原白蓮が嫁ぎ、後に出奔されてしまった伊藤伝右衛門も、
筑豊炭鉱の採掘から身を起こし、炭鉱王と呼ばれた人物です。

こういった人物たちも、川筋気質だったのかもしれません。


さて、
その飯塚市の市長と副市長が揃ってマージャンをやっていたことが判り、話題です。

それも、市の施設の指定管理者を請け負うことになった業者などを相手に、
平日の昼間の公務中に金を賭けてマージャンをやっていたといいます。

市長は、 “マージャンは金を賭けてやるもの” というような趣旨を述べています。

これも川筋気質というのでしょうか? 違いますよねぇ。




マッチ一本

2016年12月22日 21:05

新潟県糸魚川市内の大規模火災に遭われたみなさまに、お見舞い申し上げます。

そしてまた、
現在も延焼中とのことですから、地域のみなさんはさぞご心配なことでしょう。
被災されたみなさんと消火活動をされているみなさんがお怪我などされないで、
一刻も早く鎮火することを願っています。


さて、地震が怖い、津波が怖いと思って暮らしておりますが、
規模は違えど、被災した方々からみれば同じように怖いのが火事でしょう。

火事、
日常生活の中からそれは突然に起こり、日常を非日常の世界に変えてしまいます。

此処雑司が谷も、むかしから火事がありました。
わたしが住み始めてからこれまでに、大きな火事が3回起こっています。
小さな火事を含めたら、何件あったか憶えていません。

むかしから住宅の密集地域で、戦災に遭っていないとかで古い家や細い路地が多く、
道が入り組んでいて消火活動がし難い地域です。

わたしも、
地域の人たちと一緒にバケツリレーで消火活動をお手伝いしたことがありましたが、
その火災で、お一人の方が亡くなられてしまいました。

しかし、
そんな火事も、元はと云えばちょいとした油断や不始末から起こるようです。

むかしから有名な標語に「火の用心、マッチ一本火事のもと」というのがあります。

そのとおりで、
マッチ一本からでも、煙草一本からでも、線香一本からでも火事は起こります。
どれほど大きな火事でも、最初の火はちっぽけなものです。

夕方には、
東海道新幹線の新横浜~小田原駅間で発生した沿線の火災の影響で、
東海道新幹線全線で運転を見合わせたというニュースが入ってきました。


みなさま、ゆめゆめご油断召さらぬように。



冬至冬中冬初め

2016年12月21日 23:59

冬至

きょうの東京の日の出は6時47分、日の入りは16時32分でした。
きょうは、昼間が9時間45分、夜が14時間15分ということで、
一年で一番昼間が短く夜が長いという、二十四節気で云う「冬至」です。

古来「冬至」には太陽の力が最も弱まり、陰極まって万物みな衰え、
「冬至」が過ぎれば、徐々に太陽の力が再び蘇ると考えられてきました。

ですから、

「冬至」には、
体力をつけるように、カボチャを食べたり柚子湯に浸かるといった風習があります。
また「ん」の字が付く物を食べると健康にイイという風説もあるのだそうですが、
因みにカボチャを食べるのも、むかしは「南京(なんきん)」と呼んでいたからです。

また、「冬至」は陰の極みであって、明日から日が延びることを「一陽来復」といい、
きょうを境に上昇運に転じるとされています。

早稲田の穴八幡宮では、
きょうの「冬至」から来年の「節分」まで、一陽来復の御守を授けてくださいます。


というワケで、
今夜は、我が家も風呂に柚子を浮かべました。

ちょいと淋しい我が家の柚子湯であります。

ゆず湯



「壽 新春大歌舞伎」

2016年12月20日 23:59

2017年壽 新春大歌舞伎

今月の歌舞伎座興行「十二月大歌舞伎」も残すところ一週間。

上に載せたポスターは、新橋演舞場の来年一月興行です。

2017年新橋演舞場「壽 新春大歌舞伎」

市川右近改め
三代目 市川右團次襲名披露

二代目 市川右近初舞台

息子は、昼の部に出演する予定です。
本水を使った立ち廻りを演じるのだそうです。


さて、
このポスターを見ながら、わたくし思いは複雑であります。

あまりにも、いろいろな思いが去来して、
それを上手く表すことができません。

これほど、いろいろなことを考えさせられるポスターも、珍しいです。



最新記事