亡母・十七回忌法要

2016年01月31日 20:28

十七回忌法要

おかげさまで、
無事に、母の十七回忌法要がすみました。

母が亡くなって、もうじき16年が経とうとしています。

十三回忌法要は、
大震災の年、2011年の秋に行いました。

ほんとうは、
去年の秋に十七回忌をやりたかったのですが、
様々なことが重なり、今回は16回目の命日の直前になりました。

十三回忌から十七回忌の間にも、
いろいろなことがありました。

でも、
おかげで父が、なんとか元気でいてくれることが救いです。

父は、三日後に87歳の誕生日を迎えます。

墓
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ニャンチ

2016年01月30日 23:59

実家の庭

実家が在る静岡の浜松に帰省っています。

明日は、法事があります。
母の十七回忌法要です。

浜松は、東京より2~3℃暖かいです。
それでも、冷たい小雨が降っています。

そんななか、
実家の庭に、“ニャンチ”が寝そべっていました。

“ニャンチ”という名の犬です。
オスの老犬です。

小屋が有るのに、なぜか外で寝そべっていました。

母が亡くなった直後に家族になった犬ですが、
いまでは、足がワルイので、ちゃんと歩くことができません。

人間でしたら、優に80歳は超えた年齢でしょう。
90歳以上かもしれません。

去年、帰省したときに、
もしかしたら、もう逢えないかもしれないと思いましたが、
なんとか、まだ生きていてくれました。

にゃんち

わたしが帰宅したとき、来月87歳の誕生日を迎える父は、
デイサービスにリハビリに行っていて、留守でした。

あゝモンテンルパの夜は更けて

2016年01月29日 19:00

800px-渡辺はま子2

あゝモンテンルパの夜は更けて」という歌をご存知ですか?

♪モンテンルパの 夜は更けて
 つのる思いに やるせない
 遠い故郷 しのびつつ
 涙に曇る 月影に
 優しい母の 夢を見る


1952年、歌手の渡辺はま子さんが歌って大ヒットした歌です。

この歌は、フィリピンマニラ郊外に在る
モンテンルパの刑務所に収容されていた死刑囚の作った歌でした。
作詞したのは、B級戦犯死刑囚の代田銀太郎元大尉、
作曲したのは、B級戦犯死刑囚の伊藤正康元大尉。

そのエピソードです。

1952年(昭和27)1月、渡辺はま子さんは、
来日したフィリピンの国会議員ピオ・デュラン氏から、
モンテンルパの刑務所に多くの元日本兵が収監されており、
既に14人が処刑されたという話を聴きました。

戦後7年が経ってなお、異国で死刑を待つ人たちがいると聴いた彼女は、
銀座の鳩居堂で買ったお香を刑務所に送ったのでした。
すると、1952年6月、渡辺はま子さんの自宅に一通の封書が届きました。
モンテンルパ刑務所の教誨師・加賀尾秀忍師から送られてきたものです。

その封書の中には、
手紙とともに、「モンテンルパの歌」という題名の楽譜が入っていました。
作詞:代田銀太郎、作曲:伊藤正康と書いてありました。

渡辺はま子さんは、レコード化に奔走します。
そして、遂にこの歌を大ヒットさせたのでした。

この歌によって、その謂われを知った日本人たちは
戦犯の助命を願って嘆願書の署名活動を始めました。
そして、500万人分の助命嘆願書が集まったのでした。

渡辺はま子さんは、
当時、国交が無かったフィリピン政府に、戦犯慰問の渡航を嘆願し続けました。
そして、1952年12月、遂にモンテンルパの刑務所への慰問が実現します。
熱帯の12月、40℃を超す暑さの中、渡辺はま子さんは振袖を着て歌いました。

そのことは、やがて当時の大統領の耳に入りました。

フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領は、
戦争中の“マニラの戦い”で、身柄を拘束され毎日拷問を受けた経験をもち、
奥さんと子供3人を日本兵に殺された人でした。

反日感情の根強い中、自身も日本兵に憎しみをもつキリノ大統領でしたが、
この曲を聴きて、日本人戦犯108人に特別の恩赦令を発令し帰国を許したのでした。
「憎しみの連鎖は絶たなくてはならない」というのがその理由でした。

ですから、渡辺はま子さんとエルピディオ・キリノ大統領のエピソードと、
「あゝモンテンルパの夜は更けて」という歌を、日本人は忘れることはできません。


フィリピン日本人戦没者の碑

両陛下は、
きょう日本人戦没者の慰霊碑「比島戦没者の碑」へ花を供えられました。

武士の情け

2016年01月28日 18:28

辞任

わたしは、早晩辞任されると思っていました。

会見直前に、
総理にも辞任の意志を伝えたそうですが、慰留されたのだそうです。

しかし、
ご自身の美学、生き様に反するということで翻意されなかったようです。

武士の情けとは、温情から慰留することではありません。
切り捨てることも、情けであります。


それにしても、
この辞任劇、人情の視点から観てはならないものだと思います。

そして、
まだ、第二幕・三幕があるハズであります。





無辜の民

2016年01月27日 22:38

この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。

私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和37年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから54年、日・フィリピン国交正常化60周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。

フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。

旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。

この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。

終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。


これは、昨日フィリピンへ向かわれるご出発前に、
天皇陛下が羽田空港で述べられた内容です。

旧厚生省によれば、
1941年から1945年までの間に、フィリピンで約51万人の日本兵が亡くなったそうです。
アメリカ軍の戦死者数は、約2万3,000人。
フィリピン人の戦死者数は、約110万人と謂われています。

日本は、曲がりなりにもフィリピンを独立させ、傀儡政権をつくりました。
結果、国民が親日派と抗日派のゲリラに分かれて戦う悲劇も起きました。
そして、多くの国民が亡くなったのです。

フィリピン進攻を指揮したマッカーサー将軍によれば、
当時のフィリピンの人口は1,700万人だったそうですから、
その内の110万人という数がどれほどの犠牲者数だったかが判ります。

そしてその多くが、一般市民だったのだそうです。
「膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。」
陛下がおっしゃった“無辜(むこ)”の人々のことです。

両陛下はきょう、
まず、フィリピン人の戦没者が眠る「無名戦士の墓」に供花されました。
明後日には、日本人戦没者の慰霊碑「比島戦没者の碑」へ供花されます。



読了

2016年01月26日 23:59

読了

猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる

読了。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・嘆息!









猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる


読むだけで得られるもの

2016年01月25日 23:59

猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる

ネットサーフィンならぬ、書店の中を彷徨っておりまして、
きょう、このご本に遭遇しました。

遭遇したという形容がピッタリします。

このところ気になっておりました天台宗の「千日回峰行」という修行と、
割と身近なところにいらっしゃるけど興味深い「市川猿之助」という人、
この両者がリンクするとは、思いませんでした。

早速、購入しましたが、まだ拝読しておりません。


ところで、
一昨年亡くなられた高倉健さんと親交のあった、
天台宗大阿闍梨の酒井雄哉師は、
荒行「千日回峰行」を2回行った史上3人目の方です。

千日回峰行」は、7年間かけて行なわれるのだそうです。

1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。
定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。

4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。
ここまでの700日を満じて、
9日間の断食・断水・不眠・不臥の「堂入り」に入り、不動真言を唱えつづけます。

6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。
前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、
比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、
全行程は84キロにもおよびます。
最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。

行者は、白装束に、蓮華笠を被り、草鞋を履き、
行が行えなくなったときの首吊り用の死出紐を肩から下げ、
降魔の剣という自害用の短刀を腰に差しているのだそうです。

蓮華笠の紐の付け根には、
一文銭が6個、死出の旅への通行手形として付けていて、
「行き道はいずこの里の土まんじゅう」という句を懐に持っていると謂います。

それにしても、
一体、なんのためにこのような苦行を行うのでしょう?

天台宗の説明によりますと、比叡山の峰々を巡り、
山川草木ことごとくに仏性を見いだし礼拝するためとあります。


さて、
このご本に戻りましょう。

このご本「猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる」は、
2009年9月に千日回峰行を満行し「北嶺大行満大阿闍梨」となられた
光永圓道師を、師と同い年の市川猿之助さんが訪ねた対論集です。

このお二人の言葉のやりとりを只読むだけで、
凡夫のわたしが、なにかを得られるものでしょうか?




食道裂孔ヘルニア

2016年01月24日 18:00

きのうは、たのしい胃カメラ検査でした。

世の中には、睡眠導入剤を静脈注射して、
眠った状態で検査する術式もあるようですが、
自分の腹の中を見る絶好の機会を失いたくないので、
わたしは、喉の麻酔だけで検査していただきました。

まず、
口から胃の入り口である噴門までの食道を丁寧に診ます。
そして胃の内部へ入り、胃の出口である幽門の周りを診ます。
さらに、十二指腸の中に入って、入り口あたりを診ます。

もどって、
空気を注入して胃の内部を膨らませ、ヒダの間をつぶさに診ます。

食道裂孔ヘルニア

そして、これは内視鏡の先端をU字に曲げて胃の上の方を撮った写真ですが、
奥に見えるAの矢印が噴門でその先が食道につづいています。

グロテスクな写真で恐縮ですが、ある症状を知っていただくために、あえて載せました。

どういう症状かと申しますと、
胃と食道の境目である噴門が緩んだ状態である、食道裂孔ヘルニアです。

黒いチューブが見えますが、これが内視鏡(胃カメラ)などを通しているチューブです。

Aの矢印が噴門で、括約筋でとりあえず閉まっています。
Bの矢印の噴門手前の円周は、横隔膜の位置です。

つまり、わたしの噴門は、
括約筋があるAの位置と、横隔膜のあるBの位置がずれています。
食道が少し引っ張られていて、噴門横隔膜の位置より上にあるのです。

本来、AとBは同じ位置になくてはいけません。
噴門の括約筋と胃の外にある横隔膜が連動して、
噴門をしっかりと閉めていなくてはいけないのです。

ところが、
括約筋だけでは、噴門をしっかり閉めることができず緩んだ状態で、
胃液が逆流して食道の粘膜を刺激しやすい状況が起こります。

刺激されると、所謂“胸やけ”が起こりますし、常習化すれば食道炎を起こし、
食道炎が慢性化すると食道ガンを発症するリスクが高まると謂われています。

この食道裂孔ヘルニアという症状がなぜ起きるのか、原因は判っていません。
また食道裂孔ヘルニアの治療方法も、ありません。
いまはまだ、これもひとつの体質として受容し、気をつけて付き合うしかないのです。

わたしの“腹の内”、解っていただけましたかな? 

胃カメラ

2016年01月23日 19:23

胃カメラ

年に一度恒例の、胃の内視鏡検査日。

主治医の病院に朝8時の予約で、
内視鏡検査前の血圧・脈拍測定、
肩と口腔内への麻酔薬投与、
内視鏡検査と生体細胞採取、
診断と予後についての説明、
血液検査のための血液採取、
これらが終わり病院を出たのは9時前でした。

怪しい3箇所から細胞を採取していますので、
きょうは、酒も刺激物も口にできません。
安静にして過ごせとのご指示でしたが、
酒が飲めないのが、すごいストレスなんですケド・・

生体細胞検査結果が出るのは、約2週間後です。
そのとき同時に血液検査の結果も伺うことにします。



袖の下の羊羹

2016年01月22日 10:38

羊羹

いやぁー! ビックリが驚きました。

まぁ、あくまでも週刊誌の報道によるとですが、
木箱入りの羊羹を受け取った大臣がいるんですねぇ。

羊羹はアナタ、虎屋の羊羹だそうですよ。

虎屋と云えば羊羹、
羊羹と云えば虎屋と謂われる虎屋の羊羹です。

それもアナタ、印籠杉箱入の大棹羊羹です。
印籠という杉の箱に入った大棹の羊羹です。

印籠杉箱入の大棹羊羹は、
1本から5本入りまでありますが、何本入りだったのでしょう?

1本でしたら、間違いなく「夜の梅」でしょう。
「切り口の小豆粒が、夜の闇にほの白く咲く梅を思わせる」
羊羹の最高傑作で、1本6,480円するそうです。
5本入りなら30,240円だとホームページに記されております。

虎屋の創業は1,500年代で室町時代後期と申しますし、
「夜の梅」が最初に作られたのだって1,819年というのですから、
もう日本史の教科書を片手にいただく羊羹なのであります。


それにしても、封筒に入った50万円を受け取っても問題ですが、
虎屋の羊羹を受け取ったとなると、なかなか言い逃れが出来ません。

しかし、
いまだにこのように絵に描いたような“袖の下”が行われているんですねぇ。

いまどき、サスペンスドラマだって、こんな設定で袖の下を描きません。

甘利にも稚拙な袖の下ですから、
ダレかに嵌められたんじゃないかとすら、勘ぐってしまいますよねぇ・・。 


波瀾万丈

2016年01月21日 12:59

告知です。

明日1月22日金曜日 (19時56分~21時48分)に、
「中居正広の金曜日のスマたちへ」
というTBSの番組が放送されるそうです。

その番組のなかに、
金スマ波瀾万丈」というコーナーがあるのだそうです。

これは、
スペシャルゲストを招いて、
波瀾万丈な人生にスポットを当てるという企画だそうです。

今回の、波瀾万丈なスペシャルゲストは、小林幸子さん。

その再現ドラマの小林幸子役が、
我らが後輩で俳優座の女優、坪井木の実さん。

番組の司会は、SMAPの中居正広さん。

レギュラー出演者は、
かみさんの友人でもある大竹しのぶさんや、ベッキーさん。

そして、彼はわたしの学生時代の連れですが、
イリュージョニストにして、小林幸子さんの巨大衣裳装置のプランナーで、
数々のジャニーズ事務所公演のイリュージョンを担当したという経歴をもつ、
Duke松山こと松山秀生が出演します。


なかなかに、波瀾万丈な番組なのであります。


kinsma.jpg

仏違い

2016年01月20日 21:12

洗い観音

貴方は、
巣鴨(すがも)」と聞いたら、「ナニ」を連想しますか?

「信用金庫」ですか?
「創価学会の戸田記念講堂」ですか?
「おばあちゃんたちの原宿・巣鴨地蔵通り商店街」ですか?
とげぬき地蔵」と答える人も多いことでしょう。

そう!
その巣鴨の代名詞でもあるお地蔵様(通称・とげぬき地蔵)ですが、
巣鴨の高岩寺のご本尊であらせられます。

病の治癒にご利益があるとされおりまして、年中参拝者が絶えません。
本来の御名を延命地蔵菩薩様と申されますが、通称はとげぬき地蔵様。
とげぬき地蔵様は、秘仏につき“非公開”とされております。

すると、
「じゃあ参拝者が列をなして洗ったり拭いたりして拝んでいるのは?」
そんな疑問をお持ちの方がいらっしゃるのではないですか?

そう!皆さんがよく勘違いされているのですが、
あれはご本尊のとげぬき地蔵様ではなく、
「通称・洗い観音」と呼ばれている観音様です。

この観音様も、治癒したい部分と相応の観音様の御身体を洗うと、
御利益が得られると謂われています。

つまり、
人違いならぬ“仏違い”であります。


さて、上に載せた写真は、
去年のきょう撮った、洗い観音を洗っている女子高校生たちです。

お節介なことに、Facebookが、
「1年前の投稿を振り返ってみよう。」と云って載せてくれた写真です。

そこで気づいたのですが、わたしは去年のきょうも巣鴨に来ていました。
そして偶然ですが、きょうも巣鴨に行ったのでした。図らずもです。

去年も、きょうも、
胃の内視鏡検査の予約を入れに主治医の病院を訪ねたのでした。
早いもので、もう一年が経ったというワケです。

わたしは、御陰様でこの一年、大病もせずに過ごしました。

去年、何処を洗ったのか判りませんが、
あの女子高校生たちは元気で過ごしているでしょうか?






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