ハロウィン

2015年10月31日 23:59

ハロウィン④

いったい、いつの間に、
ハロウィンなるお祭りが日本に定着したのでしょう?

ハロウィン①

もともとは、
古代ケルト人の収穫祭が起源とされているお祭りのことだそうです。

本来は、
秋の収穫を祝い悪霊などを追い出す意味合いの行事が、
現代では、子どもたちが魔女やお化けなどに仮装して、
近所や商店街を回ってお菓子をもらったりする風習になったようです。

ハロウィン②

ことしは、妖精でした。

来年は、
パパと白塗りの歌舞伎化粧をして参加するのだと云っております。

ハロウィン③
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認知症と運転

2015年10月30日 23:59

認知症とは、
文字通り認知機能が衰えた病態を現す言葉です。

ひと昔前までは、「痴呆」と呼ばれていましたし、
一般的には「ボケ」とも呼ばれています。

しかし、
それは差別的な意味合いを含む可能性があるので、
いまでは「認知症」といいます。

では、
認知機能とはなにか?

記憶力、思考力、理解力、注意力、計算力、学習力、
言語機能、判断力、把握力、見当識など知的な能力。
これに、分別とか感情などの要素が加わって正常な機能が発揮されるのですが、
それらの欠落やバランスを欠く病態が現出すると認知症と診断されるようです。


さて、
宮崎市内で、痛ましい事故が起きました。

認知症を患っているとみられる73歳の男性が運転していた車が、
歩道上を約700メートル暴走し、歩行者ら男女7人を死傷させました。

わたしの実家の86歳の父も、
去年やっと運転免許を返上してくれました。

保険に入ってはいましたが、
保険の代理店をやっている親戚からも、
自損事故による車の修理が増えていたこを指摘されていました。

田舎に住む高齢者に、
車の運転を止めてもらうことの困難さは想像以上であります。

わたしは、
元々、運転免許の更新制度にも無駄と欠陥があると思っています。

若者を含む免許更新の制度よりも、
ある一定の年齢や病気をファクターにした更新制度にシフトすべきだと思います。

父の場合、目や反射神経などの身体機能は衰えてしまっていましたが、
辛うじて、“判断力”だけはあったと云えるでしょう。


死すときの記録

2015年10月29日 23:59

むかし、演劇科の学生時代のことでしたが、
狂言の授業を、井上靖さんと学長・生江義男先生が、
中国の、日本でいう文化庁長官一行を案内して観にいらしたことがありました。

井上靖(やすし)さんと、井上ひさしさんを間違えている輩もおりましたが、
重々しく狂言の授業が始まりました。

舞を披露する段になって、
舞を担当する学生が、静々と稽古場の中央に進み出ました。

扇を構え、立ち上がろうとした途端でした。
その男は、“お見事!”と叫びたくなるくらい鮮やかに転んだのでした。

ご一行を迎えるために、長い時間正座をしてお待ちしていたために、
足が痺れていたのでした。

しかし、
それがキッカケとなって、ご一行も井上靖さんも、生江先生も爆笑し、
その後、和やかな雰囲気で授業は進行したのでした。

あとで聴いたところでは、
その中国の“文化庁長官”は、所謂“笑わぬ殿下”で有名な方だったのだそうです。


さて、
そんな視察が実現したのも、生江義男学長と井上靖さんが、
所謂シルクロードの歴史研究者だったことからでした。

井上靖さんの小説「敦煌」は有名です。

その井上靖さんは、
古今東西の歴史を調べてみると、文明や王国の成立や繁栄を記した、
記録や資料はあるものの、衰退したり消滅した記録や資料は、
見つからないものだという主旨のことをおっしゃっています。

その一例が敦煌です。

そしてまた、
一人の人間の記録も同じで、
誕生した記録や成長した記録、生きているときの記録は存在しても、
死すときの記録は、曖昧なものになってしまうものだとおっしゃっています。

たとえ、遺書が存在しても、その遺書そのものが正確さを欠くのだといいます。


さて、
生きた証とは、死を描いてこそ正確なものと云えるのだとしたら、
わたしは、出来得る限り、わたしの死を正確に遺したいと思います。

おみくじ

2015年10月28日 23:59

おみくじ

おみくじを引きました。


ところで、
おみくじというのは、占いではないということをご存知でしたか?

おみくじというのは、神様からのメッセージが書かれたものであって、
吉凶を占ったものではないのだそうです。

そこに書かれている御言葉を、
どのように受けとるかは、その人次第であり、
受けとってから、それをどう考え、どう行動するかも、
その人次第なんであります。

神様がどうにかしてくださるというものでは、ないのであります。

所詮、人任せや、人をあてにしていても仕方がないのであります。

この御言葉から、
なにを神様のメッセージとして受けとるのか、人に委ねられているのであります。

いわんや、生身の人間や、
人の争いの仲介を生業とする輩の予言をあてにしたとして、
その言が外れても仕方がないのであります。

所詮、人の争いの専門家は、人の専門家でない所以であります。



「無心」

2015年10月27日 23:20

「無心」

劇団東京フェスティバル公演「無心」を観てきました。

「無心」は、フィクションですが、
沖縄で現実に起きたこと、起こっていることを背景に、
様々なモチーフを繋ぎ合わせるように、
様々な要素をコラージュのように描いています。


こうして、沖縄が芝居で描かれている最中にも、
政府は、米軍普天間飛行場の辺野古移設に関して、
沖縄県知事による「辺野古の埋め立て承認取り消し」は違法だとして、
地方自治法に基づき、「国が知事に代わって埋め立てを承認する」
「代執行」の手続きに着手することを発表しました。

加えて、国土交通大臣は、
沖縄県知事による「埋め立て承認取り消し」の「執行停止」を決めました。

これによって、
沖縄県知事の決定は「一時的に無効」となり、「埋め立て作業が再開」されます。

政府が、代執行に踏み切れば法廷闘争に持ち込まれ、
沖縄県側は、国地方係争処理委員会に不服審査を申し立てるでしょう。

こうして、
話し合いがこう着化した挙句、法廷で国と県が争う事態となるのです。
泥沼と云わざるを得ません。


劇作家は、沖縄の基地問題を取材したときの感想として、
「沖縄は、虐待されている子どものようだ」と述べています。

沖縄が子供っぽいということではなく、
何度裏切られても、親の愛情を求める姿に似ていると感じたからだそうです。

強いかもしれないけれど、暴力的で横暴で理不尽なアメリカという父親と、
子どもの幸せより、父親の機嫌ばかりを気にしている日本という母親、
そして、疎外され虐げられつづけている沖縄という子供。

隣人として、同じ国民として、
74%の米軍基地負担をさせているわたしたちには、なにができるでしょうか?



空気の匂い

2015年10月26日 23:59

月

わたしの高校時代に、
わたしが、「簾満月(すだれまんげつ)」とあだ名を付けた先生がいました。

簾越しに満月を眺めたような髪型だったからですが、
いまにして思えば、朝鮮半島の歴史と情勢に詳しい方でした。

冗談のような話ですが、
月を眺めるたびに、思い出す懐かしい先生であります。


今月は、神無月です。

出雲大社に全国から神々が集まるために、
出雲以外の土地の神が不在になるという説は、
中世以降の後付けだという説もあるようですが、
わたしは、不在説がいいと思っています。

ですから、
「神無月」は、神さまがいない月という意味で、
逆に出雲では、10月を「神在月」というのだとか。
おもしろいと思います。


さて、
一段と冷え込んだ一日でした。

日が落ちて、少しだけ湿気を感じる夕暮れに歩いていると、
空気が独特の匂いを発しています。

この空気を吸うと、
こどもの頃に、喘息を患って施設に入ったときのことを想い出します。

枯葉が積もった道を、
わたしを預けた母と祖父が帰ってゆく情景を想い出します。
あのときも、この匂いがしていました。

あのときの、気がかりな我が子を預けて、
枯葉を踏んで帰っていった母や祖父の気持ちを想像するに、
いま、まご娘を抱きしめていられる自身の幸せを感ぜずにはいられません。



ことしも「でえく」

2015年10月25日 22:44

「でえく」

浅草に、「でえく」を観に行ってきました。

たまたまですが、
去年も、10月25日に「でえく」を観ています。

モチロン常時演っているワケじゃありませんが、
毎年、この時期になると公演しているので、
日にちが同じだったのは、偶然です。


その「でえく」というのは、
落語や、講談や、浪曲といった語り芸を、
新しいエンタ-テイメントに創り変えた、
「語り芝居の会」が主催する公演です。

「でえく」は、2004年から公演されてますから、
ことしは、11年目です。

「でえく」を演っているのは、
浅草寺本堂の手前左側に在る五重塔を過ぎて左に曲がり、
境内から「奥山おまいりまち」に出て大衆演劇の「木馬館」の隣、
木馬亭」がその劇場です。

今年は、
落語の、「文違い」「一人酒盛り」「締め込み」「代書屋」「化け物使い」
といった5本立てでした。

お芝居を観て、浅草寺にお参りして、仲見世を冷やかして、
すべて去年といっしょです。

なにが違ったのかというと、
ことしは、まご娘といっしょ。

浅草寺

帰りに、
神谷バーへ寄りました。

KAMIYA BAR

そのまご娘が、
食事している姿を肴に、一杯やるのは格別です。



弘法筆を選ばず

2015年10月24日 23:59

お稽古

我が家は、
月に6日~7日、日本舞踊のお稽古場になります。

事情があって、
この夏から暫くの間、姉のお稽古場が我が家に移っています。

これまでのお稽古場に比べたら、極端に狭いのですが、
姉に言わせれば、日本舞踊のお稽古には十分なのだそうです。
もっと狭いところでも、お稽古は出来るとのことでした。

そう云えば、
むかし祖父が造った母のためのお稽古場が、
現在の「雑司が谷寛」という店に在りますが、
我が家の稽古場よりずっと狭い部屋です。

但し、床が鳴るように床下の地中に大きな甕をいくつも埋めてあり、
床板はヒノキが敷いてあり、凝った造りのお稽古場でした。

それにしても、
我が家には、更衣室もなく、たまり場もなく、
御弟子さんたちが気の毒だと思って、恐縮しています。


お稽古日は、土曜日と月曜日です。

その日になると、
我が家には、午後から三味線の音がずっと流れております。

お稽古の一番は、まご娘。
既に5~6曲は、踊ることができます。

むかし、
わたしも演劇科の学生時代に日本舞踊のお稽古をしましたが、
2年間で、「羽根の禿」と「松の緑」の2曲しか習いませんでした。
それも、最後まで振りを教えてもらっていないのでした。

ですから、2年間習ったのに、1曲も踊れないのです。
日本舞踊って難しいもんだなぁ”という印象だけを残しました。

その先生は、面白くて、いい方でしたが若くして亡くなられました。
生きていらしたら、最大流派のお家元になられたかもしれません。


日本舞踊のお稽古は、一対一で行われます。

御弟子さんは、来た順に順番を待ちます。
お稽古は、一人10分から15分程度でしょうか?
長くても30分以上はやりません。

待っている間も、先の御弟子さんのお稽古を見て学びます。

しかし、
御弟子さんは一人10分でも、師匠は一人です。

師匠は、
13時ころから22時ころまで食事も摂らずにお稽古をつけます。


姉は、踊る身体のことを最優先した生活をしています。
そこまでやるのかというほどお稽古をして、
体調やストレスを管理しながらの、ストイックな生活です。

そんな姉にとっては、
お稽古場が少々狭いのどうのは、大したことではないのでしょう。



イモ掘り

2015年10月23日 23:59

イモ掘り③

収穫の秋です。

きょうは、まご娘とイモ掘りに参加しました。
イモは、サツマイモです。

イモ掘り②

アッという間に、
いわゆるイモヅル式に、イモが採れました。

大きいの、小さいの合せて20本。

イモ掘り①

イモ掘り⑥

イモ掘り④

イモ掘り⑤

イモ掘りのあとは、イモ畑で遊ばせていただきました。

遊んだあとは、みんなでシートを敷いてお弁当。


いっしょに、
サツマイモの蔓で冠を作りました。

毎日、
タイヘンな舞台を勤めているパパへのお土産だそうです。

サツマイモの蔓も、
キンピラや佃煮といった、酒の肴になるのですが・・・。

イモ掘り⑦



「感謝」

2015年10月22日 23:59

去年の11月に亡くなった高倉健さんは、
「行く道は精進にして、忍びて終わり悔い無し」
という言葉を座右の銘にしていたといいます。

この言葉は、高倉健さんと親交があった、
天台宗大阿闍梨で、去年の9月に亡くなった、
酒井雄哉師(享年87歳)の言葉だそうです。

このことは、
高倉健さんが亡くなられたことに付随して話題になりましたが、
酒井雄哉師を知る機会にもなりました。

その酒井雄哉師は、
天台宗の荒行「千日回峰行」を行った方として有名です。

天台宗の説明によりますと、
千日回峰行」は7年間かけて行なわれます。
1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。
定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。
4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。
ここまでの700日を満じて、
9日間の断食・断水・不眠・不臥の「堂入り」に入り、不動真言を唱えつづけます。
6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、
1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。
前半の100日間は“京都大廻り”と呼ばれ、
比叡山山中の他、赤山禅院から京都市内を巡礼し、
全行程は84キロにもおよびます。
最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです。

その「千日回峰行」でも、最難関とされる「堂入り」に挑んでいた
大津市の総本山延暦寺善住院住職、釜堀浩元師(41歳)が、
昨日の未明に、9日間の「堂入り」を無事に終えたという報道がありました。

釜堀浩元師は、これから残り2年をかけて満行を目指されるでしょう。

行者は、白装束に、蓮華笠を被り、草鞋を履き、
行が行えなくなったときの首吊り用の死出紐を肩から下げ、
降魔の剣という自害用の短刀を腰に差しているのだそうです。

蓮華笠の紐の付け根には、
一文銭が6個、死出の旅への通行手形として付けていて、
「行き道はいずこの里の土まんじゅう」という句を懐に持っていると謂います。


それにしても、
一体、なんのためにこのような苦行を行うのでしょう?

説明によると、
比叡山の峰々を巡り、
山川草木ことごとくに仏性を見いだし礼拝するためとあります。

先ほどご紹介した酒井雄哉師は、
この「千日回峰行」を2回行った史上3人目の方でもあります。
その酒井雄哉師が最期に口にされた言葉は「感謝だな」であったそうです。


「感謝」、
それは、これだけの人がこれだけの修行をして得たシンプルな一言でした。


人生の損失

2015年10月21日 22:43

読売巨人軍の現役選手3人が、
野球協約第180条に違反する野球賭博に関与していたとして、
日本野球機構の調査委員会が緊急会見を行い、発表されました。

調査委員会によると、
選手等は、プロ野球の試合の勝敗に金銭をかけて賭博を行ったり、
金品を授受したり、賭け麻雀や賭けゴルフも行っていたのだそうです。

賭博行為は、
野球選手でなくても、野球協約に抵触しなくても、犯罪です。

若い選手が、腕一本で稼ぎ出すお金に群がって、
投資話や、節税話を持参して近寄ってくる輩がいるのでしょう。

親しくなれば、
飲食の接待を受けたり、旅行に同行したり、
次第に避けられない関係となった頃あいで、
賭け事に誘われる・・・。

最初は、麻雀や賭けゴルフなどから始まり、
次第に本性を見抜かれて、泥沼という流れでしょう。

野球協約180条というのは、
賭博だけでなく、反社会勢力との接触も禁じています。

現在起こっている事件に、
反社会勢力の関与があるのかどうかは、まだ判りませんが、
賭博行為自体が、反社会的行為です。

さて、
このようにつけ込まれる対象は、野球選手に限りません。
他のスポーツでも、大相撲でも、芸能界でも起こる可能性があります。

もっと云えば、
収入が増したり、社会的地位を確保したと思っている、
自惚れた人間にアリがちな墓穴掘りでしょう。

わたしは、
自惚れるほど何かを達成したことがありませんから、
“残念ながら”墓穴を掘ったことがありません。

しかし、
何らかのヤバい事が、いつバレるかいつバレるかと、
心配しながら過ごしている人が、世の中にはいるものです。

その時点で、
人生を大きく損失しているということが、判らないのでしょうかね?

そこのビクビクしている貴方、・・今度は貴方の番ですよ。

バレたら、少しは楽になれるでしょうケドね。
制裁を受けて償わなくてはなりません。



週刊少年ジャンプ

2015年10月20日 23:59

少年ジャンプ

元々、
子供の頃、漫画雑誌を買う余裕もなく、
マンガを読む習慣もありませんでした。

町で一軒だけの床屋に行くと、
週刊少年サンデーだ、週刊少年キングだと、置いてありましたが、
髪を切る順番を待つ間の読み物という印象でした。

しかし、
世の中には、いかにマンガを読んで育った人たちの多い事か。

その漫画雑誌に息子の写真が載りました。

きょう発売の、週刊少年ジャンプ

週刊少年ジャンプといえば、
少年時代に「ハレンチ学園」を読んでから、
心ときめくマンガ雑誌でありました。

週刊少年ジャンプの頁を開いたのは、何年ぶりのことだったでしょうか?

スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」

ワンピース


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