年度末

2015年03月31日 18:31

公園2015

暑くても寒くても、辛いことがあっても悲しいことがあっても、
毎年、春はめぐってきて花を咲かせてくれます。


きょうは、年度末。
きょうで、2014年度が終わります。

ところで、
毎年、この時季にこの公園で、桜を背景にして写真を撮っております。
比べてみれば、おかげさまでおおきくなりました。

そろそろパパの自転車も、前から後ろに座席を替えなくてはいけません。

この一年も、いろいろありましたが、
健やかに、穏やかに、朗らかに成長してくれたことが、
なにより有り難く、うれしく思います。

来年度は、どんな一年になるでしょう?
あしたからは、ぶどうぐみさんです。

公園の桜2015
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松竹歌舞伎×ユニクロ

2015年03月30日 22:40

ユニクロ①

パパの写真がいっぱい飾ってあるよ。

ユニクロ②

松竹歌舞伎×ユニクロプロジェクトっていうんだって。

ユニクロ③

パリの地下鉄の中吊り広告が、
全部、猿之助さんとパパの写真だったって教えてくれた人がいたよ。

パリに行って、見てこようかなぁ?

ユニクロ④

マツダスタジアム満開

2015年03月29日 23:59

マツダスタジアム

マツダスタジアムが真っ赤に染まって見えました。

ヤンキースから広島に復帰した黒田博樹選手が初先発する試合。
広島のマツダスタジアムは、1塁側3塁側に限らず、
球場全体が広島ファンで埋め尽くされたように見えました。

黒田投手は、8年振りに先発。
ヤクルト打線を相手に7回を投げましたが、
黒田が点を抑えて交代した後の8回9回の展開はヒヤヒヤ。
心臓にワルイと云いながら観ていたかみさんでした。

結局終わってみれば2対1で広島が勝ち黒田投手の1勝目。
2007年9月27日のヤクルト戦以来、2,740日振りの凱旋勝利となりました。

それにしても、
マツダスタジアムの年間指定席は全席完売したのだそうで、
黒田博樹選手の経済効果は莫大なものでしょうね。

さて、
そういうワケで、かみさんが気をよくしたところで、
気の置けない友人たちと、雑司が谷で飲みました。

気の置けない


放送法からの認識

2015年03月28日 21:26

昨夜のテレビ朝日の報道ステーションが話題です。

話題と云っても、
テレビでは話題になり難い話題ですから、ネット上で話題になっております。

事は、昨夜の報道ステーションにコメンテーターとして出演した、
元経済産業省官僚の古賀茂明さんが、
番組の進行を一部遮って、ご自身の見解を述べられたことに、
番組のメインキャスターである古舘伊知郎さんが反応して、
異論を唱え、古賀さんの見解に一部承服できない点があると
発言したことが発端です。

この模様は、
著作権上の問題があるにもかかわらず、動画サイトなどに早くもアップされました。

また、
報道ステーションはモチロン生放送ですが、番組終了後に、
ジャーナリストの岩上安身さんが主宰する
インターネット報道メディア「IWJ」
岩上さんが古賀さんに直接取材した模様が中継されました。

そこできょうは、この話題について、あれこれ記したいと思います。


まず、
昨夜の報道ステーションの中の古賀さんの発言にもあった、「放送法」についてです。

そもそも、国(総務省)が、放送業者に放送する許可を与えている目的は、
以下のとおり、放送法の総則に読み取ることができます。

放送法 第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。


大雑把に言えば、放送の目的は「公共の福祉」だと読み取れますが、
なにか抽象的であります。

ここで注目するのは、
放送の不偏不党と真実及び自律が保障されなければ表現の自由は確保できないよ
と書いてあることです。

真実であること」で表現の自由は確保できますが、
不偏不党」でないと、表現の自由は確保できないということになります。

では、放送とはどのように作られるべきかを規定した放送法は、
以下の箇所に該当すると思われます。

放送法 第二章 放送番組の編集等に関する通則
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。


これもやや抽象的でありますが、
ここにも、「政治的公平性」と「多角的な論点を明らかにすること」が記されています。

つまり、解釈次第では、
放送は、いつでも放送法違反となる危険性を孕んでいるワケです。

ですから、
放送法で縛られている放送局に、放送法を犯してもよいから、
云いたいことを云えとは云えないことになってしまいます。

要するに、
放送局と放送制作者は、どんな意見も云っていいけれど、
必ずその対極にある意見も採り挙げて公平に放送しなさいよということでしょう。

ですから、放送メディアの特性として、
個人的な意見や見解というものは、発信し難いものだと思うのです。

それなのに、
ニュースがワイドショー化したり、ニュースにコメンテーターが登場します。
コメンテーターによっては、その分野の専門家とは云えない方もいますし、
かなり偏ったり個人的な意見を述べられる方もお見受けします。
そういった点は、本来の放送法違反が黙認されているのかもしれません。

例えば、飛行機事故が起こったときに、
航空の専門家をコメンテーターとして採用する必然性と同じように、
政治的な話題にコメンテーターを採用すれば、
専門性も求められますが、本来自由な発言が制限されやすいことも、
放送法上はしょうがないことなのではないでしょうか?

翻って、視聴者の立場から云えば、
そんな自由な発言が制限され自粛をした放送などに興味を持てませんし、
たとえ極端な意見でも知りたいことは多々あるものです。

ですから、
「放送に正確な意味での公平は難しい」という認識をもつこと。
「極端な意見や個人的な意見は放送され難い」という認識をもつこと。
「放送されている情報は、取捨選択」する必要があること。
メディア・リテラシーの能力」をもつ必要があること。
これらのことが、わたしは重要だと思うのです。

そして、最後に、
もし、中途半端な情報(放送)による影響で、
情報が不足していたり、真実とは違う認識をもった人と出会ったとしても、
その人を、無下に「見下したり」、「批判したり」しないほうがいいと思います。

だって、みなさんが信じている放送とは、元々「そんなもん」なワケですから。

家具屋姫騒動

2015年03月27日 17:30

新橋演舞場の3月公演「スーパー喜劇 かぐや姫」は、
3月31日の昼公演までつづき、
4月5日には大阪松竹座の初日を迎えます。

この「かぐや姫」は喜劇ですが、
家具屋の騒動が、面白可笑しく報道されております。

他人の不幸は蜜の味ということなのでしょうか?


さて、家具屋の創業者で一族の父親でもある会長と、
一族の長女である二代目・社長との経営方針をめぐる対立が、
上場企業の経営自体を揺るがす事態です。

その争点を大雑把に捉えれば、
旧来、創業者である会長が独自の販売戦略で成功させたビジネスモデルと、
現・社長が打ち出した新たな販売戦略を基にしたビジネスモデルと云えます。

顧客を、お得意様や会員として捉え、個別に高級家具を販売する方法と、
誰もが顧客になれるように敷居を低くし、低価格でも販売しようとする方法。

抽象的な表現をするなら、家具屋としての独自性を深めるか、
家具屋として、新たなビズネスモデルを構築するのか、といった違いでしょうか。

「高級感」「会員制」「個別対応」をキーワードにした独自性。
「大衆性」「手頃価格・低価格の設定」「融通」といった成長戦略。
このような分け方で表現することもできるでしょう。

門外漢のわたしの個人的な見解など価値はありませんが、
わたしは、独自性を重視する経営方針に魅力を感じます。

マンネリ化や、成功体験への拘りといった懸念はあるものの、
他に追随するような経営方針の転換リスクのほうが怖いからです。

この家具屋がここまで成功したのは、
たぶん他がマネできない、独自のビジネスモデルをもっていたからでしょう。

そのビジネスモデルを転換させて、
他を意識し他と競合するビジネスを成功に導くのは難しいと思うのです。


それにしても、
こうなる前に、取締役一人ひとりにコーチがついていたらと思います。
或は、ファミリービジネスアドバイザーがついていたらと思います。

どちら側の経営方針が通ったとしても、
今回の騒動で負った損失は膨大なものになるでしょう。

だって、家族(ファミリー)間で揉めている会社から、
家族のための家具を買おうとは思いませんからね。

逡巡

2015年03月26日 21:46

インディアン・ポイント①

4年前の3月11日の、あのときは、 
池袋のホテルを出発する成田空港行きのリムジンバスに乗るために、
そろそろ家を出ようとしているときでした。

翌3月12日にハワイで行われる予定だったフラのフェスティバルに
初めて参加するかみさんの生徒さんたちをアテンドする予定でした。

しかし、モチロン旅行は中止、フラ・フェスティバルも中止されました。

後に聴いた話によると、ハワイにも津波が到達するというので、
ワイキキでも、避難を呼びかける警報が鳴っていたといいます。

ハワイ行きを諦めたわたしは、トランクの荷物を片付けながら、
テレビの中継で、容赦のない津波の映像をずっと見ていました。
そして、原発事故が起こりました。

インディアン・ポイント②

3月26日、つまり4年前のきょう。

わたしは、
ニューヨークのマンハッタンの西を流れるハドソン川の上流
約60㎞に位置する、インディアン・ポイントの見えるところにいました。

インディアン・ポイントは、アメリカでも最も旧くから在る原子力発電所です。

インディアン・ポイント③

そのときは、わたしはまだ戸惑っていました。

日本の現状を背負い、インディアン・ポイントを見ながら、
それでも、まだなにか割り切れないものが残っていたのです。

それまでの人生で、特別になにも考えてこなかった怠慢な自分。
豊かな電力の恩恵を得ながら愉しんで生きてきた自分。
そんな自分に対して、忸怩たる思いもありました。

今更、手の平を返したように原発を批判できる自分なのか、
迷っていました。

「初めてのニューヨーク旅行が、原発見学なんてお気の毒」
などと、同行してくれた友人にも云われました。

それから、帰国して被災地に行く機会を得ました。

福島にも度々行きました。

また、そこで考えてしまっていました。

原発は無いほうがいい。
それは、そう云うことができるようになりました。

しかし、
福島に住んでいる方や、住んでいた方に、
福島には、もう住まないほうがいいですよとは、云えません。

もう4年経ちますが、
わたしの逡巡は、まだつづいています。

受胎告知

2015年03月25日 23:59

受胎告知

きょうは、受胎告知の日だそうです。

さて、
わたしが、小学校4年生のときですが、
その頃わたしは、喘息に罹って伊豆の施設に入っていました。

その時、・・50年ちかく前のことですが、
クリスマスの降誕劇で、ヨセフの役を演ったことがあります。

ヨセフは大工さんで、
聖母マリアの夫で、イエス・キリストのお父さんだと教えられました。
父親といっても、正確には養父だった人ですがね。

聖母マリアが、ちょいと好きな子だったこともあって、
ヨセフという役を、大層気に入って演りました。

いや、正確には、
夫婦の役をやったので、その子が好きになったのかもしれません。

実に単純なんであります。

ところが、
その当時のわたしは、演劇人としてはお恥ずかしいのですが、
処女懐胎とか処女受胎ということを、知識らなかったのであります。

ですから、赤ちゃんが産まれるのは、
お母さんのお腹に、神様が赤ちゃんを授けてくれるからだと思っておりました。

ですから、
なんの疑問ももたずに、ヨセフの役を相勤めたのであります。

その所為か、
以来、ヨセフという人には親近感をもっております。

いまにして想えば、
わたしの前世は、ヨセフだったのかもしれません。



富士山

2015年03月24日 23:59

富士山頂

富士山のてっぺんは何処だか、ご存知ですか?

そう、海抜3,776mという日本の最高地点は、
富士山の火口に在る剣ヶ峰の頂きです。

富士山測候所が在り、
「日本最高峰富士山剣ヶ峰」と書かれた石碑が建っています。

では、その富士山頂の住所をご存知でしょうか?

・・・。

実は、住所はないのだそうです。

地図上で、県境を表す線からすると、
静岡県に属しているように見えるのですが、
富士山頂は、静岡県でも山梨県でもなく、
住所を定めないと、定めているのだそうです。

では、
日本一の富士山の山頂は、国有地なのかと謂いますと、
実は、8合目から上は富士山本宮浅間大社の私有地で、
奥宮の境内なのだそうです。
面積にして約120万坪(397ヘクタール )の境内だそうです。

富士山は、
日本一高いというだけでなく、日本の象徴であり、
その存在は神格化され、霊峰として崇められてきました。

日本人は、富士山が大好きです。
いまだに、新幹線に乗っていて富士山が見えると、
車内のダレかが必ずといっていいほど「あっ!富士山だ」と云います。


そんな富士山をライトアップしようと提唱したことで物議を醸していた
富士山ライトアップ計画を企画した会社が、反対意見を考慮して、
計画を中止すると発表しました。

反対意見のほとんどが、星が見えづらくなったり、
自然環境や生態系への影響があるのではないかという懸念、
また、電力が無駄だという理由からだったそうです。

しかし、
日本人のメンタリティーのなかに、
「富士山には、光を当てちゃあいけない」
という想いがあるのではないでしょうか?


むかし、
或る新興宗教のイベントで、舞台監督をやったことがありましたが、
その教団の教祖さまの写真を舞台中央の奥に飾るために吊るしました。
そして、その写真に向けた照明の具合を見ていたときのことです。
教団の信者たちがやってきて、写真には照明を当てないでくれと云うのです。
「御写真に対して失礼だから」と云うのです。
「御写真から光を発するのであって、逆にこちらから光を当ててはいけない」
と云うのでした。

案外、ご自分でも気づいていないかもしれませんが、
富士山ライトアップ計画に反対する理由は、同じようなものかもしれませんよ。
富士山に光を当てるのは不敬である、というようなね。

でもね、もし夜の新幹線に乗っていて富士山が見えたら、
みんな必ず「あっ!富士山だ」って云うと思いますケドね。

だから、反対するのはいいけど、
「気持ちはわかる」くらいは、言い添えてあげたいと思います。


富士山2015年3月24日

楽し句も、苦し句もあり、五・七・五

2015年03月23日 23:59

楽し句も、苦し句もあり、五・七・五

東京やなぎ句会」という俳句の会があります。
1969年(昭和44年)から現在まで、毎月つづく句会であります。

入船亭扇橋永六輔小沢昭一江國滋桂米朝大西信行
柳家小三治矢野誠一三田純市永井啓夫神吉拓郎加藤武
といった12名の錚々たるメンバーであります。

宗匠は、入船亭扇橋さんということになっておりますが、
実質的な世話役は、柳家小三治さんのようです。

柳家小三治さんは、
雑司が谷のお蕎麦屋で何度かお見かけしたことがありますが、
いつも御一人で寡黙に蕎麦を召し上がっていらっしゃっていて、
近寄り難い雰囲気の方ですが、句会では若手ということもあってか、
タイヘンにこの、饒舌にお話しになっていらっしゃいます。

東京やなぎ句会のことは、
小沢昭一さんが、いつもかみさんの父にご著書を贈ってくださいましたし、
柳家小三治さんが、噺のまくらで話されることが多かったことから、
存じ上げておりました。

そして、先日亡くなられた桂米朝さんもメンバーだったようです。

東京やなぎ句会が、500回・42周年記念で出版された、
楽し句も、苦し句もあり、五・七・五
という、句のようなタイトルのご本があります。

その次の501回目の句会には、久々に桂米朝さんが出席されました。

2011年(平成23年)4月ですから、
東日本大震災原発事故が起こった翌月のことであります。

大阪からお弟子さんたちを5人くらい連れて、車椅子で出席されたようです。

ご本を読むと句会の最中は、あまりおしゃべりになっていません。
それでも楽しそうに参加されているご様子が伝わってきます。
どうも、お耳が遠かったようであります。

そのときに、皆に勧められて米朝さんが出した席題は「桜餅」。

米朝さんが、大阪からの土産に桜餅を持参されたかららしいのですが、
そうすると、それは上方の品ですから道明寺だったのかもしれません。

そのときに、米朝さんが詠まれた句が、
桜餅一つ残して帰りけり 八十八(桂米朝)
この句が、そのときの句会で天位を授かりました。

句を解説するのは野暮というものでしょうが、
どのような状況で、誰に桜餅を残して帰ったのか、なぜ桜餅なのか・・、
様々な想像を愉しめる一句だと思います。

そして、米朝さんが東京やなぎ句会の月の例会に参加されたのは、
このときが最後になってしまったようです。

桜餅皆に遺して逝きにけり 合掌 

東京やなぎ句会501回


楽し句も、苦し句もあり、五・七・五――五百回、四十二年楽し句も、苦し句もあり、五・七・五――五百回、四十二年
(2011/07/16)
東京やなぎ句会

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標本木

2015年03月22日 18:46

春のお彼岸

いま春のお彼岸ですから、
新宿区の大久保に在る寺の墓所へ、お参りに行ってきました。

三浦家の墓の上には、傍の桜の枝が蕾を膨らませて広がっています。
あと数日すれば、墓は満開の桜花に包まれることでしょう。

早くも、太い幹から出た芽が開いて花をつけておりました。
新宿区の大久保でも、桜は咲き始めています。


ところで、気象庁によると、
東京の桜の予想開花日は、3月24日だそうですが、
開花宣言のための標本木に指定されている桜の木は、
なぜ靖国神社の桜の木なのでしょうね?

そんな疑問をお持ちになったことはありませんか?

気象庁が、
標本木に指定するにはするで、正式な文書が存在するはずで、
なぜ靖国神社の桜を指定したのか、理由が記された文書があるはずだと、
文書の公開請求をした人がいたようです。

標本木が、気象庁の敷地の桜の木から靖国神社の桜の木に変更されたのは、
昭和41年からだそうです。

しかし、気象庁にも靖国神社にも、
そんな文書は残されておらず、公開できなかったというのです。

<この件の資料>

開花宣言のための標本木なのですから、
植物学的な理由や、環境としての判断、
そして靖国神社に要請するためにも、それなりの理由があった筈で、
官庁が決めて行ったことであれば、その経緯は資料化されたでしょうに、
文書が存在しなかったにしても、無くしてしまったにしても、解せません。

2015年3月22日雑司が谷法明寺

ところで、
豊島区雑司が谷の某所の桜は、既に咲いています。

地域全体で咲いているワケではありませんが、
毎年、他の地域より、他の木より、早く咲く木が在ります。

開花宣言を行う場合の桜はソメイヨシノを指しますが、
ソメイヨシノ(染井吉野)は、豊島区の染井村(駒込)の、
植木屋が作った品種だとする起源説が有力ですから、
豊島区内の桜を標本木にしてもよかったのではないでしょうか?

ラムネさん

2015年03月21日 19:06

2年前の2013年3月14日、
わたしの亡くなった母の、本家の伯母が亡くなりました。

伯母は、祖母と祖父と伯父を看取って、
孫や曾孫に囲まれて、94歳の天寿を全うしました。

その伯母が亡くなった日、
伯母の想い出を、このブログに書きました。

仲がよかった伯父との様子や、
里帰りしたわたしたちに振舞ってくれた鮪の刺身の美味かったことなどです。

そして、伯母のことに絡めて、
むかし本家が在った静岡県清水市の興津という町のことを書きました。
現在では、静岡市清水区興津云々という地名になっています。

すると、
そのブログに「ラムネ」さんという方がコメントをくださいました。

ラムネさんは、興津のご出身でした。
興津の町のことをネットで調べていらして、
わたしのブログ記事に出合われたようでした。

最初は、わたしの母の実家のつくりが、
京都の町屋風の奥に長い構造だったという描写に反応され、
ラムネさんのご実家と同じようだという話題になりました。

次にわたしが、「ご実家は、興津のどの辺りでしょう?」と訊くと、
「私の実家は、清見寺近くにあります。 鋸を造ってます」
という返信がありました。

そこで、今度はわたしが反応しました。
「もしかしたら・・、柑橘専用の剪定鋸で有名なお宅ではないですか?」

すると、
「 実家は昭和の初めからミカンなどの剪定用の鋸を造っています。
“鍛冶屋のうち”と呼ばれてます。家業は明治以前にさかのぼります 」
というお返事が届きました。

どんぴしゃり!当たりました。
そんなラムネさんからのコメントを頂いたのが、
2年前の今時分のことでして、それを思い出しました。


さて、
ラムネさんのご実家は、「小川梅吉製鋸所」と謂いまして、
その世界では、大変に有名なお店なのであります。

その世界というのは、どの世界かと謂いますと、
果樹産業界と謂えばいいでしょうか、特に柑橘業界のことであります。

「小川梅吉製鋸所」
は、天保年間(1830年代)に鉄砲と丸鋸の製造を始めたという古いお店ですが、
六代目の頃から果樹剪定鋸の製造を始めます。

興津には、農林省の果樹試験場が在りました。
全国各県一名ずつ、県知事が推薦する者しか入れないという
各県の要請を受け、国の威信をかけて技術者を養成する機関でした。

軍隊で謂えば、陸軍中野学校のようなものでしょうか。

その果樹試験場が興津の町に在ったことが、
たぶん「小川梅吉製鋸所」の製品が全国区になった所為だと思います。

興津の果樹試験場を出て技師になった、わたしの父は、
徳島県の試験場に勤めましたが、一念発起して開拓農民になりました。

ですから、わたしの実家の作業小屋にも、
「小川梅吉製鋸所」の剪定鋸が何本も有りました。
わたしも、むかし腰に下げて働いていました。


父の時代、興津の果樹試験場を出た人たちは、
戦争に負けたこの国を、豊かにするのだという目標をもっていました。

食糧が無いときから、イモや豆のデンプン農業を経て、
タマゴや肉といったタンパク農業へ、そしてそれが満たされ、
野菜と果物といったビタミン農業に供給が移ってゆきました。

父たちは、
果物がふんだんに食べられる世の中を創る夢をみていました。
それは、豊かで平和な国が築かれたことを指していたはずです。

そういった志を抱き、興津の果樹試験場を出た若者たちは、
日本中に分かれ、技術者になり生産者になり、各地に産地を創ったのでした。

その人たちのお陰で、これだけ豊かに果物が生産されるようになりました。

そして、
その人たちの腰にはいつも、
ラムネさんのご実家の、「小川梅吉製鋸所」の剪定鋸が吊るされていたのです。


伯母の死をキッカケに頂いた、ラムネさんとのご縁でした。


名人が逝く

2015年03月20日 21:28

桂米朝

名人と謂われる人も、近ごろでは少なくなりました。
巧い、上手と謂われる人は、そこそこいらっしゃいます。
ですが、名人となるとそうはいらっしゃいません。

そんな現代の名人のお一人。
落語界では二人目(一人目は六代目柳家小さん)、
上方落語で謂えば初の重要無形文化財保持者。
つまり人間国宝に認定された方です。
そして、演芸部門で初の文化勲章受章者。

その、三代目桂米朝さんが、亡くなりました。
三代目桂米朝は正真正銘の名人です。

戦後、滅びかけていた上方古典落語を復興させた功績から
「上方落語中興の祖」と謂われる落語家です。

桂米朝の「一文笛」という噺があります。
これぞ至芸! 名人とは、こういう人の芸を謂うのでしょう。
聴いた者は果報です。

いま、桂米朝の「一文笛」を聴きながら書いています。


いつか、この日がくることは解っていましたが・・・。
それにしても、桜の季節はなぜか訃報がつづきます。

桜餅一つ残して帰りけり 八十八(桂米朝)

合掌



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(2014/11/05)
桂 米朝

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