調布市仙川町

2015年02月28日 21:15

橋を渡る

調布市仙川町
わたしが、この町を初めて歩いたのは1976年の春でした。
駅の改札口の前に桜の大木があって、花が咲いていました。

当時19歳。母校の演劇科を目指すも、入学資金が不足していましたので、
もう一年間働いて資金を貯めるつもりで、建築資材の工場で働いていました。

あれから、ことしの春で39年が経ちます。


きょうは、
その仙川町に在る劇場で、「橋を渡る」という音楽劇の千穐楽を観ました。
先輩が演出して、プロデューサーと制作者と舞台監督は後輩が務めていました。

「橋を渡る」という作品は、
“この町”の「七本の橋」と「駅前の桜の樹」と「音楽大学」をモチーフにした、
“この町”に対するオマージュをこめたお芝居です。

お芝居を観ながら、
この39年間のことを想い出さずにはいられませんでした。
このお芝居を創った友人たちを始め、様々な人の顔が想い出されました。


仙川の町も当時と比べれば、変わりました。
わたしの馴染みのお店も少なくなりました。

お芝居を観た帰り、
母校の門前で、60年ほど営業していた中華料理屋に寄りました。
寄ったといっても、お店は去年の8月をもって廃業しています。
でも、このお店のおばさんに逢うために寄ったのでありました。

いつものように、
珈琲をご馳走になりながら、お互いの近況など話して、
帰り際に、おばさんから店の器をいただきました。

チャーハン皿

使わなくなった器を、記念にほしいと言ってあったからですが、
ラーメンのどんぶりとチャーハンの皿と、ぎょうざの皿をいただきました。
長年使ったその器は、龍と鳳凰の絵柄が擦り切れています。

世の人たちにとって価値のない器かもしれませんが、
この器に盛られたラーメンやチャーハンで腹を満たした
多くの音楽家や演劇人たちが、世界中に散って活躍しています。

この器は、いまでは巨匠と呼ばれるその人たちに、
帰国したらこの店のラーメンとチャーハンが、また食べたいと言わしめた、
世界中の料理店にも勝る伝説の店で使用されていた、逸品です。

光生軒の器

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平原の猿

2015年02月27日 22:39

グランドキャニオン

宇宙に地球が誕生したのは、約46億年前だと謂われています。

アメリカのコロラド州に在るグランドキャニオンという名の峡谷は、
20数億年前の地層が、約7,000万年前に隆起したところを、
コロラド川の流れが長年かかって削って創りあげた絶景です。

小惑星が地球に衝突して恐竜が絶滅したとされるのが、6,550万年前ですから、
グランドキャニオンの地層が隆起したのは、それより“たった”450万年前のことです。

さて、所謂動物が地球上に登場したのは、それよりもずっと後のことです。

いまから約800万年前。
人類の祖先は、まだ森で暮らしているサルでした。
その頃の生態は、いまでも森で暮らしているサルとあまり変わらないでしょう。

その後、地球上は乾燥期に入り、大干ばつが起こりました。
森は枯れて少なくなり、平原と砂漠が現れました。
人類の祖先たちも、森から追われて平原で暮らさなければならなくなりました。

平原で暮らすには、身の危険が伴います。
平原は隠れるところが少ないため、猛獣の餌食になる恐れがあるからです。
ですから、常に周りに気をつけていなければなりません。

もしかしたら、
それが、サルが二足歩行を始めたキッカケかもしれませんね。
二足歩行だけではありません。平原で生き延びるためには知恵が必要です。
その知恵を持ったサルたちの脳は次第に大きくなってゆきました。
これが猿人と呼ばれる人類誕生の段階で、約600万年前のことです。

もし、地球がいま25歳だとしたら、人類の誕生は12日前です。
いまから約200万年前には、旧石器時代が始まっていましたが、
人類が道具を手にし始めたのは4日前からということになります。

森で暮らしていたサルの頃は安全だったかもしれませんが、
知恵もなく、立って歩くことも出来ませんでした。

しかし、
平原で暮らし始めたサルは、その弱さ故に細心の注意を払い、
立つことを覚え、知恵をつけ、群れをつくり、道具を編み出し、
火を起こして利用し、コミュニケーションをするようになりました。
森の安全の代わりに、これらの文化を手に入れたのです。

また、メスとオスではなく、母親と父親という概念をもつに至りました。
群れは家族の集合体となり、社会が出来上がったのです。

自立するまでの年月が動物より長くかかるため、
子育ては母親の代わりに祖母が担い、祖父が手助けをしました。
そうしないと、第2子、第3子が産めないからです。

道具や火を使えること。会話ができること。
母親以外に、父親の存在があること。祖父母の存在があること。
群れをなして、社会を形成していること。
これが、人類が人類である所以です。


それがこのところ、人類が退行しているような事象が目立ちます。
人類が、何百万年も前に戻ってしまったような気がするのです。

いま、イラクパレスチナウクライナで起きていることもそうです。
川崎の多摩川の河川敷で起きたことも、そうです。

冷静に客観的にバランスする

2015年02月26日 23:13

F1視察報告会

「Appreciate FUKUSHIMA WorKers (AFW)」
これは、アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ、と読みます。

訳すと、
「FUKUSHIMAの労働者の真価を認めよう」といった意味でしょうか?

この「AFW」という組織ですが、
組織といっても、ほとんど個人で活動しています。

吉川彰浩という人です。
吉川彰浩さんは、元・東京電力の社員でした。

しかし、大震災と原発事故以降、
福島第一原発事故の収束と、福島の復興を担うために、
あえて退職し、外部から収束作業の支援活動を行っています。

その吉川さんと、福島原発行動隊の縁は、
去年9月27日に開催した行動隊のシンポジウムがキッカケでした。

福島原発行動隊シンポジウム

吉川さんは、その場に参加されたワケではありませんが、
当時、吉川さんが書かれた文章が、シンポジウムのなかで、
会場に於いて朗読によって紹介されたのでした。

その内容は、
それを聴いた会場の参加者やパネリストの皆さんの胸を打ちました。

吉川彰浩氏

そして、
後日、吉川さんのお話を聴く集会が参議院議員会館で開かれたり、
現地である福島県浜通りの双葉郡各地を廻る視察旅行が催行され、
吉川さんに案内をお願いしたりしました。

そして、
きょうは、ことし2月16日に福島第一原発の敷地内に入って、
視察を行ったという吉川さんの報告を拝聴する院内集会を催しました。

その内容は、
本来、直接お話を伺ったほうが解りやすいのですが、
一応、事前に吉川さんが書かれた報告文をご紹介します。

↓ ここをクリックしてお読みください。
「2015年2月16日視察者が全員一民間人として
震災後初めて”福島第一原発視察”を行いました。」


わたしは、吉川さんのご報告やご説明を聴くうちに、
これまでに起きた事、いま起きていること、これから起こるであろう事、
そして、なにをどう捉え、なにをどう行動したらよいのか、
その答えを得るには、冷静に客観的にバランスすることだと思い至りました。


「猟犬は少し哀しい」

2015年02月25日 23:59

猟犬は少し哀しい

きょうは、
劇団イーストンズ公演「猟犬は少し哀しい」を、観に行ってきました。

チラシの右下に「EASTONES Vol.10」とあるように、
今回の公演が、劇団イーストンズ公演の第10弾だそうです。

わたしは、
第1弾の旗揚げ公演を除いて、2010年1月の第2弾から今回の第10弾まで、
そして、「外伝」と銘打った下北沢OFF・OFFシアター公演も拝見しています。

劇団イーストンズのホームページによりますと、
映画「ドラえもん」等、様々な作品の脚本を手掛ける清水東さんと、
欽ちゃん劇団から誕生した時代劇アクションコントでお馴染みの
ユニット「カンカラ」メンバーの石田武さんがタッグを組み、
笑いと感動とアクション満載の新感覚時代劇をコンセプトにして、
2009年2月に旗揚げしたのが、劇団イーストンズです。

毎回、都内の小さな劇場を舞台に公演していますが、
旗揚げ公演以降、毎回千人を超える観客動員を達成しています。

わたしやかみさんが、毎度劇団イーストンズ公演を拝見するのは、
モチロン、劇団イーストンズの芝居の魅力もありますが、
劇団員から “姐御” “姐さん” と畏れ・・慕われている、
我が友・堂免一るこが出演しているからであります。

そして、観劇のあとで、
堂免や劇団員の皆さんを交えて飲むことが愉しみなのであります。

しかし今夜は、
昨日の大腸ポリープ摘出手術の所為で1滴の酒も飲みませんでした。
小生は少し哀しい・・・

大腸内視鏡検査

2015年02月24日 21:53

経口腸管洗浄剤

朝5時半から飲み始めました。

最初のコップ1杯を約15分かけて飲みます。
2杯目3杯目もゆっくりと30分くらいかけて飲みます。
前半の1時間で約1リットルの量を飲み切ります。

1リットル

残りの1リットルを、後半1時間をかけて飲みます。
合計2リットルの、経口腸管洗浄剤を飲むワケです。

飲み終わったのは7時半頃でした。
こうして、腸内を洗浄し、大腸の内視鏡検査に臨みました。

2リットル

問診票に応えて、同意書2通に署名して、
血圧を測って、痛み止めの注射を腕にしていただきました。

さて、いよいよ内視鏡検査開始。
「いいですねぇ」、「きれいですねぇ」「いいですねぇ、問題ないですね」
「一昨年のポリープを切除したところも、きれいに治ってますねぇ」

モニターに映る自分の腹のなかを見ながら、安心しかけたときでした。
「あっ!ありますねぇ・・。最後の最後にありましたねぇ。これはポリープです」

めでたくも約5mmの立派なポリープが見つかりました。

そこで先に同意したとおり、
電気メスで切除していただき、血止めの吻合もしていただきました。

その後、出血を止めるための点滴を約1時間かけて行い。
着替えてから、今後の生活の注意事項を拝聴し、
摘出したポリープの生体検査の診断を聴く予約をとって、帰宅しました。

ということで、
10日間は、野菜・海藻類・キノコ類・果実類・刺激物・アルコール類禁止、
運動も禁止、旅行も禁止、ストレスを避けて暮らしなさいということでした。
おかげさまで、もれなく10日間の休肝日を頂戴しました。

歌舞伎座の祟り

2015年02月23日 23:59

旧・歌舞伎座は、
老朽化のため2010年5月に建て替え工事を始め、2013年4月に開場しました。

世の中には、
工事に入って以降、歌舞伎界に不幸が続くので、祟りではないかと云う人がいます。

2011年の1月に、人間国宝の五代目中村富十郎さんが亡くなりました。
10月には、やはり人間国宝の七代目中村芝翫さんが亡くなりました。
2012年2月には、こちらも人間国宝の四代目中村雀右衛門さんが亡くなり、
8月には、市川染五郎さんが国立劇場の舞台で事故に遭われました。
11月には、市川段四郎さんと片岡仁左衛門さんが体調不良で休演され、
12月には、十八代目中村勘三郎さんが57歳で亡くなりました。
2013年には、柿落とし公演に出演予定だった十二代目市川團十郎さんが2月に急死され、
12月には、成駒屋の大名跡・中村歌右衛門の七代目を襲名すると発表された直後、
中村福助さんが倒れられました。

そして、昨夜報道されたように、
一昨日、十代目坂東三津五郎さんが亡くなりました。59歳という若さでした。

つまり、歌舞伎座の建て替え工事が始まって以降、
事故によるお怪我やご病気が4名、亡くなられた方が6名です。

いずれ劣らぬ大看板で、名優の誉れ高き役者さんたちですし、
歌舞伎界になくてはならない大きな柱だった方々でしたから、
祟り説が起こるのも、無理からぬことかもしれません。

人間国宝の御三人は、
80代・90代ですから、少し早かったとは思いますがそれなりのお齢です。

ところが、
十八代目中村勘三郎さん(57歳)、
十二代目市川團十郎さん(66歳)、
十代目坂東三津五郎さん(59歳)は、
平均寿命を持ち出すまでもなく、明らかに早すぎると思います。


さて、
話題を少し変え、歌舞伎役者の仕事について考えてみたいと思います。

歌舞伎の興行は、月ごとに約25日間、ほぼ毎月行われています。
それも、歌舞伎座はもとより新橋演舞場京都南座大阪松竹座では、
歌舞伎の常設小屋としてほぼ毎月のように歌舞伎興行が行われ、
それ以外にも大阪の新歌舞伎座博多座、名古屋の中日劇場
明治座三越劇場国立劇場でも歌舞伎興行が行われることがあります。
また、毎年お正月は浅草公会堂公演、夏には全国各地の公共の劇場を
3つの座組みに分かれて巡演しています。

歌舞伎役者と呼ばれる人は総勢約300人と謂われています。
日本中で約300人、世界中でも約300人しかいない小さな業界です。
その約300人が、各劇場に分かれて昼公演と夜公演を勤めているのです。

演目やお役にもよりますが、
人気役者であればあるほど、観客のご期待に応えて出番が多くなります。
飛んだり跳ねたり早替えしたり、ときには水の中に入ったり、
身体に無理強いすることも多々あるのではないかと思います。

三代目市川猿之助(現・猿翁)さんも、
2003年の博多座公演の途中で病が見つかり舞台を降板されました。
三代目が64歳の年でした。

数々の古典作品を復活させ、スーパー歌舞伎を創作し、
精力的に新しい試みに挑戦してこられた三代目猿之助さん。

主役を勤めるというだけでなく、通し狂言に拘られていましたので、
4・5時間かかる公演を、出ずっぱりで昼も夜も勤められたワケです。
毎日毎日、昼も夜もマラソンを走っているようなものだったでしょう。

八甲田山」とか「南極物語」といった映画は、
撮影が困難だったことでも、夙に有名ですが、
フィルムに焼き付けられた映像や演技は、繰り返されることはありません。

舞台は生ものです。
歌舞伎役者のお仕事が、いかに過酷なものか解るような気がします。

早世された歌舞伎役者さんたちの、ご冥福を祈ります。


父親と息子

2015年02月22日 22:56

息子が帰国しています。

次男の方です。

18日に、ロサンゼルスから帰国して、明日の夜には飛び発ってしまいます。

このところ、連日息子と夕食を共にしておりますが、
息子の中学時代の友人たちも集まってきて、おかげでアルコールが抜けません。

朝方になると、わたしの狭いベットのわたしの横に、
デカくて重たい息子の身体がトドのように横たわっております。


さて、
夜9時少し前に、坂東三津五郎さんのご逝去の報に接しました。

歌舞伎役者というものは、
親子でありながら、父親から息子へ仕事(芸)を伝えてゆく、
独特の継承の仕方をしますが、ひと月ほど前のことでした。

新春浅草歌舞伎の演者たちの奮闘を特集したテレビ・ドキュメンタリーを観て、
息子である坂東巳之助さんに「独楽売」という舞踊のお稽古をつけている
三津五郎さんのお姿を拝見しておりましたから、お元気だと思っておりました。

新春浅草歌舞伎

三津五郎さんには、
日本舞踊家の姉の公演にも、ご出演いただいたことがありました。
あの時は、日本舞踊家として気軽に請けてくださって、恐縮しました。

さて、なかなか受け容れることができません。
・・言葉もありません。


9時になりました。
点けていたテレビで、「流星ワゴン」というドラマが始まりました。

登場人物たちそれぞれの、
親子、それも父と息子の葛藤を描いているドラマです。

そのドラマに、香川照之さんが父親役で登場しています。
息子役ではなく、父親役で登場しています。


父親と息子・・。
その限りなく、深くて複雑で面倒くさい関係・・・。

三津五郎さんの、ご冥福を祈ります。


聖音

2015年02月21日 23:59

ヨガ

昨日は、ヨガの日でした。

毎週金曜日の午前中は、
ヨガの師に我が家に来ていただいて、数人で修行しております。

かみさんがフラを教えている小さな稽古場が道場です。

ところで、
1時間半のヨガの行が終わると、師がマントラを唱えます。

マントラというのは、
呪文のようなものですが、仏教でいうところの「真言(仏の言葉)」のことです。

目を閉じ、合掌して唱えます。

「Ao -------------- u -------------- m 」
これが、マントラで唱える聖音です。

バラモン教でも、ヒンドゥー教でも同じ聖音を唱えます。

発声の響きや余韻に意識を集中させ、
心静かに、ただその聖音の振動を身体全体で感じます。

人が産まれたときに発する「a」の声、
人が死すときに発する「n」の声、
聖音は、人生の始めと終りを表しているのだそうです。

多分、阿吽の呼吸の「あうん」にも通じることでしょうし、
仏教の場合は「南ー無ー・・」と謂いますし、
ユダヤ教・キリスト教では「アーメーン」と謂います。
イスラム教も同じように「アーミーン」と謂うそうです。

このように、
世界の様々な宗教が、「a」や「o」といった母音で始まり、
「n」で終わる祷りの言葉を持っています。

ヨガで唱える「Ao -------------- u -------------- m 」は、
「オーム」と聴こえます。

20年前に、
この国を震撼させたエセ宗教団体が、教団の名に冠したのも、
「Aum」という、この言葉の原義が基だったのでしょう。

純粋に、ヨガだけを修行していればよかったのに、
独りヨガりのテロ集団と化してしまいましたね。


歌舞伎の日

2015年02月20日 23:59

きょうは、2月20日。

なんでも、きょうは「歌舞伎の日」なんだそうです。
なんでも記念日にしちゃうんですね。 

歌舞伎役者の始祖は、出雲の阿国(お国)だと謂われております。
その出雲の阿国が京都の四条河原で踊ったとされるのが、
1603年(慶長8年)のことで、歌舞伎の歴史はその時点から数えられます。

1603年といえば、徳川家康が征夷大将軍に任命され、
江戸に徳川幕府を開いた年でもあります。

日本橋が架けられたのも、この年だったそうです。

ですから、
歌舞伎が興ったのと徳川幕府が興ったのは同じ年だったワケですね。

その徳川家康に、出雲の阿国が江戸城に召されて、
家康と諸大名の前で踊ったとされるのが、1607年2月20日だったと謂うので、
本日2月20日が「歌舞伎の日」となったのだそうです。

わたしの個人的な意見を云いますと、
権力者の前で踊った日よりも、
四条河原で民衆を前にして踊ったときを、
歌舞伎の日」にしたほうが、歌舞伎らしいと思いますがね。


さて、
現代の喜劇版「阿国」とも云える藤山直美さん主演の舞台
スーパー喜劇「かぐや姫」は、3月6日新橋演舞場で初日を迎えます。

小さいときから、
三代目市川猿之助(現・猿翁)丈の熱狂的な大ファンだったという
藤山直美丈のスーパー喜劇です。

多分に三代目猿之助に対するリスペクトとオマージュの舞台になることでしょう。

かぐや姫

馬鹿は死ななきゃ治らない

2015年02月19日 23:59



昨日のブログでご紹介した、
森の石松都鳥一家に殺されたと謂われている稲荷神社の、
前の道362号線を西に下ってゆくと、都田の町が在ります。

浪曲では「都鳥一家」「都鳥の吉兵衛」などと呼ばれておりますが、
実は、「都田一家」が正しいようで、その「都田の吉兵衛」の家が、
三方原台地から坂を下った処に在りました。

「在りました」とわたしが云うのは、
わたしが子供だった時分に、そこに在った朽ちた家が“それ”だと聞いたからです。
いまは、在りません。

いま“そこ”は、都田建設という注文住宅を請負う会社が建っている辺りです。

ちなみに都田建設は、
社長が「社員をバーベキューに行かせよう!」という本を書いて話題になりました。


社員をバーベキューに行かせよう!―結束と成果はこうすれば生まれる社員をバーベキューに行かせよう!―結束と成果はこうすれば生まれる
(2013/05/20)
蓬台 浩明

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さて、
だまし討ちに遭った石松が逃げ込んだ兄貴と慕う七五郎の家が在ったのが、小松村。

わたしが子供の頃は、浜北市小松と謂いましたが、
いまでは、浜松市に吸収されて浜松市浜北区小松と謂います。
稲荷神社からは、直線で東南に約5km行った辺りです。

一時は、小松村の七五郎の家に匿われた石松でしたが、
浜松へ行って医者に診てもらえという七五郎の忠告も聞かず、
仕返しをしようと再び閻魔堂(稲荷神社)に戻って行った石松。
石松を追う相手は10人。
石松が閻魔堂の裏に隠れると「野郎逃げるとは卑怯だ」の声に応じて
追手の前に飛び出して、・・・石松は殺されたのです。

“卑怯”なのはどっちだという話ですが、馬鹿は死ななきゃ治らない。

石松の最期

2015年02月18日 23:54



一昨日は、
三方ヶ原の戦いで、武田信玄軍が本陣を据えた丸山のことを書きました。
その丸山、現在の都田丸山緑地の近くに、稲荷神社が在ります。

きょうは、その稲荷神社の言い伝えを書こうと思います。

わたしは、小さい頃から“お稲荷さん”と呼んで親しんでいましたが、
浜松のテクノポリスの開発によって、お稲荷さんの周囲も変貌しました。

ですから、
最近の人々は、このお稲荷さんにまつわる伝説をご存知ないでしょう。

さて、
最近では、浪曲浪花節)をお聴きになる方も少ないでしょうが、
浪曲の定番に、「清水次郎長傳」というシリーズがあります。

清水次郎長傳」は、二代目広沢虎造の名調子が有名ですが、
元は講談として語られいたものに、山岡鉄舟の世話で清水次郎長の養子になった、
天田愚庵という人が、次郎長から訊いて記した「東海遊侠伝」の内容が加えられ
清水次郎長傳」という浪曲になったのだそうです。

その「清水次郎長傳」のなかに、
石松金毘羅代参
石松三十石舟道中
石松と見受山鎌太郎
石松と都鳥一家
石松と七五郎
閻魔堂の騙し討ち
お民の度胸
石松の最後
といった、一連の森の石松のエピソードがあります。

妻を亡くしたばかりの次郎長の代わりに、讃岐の金毘羅へ代参した森の石松が、
清水への帰路、草津追分の貸元、見受山の鎌太郎から預かった次郎長への香典
百両を都鳥の吉兵衛に貸してしまいます。

そんな人の良さが禍して、森の石松都鳥の吉兵衛にだまし討ちに遭い
森の石松は、清水に還ることなく客死してしまったのでありました。

話の前置きが長くなりました。

つまり、丸山の麓に在るお稲荷さん(稲荷神社)ですが、
浪曲では、石松都鳥一家に殺されたのは閻魔堂となっておりますが、
本当は、お稲荷さんで石松が殺されたというのが、土地の伝説であります。

さぁ、丁度時間となりました。ちょと一息願います。
また口演仕る~。

After Life

2015年02月17日 21:31


ワンダフルライフ [DVD]ワンダフルライフ [DVD]
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ARATA、小田エリカ 他

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英語のタイトルは、『After Life』だそうです。

「After Life.」は、「来世」・・・と訳すより、
「人生のあとで」のほうが合っている気がします。

これ、是枝裕和監督作品『ワンダフルライフ』のおはなしであります。

是枝裕和監督といえば、一昨年のカンヌ国際映画祭で、
そして父になる』が、審査員賞を受賞したことでも話題でしたが、
ワンダフルライフ』は、1999年、監督の第2作目の映画です。

日本映画専門チャンネルでは今月から半年間、
是枝裕和監督の総力特集を放送していまして、
ゆうべの夜中眠れず、『ワンダフルライフ』を拝見した次第です。

古い映画ですが、ネタバレを避けるために概略だけを書けば、
天国の入口の事務所には、人生を終えた人々が集まってきます。

この事務所では、担当職員たちが、死者一人ひとりに、
「人生のなかで一番印象に残った想い出をひとつ選んで貰い」
そして、それを映像化して死者たちに観せることによって、
幸せな気持ちで天国へ向かわせるという任務を行っています。

そもそも、
なぜ想い出を一つに絞るのか設定がよく解らないのでありますが、
その人の人生で印象に残った想い出を選ぶ作業を通じて、
一人ひとりの生きた時代や生き方が浮き彫りになってゆくという映画です。

それぞれのエピソードは、本当に街頭でインタビューを行って、
そのうちの何人かには、映画のなかで本当にエピソードを語らせ、
ドキュメンタリーとしての演出を加えています。

さて、例によって感想は書きませんが、
もし人生を終えてから、そんなことがあったとしたら、
自分は、「どの想い出を選ぶだろうか?」とは考えました。

もしかしたら・・・、登場人物の一人と同じように、
想い出を一つ選ぶこと自体を、拒否するかもしれません。

ところで、この映画に出演している俳優の中で、
谷啓由利徹原ひさ子内藤武敏といった人たちは、
いまは既に、その人生を終えられています。
由利徹さんなどは、映画の公開直後に亡くなられました。

その中に、人生で一番印象に残った想い出が、
ワンダフルライフ』の撮影だったという人が、いたかもしれませんよ。



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