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半径20メートル

2014年12月19日 23:59

半径20メートル

さて、福島視察報告第6弾、きょうの一枚の写真です。

これは、福島県相馬郡飯舘村佐須地区に在る、
菅野宗夫さんのお宅の裏を撮ったものです。

お宅と云っても、
菅野宗夫さんは、現在ここで暮らすことはできません。
ここは、避難指示解除準備区域(年間20ミリシーベルト以下)ですから、
菅野さんは、福島県伊達市の仮設住宅で暮らしていらっしゃいます。
そして、ほぼ毎日、ここに通っていらっしゃるのだそうです。

さて、写真に戻ります。

写真を見ると、建物の裏は45度はあろうかという急斜面です。
建物からの距離20メートルのところまで草が刈られています。
草を刈っただけではなく、表面5センチの土も削り取られています。
これが、除染の跡です。

避難指示解除準備区域では、
建造物から半径20メートルまで除染が行われるのだそうです。
半径といっても、地図上の平面でいう20メートルではなく、
直線距離にして20メートルの位置までですから、
写真のような光景になってしまうワケです。

除染は、来年から農地にも行われるのだそうですが、
山林の除染は、現在予定されてはいないそうです。

そして、除染で裸になった山肌の土留めの対策はありません。
大雨が降った後などは、心配なことでしょう。

さて、飯舘村の除染作業は、年末年始に住民の皆さんが、
一時帰宅されるまでに一段落させようと追い込みの時期ですが、
先日来の爆弾低気圧の影響で、飯舘村にも雪が積もったようです。

積雪は、放射線を遮断するといいますが、どうなんでしょう?


「エンディングドレス」

2014年12月18日 20:46

月夜

きょうは、福島視察報告から離れて、別の話題です。


かみさんの従姉が、去年の9月29日の夜、天に召されました。

従姉は、病気が判明してから天に召されるまで、
ひと月とちょっとの僅かな時間しか与えられませんでした。

その間、かみさんは、連日従姉のもとに通い、
お寿司を届け、おしゃべりをして、冗談を言って、
知人のネイリストを連れて行って手と足にネイルをさせたり、
エンディングノートを書くのを手伝ったり、
エンディングドレスの準備をしたりしていました。

さて、
従姉には、約50年間別々に暮らしていた母がいます。
伯母は、ことし85歳になりました。

きもの研究家として弟子を育て、文筆活動もして独りで生きてきた人です。
その伯母に、かみさんが従姉のエンディングドレスを提案したのですが、
考えてみれば、老母に娘のエンディングドレスの提案をするなど、酷なことです。

しかし、
伯母は、その提案を受け容れた上で、
伯母の弟子で舞台やテレビの衣裳デザイナーとして活躍している女性に、
自身の娘のエンディングドレスを発注したのでした。

それから、3日後、
ホスピスの病棟にドレスが届けられました。

伯母は、かみさんに「できたわ」と告げて、
黙って病室のロッカーにドレスをしまったのでした。

そして、その4日後の夜、
伯母は、娘にドレスを着せたのでした。

細くなった首は、ハイネックのレースに覆われ、
繊細なレースの襞は、19世紀の貴婦人のように、
手首に華やかに咲いていたといいます。

袖を通した手を袖口から出そうとしたとき、
ゴムがきついことに気付いた伯母は、
「痛くない?」と、訊きそうになったのだそうです。

その伯母が、
ことし12月、本を上梓しました。
「エンディングドレス」という本です。

かみさんが寄り添う様子と、わたしが撮った写真が載っています。

「エンディングドレス」


分断

2014年12月17日 23:47

分断

きょうの、一枚の写真です。

この写真も、
一見どうということのない写真に見えることと思います。

倒壊した家もありませんし、ガレキも見えません。
一見して、のどかな住宅街だと思われることでしょう。

ここは、福島県双葉郡富岡町JR常磐線夜ノ森駅の近くです。

ここに写っている場所の近くに、
桜のトンネルで有名な、夜ノ森の桜並木が在ります。

毎年4月になると、
樹齢100年を超えたソメイヨシノを含め、約1,500本の桜の木が、
2.5キロにおよぶ桜のトンネルをつくるのだそうです。

その季節この辺りは、
夜ノ森の桜を見ようと集まる大勢の観光客で賑わっていたのだとか・・。


さて、写真に戻ります。

写っている道路の右側には、
除染した廃棄物を入れた、黒い除染廃棄物用容器が並べて置いてあります。
道路の左側にはありませんが、各家の入り口がフェンスで閉鎖されています。

この地域は、この道路を隔てて、
左側が帰還困難区域、右側が居住制限区域なのです。

帰還困難区域は、
人の立ち入りを前提にしていない地域ですから除染は行われません。

居住制限区域は、
居住できなくとも、日中の立ち入りが認められた地域ですから除染が行われています。

富岡町は、福島第一原発事故で全域が警戒区域に設定されています。
そして、富岡町の町内は、概ね行政区単位で、
帰還困難区域居住制限区域避難指示解除準備区域に分かれています。

帰還困難区域とは、
特別な許可がなければ、立ち入りできない地域です。
放射線の年間積算線量が50ミリシーベルトを超えていて、
5年間を経過しても、20ミリシーベルトを下回らないであろう地域のことです。

居住制限区域とは、
年間積算線量が20ミリシーベルトを超えている地域であり、
許可をとらなくても、日中の立ち入りは認められますが、
居住や宿泊ができない地域のことです。

避難指示解除準備区域とは、
年間積算線量が20ミリシーベルト以下となることが確実であるとされた地域で、
特別な許可がなくても入ることができますし、お店の営業等も認められていますが、
特別な許可がなければ宿泊はできません。

その区域によって、このような制限の違いがあるワケですが、
制限だけでなく、損害補償の内容にも違いがあるのだそうです。

道路を一本隔てただけで、その補償の内容が違うとしたら、
住民同士の間で、どのようなことが起きるでしょうか?

今回の福島視察では、各地で「分断」という言葉を聴きました。


防犯カメラ

2014年12月16日 22:06

JR常磐線富岡駅前

きょうの、一枚の写真です。

これは、
昨日載せた一枚の写真の位置から180度パンした写真です。

これは、JR常磐線富岡駅前の商店街を写したものですが、
一礼してから、写しました。

ダレに向かって一礼したのかと云えば、
富岡町の方たちに向かってです。

そこに富岡町の方は写っていませんが、
中央に、防犯カメラが写っているでしょ?
カメラの向こうには、富岡町の方々がいらっしゃるのだと思います。

常磐富岡インターチェンジの再開と、国道6号線の通行制限解除に伴って、
町内の除染作業やインフラ復旧工事が行われるようになりました。

そこで、町に不特定多数の人たちが出入り可能になったため、
町としては、「とみおか見守り隊」による防犯・防火パトロールに代わって、
町内の防犯対策として、8月から防犯カメラを設置したのだそうです。

富岡町では、防犯カメラを町内の44箇所に88台設置しました。
内9箇所18台は、ナンバーキャッチカメラと併用しているのだそうです。

この場所に案内してくださった、
「アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ」代表の吉川彰浩さんは言います。
「防犯カメラの向こう側には、この町の方たちの目があるのです」

富岡町は、郡山市に町役場と仮設住宅を設置していますが、
防犯カメラのモニタリングは、24時間行われているのだそうです。

ご自分たちの町を見つめつづける町の皆さんの視線。
それは防犯意識だけではないような気がしました。

JR常磐線富岡駅

2014年12月15日 21:58

富岡駅

これが、きょうの一枚の写真です。

巨大な力によって破壊された町並みを通って、駅を見に行きました。
このような写真を撮ることは、正直気が引けます。
そこに暮らしていたであろう人々のお気持ちを思えば尚更です。

富岡駅前は、仏浜という地名の場所に在ります。
その富岡駅前に立って、富岡駅・・だった場所を撮りました。

JR常磐線富岡駅は、福島第二原発のすぐ北側に位置し、
福島第一原発まで直線で約10キロの位置に在ります。

地震と津波によって壊滅的な被害に遭った駅舎の姿はありませんが、
かろうじて、そこが駅であったという痕跡が残っておりました。

東日本大震災に遭った地域のほとんどが、
現在では、よくもわるくもその痕跡は残ってはおりません。
津波の被害に遭った地域のガレキは片付けられ、更地になり、
復興の槌音がしています。

津波に遭っていない内陸部などの場合は、
復興が進んで、家が建ち町並みが戻っている地域もあります。

しかし、震災から3年9か月経っても、
この富岡駅前は、ガレキなどはある程度片付けられているものの、
倒壊寸前の家並みは、手付かずのままになっていました。
そして、そこにはダレも住んでいないのでした。

これが、他の被災地との違いです。


駅前には、富岡町の観光地の案内板が立っていました。

富岡町が誇る観光名所は数々あります。
有名な「夜ノ森公園の桜並木」、「夜ノ森駅のツツジ」、
夏の夜空をこがす「麓山の火祭り」、日本一小さな港「小良ケ浜漁港」・・

しかし、
その案内板の前には、仮設トイレが並んで案内板を隠しておりました。

この仮設トイレは、たぶん・・
ガレキ撤去や除染作業のために働いていらっしゃる作業員の皆さん用でしょう。

しかし、わたしたちのような、
この地に視察に訪れた者たちのために用意されたものだとしたら、
と考えると、気持ちは複雑でした。

もし仮設トイレが無かったら、
町の中の何処かで用を足そうと思ってしまう輩がいないとも限らないからです。

無人とはいえ、貴方だったら駅前の町の中で用が足せますか?

是々非々

2014年12月14日 23:30

東京電力広野火力発電所

さて、これがきょうの一枚の写真です。

この写真に映っているのは、原発ではありません。・・・火力発電所、
福島県双葉郡広野町に在る東京電力広野火力発電所です。

Jヴィレッジの東側に位置しています。

その広野火力発電所を、
楢葉町天神岬スポーツ公園から写したのが、この写真です。

写真には写っていませんが、
眼下には、日本有数の鮭の遡上で有名な木戸川が流れています。

木戸川は、避難解除準備区域のため、
来シーズンも漁業の再開はできませんが、
モニタリング調査を続け、いつかの漁業再開を目指しているそうです。


さて、
広野火力発電所ですが、2011年3月11日、
ご多分に漏れず、この施設も地震と津波に遭い被災。
運転中だった2、4号機が停止した後で、津波によって、
タービン建屋など広範囲にわたって浸水し、
がれきが散乱するなどして、全機が運転不能に陥りました。

この発電所は、
福島第一原発の30km圏内に位置していますが、
被災当時は、福島第一原発や第二原発が不安定な状況下で、
首都圏向けの電力は、この発電所の双肩にかかっていたのでした。

しかし、
この火力発電所で働いていた方たちは、
放射線の知識もなく、防護服やマスクもない方たちでした。

広野火力発電所の作業員たちが、
地震と津波とガレキによる被害の中、
被曝に晒されながらも、電力の供給に尽力された功績は、
あまり語られたり、報道されることがありません。

原発がなくても、電力の需要は賄える。
それは、確かにそのとおりでしょうし、
節電の効果もあったのでしょう。
そのことは、この3年9か月の現実が証明してくれています。

しかし、この間、
広野火力発電所が担った電力の比率は判りませんが、
その供給作業が当たり前に行われたのではなく、
測り知れない人々の尽力があったであろうことも、
また一方で想像したりして、知っておきたいことであります。



現場を見てきました。

2014年12月13日 23:59

福島県浜通りの視察から帰ってきました。

現場を見てきました。
少しだけ、少しだけ見てきました。

そこで、このブログに何を載せようか考えました。
なにを記そうか。
どの写真を載せようか。

わたしの拙文で、何が伝わるか。
わたしのヘタな写真で、何が伝わるか。
そう!伝えたい事が、たくさんありました。

そこで、
写真を並べるのは、やめようと思います。

そういった意味では、この3年9か月、
福島の情報や映像は、数限りなく、氾濫しています。

読む側も見る側も、慣れてしまっているでしょう。
麻痺してしまっていると言ってもいいかもしれません。

ですから、
福島で見たことを、何度かに分けて、
丁寧に記してゆこうと思います。

ごく日常的に見える写真に、どのような意味があるのか、
一枚ずつ掲載させていただこうと、思っています。

では、
最初の一枚の写真。

楢葉町のセブンイレブン

一見、全国どこにでも在る幹線道路沿いのコンビニエンスストアーです。

これは、国道6号線を、
いわき市久ノ浜や双葉郡広野町Jヴィレッジを通過して北上した、
福島県双葉郡楢葉町下小塙に、去年8月オープンしたセブンイレブン下小塙店です。

楢葉町は、ほとんどの地域が、
福島第一原発から20キロ圏内に在って、避難指示解除準備区域です。

避難指示解除準備区域とは、年間積算線量が、
20ミリシーベルト以下となることが確実であると確認された地域のことです。

道路を通過することや、住民の一時帰宅(宿泊禁止)は柔軟に認められています。
でも、現在はまだ、そこに住むことができません。

ですから、
このセブンイレブンは24時間営業ではありません。

しかし、
日中だけでも、この場所にコンビニエンスストアーが在ることは、
この国道6号線を通って福島第一原発に向かう人々にとって、
また避難指示解除準備区域内の除染作業をされている人々にとって、
どれほど便利(コンビニエンス)なことでしょう。

震災直後、緊急時避難準備区域だった広野町は、
ほぼ全域が20キロ圏外に在りますが、
現在、福島第一原発で働く方たちの居住地域になっているそうです。
つまり、福島第一原発の作業員の方たちは、
最低でも20キロの道のりを通っていらっしゃるというワケです。

福島第一原発から20キロ圏内というのは、
このように、殆ど生活に必要な商業施設の無い地域になってしまったのです。

ですから、
少々大袈裟に云えば、このセブンイレブンは、この国の平和を支えています。


現場を見てきます。

2014年12月12日 06:30

福島原発行動隊福島県浜通り視察

今朝は、一段と冷える朝です。
福島は、もっと寒いでしょうね。

これから、福島に行ってきます。

福島原発行動隊が、9月27日に開催したシンポジウムによって、
行動隊の課題が見えてきました。

福島原発行動隊は、本当に福島を知っているのか。
我々には、一体なにができるのか。

福島第一原発の収束作業に従事していらっしゃる皆さんは、
どんな現場で、どのような生活環境で、どんな状況で働いているのか。

それを知るキッカケになればいいと思って、有志で視察を計画しました。

案内役は、
「アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ」代表の吉川彰浩さんにお願いしました。

常磐線で、いわき駅まで行き、バスをチャーターして、
広野町楢葉町富岡町大熊町双葉町浪江町南相馬市へと、
視察をつづけながら、国道6号線を北上する予定です。

帰ってきたら、
きょう撮った写真を、ここに貼り付けます。

物見遊山じゃありませんけどね・・。

2014年12月12日いわき駅前




いってらっしゃい!

2014年12月11日 23:59

ボランティア保険

ボランティア保険が切れていたので、
中途加入ですが、更新に区の社会福祉協議会に行ってきました。

ボランティア活動時に、ボランティア保険への加入は必須です。

自分のためや、家族のためでもありますが、
仲間や、周りの皆さんにご迷惑をかけないためでもあります。
なにより、援けるべき人たちに迷惑はかけられません。


さて、
区の社会福祉協議会の受付で、
「ボランティア保険の更新をしたいのですが」と申しましたら、
「はい。ごくろうさまです」という挨拶が返ってきました。

ボランティア保険の更新(加入)は、
振り替え用紙を貰って、保険料を郵便局で支払ってから手続きします。

保険料は、
基本コースと天災コースとに分かれ、
天災コースですと、Aプラン、Bプラン、Cプランに分かれます。
補償内容と保険料が違うのですが、わたしはCプランにしました。

振り替え用紙を受け取って、近くの郵便局へ行きました。
窓口で、振り替え用紙に保険料1,400円を添えて差し出しました。

お釣りを受け取って戻ろうとすると、
郵便局の窓口のお嬢さんが、
「いってらっしゃい!」と後ろから声をかけてくれました。

「ごくろうさまです」

「いってらっしゃい!」

うれしい言葉です。


時効成立から39年

2014年12月10日 23:59


20世紀最大の謎 三億円事件 (別冊宝島 1574 ノンフィクション)20世紀最大の謎 三億円事件 (別冊宝島 1574 ノンフィクション)
(2008/11/07)
不明

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世に謂う「三億円事件」とは、
1968年12月10日に東京都府中市で発生した強盗事件です。

「東京芝浦電気」、現在の「東芝」の従業員のボーナスを積んだ現金輸送車が、
白バイ警察官に扮した何者かに強奪されたという事件です。

ちなみに「三億円事件」と謂われますが、
実際に現金輸送車に積まれていて盗まれた金額は、2億9430万7500円です。

確か、この金額は歌の歌詞にもなったハズです。

ところで、
当初、遺留品が多いこともあって、犯人は容易に検挙されると思われていた事件でしたが、
膨大な捜査員(延べ17万人)を要しても、莫大な捜査費用(約10億円)を使っても、
犯人の手がかりすら掴むことができないまま、7年後の1975年12月10日時効を迎えました。

さて、
事件が発生した1968年12月10日、わたしは12歳の誕生日を迎えました。
その時効が成立した1975年の12月10日は、東京にいました。
その年の夏に家を出て、12月10日は羽田空港のレストランで働いていました。
初めて、働きながら独りで迎えた誕生日でした。

世間が、「三億円事件の時効成立」を騒いでいたことを憶えています。
周りのダレもが、わたしが19歳になったことを知りませんでした。


きょう、わたしは58歳の誕生日を迎えました。
19歳から58歳まで、39年間。
事件の時効7年間を5回以上繰り返した年月が経っています。

いま、わたしの傍には、かみさんがいます。

ありのままで・・

2014年12月09日 23:59

今の教育現場は、「身体の性」と「心の性」が一致しない、
「性同一性障害」の子どもへの対応で揺れているのだそうです。
夕飯時に放送していた、NHKの番組の話題です。

文部科学省は、
今年初めて、自分の性に違和感を訴える子供たちへの
学校の対応について調査し、結果を公表しました。

それで、全国の小中学校や高校で、
「性同一性障害」とみられる児童・生徒が少なくとも600人以上、
その対応に教育現場が苦慮している実態が明らかになりました。

自分の性に違和感を抱く子供の中には、悩みを独りで抱え込んだり、
理解されずに、不登校や自傷行為にいたるケースも少なくないと謂います。

トイレ、更衣室、制服、さらに部活動の選択など、
男女の棲み分けが当たり前のように行われてきた教育現場で、
本人の精神的な負担を減らすにはどう配慮すべきなのかという
視点から、企画された番組だったのでしょう。

更に、同級生や、その保護者にどのように伝えていくべきか。
現状とともに、対応に揺れる教育現場の模索を伝えていました。


さて、
今年流行ったものに、映画「雪とアナの女王」があります。

人と違うということを克服したいという意識と、
人と繋がりたいという想いを描いた映画だと思っています。

その映画の挿入歌に
Let It Go ~ありのままで~ 」という曲がありますが、
「そのまんまでいい」、「ありのままでいい」ということを、
広く知らしめた功績は小さくないでしょう。

少しだけ、考えてみてください。

貴方のお子さんが、或いは貴方のお孫さんが、
女の子として生まれたにもかかわらず、男の子だと意識し始めたら、
男の子として生まれたにもかかわらず、女の子だと意識し始めたら、
思うとおりでいい、ありのままでいいと、思われませんか?

わたしは、いいと思います。


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美しい言葉

2014年12月08日 23:59

 「新高山登レ一二〇八」

これは、連合艦隊司令長官から連合艦隊宛てに打たれた
「12月8日零時をもって開戦すべし」という内容の電文です。

 「皇国ノ興廃繋リテ此ノ征戦ニ在リ 粉骨砕身各員其ノ任ヲ完ウスベシ」

これは、 連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の檄文です。

 「臨時ニュースを申し上げます。
  臨時ニュースを申し上げます。 
  大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。
  帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋に於いて、
  アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり。」


これは、日本とアメリカの開戦を知らせる
73年前の12月8日のラジオ放送です。

 「トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)」

これは、真珠湾攻撃隊から、
第一航空艦隊司令部の旗艦・空母「赤城」に宛てて発信された電文です。

勇ましい、誠に勇ましい言葉であります。


・・・でも、敗けたのです。

わたしの父は、戦争を描いたドラマを見ると言います。
「どのドラマを見ても結果は分かってる。最後には敗けるんだ。」

勇ましい言葉は、日本人を一丸とし、戦意を高揚させ、突撃させました。
でも、結局は敗けたのです。

敗けて、
日本中を焦土にし、日本人だけで300万人とも謂われる戦死者を出したのでした。
当時、日本中を興奮させ、戦意を高揚させた言葉も、いまとなっては悲壮です。


先日亡くなられた菅原文太さんは、生前言っておられました。

「政治の役割は、二つあります。
 一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。
 もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」


これも、美しい言葉です。

文太さん、投票に行きたかったでしょうね。



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