2014年11月30日 23:59
水上勉さんの原作で、
青函連絡船・洞爺丸の海難事故をモチーフにしたフィクションですが、
先日亡くなられた高倉健さんが出演して映画化されましたし、
わたしが所属していた演劇制作体地人会で舞台化もされました。
その洞爺丸事故を題材にした小説は他にもあります。
三浦綾子さんの「氷点」という小説です。
その「氷点」の主要登場人物が洞爺丸の事故に遭うという設定なのですが、
事故の際に、救命胴衣を他人に譲り救助に当たりながら亡くなった宣教師が登場します。
この宣教師は、フィクションではなく実在した人がそのモデルになっています。
さて、わたしが小説「氷点」と、「続・氷点」を読んだのは随分むかしのことです。
その小説の中に、わたしにとって、とても印象的だった場面があります。
主人公の陽子という女性が、離れて暮らす祖父の家を初めて訪ねる場面です。
そのとき陽子は、祖父の書斎で民芸品の木彫りの熊を見つけます。
それは、陽子の母が子供の頃に父親(祖父)に贈ったものでした。
祖父は、娘からもらった木彫りの熊を、朝夕磨いて暮らしていたのでした。
祖父が言います。
「何度でも手をかけることだ。そこに愛情が生まれるのだよ。
ほうっておいてはいけない。人でも物でも、ほうっておいては、
持っていた愛情も消えてしまう」
この小説を読んだときから、折々に思い出している場面です。
わたしの場合、
ゴシゴシと磨き過ぎて、相手が痛がることもあるでしょうが、
わたしにとっても、掛け替えのない宝物というのはあります。
ところで、きょうのブログに書きたかったのは、
このエピソードを思い出したからではありません。
実は、三浦綾子さんの小説は、
わたしにとって印象的な描写がもうひとつあるのを思い出したからです。
その小説が、「氷点」や「続氷点」だったか、
「塩狩峠」だったか覚えていないのですが、確かこういった内容の描写です。
「人間にとって、
無知や無神経(或いは無関心)は、罪である。
なぜならば、人に “ 悪意 ” を醸成させてしまうからだ」
まして、悪意による悪意であったならば、どれほど罪深いことか。
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