明日、明治座初日

2014年10月31日 23:59

明治座

明治座「十一月花形歌舞伎」明日初日!


あとは、幕を開けるだけ。

10月27日に、
新橋演舞場公演「十月花形歌舞伎」が千穐楽を迎え、
翌日から明治座十一月公演の稽古が始まりました。

4日間の稽古で、5時間のお芝居を創り、明日は初日!

わたしたち“新劇”の稽古期間は、
少なくとも1か月はありましたが、
いったいナニをやっていたのでしょうねぇ?

明治座十一月花形歌舞伎(2014年)
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「風に立つライオン」は聴いたかい?

2014年10月30日 19:05

風に立つライオン

「東北道を岩手北上に向けて走行中。もう間もなく到着予定」
18時過ぎ、Facebookに書き込みがありました。

さて、これが彼女たちにとって、何度目の東北行きになるのでしょう?

友人たちと一緒に作ったという、
縁起物の土産「難転じて苦が去る」のお猿さん(25セット)と、
編み物教室に来られる方からことづかったというアクリルたわし(50個)など、
防寒着や、ガソリン代の足しにと援けてくれる友人の想いも乗せて、
今日から5日間の、みちのく二人旅に出たようです。

難転猿

しかし、
ネットで予約した3泊目の南三陸の宿がとれていなかったのだとか、
・・・前途多難の予感もします。

それにしても、
岩手、宮城、福島、それぞれの状況や事情は違いますが、
「行って、できることをしたい」
そんな想いで、毎度向かうのでしょう。

それは、それほど簡単なことではないはずです。
自身でも葛藤することがあるかもしれません。
これが、どんな役にたっているのだろう?
自分の満足を求める行為なんじゃないだろうか?
そう考えたことがあるかもしれません。

しかし、
「そんな逡巡をするより先に、行動しよう」

そんな夫婦です。

そんな二人の無事を祈って、
友人から、道中聴くようにとさだまさしさんのCDを手渡されたのだそうですが、
妹よ、「風に立つライオン」は聴いたかい?


風に立つライオン風に立つライオン
(2013/07/18)
さだ まさし

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表現者

2014年10月29日 22:17

よりかなゑさん

「写真を撮らせていただいて、ブログに載せてもよろしいですか?」

「どうぞ、どうぞ!」

そう云って、よりさんは両手でピースサインをつくって、
絵の前で茶目っ気たっぷりにポーズをとってくださいました。


よりかなゑさんは、ジャズボーカリストです。
様々な時代の様々なジャンルのジャズを歌うばかりでなく、
シャンソンも美空ひばりも歌っています。

そのよりかなゑさんの油絵展があったので、伺いました。

よりさんとは、
20年以上前に演劇制作体地人会公演「奇妙な果実」で出会いました。

ビリー・ホリデイの生涯を描いた作品でしたから、
ミュージカルと謳ってはいませんでしたが、
劇中に本物のジャズメンたちが登場します。

よりさんの御主人・奥村豊さんが、ギターリストでリーダーでした。
ご夫婦とは、それ以来のおつきあいです。

よりかなゑさんは、ジャズ・ボーカリストですが、
第87回二科展でパリ賞を受賞なさった画家でもあります。

天は、二物も三物も与える人には与えるのでしょう。
わたしに与えられるのは、荷物くらいのものですが・・。 

しかし、
彼女の絵を観ていると、思います。
その大胆な構図にしても、鮮やかな色彩にしても、
描き手の溢れるような想いを表して余りあります。
(残念ながら、写真では判りませんが)

描きたくて描きたくて仕方がないから、とにかく描く、とにかく歌う。
わたしに足りないものをタップリもっていらっしゃる
よりさんにお逢いして、その絵に刺激されて、
大いに、落ち込んで帰ってきました。 

世界一

2014年10月28日 23:59

鳴り物のお稽古

昨日、見つかった写真をもう一枚。

これは、息子が9歳の頃。
お稽古に通っていた、鳴り物(鼓・太鼓)の浴衣会(お浚い)の様子です。

自分から習いたいと云って通ったお稽古でしたが、
そこは、やはり小学生のこと、友達と遊びたいが優先することもありました。

それでも、
日本舞踊、常磐津、狂言、お琴などのお稽古に通っておりました。
すべては、本人の希望を叶えたことです。

とは云え、
お稽古に通っていると、いろいろな経験をするものです。

同じお稽古場に、歌舞伎俳優の子が通ってくることもありました。
お稽古の順番というのは、概ねお稽古場に到着した順番で行われるものです。

時間を予約しておくのではありませんから、
自分が到着したときに、先に到着していたお弟子さんがいれば、
その人のお稽古を見ながら、自分の順番を待つことになります。

そうやって、他人のお稽古を見ることも勉強なのです。

しかし、世の中で御曹司などと謂われる人たちは、
先に待っていたお弟子さんたちより先にお稽古していただいて、
後の人たちのお稽古も見ずに帰ってゆきました。

子供ながら、舞台があったり、他のお稽古があるので、
もしかしたら、それはそれで忙しかったのでしょうが、
息子は、そんな彼らと自分の立場を比べて悩んでいました。

歌舞伎俳優の家に生まれた人と、生まれなかった者との違いは、
子供が理解し、納得するのは難しかったのだと思います。

しかし、
わたしは、その頃から、そんな息子の“立場”こそ、
息子にとって最大のリソースだと思っていました。

他人のお稽古を見ることが出来ただけでなく、
上からも教えていただけるが、下からも教えていただける。
上から叱られ、下からも突き上げられる。
上からは引っ張っていただき、下からは後押しされる。
最高の“立場”だと思っていたのです。

そして、
その思いは、概ね当たっていました。

息子が小学生の頃、
わたしは、息子を「世界で一番の歌舞伎好きな小学生」と云っていました。
それは、強ち間違ってはいません。

現在、息子と同世代の歌舞伎俳優たちはいずれも、
歌舞伎を背負うのだという自負に燃えていらっしゃるでしょうが、
子供の頃は、うちの息子ほど歌舞伎好きだとは思えなかったのです。

歌舞伎俳優というのは、概算で300人程度なのだそうです。
日本で300人しかいない業界って、他に何がありましょうか?
日本で300人ということは、世界で300人ということでもあります。

世界で一番というのは、むずかしいことではありましょうが、
以外と、手が届くものなのかもしれないと、思っています。



三つ子の魂百まで

2014年10月27日 23:59

三つ子の魂

1986年の春、「羽根の禿」で初舞台を踏んだときと、
1986年の秋、「槍奴」を踊っている息子でありますが、
彼は、当時3歳です。

さて、
ちょいと、息子の資料を集める必要があって、
むかしの写真の整理を頼んでいましたら、
かみさんが、この二枚の写真を見つけました。

「三つ子の魂百まで」などと申しますが、
二歳で歌舞伎俳優に目覚めてしまった息子にとっては、
十分、歌舞伎俳優を意識した踊りであったでありましょう。

そんな意気込みが垣間見える写真であります。


「三つ子の魂百まで」というのは、
三歳までに育った環境というものが、
その人のセルフイメージや、性格に影響して、
その魂は、年をとっても変わらないという考え方のことです。

仮に、三歳までの環境下で、
愛情の不足を感じたり、辛い思いをした子がいたとしたら、
そのことが後々、
なんらかの影響を及ぼすかもしれないという考え方でもあります。


そう考えますと・・・、
孫娘は、ことし四歳の誕生日を迎えました。

その意味では、
人間形成上、孫娘は大丈夫だろうと思います。
たぶん、十分な愛情を受けて育ったであろうと思うからです。


さて、
新橋演舞場公演「十月花形歌舞伎」は、本日が千穐楽。

ご観劇くださった皆さま、ありがとうございました。

そして、
11月1日は、明治座の「十一月花形歌舞伎」の初日であります。

来月も、今月同様、宜しくお願い申し上げます。

明治座十一月花形歌舞伎(2014年)

そう遠くない将来

2014年10月26日 22:39

メロンパン

雑司が谷の鬼子母神の参道に、
なんと!メロンパン屋さんがオープンしました。

それで、連日メロンパンを求めて行列ができております。

いまは、参道の奥に移転して、新装開店した焼き鳥屋さんがあります。
そのお店が元々在った場所が、メロンパン屋さんの辺りです。
お店は古~いケド、美味くて有名な焼き鳥屋さんでした。

あの辺りに行列が出来ているのは、
その焼き鳥屋さんがあったとき以来じゃないかしら?

メロンパンで、街が活性化すればいいのですが・・。

メロンパン

というワケで、わたしも並んで、メロンパンを買ってみました。

実は、ことしの春に結婚した浜松の実家の甥っ子夫婦が、
結婚以来初めて遊びに来てくれました。
そこで、お土産として持ち帰ってもらったというワケです。

さて、
おじは、セクハラにならないように訊いてみました。
すると、こんなスリーショットが見られるのも、
そう遠くない将来のつもりなんだと云っていました。

ところで、このメロンパン屋のサイトを見てみると、
ショコラ、抹茶、イチゴ、オレンジ風味などもあるらしいのですが、
・・・それでも “ メロンパン ” って言うのかしら?

リョウタクンとナオミチャン

でえく

2014年10月25日 23:59

浅草寺五重塔

「でえく」は、ベートーベンじゃありません。

「でえく」は、大工のことを指すのだと思われますが、
この五重塔を建てたのも「でえく」でしょう。

「でえく」は、落語をベースにしたお芝居です。

奥山おまいりまち

「でえく」は、2004年からやってますから、
ことしで10年です。

「でえく」をやっている場所は、
浅草寺の雷門を入って仲見世を進み、
浅草寺本堂の手前左側に在る五重塔を過ぎて左折、
浅草寺境内から、「奥山おまいりまち」に入ります。
大衆演劇の「木馬館」の隣に在る、「木馬亭」です。

木馬亭

「でえく」は、
落語や、講談や、浪曲といった「日本の語り芸」を、
俳優の肉体を通した新しいエンタ-テイメントとして創り、
「語り芝居の会」が主催している公演です。

開演前

「でえく」は、
舞台装置がありません。
衣裳は作務衣を着、小道具は扇子と手拭だけです。

噺家は、噺だけでその世界を創りだしますが、
「でえく」には、登場人物を演じる俳優が何人か登場しますから、
アンサンブルが必要になります。

独りなら完結させられる作業を複数で行うのですから、
噺家の噺以上の世界を創りだすことは至難の業だろうと思います。

「でえく」も「大工」にしても、
ひとつのものを完成させるのはタイヘンなことです。

第15回日本文化を愛でる会「日本酒」

2014年10月24日 23:59

菅波葉子さん

「日本文化を愛でる会」
本日のテーマは「日本酒」でした。

広島県呉から、日本酒の魅力を世界に紹介しようと
一年前に起業した菅波葉子さんに講師をお願いしました。

菅波さんとの出会いは、
ラスベガスで起業した息子が、数年前に、
ハワイの飲食店や名店や名所を紹介している
フリーペーパーを発行している会社の経営者である
Mさんに頼んで、営業の研修をさせて頂いたことがありました。

おかげで、
息子は、ラスベガスを紹介するフリーペーパーを創刊しました。

その研修のときに、息子は菅波さんと知り合い、以後、
わたしたちもおつきあいさせて頂いているというワケです。

日本文化を愛でる会

2011年にハワイから帰国された菅波さんは、
結婚を機に広島県呉市に移り住まれました。

そして、
日本の文化であり、国酒であり、日本人の心だという思いから、
日本酒を世界に紹介する活動をしていらっしゃいます。

去年の10月23日に、株式会社Rainbow Sakeを設立。
「SAKEで世界を笑顔で繋ぐ」その架橋になりたい!という想いで、
ご夫婦で日本と海外を行ったり来たりされています。

日本酒

さて、日本酒には目が無いわたしです。
きょうは、昼間から日本酒を頂戴する大義名分ができました。

雑司が谷寛

生き方

2014年10月23日 23:59

院内集会

冒頭、講師である吉川彰浩さんは、
「私は、自分の家族と元・同僚たちを守るために活動しています」
とおっしゃいました。


きょうは、福島原発行動隊が主催している院内集会と呼ぶ勉強会でした。
参議院議員会館の集会室を借りて行っているので、院内集会と呼ぶのです。

勉強会は、先日の福島原発行動隊主催のシンポジウムの場で話題に挙がった、
福島第一原発の、所謂・原発作業員の皆さんを支援する活動をしていらっしゃる
吉川彰浩さんを招いて、原発作業員の皆さんの状況を聴かせて頂くというのが、
きょうの目的でした。

吉川彰浩さんは、
元・東京電力社員で、2011年の3月11日は福島第二原発で働いていらっしゃいました。

当時、福島第二原発も第一原発と同様に、震災と津波の被害に遭いました。
津波に因って電源喪失が起こり、原子炉を冷やすことが出来なくなったのです。

違っていたのは、
中央制御室が機能したことと、一つだけ生きていた外部電源を確保できたことです。
当時の第二原発所長・増田尚宏氏の指示で、
何トンもある回線ケーブルを、800メートルの距離、200名の所員が担いで建屋まで運び、
電源を確保したのです。これを福島第二原発の奇跡と呼ぶ人もいます。

しかし、この“奇跡”は、
人間の知力・体力を使った人海戦術で、メルトダウンを回避した結果だったのです。

院内集会(吉川講師)

吉川彰浩さんは、2012年6月、東京電力を退社しました。
劣悪な労働・生活環境で働いている福島第一原発の作業員たちを支援するためです。
それは、東京電力の社員として内部から行うことが難しかったからだそうです。

その後、個人的に活動されていたのだそうですが、その限界を知り、
支援組織である「アプリシエイト フクシマ ワーカーズ(AFW)」を立ち上げられました。
しかし、組織といっても福島での活動は実質的に一人で担われているのだそうです。

吉川彰浩さんは、活動から収入を得ていません。
東京電力を退社してからは、無収入なのだそうです。
それでは具体的にどうやって生活していらっしゃるのか質問しませんでしたが、
多分、貯えを切り崩しながら、ご家族などのご協力があってのことでしょう。

彼は、自分たちの主義主張の為、自分の満足を得るために福島で活動したり
福島を語る人たちとは違います。

大げさに言うのではなく、福島第一原発で働く全ての人の支援に、
人生をかけていらっしゃいます。

正直言って、わたしたち福島原発行動隊の士気など気圧されてしまいます。

院内集会の帰り道。
池袋に行くという吉川さんと一緒に、地下鉄のエスカレーターを下っていたときです。

「実は、初めてだったんですよね・・」と彼が呟きました。
国会議事堂も議員会館も永田町も初めてだったのだそうです。

初めての場所で、あれだけのことを訴えるのは、
どれだけ心細かったことでしょう。
どれだけの勇気と覚悟が必要だったでしょうか。

辞めていく理由



【支援金のお願い】

わたしは、個人として吉川彰浩さん個人を支援したいと思います。

そこで、支援金を募ります。
御心のある方は、支援の旨明記して下記口座宛にお振り込みください。
全額、吉川さんにお渡しいたします。
<振り込み先>
三菱東京UFJ銀行 目白駅前支店 普通口座 三浦秀和(名義)
口座番号:0420438

または、吉川さんの活動を支援されたい方は、AFW寄付口座宛にお願いします。

演劇ユニット3LDK「カサブタかきむしれっ!」

2014年10月22日 23:59

3LDK

中野のザ・ポケットに、
演劇ユニット3LDK公演「カサブタかきむしれっ!」を観に行ってきました。

福島を舞台にした芝居です。


さて、ウソなのか誇張なのか、
なにが本当なのか判らないから不安だとおっしゃる人たちがいます。
政府や県や東京電力への不信感や疑惑があるから、
福島に住むのは大丈夫なのか、農作物や海産物は大丈夫なのか、
瓦礫を他府県へ運んで処理するのは大丈夫なのか、
現状は不明瞭で不安なままで、
これは、知りたいことを公表しない政府に責任があるとおっしゃる人たちです。

一方で、
福島に住んでいます。農作物も海産物も大丈夫です。
瓦礫を運んで処理しても大丈夫ですとおっしゃる方たちもいらっしゃいます。
福島は元気だし、普通だし、それは無理をしているからではなく、
そういう面もあるのだ。
本当なのだとおっしゃる方たちもいらっしゃるのです。

忘れないで進もうとする人。
忘れることで進みたいと思っている人。


「不信や疑問が現実にあるのだから、情緒や感情でものを云ってくれるな。」
「現地も見ずに、風評被害になるようなことを云ってくれるな。」
議論や対立がつづいています。

この対立こそ、不幸なことだと、わたしは思います。

現地で暮らしている人々、避難地で暮らしている人々、
いまこの時にも、福島第一原発で作業をしている人々、
その作業員たちを支援している人々、
東京で、或はそれ以外の土地で暮らしている人々それぞれが、
繰り返し悩んで考えたご意見ですから、尊重したいと思います。

ボランティア活動をする人、募金をする人、現地の産物を消費する人、
デモをする人、勉強会やシンポジウムを開催する人、
芝居や映画を創る人、SNSを使って意見や分析を発信する人・・・。

人それぞれですねぇ・・。立場やご意見はそれぞれですが、
それぞれの葛藤には共感できるところが多々あるものです。

ただ、
もし、被災地や福島のことも考えず、悩むこともなく、意見もなく、
別のことばかり考えている方がいたとしたら、
わたしは、あまりお話しをしたくありません。


第三の矢

2014年10月21日 23:59

<独り言>

始まりは、
法務大臣が、参議院本会議に赤いストールを着用して出席したこと。

参議院規則第209条
「議場又は委員会議室に入る者は、帽子、外とう、襟巻、傘、つえの類を着用し又は携帯してはならない。」

ストールはダメだと指摘されたご本人は、
あれはスカーフだったと主張したが、巻いていたのはマフラー(襟巻)だろう。

その法務大臣が、
地元有権者に向けて贈った団扇が問題となって、「内輪問題」と揶揄された。

所謂、団扇を作って、有権者に配ったのは、なにも彼女一人だけではない。
柄を付けたか、付けなかったかは別として、指摘した側も他の議員も、
同様の活動をしていらしい。
柄が付いていれば団扇だが、柄が無ければ団扇とは看做せないのだという。


次に浮上したのが、
経済産業大臣の、後援会支持者向けの観劇会にまつわる事案。

明治座公演の観劇会で、劇場の貸切りを2回に分けてやったという。
明治座の1階席は、834席。
少なくとも、1階席を全て貸切りにしたとしたら1回で834席が埋まったハズだ。

参加者一人12,000円の会費を徴収したのだそうだから、
834席×2回×12,000円=20,016,000円(約2千万円)徴収したハズ。
なのに、2010年と11年の政治資金収支報告書によると、
両年とも約840万円ずつ支出。計約3,381万円が明治座へ支払われた。
これに対し、収入は同後援会の報告書に記された計742万円のみで、
振興支部には記載がない。

2千万徴収したなら、
記載ミスか、
差額を横領したのか、ということになる。

徴収額が事実でないとしたら、
後援会が差額を補填したことになる。
つまりは、有権者に利益供与したのだ。

いずれにしても、不可解だが問題だろう。
責任を追及されるのは必至だったし、その責任は議員資格にまで及ぶだろう。


これが、
現在の内閣にとっての二本の矢だ。

さて、
第三の矢は、ないのだろうか?

第一と第二の矢は、
問題ではあるが、所謂政治と金の問題だ。

しかし、
第三の矢が、同じようなレベルの問題とは限らない。

政治家として、イヤ、人間として問われる問題を孕んでいるかもしれないのだ。

政権にとって致命傷となる矢は、第三?第四?それとも・・・

本人の責任

2014年10月20日 23:59

学生時代、

ベルトルト・ブレヒトの戯曲「「プンティラ旦那と下男のマッティ
という作品を上演したときのことです。

地主と地主のお抱え運転という二人を主役に据えた芝居ですが、
真の「対等」とは何かということもテーマにした作品でした。

そのときに、
“ 地主 ” と “ 下男 ”、或いは “ 旦那 ” と “ 運転手 ” という関係で、
歴史的な事例、または巷で話題になった事例はないかを調べました。

すると、“ 主 ” と “ 従 ” 関係の事件・事例は、数多くありましたが、
“ 旦那 ” と “ 運転手 ”ということでは、
伯爵令嬢とお抱え運転手の心中未遂事件(千葉心中事件)と、
“ 元・総理 ” と “ 運転手 ” という事件に興味が至りました。

戦後最大の疑獄事件と謂われている事件のなかのエピソードですが、
疑獄事件の概要は、航空機の大手メーカーであるロッキード社が、
旅客機の受注をめぐって日本の政界に向けて工作したとされる汚職事件です。

エピソードは、
その事件で逮捕され、受託収賄の罪に問われ有罪判決を受けた元・総理大臣の、
お抱え運転手Kさんが、事件発覚後、検察の取調べ中に不審死したというものです。

この事件では、
他にも多くの関係者が亡くなっていますが、不審な死に方をした人も少なくありません。

こういった疑獄事件やスキャンダルが起こると、
政治家の周りにいた誰かが、不自然な死に方で亡くなるということが間々あります。


さて、
女性初の総理大臣候補だとか、史上最年少で国務大臣就任だと云われた、
経済産業大臣が、きょう大臣を辞めました。

事は他人の所為にはできない、監督責任も問われる事態に至ったからです。
これは知らなかったでは済まされない深刻な問題です。
やはり、これは政治家本人に責任があるでしょう。
ですから、ご本人が政治家としての責任の取り方を考えられるべきです。

したがって、こういう事案にありがちな、
“ 誰かが身代わりに責任をとるようなこと ” は、断じてあってはなりません。



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