K生軒閉店

2014年08月31日 23:59

K生軒

出張中は、コンビニエンス・ストアーが有り難いです。
その名のとおり、“便利”だからです。

独りでは、食事を楽しむことができません。
したがって、ごく簡単な食事を選んでしまいます。

きょうも、昼は天ぷらうどん、夜は豚骨ラーメンでした。
安くて早いのですが、麺類(炭水化物)ばかりです。

夕方、かみさんにメールしたら、
「せっかくだから、美味しいものでも食べたら?」
と返事が返ってきました。

しかし、独りでは、
美味いものを、ゆっくりと、味わっていただくという気がしません。

K生軒のラーメン

さて話が変わりますが、
我が母校の門前に店を構えていたK生軒が、
きょうで店を閉めました。

数年前から、
K生軒のおばさんに、話を聴いていたことなのですが、
いよいよきょうで、K生軒は閉店しました。

おばさんが書いたあいさつ文をパソコンで打って、
拡大コピーして、パウチ加工して渡してありました。

おばさんは、
それを、きょう店の前に貼ったはずです。

おばさん、
長い間、ご馳走さまでした。
ありがとうございました。

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御神籤

2014年08月30日 23:59

ちょっと遠くまで、出張で来ています。


用事が済んで、
途中、神社が在ったので立ち寄って参詣しました。

参拝の帰りに、
気が向いたので、御神籤(おみくじ)を引きました。

運勢は「小吉」でしたが、
裏に、神様の御言葉が書いてありました。

ご託宣は、コレ!

「腹が立つなら一足(ひとあし)あがれ、岩の下をば水が行く、一歩あがれ。
 世の中に尽きぬ諍い(いさかい)の種も、親心になり神心になって眺めれば、
 腹も立たぬ、憎くもない。むしろ優しい気持ちになれる。
 神様御照覧の下、穏やかな気持ちになって導いてやれ、救ってやれ、助けてやれ。
 そのためにも先ず自分が一歩退いて反省することが肝要である。」

巡業・公文協西コース

2014年08月29日 23:59

巡業公演

8月31日(日)~9月26日(金)

平成26年度
(公社)全国公立文化施設協会主催 西コース

「松竹大歌舞伎」
市川亀治郎改め 四代目市川猿之助襲名披露
九代目市川中車襲名披露


一、小栗栖の長兵衛(おぐるすのちょうべえ)

長兵衛:市川中車
馬士弥太八:市川右近
妹おいね:市川笑三郎
堀尾茂助:市川月乃助
猟人伝蔵:市川弘太郎
父長九郎:市川寿猿
巫女小鈴:市川春猿
僧 法善:市川猿弥
七之助:市川門之助


二、四代目市川猿之助 九代目市川中車 襲名披露 口上(こうじょう)
      
亀治郎改め市川猿之助
市川中車
中村梅玉
幹部俳優出演


三、三代目猿之助四十八撰の内 義経千本桜(よしつねせんぼんさくら)
川連法眼館の場
     
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐:市川猿之助
静御前:市川笑也
亀井六郎:市川弘太郎
駿河次郎:市川猿弥
源義経:中村梅玉

福島第一原発の現況と廃炉への道筋

2014年08月28日 17:58

勉強会

きょうは、
「福島原発行動隊」の勉強会に参加しました。

講師は、元・東芝の原発技術者であられた高山和彦さん。
高山さんは、原発に関する数々の発明・特許をお持ちの技術者で、
福島第一原発浜岡原発にも関わっていらっしゃったご経歴をお持ちですが、
いまは退職されて、「福島原発行動隊」の隊員でいらっしゃいます。

きょうのテーマは、「福島第一原発の現況と廃炉への道筋」

●原子炉設備の概要と事故時の状況について
●廃炉への中長期ロードマップについて
●各号機別の現在の主要工事状況について

以上、学習させていただきました。



高山さんのお話で印象に残ったのは、
「不可能ではないんだけど、非常に困難な作業です」
こう何度もおっしゃたことでした。

もしかしたら、
森の中で一本の釘を見つけることのほうが簡単かもしれません。

楽観的にみても、あと40年はかかるだろうという廃炉作業です。
たぶん、わたしが生きて見届けることはないでしょうが、
できるだけキレイな土地に戻して孫たちの世代に遺すために、
少しでも役にたちたいと思っています。

ロードマップ

永遠の大学生・米倉斉加年さん

2014年08月27日 10:38

隣の席に座ったわたしは、一つの質問をしました。

「このお芝居が “ 喜劇 ” というのは、どうしたわけでしょう?」

すると、
“ 永遠の大学生 ” 役を演じたその人は、こう答えました。

「いまここに、こうしてわたしが座っています。
 皆さんの前で、きょうの芝居について話をしている。
 真面目に、一所懸命話してはいるが、実は先ほどから
 おしっこに行きたいのを我慢をしています。
 皆さんには判らないが、もしこちら側の壁がなくて、
 そこに客席があり、観客たちにはそのことが解っているとしたら、
 わたしの悲劇は、観客にとっての喜劇になるんです。」

40年前、
劇団民藝「桜の園」公演の終演後に行われた交流会でのことでした。
高校3年生の質問に応えてくださったのは、米倉斉加年さんでした。


1974年の劇団民藝公演「桜の園」は、伝説の舞台です。

ラネーフスカヤは、細川ちか子さん、
ガーエフは、清水将夫さん、
ロパーヒンが、滝沢修さんで、
そして演出は、宇野重吉さんでした。

みなさん、既に亡くなられました。

そういえば、
ピーシチクを演じた大滝秀治さんも亡くなってしまいました。


わたしは、それより2年前の高校1年生のときに、
劇団民藝公演「銀河鉄道の恋人たち」を観ていました。
その作品に、米倉斉加年さんは樫山文枝さんと共に主演していました。
その芝居を観たことがキッカケで、演劇同好会を立ち上げたわたしでした。

銀河鉄道の恋人たち」と「桜の園」、
これらのお芝居を観なかったとしたら、
わたしは確実にいま此処にいません。

・・・、ありがとうございました。



処世術の歩きかた

2014年08月26日 21:49

人混みを歩いていて、
目の前を行くご年配の方を後ろから追い越せなくて困った、
というご経験の有る方はいらっしゃいませんか?

モチロン、遠回りすれば追い越せますが、
すぐ横をスッと追い抜こうとしても、
なかなか隙が見つけられないという具合ですが、
あれは、なにやら武術などの心得をお持ちなのか?
周りとは隔絶した境地に達していらっしゃるのか・・?
あれッて、なぜこちらは追い抜けないのでしょうねぇ?


そしてまた、
スクランブルした人混みを歩く術についてですが、
初めて上京したときに、或る先輩から、
「進行方向だけを見て歩け」と云われたことがあります。

前方、左右から来る人たちを見ながら歩くと、
ぶつかりそうに思って、歩けなくなるから、
周りについては、あまり意識しちゃダメだというのでした。

確かに、周りを気にすると歩き難くなります。

これは、経験上ですが、
周りを「意識する」か「意識しない」かくらいの感覚で歩くと、
歩き易いように感じます。


するってーと、ですが、
周りをまったく無視するワケではないが、
周りを気にせず、一定の距離感で歩くと、
歩き易いのだとすれば、
これは、処世術につがる極意なのかもしれませんよ・・。

また逢えるから・・

2014年08月25日 19:47

また逢えるから・・

叔母は生前、
この世に未練もあるが、あの世に往くのも楽しみだと申しておりました。

また優しいお父さんやお母さんや、
懐かしい人々にも逢えるからだと申しておりました。

そして、わたしにも、
「いつかまた、あの世で逢えるわ」と申しておりました。

この言葉のおかげで、
わたしは、叔母の死を、なんとか受け容れられたのです。


叔母の死から、きょうで4年が経ちました。

あの日の前の晩、
あの年の6月に産まれた孫娘が、初めて我が家に泊まりました。

孫娘も、ことし4歳の誕生日を迎えました。

あのときは、
まだ、東日本大震災も原発事故も起きてはいませんでした。

この4年間、
わたしの周りでも、いろいろな人たちが亡くなりました。

わたしは、何度もなんども胸の前で掌を合わせ、
「いつかまた、あの世で逢えるから・・」とつぶやいて、その度に、
自分自身を奮い立たせて、再生しなければなりませんでした。

「連獅子」

2014年08月24日 23:59

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2001年の元旦、
横浜の仮設劇場の杮落としで、息子は「連獅子」を踊りました。
親獅子は、息子が2歳のときから慕って追いかけていた右近さんでした。
劇場の芸術監督であった、玉三郎さんのお計らいでした。

21世紀の初日から、右近さんの親獅子で仔獅子を踊るなんて、
なんと運のよい息子だろうと、思ったものでした。

ことほど左様に、
運がよいと思うしかないほど、奇跡的なことがつづいて、
息子は、歌舞伎俳優になりました。
小学校6年生のときのことでした。

それでも、息子は、
2歳で目指して、12歳で歌舞伎俳優になれたことを指して、こう云いました。
「10年かかった・・」

2001年の元旦以降も、度々「連獅子」の仔獅子を踊らせていただいております。
能楽堂の舞台で踊ったこともありました。
オリンピック招致のイベントで、代々木体育館で踊ったりもいたしました。
昼・夜公演連続で、一ヶ月間踊ったこともありました。
去年は、東京の興行としては初めて、明治座で一ヶ月間踊らせていただきました。

このように、
これまで奇跡的な出来事で、我々夫婦を愉しませてくれた息子ではありますが、
いつの日か、息子の親獅子を観られることが、あるでしょうか・・・


シベリア抑留が始まった日

2014年08月23日 20:55

収容所から来た遺書

辺見じゅんさんのノンフィクションに、
収容所から来た遺書」という作品があります。

シベリアに抑留された人々の体験談とともに、
日本人抑留者たちにとって、忘れられない人となった、
山本幡男さんという人について、重層的に取材した記録です。

わたしが、
収容所から来た手紙」を読み、且つ芝居の制作を担当したのは、
1992年、22年前のことでした。

制作者として、
故・山本幡男さんの “ 遺書を受けとった ” ご長男とご次男と出逢い、
貴重なお話をお聴きできたのも、役得というものでしょう。

あのときは、ご存命でしたが、この22年の間に、
山本幡男さんの奥様も、
山本幡男さんの遺書を、シベリアから暗記して運んだ人々も、
朗読劇「収容所から来た遺書」に出演してくださった、
田中明夫名古屋章金井大鈴木昭生蔵一彦利根はる恵、、
といった俳優たちも、
そして、「収容所から来た遺書」を書かれた作家・辺見じゅんさんも、
鬼籍に入りました。

記憶は、どんどん記録になってしまいますが、
50万人とも、100万人とも謂われる日本人がシベリアに抑留され、
数十万人が亡くなったとも謂われています。

戦争と戦後の混乱のなかでは、
正確な記録もありません。正確な人数も判明してはいません。

きょうは、
スターリンによって、日本人のシベリア抑留が命令された日です。

氷水

2014年08月22日 23:42

やり方、生き方には、いろいろあります。

大量の氷水を、頭からかぶるチャリティーが話題になっています。

わたしが、それを知ったのは数日前のことですが、
それは、この運動の発案者が、
水中に飛び込んだ事故で亡くなったという報道でした。

筋委縮性側索硬化症ALS)の治療支援を目的とした運動
アイス・バケツ・チャレンジ」は、SNSを通じて広まり、
元・大統領から世界的な企業家や芸能人・スポーツマンたちが
挙ってチャレンジして、瞬く間に話題になったようです。

バケツに入った氷水をかぶるか、$100を寄付するかを選択する
という趣向だそうですが、氷水をかぶったうえで寄付もすることが
常態化しているようです。

人を楽しませて、慈善活動にもなり、社会的な話題にもなるという
一石三鳥の効用があるというので、多くの人たちが参加しています。

その成果なのか、
日本ALS協会に寄せられた寄付金が、
8月18~22日の5日間で、昨年度1年分に迫る394万円に達したのだそうです。


しかし、
あるタレントが指名されて、この取り組みを断ったという報道を目にしました。

「思うところあって氷水はかぶりません!
 その代わりにALSに限らない難病支援に、
 水不足や衛生に関する支援に、飢饉に関する支援に、
 さらに東北で被災された方々への寄付などにその思いを回します!!」

そのタレントは、このように表明しています。


さて、むかし、
わたしが中学生の頃だったと思いますが、
「幸せの手紙」が流行ったことがありました。

確か、「幸せの手紙」を受け取った者は一定の期間内に、
他の三人宛に「幸せの手紙」を出さないと幸せになれない、
出せば幸せになれるといった趣向だったと思います。

元は、「不幸の手紙」でしたが、仕組みは同じでした。

その「幸せの手紙」がわたしにも届いたことがあります。
面白半分に、夕餉の席で両親にその手紙を見せましたら、
父は、即その手紙を黙って破り捨てました。

そんな出来事を、思い出しました。

私たちに何ができるか

2014年08月21日 23:59

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なんと云っても、
福島第一廃炉推進カンパニー」のプレジデント(最高責任者)
増田尚宏氏がパネリストとして参加してくださることが、
最大の注目点でしょう。

直接打診して、実現しました。
東京電力の広報担当者は驚かれたことだと思います。

東日本大震災時、福島第二原発の所長だった
増田尚宏氏ですが、
福島第二原発も津波の被害に遭いました。
第一原発同様、全電源を喪失したものの、
所員総出でケーブルを担いで運び、辛うじて一回線の電力を確保し、
紙一重で炉心溶融やベントを回避するという経験をされました。

福島第一原発の廃炉を使命とするカンパニーの最高責任者として、
増田尚宏プレジデントが、なにを語るか、最大関心事であります。

福島原発行動隊主催シンポジウム
「福島原発の収束・廃炉を考える ―私たちに何ができるか―」

■日時:9月27日(土)13時30分開始(13時開場)
■会場:早稲田大学 早稲田キャンパス15号館
■資料代として1,000円をいただきます。
■参加パネリスト
岡本 達思(公益社団法人福島原発行動隊理事)
えりのあ(シンガーソングライター)
岸井 成格(ジャーナリスト)
名嘉 幸照(株式会社東北エンタープライズ会長)
増田 尚宏(福島第一廃炉推進カンパニー・プレジデント)
吉岡 斉(元・政府事故調査検証委員、九州大学教授)
吉田 悦花(NPO法人神田雑学大学理事長)

参加申し込み先:公益社団法人福島原発行動隊

ナメクジの這った跡

2014年08月20日 23:59

夕陽と富士

きょうは、出張帰りの富士山です。

伊丹・羽田間のフライトは、
昇ったと思ったらすぐ降りる、1時間程度のものですが、
上空を水平に飛んでいる時間は、20分間位でしょうか?

その間、窓に額を着けて、地上を俯瞰してみますと、
Google地図のように地形が見てとれます。

こうしてみると、
この国土は、中央の山脈から派生した山々が連なり、
山々の渓谷から無数の川が海に向かって流れています。

高い山々や、深い森でできているこの国土は、
雨が降れば、山のミネラルがそのまま海に流れ、
豊穣な海をつくりだしているのです。

こうして、
国土の保水力は、この山と森によって保たれていますが、
一定の保水力を超えた雨水は、そのまま海に流れる構造をもっているワケです。


太古、
川の辺にできた洲や、河口の堆積によってできたと思われる三角洲に、
人々は住み、田畑を耕し、街を造りました。

やがて、
いまでは、海を埋め立てて地面を増やし、
丘陵地や急斜地にまで住宅地域を開発し、
山の頂きを削ってゴルフ場を造成しました。

無数にゴルフ場が点在する地域の上空から下をみると、
その風景は、まるでナメクジが這った跡を見るが如くです。

このように、
この国土の治水は、難しいと謂えるでしょう。


さて、
広島で、甚大な豪雨被害が出たようです。

政府は、首相官邸の危機管理センターに情報連絡室を設置し、
首相も、元・首相とのゴルフを中止して官邸入りしたようです。

ナメクジのはった跡



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