花の舞

2014年04月30日 23:59

花の舞

コレは、
先日の、甥の結婚披露の宴で、鏡開きをした写真ですが、
ここに写っている人たちが、この時点で知らなかったことを記します。


わたしが、甥の結婚式を前に、
池袋の西武デパートへ、土産を買いに行ったときのことです。

地下の駐車場から、食料品売り場へ行くつもりだったのですが、
催事場で「全国味の逸品会」という催しを開催中だという
ポスターが掲示されていたので、7階の催事場に向かいました。

しかし、
生憎、生ものが多く、帯に短し襷に長しで、
コレ!というものがありませんでした。

そう思って、地下の食料品売り場へ下りようとしたときです。
「花の舞」という字が目に映りました。

「花の舞」酒造の売り場でした。

「花の舞」は、わたしの故郷の酒です。

それだけじゃありません。
「花の舞」の酒を作っている杜氏は、わたしの妹の同級生です。
酒のラベルに名前が記されております。

そして、もっと云えば、
「花の舞」酒造のご当主は、わたしの遠戚にあたります。

そして、その遠戚には、女優の常盤貴○さんが含まれます。

それから、居酒屋チェーンで「はなの舞」というお店がありますが、
「花の舞」酒造とは、直接関係がありません。
しかし、お店に行くと「花の舞」が置いてあります。
そして、「はなの舞」などの居酒屋を経営するグルーブ会社の社長は、
わたしが演劇制作体で制作者をやっていたときの後輩I君の父上です。

更に、「花の舞」酒造には、
その演劇制作体の演劇公演で「花の舞」の地元を訪れた
女優・前田美波里さんが名づけた大吟醸「ほほほ」という酒があります。

というワケで、
土産はさておき、「花の舞」を一本買って帰ってきたのでした。
いまそれを飲んでいます。

そして、
甥の結婚披露の宴で開けられたのは、偶然にも「花の舞」でした。

きょうは、ちょいとしたトリビアをご披露しました。


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あれから5年

2014年04月29日 23:12

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この写真を撮ったときには、影も形もなかった孫娘。
なんだか、不思議な感じがします。

さて、

息子Kとみきちゃんが結婚式を挙げて、
きょうで、5年経ちました。

これまで、
息子Kを支えてくださった皆様、
応援してくださった皆様、
仲良くしてくださった皆様、
遊んでくださった皆様、
叱咤激励してくださった皆様、
見守ってくださった皆様、そして、
わたしたちの孫娘を産んでくれた、みきちゃんに、
あらためて、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。

そして、

これまで、
みきを支えてくださった皆様、
応援してくださった皆様、
仲良くしてくださった皆様、
叱咤激励してくださった皆様、
見守ってくださった皆様、そして、
わたしたちを、ジィジとバァバにしてくれた、息子Kに、
あらためて、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。

そして、

生まれてきてくれた孫娘に、
ありがとう!

皆様、これからもよろしくお願いいたします。


羽衣伝説

2014年04月28日 23:59

羽衣ジャスミン2014

甘く刺激的な香りが、我が家の周りにたちこめています。

羽衣ジャスミンの香りです。


5年前、知らないうちに、
隣家の庭に植えられていた羽衣ジャスミンの蔦が伸び、
我が家のベランダのフェンスを手掛かりにしながら、
徐々にフェンスに群生し、我が家のベランダで咲きました。

5年前には、わたしたちは、その花の名も知らず、
突如現われた可愛い花の香りに魅せられておりました。

いずれ、その花の名が「羽衣ジャスミン」と分かり、
以来、毎年その花の咲くのを楽しみに暮らしております。

花を育てると云っても、元々、隣家の庭で育まれたのですから、
わたしたちには、環境を整えてあげることくらいしか出来ません。
わたしたちが、育てているワケではないからです。

それでも、枯れることなく年々蔓を伸ばし、
この季節になると、花を咲かせ芳しい香りを放っています。

育んでくれた土地と、咲いている土地の違いなど、
花は気づいていないのかも、しれません。

花は、
自身の力で咲いていると、勘違いしているのかもしれません。


さて、
羽衣ジャスミンという名から、羽衣伝説を思い出しました。

だからいま、わたしたちが一番畏れているのは、
我が家で咲いた羽衣ジャスミンの蔓が切られてしまうことです。


優しさ

2014年04月27日 22:16

父の話

きのう、26歳の甥が結婚して、伴侶を得ました。

父と母が、
1歳の誕生日を過ぎたばかりのわたしと、
母の腹のなかにいた妹を連れ、父の故郷の徳島の港を出て、
浜松の三方原台地の原野に入植してから、ことしの春で56年が経ちます。

18歳のときに演劇を志し、家を出たわたしに代わり、
わたしの弟が、実家の家業であるみかん農家の跡を継ぎ、
更に弟の長男である甥が、その跡を継ぐべく4年前から就農しました。

これで、開拓農民の物語が、三世代にわたり受け継がれます。


きのうは、そんな創業者である父と妹夫婦といっしょに、
浜松のホテルに泊まりました。

披露宴のあと、2次会へと流れた新郎・新婦や弟家族に代わって、
一夜だけですが、父の話相手をしようと、妹と相談して決めたのでした。

遅い披露宴で腹が満たされていたわたしたちでしたから、
食事は摂らずに、義弟が買ってくれたお茶とビールと焼酎で、
深夜まで、久しぶりに父の話を聴いて過ごしました。

そして、今朝も朝食を摂ったあと、
チェックアウト・タイムの昼ちかくまで、
これまでに、なんども聴いた父の話をあらためて聴いたのでした。


「あの子たちは、優しいねぇ・・」

甥や姪たちを指して、父がそう言いました。

「俺なんかは、戦争の時代に生きてきたからねぇ・・
 戦争は、相手にも親や妻や子があるかもしれないなんて
 考えていたら、鉄砲の引き金を引けないからねぇ・・
 優しくしていたら、殺されちゃうからねぇ・・
 生きるために、生き残るために、必死だった・・・」

「いまは、いいねぇ。
 平和ボケとかナントカ云うけど、恰好いい戦争より平和がいいねぇ・・」

その “ 平和 ” の象徴として、
日本のどの家庭の食卓にも、ふんだんにみかんが盛られている・・、
そんな風景をイメージして開拓を始めた父のみかん
それに負けないみかんを、父と母以上の農家と家庭を、
若い二人が創ってくれることを、オジは期待しています。



来し方、行く末

2014年04月26日 23:17

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甥の結婚式と披露宴があったので、浜松に来ています。

1988年3月31日の9時21分、体重2,880グラムで産まれた甥は、
ことし26歳になりました。

みかん農家である実家の父の跡を、わたしの弟と継いでいます。

“ こないだ産まれた ” と思ったら、もう結婚して所帯をもつのか、
というのが、わたしの率直な感想です。
時間が経つのは、早いです。

しかし、息子Kがみきちゃんと結婚したのも、26歳のときでした。
あのときは、息子にはまだ早いような気がしたものでしたが、
今では、ことしの6月で4歳になる孫娘もいます。
そんなものか、とも思います。

こうして、また新たな縁に巡り合って、ひとつの所帯が出来、
末広がりに、一族が増えてゆくことでしょう。

これまでの物語が、新たな物語へとつづいてゆくのです。

来し方、行く末の節目に、いまわたしたちは立っています。




次回

2014年04月25日 23:59

横顔


機内食


横顔その2


機内


去年の旅行写真です。

息子Kの家族と、息子Yのところへ行った旅行です。

日本時間、4月25日17時25分成田国際空港発、
現地時間、4月25日11時15分ロサンゼルス国際空港着、
約10時間のフライトでした。

あれから、一年が経ちました。

次は、いつ行けるでしょう?

見て見ぬ振り

2014年04月24日 23:59

これは、些細な雑司が谷ネタなのでして、
くだらないと思われたら、読み飛ばしてください。

わたしの家は、4階建てです。
4階建てと云えば、聞こえがいいのですが、
高さ制限がありまして、家の高さは10メートルまでと決まっています。

普通でしたら3階建ての家を建てるところですが、わたしは、
4階建てを建てたというよりは、4層構造の家を建てたのであります。
各層の床から天井までの高さは、それぞれ2.2メートル強しかありません。
階ごとの高さは確保できなくても、それなりに空間を100パーセントに近く、
利用しようとしたつもりであります。


さて
そこまでご説明した上でお話したいのは、ご近所の洗濯物のことであります。
かような家の4階の廊下から、隣近所の家並みが見えるのであります。

そのなかの一軒、
我が家から数件先の一戸建てのお家のことなのでありますが、
そのお家は、屋上に洗濯物の干し場が有ります。

その物干し場から、風で飛んだのでしょう。
物干し場の囲い壁の外の屋根の上に、
ワイシャツなのか、タオルなのか判りませんが、
布切れが一枚落ちているのであります。

それは、もうひと月ほど前からのことでありました。

そのうちに、
そのお宅の、どなたかが気がつかれるだろうと思っていたのですが、
いつまで経っても、落ちた洗濯物に気づく様子はありませんでした。

しかし、
もしかしたら、そのお家の誰かにとって、
その布切れは、たいへんに大切な一枚かもしれないのです。

そう思うと、
「お宅の屋根に、ひと月ほど前から洗濯物が落ちてますよ」と
声をかけて差し上げればと思うのですが、それがなかなか難しい。

昨今の東京では、日常的に物干しが見えていたとしても、
わたしの家から見えていますよとは云い難いのです。

それに、ひと月も経っているのですから、今更なのであります。

見て見ぬ振りをするか、それでも見捨てないか、・・・難しいのです。


パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~

2014年04月23日 23:59

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先輩の志賀廣太郎さんが出演しているとあって、
ナイロン100℃公演『パン屋文六の思案~続・岸田國士一幕劇コレクション~』を、
かみさんと観てきました。

劇場は、事業仕分けで来年の閉館が決まった青山円形劇場です。

今回の公演は、
劇作家・岸田國士の一幕戯曲をオムニバス構成にしたものです。

80年も90年も前に書かれた戯曲とは思えない、
新鮮さと斬新さに惹かれての企画だと思いますが、
意外と岸田國士作品の魅力に接する機会は、少ないものです。

演劇を志した者ですら、戯曲を読んでいなかったり、
上演されたものを観たことがないという人も多いことでしょう。

わたしの学生時代でも、授業の試演として観たり、
代表作を数本読んだくらいでしたが、
一見して「おとなしい芝居だなぁ」程度の感想しかもてない、
貧弱な鑑賞眼しか持ち合わせていませんでした。

その当時、
演劇の純粋化を目指していたとされる、劇作家・岸田國士のことは、
わたしたちの恩師である田中千禾夫先生の師匠であることと、
文学座の創設者の一人であったという程度の認識しかありませんでした。

しかし、
この齢になって、岸田作品に接してみると、
その心情の繊細さと機微のドラマチックなことといったら、
どんな奇抜なストーリ展開や、ケレンの演出も観劣りするでしょう。
これぞ、会話劇の真骨頂というものです。


わたしも若い頃、若気の至りで、
岸田國士作品をひとつだけですが、演出したことがありました。

命を弄ぶ男ふたり」という自殺願望の男ふたりの会話劇です。
いや、いまにして思えば、芝居を安易に弄ぶべきではありませんでした。

態々と、折角と、ついで

2014年04月22日 23:59

わざわざ

いつもの席に着くと、

「なんにする?」

前のお客が、チャーハンを注文していたので、

「じゃあ、チャーハン」

「はい」

ここでは、チャーハンかラーメンしか頼まない。
いや、チャーハンかラーメンかは、究極の選択。いつも迷う。

迷っていると、
「じゃあ、両方食べたらいいじゃない?」
と云われる。

若い頃の体だったら、迷わず両方頼む。
若い頃はいくらでも食えたのに、いくらも持っていなかった。

いまでは、決してお代を受け取ってくれない。
それなのに、両方は食べられなくなった。


「わざわざ(態々)来てくれたの?」

「いや、ついで」

学生や、常連客がいる間は話ができない。

「これでも食べてなさいよ」

チャーハンを食べ終わると、
当たり前のように珈琲とショートケーキが出てきた。

新聞を読みながら時間を潰していると、お客がいなくなった。

「お茶飲む?」

「うん」

お茶といっしょに、梅酒のうめが皿に乗って出てきた。

「これ、さっき〇〇さんにもらったから」

と云って、人参ときゅうりと大根のピクルスも出てきた。

こんどは、

「これ、わたしの大好物なの。食べる?」

そう云って、みすず飴が出てきた。
昭和5年生まれの人にとっては、貴重で懐かしい菓子だろう。

そして、やっと椅子に腰をおろした。

「ついでって、なにしに来たのよ?」

「いや、ちょっとね、人と会うの」

「じゃ、わざわざ(態々)じゃないの?」

「ついでだよ。 ところで・・、どうした?」

こうして、延々と話を聴くことになる。


わざわざ(態々)なんて、畏れ多い。
だから、「ついで」

しかし、「人と会う」というのは、まんざら嘘じゃない。
留守番電話にメッセージを残しておいたが、返信がない。
きょうは、会えないかなと思いながら、駐車場に向かう途中で閃いた。
「あそこに行ったら居るかもしれない」

自動ドアが開くと、独特のタバコの臭いが充満した店内。
喧しい電子音が鳴る店内で、彼を見つけるのは容易だった。

「なんで、ここに居るのが判った?」

「勘」

となりに腰かけて、様子を聴く。
仕事の話、体調の話、今後のこと。

電子音にかき消されて、よく聴きとれない。

話しているあいだも、台はけたたましい音を出しつづける。
しかし、玉は減ってきた。

彼が、わたしの前の台にも玉を入れて促す。
見様見真似で打つが、やり方がよく解らない。

すると、彼が席を代われと云う。
わたしも、彼が腰かけていた席に移る。

彼がしばらく打ったら、大当たりした。

これで、話す機会は遠くなってしまった。

「せっかく(折角)来てくれたのに、ワルイな」

「いいよ、またね」


せっかく(折角)なんて、おこがましい。

ついでだよ。ついで。

国民性

2014年04月21日 23:59

連日報道されている、お隣の国の海難事故のニュース。
ご家族のご心痛を思うと、こちらの胸も痛みます。

さて、相変わらず、事故の原因を分析している番組が多いですね。
原因分析も大事ですが、救出が最優先ですから、隔靴掻痒の感が否めません。

その原因ですが、
過積載と、コンテナや車の固定の問題が指摘されています。

また、フェリーと海上交通管制センター間の交信録音記録が公表され、
乗客の安全を優先したと思えない避難措置の怠慢が浮上してきました。

ところで、きょうは、その事を書こうと思ったのではなく、
今後、或いは既に話題になっているであろうことを記そうと思います。


「国民性」こう書けば、ご想像いただけるかもしれません。

或る意味で、
こうした痛ましい事故が起こったときに不謹慎かもしれませんから、
あらかじめ、ご不快の向きにはお詫びします。

書かせていただこうと思ったのは、
こうした事故に遭遇したときの、お隣の国民性と日本の国民性の、
様子や、感情の表し方や、行動の違いについてです。

違いがあると云っても、事前にお断りしておきますが、
どちらの国民性も、批判したり揶揄するつもりはありません。

ただ、その違いを目の当たりにして、考えさせられたのです。

全てが、国民性の所以かどうかも判りませんし、
どのような事情や背景があってのことかも解らないのですが、
家族を見舞った学校の校長や首相が罵られ水をかけられたり、
副校長が自殺したり、助けられた船員が自殺未遂を起こしたり、
海洋警察など当局の担当者が猛抗議を受けたり、
大統領府へ直接抗議に訪れようとする警官が怒鳴られたり、
大統領が罵声を浴びせられたり、
日本の場合なら、必ずないとも云い切れませんが、
お隣の国の事故に遭われた皆さんの様子は、特徴的だと思いました。

悲しみを全身で表し、声をあげて泣き、怒り、大声で怒鳴る。
それが、お隣の国の人々にとって当然の感情の発露なのかもしれませんし、
大声で泣くことで辛うじて保たれる、心の安定のさせ方なのかもしれません。
ですから、それを間違っていると云うつもりはないのです。

ただ、日本人とは違うなぁと・・・、
たぶん、多くの日本人たちと同じように、わたしも感じたのです。

そこで、思い出すのは、
大震災が起きたとき、首都圏で整然と並んで順番を待つ日本人たちの姿が、
海外に報道されて、話題になったことでした。

それは、日本人の美徳として扱われたのでしたが、
大震災と原発事故から3年以上の時が経ってまだ、避難生活をつづける人々。
遠く、いつになるか判らない“元の生活”に向かって望みをつなぐ人々・・。


以前、確か会田雄次さんのご本だったと思うのですが、
西欧と日本の母親たちを集めて、
我が子を守る姿勢を調査した結果について読んだことがあります。
西欧の母親のほとんどが、子供を背にして外敵に対峙したのに対して、
日本の母親のほとんどは、子供を抱え込んで外敵に背を向けたのだそうです。

例えば、
何十万人もの被災者が取り残されたかのような現状があるなかで、
原発ゼロだったはずの政策を転換させ、原発推進を明確に示して、
原発は重要なベースロード電源と位置づけたエネルギー基本計画が閣議決定・・

想像してみてください。
もしこれがお隣の国だったら、暴動が起こっているかもしれないようなことです。
たぶん、その政府は転覆してしまうでしょう。

日本人の美徳も貴重ですが、怒らない国民性、我慢強い国民性、
行動を起こさないで待っている国民性って、どうなんだろう?
そんなことを考えさせられた一件でした。

若葉・青葉の季節

2014年04月20日 22:47

若葉の季節

ある日の早朝、
妹がお姉ちゃんのベットにもぐりこんできました。
妹は、お姉ちゃんに、いっしょに遊ぼうとせがみます。

お姉ちゃんは、
他の人には無い、特別の能力を持っていたのでした。
妹は、それをつかって、いっしょに遊ぼうと思いました。

お姉ちゃんは、可愛い妹のために、いっしょに遊んであげます。
しかし、遊ぶうちに、お姉ちゃんは、妹を事故に遭わせてしました。

両親は、末娘の意識が取り戻されることを優先して、
末娘の記憶が、一部消されることを受け容れました。

以来、お姉ちゃんは自分の部屋に閉じこもり、
その理由を知らない妹は、お姉ちゃんの部屋をノックしつづけます。

何年かして、姉妹の両親が事故で亡くなってしまいます。

親を亡くし、お姉ちゃんからは拒絶されつづけた妹でしたが、
ある催しで、十数年ぶりにお姉ちゃんと再会します。

その席で、出逢ったばかりの男性に恋をした妹が、
そのことをお姉ちゃんに告げたことがキッカケで、
お姉ちゃんは怒り、その所為でお姉ちゃんの特別な能力が
集まった人たちに知られてしまうことになりました。

それを知られたからには、
独りで生きてゆくしかないと決意したお姉ちゃんは、
そのコミュニティーから逃げだしたのでした。

そんなお姉ちゃんを救いたいと、
妹はその跡を追うのですが、様々な困難に行く手を阻まれます。

愛ゆえに愛を拒絶する姉と、愛ゆえにお姉ちゃんを救おうとする妹。
自分とは何者か。人は人と、どのようにつながっているのか。

いろいろと、考えさえてくれます。

昨日孫娘と観た、「アナと雪の女王」という映画の話です。


さて、きょうの早朝、
アナと雪の女王のお話を思い出したから、ジィジと話すぅ」
目覚めた孫娘がそう云って、みきちゃんを困らせたのだそうです。

どうやら、孫娘もわたしも、
アナと雪の女王」にはまったようであります。

ゆうべは、寝ている間に2回もおしっこをしたのだそうですから、
昨日は寒かったし、寒い世界のお話を観たせいか、
すっかり、身体が冷えちゃったのかもね。

でも、雑司が谷は、若葉・青葉の季節を迎えています。

「アナと雪の女王」

2014年04月19日 22:02

アナと雪の女王

池袋の映画館に、
孫娘と二人で、「アナと雪の女王」を観に行ってきました。

各回満席でしたので、
事前にネットで予約をして、チケットを手に入れました。

ディズニー映画ということもあり、
こどもの映画かと思って観にゆきましたが、あにはからんや、
こどもたちも居るとは云え、ほとんどが大人たちでした。

かみさんに云わせると、
かみさんの姉は「雪の女王」のお話が好きで、むかし、
創作して日本舞踊にしたこともあったほどだそうです。

アナと雪の女王」というからには、
アンデルセンの「雪の女王」を基にした物語かと思いましたら、
ストーリーは、ほとんど違っていました。


さて、
例によって、感想は記しませんが、
“こどもだまし”の映画だとみくびることなかれ、
なかなか感じさせてくれます。

それにしても、
3歳の孫娘が、108分間の映画を、
飽きもせず、よく観ていたものだと申しましたら、
本人は、「うん、歌のとこ以外はねぇ・・・」と、申しました。

まだ、歌は退屈なようです。



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