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ドキュメンタリー映画

2014年03月06日 23:47

ガレキとラジオ

所謂、ゴーストライター騒動のときにも感じたことですが、
むかしからゴーストライターの描いたものなんて、いくらでもあったワケで、
普段はそんなことに目をつぶっている世間が、ひとたび話題の事件が起こると、
これまでそんなことは知らなかったというような態度を表すのが、なぜか判りません。

ゴーストライターの定義に口述筆記も含めれば、
出版業界にゴーストライターは、普通に存在します。常識です。
それを自ら暴露した当事者だっているくらいです。

しかし、ほとんどの場合、それは問題になりませんでした。

歌手が口パクで歌う?ことだって、よくあることでしょう。
映画に映っている俳優と、実際に歌っている人が違うという事例もあります。

では、
あのゴーストライター問題では、なにが問題なのかということであります。

“騙された”と思って、深く傷ついた人たちがいたからでしょう。
では、どこを“騙したのか”ですが、たぶんそれは“人の善意”です。
“人の善意”につけこんだことです。或いは利用したことです。

ところで、
事件は、事件を起こした当事者だけが起こしたのでしょうか?
当事者の周囲の人たちも事件を起こした、とも云えるのではないでしょうか?
所謂、未必の故意というやつですが。


さて、
被災地・南三陸町で、
“ラジオ局や放送事業の経験のない市井の人々が奮闘して局を立ち上げ、
 それが被災地の人々を結んでいくツールとなっていく過程”を描いた
ドキュメンタリー映画が、内容の一部に“ヤラセ”を含んでいたことで、
話題になっています。

ナレーターを務めた俳優がブログで、
「この映画は、今後二度と上映されるべきものではありません」と表明しました。
それはそれで彼の矜持と受け捕るとして、これは彼の一存では決められません。

ところで、ナレーションを引き受けた彼をはじめとして、
この企画には、多くの善意が集まっていたことでしょう。
ほとんどが、ボランティアだったようであります。

撮影される側、協力した人たち、上映実行委員会をつくって上映した人たち、
上映しようと思っていた人たち、そして、撮影した側にも善意が満ち満ちていたでしょう。

そんな“善意”があったからこそ、裏切られたという思い、
騙されたという思いが先立つのではないでしょうか?

まぁ、それは当然と云えます。


しかし、
毎日のように放送される、テレビの旅番組やグルメ番組が、
飛び込みで撮影されていると、思っていますか?

一部、そういうコンセプトの番組もあります。また、ありました。
そんな番組のリポーターをやっていた友人に聴いたこともあります。
また、永六輔さんや伊丹十三さんが企画し、出演していた
遠くへ行きたい」という旅番組は、
徹底して飛び込み(打ち合わせなし)撮影に拘ったことで伝説になりました。

しかし、
ほとんどの番組は、ロケハンのときに打ち合わせがあり、
条件交渉をして、段取りを決めてから撮影をしています。
リハーサルをする場合だってあります。

それは、いいのでしょうか?
視聴者が、既に知っていることだからいいのでしょうか?


長くなりましたので、
そろそろ結論を記すことにいたします。

ドキュメンタリーだって、いろいろあります。
聖人君子が善意だけで創っているワケでもないでしょう。

今回の映画は、
日本でも二本の指に入る有名な広告代理店が制作していますが、
その動機は、なんだったのでしょう?

一年かけて、被災地でドキュメンタリーを撮るためには、
どれほどの予算が必要だったでしょうか?

当然、意図や計画や戦略はあったはずです。

ドキュメンタリーは、本来未知の出来事を撮るワケですが、
或る結論に誘導したい気持ち・・、
別の言い方をすれば予定調和の誘惑が付いて回ります。
それを回避できているかどうか、
映像を観て見抜くこと、見分けることは出来なかったでしょうか?

ところで、
話題のドキュメンタリー映画ですが、
そのヤラセも含み、どうしてそんなヤラセが起こるのかを考えた目で、
3.11でなにが起こったのか、なにが映っているのか、撮影でなにがあったのか、
それを見極めたら、いかがでしょうか?

そういうドキュメンタリー映画として観れば、それはそれで貴重なものでしょう。



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