2014年02月28日 17:08
アンネ・フランクに関する書籍が破られるという事案が増えている昨今、
ついに、わたしの日常的な場所である、ジュンク堂書店も被害に遭い、
益々不気味さを増しました。
それにしても、ダレがこのようなことをやっているのでしょう?
単独犯なのでしょうか?
警視庁の捜査一課が、
杉並署に捜査本部を設置して捜査にあたるのだそうですから、
いずれ、必ず捕まることと思います。
ところで、これは不謹慎かもしれませんが、
この事件の所為で、久しぶりにアンネ・フランクの名を耳にしました。
長く忘れていた「アンネの日記」を、再び読んでみたくなりました。
これを機に、また「ホロコースト」に関しても関心が高まることでしょう。
たぶん、
これは犯人(犯人たち)の意に反して起こった現象でしょうけれど。
ウクライナが心配です。
東欧とロシアに挟まれ、
滅ぼされたり属国となったり独立を宣言したりを繰り返す歴史を辿り、
いままた国を分裂させるかどうかの瀬戸際にあるウクライナという国。
ロシアからすれば、
属国のようなウクライナを失った感があるでしょうから、
我が国の首相が進めようとしていた北方領土交渉にとっても、
向かい風が強まったのではないかと思われます。
ロシアからの向かい風だけではありません。
中国、韓国、北朝鮮からの強風、
中国からはPM2.5なども運ばれてきますし、北からはミサイルです。
そして、最近では東からの風も強まってきました。
東風(こち)は、春をもたらす風ですが、太平洋の対岸の国、
アメリカ合衆国から吹いてくる風は、穏やかではないようであります。
「経済」だけを公約と政策にしていればよかったのに、
憲法改正、集団的自衛権行使、戦後の歴史観の修正、靖国参拝に走る
この国のトップと、その周りの人々に対する「失望」という風であります。
個人、或いは人間というレベルと、国家のレベルは違うでしょう。
しかし、
国家が、個人や人間という概念よりも上にあるワケではありません。
一滴のユダヤの血も赦さぬと、ユダヤ人とそれに連なる人々を大虐殺したり、
国家神道をつくり、若者を神だと信じ込ませてマインドをコントロールし、
死んで靖国で逢おうなどと思わせて突撃させ、特攻させ、玉砕させたり、
戦闘員・非戦闘員の別に拘らず、10万人規模を殺戮する空襲を繰り返したり、
核兵器・生物兵器・化学兵器を使用したり、所謂国家がやることは、
或いは、国家的概念で考えたり行ったりすることは、非人道的なものです。
だから、国家と国家が争うと、ろくなことはない。
だから、「国家、国家」と云う人は、危なっかしいのです。
先日、
成蹊高校を卒業したという若者と話す機会がありました。
成蹊という学校の名は、
「桃李不言 下自成蹊」という、
中国の諺を引用した司馬遷の言葉から名付けられたのだそうです。
桃や李(すもも)は何も語らぬけれど、
美しい花を咲かせ、美味い果実を実らせます。
すると、その魅力で人が集まり、樹の下には自然と道ができる。
つまり、
桃や李というのは、人格者の喩えなのです。
成蹊は、総理の母校です。
総理には、桃や李のような国づくりをお願いしたいものです。
ついに、わたしの日常的な場所である、ジュンク堂書店も被害に遭い、
益々不気味さを増しました。
それにしても、ダレがこのようなことをやっているのでしょう?
単独犯なのでしょうか?
警視庁の捜査一課が、
杉並署に捜査本部を設置して捜査にあたるのだそうですから、
いずれ、必ず捕まることと思います。
ところで、これは不謹慎かもしれませんが、
この事件の所為で、久しぶりにアンネ・フランクの名を耳にしました。
長く忘れていた「アンネの日記」を、再び読んでみたくなりました。
これを機に、また「ホロコースト」に関しても関心が高まることでしょう。
たぶん、
これは犯人(犯人たち)の意に反して起こった現象でしょうけれど。
ウクライナが心配です。
東欧とロシアに挟まれ、
滅ぼされたり属国となったり独立を宣言したりを繰り返す歴史を辿り、
いままた国を分裂させるかどうかの瀬戸際にあるウクライナという国。
ロシアからすれば、
属国のようなウクライナを失った感があるでしょうから、
我が国の首相が進めようとしていた北方領土交渉にとっても、
向かい風が強まったのではないかと思われます。
ロシアからの向かい風だけではありません。
中国、韓国、北朝鮮からの強風、
中国からはPM2.5なども運ばれてきますし、北からはミサイルです。
そして、最近では東からの風も強まってきました。
東風(こち)は、春をもたらす風ですが、太平洋の対岸の国、
アメリカ合衆国から吹いてくる風は、穏やかではないようであります。
「経済」だけを公約と政策にしていればよかったのに、
憲法改正、集団的自衛権行使、戦後の歴史観の修正、靖国参拝に走る
この国のトップと、その周りの人々に対する「失望」という風であります。
個人、或いは人間というレベルと、国家のレベルは違うでしょう。
しかし、
国家が、個人や人間という概念よりも上にあるワケではありません。
一滴のユダヤの血も赦さぬと、ユダヤ人とそれに連なる人々を大虐殺したり、
国家神道をつくり、若者を神だと信じ込ませてマインドをコントロールし、
死んで靖国で逢おうなどと思わせて突撃させ、特攻させ、玉砕させたり、
戦闘員・非戦闘員の別に拘らず、10万人規模を殺戮する空襲を繰り返したり、
核兵器・生物兵器・化学兵器を使用したり、所謂国家がやることは、
或いは、国家的概念で考えたり行ったりすることは、非人道的なものです。
だから、国家と国家が争うと、ろくなことはない。
だから、「国家、国家」と云う人は、危なっかしいのです。
先日、
成蹊高校を卒業したという若者と話す機会がありました。
成蹊という学校の名は、
「桃李不言 下自成蹊」という、
中国の諺を引用した司馬遷の言葉から名付けられたのだそうです。
桃や李(すもも)は何も語らぬけれど、
美しい花を咲かせ、美味い果実を実らせます。
すると、その魅力で人が集まり、樹の下には自然と道ができる。
つまり、
桃や李というのは、人格者の喩えなのです。
成蹊は、総理の母校です。
総理には、桃や李のような国づくりをお願いしたいものです。
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