家族団欒

2013年12月31日 23:59

大晦日

家族が集まって食事をしていることが、なんと有り難いことか。


むかし、結婚する以前の若い頃のことですが、
暮れも正月もなく働いて過ごしたことが何度かあります。

暮れや正月には人手が減るので、アルバイト先からは重宝がられ、
まるで正月を無視するように、働いていたものでした。

「正月と云ったって、どうせ三が日の間のことじゃないか
 たった三日間くらいで、またすぐ日常生活に戻るんだから・・」

そんなことを考えながら、気を紛らわせて働いていました。

しかし、
故郷には、帰らないという息子を案じる両親がいたのでした。
淋しい思いの弟妹がいたのでした。

年越しの料理やおせち料理を、
息子にも食べさせたいと思う、母がいたのでした。

そんなことは、判っていたのでしょうが、
自分本位で、自分勝手で、想像力のない、若い頃のことです。

家族の団欒が、どれほど幸せで貴重なことかは、いま実感します。

でも、若い時には、
そんなことが解らなくてもいいとも、思います。
そんな後ろ髪はバッサリ切り捨てて、やりたいことをやりたいように、
必死にやっている頃があってもいいと、思います。

年越しそば

今夜は、
かみさんが丹精込めた手料理が並びました。
息子K夫婦が揃って、孫娘がはしゃいでいます。

わたしは、亡き母に詫びています。

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お祀り

2013年12月30日 21:49

神様

未明から、挨拶状の宛名書きをしておりましたが、
夕方近くになっても終わりませんでした。

今回は、大そう時間がかかります。

まだ、大掃除も済んでいません。

きょう、神棚と仏壇をきれいにして、
神仏をお祀りしないと、明日では一夜飾りになってしまうので焦ります。


ということで、ひとまず筆を置いて、
まずは、神棚を清めてご神体をお祀りしました。
奥から、穴八幡宮様、大鳥宮様、氷川宮様、そして天照大御神様の順番です。

その御前に、洗い米、盛塩、水、御神酒、御榊を供えます。
神棚に、新しいしめ縄をかけます。

そして、お参りしました。


次に、仏壇です。

仏壇を清めて、水と花を供え、線香を焚きました。

そして、お参りをしました。


いずれも、

ことし一年、
わたしたちを御護りいただいたことへの御礼を伝えました。

仏様

むかしのアパート

2013年12月29日 18:55

むかしのアパート①

わたしには、
以前から、度々見る夢があります。

願望としての“夢”ではなく、
文字通り、睡眠中に見る夢です。

シチュエーションは、その度に少しずつ違いますが、
わたしの居る場所は共通しています。

その場所というのが、
むかし住んでいたアパートの部屋の中という夢なのです。

では、むかしのことを夢に見ているのかと云えば、
そうではなく、時間的には“現在”なのです。

現在のわたしが、現在只今、むかし住んでいたアパートの部屋の中に居る、
そういうシチュエーションの夢なのであります。

むかしのアパート②

“その部屋”は、基本的に、むかしのママです。
家具の位置、カーテン、和式トイレ、一部窓ガラスが無い窓と雨戸、
そして、部屋の鍵を隠している場所まで、むかしのママです。

ただ、時間だけが経ったというシチュエーションなので、
部屋の中は、ほこりだらけになっています。

むかしのアパートは、南と西に窓が有る、1階の角部屋でした。
西向きの窓には、一部窓ガラスが落ちて有りませんでした。
ただでさえ、木枠の窓でしたから、風が吹くとアパートの隣の畑の土が舞い、
部屋の中は、土埃でザラザラになったものでした。

夢の中のことながら、
わたしが、部屋でなにをしているのか、よく判りません。

むかしのアパート④

そのアパートには、学生時代から十数年住みました。
わたしの人生で、一番長く住んだ部屋かもしれません。

鍵の置き場所を知っている友人たちが、代わるがわる部屋で待っていました。
泊まっていく者、住んでいた者、逃げてきた者、いろんな人間がおりました。

夢の中でも、拳で殴ってついた柱のキズはそのままです。

それにしても、
何故、そんな夢を度々見るのでしょうか?


きょう、わたしが学生時代を過ごした町に、
年内に済ませておきたい用事があったので、行ってきました。
アポイントの時間まで、少し間があったので、
車で、むかしのアパートが在った場所に行ってみることにしました。

すぐ近くを通る高速道路は、むかしのママですが、
近所に在った小さな商店街の跡には、コンビニが建っています。

大家さんは農家でしたが、
畑は駐車場に替わっており、もう土埃はたたなくなっています。

むかしのアパートの跡には、いまのアパートが建っていましたが、
窓にはサッシが使われていました。


わたしは、
あそこに、ナニを見に行ったのでしょう?

むかしのアパート③

M子のフラ

2013年12月28日 23:59

ホイケ①

わたしと同じ誕生日だという人を複数知っていますが、
一番身近なのは、2歳違いの妹です。

まったく、我々の両親の計画性には関心します。

その次に身近なのが、4歳年下の後輩、M子です。
こちらも、わたしにとっては“妹”のような存在でしょうか。

ホイケ②

M子は女優ですが、ご主人も俳優です。
わたしが制作体に所属していた頃、何本も出演していただきました。

お二人は、二人の娘さんを育てました。
並んだら三人姉妹に見える母と子です。


そのM子が、近年になってフラを始めました。
フラのマインドについて、語りだしました。

来年は、
フラをモチーフにした芝居を書いて上演するのだそうです。

そこできょうは、
かみさんと、その芝居に出演する予定の後輩 I といっしょに、
M子のハーラウ(舞踊団)のホイケ(発表会)が行われたので、
観に行ってきました。

きっと来年は、
そのお芝居について記すことができると、思います。

ホイケ③

特別な御高配

2013年12月27日 23:59

「格別の御高配を賜りましたことに深く感謝申し上げます」

これは、12月25日に首相から提示された、
沖縄の基地負担軽減策や振興策を受けて、
沖縄県知事が応えた談話のなかでの表現です。

沖縄の人が、「格別(特別)な御高配を賜る」と言った場合、
それには、歴史的な実話を基にした意味が生じます。

沖縄では、よく知られたことですが、
太平洋戦争末期、沖縄戦で自決した大田實海軍司令官が、
自決する直前に、大本営に宛てて打った電文の最後は、

沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

という言葉で締めくくられていたのでした。

本来、こういった通信は、
大本営に簡潔に戦況だけを伝える主旨で打たれるべきもので、
敵に傍受される危険もあったことから、
電文は厳しく規制がされていた筈ながら、
沖縄県民が、いかによく働き、壮絶に戦ったかを
切々と綴った電文の内容は、異例中の異例だったでありましょう。

そして、大田實司令官は最期に、
「沖縄県民が、後世には特別の御高配を賜れるように」
と言って自決したのでした。

この電文は、
那覇空港の近くの豊見城市の「旧海軍司令部壕跡」に展示されています。

沖縄戦の日本側の死者は、18万8千人以上と謂われています。
沖縄県出身者が12万2千人以上、内9万4千人以上が民間人です。
集団自決で亡くなった人の数も少なくありません。
アメリカ軍も1万2千人以上の兵士が亡くなった激戦でした。

これらの激戦を踏まえ、電文に込めた大田實司令官の想いを、
後世に生きる、全ての日本人は知っているべきでしょう。

その意味で、冒頭に記した知事の表現には、違和感を覚えます。
大田司令官のおっしゃった「沖縄県民に特別な御高配を」とは、
みなさん、どのような内容を指すと思われるでしょうか?

「新春浅草歌舞伎」

2013年12月26日 23:59

新春浅草歌舞伎2014

「来年の事を言えば鬼が笑う」

鬼にとっては、明日のことすら分からず、
今年いっぱい生きられるかも判らぬちっぽけな人間が、
今年を無事に生き抜くことを前提に来年の話をするなど、
笑止千万、片腹痛いというワケでしょうか?

それでも、来年はやってくるのであります。


というワケで、
来年1月2日初日「新春浅草歌舞伎」の御案内です。

さて、
江戸時代、浅草の町は江戸随一の繁華街として栄えたのだそうで、
現在の浅草6丁目、むかし猿若町と言った辺りには、
猿若町三座」と呼ばれた幕府公認の芝居小屋が立ち並び、
大変な賑わいであったのだそうです。

浅草は、明治、大正、昭和とエンターテインメントの中心地として栄えましたが、
第二次世界大戦後、浅草での歌舞伎興行は途絶えてしまいました。

それを、昭和55年に復活させたのが、
吉右衛門さん(当代・中村吉右衛門丈)、玉三郎さん(当代・坂東玉三郎丈)
そして、一年前に亡くなった勘三郎さん(十八代目・中村勘三郎丈)でした。

以来、新春に催される花形歌舞伎は、
すっかり"若手の登竜門"という認識が定着し、大人気を博しています。

むかし、初代・市川猿之助(当代・市川猿之助さんの曾祖父さん)が、
浅草公会堂の楽屋口の前の家に住んでいらしたのだそうで、
一門にとっても、浅草と浅草公会堂には、ご縁があるようです。


ところで、
息子Kが、京都南座の千穐楽を迎えまして終演後に移動。
先ほど帰宅いたしまして、孫娘と久々の対面を果たしました。

南座をご観劇くださいました皆様、ありがとうございました。

さて、
「新春浅草歌舞伎」で、息子Kが演じますのは「鬼」であります。
「新春浅草歌舞伎」第2部『博奕十王』で、地獄の鬼を演じます。
鬼に笑われぬように、立派な鬼を演じられますでしょうか?

ドキュメント「3歳のパティシエ」

2013年12月25日 23:59

ケーキづくり①

きょうは、
クリスマスの恒例になりました、ケーキづくりであります。

まず、土台となります、スポンジケーキを用意します。
ことしは、池袋西武デパートで488円で販売していたものを使います。

ケーキづくり②

次に、
鍋に生クリームを入れ、弱火で温めて、その中でチョコレートを湯煎します。

火をつよくして、焦がさないように気をつけます。

ケーキづくり③

まず、上下二枚のスポンジケーキの下1枚にチョコレートをかけます。
その上に、スライスしたイチゴをたっぷり敷きつめます。

その上にもう1枚のスポンジケーキを置いて、
その上から、またチョコレートをかけます。

ケーキづくり④

ほとんど、クリーム状になっていない、
チョコレート・フォンデュ状態でコーティングされます。

さて、
ここで、少しの間、チョコレートが冷えて固まるまで待ってから
デコレーションしたほうがよいのですが、待っている時間がありません。

お風呂に入って、帰宅する時間が迫っています。

ケーキづくり⑤

まだすこし柔らかいチョコレートの上に、まずサンタさんを置きます。

バァバとジィジのお友だちで、カメラマンの I氏 のおじちゃんが、
大きなイチゴを持ってきてくれたので、それを3個置きました。

その周りに、飾りや粒々を配して、最後に粉砂糖で雪を降らせます。

ケーキづくり⑥

そして、ローソクをたてて、火を灯せば完成!

メリー・クリスマス!

ケーキづくり⑦

さて、星いくついただけますでしょうか?

☆2つ半です!

お皿を移してから撮ればよかったかな?


我が家のサンタクロース

2013年12月24日 23:00

我が家のサンタクロース

先日、孫娘が希望しているクリスマスプレゼントが、
「ペダル」だということを書きましたが、
いろいろと、サンタクロース会議で検討した結果、
ことしは、「ペダル」をプレゼントしないことになりました。

その代わりの物として、
我が家からは、かみさんが買ってきた絵本を贈ることにしました。

サンタクロースってほんとにいるの?」という本です。

サンタクロースについて、
こどもだったら、誰しも当然疑問に思っていることを質問すると、
お父さんとお母さんが応えていくという内容のお話です。

「こどものほしいものがわかるひとだけが、サンタになれるんだよ」

「こどもがしあわせなときは、みんながしあわせなときだもの」

「こどもをよろこばせるのが、なによりのたのしみなのさ」

「サンタクロースは、ほんとうにいるよ。せかいじゅう、いつまでもね」

お父さんと、お母さんの、
ステキな言葉が散りばめられた、絵本です。

わたしは、こういう本を贈る、我が家のサンタクロースがスキです。


サンタクロースってほんとにいるの? (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)サンタクロースってほんとにいるの? (かがくのとも傑作集―わくわくにんげん)
(1982/10/01)
てるおか いつこ

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挨拶状づくり

2013年12月23日 23:59

2012年も2013年も、年賀状をお出ししていません。

大震災を経て、
2011年を年越しする気にならなかったという、
個人的な小さなこだわりがあったからです。

代わりに、
新年に、挨拶状をお出ししました。

「昨年は、大変お世話になり、ありがとうございました。
 謹んで、皆様のご健康とお幸せをお祈りいたします。
 ことしも、宜しくお願いいたします。」

こんな、文面でした。


というワケで、
そろそろ、挨拶状を作らなければならない時期なのですが、
節目を迎える準備ができていないのか、いまひとつその気になりません。

そこで、
朝のコーチングセッションで話題にさせてもらったところ、
“来年のイメージを明確にしていないからだ”と思いあたりました。
無意識に“節目”を避けたいと思っている、とも思いました。
やはり、先へいくことの漠然とした後ろめたさがあるからでしょうか?

そんな想いを、思いあたり、
やっと、周りのみなさんにお出しする挨拶状のイメージがもてました。

そんなワケで、挨拶状を印刷屋に発注してまいりました。

いろいろ書きたいこともあり、
過ぎた一年を振り返ってみれば、万感迫るものもありましたが、
そんな想いを言葉に集約したら、短い言葉になりました。

そんな作業を経ないと、挨拶状ひとつ作れないのですから、
自分でも面倒な性分だと思います。

「森は生きている」

2013年12月22日 23:59

イルミネーションの森

物語は、

わがままで気まぐれな14歳の王女が、
大晦日に「待雪草を採ってきた者には褒美の金貨を与える」
という御布令を出したことから、
褒美の金貨に目がくらんだ継母に命令されて、
みなし児の娘が、夜中に吹雪の中を待雪草を採りに森に行かされるというお話。

娘は、森の中で“十二月の精たち”に出逢います。
“一二月の精たち”は大晦日の晩に集まって、年に一度のお祭りをしていました。
“十二月の精たち”は、困っている娘のために、1時間だけ“春”を呼びました。

娘が待雪草を摘んで家に帰ると、
継母とその娘は、その待雪草を持って女王のところへ行きました。
すると、女王は自分も待雪草を摘みに森へ行きたい言い出したのでした。

さて、森へ行った一行を待っていたのは・・・

森は生きている

森は生きている」を観に行ってきました。

森は生きている」は、ロシアの児童文学者であるマルシャークの戯曲です。

1953年に、ロシア文学者で翻訳家の湯浅芳子さんが翻訳しました。
そして、
1954年、劇団俳優座が初演し、
1959年から現在まで、劇団仲間が54年間上演をつづけているお芝居です。

かみさんや姉が子供の頃に観て、息子たちが子供頃にも観せ、
きょうは孫娘にも観せようと、みきちゃんも誘って観に行ってきました。

わたしにとっても、
学生時代に後輩たちが卒業公演で上演したのを観ていますし、
息子たちと観た想い出もある作品です。

また、友人が美術プランを担当していたり、
衣裳と効果のプランナーもお世話になった方たちですし、
後輩が出演していたりと、ご縁のあるお芝居でもあります。

さてさて、
年齢制限のないお芝居とは云え、上演時間2時間50分を、
わたしの膝の上で、静かによく観ていた孫娘でしたが、
終演後一言、「つかれた・・」

ペダル

2013年12月21日 23:59

くるま

クリスマスも近づいてまいりました。

孫娘が、サンタクロースにお願いしたいと云ったプレゼントは、
「ペダル」なんであります。

「ペダル」・・・
そう!自転車や三輪車を漕ぐための、ペダルです。

孫娘は、既にペダルが付いていない自転車を持っております。
自転車に乗れるようになる基本は、「バランス」だと思って、
最初はペダルが付いていない自転車を、あえて与えました。

ペダルが付いていないために、
自分の足を使って漕ぐのですが、バランスが先に身につくと思ったからです。

最初からペダルの付いた自転車だと、ペダルを漕ぐことが優先して、
バランスをとる訓練が二の次になってしまうので、
あえて、ペダルのない自転車を与えたのでした。

ところが、
保育園に、三輪車が有るのだそうで、
その三輪車に乗って、ペダルを漕ぐ楽しみも知ってしまったようなのでした。

それに、自転車のペダルを漕いでいる人を見かけるたびに、
自分の自転車にもペダルが付いていれば、漕げるのにと思ったらしく、
クリスマスプレゼントの希望が、「ペダル」ということになったようです。

そこで、
①ペダルが付いた小さな自転車を買うか、
②ペダルが付いた小さな自転車に、補助輪を付けて買うか、
③三輪車を買うか、
④それとも、ペダル以外の物を買うか、
サンタクロース会議が行われました。

息子Kとかみさんは、買うなら①の自転車。或いは④の別の物。
みきちゃんは、②の補助輪付き自転車。
わたしは、③の三輪車。

先のペダルナシ自転車のコンセプトから云って、
今更、補助輪や三輪車を買うのはナンセンスだから、
必要が無いというのが息子とかみさんの意見でしょうか。

みきちゃんとわたしの意見は、
そうは云っても、いずれは自転車に乗れるようになるだろうから、
いまは、ペダルを漕ぐ楽しさを与えたらどうだろうか、というものです。

基本的には、息子夫婦が決めるべきことなので、
サンタクロース会議の結論では、
ことしは、ペダルを与えないことになりました。

いまの、ペダルナシ自転車を、もっと上達させるように、
というのが、息子たちの判断です。

そこで、
サンタクロースには、一芝居頼まなければなりません。

「ペダルが欲しいこどもが、いっぱいいたので、
 ペダルが無くなってしまいました。ごめんなさい。
 でも、あなたは、もう少しの間、いまの自転車で
 じょうずに乗れるように、練習をしてください。
 替わりに、これをあたなにあげましょう。」

という、お手紙を頼むつもりです。

うんてんしゅ


「しんせつなともだち」

2013年12月20日 23:59

しんせつなともだち

きょうは、ほいくえんのクリスマス会でした。

ほいくえんには、えんとつがナイので、
サンタクロースさんは、箱のなかから出てきました。

せんせいが、
サンタクロースさんに、
「なぜおヒゲが長いんですか?」
ときいたら、

サンタクロースさんは、
「おヒゲが長いと、あたたかいからだよ」
とこたえました。

わたしたちは、
サンタクロースさんから、プレゼントをもらいました。

バァバとジィジのおうちにかえってから、
プレゼントを開けると、
しんせつなともだち」というご本が入っていました。

しんせつなともだち」は、
ほいくえんにもあるご本で、わたしが大スキなおはなしです。

バァバとジィジにご本を見せたら、
ジィジが、このご本の絵をかいた人を知っていると言いました。

そして、バァバに、
「才能のある人っていうのは、なんでもできたんだねぇ」
と言いました。

すると、バァバは、
「むかしは、お金がある人しか才能を伸ばせなかったんじゃない?」
と言いました。

村山知義

村山知義




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