「明治座十一月花形歌舞伎」

2013年10月31日 23:47

明治座十一月花形歌舞伎

早いもので、10月もきょうで終わります。

きょうは、明日11月1日初日の「明治座十一月花形歌舞伎」
その舞台稽古が行われました。

「明治座十一月花形歌舞伎」夜の部
息子Kは、全ての演目に出演させていただきます。

1.「歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)」   
粂寺弾正 中村 獅 童
秦民部 尾上 松 也
八剣玄蕃 市川 猿 弥
秦秀太郎 市川 春 猿
八剣数馬 市川 弘太郎
錦の前 坂東 新 悟
腰元巻絹 市川 笑三郎
小野春風 市川 笑 也
小野春道 市川 門之助

2.「澤瀉十種の内 連獅子(れんじし)」   
狂言師右近後に親獅子の精 市川 右 近
狂言師左近後に仔獅子の精 市川 弘太郎

3.「権三と助十(ごんざとすけじゅう)」   
権三 中村 獅 童
助十 尾上 松 也
権三女房おかん 市川 笑 也
左官屋勘太郎 市川 猿 弥
小間物屋彦兵衛 市川 寿 猿
助八 市川 弘太郎
小間物屋彦三郎 市川 笑三郎
家主六郎兵衛 市川 右 近
石子伴作 市川 門之助


2001年の元旦、つまり21世紀の初日、
息子Kが、初めて仔獅子という大役をいただいて以来、
何度か踊らせていただいた「連獅子」ですが、
今回は、東京で行われる歌舞伎本興行での出演ですから、
わたしたちにとっては、感慨深いものがあります。

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ニセモノ

2013年10月30日 23:59

またバラエティー番組の問題が発覚したようです。
ホンモノの対決かやらせ対決か、演出と対戦が矛盾したようです。


料理の偽装か、誤表示か!
大阪のホテルに始まって、全国のホテルの料理が話題になっています。
故意か過失かが争点ですが、お客が騙されたことに変りはありません。
我が家で、ゆうべ食べた「和牛」の産地は、オーストラリアでした。


情報番組の生放送中にセクハラをしたのではないかと話題になった
某有名司会者が、家族が窃盗未遂事件を起こして世間を騒がせたとして、
報道番組の司会を辞めました。
その会見の席上、話題になったセクハラ問題について質されると、
「あのお嬢さんは、ホントによくとちるお嬢さんなんです。
 でボクは、とちるたんびに背中をたたいたり肩をたたいたり、
 コラッコラッってやって、だんだんとちらなくなりました。」
そう応えているのを見ました。

ボードの紙をめくりながら、長々と司会者自身の感想を述べるコーナー、
現地からレポートしている人の報告を遮って別の質問をする進行、
酒が抜けていないように見えた表情、
以前から気になっていたことはいろいろありました。
辞めなければ収まらない本当の理由は、
実はこの辺かもしれないとわたしは思います。


日展の、篆刻の選考に問題があったという報道もありました。


政府と与党が検討している「福島復興加速化案」では、
帰還困難区域」について、
事実上「帰還できない」という見通しを示したようです。

なぜ、もっと早く見通しをもてなかったのか、決断できなかったのか、
移住についても、住宅確保についても、生活再建についても、
手厚い賠償と保証が求められますが、無くした故郷とコミュニティーは、
たぶん取り戻せません。


このところの報道に共通していることを言葉にしたら、
「ニセモノ」という言葉が思い浮かびました。

見得を切る

2013年10月29日 22:26

30歳の息子が、窃盗未遂という事件を起こしたことで、
父親に、その責任があるのかという議論がされています。

父親、或いは母親の責任はあるのか?
その答えは、人によって、国によって、文化によって異なるでしょうが、
法律的な責任は兎も角、親としてその責めは避けられないと、わたしは思います。

それにしても、
その父親には、ご同情申し上げます。

所詮、子育てなんぞというものは、思い通りにはいかぬものです。
思い通りにしようとするから、思い通りにはならぬのでしょう。
自戒をこめて、そう思います。


ところで、世間が騒いだ、その父親は、
仕事の一部であった情報番組のキャスターを辞めました。
忸怩たる思いがあったからだからだそうです。

しかし、同時に、

「私はやはり、
 喋るという世界をこれからも命がけで追求していきたいと思っております。
 一体自分はどこまで立ち直れるのか、どこまで強い男になれるのか。
 挑戦もしてみたいと思います。」

そう会見で発言しました。

ご本人は、“見得”を切ったおつもりでしょうが、
わたしには、“見栄”を張ったようにしか“見え”ませんでした。

見得を切る」ことと、「見栄を張る」ことは、本質的に違います。

何故そう思ったのかと云えば、たぶん、
被害に遭った方への、言及がなかったからです。

「旅人よ」

2013年10月28日 22:31

風にふるえる 緑の草原

たどる瞳かがやく 若き旅人よ

おききはるかな 空に鐘がなる

遠いふるさとにいる 母の歌に似て

やがて冬が冷たい 雪を運ぶだろう

君の若い足あと 胸に燃える恋もうずめて

草は枯れても いのち果てるまで

君よ夢を心に 若き旅人よ



著作権に抵触するかもしれませんが、お許しください。
これは、「旅人よ」という曲の歌詞です。

作詞・岩谷時子、作曲・弾厚作、演奏・加山雄三とザ・ランチャーズ
1966年(昭和41年)発売の曲です。

わたしは、小学4年生でしたが、
夏休みが終わった頃から喘息の発作が出て学校に行かず、
朝と昼に、テレビで「おはなはん」を観て過ごしておりました。

秋のことで、台風や低気圧が近づくと発作に見舞われて、
かなり息苦しい思いもいたしましたが、発作が出なければ
至って元気な小学生なのでありました。

しかし、
昼間に農園で重労働をして、また夜鍋をしていた両親にとって、
唯一身体を休める時間帯に発作を起こす子どもがいることは、
一家の死活問題にも直結する一大事だったのかもしれません。

わたしは、小学校の先生の紹介で、
喘息の子どもたちが収容されている施設に行くことになりました。

母と、母方の祖父が施設まで送ってくれました。
黄色や赤い落葉が絨毯のように落ちて積もった道を歩いて門を入りましたから、
晩秋だったと思います。

毎日、夜になると布団を被って泣きながら眠りました。

旅人よ」は、その時流行っていた曲です。

なぜ、わたしの耳に残ったのか判らないのですが、たぶん、
起床や消灯を知らせる音楽として、レコードを掛けていたのでしょう。
この曲を聴くと、あの当時の、あの季節の冷たい風を想い出します。

しかし、それはなぜか・・・、
わたしには、応援歌のように聴こえていたのでした。


岩谷時子さんのご冥福をお祈りします。

立ち会い

2013年10月27日 22:12

スクーター

孫娘の両親は、慌ただしさがつづいています。

主催者は、
すべての残務整理とお礼が終わってこそ、本当の打ち上げです。

公演一週間前から我が家に泊まって保育園に通った孫娘ですが、
きょうも、わたしと二人でお留守番をしました。

そこで、近所の公園をハシゴで散歩しました。

近頃、孫娘の散歩は、もっぱらスクーターです。
自転車よりスクーターがお気に入りです。
キックスクーターのことですが、キックボードともいいます。

できることが、どんどん増えます。

孫娘はスクーターに乗っているので、
ジィジの足が追いつかないことがあります。

きょうは、初めてブランコに立ち乗りしました。
流石に揺らせると怖がりますが、これでも得意顔です。

ブランコ

仕事で忙しい息子夫婦にはわるいのですが、
ジィジは、こんな貴重な瞬間にたくさん立ち会っています。

残務整理

2013年10月26日 23:59

伊豆大島に、台風27号による2次災害などを警戒して出されていた、
避難指示が、安全が確保されたとして解除されたようです。
これに先立って、島全域に出されていた避難勧告も解除。
台風26号による被害を受けた安否不明者の捜索が再開されます。

こうして、懸念された台風27号の被害や影響も少なくてすみましたが、
被災地に暮らす人たちの不安や困難が減ったワケではないでしょう。


さて、
昨日の「かぶくものたち×池袋」公演から一夜明けて、
きょうから残務整理が始まりました。

息子Kは、
まず師匠のところに、お礼を申し上げ報告をするために出掛け、
みきちゃんは、稽古場いっぱいに置かれた、お祝に贈っていただいた品物やお花、
衣裳類、化粧道具、小道具、受付にあったものなどの整理を始めましたが、
足の踏み場がないとは、このことです。

準備も大変ですが、残務整理もまた大変です。
当日本番で起こったこと、また舞台のことなど思い出しながら、
淡々と片づけてゆく作業です。

わたしのところにも、
続々と、観てくれた友人・知人からメールが届きました。
いつもより長く丁寧な文章で、感想を送ってくれました。
有り難いことです。

こうして、慌ただしく我が家の一日が過ぎました。

そして、この公演を見守るだけのために帰ってきた、
我が家の台風息子も、台風一過、アメリカに戻ってゆきました。

「かぶくものたち×池袋」

2013年10月25日 23:59

「かぶくものたち×池袋」

きょうは、
息子Kが主催した「かぶくものたち×池袋」という催しが行われました。

心配した台風27号の影響は、まだそれほどでもありませんでした。
九州や広島から空路観にきてくださった方たちも無事到着されました。

豊島区の皆さまから応援していただいて、
息子Kが初めて主催した自主公演でした。

舞台の上に立つことには慣れている息子ですが、
舞台の企画を立て、制作することは、まったく素人の息子Kです。

知っているようで、知らないことだらけ。
どういう順番で、なにをやったらよいか、どう段取りしたらよいか、
要点を整理するだけでも一苦労だっただろうと思います。

幸い、
おもだか事務所のTさん、制作助手のWさん、舞台監督のSさん等に援けられ、
舞踊家の姉が細かくアドバイスしてくれましたし、なにより、
みきちゃんが大いに動いてくれました。

豊島公会堂

お陰さまで、雨の中、客席もほぼ満席になりましたし、
わたしが見る限り、お客様に楽しんでいただけたようでございます。

息子Kが、自身と重ね合わせて望んでいたように、
この公演を通じて、歌舞伎の面白さを味わっていただけたとしたら幸いです。
そしてまた、この公演を観てくださったお子さんの中から、
将来の歌舞伎役者が生まれたとしたら、これ以上の喜びはありません。

自主公演というからには、息子Kが自主的に動くよう、
わたしは、あえて手も口も出さないでおりましたが、
息子も、たぶん貴重な経験をし、リソースとなったことだろうと思います。

観てくださったすべての皆さま、
応援してくださったすべての皆さま、
企画・公演に携わってくださったすべての皆さまに、
わたしからも、お礼を申し上げます。

ありがとうございました。

かぶくものたち×池袋


「黒木太郎の愛と冒険」

2013年10月24日 06:14

黒木太郎の愛と冒険

きょうの未明、
眠れないときのクセで、日本映画専門チャンネルを点けましたら、
ちょうど、映画が始まるところでした。

黒木太郎の愛と冒険」という映画で、
ATGの映画らしいのですが、わたしの記憶にはない映画でした。

それでも、ボーッとしながらオープニングクレジットを観ていましたら、
主演が田中邦衛さんらしいので少々興味をもちましたが、
財津一郎倍賞美津子伴淳三郎清川虹子沖山秀子小沢昭一三國連太郎
緑魔子杉本美樹岡本喜八火野正平殿山泰司井川比佐志・・
といった錚々たるキャストに断然興味を沸かせたところで、更に驚いたのは、
なんと、キャストに先日亡くなった従姉の名前が載っていたことでした。

森崎東監督作品で、1977年に公開された映画ですから、
彼女が24歳の年だったはずです。

さて、
黒木太郎の愛と冒険」という映画ですが、
そのタイトルから、松竹の喜劇映画のようなものを想像していました。
なるほど、観ようによっては“喜劇”には違いありません。

しかし、
この映画にこめられた、戦争への憎悪と絶望的な憤怒のメッセージは、
眠れないからではなく、わたしを覚醒させました。

この、ふざけたような、またお気楽にも思えるタイトルこそ、
当時の世相に対する作者の挑発だったのかも、しれません。

そして、調べていて判ったのですが、
森崎東監督の実の兄上は、終戦直後に割腹自殺されたのだそうです。
その兄上が遺された『遺書』という本が、映画のなかに登場します。
その『遺書』という本を出版したのが、亡くなった従姉の父、
つまり伯父が経営していた出版社だったのです。


遺書 (1971年)遺書 (1971年)
(1971)
森崎 湊

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遠足

2013年10月23日 17:02

遠足

きょうは、遠足でした。

きょうは、いつもより早く保育園に集合しました。

ぬれたおしぼりと、水筒と、着替えと、雨合羽と、
お弁当を包むためのハンカチを用意しました。

おともだちみんなで、都電荒川線にのって、飛鳥山公園にいきました。

保育園から駅までは、みんなで歩きました。

ふたりずつ手をつないで、歩きました。

駅についてから、
わたしたちを乗せてくれる電車が来るのを待ちました。

電車が着いたので、順番に電車に乗ろうとしたときに、
ジィジを見つけました。

おともだちもみんな、ジィジを見つけました。

口々に、「あっ、○○ちゃんのおじいちゃんだぁ!」
そう云って、騒ぎはじめました。

ジィジは、わたしたちに見つからないように
そーっと隠れて見送るつもりだったようですが・・、ヘタです。

「恋文」

2013年10月22日 23:59

連城三紀彦氏が、亡くなられましたね。
哀悼の意を捧げたいと、思います。


氏の短編集の中に「恋文」という小説があります。

若い頃、読んだ記憶がありますが、たぶん20代だったと、思います。
そう思うのは、小説のなかに登場する“むかし別れた女性”という設定を、
或る人を想定して読んだ印象が残っているからです。

「恋文」の大まかな内容は、確かこうでした。
但し、所謂ネタバレですから、まだ「恋文」をお読みでない方は、
この先、ご自身でご判断ください。


結婚して小学生の子どもがいる女性が主人公です。
ある日突然、夫が手紙を残して家出をしてしまいます。

夫には、結婚前につき合って別れた女性がいました。
その女性は独身ですが、余命僅かだというのです。
それを知って、女性は夫に手紙を書いたのでした。
その手紙に、夫も応えました。そして家を出たのでした。

そして、主人公は夫と再会します。
しかし、夫は主人公に、妹ということにして女性と会ってほしいと頼みます。
身勝手な頼みに怒りながら、主人公は女性に会いに行きます。
女性に会うと、主人公は癒されている自分を感じます。

しかし、
夫は、女性と入籍したいと言い出します。

主人公は、女性が手術する前に離婚届に判を押し、
結婚指輪と共に夫に渡します。
病室で結婚式が行なわれます。そして手術が行われます。
しかし、病状が急変し女性は亡くなります。

女性は死の直前、
夫に指輪を“元の妻”に返すように云い遺していました。

女性は、別れた男性が結婚していたのを知っていたのでした。
主人公も、そのことに気づいていました。
お互いに、そのことを感じていたのでした。

主人公は、夫に家に帰ってくるように言います。
しかし、夫が帰ってこないであろうことも、よく解っていたのでした。


わたしは、読んだときに自分と重ね合わせていました。
でも、小説のようなことが起きるハズはないとも、思っていました。

しかし、いまでは、
仮に小説のようなことが起こったとしても、
小説のような展開は、ありえないだろうと思っています。


恋文 (新潮文庫)恋文 (新潮文庫)
(1987/08)
連城 三紀彦

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富岡町

2013年10月21日 23:59

昨夜、福島県の川内村から帰ってきました。

帰ってはきましたが、
帰る途中のことを、少しだけ書こうと思います。


わたしたちが乗った8名乗りのワゴン車は、
メーカーの最新タイプの車でした。

運転を途中で交代する約束で、わたしは助手席に座りました。

川内村の「いわなの郷」で行われた「かわうち復興祭」も、
朝から雨に降られていましたが、
わたしたちの帰途、雨が大粒に変わりました。

慣れないつづら折りの山道がつづきます。
震災で壊れ修理した跡が多数ありますし、いまだに修理がつづいています。
雨脚が強くなって、ワイパーをフルに動かしても追いつきません。
土地勘のないわたしたちが、頼りにするのは車に搭載されたナビだけでした。

やっと山道が終わり、高速道路の標識が見えたときにはホッとしました。
ところが、その常磐自動車道のインターは「常磐富岡」だったのです。
常磐富岡のインターチェンジは、閉鎖されています。

運転していた隊員が、川内村を出発するときに、
ナビに東京の本部の住所を設定したのですが、
インターチェンジが閉鎖されていることが反映しなかったのでしょう。


常磐富岡インターは、
福島第一原発から4~5キロの位置に在り、富岡町のインターです。

富岡町は原発から20キロ圏内に在り、警戒区域・避難指示区域でしたが、
現在は、
帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に分けられています。

富岡町は、本来早期に帰還できるはずの「避難指示解除準備区域」も含めて、
住民が分断されないようにとの町の判断で、まだ帰還が始まっていません。


わたしたちは、一般道で次の「広野インター」を目指すことにしました。
ナビに「広野インターチェンジ」を設定して、それに従うしかありません。

土砂降りの雨で、前が霞んでいます。
白く霞んだ闇のなかを走っている感じです。

それでもナビに従って走っていると、
目の前の道路に通行止めの柵が現われました。

立ち入りが禁止されている地域と、
禁止されていない地域が混在している感じです。
どちらにしても、ナビには反映されていません。

車も走っていません。人っ子ひとりいません。
電気を点けている家は一軒もありません。
街路の自動販売機にも灯りがありません。
それでも、信号だけは点いていました。

真新しい住宅やマンションも在ります。車も駐車しています。
町は、一見どこにでも存在しているような町に見えました。
ただ、誰もいないのでした。

行けども曲がれども、通行止めの標識が現われました。
完全に迷ってしまいました。
見るとガソリンが、ほとんどありませんでした。
同行している別動隊の車に連絡しようと電話しましたが、
携帯電話も繋がりませんでした。

「この町で車が止まってしまったら、遭難してしまうだろう」と、
半分冗談で話しましたが、正直それはリアルなものでした。

結局、約1時間迷って広野インターに辿り着き、
ガソリンもサービスエリアまでもってくれましたが、
あの町を彷徨した不思議な印象だけは、記憶に残りました。

川内村復興祭

2013年10月20日 23:59

福島原発行動隊ブース

福島原発行動隊の活動として、
福島県川内村で行われた第二回「かわうち復興祭」に参加しました。

きょうの行動隊は、
福島原発行動隊の活動の周知活動と、モニタリング調査依頼の受付、
村人の似顔絵を描いて差し上げたり、記念写真を撮って贈る活動。

大勢の職員やSPやマスコミを引き連れて、環境大臣が来ました。

阿部知子議員は、個人的に応援に来てくれました。

さて、
きょうのブログは、写真で綴ろうかと思いますが、
たぶん、写真だけでは、
そしてわたしの拙い文章では伝わらないことがあるように思います。

川内村は、広大な村です。
川内村から海は、見えません。
福島第一原発が在る大熊町と接してはいますが、原発は見えません。
福島といっても、山の中なのです。

車で川内村を走ると、日本の何処にでもあるような、
農村の風景が広がっています。

営林、農産物、温泉、広大な自然、かえるの詩人・草野心平・・・
村人が営々と築いてきた、誇り高い郷土が川内村にはあります。

しかし、

そこに人が住み難い状況があります。

村に帰りたくても、帰れない事情もあります。

それでも、

なんとか、村人が帰ってこられるようにしたい。
そんな川内村の村人と、村長の思いから始まった復興祭です。

太めのリリィ
似顔絵を描く「太めのリリィ」

復興祭
アンパンマン、グッチ裕三、ミュージカルグループ、ヒップホップ・等

環境大臣
環境大臣訪問

表敬訪問
阿部知子議員が応援のため来訪

川内村村長
遠藤村長と

かえる
笑顔でかえる

こどもたち
笑顔でかえる川内村

とん汁
無料で振舞われたとん汁

復興祭ブース



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