2013年08月31日 23:59

此処は、むかし玉の井、いま東向島。
密集した住宅街のなかの細い路地は、時代のラビリンス。
永井荷風先生が、
向こうから傘をステッキ代わりに歩いてくるような気がします。
永井荷風は、
1879年、明治の始めに東京で生まれ、それなりの家庭で育ち、
それなりの教育も受け、留学もして、それなりのところに就職をし、
その後、大学の先生にもなりました。
それなのに、銀座、浅草、吉原、深川、玉の井を遊び回って、
その歓楽街を舞台にした小説を書きはじめました。
ときは自然主義文学の時代、
生活のなかで起こる出来事を観察し、ありのままに書こうとする文学ですが、
それは本来、出来事を美化することを否定していたはずなのですが、
結局は、市井の人々の暮らしの中にある美しさや健気さを描くことになります。
自然主義文学もやがて、
ありのままを描くと云って、ろくに仕事もしない、金もない、甲斐性もない、
酒と博打と女の飲む打つ買うの自堕落な暮らしぶりが、描かれるようになります。
永井荷風先生の場合、此処玉の井を舞台にした、
小説家・大江匡と娼婦・お雪の耽美的な物語「濹東綺譚」が有名です。
いまでも、
お雪のような女性を探しに此処を訪れる男性が、多いのかもしれませんねぇ。

さて、商店街を抜けたところに在る小さな灯りを見つけて、
扉を開けて中へ入ると、そこはライヴ・ハウス。
店の名まえは「プチローズ」
わたしのともだち、ローズのシャンソンを聴きに来ました。
カウンターに、荷風先生が腰かけているかと思いましたが、
先生は、雑司が谷のお墓で眠っていらっしゃいます。

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