契約

2013年07月31日 18:33

何十年も前のことです。

わたしは、或る演劇の舞台の公演に、演出部の一員として誘われました。
しかし、結局は現場で演出助手を担うことになったのでした。

その公演には、当時でも有名な女優が出演するはずでした。
映像が活動の中心で、舞台の仕事が想像できない女優でしたが、
主人公の娘役で、配役されておりました。

或る既成の団体と、或るプロデューサーが組んだプロデュース公演でしたが、
プロデューサーも舞台畑ではなく、映画畑の人でした。
女優は、そのプロデューサーの人選で演出家との合意で配役されたハズでした。

しかし、
稽古が進むにつれて、稽古場が異様な雰囲気に変わってゆきました。
明らかに、
気心の知れた既成の団体の俳優たちと女優との溝が目立ってきました。

たぶん、既成の団体の俳優たちとは、基礎訓練も、稽古場での振舞い方も、
芝居に対する姿勢も違っていたのでしょう。

そして、そんな雰囲気を調整しなくてはならないプロデューサーの姿が、
稽古場には、ありませんでした。

次第に、稽古がこう着状態になって、
仕舞には、俳優たちの中から不満の声が噴出するようになりました。

演出家は戸惑い、演出助手は俳優の不満の聴き手になっていました。

そして、
ついに、プロデューサーと演出家から女優の降板が発表されましたが、
代役の女優が用意されていたワケではありませんでした。

何日か正確に憶えていませんが、本番初日直前のことだったと思います。

そこでわたしが、
わたしの後輩で、或る劇団に入団したばかりの女優に白羽の矢を立てて、
彼女と交渉して出演を受諾させることができました。
最近、女優の急病による代役で話題になった、某・女優と同じような状況です。

それでも、後輩は無事にその役を演じ切って初日の幕を下ろしたのでした。


有名なタレントや俳優の人気に肖ってチケットの販売を伸ばそうとしたり、
話題づくりをしようとする企画は、数多くあります。
また、それがワルイわけでもありません。

しかし、口約束だけで契約書も交わさない企画がほとんどと云ってよいでしょう。
日本人は、「契約」を他人行儀で信用していない手続きだと思う傾向があるのです。

ですから、わたしが経験した女優降板の正否も不明なままです。

ただ、プロデューサーが責任とリスクを担ったことは当然でしたが、
降板させられた女優の側にも、たぶん云い分はあるハズでした。
女優を降板させろと主張した俳優たちの気持ちも解りますが、
少なくとも、俳優たちにそういった権限がないことも明らかだったのです。


この数日話題のニュースに接し、
日本では、いまだに同じような安易な舞台創りをやっている人がいるのだと、
暗たんたる気持ちになりました。

「契約不履行だ」「損害賠償だ」「著作権侵害だ」・・・
どの人にも、言い分はあるでしょうが、正式な「契約」を結んでいないのに、
言ったの言わないの、信頼していたの信用できないのは、お話になりません。


演劇界には、むかしこんなエピソードもありました。
劇作家を信じていたにもかかわらず、台本が出来あがらずに上演中止になった挙句、
それによって、すべての財産を無くしてしまったプロデューサーを、私は知っています。
その方は、演劇界を去ることになったときにも、亡くなるときにも、誰に対しても、
一切の愚痴を云わなかったのだそうです。

皆さん、やっぱり契約書は交わしましょうよ。
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再生の物語

2013年07月30日 17:30

新・水滸伝
映像「新・水滸伝」

もう、7月が終わります。

ことしの7月は、早かった梅雨明けと連日の猛暑日から一転して、
ゲリラ豪雨や記録的な降水量によって起こった災害など、異例つづきでした。

そんな天候の中、北は札幌市から、西は岐阜市まで巡演していた、
今年度の 公益社団法人全国公立文化施設協会主催公演
市川亀治郎改め 四代目 市川猿之助襲名披露「松竹大歌舞伎」
各地24か所、44ステージの東コース巡業が、昨日終わりました。

なかでも、
福島県の南相馬市須賀川市の皆さまに歌舞伎を観ていただいたことは、
演者たちにとっても、貴重な体験になったようでした。


さて、
澤瀉屋一門は、休む間もなく、きょうから次の稽古を始めています。
大阪・新歌舞伎座の8月公演「新・水滸伝」の稽古です。

この「新・水滸伝」は2008年に、
ことしの5月をもって閉館した東京のル・テアトル銀座で初演の幕を開けましたが、
病に倒れて以来5年振りに三代目市川猿之助丈が企画・演出した新作として
話題になりました。

また、その舞台が好評を博し、名古屋の中日劇場での再演に向けて
準備打ち合わせの最中に、2011年の大震災が起こったのでした。

三代目猿之助丈(現・猿翁)が掲げたこの作品のテーマは
「蘇る、情熱!」、これは「再生」の物語です。

大阪・新歌舞伎座8月5日初日!
8日、19日の昼の部終演後に、
主演の市川右近さんと、息子Kがトークショーに登場します。

映像「新・水滸伝」

「特別警報」運用開始

2013年07月29日 17:10

また、大災害が起こってしまいました。

山口県や島根県の一部地域に、
昨日の28日未明から降り始めた雨は、記録的大豪雨だったようです。

山口県萩市で観測された、
1時間あたりの降水量138.5ミリは、地域の観測史上2番目の値だそうですし、
島根県津和野で観測された、降り始めからの24時間降水量360.5ミリという値は、
観測史上1番目なのだそうです。
それも、実際はわずか半日ほどの間に降ったのだそうですから、
いかに、もの凄い豪雨だったのか、僅かながら想像できます。

そして、気象庁では、
昨年から、それぞれの地域で「数十年に一度」レベルの大雨の場合には、
「これまでに経験したことのないような大雨」と表現することにして、
最大級の警戒を呼びかけることにしているのだそうです。

今回も、気象庁の会見で、
「ただちに命を守るための行動をとってください」と表現されたのには、
驚きました。

気象庁は、ことし8月30日から「特別警報」の運用を開始するのだそうです。
これまでも、大雨、地震、津波、高潮などにより重大な災害の起こるおそれがある時に、
「警報」を発表して警戒を呼びかけていましたが、これに加えて、
今後は、この警報の発表基準をはるかに超える豪雨や大津波等が予想され、
重大な災害の危険性が著しく高まっている場合、あらたに「特別警報」を発表し、
最大限の警戒を呼び掛けるのだそうです。

しかし、
「ただちに命を守るための行動をとれ」と云われても、
どうすることが命を守る行動なのか、
また、守るべき命は、自分だけとは限りませんから、
「いつ」「何処で」「どんな状況で」「どんな災害」に遭うかを、
ケースバイケースでシュミレーションしなければならないでしょう。

特別警報」が発令されたら、要するにサバイバルが始まるワケです。


早速ですが、
今後、北陸地方と東海地方で、明日の朝までの間に予想される降水量は、
多いところで、150ミリだそうです。

三歳の反乱

2013年07月28日 23:59

道理とは、
物事の正しい筋道。人として行うべき正しい道筋。理(ことわり)の道。

辞書には、そのようなことが記されております。

いずれも、
人として当たり前に行うべき道筋のことだと理解できます。

まいど、孫娘の話題で恐縮ですが、
この、「当たり前に行うべき道筋」
これを、どうやって三歳の子に伝えるか、なかなか難しいのであります。


「ママ、キライ!」

「バァバ、ダメ!」

「ジィジ、こないで!」

唐突に怒りだすことが、増えてきました。
突然に機嫌がワルくなるときが現われ始めました。
できることを、ワザとやらなくなったり、粗相をしたり・・・。

「反抗期だから」と云ってしまえば、悩ましい思考を停止できますが、
反抗したり、怒ったりするのには、それなりの理由があるハズです。

体調がワルイのか、
なにかに怯えているのか、
誰かに傷つけられたのか、
なんらかのストレスなのか、
自分に注目してほしいのか、
自己主張の一種なのか・・・。

どちらにしても、
怒ったり反抗することで、なにかを手に入れようとしているように思います。

そのなにかは、
赤ちゃんに帰りたい願望か、
甘えてもよいという保証か、
愛情の実感か、とり戻したい自信なのか・・・。

いずれにしても、自我が形成されてゆく過程なのでしょうが、
若い母親や父親にとっては、戸惑うことがつづきます。

なにが正しいことかを説くのは、ムズカシイのですが、
なにが間違っているか自覚させるのは、意外にカンタンです。
正確には、自覚させるのではなく、既に自覚しているからです。


おとなでも、そうでしょう?
なにが正しいことか、分からなくても、
あきらかに間違っていることは、判りますよね?


キャッチ・アンド・リリース

2013年07月27日 23:59

ワンワンは、犬。

ニャンニャンは、猫。

モーモーは、牛。

ジィジは、お祖父さん。
最近やっと、そのことが解ってきたところであります。


きょうも、二人でお留守番をしていました。

パズルをやったり、お店やさんゴッコをしたり、DVDを観たり。
まだ熱があるので、激しい遊びができません。

夕方になって、
テレビをつけて、チャンネルを回したのですが、
孫娘が気に入るような番組がありませんでした。

「コレはどう?・・・」
「こっちにする?・・・」

どれもイマイチの様子であります。


夕方ですから、ニュース番組が多かったのですが、
そのなかのある局が、海釣りの番組をやっていました。
夏の相模湾で、シイラを釣るという番組でした。

シイラは、深海魚のような顔をしていますが、
水面ちかくに生息する、肉食の巨大魚です。

3人の釣り人は、イワシのようなルアーを使って挑戦しています。
次々に、メーターオーバーするような巨大なシイラを釣り上げてゆきます。

シイラは、食用の魚です。
あまり美味い魚とは云えないと思うのですが、
ハワイではマヒマヒと呼ばれ、ムニエルやフライにして食します。

大きな魚ですから、一匹獲ればかなりの人が食べられます。

しかし、
シイラ釣りは、生業のためではなくゲーム感覚のようで、
釣ったシイラは、撮影が終わったらリリースされました。

生態系を護ると云えば、聞こえがいいのですが、
人間が行っているゲームとしての魚釣りについて、
孫娘に、巧く説明することができませんでした。

創作舞踊劇場

2013年07月26日 23:59

おどり①

童謡の歌詞と絵が書かれた「かるた」を並べます。

童謡のCDをかけると、曲順がランダム再生されます。

そのかるたを見つけては、歌います。

この童謡かるたは、みきちゃんのお母さんが贈ってくれました。

おどり③

2歳のころからマイクを持って、

曲がかかると、かるたを見つけては、小さな椅子の上に立って歌っておりました。

「あ」・・「あんまり いそいで こっつんこ ありさんとありさんがこっつんこ」
「か」・・「かえるのうたが きこえてくるよ クワクワクワクワ ケケケケ・・」
「さ」・・「さいた さいた チューリップのはなが ならんだ ならんだ」

こんな感じです。

字は読めなくても、絵柄で曲を憶えているのでしょう。

おどり②

ところが最近は、曲がかかると、

曲と歌詞に合わせて、踊りだしました。

「つきのさばく」なんか、見せたいものです。

共感力

2013年07月25日 23:59

NHK、クローズアップ現代「人を動かす“共感力”」

いま、地域社会やビジネスの現場で、住民や消費者に対して、
“共感”を創り出して人を動かそうという試みが広がっているのだそうです。

警察の、
威圧的ではない、群衆の心に寄り添った“共感”を伴なう警備が話題になりました。

食肉加工の企業では、
SNSに自社の架空係長を登場させることで親しみと“共感”を演出しています。

ある食器洗い機のメーカーは、
夫婦ともに、家事のなかで最も嫌われる食器洗いという作業についてアンケートし、
消費者のニーズを掘り起こし「夫婦間の問題解決策としての食洗機」という提案に
“共感”してもらうことを戦略にしているのだそうです。

地震や大津波に備える自治体では、
住民が“共感”し合いながら、防災計画の合意形成をするために、
ファシリテーターを活かす仕組みを編み出しました。


群衆心理を誘導するスキルとしても、
マーケティングの戦略としても、
コミュニケーションのマインドとしても、
“共感”を導くことが重要視されているという番組の内容でした。

意見や立場が対立する問題が山積する現代、
他者との違いを浮き彫りにするのではなく、
他者と“共感”できる部分を大事にすることで、
問題を解決してゆこうとする“共感力”の活用には、共感しました。

しかし、
夫婦間の問題を解決するために食器洗い機を導入すればよいのでしたら、
我が家には、既に食器洗い機が備えてあるのですが・・・。


子どもの幸せ

2013年07月24日 23:23

おんぶ

さるE 国の女王陛下のお孫さんご夫妻に、王子が誕生されたとのこと。
なにはともあれ、世界中から注目されるなか、E 国民を挙げて待望のお子さまが、
ご無事にお産まれになったことは、おめでたいことだと思います。

こうして世界から注目を集め、
ご家族の愛に育まれながら、豊かな家庭にお生まれになった王子には、
個人的にも、E 国の国民のためにも、お幸せであっていただきたいと思います。

そして、そのことと同時に、
一方この地球上には、そんな幸福とはほど遠い現実のなかで産まれ、
生きている多くの子どもたちがいることも忘れてはならないでしょう。

日本では、蛇口を回せは当然のように出てくる清潔な水すら無いなかで生きている子どもたち。
日本では、大量に食べ残している御飯が食べられなくて栄養が足りない子どもたち。
日本では、無料で診察してもらって、無料でいただける薬が手に入らない国の子どもたち。
日本では、待機していても保育園に入れないことが問題でも、小さいときから働いている貧しい国の子どもたち。
日本では、虐待されていれば、それでも保護されることがあるのに、虐待という概念さえない国の子どもたち。
日本では、お母さんとお父さん、二人のお祖父さん・お祖母さん、というシックスポケットのお金で育てられることもあるのに、子どもをお金のために売ってしまう親がいる国の子どもたち。
日本では、選挙の日に子どもと遊びに行って投票しない親がいるのに、おとなと一緒に戦争をしている子どもたち。
エトセトラ・・・。


さて、
きょう、うちの孫娘は熱があるというので保育園をお休みしました。
早朝連絡があって、わたしが一日孫娘といっしょにいることにしました。

熱があるといっても、37℃台で大したことはありませんが、
熱があると、保育園に預けることができません。
しかし、お昼を食べたあとで孫娘の熱を測りましたら平熱に戻っていました。

きょうの新聞に、
東京都のまとめで、保育所に入所できない待機児童の数が、
昨年比860人増の8,117人で、3年振りに増加に転じたことが載っています。

かのE 国に生まれた王子と比べることはないまでも、
申しわけないほど、うちの孫娘は幸せだなぁと思ったことでした。

幸せな孫娘は、盛んに人形の世話を焼いております。
お世話焼きなんであります。

人形の名前は、三浦ステファニーといいます。
「ステちゃんのおネツは36テン9ド」だったのだそうです。
ステファニーも平熱です。

お熱を測ります



狂気

2013年07月23日 21:41

1931年(昭和6年)の満州事変勃発から、
1945年(昭和20年)にポツダム宣言を受諾して
太平洋戦争が終結するまでの約15年間にわたる状態を
十五年戦争」と呼びます。

その十五年間の最期の悲惨さは、今更表現するまでもありません。

外地のジャングルで、山中で、海上で、離島で、そして内地各地でも、
阿鼻叫喚の地獄が現出したのです。

そんな日本人は、悔しがりながらもポツダム宣言を受け容れ、
終戦を認めたのでした。
そして、戦争が終わったことに安堵しました。
明るい電気の灯りを喜んだのだそうです。

もう二度と、戦争は嫌だと思いました。
つくづく戦争は懲り懲りだと思ったのでした。

だから、サンフランシスコ条約を締結したのでした。
不本意な側面もあったでしょうが、
日本の過去を払拭したいという本意もあったでしょう。
それくらい、日本は戦争に参っていたのだろうと思います。

そんな、当時の日本人の実感と、日本国憲法は合致したのでしょう。
「戦争と軍隊の放棄」は、日本という国の国是になったのでした。

人間は、少なくとも個人としての人間は、
そこまで悲惨な目に遭わなければ、後悔しないものなのでしょうか?

それと、同じようなことが、2年前に起きました。
被災地の現状はどうですか?
福島の現状は、どうなっていますか?
原発は、もう懲り懲りではありませんか?

ここまでの被害、混乱、不安、絶望をもってしても、
原発エネルギーに依存し、安全を楽観視する人がいるのだとしたら、
昭和20年の8月15日のあとで「まだ日本は勝てるのだ」と云った人たちと
同じではないでしょうか?わたしは、そう思います。

「それは、現実的ではない」かもしれません。
それでも、わたし個人は、懲り懲りなのです。

そして、それはどちらが狂気なのでしょうか?

隔靴掻痒

2013年07月22日 23:59

福島第1原発:東電、汚染水の海洋流出認める…5月以降

東京電力福島第1原発海側の観測井戸で高濃度の放射性物質が検出されている問題で、東電は22日、井戸の地下水位と海の潮位データとの関係を分析した結果「放射性汚染水を含む地下水が海へ流出している」との見解を発表した。2011年4月には2号機取水口付近などで高濃度汚染水が漏れる事故があったが、一連の収束作業で海洋流出を認めたのは初めて。東電は流出が始まったと確認できるのは「少なくとも、井戸の詳細な分析を始めた今年5月以降」と説明。流出量は「不明」としている。
毎日新聞 2013年07月22日 21時49分


やっぱりなぁ・・・
そんな怒りと悲しみを、ご感想にもった方も多いと思います。

太平洋で魚を獲る漁師さんをはじめとした漁業関係者はモチロンのこと、
太平洋沿岸で暮らす人々全体に関わりがあることです。

これまでに、何が起きていたかが判ったということは、
これから先、何が起きるかも判るということです。

もはや、風評被害云々などと云っている状況ではなくなるのではないでしょうか?


喩えれば、
大事故を起こした車の運転手が必死にパンクを直しているような、
隔靴掻痒の東京電力福島第一原子力発電所の状況でしょう。

彼らだけに任せて傍観しながら、
今回のような結果にガッカリしていてよいのでしょうか?

政府も民間も国を挙げて、海外にも応援を要請して国家間レベルで
事にあたるべきではないでしょうか?

わたしも待っているのですが、
しかし、いまだに「福島原発行動隊」への出動要請は、ありません。


一枚の紙切れ

2013年07月21日 21:35

自分と社会や国が、つながっているという実感がない。

もしかしたら、そういう時代なのかもしれませんねぇ。

きょうも投票率が低くなってしまうのではないかと、悲観的な憶測をする向きも
多いようでありますが、それは、政治や選挙や社会に対する無関心の所為だろうと、
分析されているようです。

どうせ自分が一票を投じたって世の中は変わるワケじゃないから、とか、
どこのダレに入れたって、みんな同じようなものだろう、とか、
自分にはあんまり関係ないし、とか、
選挙に行くヒマがあったら、家でゴルフや野球観ながらビール飲んでいたい、とか、
せっかくの休みなんだから海や川やディズニーランドに行って遊ぶんだ、とか、
まぁ、そんな輩を嘆く人々も多いのではないかと思うのであります。

確かに、政治や選挙への関心が高まることは良いことだとは思うのですが、
一方で、国とか政治に無関心でいられる、そこそこ平和な世の中だと思います。

「こどもからおとなまで一億総火の玉になって」なんていう時代がありましたよ。
一票が軽くなった今では想像できませんが、一枚の紙切れで戦場に赴いた時代でした。
現代の人なら「どうせ自分一人が戦死したって世の中は変わるワケじゃないから」
と云うであろうような戦に、死ぬと判っていて、負けると判っていて身を投じたのでした。
こどもも、おとなも、おとこも、おんなも、みんな国を想っていた時代でした。

わたしは、その時代の人たちが愚かだとは思いません。
ひとり一人が、家族を、地域を、社会を、国を大事に思うことは尊いことだと思います。

しかし、
あの時代は不幸な時代だったのです。
尊いけれど、もう二度と、人間が命を犠牲にするような世を創ってはいけません。

わたしは、
もしこの国が、そんな世の中になりそうだと判ったときには、
きょう投票しなかった人たちも、必ず投票するだろうと、信じています。

「じんじん」

2013年07月20日 22:50

じんじん

たまたま偶然に見つけた映画の情報でした。
そこで、早速新宿に観に行ってきました。
わたしが好きな俳優が企画・主演した映画なので、興味を持ったのでした。

その俳優は、大地康雄
和製ジャック・ニコルソンと謂われた俳優です。


大地康雄さんと云えば、なんと云っても「深川通り魔殺人事件」でしょう。
深川通り魔殺人事件」と謂えば、1981年(昭和56年)に、
東京都江東区森下二丁目の商店街の路上で実際に起きた無差別殺人事件ですが、
テレビで、それがドラマ化されたときに、その犯人役を演じたのが、大地康雄さんでした。

劇中、警察署内で容疑者が婦人警官を通行人に見たてて、実況見分をするシーンで、
婦人警官役の女性が本当に怖がって泣いてしまったという伝説があります。

そのドラマを、当時偶然に観たのが、わたしが彼に興味を持ったキッカケです。

一体、どんな俳優訓練をしたら、あんな俳優が出来あがるんだろうと思いました。

クロコダイルとイルカ

そんな大地康雄さんが、
ちょいとした出会いがキッカケで、映画を創ることになったのだそうです。

北海道のほぼ中央に「剣淵」という町が在ります。
剣淵」と書いて、ケンブチと読みます。
農産物で豊かな農村ですが、知る人の少ない町でした。

その「剣淵」は、
町中の人たちがこどもたちに絵本の読み聴かせをすることで、町創りをしています。

大地康雄さんは、
剣淵」と「絵本の読み聴かせ」をキーワードにして映画を創ろうと決意、
そうして出来あがったのが、映画「じんじん」です。

フーテンの寅さんのような生き方をしている主人公が、
故郷のように慕う「剣淵」で、偶然に6歳のときに手放した娘と再会します。

父も、娘も、お互いに名乗れないうちに、
主人公は、夏に剣淵で開催される創作絵本コンクールに出場して優勝してやると
大ボラを吹いてしまいます。

その夏、“父”は“娘”と再会を果たします。

父は、娘が6歳のときに話してあげたのに未完成だった、
ワニとイルカの物語を完結するために・・・。


沖縄出身の大地康雄が北海道を舞台にした映画を創った。
深川通り魔殺人事件」の大地康雄が、絵本をテーマにした映画を企画した。
その違和感と落差こそが、大地康雄の魅力です。


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