「TOKYOてやんでぃ」

2013年02月28日 21:39

2013年2月 118

きょうの午後、フェイスブックに黒田福美さんから、
この映画(「TOKYOてやんでぃ」)のことがシェアされましたので、
それを見て、早速夕方の新宿に観に行ってきました。

この映画、謂わばバックステージ物です。

寄席の“楽屋”を“舞台”にした、一幕喜劇と云ったところでしょうか?

黒田福美さんの、粋な姐さんの佇まいは貫禄でしたが、
観に行った動機は、他にありました。

主演のノゾエ征爾さんを観たかったのです。

実は、ノゾエ征爾さんの父上とわたしは、コーチ仲間です。
数年前から、同じ企画でご一緒したりして、懇意にしていただいております。

その息子さんが、劇団はえぎわの主宰者で、
第56回の岸田國士戯曲賞を受賞したノゾエ征爾さんなのでありました。

例によって、その感想は書きませんが、
こういったバックステージ物は、他にも色々企画できるでしょうね。

演劇の楽屋でもいいでしょうし、歌舞伎の楽屋も面白いでしょう。
但し、“ 楽屋落ち ” にならないようにしなければなりません。


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色即是空 空即是色

2013年02月27日 21:16

きょう、小糠雨の中、東京の青山葬儀所で、
故・十二代目市川團十郎さんのご葬儀が執り行われました。

ご葬儀は、神道の神葬祭ですが、
息子Kも、歌舞伎俳優の一人として、慎んで玉串をお供えしたようです。

わたしは、テレビの中継を拝見しておりましたが、
御子息の海老蔵さんによって、團十郎さんが遺された句が紹介されました。
この句は、海老蔵さんによれば、團十郎さんの辞世の句だそうです。

色は空 空は色との 時なき世へ

この句を拝読すれば、まずどなたも想像されると思うのが、
般若心経」の一節、「色即是空 空即是色」でありましょう。

神道の神葬祭でありながら、仏教の心髄に接したような気がしたのでした。

この「色即是空 空即是色」という8文字で表された意味を、
8文字以上のことばを使って表現するのは野暮というものだとは思うのですが、
わたし流に野暮な表現をさせていただくとすれば、
「有は無から生じるが、有は無に帰する。それでも地球の重さは変わらない・・」
といったところでしょうか?

一方、
神道の死生観では天地開闢のとき、つまり、天地創造の歓びと共に神が生まれ、
その神によって人は生まれたのだと謂っています。

人の御霊は天の神に属し、人の身体は地に属し、
死ねば御霊は昇天し、身体は地にもどるのだと謂います。
「千早振る神よりいでし人の子の 罷るは神に帰るなりけり」(古歌)

なんですか・・、
神道も仏教も、同じことをおっしゃっているように思われます。



老壮会

2013年02月26日 23:59

きょうは2月26日、
77年前の2月26日、二.二六事件が起こった日です。


95年前の大正7年(1918年)の10月、「老壮会」という集団が発会しました。
活動期間は短いものでしたが、実に多彩で風変わりな集団でした。

老壮会には、社会主義者の堺利彦や、アナーキスト大杉栄がいたかとおもえば、
国家社会主義亜細亜主義を唱えた北一輝大川周明
国家革新を目指す西田税もいました。
そして、陽明学者の安岡正篤も参加していたのだそうです。

社会主義者もいれば、国家主義者もいて、思想家、学者、軍人など、色々です。
欧米列強の侵略からの亜細亜開放を謳う者、中国の辛亥革命を支援する者、
欧米の民主主義や、ソ連の共産主義に対する危機感を抱く者、
左翼思想家も国粋主義者も参加しているという集まりでした。

多分、現代で謂う右翼・左翼とは、カテゴリーが違っているのでしょう。

まだ明治維新から50年、日露戦争には勝利したものの、
若い国家としての脆弱さに危機感を募らせた“憂国の志士”たちは多く、
その属性は、ステレオタイプで分けられないものがあります。

それぞれ、その危機感を共有し、国を憂いながらも、
その入口と出口が違っていた、とでも云えばよいでしょうか?

そういった意味では、
日中戦争や太平洋戦争という膨大な犠牲を払い、95年の時を経た現在の日本は、
老壮会メンバーの理想を達成していると言えると思うのですが、違っているでしょうか?


安岡正篤等と共に、老壮会を経て、国家主義運動の「猶存会」を結社した
北一輝西田税は、二.二六事件の理論的指導者として処刑されました。

精神性や理論は共有するも、
その方法論において、まったく違う方向に向かって歩いた元・同志たちでありました。


さて、95年前に集った彼らが、現在の日本を見たとしたら、どのような感想を抱くでしょう?


焦げたキムチ鍋

2013年02月25日 20:14

あまったキムチ(白菜)があったので、
ネギと豆モヤシと豆腐と菜の花を入れ、
豚のバラ肉とタラの切り身と牡蠣を買ってきて入れ、
キムチ鍋を作ったのですが、失敗してしまいました。 

焦がしてしまったのです。


キムチ鍋の作り方として肝要なことは、
最初に肉とキムチを炒めることなのだそうです。

炒めることで、旨味が増します。

そこで、キムチと豚バラ肉をフライパンで炒めるところから始めました。
スープにそれを入れて、他の具材を入れて煮込みます。


ところが、
鍋の底をかき回すのを怠ったばかりに、
どうも炒めたキムチが、土鍋の底にへばり着き、
それが焦げて、キムチ鍋のスープ全体に焦げた匂いを付けてしまったのでした。


かみさんは、
「いま花粉症で鼻が利かないから、ぜんぜん大丈夫だよ」
と云ってくれましたが、なかなか立ち直れません。 


みなさまも、お気をつけあそばせ。


ところで、
きょう、韓国に新しい大統領が就任しました。
韓国では初めての女性大統領です。

今後の韓国と日本の関係も、焦げつかないように、気をつけましょう。


総括

2013年02月24日 23:59

「日本人は、あの戦争と戦後を総括していない」

それが、若者の気持ちの原点だった時代がありました。

しかし、「総括していない」なんて云おうものなら、
いまでは、前時代的で政治的発言だなどと謂われてしまうでしょう。
「総括」「転向」「日常」という言葉が、
特殊で、政治的な意味を持つ単語だった時代があったからです。

あまりに急速に経済発展し、混乱し混沌としていた時代だったからこそ、
多くの若者は、うろたえて答えを求めて先鋭化してゆきました。
そして、短絡的に結果を求めたのでした。

その結果、
戸惑った若者たちが、その仲間を総括と称して粛清するような狂気に至り、
その運動は、世間から大いに批判を浴びました。
そうして、そんな若者の末路を連日テレビは中継し、晒しておりました。
そんな41年前の2月、わたしは高校受験を控えておりました。

それから17年経った、1989年2月24日、
崩御された昭和天皇大喪の礼が小雨の中、行われました。
その日は仕事が休みで、一日中テレビを見ていた記憶があります。

翌日に、六本木でのロケを控えておりました。
実は仕込みの女の子を、レポーターにナンパさせて、
ホテルで脱いでもらおうという、8ミリビデオマガジンの企画でした。
その頃、そんなお気楽な映像のプロデューサーをやっていたのでした。

24年前のことです。

それが、その頃のわたしの日常でした。
別に、なにから転向したワケでもありませんが、
わたしは一度も、そんな自分の人生を総括してみようとしませんでした。

総括せぬままに、時代は昭和から平成に移ったのでした。


鴨鍋

2013年02月23日 21:13

カモ鍋

来週、名古屋御園座公演のために名古屋に向かう息子Kと、
みきちゃんと孫娘とわたしたち夫婦とで、食事しました。

例によって、雑司が谷鬼子母神の近くのお蕎麦屋さんを予約しました。

きょうは、此処で鴨鍋をいただくことにしたのですが、それは、
意外なことに息子Kが、此処の鴨鍋をいただいたことがないと云ったからでした。

鴨肉

寒いときにいただく鴨鍋は、格別です。

鴨肉に含まれる鉄分は、体に吸収されやすく、他の食肉のほぼ4倍です。

ビタミンAは、目・鼻・口の粘膜を守って、抵抗力をつけてくれますが、
鴨肉に含まれるビタミンAは、他の食肉の約3~10倍です。

ビタミンB1が不足すると、食欲不振、倦怠感、不眠、情緒不安定、
また、気持ちの落ち込みなどがみられることもあるそうですが、
鴨肉のビタミンB1は、牛肉や鶏肉の約5倍です。

ビタミンB2は、脂肪の代謝において補助的な酵素として働き、
ダイエットなどにも相乗効果を生み出すと謂われておりますが、
鴨肉のビタミンB2は、他の食肉の約3倍です。

また、鴨肉の脂肪には、不飽和脂肪酸が多く含まれているのだそうですが、
これには、血中コレステロールを低下させる働きがあるのだそうです。
不飽和脂肪酸は、心臓、脳、血管といった重要な器官や組織に欠かせない栄養成分で、
ボケ防止や子供の智力の成長に役立つと謂われています。

それにしても、鴨肉は濃厚な出汁がとれます。
でも、鴨の脂肪は牛や豚のものとは性質が異なり、
人間の体温より低い14℃で溶けるため、脂肪が体内に蓄積されることがありません。

ですから、
食べ過ぎても、わたしの肝臓がフォアグラになるようなことはないカモね・・・

スープ


生還

2013年02月22日 23:59

先日事故に遭って、大怪我を負った友人の見舞いに行ってきました。

事故の二日後、その報せを聴いたときの絶望感から想像していた姿とは違って、
彼は、普通にベットに寝ているように見えました。

勿論、そこは高度救命救急センターのICU(集中治療室)のベットですし、
包帯で太くなった右腕や、頭部の手術の跡は痛々しいものでしたが、
想像していた姿とは、まったく違って、“元気そう”に見えました。

薄目を開けて、わたしを見ていますが、誰だか解らないようです。
それも当然のことで、面会着に着替え、帽子にマスクをつけているのですから、
わたし自身がカガミを見ても誰だか判りません。

「Mちゃん!わかる?クサカだよ!」

日下(クサカ)というのは、わたしの旧姓です。

すると、「解る・・」と返事がありました。

いっしょにいた友人を指して
「Mちゃん!Tちゃんだよ!わかる?」と訊くと、
目で顔をつぶさに確かめていましたが、確かに解ったようでした。


わたしは医者ではありませんが、
命の危機を脱していることは確かなようでした。

あとは、時間がかかるでしょうが“日にち薬”でよくなるでしょう。

これから始まるであろうリハビリの困難さは想像できますが、
あの意志のつよいMちゃんのことですから、いつか元気に現われて、
事故とリハビリについて自慢話のように話す日がくることでしょう。

Mちゃん!生還おめでとう。



世界旅行

2013年02月21日 16:04

去年の3月、
約3週間振りに日本に帰ってきた若者と、蕎麦を食べました。
久しぶりの日本蕎麦は美味いと云っていました。

若者が、
フィリピンセブ島の学校で語学留学を経験して帰国した翌日のことでした。
なんのための語学留学かというと、世界旅行をするためでした。
所謂、バックパッカーで世界を回るつもりだと云うことでした。

大学に休学届を提出し、アパートも引き払って、金も貯めたということでした。
5月の出発までに、更にアルバイトをして金を貯めると云っていました。

そして去年の5月、
彼は日本から出掛けてゆきました。

確か、最初に向かったのはベトナムハノイだったと思います。
カンボジア各地を回り、タイへ行き、インドに着いたようです。

7月、インドからブルガリアに飛び、
ブルガリアに集合した語学学校の友達といっしょに、
自転車でスペインを目指す、4,000キロの旅に出発しました。

ブルガリアから、セルビアクロアチアスロベニアイタリア
そしてシプロン峠・ガリビエ峠を走破してのアルプス越え、
スイスフランス、を経て、
8月の終わり、スペインのバレンシアのトマト祭りに参加?参戦?

9月、ノルウェーに行き、
9月18日、21歳の誕生日は、トルコカッパドキアで迎えたようです。

トルコからグルジアアルメニアイランヨルダンイスラエル
死海に浮かんで、エジプトエチオピアへ、
クリスマス・イブを、ケニアで迎えましたがマラリアに罹ったようです。
でも、タンザニアキリマンジャロで年越し。

そして、南アメリカへ渡り、アルゼンチンからパラグアイを通ってブラジルへ。
ブラジルのサルバドールでは、3週間毎日練習してサルバドール・カーニバルに参加。

サルバドールのカーニバル

そのブラジルを発って、
今頃、ロサンゼルス空港へ着いたころでしょう。

現地時間、20日水曜日23時、うちの息子Yが出迎えているハズです。


もうじき、彼の世界旅行も終わります。
木登りは、登って降りて、もうすぐ地面に足が着くというときが
一番危ないのだそうです。

あと少し、貴重な旅を満喫して、無事に帰ってきてほしいと、思います。

帰ってきたら、また蕎麦を食わせてやろうと思います。
こんど日本で食べる日本蕎麦は、彼にとってどんな味がするでしょう?


八重の桜 一輪の梅

2013年02月20日 18:57

梅一輪

近所に在る大鳥神社の境内の梅の木が、一輪花を咲かせていました。


NHK大河ドラマ「八重の桜」が話題です。

被災地でもある福島県会津を大河ドラマの舞台としたことでも話題。
明治維新という日本の革命を果たした薩摩・長州といった新政府側からではなく、
滅びゆく旧幕府軍に組した会津藩の側から描いていることでも話題であります。

会津藩第9代藩主松平容保は、1862年京都守護職に就きました。
京都御所の警備や志士の取り締まり、京都の街の治安維持を担ったのでした。
その会津藩が、戊辰戦争では朝敵となり、会津戦争に敗北して降伏したのでした。

わたしの母方の曾祖父母の家が共に旧幕臣で、京都見廻組の構成員でもあったため、
所謂“会津の心”には、シンパシーを感じます。


その会津藩士や見廻組といっしょに、京都を守護する任を担ったのが、
壬生浪士と呼ばれた、後の新撰組であります。

旧幕府軍として、戊辰戦争上野戦争会津戦争五稜郭
と転戦しながら、ほとんどの隊員が戦死しました。

その新撰組の、鬼の副長と謂われた土方歳三が詠んだ、
「梅の花 一輪咲いても 梅は梅」という句があります。

俳句としては、あまりに単純なので、批判する向きもあるようですが、
土方歳三という人の生き方と重ね合わせてこの句を読むとき、

“群れなくても構わぬ”

“たとえ最後の一輪であったとしても、梅は梅として咲く”

といったような、
ただ“単純”と侮れぬ、意志の強さのようなものを、わたしは感じます。



人生は、死ぬまでの暇つぶし

2013年02月19日 23:59

「人生は、死ぬまでの暇つぶし」

こう云ったのは、確か、みうら・・・
イヤ、わたしじゃありません。親戚でもありませんよ。
みうらじゅんという人だったと思います。

といっても、わたしはみうら某という人をよく知りません。
但し、この言葉をなにかで知っていたのでしょう。
それを息子Yに書いて送ったことがありました。

2009年2月、わたしがこのブログを始めた頃、
メールのやりとりでのことです。

このブログも、
息子Yとかみさんの勧めで始めたという経緯がありましたから。


「人生は、死ぬまでの暇つぶし」
こう言うことを云う人がいるね。
だれかは分からないけど、なかなか深い言葉だと思うよ。

「この言葉はヒンシュクを買う」と思った人は、浅はかというもの。
ここまでの境地に立ってみたいもんだ。


そんなことを書いて送りました。

そして、

自処超然、処人藹然、得意澹然、失意泰然、有事斬然、無事澄然、

自分の身は、気高いところにおく。
人に対しては、和気藹々としている。
成功しても淡々としている。
失敗しても落ち着いて動じない。
事が起これば毅然として立ち向かう。
平安なときは心を澄ましている。

こういった境地もあるそうだ・・
と書き加えました。


すると、
息子Yから、こんな返事が届きました。

うん。

だけど、
大切な事はこれを本当に辛いときにも一貫していられるか。

1500m走とか、
長距離走をしている時ってのは、
物凄く辛くて辛くて・・・
だけど、逆に誰かが走っているのを見てると、
「もっと早く走れよ」って思うじゃん。
つまり、辛いときにこそ自分を客観的に見られるかが、
大切なんだよね。

なんでも言うのは簡単なんだ。

自分が辛いときにこそ、

自分の身は、気高いところにおく。
人に対しては、和気藹々としている。
成功しても淡々としている。
失敗しても落ち着いて動じない。
事が起これば毅然として立ち向かう。
平安なときは心を澄ましている。

出来てるかな?って。

“ Knowing is not enough, you must apply;
  willing is not enough, you must do. ”

“ 知っているだけでは十分じゃない、実用しなくてはいけない。
  望んでいるだけでは十分ではない、行動しなければいけない。 ”


あれ以来、いやそれより以前から、
息子Yは葛藤し、逡巡しながら、自分を見つめています。
「出来てるかな?」って・・・。

その視点は、一番厳しく自身に向かっていることでしょう。

その息子から見たわたしは、一体どう見えていることでしょう?



通過点

2013年02月18日 18:13

4年前の2月18日、2009年2月18日に、唐突に書きはじめたこのブログですが、
特筆すべきことのないこのブログですが・・・、丸4年が経ちました。

もし、特徴を挙げるとしたら、
この4年間、毎日記されたということくらいでしょう。

きょうのこのブログで、1,461回目です。

当初から、毎日記すことを課していたワケではありませんでしたし、
いまでも、それを意識してはいないつもりです。

「よくそんなに書くことがあるね」と云われることがありますが、
書くことが無くて悩んだことはほとんどありません。
書くことを絞り込まないといけないので、いつも悩みます。

なんのために書いているのか、判って書いているワケではありません。
ただ、読み返せば、そこには取り返すことが出来ない日々が残っていたりします。

この4年間で、一体何人の人が亡くなり、別れを云ったでしょう?
そんな人々とのやりとりも、このブログに遺されました。

そして、出逢いもまた記されています。
その最たるものが、孫娘の誕生とその後の成長の日々です。
 

さて、
このブログのタイトルは、「ていちんとうりょう、ていちんとう」ですが、
正式には「滴丁東了滴丁東」と書きます。

道元禅師の「正法眼蔵」に出てくる、如浄禅師の言葉です。

先師古仏云、
渾身似口掛虚空、
不問東西南北風、
一等為他談般若、
滴丁東了滴丁東。


このように書かれています。
これを、少し分かりやすく記すと、

先師曰く、
渾身、口に似て虚空にかかる、
東西南北の風を問わず、
一等、他が為に般若を談ず、
滴丁東了滴丁東。


これを、もっと平たく書きますと、

全身を口のようにして虚空にぶらさがっている風鈴は、
東西南北から風が吹いてきても、その風を選ぶことをせず、
ひたすらに真理の音だけを鳴らしているよ、
ちりん、ちりん・・・とね。


つまり、
「滴丁東了滴丁東(ていちんとうりょう、ていちんとう)」とは・・
ちりん、ちりん・・・と鳴る風鈴の音(ね)のことなのであります。

如浄禅師が云うように、
風鈴は、どのような風が吹いても、風によって音を変えることはありません。
風鈴は、常に、只ひたすらに、風鈴の音(ね)を鳴らしているだけなのです。
それが、真理の音(ね)というものなのでしょう。

そこへゆくと、このわたしは、
古今東西から吹いてくる風をこの身に受けて“わたしの音”を鳴らしてみようなどと、
不遜で大それた、大変に畏れ多いことを目論んで、タイトルをつけました。
風鈴が、自分で勝手に鳴るというのですから、身の程知らずもいいところでしょう。

わたしの風鈴は、多分、真理とは程遠い濁った音がするでしょう。
人の悲しみや苦しみの嗚咽が混ざっているかもしれません。
人の歓びや愉しみの声が響いているかもしれません。
人の怒声に聞こえることも、あるかもしれません。

しかし、これからも、
わたしはわたしの音(ね)を鳴らせてゆきたいと思っています。

きょうは、その通過点です。



「城の崎にて」

2013年02月17日 23:59

志賀直哉は、山手線の電車にはねられて大怪我を負ったことがありました。
その怪我のリハビリのために、兵庫県の城崎温泉に療養していたことがあります。

そのときのことが「城の崎にて」という短編小説に綴られています。

電車にはねられて怪我をし、養生に訪れた城崎温泉で、
「自分」が次々に見たことが記されます。

一匹の蜂の死骸を見つけたり、
首に串が刺さった鼠が、石を投げられて逃げる様を見たりします。
そして、或る日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいました。
驚かそうと石を投げたら、石がイモリに当って、イモリは死んでしまいます。

たまたま死んでしまったイモリと、たまたま助かった自分。
生と死について、そして命について自省した小説です。


さて、
あまり知られていないことですが、
ウラル核惨事」という原子力事故(爆発事故)がありました。
1957年9月29日、ウラル地方チェリャビンスク州で発生した原子力事故です。

放射性廃棄物のタンクの冷却装置の故障により、タンク内が高温となって爆発し、
大量の放射性物質が大気中に放出される事態となった大事故だそうです。

そのウラル地方チャリャビンスク州に、
15日、直径10数メートルの隕石が墜ちて爆発し、
大勢の負傷者と、夥しい被害をもたらしました。

たまたま、墜ちたのが原子力発電所や放射性廃棄物のタンクではなかっただけ・・。
たまたま、墜ちたのが日本ではなかっただけ・・。

やはり、人智の及ばないことが起こります。

わたしたちは、たまたま石が当たらなかったイモリです。






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