一陽来復

2013年01月31日 23:59

穴八幡神宮

早いもので、ことしも残すところ11ヶ月、・・・きょうで1月も終わりです。

そこで、早稲田の穴八幡宮へ行ってきました。

毎年、大晦日の夜中24時ちょうどに、
穴八幡宮一陽来復の御守りを、指定された方角に向けて貼るのを恒例にしていました。
ところが、昨年の大晦日は大阪で過ごしたために、それが叶いませんでした。

そこで、来月3日の節分の夜中24時ちょうどに御守りを貼らなければなりません。

というワケで、穴八幡宮にお参りして、御守りを頒けていただきに行ってきたのです。

御守りを求めて

穴八幡宮では、毎年冬至から節分までの間、一陽来複の御守りを頂くことができます。
一陽来複」という言葉は、昔の中国の占い本の「易経」に出てくる言葉です。

易経」では、
全ての現象は陽の気が多くなったり少なくなったりが繰り返されると考えるのだそうです。

旧年が明ければ新年になります。冬が終われば春を迎えます。
また、悪いことがつづけば、幸運に向かっていると考えるのです。

段々と、陰の気が減れば、同時に陽の気が増えます。
これからの時季は、再び陽の気が復活してくるタイミングだと考えるのだそうです。
これが、一陽来復の考え方です。

古札守納所

平日の昼すぎだから時間はかからないだろうと、勝手に高を括って行きましたら、
なんと、数百人はいようかという八百万の人々の行列が出来ておりました。

最後尾に着いてから、
御守りを購入し、社殿でお参りするまで、1時間はかかったでしょうか?

行列

旧い御守りは納めて、お礼参りをしました。

ことし、一陽来福の御守りを貼るのは、南南東の方角に向けてだそうです。
明明後日の3日の夜24時ちょうど、忘れないように貼らなければいけません。
このタイミングを逃すと、ことしの御守りを貼ることはできません。

穴八幡本殿

一陽来復御守り

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三十三間堂・通し矢

2013年01月30日 17:31

京都の三十三間堂が落成したのは、848年前、西暦1165年の今日だそうです。

JR京都駅の東側、鴨川を渡ると、大和大路に沿って三十三間堂は在ります。
三十三間堂の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)といいます。
同じ京都市東山区に在る天台宗妙法院の境外仏堂で、同院の所有です。
元は、平清盛に作らせて後白河法皇が創建した仏堂で、ご本尊は千手観音です。

また、のちに豊臣秀吉後白河上皇平清盛の栄華にあやかろうと、
三十三間堂の北側に大仏殿を造営し、後白河法皇の御陵も含むように
塀を作って囲い込んだのだそうです。

この蓮華王院本堂、つまり三十三間堂で有名なのが、
通し矢(とおしや)」でしょう。

通し矢は、
三十三間堂の西側の軒下約120メートルの距離を南から北に向けて矢を射て、
その距離を射通せた矢の数を競うというものだそうです。

通し矢は、桃山時代には始っていたのだそうですが、
江戸時代になって、各藩肝入りの武士たちが射手として競い合い、
次々に記録を更新していったのだそうです。

さて、その記録ですが、
1686年(貞享3年)紀州藩の和佐大八郎という人が、
13.053本の矢を射て、8.133本を通して記録を更新し、
1669年(寛文9年)尾州藩の星野勘左衛門という人の8.000本通した記録を破り、
17年振りに記録を更新して歴史的大記録を打ち立てて以降、
今日に至るまで、この記録を破った者はいません。

一昼夜、つまり24時間で13.053本の矢を射るなんて、可能なのでしょうか?
そのうち8.133本を通すなんてことが・・・?

13.053本を24時間で割ると、1時間で約544本です。
544本を60分で割ると、1分間で9本です。
つまり、平均して6.6秒に1本の矢を24時間射つづけた計算です。

120メートルですよ!
24時間ですよ!

仮に、弓矢を使わないで、矢を射るマネだけだったとしてもタイヘンです。
人間にそんなことが可能だとは思えません。

しかし、
公の場で、各藩を挙げて競い合った勝負ですから、資料の真贋は疑えません。


さて、
現在、東京に再びオリンピックを招致したいという活動が盛んです。

その是非は、ここでは問いませんが、
いま、スポーツや格闘技や武術の世界にいる人たちが取り組むべきは、
本来の人間の身体能力とマインドとの関係や仕組みを解明し、
そのことを、効果的に、科学的に活用することでありましょう。

もし、暴力や体罰が効果的だと云うのなら、
国際オリンピック委員会にそう訴えてみたらいかがでしょう?

東京オリンピックは、是非を問うまでもなく、遠くなりそうですね。



トマトに塩をかければ、サラダになる。

2013年01月29日 23:59

じゃがいもと玉ねぎとにんじんを一口大に切ったものを水から煮込み、
ベーコンもソーセージもなかったので、鳥のもも肉のぶつ切りを入れ、
灰汁を取って、市販の顆粒のコンソメを入れたら、一品出来あがり。

沸騰した湯の中に、多めに塩を入れ、
芽キャベツ、インゲン、オクラ、ブロッコリーの順に入れて、
それらを冷たい水に取り、冷まして水気を取って器に盛り付けます。

そこに、アボカドとトマトも一口大に切って入れました。

近所の肉屋で買ったステーキ用の牛肉を、
表面を焼いたら、少しだけ水を入れて蒸し、
中がレアなうちに切り分けて皿に盛りつけます。

そこにフライドガーリックを添えます。


これを料理というなら、料理でしょうが、
煮て味をつけ、塩茹でして冷まし、焼いただけ。
実にシンプルな“料理”であります。

夫婦だけなら、こんなもんで充分です。

しかし、その火加減、味加減、タイミング、
無神経では、美味い料理は食えません。

そして、料理が完結するのは、
それを、誰となにを話しながら食うかということでしょう。


トマトに塩をかければ、サラダになる。


役割分担

2013年01月28日 19:03

親子

駅まで迎えに来た母親でしょうか?
エスカレータを登ってきた少年が駆け寄って、手をつなぎました。

散歩中の一コマです。


思えばそれが日常だった時代が、わたしたちにもありました。
出迎えた腕の中に飛び込んでくる息子たち。
膝の上に乗り、肩車をせがみ、手をつないだり、肩を組んで歩きました。

兄弟

しかし、
“親”は、必死でした。
どうやって意思の疎通を図ったらよいのかも、よく判りませんでした。

よく判らないから、必死さだけは伝えようとして、
声を荒げたり、手を上げたこともありました。

しかし、それは、必死さというよりは、
余裕のなさや、人の弱さとして伝わったことでしょう。

いま、息子たちがわたしを認めてくれているのだとすれば、
声を荒げたことや、手を上げたことの効果ではなく、
偏に、息子たちが、わたしのことを許容したからであり、
息子たちが、わたしを育んでくれたからであります。

おやこ

今朝行ったコーチング・セッションで、
「親が子に遺せるものはなにか?」
ということが話題になりました。

財産・・・、

人脈・・・、

教育・・・、

環境・・・、

いろいろと、思いつくものです。

父と子

しかし、わたしの場合、
大したものが遺せるとは、思っていません。

逆に、できるだけ迷惑はかけたくないと思うほどです。

でも、
これだけは、息子たちや孫たちに遺したいと思うのは、
「心底愛された、という実感」でしょうか?

パパとジィジ

わたしが、
祖父母や両親にのこしてもらった以上の実感を、遺してゆきたいものです。

おやこ、ハワイにて

むかし、父に玄関から追い出されたとき、
母は、裏の勝手口からわたしを家に入れて、いっしょに父に謝ってくれました。

玄関から追い出す役割も、必要な場合があるかもしれません。

しかし、同時に裏口から家に入れる役割も、必要なんだと思います。

拙いのは、みんなで叱ったり、みんなで甘やかすことでしょう。

それぞれに、役割があるのだと、思います。

三代

やっと、役の交代です。

叱るのは、親の役割です。

甘やかすのは、わたしたちの“役割”なんです。 

まご



お目見え

2013年01月27日 23:50

昨夜、夜遅くに息子Kが帰ってきました。
昨日の、大阪・松竹座の千穐楽の舞台を終え、帰郷したのです。

その息子Kが、蕎麦が食べたいというので、
きょうは昼間から、雑司が谷鬼子母神近くに在る馴染のお店へ。

和邑

やはり大阪は・・・と云いますか、関西は“うどん文化”なんでしょう。
美味い蕎麦も有りますが、地元の蕎麦が懐かしくなるようです。

昼間から、みんなで冷たいビールを一杯ずつ頼んで、
そのあと、息子たちは寒おろしを、わたしたちはぬる燗をいただきました。

蕎麦味噌、板わさ、焼き海苔、鴨ロースサラダ、あい鴨ウィンナー、卵焼き、天ぷら・・、

宵の酒とちがって、身体が元気ですからすすみます。
あとが恐いと解っていながら、既にお銚子の数が判らなくなっています。

蕎麦屋で

さて、息子Kですが、
ことしは、いま判っているだけで、延べ6ヶ月間東京を不在にいたします。
全国各地の劇場で澤瀉屋の襲名披露公演がつづけられるからであります。

したがいまして、
ことし4月に開場の新装歌舞伎座に於いて、息子Kがお客様にお目見えするのは、
来年になることと思います。

蕎麦好き

まぁそんなワケで、孫娘にとっては、きょうは久々にパパがお目見えです。

「日本文化を愛でる会」日本舞踊

2013年01月26日 23:59

「日本文化を愛でる会」会場

「日本文化を愛でる会」のことし最初の例会がありました。

きょうのテーマは、「日本舞踊」

日本舞踊林流千永派家元・林千永さんのご登場であります。

お姉ちゃん、かみさんの姉なのであります。

日本舞踊の話

亡くなった母は、林流初世・林きむ子 師のお弟子でありました。
姉とかみさんは、
林流二世家元・林一枝 師に師事しておりました。

九条武子さん、柳原白蓮さんと並び称された、
大正三美人の一人と謂われた初世・林きむ子さんであります。
その美貌に限らず、生き方や世に遺されたものは、
お三人とも、いずれも引けをとらない奔放なものでありました。

そんな林きむ子さんの娘・林一枝先生は、
2009年に96歳でお亡くなりになりましたが、
先生も、お若い頃はさぞ、と思うような、生涯お美しい方でありました。

二世林流家元・林一枝先生

姉・林千永は、その林一枝先生の踊りに最も影響を受けた舞踊家でしょう。
その精神と高度な技術を受け継ぎ、体現できる舞踊家だと思います。

そして、姉は、
林きむ子師から林一枝師へと引き継がれた、
踊りの技を護るために、林流千永派を立ち上げました。

2013年1月「日本文化を愛でる会」

きょうは、そんな林千永が語る、
日本舞踊の成り立ちから、さまざまな舞踊音楽などについて、
日本舞踊を身近に、そして楽しんでご覧いただくための手引き解説です。

人が、その一生を懸けて取り組むほど美しく、
豊かな身体表現を魅力とする「日本舞踊」の世界。

「難しそう」「解りにくそう」と敬遠しないで、
一度身近でご覧になられては、いかがでしょう?



勝手なんですから

2013年01月25日 20:26

目白

フェイスブックを読んでいると、

「○○は、美味しかった」とか、「××は、身体によくないヨ」とか、

「△△は、可愛いね」とか、「□□には、騙されちゃあいけないよ」とか、

「◇◇には、反対です」とか、「■■は、危険だ」とか・・・。

実に様々なメッセージやら、ご主張やらお節介などが、満ち満ちています。

また、読む人には意味不明の記述や、意味深な書き込みもあったりいたしまして、
心騒ぐときがあったりいたします。

坂の上のラーメン屋

同じ嗜好や思考、共通の価値観やご趣味でつながっている“友達”というワケではなく、
昔からの知り合い・友人だから、おつき合いだから友達申請に応えただけですから、
わたしは、この手の齟齬は織り込み済みだと思って静観することにしています。

斯くいうわたしも、共感していただけるか、面白がっていただけるか判らない
私的なトピックスや、写真を載せることがあります。

わたしの場合には、こころ優しい友達が「いいね!」をたくさん押してくれますが、
何を書いても無反応の方もいらして、時々なんで友達申請されたのかなぁ?・・
などと不思議に思うこともあります。

また、
ご家庭のことや、お仕事のことで悩んでいる方が、昼めしの話題を見てどう思うか、
被災地の復興や支援の方法を探っていらっしゃる方が、海外旅行の記述をどう思うか、
原発や放射線量について腐心なさっているかたにとって、呑気な発言はないだろうか、
犬が嫌いな方が読むかもしれない、猫嫌いな方が見るかもしれない、
子供が苦手な方だって、いらっしゃるかもしれないなどと想像することもあります。

なかなか付き合い方が難しい面もあるのが、ソーシャルメディアなのであります。

そういった意味で、
わたしは、旧くなりつつあるブログに、まだ固執しているのかもしれません。
ブログは、一方的且つ勝手に流される“メッセージ”ではありません。
そのブログにアクセスした人が、そこにやって来て、
その人の責任において読まれる“メッセージ”ですから。

△

さて、そのブログの、きょうのおウワサですが、
このところの炭水化物ダイエットの所為か、無性にラーメンが食べたくなりまして、
近所と云えば近所、わたしが住んでいる地域と云えなくもない場所に在る、
一軒のラーメン店のおウワサであります。

駅から近い坂道の上に在りまして、一見ラーメン店には見えません。
隠れ家のお店かと思っていると、近くに行けばちゃんと看板が出ています。

店内には、ジャズが流れ、古道具などが飾られていて、落ち着いた雰囲気。
店内の各所に店主の気遣いを感じます。

中華そばと、わんたん麺と、ギョーザがいただけるお店ですが、
わたしが注文したのは、中華そば。

おにぎり一個か、麺の大盛りを選べるとのことでしたが、
炭水化物ですから、お断りしまして、700円の中華そばのみを頼みました。

中華そばには、チャーシューと海苔とメンマと長ネギと青ネギが入っています。
スープは、白濁していない、あっさりした醤油ベースのシンプルなもの。

すすんで宣伝をしない。一方的に自己主張もしない。
しかし、ウワサを聞き、探して来てくだされば、歓迎しましょうという、
謂わば、わたしのブログのようなお店です。 

あえて、感想は書きませんが、
いかがです?ラーメンが食べたくなりませんか?

大きなお世話だ?

だから、ブログですから・・・

呑気なもんだ??

だから、わたしの勝手なんですから・・・

なに?・・・店名と場所?

探してみてください。 


日本の夜は明けない?霧は晴れない?

2013年01月24日 22:51


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大島渚さんが亡くなって、「日本の夜と霧」のDVDを買って観てみました。

日本の夜と霧」は、大島映画ではダントツ一位の傑作だよ。
 あんな映画、他に撮れる監督はいない!」

うちのむぅむぅ(義父)が、こう云うくらいです。
1960年の封切り当初、公開4日で松竹が打ち切った作品を、
むぅむぅが、当時の支配人を通じ、義父の三角寛を焚きつけて、
その3年後に人世坐で再上映させるまでに漕ぎ着けた作品です。

わたしには、一見の価値があると思われますので、
ご興味のある向きには、お薦めします。

むぅむぅに言わせれば、
大島渚さんは、松竹の新人監督ながら作品の興行成績がよく、
新人ヒットメーカーだったのだそうです。
それに気をよくした松竹は、大島さんの新作に期待していたところ、
そんな状況に乗じて大島監督は、60年安保闘争を総括し糾弾する、
前代未聞のディベート映画を構想し、これを一気に撮りあげたのでした。
それが「日本の夜と霧」であります。

日本の夜と霧
一見、60年安保闘争の渦中にあった学生たちの、
他者批判や自己批判、思想的な脆弱さや自己矛盾、組織と個人の関係、
日常と非日常、運動と芸術などといった論点が、矢継ぎ早に議論に持ち出される
ディベート映画なのですが、多分公開当時に登場人物たちと同世代だった人たちは、
こころの中で同感・共感したり、指摘・批判したりしながらこれを観たことでしょう。

いま我々が、「朝まで生テレビ」を観ながら、同じような反応をすることがありますが、
草創期にレギュラーパネリストとして番組創りに参加していた大島渚さんには、
そういう反応が起こることは、「日本の夜と霧」の経験からも判っていたことでしょう。

しかし、この映画は単なる討論映画ではありません。そのラストシーンに至って、
これは破防法阻止60年安保闘争の学生運動を背景に、
日本人には多分不向きなディベートを多用しつつ、
その運動や組織のぜい弱さと危うさを糾弾しながらも、
やはり人間に焦点を当てた、ヒューマンドラマに昇華させていると、わたしは思います。

その意味で、むぅむぅの云うとおり、
他の誰もが撮れなかった、まことに優れた映画だと云えるのではないでしょうか?

また、この映画を現代、それもオウム事件9.113.11を経た現在の目で観ると、
当時とは、まったく違った観方が出来ます。

そして、「日本の夜と霧」製作当時の日本人たちと、
現代の日本人たちというものが、むかしもいまも変わらない、
ちゃんと自分の意見を持てない、議論のできない、
そして、総括もしない人たちだということが、透けて見える気がするのです。



四十肩・五十肩

2013年01月23日 23:59

四十肩とか、五十肩とか申しますが、
三十代のときになるのが四十肩、
四十代のときになるのが五十肩、と聴いたことがあります。

さて、このところ、
わたしの右腕が痛みます。

常時痛むわけではないのですが、
ちょっとした動きにズキンと痛みます。

例えば、車を運転するときに、
右手でシートベルトを引こうとしたときなんか。

痛むのは、肩というより上腕の外側の辺りでしょうか?
しかし、この痛みが五十肩だったときに似ているのであります。


あれは、やはり“五十肩”と呼ぶ時期だったと思いますが、
しばらく右肩が動かなかったことがありました。
キッカケは、公園の木の枝に飛びつこうと、右腕で掴まろうとして、
右肩に激痛を感じたので病院で診てもらったら「五十肩」だと謂われたのです。

それから何年かは、右肩を丁重に扱いながら生活することになりました。
不用意にテーブルの角や、ドアの枠などに腕が当ろうものなら、
あぶら汗が出るほど、痛みを感じたものです。

しかし、ほとんどの場合
四十肩・五十肩というものは、放置していても時がくれば治るのだそうで、
いろいろな治療やら致しましたが、そのお陰というよりは、自然に治りました。

そうしたら、今度は左肩が五十肩に罹りました。

印象ですが、
左肩のほうが、酷かったように思います。

ヒアルロン酸注射なども定期的にいたしましたが、
これも何年かしたら、自然と治ってしまいました。

四十肩・五十肩は、一度なったら二度と罹らないと謂われます。
これで生涯肩は大丈夫だと思っておりましたが、
このところの右腕の様子には、不穏なものを感じます。

いま罹ったら、六十肩というのでしょうか?




御本人不在

2013年01月22日 23:32

大島渚さんのお通夜

きょうは、
朝から昨夜行われた大島渚さんのお通夜の様子が報道されております。

わたしも、
“お通夜の場”には参りましたが、正確に云えば築地本願寺の駐車場で、
孫娘と二人して、列席したむぅむぅ(義父)とかみさんを待っていたのでした。

実は、昨夜はみきちゃんの仕事が忙しくて、孫娘を保育園に迎えに行き、
そのあと踊り(日本舞踊)のお稽古に連れて行き、その足でむぅむぅと
かみさんを車に乗せて築地本願寺に向かったのでした。

わたしも、お焼香したかったのですが、駐車場からお礼を申し上げました。

その後、
合流したみきちゃんもいっしょに、内堀通りのホテルで食事をしたのでした。


ところで、大島渚さんのお通夜の報道を見ながら、かみさんが云うのですが、

「この人さぁ、後から来たくせにさぁ、親族のお焼香が終わったところで、
 間に割り込んで、先にお焼香しちゃうんだよぉ」

と、こう云うのであります。

“この人”というのは、ワイドショーの番組に映っている人のことでありまして、
大島さんが監督した「戦場のメリークリスマス」に抜擢されたことで話題になり、
いまは、お笑い界と映画界の実力者と謂われているらしい人のことでありますが、
お焼香のあとで囲み取材を受けていらした場面でした。

わたしが云っているんじゃありませんヨ、かみさんが云うんですがね・・
「本人のせいじゃないかもしんないケド、有名人だからって、
 お歳を召した方たちも大勢待っていらっしゃるのに、後から来て、
 先にお焼香しちゃうなんて、おかしいと思わない?ねぇ?思わない?」


思えば、大島渚という人の人生は、
権力とタブーと理不尽との戦いだったと云えるかもしれません。

理不尽さや失敬な振舞いに対しては、語気を荒げ敢然と立ち向うのでした。
暴力や性や既成概念というタブーに対しても物怖じしなかったのでした。

他の人のお通夜でしたら、そうは思わなかったかもしれないのですが、
こと大島渚さんのお通夜でのことですから、わたしも考えてしまいました。

しかし、わたしは、御遺族のご意向ではなかったと思うのであります。
スタッフや葬儀を取り仕切る業者の人々が、気を利かせたつもりで、
忙しい合間を縫って駆けつけた彼を案内しただけのことでしょう。

ただね・・・、
大島渚さんご自身だったら、こんなときにどうするでしょうか?

「ばかやろう!寒い中多くの先輩たちが待っていらっしゃるんだ、
 後から来て、割り込んで焼香するとはなにごとだ!」

そう云って怒鳴るかもしれませんよね。
理不尽なことには、誰に対しても歯に衣着せぬ大島さんでしたからね。
そういう意味でも、もはや、ご本人は不在なのであります。


停めた車の中にいるわたしと孫娘には、囲み取材を受ける彼が見えていました。
彼は、大島さんにどんな言葉をかけたいかという問いに、こう応えています。

「そのうちオイラも逝くから、また怒鳴ってください。怒ってください。」と・・



仏壇に飾られた息子の写真

2013年01月21日 17:00

ことしの息子Kは、地方公演で、家を空けることが多いのですが、
今月も、大阪に約1ヶ月間滞在しています。

このように、大阪、京都、名古屋、博多にひと月単位で滞在するほか、
今年の4月には、香川県の金毘羅歌舞伎なども予定されており、
また、各地を転々と巡演する公演などもあります。

そういう公演活動をしておりますと、
各地にお客様やら知り合いやらお馴染さんなどが出来まして、
なかには、応援してくださるグループなども組織されたりいたします。

誠に有り難いことであります。

獅子

さて、きょう、
大阪で、先日ご観劇くださったグループの幹事さんからお聴きした話です。

このグループは、息子Kが大阪で公演するときに集まって、
いつも皆さんでご観劇くださるのですが、その中の常連のSさんが、
数年前に亡くなられました。
Sさんとは、わたしもお付き合いをさせていただいておりました。

そのSさんのお宅に、このお正月に訪れた幹事さんが、
御仏壇に向かってお線香をあげていて気づかれたのだそうですが、
仏壇の前に、息子Kを囲んで撮られた写真が飾ってあったのだそうです。

晩年に、ご夫妻で観劇に参加され、懇親会の折りに息子Kを囲んで、
グループの方々と共に撮られた記念の一枚なのだそうです。

幹事さんがおっしゃるには、
Sさんの告別式には、2.000人もの人が訪れたほど、
事業を成功させ、また人に慕われた方だったそうですが、
御夫婦での観劇が、余程想い出に残ったのだろうということでした。

写真を飾られたのは、多分奥様でしょう。
しかしそれは、Sさんのお気持ちも慮ってのことでありましょう。

・・・
有り難さと寂しさに、暫し言葉が出ませんでした。

そういう皆さんに支えていただき、舞台を勤めることが出来る息子を
羨ましく思います。

しかし、演劇、映画、音楽、舞踊、文学、美術などは、そういう仕事です。
あるときは、衣食住を超えて人間には必要なものかもしれません。


今夜は、大島渚さんのお通夜に参ります。


冬きたりなば、アラブの春は遠からじ?

2013年01月20日 23:59

アメリカ合衆国の1月20日というのは、
大統領の退任と就任が行われる日なのだそうです。

任期を終えた大統領が、1月20日の午前中をもって退任し、
次期大統領は、1月20日の午後から就任することになっているのだそうです。

今回は、大統領の二期目となるバラク・オバマさんが再び就任するのですが、
アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質テロ事件が、
そんな華やかな就任式の背景で起こっています。

人質テロを起こした武装勢力は、既に鎮圧されたということですが、
人質になっていた人々の行方や安否が懸念されます。

それにしても、
このアルジェリア政府や軍の、事件に対する対応には驚きました。

テロに対しては、問答無用で掃討を行い、
そのために犠牲となる人質の命など、二の次だと謂わんばかりです。
いや、もしかしたら、三の次、四の次ぐらいかもしれません。

まず、優先されたのは、プラントを守りたかったこと、
次に、テロに対する断固たる姿勢を示すことだったのでしょうか?

そんなアルジェリアの対応を支持するフランスという国もあります。

アジアシフトシェールガス革命が起こり、
アメリカが、アラブから遠くなる時代が始まっているのかもしれません。

一昨年から始まったアラブの春ですが、
いつか本当にアラブに春はやって来るのでしょうか?
アラブは、いまだ冬の只中にあるように思います。


さて、2005年の数字ですが、我が国は原油の99.6%を輸入に依存しており、
大半がアラブ地域からの輸入で占められています。

アメリカ合衆国アラブから徐々に手を引き、
アメリカの軍事費に関して、
少しずつ日本への掛けかえを要求するかもしれない状況の中、
急速に、憲法を改めようとする声が大きくなりつつあります。

ナショナリストと見えて、実はアメリカ追随派と目される現・総理大臣が、
新任された大統領に会ったときに、何を約束してしまうか、注目です。




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