よいお年をお迎えください。

2012年12月31日 23:25

2012年の夕暮れ

2012年が、暮れました。

長いようで、早いようで、いろいろあった一年でしたが、
ことしも、終わりです。

やり残したことも沢山、あります。
忘れちゃいけないことも沢山、あります。
惜しまれることも沢山、あります。
年を越すこと以上に、引きづづけなくてはならないことも沢山、あります。

それでも、
やはり、共に年を越すことができることを、お互いに喜び合いたいのです。

人と共にいることに望みが持てないと思われる方もいらっしゃるでしょう。
人と共感なんて出来ないと思っていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
それでも、
共にこの時代に生きて、この年を越すことになんの意味もないでしょうか?

せめて、そんな皆さんとわたしたちの来年が、
ことしより少しでも進歩し、幸せな一年であってほしいと、わたしは思っています。


さて、わたしたちは大阪に来ています。

明日元日、息子Kが大阪・松竹座で初日を迎えます。
それを観ることにしたので、家族全員で大阪に来ました。

堂島に宿をとりました。
道頓堀の「はり重」さんで、家族で会食しました。

「はり重」のご主人は、
むかしから、息子Kたち澤瀉屋一門を応援してくださっています。
家族みんなで、お礼を申し上げました。

襲名したお二人

そして、いまは紅白歌合戦を観ながら、このブログを書いています。

明日息子Kは、
2013年の初日、元日に大阪・松竹座の舞台に立たせていただきます。


みなさま・・・、
みなさまが、どこのどちらさまか、わたしには分からないのですが、
ことし一年、此処にお立ち寄りくださり、ありがとうございました。

みなさま、よいお年をお迎えください。



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お礼参り

2012年12月30日 23:59

まだ、挨拶ハガキの宛名書きが終わりません。
この分では、年越ししてから送る方もいるかもしれません。
悪しからず!

きょうは、30日。
正月飾りは、きょうまでですから、
お宮さんに行って、お札をいただいて、お礼参りして、お飾りをして、
頼んでいた、おせち料理の材料をとりに行って、
そんなこんなで、バタバタです。

お礼参りですが、
八百万とは、よく云ったもので、
わたしたちが、お詣りしている神さん、仏さんは幾つもあります。

そのひとつ一つにお参りするのも、時間がかかります。

しかし、
ことしも一年、御守りいただいて、有り難いことでした。


あと、最後にうちのカミさんにも、ありがとう! 



「はだかの王様」

2012年12月29日 23:59



わたし、きょうはじめて劇団四季のお芝居を観ました。
というか、お芝居を客席で最初から最後まで観たのは、はじめてです。
2歳のわたしが、劇場でお芝居を観られる機会は、ほとんどないからです。

パパは、2歳のときにスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の初演をバァバに観せてもらって、
そのことがキッカケで、歌舞伎俳優になりたいと思うようになったのだそうですが、
いま、そんなキッカケをつくることはむずかしいようです。

はだかの王様

ところで、「はだかの王様」は、
バァバがどうしても、わたしに観せたいと思っていたお芝居だそうです。
バァバも、ちいちゃいときにむぅむぅ(バァバのパパ)に連れられて観たのだそうですが、
そのときは、劇団四季「はだかの王様」の初演の頃だったんですって。

その頃に、はだかの王様を演っていらしたのは、
むぅむぅの大親友だった田中明夫という “ 田中さんのおじちゃま ” でした。
バァバは、とてもとても可愛がってもらったんだそうです。

ところでバァバは、パパが歌舞伎俳優になりたかったみたいに、
劇団四季に入りたいとは思わなかったんですかねぇ?


さて、お芝居がはじまるまえに、アップリケお兄さんと男の子のホックが
お歌を教えてくれました。

 ・・・ライトに音楽 用意はいいか

道具も衣裳も支度はいいぞ

手を叩いて(パンパン パ パン)

手を叩いて(パンパン パ パン)

幕をあけよう


「幕をあける歌」です。

この歌、わたし知ってました。
保育園の発表会のときに、うたった歌ですから。
もともと、劇団四季の歌だったんですね。

それともう一曲、
王様は、自分がはだかだということが判らないようなので、
客席にいるわたしたちが、みんなで教えてあげる歌を練習しました。

 王様は はだかだ

なんにも きてない

ゲラゲラ アハハ

ゲラゲラ アハハ

・・・


「王様ははだかだ」という歌です。
この歌の作詞をしたのは、寺山修司というオジサンだそうです。

みんなでこの歌をうたったので、
とうとう王様も自分がはだかだということが解って、めでたしめでたしとなりました。

さて、
はじめて劇団四季のお芝居を観たのはわたしだけじゃありません。
ママもはじめてだったようで、感激していました。

帰りに、王様をはじめ、お芝居の人たちがみんなでお見送りしてくれました。

わたしは、王妃さまにごあいさつしました。
王妃さまは、ホントは菅本烈子さんていう女優さんなんですって・・・。
バァバとジィジの、むかしからのお友だちなんだそうです・・・。
わたし、なんだかこんがらがっちゃいました。

王女さまと

劇団四季自由劇場

この国の豊かさ

2012年12月28日 23:59

眼下の故郷

中村勘三郎さんの本葬が営まれた築地本願寺には、1万2000人が弔問に訪れたのだそうです。

偶然に通りかかった人もいらしたでしょうし、築地市場が近いですから、
年末のお買い物のついでに立ち寄ったという方もいらしたでしょうが、
それにしても、1万2,000人という数には驚かされます。

通りかかったにしても、お気持ちがなかったら御参りはなさいません。
勘三郎さんは、手を合わせて、ありがとうのことばをかけたくなるような人でした。
そんな“日本人”が、“人間”が、大好きな勘三郎さんでありました。

そして、遺影の勘三郎さんも、
みなさんに手を合わせて「ありがとう!」と云っていらっしゃるようでした。

日本人は、勘三郎のマインドを、十八世中村勘三郎を、忘れないでしょう。


さて、
大いに混乱し、不安は増し、経済も外交も傾いた2012年であります。
虫の眼で見れば、困ったことばかりが目につきます。
鳥の眼で見れば、困っている人のことが解りません。

ただし、やはりこの国は美しい国です。
人の気持ちに想いを致す美意識や心得をわきまえた人たちが暮らす国です。

隣の人に頬を打たれても、逆らわなければ、
打たれた頬の痛みより、打った手のほうが痛むのだということを知っている国です。

大きな災害に遭ったときでも、整然と並んで待つことが出来る国です。

67年も前に終わった戦で亡くなった人たちや、被災した人たちを、いまでも悼み、
被災地の復興を、我が事として神仏に祈る人たちがいる国です。

豊かな土地をもち、豊かな四季の自然をもち、豊かな文化をもっています。
この国に暮らして幸せでなかったとしたら、どの国に暮らして幸せになれるでしょう?

わたしたちは、豊かな故郷をもっています。
この国の、この豊かさを、世界中に分けることができるはずです。

十八世中村勘三郎告別式

2012年12月27日 23:59

朝から、勘三郎さんの告別式の様子が報道されていました。

きょうわたしは、大掃除の残りを片づけました。

勘三郎さんのご遺骨は、午前9時に小日向のご自宅を出て、
浅草の平成中村座の跡地に向かわれ、待ちうけた大勢の浅草っ子とお神輿に迎えられました。

浅草おかみさん会の面々もいます。
仲見世の人たちもいます。


我が家の“水族館”も大掃除です。
魚を出して、水を換えます。
水槽を洗って、細かい石も洗います。


勘三郎さんは、来年4月に開場する歌舞伎座に到着しています。
なんでも、棺の中には、新しい歌舞伎座の檜舞台の部材が入れられたのだとか。


次に、クリスマスイブに灯したベランダのクリスマス・ツリーの電飾をはずしました。
ベランダに置いた植裁も手入れしました。
からまったフェンスの蔓を剪定します。
ベランダに水を撒いてデッキブラシをかけます。

息子Kがやってきました。
我が家で着替えて、勘三郎さんの告別式に向かいました。

玄関口に、鳶のかしらが門松を飾ってくれました。
わたしは、玄関を掃除してドアを拭いて、ドアの外に正月飾りをかけました。


築地本願寺には、朝早くから弔問に訪れた人々が列をなしています。
あの広い境内に人がたくさん集まっています。

築地本願寺に到着した勘三郎さんのご遺骨を前にして、
泣き崩れる中村小山三さんの姿が映し出されています。

歌舞伎界をはじめ、芸能界、スポーツ界、多くの著名な方たちが訪れました。
12時、告別式が始まりました。


わたしは、手を洗い、お昼をいただきました。
炊いたごはんに、レトルトのカレーをかけたものです。
カレーは、中村屋・・・。


弔辞が始まりました。

坂田藤十郎さんは、
貴方がお育てになったお二人のご子息が立派に成長して、
貴方の芸と心を、貴方の情熱を受け継いでおられます。
貴方が、教え育った中村屋一門はご子息を守り立ててくれるでしょう。
どうか、どうか、安らかにお眠りください。
日本俳優協会一同の心を込めて、謹んで哀悼の意を捧げますとともに、
ご冥福をお祈り申し上げます。

片岡仁左衛門さんは、
僕は自分が死んだ時には、哲ちゃんに弔辞を言ってもらおうと決めていました。
まあ、僕もすぐに…、すぐかは分かりませんが、行きますから、
そのときには、僕をよく導いてください。お願いします。
本日11時の時点で一般焼香の方が2000人も並んでいるという話を聞きました。
本当にノリはすごいです。僕は負けました。では、待っていてください。


大晦日に投函しようと思っている挨拶状の宛名書きのつづきを始めました。


弔辞は、もはや芸の域です。

坂東三津五郎さんは、
君がいてくれたおかげで、この56年間、本当に楽しかった。ありがとうね、哲明。
君は交友関係も広く、活動の場も広かったから、
さまざまな人の心に、さまざまな思いを残したと思うけど、
僕は50年間一緒に芸を勉強し続けた友人として、不屈の信念で体に宿った魂。
人の何倍もの努力によって培った芸のすごみで、
誰にもマネのできぬ芸の境地に立った歌舞伎役者だったことを、伝え続けたいと思います。

これで、しばらくは一緒にやれなくなったけれど、僕がそちらに行ったら、
また、一緒に踊ってください。そのときのために、また、稽古しておきます。

大竹しのぶさんは、
私達だけでなく、先生方も一緒でした。
「こんなすごい人はいません。僕達が教えられます。
 だから、この人のために何とかしたいと思うのです。
 本当になんとかしたいと思うのです」
と、涙を浮かべておっしゃったことがありました。

これは先生の言葉です。
「やんごとなき心臓を持ち、やんごとなき精神力を持ち、恐るべし中村勘三郎」
でも、それはあなたが生きていたいと思ったからですよね。
生きて行かなければならない人だからですよね。

あなたと、なぜ、いまこの別れをしなければならないのか、
当分私たちはこの答えを見つけることができないと思います。
天日坊を観た時、
「あいつら良かったでしょう?まだまだだけど、俺のスピリッツは受け継いでくれたかな」
と言っていた6月。

そう、あなたの魂を受け継いだ勘九郎がいます。七之助がいます。
七緒八くんがいます。その答えを、彼らが出してくれる日まで私たちは頑張っていきます。

前よりも、もっともっと大きな力を持った哲明さん。
この三人を、そして愛ちゃんを見守ってください。
そして何よりも、あなたの愛してやまない好江ちゃんにも力を貸してあげてください。

ノリさん…、大好きですよ。いまも、これからも。ありがとう。またね。


宛名書きは、なかなか捗りません。


野田秀樹さんは、
見てごらん。列をなし、君を見に来てくれている人たちを。

君の中には、芝居の真髄というものがぎっしりと詰まっていた。
それが、君の死とともにすべて、跡形もなく消え去る。それが、悔しい…。

君のような者は残るだろうが、それは君ではない。
誰も、君のようには二度とやれない。君ほど愛された役者を僕は知らない。
誰もが舞台上の君を好きだった。そして、舞台上から降りてきた君を好きだった。
こめかみに血管を浮かび上がらせ憤る君の姿さえ誰もが大好きだった。

そして、君はせっかちだった。
エレベーターが降りてくるのも待てなくて、
エレベーターの扉を両手でこじ開けようとした姿を僕は目撃したことがある。
勘三郎、そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ。
待ちきれずエレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去っていく。

お前に安らかになんか眠ってほしくない。
まだ、この世をウロウロしていてくれ。化けて出てきてくれ。
そして、ばったり俺を驚かせてくれ。
君の死は、そんな理不尽な願いを抱かせる。君の死は、僕を子供に戻してしまう。


ご焼香を終えて、本堂の外に出てきた、笑三郎さんと春猿さんと、息子Kが映りました。
三人は、その足で大阪・松竹座公演のお稽古に向かいました。



無邪気

2012年12月26日 18:01

フウセンカズラのお猿さん

妹から、飾り物の「福猿」が届きました。

妹と、「あつまり処 わのや」のお仲間たちが、たくさんの「福猿」を作りました。

邪気が無い

11月に東北を訪れた妹が、出逢った人たちに差し上げたいと作っていた「福猿」ですが、
東北でも、なかなか評判がよかったようで、これから希望者に一体500円で分けることにして、
売上を東北に寄付することにしたという話を訊いて、わたしがまとめて頼んであったものです。

「福猿」は、「福が去る」と縁起が悪いので、わたしは「難転猿」と呼ぼうと思います。

南天(ナンテン)の枝に、フウセンカズラの種子で作った九匹の小さな猿があしらってあります。
“ 難を転じて、苦が去る ” という意味が込められているのだそうです。

苦去る

数をまとめて頼んだのですが、
この人にあげよう、あの人も喜んでくれるだろう、などと数えておりますと、
なにやら数が足りなくなってしまいそうであります。

それだけ、“ 難を転じて、苦をとり去ってあげたい人 ” が周りにいるということでしょうか・・。

大きなお世話なんでありますが、
大きなお世話をしてあげたい人が、周りにたくさんいるのでありますよ。

無邪気

それにしても、この「難転猿」、
いっぴき一匹の姿を見ているだけでも、目に楽しいお猿さんであります。

邪気の無い、天衣無縫の子どもを見ているようであります。

子どもの頃は、皆こんなふうでした。
それが、おとなになって、あれもしたい、これも欲しいになって・・・、
皆さんも、年末年始の機会に、子どもの頃を思い出してごらんになったら、いかが・・・
あっ!大きなお世話?

難転苦去る


打ち上げ

2012年12月25日 20:46

打ち上げ

打ち上げ!

きょうは、かみさんと打ち上げをしました。

まぁ、打ち上げをするほど、ことし一年大したこともしていませんが、
きのう、わたしたちにとって、チョイトいいことがありまして、
その意味では、少し肩の荷が下りたと申しましょうか、やはり、
ある意味で、“ 打ち上げ ” なんでありますヨ。

その “ いいこと ” は、長年わたしたちが切望してきたにもかかわらず、
なかなか実現しなかったことなのでありますが、叶ったらしいという報せは、
実に呆気なくもたらされたのでした。

それを聞いたとき、実はバンザイしたい気分でしたが、
孫娘初のケーキ作りが佳境に入っておりまして、
生クリームを塗る仕上げ作業が、微妙なタイミングだったのであります。

そこで、バンザイは封印して、きょうに持ち越しました。
みなさまには、ナンのことかご説明できず、スミマセン。 


それにしましても、
こんな気持ちを共有して、共に語れる相手は、
やはり、わたしにはかみさんしかおりません。

語ると云っても、
実際は、語る必要もないのでありまして・・。


「・・・そしてなぜ 胸が熱くなるのか

 黙っていてもふたりには

 わかるのであってほしい」

吉野弘「祝婚歌」より)


「寒い晩だな。寒い晩です。妻のナグサメとは正に斯くの如きもの也。」

斎藤緑雨、アフォリズム集)


世界一のクリスマスケーキ

2012年12月24日 21:56

クリスマスツリー

日本という国は面白いもので、今宵のそば屋は空いていたことでしょうね。
しかし、大晦日の前の休憩だと思えば、それもアリでしょうか?

さて、今夜はクリスマス・イブであります。
そんなワケで、きょうは孫娘がクリスマスケーキを作ってくれました。

孫娘が作ったクリスマスケーキは、タイヘンに “ 手が込んで ” おります。

<クリスマスケーキの作り方> 

①まず、ロールケーキを1本用意します。

ロールケーキ

②その、ロールケーキを人数分に切り分けます。

③切り分けたロールケーキを、一つずつ平に置きます。

④そのロールケーキ全体に生クリームを塗ります。

生クリーム

ケーキ作り

⑤生クリームを塗った上に、飾りつけをします。

飾りつけ

デコレーション

いかがですか?なかなか難しそうでしょ? 

ケーキの完成

家族ひとり一人に、世界でひとつだけのオリジナル・ケーキができあがりました。

味見

きよしこの夜

世界一、美味いケーキです。


おっ母さんにヨロシクね

2012年12月23日 23:59

小沢昭一さんのエピソードとしては、ワリと有名なお話ですが、
確か、むかし黒柳徹子さんに聴いたお話だったと思います。

小沢昭一さんがしゃぼん玉座を主宰していらしたときのことです。

各高校の生徒たちが総見で、一人芝居「唐来参和」の公演を観ました。
すると、ある高校の生徒たちの観劇態度が大変にお行儀がよかった。
そこで、終演後、代表の生徒たちが小沢さんに挨拶に来たので、
楽屋の中に招き入れて、記念の手ぬぐいを渡してあげたら、
その生徒の一人が、帰りがけに小声で「ぼく、アヤノミヤです。母がファンです」
そう云ったのだそうです。

実は、その日は学習院高等科の観劇日でした。
つまり「アヤノミヤ」というのは、現在の秋篠宮文仁親王であります。

小沢昭一さんも、一瞬なんのことか判らなかったようですが、
即座に「そうかい!じゃ、おっ母さんにヨロシクね」と応えたのだそうです。

さて、わたしが、このエピソードで一番興味深かったのは、
“おっ母さん”が小沢昭一さんのファンだというコトです。

考えてもみてください。
小沢昭一さんが演じてこられた“日本人”たちのことを。

大義も使命感もなく、いいかげんで、助平で、俗悪で、情があって、可笑しい、
有象無象の、裏表のある俗人たちです。
但し、エネルギッシュでバイタリティーあるその者たちこそは、
戦後の日本を創り、日本を支えてきた日本人そのものではないでしょうか?

小沢昭一さんは、昭和4年生まれで、わたしの父と同じ歳です。
小沢さんもわたしの父も、兵隊になった経験があります。
あの時代を、若くして過ごした人の宿命なのでしょうか、
あの不幸な時代を一生背負って生きていらっしゃったお一人が、小沢昭一さんです。

“おっ母さん”が、そんな小沢さんのファンでいらっしゃることが、妙にうれしいのであります。

一見、不釣り合いと思える小沢昭一さんと、アヤノミヤの“おっ母さん”ですが、
意外にお二人は、同じ感覚や生き方を共感し合っていらっしゃったのではないかと、
小生、想像するのであります。

天皇誕生日2012年

きょう、陛下は79歳のお誕生日を迎えられました。
大病と闘病を経られてもなお、お元気に公務を務めてくださっています。

ことしは、明治天皇が崩御されてから100年の年にあたるのだそうです。
わたしたちは、天皇や皇室について、もっと真摯に思いを致すことが、
必要ではないかと・・、今日に至って、わたしは思っています。

披露公演

2012年12月22日 23:01

2013年1月松竹座

来年、2013年は、
元旦初日で、1月大阪・松竹座の襲名披露公演。
3月は、名古屋・御園座で襲名披露公演。
4月は、香川・金丸座(金毘羅歌舞伎)で襲名披露公演。
そのあとも、福岡・博多座、巡業、大阪・新歌舞伎座、京都・南座・・・??
息子Kは、来年ほとんど東京におりません。

息子の家庭は、母子二人の状態がつづくことでしょう。

しかし、来年はみきちゃんも開業して3年目に入ります。
おかげ様でみきちゃんの仕事も、段々忙しくなってきました。
その意味では、来年はワンステップ上がるための正念場だとも云えます。

来年は、そういうワケで、昼は保育園、
夜は、ほとんど夜の保育園(我が家)で過ごすことになるであろう、孫娘なのでした。
夜の保育園には、夜の保育士が二人で常駐しております。


さて、
その孫娘ですが、きょうも踊りのお稽古(日本舞踊)に行ってきました。
ことしの秋から、姉のところで、踊りのお稽古を始めたからです。

いまお稽古しているのは、
さくらさくら」と「紙人形」です。

きょうは、「さくらさくら」をお稽古して、
先生(姉)にとてもほめられたのだそうです。


 さくら さくら
 やよいの空は
 見わたすかぎり
 かすみか雲か
 にほいぞ出ずる
 いざや いざや
 見にゆかん


この分では、来年のやよいの季節には、
さくらさくら」を、ご披露できるようになっているかもしれません。

では、孫娘の“披露公演”も、企画しましょうか・・





ゆず湯

2012年12月21日 22:37

クリスマス・ツリー

人類の最期の一日だというのに、
街のいたるところにイルミネーションが輝きをもって飾られております。

街中が、慌ただしい年の瀬を迎えております。

目の前の“いま、そこにある危機”にあっても、
やはり日本は、日本人は、“平和”なんであります。

さて、きょうは人類滅亡の日ではありますが、
きょうは、二十四節気のひとつ、冬至であります。

昼がもっとも短く、夜がもっとも長い一日なのであります。

ゆず湯

そこで、無病息災で長生きができるとの言い伝えがある、
冬至のゆず湯に孫娘と入りました。

ゆずは、勿体ないので、少しだけ今日の夕餉の酢の物に使い、
のこりを、湯船に入れました。

冬至

おかげさまで、湯船にゆずを浮かべたせいで、
孫娘は、風呂でよく遊びました。

よく温まったのでしょう。
きょうは、早々にかみさんとベットに入りました。

かみさんが、本を読んであげると云うと、喜んで横になりました。


人類滅亡の日に、無病息災で長生きする風呂に入るというのもナンですが、
孫娘に、人類滅亡は関係ありません。

明日また、美しい一日がやってきます。


人類滅亡説

2012年12月20日 22:31

 「これ、ください。」

 「いらっしゃいませ。プレゼント用ですか?お客様」

 「そう。クリスマスのプレゼントにしたいんだけど・・」

 「承知しました。お会計は○万円でございます。」

 「カードでお願いします。」

 「申し訳ございません、お客様。
   明日が終末でございますので、
   現金のみにさせていただいております。」

 「・・・」

さて、なんですか、明日には人類が滅亡するのだそうで、
残されたのはきょう、もうあまり時間がありません。

人類が滅亡してしまうワケですから、
これから年賀状を書いても、意味がありませんね。

天皇誕生日も、クリスマスも、ナシですね。
ところで、来週の忘年会の予約は、キャンセルしておいたほうがいいでしょうか?


さて、この2012年12月21日頃の人類滅亡説というのは、
マヤ文明で用いられていた暦の一つである長期暦が、
この次期に一つの区切りを迎えることからくる終末論なのだそうです。

政治が不安定で、経済的に困窮している時代、
また疫病が流行ったり、飢えた時代に終末論が語られる傾向があるようです。

起こった災いや不幸の原因を、神の怒りや絶対者の審判であると結論づけてしまう、
究極のネガティブシンキングというところでしょうか?

自然が猛威を奮い、大きな災いが起こり、政治が混乱し、経済が落ち込んで、
先行きが不透明な時代、終末論が語られるのは、謂わば必然かもしれません。

それにしても、
明日の人類滅亡の日には、“ 仮に ” 何事も起こらなかったとして、
同じように、首都圏直下型地震東海・東南海・南海地震、そしてなにより、
福島第一原発、特に第4号機に、何も起こらないと断言できる方、いらっしゃいますか?

まぁ、明日には人類が滅亡するそうですから、関係ありませんけどね。 




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