つながる者たち

2012年10月31日 23:59

コスモス

息子Kが、京都に向かいました。
京都南座で11月3日から18日まで上演される新派公演に出演するためです。
京都南座の後は、博多座での公演という具合につづきます。

じつは、昨夜未明に孫娘が39℃の熱を出しました。
昨日の夕方、保育園に迎えに行ったときから、いつになく静かな孫娘でした。
食欲がなく、あまり話そうとも歌おうともしませんでしたが、
食事のあとでウンチをしたので、「ウンチが出なかったから元気がなかったんだ!」
などと、みんなで勝手に解釈していたのですが、風邪がひどくなっていたようです。

頓服を飲ませたせいか、熱は今朝には37,2℃に下がっていましたが、
マイコプラズマ肺炎が流行っていることもあって、保育園をおやすみして、
病院に連れてゆくことにしました。

孫娘は、病院に出掛けるときに息子Kに向かって、
「じゃあね!またね!またきてね」と声をかけたのでした。

こうして、後ろ髪を引かれながら息子Kは京都に向かったのであります。

一方孫娘は、病院に着くと、すぐ絵本を手にとって、
「・・・まいまい、ましたぁ・・」 「△◇○×※・・でした!」
と、勧進帳の弁慶のようなアドリブで絵本を解説しながらページをめくるのでした。
声が大きいので「ちいちゃな声で読んで」と云っても、その世界に入り込んだ孫娘の声は、
ちいちゃくはならなくて、待合室中の失笑を買うことになるのでした。

マスクの子

薬局を出て、お隣の小鳥屋さんの店先のニワトリとチャボとウサギを観ていますと、
むかしからの知り合いが声を掛けてくれました。
亡くなった母のことを懐かしがってくださって、これが曾孫ですと伝えますと、
大層驚いていらっしゃいましたが、小さなチョコレートを一つ孫娘にくださいました。


さて、
きょうは、わたしが代表を務める異業種交流会FTNの10月例会日でした。
今月の講師は、うちのかみさんに頼みました。
まことに珍しいことですが、かみさんが作家であった、祖父・三角寛のことを語りました。

生きているときには、いろいろと世間を騒がせて、
いまだに「サンカ研究」の世界では、物議を醸している三角寛ですが、
子や孫に踊りや作法を躾け、料理をはじめ、漬物や梅干しの美味い作り方を伝え、
文人たちは元より、多くの人たちとのご縁と、家業をわたしたちに遺してくれました。

なんと言っても、この三浦家の創立者でありますし、
わたしたちにとっては大切なご先祖さまなんであります。


昼食を摂ったあとで、孫娘は昼寝をしました。
口の周りに、微かにミルクの跡がついていました。

祖父も、きっと孫娘の寝顔を見ていたことでしょう。
そして、この子になにを遺してやれるのだろうかと、想って見ていたことでしょう。

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目黒のさんま

2012年10月30日 23:59

カタカナのトの字に一の引きようで、上になったり、下になったり。

カタカナのトの字を書きまして、うえに一を引くと下(しも)という字です。

したへ一を引くと、反対に上(かみ)という字になります。

上つ方は、下へ棒が引いてありますから棒から下々のことは更にご存知ないもんだそうで、
上へ一を引きました我々下々の者は上に棒が引いてありますから、棒から上のこと、
上つ方のことはよく解りません。

うまくできてるもんですなぁ、上つ方は下々を知らず、我々みたいな下つ方は・・・
下つ方てぇのはありませんが・・、

下々は上を知らず、ものは中がいいというんで、
中という字は口を書いて上下へ棒が抜けてます。
アレは上下へ口がきけるという意味だそうです。


これは、文楽、志ん生と並び称されることもあった名人、
三代目三遊亭金馬師匠が得意とした「目黒のさんま」の枕です。

秋、この噺を聴きますと、秋刀魚が食べたくなります。

秋刀魚など食したことがなかった殿様が、目黒へ野掛け遊びの折り、
百姓の年寄りが昼餉に時季の秋刀魚を焼く匂いが漂っておりました。
家来に匂いの元はナニかと訊ねると、百姓が焼く秋刀魚とのこと。
「苦しゅうない」と云って、焼きたての秋刀魚を持ってこさせて食します。
腹がすいているところに脂の乗った焼いた秋刀魚ですから美味です。
あっと云う間に5・6匹平らげてしまいました。
しかし、下々の者たちが食す秋刀魚を殿様に食べさせたとあっては重役から叱られる
というので、家来は殿様に内緒にしてくれるよう頼み、殿様も承知します。
しかし、屋敷に帰ってからも秋刀魚の味が忘れられない殿様でしたが、
親戚の屋敷に招待されると、望んだ料理を供する趣向だというので秋刀魚を希望します。
屋敷の台所では、さぁタイヘン。
殿様に供したことのない秋刀魚ですから、焼いて、皮を剥いで、骨を取って、
蒸して脂を落とし、団子にして、餡かけにして、お椀で出しました。
殿様が食べても、予想していたものと違いますから美味くない。
「これは秋刀魚か?」と訊きますと、「本場・銚子の秋刀魚でございます」との応え。
すると殿様が、「それでいかん、秋刀魚は目黒に限るぞ」というオチです。


さて、枕が長くなりました。

この国の首相は、食事をするにもSPなどに配慮して、外食ができない野田そうです。
本当は、好物の牛丼を食べに吉野家へ行きたい野田そうですが、外食は我慢して、
通信販売で牛丼の具を取り寄せている野田とか。
どうせなら、秘書を吉野家に走らせて、テイクアウトさせればよい野田がなぁ・・・。

いくら首相の好物が吉野家の牛丼だとしても、
下々が日々食している牛丼の味は更にご存知ないのではないかと思われます。

祝「貘さんがゆく」

2012年10月29日 23:59

貘さんがゆく

劇団文化座公演「貘さんがゆく」を、かみさんと観に行ってきました。
なんでも「貘さんがゆく」は、劇団創立70周年の記念公演なのだそうです。

「貘さんがゆく」は、実在した詩人・山之口貘の物語です。

山之口貘という人は、1903年(明治36年)に沖縄で生まれたのだそうですから、
昨日のブログに書いた、作家・三角寛と同じ年の生まれです。
1922年(大正11年)に、故郷を離れ上京したという点も同じです。

山之口貘は、詩で、貧乏や借金生活での金の苦労を悲壮感なく綴りました。
また、戦争をつづける国家への想い、核廃絶への願いを綴りました。
そして戦争で傷ついた故郷・琉球(沖縄)への想いを綴りました。
限りなく削ぎ落とされた言葉と軽妙で独特なリズムで綴りました。

この作品は、
そんな山之口貘の生活と、佐藤春夫金子光晴草野心平中原中也等との、
交流が描かれていますが、同じ時代、同じ池袋界隈にいながら、
わたしの義理の祖父・三角寛との接点はなかったのでしょうか?
なかったかもしれません。まったく生き方が違いますから。


ところで、この山之口貘という人の役を、劇団文化座のSさんが演じています。
Tちゃんによると、Sさんは劇団所属24年間で3度目の主役だそうです。

そのSさんは、わたしたち夫婦の二十数年来の友人・Tちゃんのだんなさんです。
Tちゃんも元は劇団文化座の女優でしたが、同じく元・劇団文化座の女優だった、
わたしたち夫婦の学生時代の後輩である I の紹介で知り合いました。

以来、I 同様いろいろなことを気兼ねせずに頼める頼もしい存在です。
そして、むかしからTちゃんは、
ご自身のお母様といっしょに、息子Kの芝居をずっと観てくださっていて、
いつも応援してくれている有り難い存在です。

また、この作品の演出家が、かみさんの青年座時代の友人のだんなさん。
舞台監督は、わたしが地人会時代にいっしょに沢山の仕事をしたMさん。
音響や衣裳のプランナーも、地人会時代にお世話になった方たちです。

しかし、例によって感想は書きません。


想えば、
わたしが、最初に劇団文化座のお芝居を観たのは故郷の浜松で、17~8歳の頃でした。
越後瞽女日記」という作品で、主演は故・鈴木光江さんでした。

それにしても、劇団創立70周年ですから、昭和17年に劇団文化座は創立されたワケです。
戦時下の困難な時代に創立され、戦中から現在に至るまでずっと時代と共に歩みつづけ、
また、日本と日本人を見つめつづけてきた劇団文化座と、今回3度目の主役をされているSさんに、
「おめでとうございます!」

三角寛と説教強盗

2012年10月28日 23:59

気がつけば、月曜日(29日)の未明です。

31日に開催予定の異業種交流会FTN10月例会に使う、
作家・三角寛の資料を調べていたら、こんな時間になっていました。

ペンネーム三角寛(みすみかん)は、本名三浦守(みうらまもる)といいます。
かみさんの母方の祖父です。

三角寛は、1903年明治36年に現在の大分県竹田市で4人姉弟の末子として生まれました。
幼少期に父親と死別し、小学4年を終えると近隣に在った最乗寺に預けられました。
その最乗寺の住職から四書五経を学びます。

19歳のとき、母親や住職の同意を得ぬまま、竹田を離れます。
それから、大正15年、23歳のとき朝日新聞の記者として入社するまでの経緯は、
はっきりしません。

当時、浅草や日本橋が下町と謂われ、そこで成功した商人が、
まだ原生林だった雑司が谷などの池袋界隈に別荘を建てはじめた頃、
雑木林の中に、ぽつりぽつりと家が在る程度だったのだそうですが、
その辺りを中心にした、強盗事件が頻発します。

所謂、サツ廻りの記者だった三浦守、後の三角寛は、その事件を取材します。
手口は、鮮やかで逃げ足の速い犯行でした。
その特徴が、夜中に忍び込んだ民家の家人を縛り上げ、金品を盗ったあとで、
朝まで家に居座りつづけ、その間に家人に対して「用心がわるい」などと云って、
説教をすることでした。

その事件を取材した三浦守が、
説教強盗が現れた」と云ったことから、朝日新聞記者の荒垣英雄が記事を書き、
説教強盗現る!」とタイトルをつけたことから、世間の関心を集める
昭和初期の大事件に発展していったのです。

それは現代で云えば、
三億円事件」や「グリコ森永事件」に匹敵するくらいの大事件でしょう。

その事件の取材に懸けた三浦守の執念は凄まじかったようですが、
或る刑事が云った「逃げ足が速いのは、犯人がサンカだからかもしれない」
という言葉から、「サンカ」について興味を持ったのがキッカケで、
後に、山窩(サンカ)小説と謂われる小説を書き始め三角寛という作家が出来あがるのです。

しかし、
帝都を脅かした説教強盗は、昭和4年2月に逮捕されました。
この説教強盗の犯人は、サンカではなく、妻木松吉という左官職人でした。

三浦守を三角寛という作家にした説教強盗事件でしたが、
三角寛は、戦争中にはサンカが使うという薬草を陸軍に納入して儲けたり、
原野商法に騙されて炭抗を買ったりしましたが、
戦後の昭和23年に、古道具屋が薦めたドイツ製の映写機を購入したことをキッカケに、
池袋の東口、現在のグリーン大通りに面した東京信用金庫本店の在る場所に、
木造の映画館「人世坐」を開設しました。
その大屋根には、当時公に掲揚することは禁じられていた日章旗を堂々と掲げて、
世間の話題になりましたが、不思議なことに進駐軍からのお咎めはなかったのだそうです。


さて、こうしてかみさんの祖父・三角寛のことを書いていると、
いくつもエピソードがあって、切りがありません。

明治・大正・昭和の時代を逞しく生きた、奇人変人の三角寛
ウソも眉つばも多い人だったようですが、我が家のご先祖さまです。

安いウィスキーをチビチビやりやがら、彼の生きた時代を調べていると、
それはそれで、昭和のなぞの迷宮に迷い込んだ気分になりますヨ。

ところで、これは余談ですが、
説教強盗妻木松吉という男は、左官職人だったと先に記しましたが、
実は、その妻木松吉が住みこんでいた左官の親方の家というのが、
雑司が谷の我が家の近所に在る建設会社社長の本家なんです。

その建設会社、
8年前に我が家の建築を請け負ってもらったのですが、これもナニかの縁でしょうか?


■異業種交流会FTN10月例会「祖父・三角寛を語る」講師:三浦庸子 
 10月31日(水)四谷ルノアール・マイスペース。
 詳細は、ここをクリックしてください。




ハロウィーンだっ!

2012年10月27日 20:54

かぼちゃ

なんですか・・・ケルト人の収穫祭なんだそうです。
要するに、そういう意味では、我が国で云うところの秋まつりです。

しかし、ケルト人にとって、1年の終りは10月31日なんだそうで、
この夜には、死者の霊が家族を訪ねて来たり、精霊や魔女が来ると信じられていました。
そういった意味では、我が国で云うところのお盆です。

これらから身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火をしました。
これに因んで、31日の夜は、かぼちゃをくりぬいた中にローソクを立てます。
これは、我が国で云うところの迎え火とか、万灯でしょうか?

そして、お化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねて行って、
子供たちはお菓子を貰うのでした。
もし、お菓子がもらえなかったらイタズラをしてもよいとされています。
要するに、我が国で云うところの無礼講です。

アンパンマンかぼちゃ

お店のプレゼント

目白通り

妖精

妖精さん

たぬきかぼちゃ

かぼちゃ三兄弟

カボチャさん

観覧車の前で

私もう我慢できない!

2012年10月26日 17:35

午前中たまたま、
「私もう我慢できない! ソーシャルメディアのマナー」
という番組を見ました。

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が広く普及したことから起こる、
トラブルや問題点に焦点を当てた、気軽な対談番組でした。

飲食店で料理を撮っている人がいると、不愉快だ。

SNSに、食べに行ったお店の料理を載せているのは、見たくない。

電車の中や飲食店で、連れがいるのにずっとSNSをやっているのが気になる。

自分が写っている写真を、無断でSNSに載せられてイヤだった。

SNSに、悪口や批判的なコトを書かれた。

エトセトラ エトセトラ



確かに!と頷くこともたくさんあります。

しかし、斯く言うわたしも、飲食店で料理の写真を撮ることがありますし、
料理の写真をブログに載せることもあります。
また、家族や知人が写った写真を載せることもあります。

わたしの場合、敢えて云えば、
サイトにやって来てくださるブログの場合は主観を前面に出しますが、
みんなの掲示板的なフェイスブックの場合は、それなりに配慮をします。

SNSは、基本的に世界中の人たちに見られ、読まれるメディアですから、
さまざまな問題も含みつつ、主観を共有してもらおうというツールです。
ですから、マナーも大事ですが、それなりの想像力や配慮も必要だと思います。

たとえば、文章や写真は主観ですから、
それに拒否反応を起こす人がいないとは、云えないわけです。

例えば、子どもの写真だって、
素朴に「可愛いな」と思って見てくれるとは限りません。
邪悪な「カワイイナ」もあるワケですし、
子ども自慢を見せられているような気がして、不愉快だという方もいらっしゃるでしょう。

動物だって同じです。
世の中には、猫がキライ、犬がニガテ、鳥はダメという方もいらっしゃるワケです。

料理にしてもそうでしょう。
その人が行ったお店の料理を、食べられないのに見せられて、
「だから何なんだ?」という気分になるのも解ります。

しかし、それを言い出したら・・・イヤ、言い出してもいいんですが、
そもそも、SNSとはなんのためのものなんでしょう?

元来、自分の想いや情報をやりとりするツールなのですから、
見たいもの、読みたい文章、知りたい情報だけが載っているワケじゃないってことでしょう。

したがって、見たくないもの、読みたくない文章、知らなくていいことが載っていても、
スルーするしかないんじゃないでしょうか?

悪口や批判と云っても、なんの悪口か、なにを批判しているかにも依るでしょう。
個人や個人を特定できるような悪口や批判は、
政治家や芸能人やマスコミや犯罪者など公共性が高い場合に限られるでしょうが、
それにも、おのずとボーダーライン(限界線)はあると思います。

いくら、ご自分に向けられた差別に対する批判だったとしても、
「週○朝日は鬼畜集団」というのは、完全に一線を越えてしまっているでしょう。
たとえ後から訂正されたとしても、越えてしまった言葉は消せません。


第8回「日本文化を愛でる会」のお知らせ

2012年10月25日 23:59

雑司が谷 寛

第8回「日本文化を愛でる会」のお知らせです。

第8回「日本文化を愛でる会」は、11月16日金曜日11時30分から、雑司が谷寛で催します。

講師は、和泉流狂言師・野村万之丞さんのお弟子さんである、菅原香織さんです。

講師からのご挨拶

「門前の小僧習わぬ狂言を演ず」

私の師事した野村万之丞は和泉流狂言師です。
しかし、私が専ら関わらせて頂いたのは、総合芸術家としての万之丞師の活動でした。
師の作りあげる舞台は多岐にわたりました。
かつては一世を風靡するも、
現代に至っては資料の中にわずかに痕跡を留めるに過ぎぬ芸能の復元と今日的蘇生、
新作、祭の創造、狂言の新ジャンルの確立等々、
44年の生涯の中で、驚くほどの業績を残しました。
その中のいくつかを通して、私が得たもの、感じたものをお話してみたいと思います。
題して「門前の小僧習わぬ狂言を演ず」

不勉強のまま、師の茫漠たるフィールドをさまよい続けている私が頂戴した
狂言について話をせよとの今回のお達しは、
何やら、師の叱咤を受けているようで、心の粟立つ気が致します。
さて、いかようなる展開になりましても…ごゆるされませ、ごゆるされませ。


龍

第8回「日本文化を愛でる会」

日時 11月16日(金)11:30~14:00

会費 6,000円(税金・昼食代を含みます)

会場 「雑司が谷 寛」東京都豊島区雑司が谷1-2-11
  
お申し込み先 goodjobcoach@yahoo.co.jp またはこのブログのコメント欄にお願いします。

※席に限りがありますので、お早めにお申し込み下さい。
※お名前、人数、ご住所、携帯電話番号、メールアドレスを記入してください。
※お申込みいただいた方には、振り込み先を連絡いたします。
※振込後のキャンセルによる返金は致しませんので、何卒ご了承ください。

琵琶


「端敵★天下茶屋」

2012年10月24日 23:59

天下茶屋

横内謙介作・演出、劇団扉座のお芝居、
人情噺「端敵★天下茶屋(はがたき てんがぢゃや)」を、かみさんと観に行ってきました。
しかし、例によって感想は書きません。


ところで、天下茶屋というのはラーメン屋じゃありません。
また、茶店の屋号でもありません。
天下茶屋という大阪に在る地名です。

では、なぜ天下茶屋という地名になったのか興味深いのですが、
千利休のお師匠さんが、この地に茶室を建てたのが始まりで、
天下人豊臣秀吉が、この地の水で千利休に茶を点てさせたのが由来だそうです。

この天下茶屋で有名なのは、仇打ちです。
実際に天下茶屋であった仇打ちの物語を基に、歌舞伎や講談が創られました。
歌舞伎では「敵討天下茶屋聚(かたきうち てんがぢゃや むら)」という作品になりました。
澤瀉屋では、猿之助四十八撰の内に入る出し物です。

今回の扉座公演は、その「敵討天下茶屋聚」をモチーフにしていますが、まったく別物です。
「端敵★天下茶屋」というように、「端敵」が付いております。

この「端敵(はがたき)」と申しますのは、歌舞伎の役柄で敵役(かたきやく)のことです。
敵役と申しましても、立敵(たてがたき)に対して、安っぽい端役の敵役のことです。
同じ敵役でも、大謀反人や大悪人ではなく、その家来などの軽薄な小悪人が多いでしょう。

ですから、「端敵★天下茶屋」という作品は、
「端敵(はがたき)」という悪役にスポットを当てたオリジナル作品であります。
世の中で、大悪人がどうして出来あがるのか、興味深いところではありますが、
なにかのキッカケで、善人や普通の人が小悪人に変貌することもあるワケで、
そんなことにも興味があります。

しかし、このところ、
歌舞伎の物語のような、奇怪な大事件や大悪人が報道される昨今であります。

扉座
劇団扉座

あれから8年

2012年10月23日 18:15

啓示

今日で新潟県中越大震災から8年が経とうとしています。

8年前、幾度となく発生する余震と、変わり果てた街並み、
大きな絶望感と復旧の目途もつかず明日の見えない生活を送る中、
心折れることなく、前を向いて歩むことができたのは,
全国の皆様からいただいたご支援と、心温かい気持ちのおかげです。

しかしあの日の震災を忘れることなく、これからは私たちが
東日本大震災で被災された方々を支え、復興モデルとなれるよう、
語り継いでいきたいと思っております。


新潟県中越地震の震源地、小千谷市から届いた便りです。


8年前の、2004年(平成16年)10月23日17時56分、
新潟県中越地方を震源に、マグニチュード6.8、最大震度7の直下型の地震が起きました。
ちょうど、今頃の時間帯でした。

あの時わたしは、東京に遊びに来た弟の家族を東京駅に迎えに行き、
我が家に到着して、弟たちが車から降りているときに揺れを感じました。

あれから、8年ですか・・・
早いなぁ、とも思うのですが、まだ8年か、という思いもあります。

当時被災された皆さんにとっては、どんなにか辛い困難な日々だったことでしょう。
それでも、年を経るごとに活気づいてゆく小千谷市の皆さんの様子に、
困難を想像しながらも、心癒されておりました。

ボランティアは、素性を明かしません。
あのとき出会った小千谷の人々は、わたしのことを知りません。
みなさん、お元気に過ごされているでしょうか?

小千谷各地域の皆さんから伺ったお話をまとめて、証言資料として持っています。
それを読み返すたびに、おひとりお一人のことを想い出します。
長い時間お話を聴いているうちに、段々元気になられていったご様子も想い出します。

ご年配の方も大勢おられました。
人生の後半で大事なものや大事な人をなくし、あれほど辛い思いをされたにもかかわらず、
「戦争中や戦後の辛さに比べたら、このくらいのこと・・」
とおっしゃった方がいらっしゃいました。

昭和の初めを経験された方は強いものだなぁと思ったことでした。

あれから8年、お元気でいらっしゃるでしょうか?



異業種交流会FTN2012年10月例会

2012年10月22日 17:41

三角寛

まことに我が家は、イベントの多い家でして、
10月になってからも、かみさんが旅行に行ったり、姉のイベントがあったり、
保育園の運動会、雑司が谷の御会式、孫娘の七五三がありました。
展覧会は3か所、芝居の公演は2公演、音楽ライブは1回行きました。

そして今月はまだ、息子Kのイベントがありますし、芝居は2公演を観る予定です。

そうこうしている内に、異業種交流会の企画が遅れ遅れになっておりまして、
講師が決まらなかったり、都合が合わなかったりして、告知ができませんでした。

そこで急遽今月の講師を、うちのかみさんに頼みました。
今回は、ハワイやフラのお話ではありません。
かみさんに、お祖父さんのことを語ってもらおうと、思います。

わたしは、お祖父さんには会ったことがないのですが、
それはそれは変わった人だったようです。

しかし、亡くなった母が、
息子Yがお祖父さんに似ていると云っていたことがありましたし、
やはり、家族のDNAにいろいろな意味で影響を与えておりましょうし、
なにより、三浦家の創業者でご先祖さまですから、わたしは畏怖の念をもっております。

かみさんも滅多に語らない話ですから、この機会にお聴きいただければ幸いです。


【異業種交流会FTN2012年10月例会】

【日 時】 10月31日(水)19時~21時

【講 師】 三浦庸子(みうら つねこ)さん

【テーマ】 祖父・三角寛(みすみ かん)を語る

【講師からのメッセージ】
私の母方の祖父三角寛(本名三浦守)は、昭和初期に朝日新聞の記者でしたが
説教強盗」という事件をスクープしたことをきっかけにして、作家に転身しました。
後に「サンカ小説」と呼ばれる小説のジャンルを築きますが、奇抜な冒険小説として、
一世を風靡しました。
戦後は、古道具屋に薦められた映写機がきっかけで、池袋に人世坐という映画館を
オープンさせます。
当時は敗戦直後で、何処にも日章旗が掲げられることがなかった時代でしたが、
三角寛は、当時の巣鴨プリズンの近くでもあった人世坐の大屋根に、日の丸を堂々と掲揚して、
世間の話題になりました。
そして、昭和31年には池袋東口に、永井竜男徳川夢声吉川英治井伏鱒二横山隆一
などを取締役や株主にした、文芸坐という映画館をオープンさせ話題になりましたが、
34年には労働争議が起こり、またまた世間を騒がせました。
このように異人変人奇人であった三角寛、波乱万丈に生きた祖父のことを、
語らせていただきたいと、思っています。

【場 所】 喫茶室ルノアール四谷店マイ・スペース3階A
【住 所】 東京都新宿区四谷1-3-22
【電 話】 03-3351-1052
【地 図】 ここをクリック
【アクセス】四谷見附交差点近く「しんみち通り」入って左。
【参加費】 1.000円
【申込方法】
申し込み無しでも、当日ご都合がつけばいらしてください。
但し、事前に参加できそうなことが分かれば、
下記のアドレス宛てにメールでお知らせいただければ幸いです。
メールには、参加者のお名前とメールアドレスを明記してください。
goodjobcoach@yahoo.co.jp (FTN代表・三浦秀和宛)

【懇親会】 例会終了後、引き続き懇親会を行います。(別途費用)

七五三

2012年10月21日 22:07

鬼子母神参拝

二歳四ヶ月。
きょうは、孫娘の七五三の祝いをいたしました。

来月、息子Kは京都と博多の公演で不在します。
来年、息子Kが東京に居るとは限りませんし、予定も判りません。
そこできょう、近くに在る子育ての護り神・鬼子母神さまに行って、
七五三の御祈祷を受けて参りました。

このように孫娘の七五三を祝うことができたのも、
孫娘が日常の時間を一番多く過ごす保育園の職員のみなさまやお友だち、
遠くから見守ってくださっている、多くの人たちのお陰です。

それにしましても、よく育ってくれました。

引っ越しの準備をしていたら、お隣が火事になりました。
一歳の誕生日を待たずして、保育園に通いはじめました。
大きな災害が起こって、大きな事故も起こりました。
熱性けいれんを起こして入院したこともありました。
それなりに、いろいろありました。

しかし、なんとか元気に育ってくれました。
有り難いことです。

七五三

御祈祷のあと、食事をしようと近くのお蕎麦屋さんに行きましたら、
床の間を背にして座った孫娘の後ろに、「日々是好日」という書が掛けてありました。

日々是好日」とは、毎日よい日がつづいてほしいという意味ではありません。

照る日、曇る日、降る日荒れる日があったとしても、未来の天気は判らない。
いまこうして生きていられる歓びを感じられる境地を“好日”というのだと、
聴いたことがあります。

好日


写真ブログ・ラクーア

2012年10月20日 23:59

観覧車①

ゆうべお泊まりして、きょうは後楽園遊園地ラクーアに行きました。
バァバとジィジに連れていってもらいました。

観覧車に乗るのを、バァバは怖がりましたが、
ジィジがいっしょがいいと云ったので、渋々乗ったバァバでした。
ニコニコしてはいますが、心なしか顔がひきつっているようです。

二歳のわたしが乗ることができる乗り物が少ないので、
次にメリーゴーランドに乗りました。

さいしょにゾウさんに乗ろうと思ったのですが、
少し恐かったので、らくださんに乗りました。
でも、らくださんは動きませんでした。

機関車トーマスの、運転手をしました。

でも、一番気合いがはいったのは、太鼓でした。

ジィジが運転する帰りの車のなかでは、ジェットコースターに乗りました。

観覧車②

観覧車③

観覧車④

これは、ピースじゃなくて、
わたしは、観覧車の乗ったの2度目っていういみ。

観覧車⑤

メリーゴーランド①

メリーゴーランド②

メリーゴーランド③

機関車トーマス

運転手

太鼓

帰路

あしたは、七五三です。



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