新藤兼人という映画監督の使命

2012年05月31日 20:36


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あまりにも、切り口が多すぎて、なにから書いてよいか判らなかったので、
躊躇ったのですが、ほんの少しだけ書かせていただこうと、思います。

一昨日5月29日に、満100歳で亡くなった、
映画監督・新藤兼人さんのことです。

若いときから、新藤監督の多くの映画を観せていただきました。

リアルタイムでなくても、名画座で、或いはビデオで拝見しました。
近代映画協会とか、新藤兼人という固有名詞には、いつも独特の緊張を感じていました。

近年、大竹しのぶさんのコンサートの会場で、
客席に座っていらっしゃるお姿を拝見する機会が何度かありました。
多分孫娘さんでしょうか?
新藤さんが乗っている車椅子を押していらっしゃいました。


新藤監督の映画で、わたしが印象的だった作品を挙げれば、

原爆の子
第五福竜丸
裸の島
ある映画監督の生涯 溝口健二の記録
さくら隊散る
午後の遺言状

といった作品です。

一枚のハガキ」は、まだ拝見していません。


やはり新藤監督の作品テーマとして特徴的なのは、反戦と反核への意志でしょう。

戦後、初めて原爆を扱った映画として有名な「原爆の子
まるでドキュメンタリーのような「第五福竜丸
広島で被爆した移動演劇さくら隊を、ドラマと生存者の証言で描いた「さくら隊散る
それは、最期の作品にして代表作と評される「一枚のハガキ」につながっているのでしょう。

終戦直前に30代で召集され、二等兵として海兵団に入団し、
上官でも年下の若者に扱き使われ、棒で気が遠くなる程叩かれ続けた経験。
同期の中年兵100人の中で94人が亡くなり、生き残った6人の中の一人として、
戦後を生きた新藤兼人という人間の使命感が、これらの映画の動機でしょう。

絶対に戦争はいけない。
核兵器は、あってはならない。
これは、新藤監督の信念です。

大きな犠牲を知っている者は、
人として当たり前の反省を、信念に変えなくてはいけません。

去年起こったことと重ねて想うとき、
監督の揺るぎない信念こそ、いまわたしたちが最も学ばなくてはならないものでしょう。


最後に、
一枚のハガキ」が公開されたときの、新藤監督の舞台挨拶を紹介します。

 新藤は、このような映画を作ってきたんだと時々思い出してください。
 それを思い出していただければ、私は死んでも死なない。
 いつまでも生きて、思い出していただける。それを望みに死にたいと思います。





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どくだみ

2012年05月30日 18:53

どくだみ草

住宅の周りや公園や道ばたなど、特に日陰の土地に自生しているドクダミ草。
草刈りなどしていて、このドクダミを手でむしったり抜いたりすると、
あの独特の悪臭が手について取れなくなります。

しかし、数年前ベトナムに旅行したときのことです。
なにかのサラダの中に入っているドクダミを食べたことがあります。
それは驚きでしたが、それほど匂いはきつくなかったような記憶があります。

香草といえば、
タイで云うパクチー、中国で云うシェンツァイ、所謂コリアンダーだって、
最初に口に入れたときには、驚愕しました。

別名「カメムシ草」というくらいで、カメムシを口に入れたような匂いがしたからです。
べつに、カメムシを食べたことはありませんが、そんな感じだったのです。

しかし、
慣れというのは、面白いもので、
いまでは、タイ料理やベトナム料理、中華料理をいただいていると、
パクチーが入っていなければ美味くないと感じる料理が増えました。

ですから、
ドクダミだって慣れたら、これが入っていなければ物足りないと思う美味さなのでしょう。


それにしてもこの季節、梅雨を迎える前のいい季節です。

ドクダミが生い茂っていますが、よく見れば、なかなか可愛い花を咲かせています。
流石に、美味そうだとは思いませんが、むかし老人が、生の葉を揉んで付けると、
おできや湿疹やかぶれなど皮膚病によいと、教えてくれたのを思い出しました。

また、いまではドクダミ茶は珍しくなくなりました。

身体の余分な水分を体外に排出する利尿作用、解熱効果、血圧降下、解毒作用。
薬事法に触れない程度の情報は、あらゆるところに載っています。


この独特の匂いも、或る意味で季節の香りかもしれません。

どくだみ

のぶちゃん

2012年05月29日 21:31

きょう、のぶちゃんが、挨拶しに来ました。

「長い間、本当に、お世話になりました。」


亡くなった義母や、義父や義姉、わたしたち夫婦は、
のぶちゃんのことを、「のぶちゃん」と呼んでいます。

のぶちゃんは、三浦家の養子になった義父より先に、三浦家にいた人でした。
亡くなった義母よりも、年上です。


のぶちゃんの実家は、わたしが産まれた徳島です。
徳島県の牟岐町というところが、故郷です。

漁師町で、漁師の家に産まれたのだそうです。
兄弟姉妹の多い家庭だったようです。

若くして、故郷を離れ、東京にやってきました。
祖父が生きていたころから、三浦家で働き始めたのだそうです。
ですから、義父が三浦家に来るよりも先に、のぶちゃんは三浦家にいたのです。

そんなのぶちゃんですが、
数年前まで、一週間に一度のペースで働きに来てくれていました。
主に、義父の部屋の掃除と洗濯と昼食づくりをしてもらっていました。

年下の義父より活発に動きまわっていたのぶちゃんでしたが、
身体に心配なところが見つかって、しばらくお休みするということでした。
しかし、年齢的なこともあって、正式に退職することになりました。
そして、改めて挨拶をしたいというので、きょう来てくれたというワケです。


わたしたちは、のぶちゃんと呼びますが、
息子たちは、クンクンと呼びます。

なぜ、クンクンなのか、判りません。

息子たちにとっては、気がつけば既にいた大人の中に、
クンクンもいたワケです。

家族ではなく、かといって他人というのでもない身近な大人、クンクン。

クンクンは、ご飯も作ってくれました。
掃除も洗濯もしてくれました。
話相手にも、遊び相手にもなってくれたのです。

義父より2歳年上だそうですから、ことし86歳。
持病があるとしても、年の割には元気で、若く見えます。

わたしにも、何度もなんども、
「お世話になりました。」と、繰り返し云って、帰ってゆきました。


のぶちゃん!
六十有余年、本当にお疲れ様でした。

お身体を大切にして、また遊びに来てくださいね。
ありがとう、ございました。

そういえば、のぶちゃん!
孫娘、三浦家の五世代目に、まだ逢っていなかったよね。






「シズウェは死んだ!?」

2012年05月28日 18:05

シズウェは死んだ!?

「差別」という言葉から、なにを、どんなことを連想されるでしょうか?

連想される「こと」や「内容」は、ひとり一人違うのではないでしょうか。
「差別」という言葉からだけ、イメージを持つ方は幸いです。
「差別」を受けた方とは、違うからです。


地人会時代の仲間が、演劇制作体地人会の意志を継いで、
新たに「地人会新社」という演劇制作体を興しました。

そして、その第1回の旗揚げ公演に
シズウェは死んだ!?」を上演しています。
きょうは、その「シズウェは死んだ!?」を観てきました。

赤坂レッド・シアター

シズウェは死んだ!?」は、
アパルトヘイト時代の南アフリカの都市ポート・エリザベスを舞台に、
黒人とカラード(混血)だけに義務付けられた「パス・ブック」に翻弄される、
二人?三人?・・・四人?の男たちの物語です。

シズウェは死んだ!?」は、
アソル・フガード/ジョン・カニ/ウィンストン・ヌッショナという三人の共作です。
それも、三人が戯曲を書かない形で創りあげたものなのだそうです。
なぜ記さなかったのか?
当局の検閲や上演禁止を避けるためです。
しかし、この作家と二人の黒人俳優の共同創造作業は、
後にロンドン劇評家の年間最優秀戯曲賞を受賞しています。

シズウェは死んだ!?」という作品は、
1987年木村光一演出の地人会公演で「こんな話」という題名で日本初上演されています。
1987年は、最大の貿易相手国の民族である日本人が「名誉白人」として扱われ、
まだ人が人として認められず、分離され隔離されていた時代でした。

きょうもまた、
演劇が担っている役割について、考えさせられました。


ところで、芝居が終わって劇場を出ると、劇場の前の通りが濡れていました。
携帯の電源を入れて、メールをチェックすると、
ナント!防災速報が・・・

Yahoo! JAPAN 防災速報
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豪雨予報 東京都豊島区 猛烈な雨(82mm/h)

----------------------------------------------------------------------------
【発表時刻】
5月28日14:20

猛烈な雨(82mm/h)の予測をお知らせします。

【大雨予測地域】
東京都豊島区

【予測される雨量】
14:20~ 0mm/h
14:30~ 0.7mm/h
14:40~ 4mm/h
14:50~ 44mm/h
15:00~ 82mm/h
15:10~ 64mm/h

今後の情報に注意してください。

▼詳細情報はこちら
http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/13/

<参考:降水量の目安>
80mm/h以上 猛烈な雨(息苦しくなるような圧迫感がある)
50mm/h以上 非常に激しい雨(滝のように降る)
30mm/h以上 激しい雨(バケツをひっくり返したように降る)
20mm/h以上 強い雨(どしゃ降り)


82mm/hって・・・
1時間降ったら82mmになるという雨量ですよね!?・・・あたりまえですが。

ダメだ!洪水だ・・・

セミナーに出掛けたかみさんの後で、
わたしは、廊下の窓を開けっ放しで出掛けていたのでした。

どんな状況か戦戦兢兢として、帰宅しますと、
雨漏り
こんな感じ。

廊下には水たまりができて、壁も濡れていましたが、心配した程のことはなく安心しました。
しかし、もしこれが強風や竜巻だったとしたら、屋根がなかったかもしれません。

桑原桑原



「臨界幻想2011」

2012年05月27日 18:03

臨界幻想2011パンフレット

ポスターやパンフレットの表紙に、モチーフとして描かれているのは、
たぶん石棺と・・バベルの塔でしょうか?

バベルの塔とは、
優れた科学技術をもってすれば、神をも超えられると過信し、
神の領域に挑んだ愚かで自惚れた人間が創った塔のことです。


きょう、青年劇場公演「臨界幻想2011」を観てきました。

わたしの演劇の師、
故・千田是也先生が30年前の1981年に初演出したという作品の再演です。

描かれる、エネルギー政策を原子力に転換させ利権構造を作り出す政治。
利権と金に群がり、がんじがらめになってゆく産業界や原発立地地域の人々。
炭鉱から原発へと渡り歩くジプシーのような、原発労働者。
ずさんな労働環境下で働く下請け、孫請け業者と、被曝し身体を壊してゆく人々。
そして、30年後に起こった原子力事故をも想定し、予想したかのような物語です。

30年前、反対や妨害を受けつつ、
原発所在地や原発誘致予定地である全国24か所で上演を行ったという、
青年劇場らしい取り組みです。

それにしても、いまこの時代を過ごしている我々としては、
30年前に、この戯曲を書かれたふじたあさやさんと、演出された千田先生、
そして青年劇場の先見の明に驚かされます。

しかし、
30年前のその懸念が証明されたことに、歓びを感じている人はいないでしょう。

ふじたあさやさんや千田先生たちは、
30年前既に、いまわたしたちが持っている認識をお持ちだったのです。
そして、演劇人の使命のままに、この原子力の問題を描いたのでしょう。

しかし、
その危機感を共有できないわたしを含めた多くの人々の無知と無関心に黙殺されたのです。
それが、未曾有の原発事故が起こってから注目されるのは、なんと虚しいことでしょうか。

わたしをはじめ、多くの人たちは、この作品を観て、「そうだ、そうだ」と追随する前に、
自分自身の過去の無知と無関心と怠慢を、まずは認識し反省するべきでしょう。

臨界幻想2011

畏(おそ)れを忘れた日本人へ

原発を問い
曖昧な現実を疑え

たかがお湯を沸かすだけのために
どうして核分裂を起こさせる
必要があるのだろうか


総武線の記憶

2012年05月26日 23:59

千葉に向かう電車の中で、思い出していました。
去年、千葉に向かう電車の中で、考えていたことを。

その報せを受けたのは、
去年の手帳をみると、5月28日の夜でした。

そして、後輩の銅版画の展示を観に千葉に向かっていたのは、6月1日のことでした。
4日間も経っていたのですが、それはまるで一日・二日の出来ごとのような印象を残しています。


一昨年の7月のことでした。
Kさんから、突然に電話がかかってきました。

唐突なはなしでしたし、心配な内容でした。
まだ、ご家族にも話していないと云っていました。

電話の最後、わたしは、かなりはっきりと、
わたしの懸念していることを具体的な言葉にして伝えました。

すると、Kさんは、
「大丈夫だよ、馬鹿なことはしないよ」
と云いました。

それから、電話やメールでのやりとりがつづきました。
報告であったり、相談であったり、愚痴であったりしました。

自分の人生に、青天の霹靂のように起こった理不尽な出来事に、
抗いながらも、家族のために前向きになろうとしていたKさんでした。

やりとりの度に、会って話そうと持ちかけましたが、
予定が合わない・忙しいというので、一度も実現しませんでした。
電話はともかく、わたしに顔を見られたくなかったのかもしれません。

そして、去年の5月25日にKさんが亡くなったという報せを、
去年の5月28日に受けたのでした。


いまだに、Kさんの最期のことを、わたしは知りません。
ご家族のお心の整理がつかないからだと、わたしは思っています。
ですからわたしは、まだお墓参りもしていません。
お墓が何処だか、分からないのです。

そして、ご家族にわたしたちのやりとりについてお話しする機会ももてていません。
Kさんがご家族に話す前にかかってきた電話の内容も、いまだ伝えられずにいます。


5月25日は、
わたしとかみさんの結婚記念日です。

たぶんKさんは、そのことを忘れていたのでしょう。




アルゼンチン・タンゴ

2012年05月25日 23:59

結婚記念日④

かみさんと、
食後に、近所のタンゴ・バー「エル・チョクロ」に行きました。

結婚記念日⑥

きょうは、
むかし、わたしたちが結婚した日です。

結婚記念日⑦

結婚記念日②

出逢ってから、
何度こうして、いっしょに酒を飲んだでしょう。

結婚記念日⑤

何回、けんかしたことでしょう。

結婚記念日⑩

店内にいたお客が、踊り出しました。

タンゴは、息を合わせて即興でおどるのだそうです。
男性のリードに身をまかせて、女性は自由におどります。

店主の伊藤さんに云わせれば、
名人になると、まるで空気投げのように、思いのままに女性をおどらせる人がいるのだそうです。

結婚記念日③

女性を、思いのままにおどらせる。
男性に身をまかせながら、女性も自由におどる。

わたしは、かみさんを自由に踊らせてあげているでしょうか?

すくなくとも、
思いのままに踊らせることができないのは確かですが・・・

結婚記念日①

結婚記念日⑧






急にかきまぜ

2012年05月24日 23:23

かきまぜアップ

急に、“ かきまぜ ” が食べたくなりましてね。
帰りにスーパーに寄り、簡単に材料を買いました。

家に帰って、早速米を研ぎまして、昆布を一枚入れて飯を炊く予約スイッチを入れます。

干椎茸を水でもどします。

高野豆腐は、出汁に塩少々・砂糖・酒・醤油を入れたものに、
乾燥した高野豆腐のまま入れて、落とし蓋をして火にかけます。

人参を千切りにしたものとインゲンを軽く塩茹でします。
茹でたら水に晒し、水を切ります。

干椎茸と油揚げを細く切り、甘辛く煮ます。

錦糸卵を作ります。

買ってきた〆サバを切り身にします。

そして、合わせ酢を作ります。
酢は、米酢に塩と砂糖を入れ、そこにわたしは柚子の搾り汁を多めに入れます。

さて、飯が炊けたら、酢で濡らした寿司桶の中に空けます。
手早く米を切りながら、団扇で風を送りつつ合わせ酢を振りかけてゆきます。

酢飯が冷めたころ、それぞれの具を入れてかきまぜてゆきます。
煮た具が入ったら、そこに金時豆と〆サバの切り身を入れてかきまぜます。
最後に、錦糸卵を上に盛り付ければ、出来あがり。


むかし、実家ではなにか特別のコトがあると、母がかきまぜを作ってくれました。
かきまぜは、父の故郷で、わたしが産まれた徳島県の勝浦の辺りで謂う、チラシ寿司のことです。

かきまぜは、高野豆腐や干瓢や干椎茸や油揚げや様々な野菜やなど煮た物を入れますが、
金時豆や、桜デンブなどの甘いものも入れることと、
川魚でもサバでもコハダでも、なにか〆た魚を入れること、
そして、酢に柚子やすだちの果汁を多めに入れることが、特徴と云えるでしょう。


別に、なにも目出度いコトなんかありません。
急に、かきまぜが食べたくなっただけです。

かきまぜを食べると、なにかいいことがありそうな気がしただけです。

かきまぜが出来あがると、通行証を首から下げて、
保育園に孫娘を迎えにゆきました。

孫娘と手をつないで、道草しながら帰ってくる道々が楽しみです。
気がつけば、思い切り大きな声を出して孫娘と歌っている自分がいます。

家に帰って、孫娘にかきまぜを食べさせました。

かみさんは、生徒さんが来て、フラのレッスンをしています。

孫娘は、時間をかけて、ゆっくりでしたが、マイペースで、遊びながら、
たくさんかきまぜを食べてくれました。

〆サバを難なく食べたのには、少々おどろきました。


急にかきまぜ

修羅を生きるおんなたち

2012年05月23日 18:20

<きょうの拙文は、エッセイ風にしてみようと、思います。>

つくづく、井上ひさしという人の評伝戯曲を井上ひさしが書いたら、と思う。
井上ひさしは、評伝物が得意だった。
道元禅師乃木大将小林一茶宮沢賢治松尾芭蕉樋口一葉石川啄木・・、
まだまだある。変わったところでは、三億円事件の犯人まで芝居にした。
実在の人物の実際にあったことも芝居にしたが、なかったことも井上にかかると
事実以上のリアリティーをもつ話になった。

その人物に関わる資料の調べ方は、徹底していたようだ。
本人の日記などはすべてを読み、芝居の素材やヒントを探し出すのだという。
一本の戯曲が完成するまでに読まれる資料や書籍で、大きな本棚が一杯だそうだ。
もしかしたら、ちょっとした書庫ができるかもしれない。

その井上ひさしさんの元の妻である、
西舘好子さんの著書「表裏井上ひさし協奏曲」を手にして、ある蕎麦屋に入った。

今朝、出掛けにかみさんに「これ読んだ?」と云って渡されたのである。
どうやら、義父宛てに好子さんから贈られたものらしい。
それを、かみさんが父の部屋で見つけて、借りてきたようであった。

父は、池袋で所謂名画座と称された映画館を経営していた。
しかし、学生時代から演劇青年であった父は、演劇にも手を出した。
映画館の地下倉庫を改築して「ル・ピリエ」という小劇場を創ったり、
当時日本では初めてであった、プロデューサーシステムによる集団
五月舎」の運営にも関わった。
その五月舎の主宰者であった、プロデューサーの本田延三郎さんを、
援助したり、稽古場を提供したりした。

井上ひさしさんが、その本田延三郎さんに口説かれて、
五月舎に初めて書き下ろしたのが「藪原検校」である。
パルコ劇場が西武劇場の名で開場するときのこけら落とし興行が初演である。

稽古場は、祖父の漬物倉庫だったものを改築して芝居の稽古場にした。
その建物は、祖父が購入した当時はメリヤス工場だったのだそうだ。
稽古場は、いまは懐石料理屋になっている自宅の裏に在った。
だから、芝居の稽古の合間に自宅の茶の間に作家や演出家や俳優が集まって
茶を飲んだり、食事をしたり、打ち合わせをしていたのだそうだ。
そんな話は、亡くなった世話好きの義母から聴いた。

井上ひさしさんや西舘好子さんとは、そんな付き合いがあってのことだが、
表裏井上ひさし協奏曲」が発行される前に、好子さんが拙宅に遊びに来てくれた。
そのときに、孫娘用のおんぶ紐などいろいろ土産をいただいたが、
多分ご本を贈ってくださる約束を父にしたのだろう。


ところで、蕎麦屋に入ると、狭い店内に四人掛けの卓が四つ有った。
三卓が客で占められていたので、店員の女の子に空いている卓を促された。
注文をして、好子さんのご本を読んでいると、隣の卓の客が食事を終えて立った。
向かいの卓の客も勘定をしようと立ち上がった。
店員は、勘定をする前になにやら客に訊かれて、その応対をしているようだった。
そこへ、女性客が一人入ってきた。
客が席を立った卓には、片付けられていない器が残っている。
すると、店主が奥から出てきて、「先に○○をやって!」と店員に指示をした。
店主も手伝って、待たされていた女性が隣の卓に座り、店主は奥へ引っ込んだ。
店員の女の子が、茶を持ってきて、女性の注文を訊き奥に通した。

それから暫く気づかなかったが、私の注文したものを店主が持ってきた。
店員の女の子の姿が見えない。暫くすると洗面所から彼女が出てきた。
泣いていたようだった。それに気づいた近所の客とみられる女性客が、
「大丈夫?」などと残酷な質問をした。むろん店員はそれに応えない。
また、洗面所の中に入ってしまった。
店主や女将が客の応対をしている間、出てこなかった。
私も早々に食事を終えて店を出たから、後のことは知らない。

それにしても、なんと打たれ弱いことか。
たった四卓の客を捌けられなくて叱られたから、泣いている。
自分の感情が優先してしまって、仕事と客を放り出している。

比べることではないが、
井上ひさしの周りにいた女性たちは凄いなぁと、あらためて思った。
母にしても、妻にしても、娘たちにしてもである。
その修羅とジレンマを生きる女たちは、どこまでも逞しいのであった。



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Before-After

2012年05月22日 19:11

捻挫

完治

お陰さまで、足が治りました。


最初に痛みを感じたのは、2月の下旬から3月の中旬までの間だったでしょうか?
はじめの頃は、右足の外くるぶしの下辺りから足の甲にかけて痛んでいましたが、
やがて、内・外くるぶしの下辺りから、足の甲にかけて時に部位を変えながら、
痛みを伴なった腫れともむくみとも云える状態がつづいておりました。

はじめは、長時間胡坐(あぐら)をかいていたことが原因かと思っていました。
しかし、あとから考えて、或るところで正座していたのが原因かもしれないとも思っています。

いずれが原因だったのか、いまではハッキリしません。

しかし、運動していてとか、事故に遭ってというような原因ではなく、
ごく日常の所作をしていて、気づかぬうちに約2ヶ月間痛みがとれず歩行も困難という事態です。
痛みは、脱臼しているような感覚に似ていました。
ずっと鈍痛がしていましたし、歩くと痛みが増して歩けなくなることもありました。


それにしても、青天の霹靂と云うか、一寸先は闇と云うか、なにが起こるか分かりませんね。

これは、老化現象と云うのでしょうか?運動不足と云うのでしょうか?
わたしのそれは、多分両方だったのでしょう。

さてそれで、約1ヶ月ほど前から、
接骨院やら整形外科やら鍼灸院やらリンパマッサージやら、治療して参りました。

使えば痛む状態でしたが、固定してしまうと他の筋肉や筋まで衰えてしまいますので、
痛みとリハビリ(マッサージやストレッチ)のバランスをとって治療をつづけました。
そして、お陰さまで、どうやらここへきて、やっと治ったようです。
ここ数日は、少々長く歩いていても、痛くなりません。

きょうも、鍼灸院へ行って治療していただきましたが、
いまは、軽く熱をもっているくらいだという、お診立てでした。

で、どうです?
上の写真が4月中旬に撮ったもので、下の写真はきょうのものですが、
4月中旬に写した足が腫れていると云うか、むくんでいるのがお分かりでしょうか?


皆さまも、お気をつけあそばせ!
この程度のケガですが、全治2ヶ月だったんですから。



「Neo Japonica」

2012年05月21日 23:59

neo Japonica

3年ぶりだったでしょうか?
久しぶりに、奥村豊さんとよりかなゑさんのライヴを聴きに行ってきました。

聴きに行った理由は、3つありまして、
一つ目は、もちろん奥村さんとよりさんのジャズが聴きたかったからですが、
二つ目は、こんやはかみさんが不在だったから。
三つ目は、場所が雑司が谷から都電荒川線に乗れば近い大塚駅前近くだったからです。

毎回、ライヴのご案内をいただきながら、ここ数年、失礼してばかりでしたから、
少々後ろめたい気持ちで出向いたのですが、意に介せず歓待してくださったので、
恐縮してしまいました。


奥村豊さんと、よりかなゑさんとは、
ビリー・ホリデイの生涯を描いた演劇制作体地人会公演
奇妙な果実」の再演時に、制作担当者と出演者という関係で出会ったのでした。
奇妙な果実」は、わたしが地人会に所属して、初めて制作を担当した作品です。

奇妙な果実」という作品は、正式にはミュージカルではありませんが、
ビリー・ホリデイの生涯を描くのですから、当然唄う場面があるわけで、
芝居には生演奏のジャズバンドが登場しました。
ビリー・ホリデイ役を主演したのは、前田美波里さんです。

その作品の制作に携わったときに、
ギターリストでバンドリーダーだった奥村豊さんと、奥村夫人で、
ジャズボーカリストで、二科会同人でパリ賞も受賞した画家でもある、
よりかなゑさんに出会ったのです。
19年前のことでした。

エスペト・ブラジル

会場は、大塚駅南口近くに在る「エスペト・ブラジル
その名のとおり、ブラジル料理とライヴを楽しめるお店です。

ブラジル

ジャズとブラジルビールのボヘミアフェジョアーダをいただいて、
すっかりイイ気分になって、都電の客となりました。

それにしても、一人で食べるフェジョアーダは多かった。



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奥村豊&UNIT 7、よりかなゑ 他

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鉄棒少女

2012年05月20日 23:59

水遊び

わたしが、孫娘を公園に連れて行って・・・・えっ、なに?、付いて行って!?

まぁ、どっちでもいいんでありますが、孫娘と公園に行ったのでありますよ。
公園に行くのが嬉しくて、犬のように同じ場所でクルクル回り出す孫娘なのでありました。

道路に引かれた白い線の上を歩く孫娘。
同じようにわたしが両腕を水平にして歩いていると、孫娘が「ゆ~ら、ゆら・・・」
これ、なんのことか理解するのが難しいんでありますが、
ブランコかなにかをさせろと云っているんであります。

「じゃ、どっち?」
と訊いたわたしを無視して、まずはブランコに突進する孫娘なんであります。

「はい!じゃ、やって」
と促すわたしに向かって、「いっしょ、いっしょ・・」
独りで、ブランコに乗るのが、まだコワイ孫娘なのでありました。

それで、狭い椅子に腰かけてブランコに乗り、膝の上に孫娘を抱きかかえました。
大した揺れでもないのに、地面を見て、空を見て、興奮冷めやらぬ孫娘なのでありました。

さて、その次は、水道なんであります。

押せば下に向かって出る水と、右に回せば上に向かって吹き出る水飲み用の水があります。
蛇口を押したり、回したり、一つひとつは難しかったかもしれません。
しかし、孫娘は濡れたり転んだりすることも意に介せず、ひたすらに没頭しているのでした。
「○○、節水にご協力ください」

さてさて、その次は、「ブゥブ」なのでした。
壁に円盤が付いているだけの遊具に夢中で、円盤を車のハンドルの如く回すのでした。

ただ円盤を回しているだけで、車を運転しているような気になっているのですから、
大した想像力、役柄への集中力なのであります。

次に、吊り橋を渡ります。
鎖に繋がれた横木の丸太を渡ります。
これも揺れてゆらゆらします。
なかなか次の一歩が出ない孫娘を見ると、コワイのではなくて、揺れを楽しんでいるようです。
孫娘の手を握るこちらの方が、緊張してしまいます。

さて、いよいよ大団円。

最後に、「ゆ~ら、ゆら」がなんのことだか解ったような気がしたのでありますが、
それは、鉄棒のコトでした。

鉄棒

昨日公園で、わたしが老体に鞭打って逆上がりをして見せたのを見て、
すぐに鉄棒に飛びついた孫娘だったのでありますが、
ナント、見れば足が浮いているではありませんか!

2歳前に鉄棒にぶら下がるって、当たり前なんでしょうか?
柱を登った君の叔父もいましたけどね・・・

息子たち

ロンドンには、間に合わないかも・・・。








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