しょうもない話

2011年11月30日 23:43

牛丼の「すき家」に強盗が頻発しているのだそうです。
深夜営業の時間帯に、店員が独りで接客しているために狙われやすいのではないか、
ということで、警察から「すき家」に対して深夜の従業員体制に関して指導があったのだそうです。

そこで、関西の警察関係者に、「すき家」が狙われる理由を訊いてみますと、「隙や!」


ことしのNHK紅白歌合戦のテーマは「あしたを歌おう。」なのだそうです。
ことしは、東日本大震災をはじめ、台風による被害など悲しい出来事がありました。
しかし、サッカー男子がアジア・チャンピオンに輝き、
女子がワールドカップで優勝するなど、大きな励ましをもらった年でもありました。
そして、来年はロンドンオリンピックの年。
多くの選手たちの活躍が私たちに感動・希望・勇気を届けてくれることでしょう。
そこで、2011年を締めくくる第62回NHK紅白歌合戦は、
そんな明るいあしたへの一歩を踏み出す前向きな紅白にしたいと考えて、
来る2012年に向けて、みなさんと一緒に明るいあしたの歌を歌える番組にするのだそうです。

そこで、事情通の方に訊いてみました。「ことしは、紅組と白組、どちらが勝つでしょう?」
「さぁ?どちらにも灰色組の人がいますからね。」


そろそろ単語を発し始めた孫娘です。
頻発する単語は、やはり「パパ」と「ママ」ですが、
動物を見ると、それが猫でも「ワンワン」と云います。
孫娘の父親である息子も、アリを見て「ゾウ」と云ったくらいですから似た者親子です。

さて、孫娘と二人だけのときに、
「ジイジ(爺じ)と云ってごらん」と教えましたら、孫娘が真似して「ジジイ!」
無理に教えるのはやめました。


野田総理が事前協議に入ると声明を出された、環太平洋戦略的経済連携協定について、
長渕剛さんが歌で反対意見を表明されているようです。

「TPP、TPP、TPP、TPP、ろくなもんじゃねえ


しょうもない!




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干し芋

2011年11月29日 18:03

干し芋

「サツマイモが食べられたら良い方だったよ」と、よく両親たちから昔の話を聴きました。
戦中戦後の代用食といえば「芋」、中でもサツマイモが代表格でしょう。

沖縄100号」「護国イモ」といった、戦時特有の品種が作られていたようです。
当時の農民は、イモの味や品質より、大きさと目方を競い合ったのだそうです。

戦時中は、
代用食としてだけでなく、でんぷん粉にしたり、アルコールを採ったりしたようですが、
荒れた土地でも作ることができる救荒作物ですし、そういった意味でも、
サツマイモは万能作物だったのでしょう。

さて、薩摩芋というくらいですから、
現在でも、都道府県別で云えば、鹿児島県が作付面積や収穫量で一番なのだそうですが、
こと干し芋で云えば、現在茨城県がダントツの1位で、静岡県が2位の生産量です。
しかも、現在の静岡県御前崎市辺りが、干し芋(サツマイモ)の発祥の地なのです。

わたしの実家が在る浜松の三方原でも、干し芋をよく食べますし、
わたしが子どもの頃は、おやつの定番でした。

その頃、開拓地であった三方原台地では、サツマイモをよく作っていましたし、
わたしの実家では、みかんの樹と樹の間にサツマイモを植えておりました。

乾燥

さて、
先日、みきちゃんの牧之原のお母さんが、干し芋用のサツマイモを送ってくれました。

品種は判りませんが、多分干し芋用のイモは、
所謂、蒸かしたり煮たりして食べて美味いイモではありません。
昔は「農林1号」という品種で干し芋を作っていた記憶があります。

せっかく送ってくださったので、干し芋を作ってみることにしました。
べつに、干し芋の専門的な作り方を知っているワケではありませんが、
そこは農村育ち、見よう見真似で作りました。

まず、イモを洗ってピーラーで皮を剥きます。

蒸鍋の湯を沸かしたところに、イモを並べフキンを被せます。

蒸上がったイモを、縦切りにします。
わたしは包丁で切りましたが、ピアノ線や針金で切るとキレイに切れます。

ザルや網の上に並べて干します。

ここでポイント!
「天気がよい乾燥した日が続く時期を見計らう事」

3日間くらい天日干ししたら、軟らかめの干し芋が出来あがります。
それ以上干せば、ハードな干し芋になります。

わたしは、ハードが好きなので、まだ干しつづけております。


さて、
みかんと並んで、孫娘の好物は干し芋です。
ごはんを食べなくても、干し芋は食べます。

干し芋は、孫娘の代用食です。

焼き芋

外郎売

2011年11月28日 23:59

舞台の幕が開くというのに、芝居の段取りやセリフを憶えていない。
そんな経験をしたことは、ありませんか?

ない?

役者じゃないから?・・・

そうですか。

わたしは、いまだによくそんな経験をすることがあります。
いや、現実ではなくて、夢の中ででありますが。


昨夜も、そんな夢を見ました。
昨夜の場合は、芝居の最中だというのに、セリフが分からなくなってしまうという状況でした。
なにか町長さんのような役柄でして、演説の最中にセリフが分からなくなってしまうというような、
そんな夢だったのでありますが、こういう夢に限って実にリアルなのであります。

そのセリフというのが、どういうワケか、
外郎売」の独り科白なのであります。

先日、海老蔵さんの「外郎売」を観たからかとも思いますが、
わたしは、日常でも「外郎売」のセリフを諳んじております。

俳優訓練をしていた頃からの習慣で、
所謂、発声とかつ舌の練習のためなんであります。

それにしても、なにか未完了なことがあるからなのか?
疲れているからなのか?
いずれにしましても、なんらかの強迫観念の成せる夢なのであります。

あぁ・・怖かった!


拙者親方と申すは、お立ち会いの中にご存知のお方もござりましょうが、
お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて
青物町を上りへおいでなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門、
只今は剃髪致して円斎と名乗りまする。

元朝より大晦日まで、お手に入れまするこの薬は、
昔、陳の国の唐人、外郎といえる人、我が朝へ来たり、
帝へ参内の折から、この薬を深く籠め置き、
用ゆる時は一粒ずつ、冠の透き間より取り出だす。
依ってその名を、帝より「透頂香」と賜る。
即ち文字には、「透き、頂く、香い」と書いて「とうちんこう」と申す。

只今はこの薬、殊の外世上に広まり、
方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、
色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と致せしは、親方円斉ばかり。

もしやお立会の内に、熱海か塔の沢へ湯治にお出でなさるるか、
又、伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
お上りならば右の方、お下りなれば左側、八方が八つ棟、表が三つ棟、玉堂造り、
破風には菊に桐のとうの御紋を御赦免あって、系図正しき薬でござる。

イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、ご存知ない方には、正身の胡椒の丸呑み白河夜船、
さらば一粒食べかけてその気味合いをお目にかけましょう。

先ずこの薬を、かように一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、
イヤどうも言えぬわ、胃、心、肺、肝が健やかになりて、
薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。
魚、鳥、茸、麺類の食い合わせ、その他、万病即効あること神の如し。

さて、この薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭独楽が裸足で逃げる。
ひょっと舌が廻り出すと、矢も盾もたまらぬじゃ。
そりゃそりゃ、そらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。

アワヤ咽、サタラナ舌に、カ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重、
開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ、
一つへぎへぎに、へぎ干し、はじかみ、盆豆、盆米、盆牛蒡。
摘蓼、摘豆、摘山椒、書写山の社僧正。
粉米の生噛み、粉米の生噛み、こん粉米のこ生噛み。
繻子、緋繻子、繻子、繻珍。
親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛子嘉兵衛、子嘉兵衛親嘉兵衛。
古栗の木の古切り口、雨合羽か番合羽か、
貴様の脚絆も革脚絆、我等が脚絆も革脚絆。
尻革袴のしっ綻びを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。
河原撫子、野石竹、野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来。
一寸先のお小仏に、お蹴躓きゃるな、細溝に泥鰌にょろり。
京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。
お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちゃ。
来るわ来るわ何が来る、高野の山のお柿小僧、狸百匹箸百膳、天目百杯棒八百本。
武具、馬具、武具、馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。
菊、栗、菊、栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。
麦、塵、麦、塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。
あの長押の長長刀は、誰が長長刀ぞ。
向こうの胡麻殻は、荏の胡麻殻か、真胡麻殻か、あれこそほんの真胡麻殻。
がらぴいがらぴい風車、起きゃがれ小法師、起きゃがれ小法師、夕べもこぼして、またこぼした。
ターッポポ、ターッポポ、チリカラ、チリカラ、スッタポ、タッポタッポ一丁干蛸、
落ちたら煮て食うを、煮ても焼いても食われぬものは、
五徳、鉄弓、金熊童子に、石熊、石持、虎熊、虎鱚。
中にも東寺の羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、彼の頼光の膝元去らず。
鮒、金柑、椎茸、定めて後段な、
蕎麦切り、素麺、饂飩か、愚鈍な小新発知、
小棚の、小下の、小桶に、小味噌が、小有るぞ、小杓子、小持って、小掬って、小寄こせ。
おっと合点だ、心得田圃の川崎、神奈川、程ヶ谷、戸塚は、走って行けば、灸を擦り剥く。
三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。
隠れご座らぬ、貴賎群衆の花のお江戸の花外郎。

あれあの花を見て、お心をお和らぎやと言う。
産子、這う子に至るまで、この外郎のご評判、ご存知ないとは申されまいまいつぶり、
角出せ、棒出せ、ぼうぼう眉に、
臼、杵、擂鉢、ばちばちぐぅわらぐぅわらぐぅわら(桑原桑原桑原)と、
羽目を外して、今日お出での何れも様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息勢引っ張り、
東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ほほ敬って、外郎はいらっしゃりませぬか。




羽田空港国際線

2011年11月27日 23:59

ブログ 544

羽田空港国際線の到着ロビーです。

新しい羽田空港国際線ターミナルは、わたしにとって初めてです。

夜11時到着予定のデルタ航空の便で、息子Yが帰国。
車でかみさんと迎えに行ったというワケです。

ブログ 545

18歳の今頃の季節、
わたしは、昔の羽田空港の国内線出発ロビーに在ったレストランで働いておりました。

その年の夏に家を出て、寮が完備した新宿の百貨店の地下の喫茶の仕事に就いて、
秋に、偶然下北沢駅のホームで再会した友人のアパートに転がり込み、転職しました。
配膳人を派遣する会社に登録して、羽田空港のレストランに派遣されたというワケです。

ブログ 546

仕事の内容は、ホールでの配膳です。
お客様の注文をきいて、料理を運ぶ仕事です。
秋から年明けくらいまでの短い期間でした。
その後、品川の芝公園に在るホテルに派遣先が変わったからです。

ブログ 547

アパートからは遠いので、泊まることもありました。
場所柄、よくスポーツ界や芸能界の有名人が来店しました。
料理人の理不尽な扱いに腹を立てたこともありました。
よく世話を焼いくれる先輩がいまして、アパートに泊まりに行ったこともありました。
正月の期間中に胃痙攣を起こしたこともあります。それでも仕事は休めませんでした。
正月に働くという経験は、それが初めてのことでした。

しかし、一番印象に残っているのは、
よく、休憩時間に屋上の展望台へ昇って、離陸する飛行機を眺めていたことでしょうか?

その頃も国際線がありましたので、
目で機影を追いながら、何処の国へ飛んでゆくのだろうと想像するのが好きでした。

勿論、いつか自分も海外に飛んでゆきたいものだと、思って眺めておりました。

ブログ 549

そんな事を思い出しながら、到着口で待っていると、息子Yが出てきました。
休暇というよりは、なにかしら仕事の用事があっての帰国のようです。
従業員はいるものの、独りで会社を経営していれば、忙しいことでしょう。

わたしたちにハグしてくれた息子Yの身体が、少し痩せたように感じました。




火の用心

2011年11月26日 23:59

浅草国際通り

三の酉のある年は、火事が多い」と、謂われております。

鷲神社入口

三の酉」と申しますのは、11月の三回目の「酉の日」のことで、「酉の市」が開かれます。
酉の市」はお酉様とも、大酉祭とも謂われ、毎年11月に各地の鷲神社で行われる、
開運と商売繁盛を祈念する祭礼です。

神社正面

11月の酉の日は、12日おきに巡ってきますが、年によって、酉の日が2回の年と3回の年があります。
11月最初の酉の日を「一の酉」、次を「二の酉」、3回目があったら、それを「三の酉」と謂います。

酉の市の名物と云えば、縁起熊手でしょう。
鷲の足を熊手に見立てて、熊手に招福の縁起物を飾った熊手を買い求めます。

熊手

この、三の酉のある年は火事が多いと謂われ、
そのため、三の酉がある年の縁起熊手には「火の用心」と貼ってあります。

さて、
ことしも、かみさんとお酉さまに行ってきました。

きょう11月26日中にお参りして熊手を買い求めないと、
この後、11月中に酉の日はありません。

ことしのお酉さまは、比較的暖かでした。

ことし開業したみきちゃんの熊手を買いました。
小さい熊手から年を重ねるごとに少しずつ購入する熊手を大きくしてゆく習わしです。

お手を拝借

火の用心!







復活狂言

2011年11月25日 23:58

千穐楽

息子Kが出演しておりました、福岡の博多座公演も、きょうが千穐楽です。

連日多くのお客様にご覧いただいたようで、誠に有り難いことでございました。

息子Kは、初役の間狂言「宗論」の法華僧を勤めさせていただきましたが、
わたしは、息子Kらしい「宗論」であったと思っています。

さて、ひと月の公演が終わって、博多の美味いものとも暫しのお別れですが、
また来年の2月に、一門の皆さんで博多座公演を行うので伺います。

博多明治通り

息子Kは、今夜東京に帰って参りますが、少しはお休みがあるのでしょうか?
しかし、12月のお稽古が間もなく始まるはずです。

12月は日生劇場で、松竹主催公演「十二月歌舞伎」に出演いたします。

この公演は、近代の名優、七世松本幸四郎(1870~1949)が、
明治44年(1911)に七世幸四郎を襲名してから百年目にあたる今年、
七世幸四郎の曾孫にあたる染五郎海老蔵松緑といった三人を中心に、
七世幸四郎縁の作品を上演するというものです。

因みに、七世幸四郎の襲名興行を行ったのは歌舞伎座ではなく、帝国劇場だったそうですが、
帝国劇場も開場して今年百年を迎えたのだそうです。

さて、
息子Kが出演させていただきますのは、
昼の部の「碁盤忠信(ごばんただのぶ)」でございます。

この演目は、七世幸四郎襲名披露狂言だったのだそうですが、
今回は、そのとき以来、実に百年ぶりの復活上演だそうです。

主演される染五郎さん、海老蔵さんにとっても初役でしょうが、
息子Kにとっても当然の初役です。

やはり、お休みは少ないかもしれません。

日生劇場2011.12




門番のマルコ

2011年11月24日 20:57

あるところに、マルコという青年がおりました。

マルコは、兵隊になりました。

兵隊になるときに、マルコのお父さんは、こう言いました。
「王様がいるから、この国の人々は平和に暮らせているのだよ」

兵隊になったマルコは、お城の門番になりました。

マルコが守っている門は、
王様の命令で、戦争で出撃するときしか、決して開けてはならないことになっていました。

ところがある日、狩りに出かけた王様がひどい病気に罹ってしまいました。
急いで王様を城内へ帰したい王様の家来は、近道であるマルコの門へ向かいました。
王様の家来が、マルコに門を開けるように言いました。

さて、マルコは門を開けるべきでしょうか?
それとも、門を閉ざしているべきでしょうか?


これは、「門番のマルコ」というお話です。


さて、
ティッシュを作っている会社の、元・会長が100億円以上のお金を会社から借りて、
カジノでティッシュペーパーの如く使ってしまったというニュースがつづいております。

また、
カメラを作っている会社の、元・経営者たちが、
バブル期につくった1,000億円にのぼる投資失敗の損失額の穴埋めをするために、
他社の買収を隠れ蓑にして、お金を操作したというニュースもつづいております。

今年は、こんなニュースばかりが目立ちます。

ところで、
元・経営者たちが、ニュースの主役のように報道されていますが、
その企業の経理担当者は、なにをしていたのでしょうね?
それに、最も不思議なのは、各社の監査をしていたであろう公認会計士監査法人は、
なにを監査していたのでしょう?

これだけ、大きな不正が次々に暴かれたということは、
単に、ティッシュやカメラの会社の問題だというだけでなく、
少なからず日本の企業全体の信用に関わる、重大なガバナンス問題でしょう。

東京電力の安全体制を監視・指導していたであろう経済産業省原子力安全保安院
それを、審議・調査・勧告・指導をしていたはずの原子力委員会原子力安全委員会
それらの仕組みが作動せず、福島第一原発の未曾有の大事故につながったことは、
言うまでもなく、記憶に新しいところです。

門番は、ちゃんと門番の仕事をしてくれていればよかったのです。

但し、
王様の判断が、間違っていなければ・・・の話ですが。




噺家

2011年11月23日 18:49

「談志が死んだ!」

多分、多くの落語ファン、談志さんのファンが、そう叫んだことでしょう。

自称5代目立川談志、本当は7代目。
16歳で5代目柳家小さんの弟子となって、のちに落語立川流を設立して破門。

名人だ、天才だと云われて、大好きだというファンも多いが、敵をつくることも多く、
嫌われる落語家としても、話題になることでも、代表格だったのではないでしょうか?

しかし、好きか嫌いかは別として、落語に魅かれ、落語に憑かれた一生を送った、
ご本人はご不満でしょうが
“噺家”と呼べる数少ない“落語家”のお一人ではなかったでしょうか?

噺家と云えば、

「セリフを忘れてしまいました、申し訳ありません、
 もう一度・・・勉強をし直してまいります」と最後の高座を降りた8代目桂文楽

噺は縦横無尽、高座で眠ってしまっても客を沸かせた5代目古今亭志ん生

関西の商人言葉、長屋の大阪弁、京都の京言葉、
そして江戸時代の江戸言葉と明治以降の東京弁を使い分け、
音曲噺や芝居噺といったジャンルを網羅したネタの多さが定評の6代目三遊亭圓生

反乱軍の一兵卒として二・二六事件に関わった経歴をもち、
落語家としては初の人間国宝になった、5代目柳家小さん

これらの名人を師匠にもち、昭和の四天皇と謂われた、
5代目春風亭柳朝3代目古今亭志ん朝5代目三遊亭圓楽、そして、7代目立川談志
これらの人々も、亡くなりました。

綺羅星の如くいた噺家が、また一人亡くなったというワケです。

落語はライブですから、CDやDVDで聴くなんざぁ野暮ってもんですが、
それでも、彼らの噺が遺され、彼らの声が聴けることは、幸いです。

是非、彼らの噺を聴いてみてください。

いま流行りの、所謂お笑いの、ネタの面白さ、話し方の奇抜さではなく、
人が話していることが、こんなにも面白いものかと驚きます。

人の話しが面白いというのは、人間を面白く感じるということです。
人間が嫌いだったら、愉しめません。

「談志が死んだ」
上から読んでも、下から読んでも、ダンシガシンダ・・・。






射倖心

2011年11月22日 17:41

2011マカオ

ティッシュ作ってる会社の、元・会長が、
会社の莫大なお金を注ぎ込んでギャンブルをしたというので、逮捕されました。

会長は、会社の関連会社から、のべ100億円余りの融資を受け、
これらの借入金の殆どを、カジノでのギャンブルに使ったのだそうです。

お金は、ティッシュペーパーのように箱から次々に出てきません。
しかし、ティッシュのように、使って捨ててしまったようです。

金額があまりにもべらぼうなので、
どうして、そんなお金を使ってまでギャンブルをするのか、
そんな疑問が湧いてまいりますが、それがギャンブルというものの怖ろしさでしょう。

関連会社からの借入金が、よいかワルイかは置いておきまして、
パチンコ・パチスロでスッた人が、近くの消費者金融でお金を借りて、
パチンコ・パチスロ屋に戻ってゆく、なんてことはよくあることでしょう。
また、都合よくお店の近くには必ず消費者金融が在るものです。
そして、なにもかも失うまでギャンブルにはまってしまったという点では、
この会長も、人生を完全に狂わせてしまった一人でしょう。
規模は違いますが、やったことは同じです。

カジノ

倫理的なことを申し上げるつもりは、ありません。
依存症は、病気です。

神経伝達物質であるドーパミンがこの症状の原因だろうと、思います。

依存症は、なにかに捉われているときに脳内に放出される神経伝達物質に因って、
“ 快 ” を味わったことへの依存が強くなってしまう症状です。

薬物・アルコール・魔薬・ニコチン、といった向精神物質が作用するものと、
ギャンブル・買い物・セックス・占い・ネット、といった特定の行為に因るものがあります。

いずれの場合でも、
強い “ 快 ” を感じることができるワケで、これに依存しているのでしょう。

要するに、身体がドーパミンを欲しがっているというワケです。

その意味では、スポーツや釣りなどの趣味でも同じことが云えると思いますが、
社会的な問題を引き起こすという点で云ったら、ギャンブルは相当に深刻でしょう。

ギャンブルに向かない性格というものもあるでしょうが、
ドーパミンが放出されたら、基本的にはどんな人間でも、
同じ作用を起こすと思ったほうがよいと思います。
かく言うわたしにも、覚えがあります。射倖心というヤツです。

元・会長、
裁判を受けて、牢屋に入ることも避けられないのでしょうが、
専門的な更生施設に入ることも必要ではないでしょうか?

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センベイとタップリン

2011年11月21日 23:59

センベイは、煎餅が大好物だから、多分センベイと呼ばれているのだとおもいますが、
タップリンは、お腹のお肉がタップリなのではなくて、愛情がタップリなので、タップリンなのだと思います。

この二人が、
11月17日から、陸前高田気仙沼大船渡釜石大槌町などを回ってきたようです。

渋谷辺りの首都高速道路を走る車の中から、メールが届きました。

昨日は、大槌の仮設3か所を回りパフォーマンスさせてもらいました。

私も子どもさんと少し関わり遊びました。

やっぱり皆一度は来て見るといいと実感しました。
途方にくれる現状でした。

でもほんの何人かですが…ほんの短時間ですが…笑ってもらえて、
少しはお役にたてたと思います。

笑いはやっぱり大事だと改めて思います。
タップリンはなかなかやります。

それぞれがやれる時にやれることを、
うちは、今がやれる時ですから頑張ります。

そして、みんなで知恵を出して何とかしていかなくては。
まずは、気仙沼の知的障害者施設のクッキーを仕入て売ることにしました。

今朝岩手を雪の中帰って来ました。
いよいよ冬です。


我が家に寄れないのか?と訊ねましたら、
無料になる高速道路料金は、一度高速道路を下りたら無効になるからと、
走って行ってしまいました。



劇団EASTONES「仮面の剣士 LOVE之介」

2011年11月20日 23:59

キンケロ・シアター

きょうは友人のTと、毎度うちのかみさんと一緒に、
劇団EASTONES「仮面の剣士 LOVE之介」を観に行ってきました。

我らが友人で後輩の堂免一るこさんが所属する劇団EASTONESの公演ですが、
勿論、彼女も出演していたからです。

劇団EASTONESの公演は、旗揚げから今回で5回目。
前回は、今年の大震災直後の公演で、稽古期間中に発災したために、
公演中止にするか、それとも予定通り公演するかで侃々諤々と議論した末に、
結局公演したという曰くつきの公演でした。

堂免一るこさんが何人か劇団員の方たちを、我が家に連れてきてくださったので、
公演を拝見する楽しみも増えました。

劇場は、中目黒の「キンケロ・シアター」です。
俳優でキャスターの愛川欽也さんと、タレントで作家のうつみ宮土理さんが、
最近建てられた劇場なのですが、愛川欽也さんが、

 キンケロ・シアターは、
 俳優のために
 観客のために
 スタッフのために
 造りました


と言われるだけあって、
観客としても、とても観やすくて、使い勝手のよい劇場でした。

近年、日比谷にオープンした劇場の設計者にも見ていただきたい劇場です。


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「わが町」

2011年11月19日 23:59

仙川駅前

母校・演劇科の試演会を観に、かみさんと調布の仙川に行ってきました。
きょうの試演会の作品は、「わが町」です。

わが町

生憎の雨でしたが、駅前のソメイヨシノの葉も色づいた、晩秋の仙川です。

この仙川の町も変わりました。
駅ビルの中には、京王ストアーが、駅前はロータリーになって、
タクシーやバス乗り場も在ります。

元々、充実した商店街が在った仙川の町並みでしたが、
新店舗や複合ビルが続々増えて、
クィーンズ伊勢丹ブロードスクエアなどが建ってから、町全体が、モール街のようになりました。

駅の改札を通って右方向に向かえば新宿、左方向に向かえば調布・府中ですが、
わたしたちが学生だった頃、仙川駅のホームはまだ一つでした。
駅前には、立ち食いの深大寺そばのお店が在りました。
いまでも変わらないのは、改札の前に立っているソメイヨシノくらいでしょうか。

わたしが、初めて仙川を訪れたのは、いまから35年前です。
あれから、13,000回も、陽が昇ったというワケです。


それでも、
いまだに変わらない仙川も在ります。

決して急がずに飄々と出前をしていたK軒のオジサンは、随分前に亡くなりました。
しかし、オバサンは健在です。

K軒

オジサンが亡くなってから出前はやっていませんが、昼時は常連客で混雑します。
独りでやっていることもあり、常連客は基本的にセルフサービス。
他人に水や料理を運んだり、一見客の食べた食器を片づけることなどは当たり前です。

しかし、昼過ぎの遅い時間に行くと、オバサンに迷惑をかけることになります。
オバサンが疲れているからではなく、韓国ドラマを放送している時間帯だからです。

チャーハン

わたしは、商品より賄いの裏メニュー専門でしたが、
やはり、この店のラーメン(350円)とチャーハン(400円)が好きです。
そして、わたしには特別に食後出してくれる、珈琲が大好きです。

珈琲

きょうもK軒に寄ってみましたが、オバサンは、健在でした。


さて、
アメリカの劇作家・ソーントン・ワイルダーの戯曲で、あまりにも有名な「わが町」ですが、
この芝居には、特別な出来事は起こりません。
ある町の人々が、暮らして、結婚して、子どもを産み育て、そして死んでゆく・・・
ただそれだけのドラマです。

「あぁ、人生ってまったくひどいものね。そのくせ、素晴らしかったわ」



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