RSウイルス感染症

2011年09月30日 16:51

昨日の朝、テレビのワイドショーを観ておりましたら、
RSウイルス感染症」について、放送しておりました。

国立感染症研究所に全国約3,000の定点医療機関から報告される
RSウイルス感染症」の患者数が、9月12日~9月18日までの1週間で1,414人となり、
2004年の調査開始以降、9月のこの時期としては最も多く、去年の同時期の2倍近くになった、
という内容でした。

このRSウイルス感染症は、呼吸器感染症の一つで、
上気道炎、気管支炎、細気管支炎、肺炎などの症状が現れ、
乳幼児の、肺炎の50%、細気管支炎の50~90%が、
RSウイルス感染によるものだという報告があるのだそうです。

新生児や乳幼児が重症化しやすく、死にも至ることもある怖い病気だというのです。
低出生体重児や、心肺系に基礎疾患のある子は特に重症化しやすいとのこと。

主な感染経路は飛沫感染と接触感染で、国立感染症研究所は、感染力が強く、
RSウイルス感染症だと気づかない軽症例も存在することから、
保育園などでの流行を抑えることは難しいとしているようです。

ワイドショーでは、登場した医師やレポーターや司会者が、
盛んに病院での検査を勧めておりました。
綿棒で鼻の奥の粘液を採って、検査キットにセットすると、
約15分で陽性か陰性か、検査結果が出る仕組みだそうです。


さて、引っ越しの準備があったので一昨日我が家に泊まった孫娘ですが、
元気はあるものの、先一昨日の朝あたりから少しセキをしておりました。
そして、昨日の朝保育園で熱を測ったら37.3℃ありました。
それでも保育園に預かっていただきましたが、
午後4時すぎに保育園からわたしの携帯に電話がかかってきました。
息子Kとみきちゃんは、引っ越し作業の最中で電話に出られなかったようです。

「熱が37.9℃あって、セキと鼻水がひどいんです」というのです。
わたしは接客中でしたので、かみさんが急いで迎えにいきました。

その後、外出したかみさんと交代して近くの開業医に孫娘を連れてゆきました。
「いつもの薬を出しておきましょう」と医師がおっしゃるので、
「最近マスコミが、RSウイルス感染症について報道していますが、
 RSウイルス感染症に罹っているかどうか、検査していただけないでしょうか?」
と訊ねますと、
「検査をするとなると、採血しなくちゃならないですよ。
 それはやめておいた方がいいんじゃないですか?」
とおっしゃるのです。要するに検査キットをお持ちではないのでしょう。

そこで、“ いつもの薬 ” を処方していただきました。

しかし、夕食時も食欲が無いようで、豆乳100ccに入れた薬をやっと飲ませました。
夜になって、両親が引っ越し作業を終えて迎えにくるまで、火が点いたように泣くのでした。

そして、夜もなかなか寝ないで泣いていたといいます。
夜中には飲んだものを吐いてしまったそうです。

そこで今日、
司法書士事務所で仕事があるというみきちゃんと、
引っ越し作業のつづきがある息子Kに代わって、わたしが孫娘を都立病院に連れて行きました。

治療をしてほしいとか、薬が欲しいからではありません。
RSウイルス感染症 ” か、そうでないのか判断したいからであります。

報道にもあるとおり、症状が軽くて気づかないこともある感染症ですから、
熱が下がったのでと油断して保育園に行って感染を拡大させてしまうことを怖れたのです。

ところがです。
都立病院の医師の話では、「入院患者に対して保険を利かせて適用する検査」なのだそうで、
「保険を適用しないでならやっていただけますか?」と訊ねたのですが、
「都立病院は混合診療を行っていないので、できません」というお返事でした。

さて困りました。
いまは、比較的熱が高いので、いずれにしても保育園には預けられません。
しかし、月曜日あたりに熱がさがっていた場合、保育園に預けたものやら?

見極めるには、セキやゼコゼコという胸の音がひどくなっていないか、
注意するしかないようです。
ひどくなったら、入院加療の必要がでてくるかもしれないというのですが、
基本的には治療方法は確立していないのだそうで、免疫力で治すしかありません。

しかし、なぜそんな病気(感染症)を調べる簡易検査キットを、
各病院で用意していないのでしょう?

そして、その検査に保険が適用されないのでしょう?

判ってます。出来るだけ公費負担の医療費を減らしたいんでしたよね。






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守破離

2011年09月29日 23:59

引っ越し

きょうは、引っ越しです。

わたしではありません。息子K一家の引っ越しです。
といいましても、距離にすれば250メートルの引っ越しですが。


さて、唐突ですが、「守破離(しゅはり)」という言葉があります。

息子Kの師・市川猿之助(三代目)さんが、よくおっしゃっている言葉ですが、
出典がよく判りません。

禅なのか、茶道なのか、能なのか、武道なのか、
様々な世界で謂われ使われている言葉です。

要するに、
先達や師の型(形)の基本を、正確に身につける「守」
それが達成できたら、オリジナリティーをもつ「破」
そして、「守」にも「破」にも捉われない新たな境地「離」

「守は下手、破は上手、離は名人」などという言葉もあるそうです。

わたしは、この「守破離」は、
哲学者ヘーゲルの「弁証法」で云うところの、「正反合」にも通ずるような気がしています。

息子Kは、まだまだ「守」の段階です。先は長いなぁと思って見ておりますが。


さて、引っ越しですが、
それを手伝いながら、「守破離」という言葉を思い出したのでありますよ。

古いところから、新しい処に住まいするにあたって、
古い物と新しい物とを、どう調和させてゆくか・・・。

なにを大事にし、何を革めて、どう改善したらよいのか・・・。
何を捨てなければならないのか・・・。

なかなか奥深いのであります。


息子Yも、今夜ロサンゼルスに戻ってゆきました。羽田発の深夜便です。

突然の短い帰国でしたが、やはりわたしは嬉しかったです。
しかし、彼はなにを想いながら戻ってゆくのでしょう?

「守破離」だよ!Y。





陽転思考

2011年09月28日 17:32

人はよく、よいことがあれば「運がイイ」、ワルイことが起これば「運がワルイ」
といった具合に、起こった出来事を「運」のせいにしたりいたします。

確率から云って、「幸運」や「不運」があきらかに多いと思ったときに
「運」の良し悪しを云うようですが、案外物事の捉え方を云っているようにも思います。


さて、
松下電器産業、つまりナショナル、現在のパナソニックの創業者は、
謂わずと知れた松下幸之助さんです。

この松下幸之助さんは、常々ご自分の成功体験を、
「運がよかったから」とおっしゃっていたそうです。

なぜ、松下幸之助さんは「運がよかった」と言われたのかと云いますと、
学歴がなく、身体が弱く、貧乏な家に生まれたからだ、というのです。

「学歴がないので、人の話からものを学ぶ習慣が身についた」
「身体が弱いので、人の協力を得て成果をあげることをいつも考え、人の使い方が巧くなった」
「貧乏な家に生まれたので、お金に対する執着心があり、強い欲望を持ち続けられた」

これは、一見ポジティブシンキングやプラス思考のようにも思います。
つまり、優勝が懸かったゴルフのパターを「入るぞ!」と思いながら打つような、
コップに入った半分の水を「まだ半分ある!」と思うような。
しかし、この松下幸之助さんの思考は、少し違っている感じがするのです。

あきらかに、自身ではどうすることも出来なかった不可抗力の不幸な事柄でも、
「運がよかった」と捉えられたことに、彼の本当の成功の鍵があるのではないでしょうか?
つまり、突然つむじ風が起きてパターを外したことを「ラッキーだ」と捉えるようなものです。


人生は、
成功やイイ事より、成功しなかったり、失敗やイヤな事の方が多いのではないでしょうか?
確率から云っても、そうなります。イチローだって、打率は3割です。

人生は、
毎日のように、いろいろな事が起こります。青天の霹靂の如くです。
イイ事も起きますが、どうして!?と思うような事も起こります。
この事は、誰かの所為で起こったように感じますが、
或る一定の確率で起こるべきことが起こっているだけです。

ただ、起こったことを「運がワルイ」とか「誰々の所為だ」と思うか、
松下幸之助さんのように「これは運がいいのかもしれない」と思考するか、
それによって、その後が変わるという点において、
あきらかに松下幸之助さんの思考には説得力があるように思います。

「運」という字は、「はこぶ」とも読みますから。






ツイてる!

2011年09月27日 17:36

昨日の、9月26日という日を遡って調べてみました。

1954年に、洞爺丸台風で青函連絡船「洞爺丸」が転覆事故を起こし、死者行方不明1,155人。
1958年は、狩野川台風が静岡県伊豆半島に最接近し狩野川が氾濫、死者行方不明1,269人。
1959年は、伊勢湾台風が潮岬に上陸。東海地方などを襲い、死者・行方不明者5000人以上。
といった具合に、過去の大型台風が、甚大な被害を出した日でもあります。

また、

安倍晋三内閣が発足(2006年)したのも、福田康夫内閣が発足(2007年)したのもこの日です。


さて、昨日の9月26日月曜日ですが、わたしが注目した出来事が二つありました。

ひとつは、
静岡県の牧之原市議会中部電力浜岡原子力発電所の運転停止中の原発について、
「永久停止」を求める決議案を賛成多数で可決したことです。

決議を受けて牧之原市西原茂樹市長も本会議終了後、
浜岡原発の運転再開を認めない意向を表明したということです。
法的効力はないそうですが、中部電力と安全協定を結んでいる地元4市の中で、
このような決議をし「永久停止」の意向が表明されたのは初めてです。

「浜岡原子力発電所に関する決議」

東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所事故は、国でいうところの「原子力発電は安全である(止める・冷やす・閉じ込める)」という神話が根底から崩れ去り、我々に大きな衝撃を与えた。
事故から半年が経過しても、いまだに事故原因はもとより事故の全容も掴めず、事態の収束については目処もつかない状況である。福島第一原子力発電所の周辺地域では、多くの住民が避難を余儀なくされ、自宅に戻ることもままならず、職や財産を失い、家族とも離散し、長き年月をかけて築いてきた文化や歴史、住民コミュニティは、すべて崩壊してしまった。また、放射性物質による汚染も、内部被爆等により将来を担う子供たちへの健康被害の影響が非常に心配されているところであり、農畜産物の出荷や企業活動などについても、地元はもとより全国各地で深刻な影響を及ぼしている。牧之原市においても、基幹産業である茶葉から放射性物質が検出され風評被害を含め甚大な被害を受けたところである。
本来、一度の間違いも許されない原子力発電であるにもかかわらず、このような重大事故が発生した事実を鑑みれば、我々は、まず第一に市民の生命・財産を守っていくことを考えなければならない。
そのためには、近い将来間違いなく起こるとされている東海地震の震源域真上に立地している浜岡原子力発電所は、確実な安全・安心が将来にわたって担保されない限り、永久停止にすべきである。
以上、決議する。

平成23年9月26日
静岡県牧之原市議会

中部電力も政府も原子力安全・保安院も、
静岡県と地元自治体4市の合意がなければ再稼動できないという約束ですから、
牧之原市が魁て決議表明したことは、画期的です。


さて、もうひとつの出来事は、
天下りの規制強化などを提案し、改革派官僚として知られていた、
古賀茂明さんが、経済産業省を辞職したことです。
政府の中枢で改革のプランを考え、手ずから実行してほしかったのですが、
抵抗勢力に因って、退職の道を選らばざるを得なくなってしまったようです。

しかし、「ものは考えよう」と申します。


日本中枢の崩壊日本中枢の崩壊
(2011/05/20)
古賀 茂明

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「改革」という言葉は、「改めて、革まる」と書きます。

「革まる」というのは、新しくなること、
悪い点や不備な点などが良い方へ変わり、改善されることです。

その道のりは遠く、使命は重く過酷ですが、
一方で改革のチャンスというものは、そう滅多にやってくるものではありません。
その意味で「改革」のチャンスに巡り合わせた人はまた幸運であります。

牧之原市長の座右の銘は、松下幸之助さんの言葉「陽転思考」だそうです。



エクストラバージンオリーブオイル「ダンナート」

2011年09月26日 17:28

EXVオリーブオイル「ダンナート」

昨日、「るかーにあ」からオリーブオイルやパスタが届きました。

或るブログに載っていたのを読んで、サイトから注文したのです。
23日に注文して、昨日25日の朝には届きました。

パンやパスタ好きのわたしですが、
これまで、あまりオリーブオイルには拘ってはおりませんでした。
そもそも、オリーブオイルの種類の違いや味など、無関心でした。

しかし、或るブログを読んで、
その違いを知らずに食しているのは、もったいないと思ったのです。

それに、なにより食用油としてのオリーブオイルの効用に、あらためて気づかされました。

オリーブオイルは、食用油の中で最も多くオレイン酸を含むのだそうです。
そのオレイン酸は高血圧、心臓疾患、動脈硬化、肥満などの症状を改善したり、
予防したりする効果があるのだそうですが、
それ以外にも、胃酸の分泌を調整し胃潰瘍や胃酸過多を防止して、
腸の運動を促す効果も持っていると書かれておりました。

わたしは、食道と胃の境目である噴門が開きっぱなしの「食道裂孔ヘルニア」なのですが、
胃液が逆流して食道の壁面を刺激する「逆流性食道炎」になり易い体質です。
食事の後、必ず消化薬を飲むようにしております。
飲まないと、なにか胸やけするような気がするからです。

しかし、オレイン酸は胃が余計な胃酸を分泌しないので、
胃もたれ・胸焼けすることが少なくなり、
胃酸過多症胃炎・胃弱・胃潰瘍・十二指腸潰瘍などの予防・改善にも効果的なのだそうです。

「るかーにあ」から

さて、昨日の夜、かみさんが夕食の支度をしている間、孫娘の相手をしながら、
届いた「るかーにあ」のオリーブオイルやパスタを箱から取り出して、ブログに載せる写真を撮っておりました。

かみさんの調理がひと段落したら、パスタを少々塩を効かせて茹でて、
エクストラバージンオリーブオイルの「ダンナート」をかけただけで頂くつもりでした。

するとそこへ、玄関のドアが開閉した音がして、「ただいま!」と声がしました。
あっ息子だ!と思って、「おかえり!」と反射的に応えましたが、
息子Kは、その時間大阪松竹座の千穐楽の舞台に立っているはずでした。?

えっ?じゃあダレ??

そこには、息子Yが立っていました。
急に帰国を決め、5日間の予定でロサンゼルスから帰ってきたのだそうです。

一昨日の、息子Kのマンション火事といい、息子Yのサプライズ帰国といい、
毎日心臓にワルイことがつづいております。

因みに、オレイン酸HDL(善玉)コレステロールは下げずに、
LDL(悪玉)だけを減らす特徴があるのだそうで、
心臓病や、動脈効果や高血圧を予防してくれるのだそうですが・・・。





桑原、桑原

2011年09月25日 17:43

さて、昨日出掛けた際に起きた、雑司が谷の騒動ですが、火事でございました。 

昨日の夕方、芝居を観に新宿へ向かって家を出たのが、5時20分頃でしたでしょうか。
歩いて、都電荒川線の鬼子母神駅の先の入口から地下鉄副都心線に乗ろうとしておりました。

すると、荒川線の踏切のところで、近くに住む区議会議員のIさんと、
御会式の講元で毎年息子Kがお世話になっているKさんに遇いました。
時間にも余裕があったので世間話をしておりますと、後ろからサイレンが聞こえてきました。
一台の消防車がサイレンを鳴らし、赤色灯を回しながら走ってきました。
しかし、そのとき運悪く電車が近づいてきたために、踏切が閉まってしまいました。
電車は、駅に停まって客を乗せるとゆっくり発車しましたが、間が悪いことに、
今度は反対向きの電車が駅に差し掛かりなかなか踏切が開きません。

わたしたちもヤキモキしながら電車の出発を見ておりましたが、電車に乗る客は、
自分が早くしなければ消防車が走れない状況だということを認識していないようです。
踏切で待っている消防隊員からは「この道しかないのか!」という声が聞こえました。

さて、やっと踏切が開くと、消防車はサイレンの音を大きくしながら走ってゆきました。
しかし、その走ってゆく方向が気になります。
そっちには、孫娘とみきちゃんが住むマンションがあるからでありました。

これは確認しなければ、芝居なんか観ていられません。
消防車の走って行った方向に駆け出しました。

すると、消防車は息子たちのマンションが在る狭い路地を曲がろうとしているところでした。
もしや!と思い消防車を追い越してマンションに向かいますと、
遠くマンションの玄関を行き来する消防隊員の姿が見えます。
明治通りには無数の消防車が赤色灯を回して停まっています。   

心配したコトが的中しました。 
きょうは、みきちゃんが実家の母上と引っ越しの準備をしているはずです。
マンションに到着し見上げますと、上の階から煙が出ております。
階を数えますと・・・・5階、息子たちの部屋がある階です。

しかし、煙を出しているのは角部屋のように見えます。
ということは、息子たちの部屋のお隣です。

消防隊員が数多くエレベーターホールに集結しています。
警察官も沢山集まっています。
「階段からは行けないのか!?」
「階段は使えません!!」
そんな、やりとりをしています。
エレベーターでしか、上がれないようです。

みきちゃんの携帯電話に何度もかけましたが、応答がありません。  
仮に火元が隣だったとしても、煙の心配があります。
孫娘たちがどうしているかと思うと、気が気ではありません。

エレベーターに乗り込む消防隊員に、いっしょに上に行ってもいいかと尋ねますと、
「ダメです!」と言われました。
しかし、現場は大混乱しています。
そこで、3階に住む親子や警察官といっしょに混乱に紛れてエレベーターに乗り込みました。
勿論3階で降りずに5階へ・・・。

5階に到着するや、狭い通路は消防隊員と警察官と何本ものホースで大混雑しています。
エレベーターから降り、息子たちの部屋へ向かいました。
インターホンを押しましたが、応答なし。
ドアの下方に開いている新聞受けの隙間から中を覗きますと、電気は点いていません。
玄関に履きものもありませんし、なによりベビーカーがありません。
「よかった!留守だ!!」

どうやら、想像したとおり、火元はお隣のようです。
警察官が消防隊員に「その3人は無事ですか?」と叫びながら訊いていました。
すると「3人とも無事!」という応えが返ってきました。
それを聞いて、わたしも階下に降りました。

マンションの外では、かみさんが心配した顔で警察官の事情聴取に応えておりました。
「部屋が暗いから、留守だ」と伝えましたが、本人の声を聞いていないので安心が出来ない様子です。

わたしは半ば安心はしていたものの、何度も電話しましたが繋がりません。
しかし、暫くしてやっと電話がかかってきました。
「いま何処?」と訊くと、近くのカレー屋で食事していると呑気そうに応えました。

「隣の部屋が火事だよ!」
と伝えますと、流石に慌てた様子でした。

みきちゃんとお母さんと弟クンが急いでやって来ました。
孫娘は、引っ越しの準備作業の邪魔になるので、保育園に預けていたのだそうです。
早速、みきちゃんも事情聴取を受けます。
時計を見ると、6時。みきちゃんのお母さんは孫娘を迎えに向かいました。

踏切で立ち話していた時からこれまで約30分。

短いような、長~い30分間でしたが、わたしたちはタクシーで劇場に向かいました。


まったく、いつ自分も被災者になるか判りません。桑原、桑原。




「キネマの天地」

2011年09月24日 23:59

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こまつ座公演「キネマの天地」を、かみさんと観に行ってきました。
が、出掛けた途端に雑司が谷で大変な騒動に巻き込まれまして・・・、
しかし、そのおウワサはまたの機会と致します。

舞台「キネマの天地」は、例によって先輩の浅野和之さんが出ていたからですが、
久々に三田和代さんのお芝居が観たかったという理由もあります。

三浦家は、むかしから三田さんとお付き合いさせていただいておりますが、
わたしは、むかし三田さんが所属されていた前事務所のお仕事を手伝ったこともあり、
尚且つ、地人会時代には三田さんが主演された作品の制作担当者として、
旅公演もご一緒しました。


さて、「キネマの天地」という芝居、
むかし「キネマの天地」という映画がありまして、わたしも観た憶えがありますが、
脚本を井上ひさしさんが書かれた映画という認識がありましたので、
井上ひさし山田太一山田洋次朝間義隆、共同脚本)
それを思い出して舞台を観ていましたら、まったくの別物でありました。
映画と舞台の違いと云いますより、コンセプトがまったく違います。

確か、映画の「キネマの天地」は、1986年に松竹が製作した作品です。

その数年前に公開された、角川春樹製作、松竹配給、東映深作欣二監督の
蒲田行進曲」の大ヒットに影響を受けたというか、松竹野村芳太郎監督が、
東映の監督が東映の撮影所を使って「蒲田行進曲」を撮ったことに憤慨して、
キネマの天地」が創られたということでも話題になったという印象がのこっています。

では、井上ひさし作の舞台「キネマの天地」はどうかと申しますと、
ネタばれにならない程度に、また評価にならないように申しますなら、
一言で云って、「演劇と映画へのオマージュ」でありましょうか?

映画『妖婦五人女』(1926年)宣伝用写真から。左から、栗島すみ子、松井千枝子、川田芳子、筑波雪子、柳さく子
映画『妖婦五人女』(1926年)松竹蒲田撮影所宣伝用写真から
左から、栗島すみ子、松井千枝子、川田芳子、筑波雪子、柳さく子


島津保次郎五所平之助小津安二郎成瀬巳喜男吉村公三郎木下惠介といった、
数多くの映画監督を輩出し、
岡田時彦高田浩吉長谷川一夫上原謙佐野周二佐分利信笠智衆
川田芳子栗島すみ子五月信子岡田嘉子水谷八重子田中絹代高杉早苗といった
スター俳優たちが育ち、松竹蒲田が一世を風靡した時代。

夢を創る人々、夢を演じる人々、芸術を生業とする者たちへの賛歌であり、
同時に作家の演劇論、俳優論、芸術論なのでありましょう。

そこで、
昨日、散歩で歩いた雑司が谷霊園の島村抱月さんのお墓に刻まれていた、
揮毫を思い出しました。

在るがまゝの現実に即して

全的存在の意義を髣髴す

観照の世界也

味に徹したる人生也

此の心境を藝術と云ふ

抱月

島村抱月の墓

参考 : 髣髴  観照

此岸も混んでおります。

2011年09月23日 18:00

彼岸花

俳優の杉浦直樹さんが、一昨日亡くなったという報道がありました。
一昨日と云えば、作家の辺見じゃんさんと同じ日です。

毎年のこと、と云えばそうですが、
今年も、多くの有名人の方が亡くなっていますね。

今年亡くなった有名人が判るサイトがありました。↓

 「2011年(平成23年)に亡くなった人々」

五代目・中村富十郎細川俊之喜味こいし坂上二郎エリザベス・テイラー田中好子
宇野誠一郎児玉清長門裕之原田芳雄小松左京前田武彦竹脇無我・・・、

或る時代が終わってしまったように感じる、御名前が並んでいます。

お墓参り

きょうは、お彼岸の中日です。
いつもは静かな雑司が谷霊園は、お墓参りに訪れた人々で大混雑しておりました。
彼岸も最近混み合っているでしょうが、きょうは此岸も混んでおります。

新仏さんのお墓でしょうか?
皆さんが泣いてお参りしていらっしゃる傍を通り過ぎました。

墓参り

今年は、大震災もありましたが、この秋は台風でも多くの方が亡くなりました。

わたしの場合、
今年血縁で亡くなった者はおりませんが、義理の伯父が亡くなりました。
しかし、次々に友人知人が亡くなりました。
1月には若いC ちゃんが、3月には大震災が起きて、程なくして俳優のKさんが、
半月後には板前のKさんが、5月には突然に恩人のKさんが、9月には硫黄島のTクンが、
亡くなりました。

そしてまた、友人の中にも父上につづいて母上を亡くされた人、
母上を亡くされた人、父上を亡くされた人、お姑さんを亡くされた人がいます。

皆さん、此岸を離れ彼岸に旅立った方たちを他界へ見送られました。

永井家の墓

久しぶりに、5年前に亡くなった友人の墓にお参りしました。

お彼岸だからではありません。
自転車で池袋へゆくのに、通りかかったからです。

「いつもついでで、すみませんねぇ・・」

そう云って、お参りしました。

雑司が谷霊園の彼岸花

辺見じゅんさんが遺した遺書

2011年09月22日 18:29

辺見じゅん著

台風15号が、その猛威を振るいながら日本列島を通過していった昨日、
辺見じゅんさんが、ご自宅で亡くなったのだそうです。

辺見じゅんさんは、戦後の優れたノンフィクション作家のお一人でした。
男たちの大和」「収容所から来た遺書」などといった、
戦争と戦後のノンフィクションを遺されましたが、これは、貴重な日本人の記録です。

男たちの大和
昭和16年極秘裏に誕生した戦艦大和
太平洋戦争末期、戦況が悪化した昭和20年4月6日、
戦艦大和は3,333名の男たちを乗せて、沖縄への特攻に出撃しました。
翌日、昭和20年4月7日14時23分、
戦艦大和は、米軍機動部隊の猛攻撃を受け坊ノ岬沖で撃沈されました。
「男たちの大和」は、東シナ海に沈んだ戦艦大和の最期と、
生存者、ご遺族の戦後を丁寧に取材し描いた戦後ノンフィクションの金字塔です。

収容所(ラーゲリ)から来た遺書
この作品については、以前に何度か書きましたが、
シベリアに抑留された方たちの体験と、戦後の日本人に対するメッセージが
まるで映像を見るように克明に描かれた、少々大袈裟に云えば国宝級の一冊です。

わたしは、1992年の「収容所から来た遺書」の舞台化に際して、制作を担いました。
そのときに、辺見じゅんさんに初めてお目にかかりました。
作品は、骨太なイメージをもって読ませていただいておりましたので、
静かに上品にお話になる辺見さんに、意外な印象をもったのを憶えています。


辺見じゅんさんは、昨日ご自宅で倒れていらしたのを発見されたということですが、
ご自身は、遺書を遺されたのでしょうか?

しかし、辺見じゅんさんの取材によって、
戦争に因って翻弄された人々、亡くなった多くの人々の体験や想いが掬われて、
文学となって遺されたことの意義は大きいと、思います。

これらの作品は、辺見じゅんという作家が生涯をかけて取材し遺された、
日本人たちの遺書でしょう。




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台風15号

2011年09月21日 23:59

夜の9時半をまわって、みきちゃんと孫娘がマンションへ帰ってゆきました。

雨もあがって、風も落ち着いておりました。

さて、台風15号。
日本各地、大変な一日でしたね。

朝、徳島の従妹にメールしますと、
「庭が海になっていて、母屋へもいけません。床上浸水するかもしれません」
という返事が返ってきました。

浜松の実家の弟からは、
「雨は仕方がないが、風は勘弁してほしい」
といったメールが届きました。

愛知県大府市に住む妹は、
「被災地が増えて、東北を援けられなくなるのが、心配」
と申しておりました。


東京は、午後3時から6時ごろが暴風雨のピークだろうという予報でしたので、
みきちゃんにメールして、午後3時前に孫娘を保育園に迎えにゆくことにしました。

上下のカッパに長靴を履いて出発。
2時45分に保育園に到着しましたが、途中すれ違う人たちが、
傘を飛ばされ、横殴りの風雨にずぶ濡れになっていました。
人は、なぜかカッパを着なくなりましたねぇ。
確かに、面倒でしょうが、こういった台風の時に傘は機能しません。

保育園では、あまり早めのお迎えがないのか、お迎えができないのか・・・
まだ沢山のお子さんが遊んでおりましたが、
孫娘を引き取って、ベビーカーにビニールを被せて飛ばされないようにきつく縛り、
外へ出ますと、まさにピークが始まったように風雨が強くなっていました。

風で飛ばされた物に当たらないように、ということに気をつけながら、
家路を急いだのでした。


この天気に、美容院の予約を入れたかみさんも夕方無事に帰ってきました。
オフィスに人が居なくなってしまったと、みきちゃんも3時過ぎに、
「帰ります」というメールをくれました。

二人とも危機一髪、混雑や電車停止前に移動できたようでした。


従妹の家は、幸いなことに床上浸水は避けられたようですが、
台風の上陸地になった浜松の実家は、停電し瓦が飛び、みかんの幼木が倒れたようです。
それよりなにより、風によってみかんの青い実が擦れ、傷ついてしまったでしょう。
弟は、明日の朝になって、山のみかん園を見に行くと云っていましたが、
土砂崩れしていなければよいのですが・・・。

明日の朝、各地の被害状況が徐々に判ることでしょう。
被災地が少なからず増えてしまったのではないでしょうか?

お見舞いを申し上げます。




想定外?

2011年09月20日 23:59

福島第一原発の事故のあと、初めて開かれている「日本原子力学会」の大会で、
津波の危険性を長年指摘してきた研究者が、異例の講演を行ったというニュースを見ました。


ところで、
車を作っているメーカーが、事故を想定しないで車を作るということがあるでしょうか?

事故を想定しないでよいなら、
バンパーも必要ないでしょう。
エアバックも要りませんよね?
車体の強度も計算しなくてよいことになります。

しかし、現実には事故は起こりますし、
そのためにメーカーは、あらゆる事故を想定して車を作ることをします。
最近では、追突を自動的に防止するブレーキ・システムを搭載した車もあるそうです。

それでも、事故は起こります。
日本では近年減ったとは云え、年間に何千人かの人が亡くなります。

では、車に不備はあるでしょうか?
あるでしょう。

車の強度だって、どんな事故にも対応できるほど強いワケではありませんよね?
しかし、技術的には可能なのかもしれません。
でもその技術を採り入れたら、その車はいったい幾らになるでしょう?

ですから、もし事故に遭ったときのために、人は保険に加入します。
車が壊れたときに、修理したり買い替えやすいように。
相手や自分や同乗者が傷ついたら、保障できるように。
自分が死んでも、家族に幾ばくかのものを遺せるように。

つまり、車という「道具」は、
或る一定の確率で人や物が傷ついたり、亡くなったりすることを「想定」して
作られているのではないでしょうか?

航空機だって、船舶だって、列車だってそうでしょう。
事故を未然に防ぐ構造やシステム、事故が起こったときに対応した構造やシステム、
そして事故に対する社会のシステムが備えられています。


さてきょうは、自動車事故ではなく、原発に関しての話題です。
福島の事故以降、「想定外」という物言いがされている安全対策についてです。

「千年に一度と謂われる未曾有の大災害が起こったので、事故は想定外のことだった」
という論調で「想定外」という言葉が使われるように思います。

結論から云えば、ウソでしょう?

なんらかの原因で、原発が暴発した、メルトダウンが起こった、
これを「想定していなかった」ワケがないのです。

「想定外」というのは、「想定できなかった」のではなく、
「想定したくなかった」ということでしょう。

何故なら、「想定」したら、原発は不備であることを認めることになるからです。
不備に対して、改善策を採らない(採れない)ことを露呈してしまうからです。

基本的に、一環したプルサーマル計画の中に位置づけられる、原子力事業自体、
「トイレのないマンション」と揶揄されるように、システム上未完成のものです。
未完成であるだけでなく、国家の存亡にかかわるほど極めて危険な「道具」です。

なるほど、地震や津波だけの対策に関して、
「技術的」には、不備は克服できるのかもしれません。
しかし、想定できるトラブルや災害に対する対策を全て講じたら、
いったい幾らかかるでしょうか?
それを計算したから「想定しなかった」ワケでしょう。
だって、その金額は現実的なものではないでしょうから。
ですから、原発は現実的な「道具」ではないのです。


貴方は、数百億円の車を買われますか?
それでも、事故は起こりますが・・・


敬老の日

2011年09月19日 23:59

むぅむぅ(父)は、京都での山中忌に参列した後、
大阪の松竹座の息子Kの舞台を観る旅行に出ていて不在です。

今夜は、かみさんも出掛けておりまして、
昼間、用事で出掛けていたみきちゃんが帰ってきたので、
近くの馴染みのお蕎麦屋で夕食を摂ることにいたしました。

「三浦ですが、6時前後に大人二人と赤ん坊で参ります。」

昼間、予約を入れておきました。
夜の予約を入れておかないと、蕎麦がなくなってしまうことがあります。

6時には少し間がありましたが、
暖簾をくぐると、わたしたちを見て、おかみさんが言いました。

「あらぁ、三浦さんとこも?
 きょうは敬老の日だから、お孫さんとみえる方たちが多かったんですよ」

「でも、きょういらっしゃったおじいちゃんの中で、三浦さんが一番若いわね」

敬老の日?

敬老?・・・わたしが・・・??

一合徳利










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