浜岡の筍

2011年04月30日 12:28

深夜、また例の緊急地震速報が流れました。
朝まで生テレビ」の生放送中のことでした。
幸い、大した揺れでもなく、被害もないようでした。

昨夜の「朝まで生テレビ」のテーマは、勿論、東日本大震災についてです。
地震・津波・原発事故・エネルギー政策・復旧復興策・・などなど。

冒頭、原発推進派で日本の原子力黎明期から関わっていらっしゃった学者が、
福島第一原発の現状を分析して、
「現在、原子炉(圧力容器)の中で起こっていることは、誰も何も判っていないだろう」
とした上で、
「多分、燃料棒はほとんど全て溶融しているだろう」
と発言し、出演者たちの動揺を誘いました。
そして、解決策としては、原子炉(圧力容器)の中の状態を把握することが、最優先であり、
そのための作業に当面は率先して充たるべきだとの主張でした。

奇しくも、出演されている推進派と反対派の現状認識は、全く一致していました。
それなのに、なぜか不思議な行程表が発表され、国民の多くがこれを信じ、
マスコミもそれを糾さないという現象がつづいております。

思い出しましたが、むかし・・25年くらい前に、
朝まで生テレビ」という番組が始まったころでしょうか?
原発をテーマに、
原発推進派と反対派の対論という形で番組が放送されたことがあります。
当時から「朝まで生テレビ」という番組は、
タブーに挑戦する唯一のテレビ番組だったのではないでしょうか?
わたしも、その回の放送を視聴した覚えがあります。

そう、ずっと反対しつづけていた人たちはいたのです。
それは、運動家というより、学者であったり技術者の中にもいらしたのです。
そして、そのことを、私は知っていたのでした。

ペットボトル

あの日、3月11日の地震が起こってから、
我が家のいたる所に、少しだけ水の入ったペットボトルを置いています。

水面の動きで、地震の揺れを判断するためです。

慣れてきたことが更なる恐怖ではありますが、地震はつづいています。
そして、それはこれまでのカテゴリーではない動きのようにも思います。

東海地震・・・もし、起こったら、
富士山を背景にした静岡の海岸部は、
三陸海岸や福島県浜通りのような景色に変わってしまうことでしょう。

日本の象徴的風景として描かれることも多い富士山と駿河湾と伊豆半島、
わたしの親戚も多く住むこの地域の様相は一変してしまうことでしょう。

東日本大震災を目にし、福島原子力発電所で起こった事故を知りながら、
静岡の地で暮らす人々の気持ちに思いをいたすとき、
その精神的なダメージはいかばかりかと、想像します。

新筍 001

その、静岡県牧之原市に在る、みきちゃんのご実家から、
今年も新筍が届きました。

多忙を極めるみきちゃんのお父さんですが、毎年この時期になると、
敷地の竹林から手ずから筍を採ってくださって、お母さんが茹でて、
我が家に贈ってくださるのです。

早速、そのまま切って、ワサビ醤油をつけて頂きました。
帰国中の息子Yは、薄くちの出汁を作って漬けてくれました。
絶品です。箸が止まりません。


この、みきちゃんのご実家は、
浜岡原子力発電所から3キロ圏内に位置しています。


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昭和の日

2011年04月29日 19:05

雑草と云う草はない 002

「激動の日々を経て復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」

これは、「国民の祝日に関する法律」に書かれている、昭和の日に関する趣旨です。

きょうは、昭和天皇のお誕生日にして、現在では祝日とされている昭和の日です。

3月11日に起きた東日本大震災から、50日目の節目に昭和の日を迎えたというのは、
意義深いものを感じます。

関東大震災が起きた当時、皇太子であられた昭和天皇は、
自ら馬に乗って東京の被災状況を巡視され、被災した人々の惨状を目の当たりにし、
ご予定されていた、ご自身の結婚式の延期をご指示されたのだそうです。
また、被災された人たちを案じられて、玄米を食すと申されたり、
嵐のあった翌日には、被災された人々の様子を侍従に見に行かせたりしたのだとか。

現在、避難所をご訪問になられて、被災した皆様をお慰めし、励まされていらっしゃる
天皇皇后両陛下のお姿と重なるエピソードであります。

エピソードといえば、
昭和天皇のエピソードで、わたしが一番好きなものは「雑草という名の草はないよ」
昭和天皇がおっしゃったというエピソードです。

ある日、昭和天皇のお留守中に、
吹上御所の庭の草が刈り取られたことに気づかれた昭和天皇が、
侍従である入江相政さんにお訊ねになりました。

「どうして庭を刈ったの?」

お褒めのお言葉を期待していた入江侍従は応えて申しました。

「雑草が生い茂ってまいりましたので」

ところが、昭和天皇は、

「雑草という名の草はないよ。
どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。
人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない」

 
と諭されたのだそうです。

草花や海の生物に対してさえも、
その存在をこれだけ大切になさった昭和天皇のエピソードから、
国民に向けておられた、その眼差しが判ろうというものです。

雑草と云う草はない 005





四十九日の誓い

2011年04月28日 19:00

四十九日 001

きょうは、3月11日に東日本大震災で亡くなられた皆様の四十九日です。

この間、わたしも毎日のように涙を流しましたが、
被災地は勿論のこと、日本中でどれほど多くの涙が流されたことでしょうか。

これほど、人の死が理不尽に思えることはありませんでした。
大自然の力だとは言え、到底受け容れらないことでした。

亡くなられた多くが、豊かな海の恵みに感謝して暮らしていた方々だったでしょう。
豊饒な地を耕して、ささやかに暮らしていた人々であったことでしょう。
彼らが祈った神仏は、この天地にいなかったのでしょうか?

まだ、行方不明になっていらっしゃる皆様も多く、
見つかった方々も十分なお弔いが出来ぬ状況でしたでしょうが、
きょうは、静かに手を合わせて、この理不尽な災害に遭われて亡くなられた皆様の
ご冥福を、お祈りして過ごしたいと、思います。

そして、
この日本が、安全で、豊かな国として蘇ることでしか、
亡くなった多くの皆様の理不尽な犠牲を、理由づけすることが出来ないのかもしれません。

そう思うことさえ、
残されたご遺族の皆様には受け容れ難いことかもしれませんが・・・、
せめて、せめてそう思うことで、それを誓うことで、亡くなられた皆様をお慰めしたいと、
思っています。

合掌





天皇皇后両陛下

2011年04月27日 23:59

「あちらに見えますのが阿蘇でございます」

「あ、そう」

これは、わたしの駄洒落ではありません。
そもそも、これは駄洒落ではありません。
戦後、昭和天皇が九州へ巡幸されたときのエピソードです。 

昭和天皇は、
戦後の昭和21年から昭和29年までの9年間をかけて、沖縄を除く全国を巡幸されました。
戦後打ちひしがれた日本人を励ますための巡幸だったそうです。
群衆にもみくちゃにされ、靴を踏まれボタンを引きちぎられながらの巡幸だったようですが、
天皇はそんな様子を密かに喜ばれているようだったのだとか。
巡幸反対を叫ぶ赤旗を持った労働者が、天皇を前にして赤旗を置いて「天皇陛下万歳!」
と叫んだとか、シベリアに抑留され洗脳(共産主義)された人の洗脳が溶け泣いて悔やんだとか、
満州で孤児になった少年を前にした天皇が涙を流されたとか、
今後何十年も草も生えないと謂われた広島へ昭和22年に巡幸されたことで、
広島の人々が勇気づけられたとか、昭和天皇の巡幸のエピソードは、興味深いものばかりです。


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さて、きょうは、
天皇皇后両陛下が、震災地宮城県の南三陸町仙台市を訪ねられたという報道がありました。

海に向かって黙礼され、
避難所を回って、被災者のおひとりお一人にお声をかけられ、
行方不明の子供さんや亡くなった方の写真をご覧になったり、
水仙の花束を受け取られたり、
体育館の床に膝をついて話し込んでいらっしゃいました。

天皇陛下は77歳、皇后陛下は76歳でいらっしゃいます。
膝を折っては立ちあがるのを繰り返すことは、相当なご負担かと想像されます。

テレビの映像からは、被災された皆さんを慰めたい、元気づけたい
という天皇陛下、皇后陛下のお気持ちが痛いほど伝わって参ります。

告白しますが、このところ、天皇陛下と皇后陛下を拝見するたびに
不覚の涙を流してしまう自分がおります。 


むかし、
「皇居の高台から、どちらをご覧になられるのですか?」
という質問を受けられた昭和天皇が、
「勿論、国会議事堂だよ」
とお応えになったというエピソードがありますが、
いまの政治の状況を天皇陛下は、どのように見ておられるのでしょう?

不謹慎ではありますが、このような政治状況がつづくとしたら、
大政奉還して帝政復古を望む声が聞こえてくるような気さえ、いたします。

勿論、それを望まれる天皇陛下ではありませんが・・・。



お迎え

2011年04月26日 20:14

お迎え 005

講座開催日でしたので、講座を終えてから急いで帰宅し、素早く着替えてから、
午後5時、お迎えに間に合いました。

保育園へ、孫娘をお迎えです。

お迎え 007

今年の4月からお世話になっています。

「そろそろ、慣れてきましたよ」
と保育士さんに言われましたが、日々元気いっぱい動き回っているそうです。

きょうも、絵本をすべて出して散らかしたのだそうで・・

お迎えは、
まず、カードキーを使って玄関から中に入ります。

ロッカーから自前の手提げ袋を出します。

0歳児の保育室へ入って、みなさんにご挨拶。

孫娘は、なぜかこの場面で必ず泣きます。


まず、布おむつを紙おむつに替え、布おむつを容器に入れます。
紙おむつは、孫娘専用の引き出しに入っています。
おむつカバーは、洗濯するために持ち帰ります。
ほかの洗濯物も、孫娘専用の引き出しに入っていますのでいっしょに持ち帰ります。

履いて行った靴下を入れた小箱から、孫娘のものを取り出して履かせます。

保育士さんから連絡ノートを受け取りながら、きょうの様子を訊きます。

きょうは、もも組さんたちといっしょにベランダで遊んだのだそうです。
もも組さんからボールを転がしてもらって遊んだのだそうです。
きょうから、後期食(少し硬めの離乳食)を始めたのだそうですが、
食感を確かめながらも、完食したようです。

最後に腕につけていた名札をはずして預け、
ご挨拶して帰宅します。

お迎え 008

0歳児の場合は、ベビーカーを預かってくださっています。

お迎え 010

帰宅してから、おやつにイチゴとバナナ、
そしてミルクを一気に召しあがっとります。

それが終わると、疲れているのでしょう。いっとき眠ります。


さて、きょうは、
息子Yがロサンゼルスから帰国します。
先ほど、成田空港から電話してきました。

きょうは、これからもう一人の “ お迎え ” ですワ。



シシュポスの岩

2011年04月25日 17:44

人間にとって、最も苛酷な拷問とはなにか、ご存知ですか?

質問しといてなんですが、 
猟奇的なお答えが、たくさん集まりそうですから、先に進みます。 

昔、ギリシャ劇を学んでいたときに聴いた話です。
ギリシャ神話に “ シシュポスの岩 ” という逸話があるそうですが、
これが人間にとって一番の拷問だろうという話でした。

狡猾なシシュポスという男は、タルタロス(地獄・奈落)に墜とされ、
山の上まで岩を運ぶという責め苦に遭います。
ところが、苦労して岩を山の頂上まで運ぶと、
岩は山の麓までころげ落ちてしまいます。

また麓から岩を運ぶのですが、岩は山頂に運ばれた途端に
またころげ落ちるといった具合で、シシュポスは、永遠にこれを繰り返す、
という罰を受けたという神話でした。

そして、
同じような拷問の話は、近代にもあって、
確かナチスが行なった拷問にも似たような話がありました。

用水から水を桶で汲ませて、別の用水に運ばせ、
別の用水がいっぱいになると、今度はその用水から水を汲んで、
元の用水に戻させ、それを繰り返させたという話だったか、

積まれた石の山から、石を別の場所まで運ばせ、
別の場所に石の山が出来ると、また元の場所に運ばせたという話だったか、
いずれにしても、目的のない、徒労の苦痛を味わわせるという拷問です。


なんで、こんなことを書いているかと申しますと、
揚水発電の話を聴いて、この “ シシュポスの岩 ” の話を思い出したのでした。

揚水発電って、ご存知でしたか?

わたしは、知りませんでした。
このところ、原子力発電についての情報を集めているなかで知ったのですが、
揚水発電というのは、謂わば原子力発電の副産物?のようなものです。

ご存知かと思いますが、
原子力発電という方法は、一端原子炉を可動させるとちょっとやそっとでは
止めることが出来ません。

つまり、夜になって電力の需要が減ったからスイッチを切る、
ということがないわけで、24時間何年もの間、動き続けるのです。

そうすると、需要をみて供給量をコントロールすることが難しいワケで、
ご承知のように、発電された電力エネルギーは基本的には貯めておけません。
ですから、作り過ぎた電力は捨てるか、なにか別のエネルギーに変えて
使うしかないということになります。

そこで、原子力発電で余った電力の使い道として、
揚水発電という方法を考え出したのだそうですが、
要するに、原子力発電で作り過ぎて余った電力を使って、
下の池から上の池に水を上げるのだそうです。
その水を下に落す水力で、必要なときに発電させるという水力発電のことを、
揚水発電というのだそうです。

つまり、
原子力発電で出来たエネルギーというものは、左様に非効率なものだという訳です。
おまけに、謂わば揚水発電所原子力発電のコストの内なのですから、
原子力発電は安いというのは、いよいよ眉唾物だということです。


人間にとって、目的のない徒労ほど苦痛に感じるものはないのだとすれば、
ましてその徒労が、人類の生存を根本的に脅かすものだとすれば・・・、
何をか言わんや。


孫正義

2011年04月24日 22:40

<参考> 自由報道協会主催「東日本大震災についての孫正義記者会見」の模様

アフリカや中東や南米のどこの国とは申しませんが、
それらの国に比べて、我が日本国は、いい国です。

全て、とは言いません。
隠された情報も、伏せ続けられている情報もあるでしょうが、
あらゆる情報、多く切り口の情報を受け捕ることができるのですから、
いい国です。

その意味に於いて、通信の分野から、一人ひとりが情報を集め、
それを改めて発信するソーシャル・ネットワーク・サービスの分野に至るまで、
空気や水と同じく “ 情報 ” という基本的 “ ニーズ ” を
“ 商品化 ” してこられた孫正義さんの先見の明には脱帽ですし、
その功績は大きいと思います。

その孫正義さんが、いま一番拘っていらっしゃるのが、
福島第一原子力発電所の状況と、原子力に頼ったエネルギー政策の転換と、
その代替エネルギーのことについてです。

フリーランスのジャーナリストやネット・メディアや外国メディアが
既成の記者クラブに所属していないということで、あらゆる取材の場から
排除されていることが問題になっておりますが、そんなジャーナリストが
自由報道協会(仮称)を立ち上げました。
その自由報道協会が主催した記者会見に、今回孫正義さんが登場しました。
因みに、自由報道協会主催と言っても既存の記者クラブに所属している
記者を排除して行なわれているワケではないのだそうですが、なぜか
記者クラブ所属の記者の方たちは会見場に入ろうとはせず、後から
自由報道協会に締め出された”というような趣旨の報道をされるのだそうです。

さて、記者会見は長いですが、まずそれをご覧いただくとして、
内容で印象に残った孫さんの発言を書き出しておこうと思います。

それは、孫さんの提言や提案に対して、
今後、あらゆる妨害やネガティブ報道が懸念される中、
孫さんご自身は、こうおっしゃっています。

損得勘定で言えば、いっぱい損することもあると思います。
私が狙われることもあると思います。
でも、時として正義を通さなきゃいけないときがある。
ですから、私が倒れたときには、みなさん宜しくお願いします。


これは、一人の市民として、人間として、日本国民として、
真剣に考え葛藤した孫正義という人の気持ち、覚悟を表していると思いました。

孫説く感情 ・・・ 



甥っ子

2011年04月23日 23:59

今年春、就職したばかりの甥っ子が、遊びに来ました。

今年の誕生日で、21歳。
これまで、親がかりの学生でした。
今年4月から電気通信関係の施工会社に技術者として就職したのです。

就職先は名古屋なのですが、4月上旬に上京し、親会社の本社で入社式があったそうです。

コミュニケーションやら、チームワークの築き方などを学ぶワークショップ、
ビジネス文書などの研修、40キロを歩く訓練など、様々なことに取り組んでいるようです。

まだ、挨拶の仕方、話し方から学び始めたばかりですが、
作ってもらったばかりの名刺をくれましたが、シワがついていました。
社長の名前を訊ねても、「なんだったっけ?割と簡単な名前だったけど・・」と呑気なものです。
早速、伯父による新人研修を始めてしまいました。 

しかし、思いのほか本人は素直でやる気満々  意欲的でした。


就職先の会社は名古屋なのですが、会社の上司から
「いずれ東北地方へ行って仕事してもらうかもしれないよ」
と、申し渡されているのだそうです。

仕事の内容上、東北地方に需要は増えることでしょう。
もしかしたら、その出向先は福島の原子力発電所かもしれません。

そう、“ 誰か ” が担う仕事が、そこにはあるからです。
そして、それを担う “ 誰か ” というのは、身近な “ 誰か ” かもしれません。

きっと、この先何年かかかる復興の仕事には、
こういった甥っ子のような若者を始め、皆の力が欠かせないでしょう。

そこで培ったものは、、
甥っ子にとって、いまやっている研修の何倍も貴重なものになることでしょう。

それは、日本の貴重なリソースになるはずです。
そして、それを担う人たちが、
国の大事な人財として、日本の財産になる日が必ずくると思います。


お報せ!

明日、4月24日日曜日午後6時からの日本テレビ「真相報道 バンキシャ!」で、
浜岡原子力発電所の地元自治体の一つ、牧之原市市長福島県南相馬市
一昨日22日に訪れたときの模様が同行取材されていて、報道されます。

牧之原市は、うちのみきちゃんの故郷です。




反省

2011年04月22日 23:59

東京電力の社長始め、重役の方たちが、
福島県知事を訪ね、原発事故から避難していらっしゃる住民の方たちを訪ね、
平身低頭謝罪をしていらっしゃる姿が映し出されております。

憤りを語る知事、怒りを向けた避難住民の方たち、
ただ頭を下げ続ける東京電力の経営陣・・・

止むを得ないことだと考えながら、なにか、虚しさを感じて見ておりました。

昨日は、総理大臣が同じように頭を下げている姿が映っておりましたが、
なにかがおかしいと思いながら、見ておりました。

この違和感は、なんなのでしょう?


そのむかし、宮城まり子さんのノンフィクションに感銘を受けた高校時代に、
浜岡に在った、ねむの木学園浜岡砂丘に行ってみたことがあります。

ねむの木学園の子供たちが遊ぶ同じ砂丘の上に、浜岡原子力発電所が見えました。
そう、いまでは世界中で有名になってしまった浜岡原発です。

その頃から、浜岡原子力発電所建設に反対する運動があることは知っていました。

美しい、遠州灘と遠州のからっ風が運んできた砂の丘陵とねむの木学園
その景色には似つかわしくない巨大な無機質な建物。

そんな、ちぐはぐな風景を見ながら、反対運動を知りながらも、
わたしは、無関心を装っておりました。
そのちぐはぐさに拘ってしまうと、面倒だと感じていたからでしょう。

それから間もなく、演劇をやるために東京に出ました。
もう、その頃には浜岡砂丘浜岡原発のことなど忘れてしまっておりました。
芝居と生活を両立させるために、一所懸命だったのです。

それから2年ほど経った二十歳の時、私は大学で演劇を学び始めておりました。
確か、その頃です。浜岡原発が稼働し始めたのは・・・。


それから長い間、あの不自然な浜岡原発の存在を無視しつづけてきた私には、
今更、福島で深刻な事故が起こったからと云って、電力会社を責める資格はないと思っています。

確かに、地震や津波で被災して、なお理不尽に故郷から遠く離れた所へ
避難を余儀なくされている方たちの心情は察して余りあります。
いや、本当の心情は察して簡単に解るなどとは言えないものかもしれません。
しかし、住民の皆さんが怒りを向けている相手が、本当のワルモノでしょうか?
ワルモノは、ここに居ます。
無関心や、無関心を装って、この何十年もの間、原子力発電について調べたり考えたり
してこなかった、私のような人間の愚かさがホントのワルなのではないでしょうか?

事ここに至って、国や役所や学者や電力会社をワルモノにするのは容易いことでしょう。
しかし、本当に反省しなくてはならないのは、それぞれの立場の一人ひとりではないでしょうか?
本当の敵は、私たち一人ひとりの無関心と怠慢のなかにこそあったことを受け入れましょう。

自らの中にこそ、敵は居たのです。
その自覚、その総括を経てこそ、次を語る資格があるのではないでしょうか?

いま起こっている事故が、まずは収束して、これまでのことを振り返ってみて、
自分はなにをしてきたのか?なにをしてこなかったのか?
そんな自覚と総括を経たら、わたしも言うことにします。
「原発は要りません」「核を棄てましょう」


避難していらっしゃる住民のお一人が、東京電力の社長に言っておられました。
「私も入院してたから解りますよ。身体を大事にしてくださいね」・・・と。

社長さん、貴方もホントはもう懲り懲りじゃないですか?
しかし、お立場がありますからね。

でも、この事態が一先ず収まったら、いっしょに考えませんか?
わたしも、今度は考えます。みきちゃんと孫娘の美しい故郷、浜岡のために。




風邪

2011年04月21日 20:01

言い訳なのですが、このところタイトな日々でした。
それもスケジュールの問題だけでなく、心的ストレスを抱えるには十分な状況。

それで、どうも・・・、風邪をひいたようです。
声が出ません。

始めは、花粉症かと思っていました。
鼻水が出て、眼が痒くなって、寝ると咳きこむといった症状は、
アレルギー症状だとばかり思っていたのですが、どうも・・・
風邪をひいているようですワ。

みきちゃんは、
孫娘の風邪が感染ったんじゃないかと、云うのですが、
それなら、本望です。

そういえば、この数年、
幸いに、風邪をひいたこともなかったと記憶しています。

その意味で、久々の風邪なんですが、
どうも油断したのだ、という敗北感があります。

さくらが咲いた後も、不規則な天候がつづいておりました。
で、個人的には睡眠不足がつづいたという自覚もあります。

でも、
なにか、悔しいというか、敗北感があるんですねぇ・・・。


最近、息子Kが肉体的に年齢を感じると発言していると、
みきちゃんに訊きました。

なにを謂っているんだ!
今年の誕生日がきて、まだ28歳ですよ!
やっと、成長が止まったばかりでしょ?

けっぱれ!息子。



正義の話をしよう

2011年04月20日 23:59

きょうは、これからの「正義」の話をしよう、と言っても、マイケルさんじゃなくて、
孫正義さんの話です。

このところ、孫さんの話題が多いですね。
私財100億円を被災地に寄付したとか、
大震災で両親を亡くした子供たちに、引退までの報酬全額を寄付したとか、
被災者への携帯電話の無償貸与、震災孤児は18歳まで通信料金無料化とか。

それから、3月11日大震災当日に携帯電話がつながらなかったことや、
緊急地震速報」に対応する機種が少なかったことを謝罪した上で、
大災害が起きても、携帯電話が使えるように改善すると発言したり、
緊急地震速報」に対応した機種を増やすのだと発表したり、
果ては、テレビには出演しないような反原発専門技術者を呼んで対談し、
怒りを滲ませたメッセージをUstreamニコニコ動画で配信したり。

 田原総一郎×孫正義×田中三彦×後藤政志 緊急対談「東日本大震災」

また、総務省が発した
東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する
電気通信事業者関係団体に対する要請
」というやつに反応して、
「本件に抗議して、今から3日間Twitterをやめます」とつぶやいたり、
そしてきょうは、
太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するために、
自然エネルギー財団」を設置すると発表しました。
脱原発を旗印に世界中から科学者ら約100人に参加を促し、
政府への政策提言などを行うのだそうですよ。

才能と私財と実力があったら、やってみたいもんですワ、わたしも。






TEPCO博士

2011年04月19日 23:59

思い出しました。

そのむかし、役者であったころ、
いろいろな仕事をやって僅かな収入にしておりましたが、
たまたま頂いたお仕事の一つが、TEPCO博士(テプコはかせ)です。

コンベンションなどの会場で、
東京電力のブースで行われる企画のMCを、TEPCO博士のキャラクターで登場し、
パフォーマンスをやっておりました。

その当時は、まだ“でんこ”ちゃんはいなかったので、
MCのお姉さんを相手に電力の話をするという内容でした。

お茶の水博士のようなカツラをかぶって、黒ぶちの丸眼鏡をかけ、
白衣を着て、ちょっととぼけたキャラクターを演じておりました。

キャラクターと云えば、東京電力には有名な “ プルト君 ” がいます。
プルトニウムは飲んでも安全だよ」
と安全宣言しています。
ホントですよ!YouTubeでプルト君を検索すれば、動画が見られるでしょう。

お茶の水博士と云えば鉄腕アトムですが、
ご存じのとおり鉄腕アトムの動力は原子力です。

鉄腕アトムの妹はウランちゃんですしね。

作者の手塚治虫さんが住んでいらしたというアパートが
ここ雑司が谷の我が家の近所に在ります。
お隣の高田馬場駅の発車音は鉄腕アトムのメロディーです。

現代の日本人にとって、手塚治虫さんや鉄腕アトムは、
とても親しみを感じる存在でしょう。

しかし、手塚治虫さんの創作動機は別として、
アトム(原子力)やウランというキャラクターが、
原子力と人間が共存できるという印象を与えていたかもしれませんね。

お仕事とはいえ、
むかし、なにも考えずにTEPCO博士を演じていたことを思い出し、
ちょっと複雑な気持ちになっております。








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