2010年大晦日

2010年12月31日 15:56

大晦日の墓参

大晦日は、よいお天気になりました。

かみさんとみきちゃんが作る、
おせち料理もひと段落したところで、みんなでお墓参りに行きました。

ご報告

孫の成長と、息子Kが明日から勤めるルテアトル銀座「坂東玉三郎特別公演」
そして、息子Yの帰国を報告し、
ことし一年間、みんなをお見守りいただいた感謝を申し上げました。

お礼参り

息子Kは、元旦の初日に向けて張り切っておりますし、
みきちゃんは、子供を産んで育てる大役をつとめています。

なにより、孫のC は、元気ですくすく育ってくれて、お座りができるようになりました。

息子Yも、元気に・・・元気すぎるほどですが・・、帰国し、
今日もママチャリで、東京中を走り回っております。

そして、我々も仕事に恵まれて、
なんとか健康で一年を過ごすことができました。


今年は、
伯父や叔母が亡くなり、親しかった友人が逝ってしまったのは寂しいことですが、
我々は、もう少し先まで行ってみようと思います。

来年は、
わたしにとって、ライフワークになる仕事が始まるかもしれません。

また明日から、新たな一歩を、この家族と一緒に歩みたいと思っています。


このブログを読んでくださった皆様、一年間、ありがとうございました。

どうか皆様も、よいお年をお迎えください。

墓参


さて、いまから注文しておいたお蕎麦を受け取りに行ってきます。 


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東北新幹線

2010年12月30日 21:56

年越しを前にして、

各地の火事や、事故、そして犯罪のニュースが目立ちます。

痛ましいニュースを見たあとで、

暮れの行事や、正月準備のニュースを見せられるのも、心の切り替えが困難です。


きょうは、

各地の交通事情が報道されていました。

外国に向かう旅行客が集まった、空港のニュースもありました。

各高速道路の渋滞情報もありました。


そんななか、

東北新幹線で新青森駅に到着した乗客や、それを迎える人々の映像がありました。

孫を出迎える、おじいちゃんやおばあちゃんが、

飛びついてくる孫を抱きかかえている映像もありました。

ことし、東京と青森が一本の新幹線でつながったからです。


しかし、

それにしてもです。

東北(青森―東京)への新幹線が、やっと今つながったというのも・・・、

なぜか、不思議な気がします。


西のインフラに比べ、東や北へのインフラは遅れたように思うのは気のせいでしょうか?

維新の英雄を排出した地域に比べ、

維新において、敵方になった地域の開発が遅れるというのは、
或る意味で仕方がないことかもしれません。

まぁ・・四国・九州の新幹線も遅れてはいますが・・・。


しかし、

遅れるといってもですね、

東海道新幹線は1964年(昭和39年)に開業。

1972年(昭和47年)に新大阪駅 - 岡山駅間、
1975年(昭和50年)に岡山駅 - 博多駅間の山陽新幹線が開業しました。

1982年(昭和57年)に大宮 - 新潟間の上越新幹線が開業。

同じ年の1982年に、
大宮 - 盛岡間の東北新幹線が開業しますが、岩手まででした。

そして、青森は、やっと今年になって繋がったのでした。


それにしても、

つかの間に、孫との時間を過ごす人たちにとって、

移動時間が短縮されてよかったです。

孫との時間は、いくらあっても足りないものですから。


2011年の挨拶状

2010年12月29日 23:59

2011年挨拶状

今年は、8月に父方の叔母が亡くなりました。
また、11月には伯父も亡くなりました。

そこで、
新年の年賀状をどうしようかと、考えまして、
結論としましては、年賀とかおめでとうございますと書いていない、
ご挨拶状をお出しすることにしました。

したがって、
郵便ポストの「年賀状」の差し出し口に投函できませんので、
明後日か、1月1日を迎えてから投函することにいたしました。

ですが、きょうから
“ご挨拶状”の宛名を書き始めました。

宛名は筆ペンを使って書きます。
文章は、印刷しましたが、一言を書き加えます。

それにしましても、
速乾性の筆ペンというものはないものでしょうかね?
葉書がくっつかないように、重ねて乾かすのですが、なかなか乾きません。

挨拶状


今年の仕事納め

2010年12月28日 23:59

かみさんと、息子Yとみきちゃんが朝6時に出発。
築地市場におせち料理の食材を買出しに行きました。

私は、
午前中は、コーチングセッション
きょうが、今年の仕事納めでしたので、独りで留守番。

早起きは三文の得、早朝から脚立を使って、高い所を拭き掃除。

午後からは、氏神様を始めとして近隣のお宮やお寺にお礼参りしまして、
今年のお札を納めて、新しいお札をいただきました。

ブログ 001 氷川神社
ブログ 003 鬼子母神
ブログ 004 武芳稲荷 
ブログ 005 大鳥神社

そして、神棚を清めて、いただいてきたお札をお祀りしました。
洗い米と塩と水、それにお神酒を供え、お榊を飾ります。
あとは、神棚に〆縄を張って完了です。

そして、玄関やリビングに正月飾りを飾ります。
これで、わたしの年末の重要なお役目が完了しました。


夜になって、友人が遊びに来てくれたので、
家族も揃って、忘年会が始まりました。

おみやげをもらった

酒の肴は、きょうかみさんたちが買い出しにいった食材を、
息子Yの包丁さばきでいただきました。

お刺身

今年も一年、おつかれさま!




小田原散歩

2010年12月27日 19:25

ヒルトン小田原

朝食を摂ってから、ヒルトン小田原リゾート&スパをチェックアウトしまして、
小田原市内を観て回ろうということになりました。

相模湾の海はきれいでした。

蒲鉾鈴廣

小田原と言えば、「かまぼこ」

かまぼこの里へようこそ

かまぼこと言えば、「鈴廣のかまぼこ」でしょうか?

ここは、「鈴廣のかまぼこの里」
「まるで、かまぼこのテーマパークやぁ!!」

かまぼこ

かみさんが、お正月用の紅白のかまぼこに、
孫のためにオリジナルの焼きを入れてもらいました。

さて、
小田原と言えば、「小田原城

小田原城

豊臣秀吉軍が、北条氏の守る小田原城を囲んで攻め落とした、
小田原の合戦、所謂小田原の役の主戦場が小田原城です。

小田原城案内

息子Yに、
「いまこの城を建てたら、幾らくらいかかる?」
と訊かれました。

中学生の質問です。

小田原城下

往時、幾らかかって建てられたから現代のレートに換算すれば・・
という計算のし方はできるでしょうが、
「いま建てたら・・」
という仮定では、答えが出ないのではないでしょうか?

いくら、建設機械や重機があっても、
城全てを造るために必要な技術や業がありません。

もし、チャレンジしたとしたら、
それら全ての技術者や職人を養成するところから、
やらなくてはならないのでは、ないでしょうか?

天守閣

さて、さて、
小田原と言えば、「さかな」ですよね。

回転寿司

都内では、あまり見かけない
ボックス席の有る回転寿司のお店に入ってみました。

液晶画面に表示されるネタを指定して、注文します。
どれも、お寿司は一皿100円です。

アッという間に、息子Yの前には、
スカイツリーのように高い皿の山が、いくつも立ちました。 

一皿100円


夢の跡

2010年12月26日 22:15

私の実家のみかん園は、浜松の三方原台地に在りますが、
日本のみかん産地としての最北は、小田原辺りでしょうか?
しかし、それも過去のことになってしまったようです。

1980年頃から日米貿易摩擦が起こり、日米牛肉・オレンジ交渉が進んだ結果、
1991年からアメリカ産オレンジが輸入自由化されることになりました。
この影響で、全国的にみかん園が他の用途へ転換されるようになりました。

小田原も例外ではありませんで、
傾斜地の規模の小さいみかん園は経営も困難で、転換を選択したようです。

小田原市は、みかん園の跡地の利用策として、
特殊法人の雇用促進事業団(現・独立行政法人雇用・能力開発機構)に対して、
誘致活動を行い、雇用保険法に基づく勤労者福祉施設の建設が決定します。
1997年には「スパウザ小田原」として施設が完成しました。
総工費は455億円で、1998年営業を開始したのですが、赤字経営につづき、
特殊法人の整理合理化の流れを受け、自治体への譲渡か廃止が決まりました。

その後、全国2,070箇所の雇用保険料から約4,498億円もの巨費を投じて
建設された保養施設などは二束三文で売却されました。
スパウザ小田原も機構側から小田原市に8億数千万円で買い取られました。
売却損は446億円だったそうです。

その小田原市が、ヒルトン・グループに運営委託しているのが、
現在の「ヒルトン小田原リゾート&スパ」です。

きょうは、この「ヒルトン小田原リゾート&スパ」に、かみさんと息子Yと来ています。

ヒルトンホテル小田原

久しぶりに親子三人で、ゆっくりと、
息子Yから、今後の事業計画などの話を聴くためです。

世界で、FTA自由貿易協定)やEPA経済連携協定)が進むなか、
国と国の貿易協定のあおりを受けたみかん園の跡地に立つ、これまた
いわくのあるホテルで、今後の事業について話しを聴くのも一興です。

初対面

2010年12月25日 23:41

南ウイング到着

去年の8月20日にロスに戻って行って以来、
16ヶ月ぶりに、息子Yが日本に帰ってきました。

16歳で、留学のためにアメリカに渡ってから、
息子Yが帰国するときには、かみさんと空港へ出迎えることが恒例です。

中南米旅行をしていて行方不明になっていたときに、突然帰国したとき以外は、
欠かさず成田空港へ出迎えております。

別に、空港からだって息子Yは独りで帰宅できるのですが、
出迎えること自体が、私たちの楽しみになっているからです。

あの到着ゲートの外で待っているときは、
「到着済み」の表示が点く前から、出てくる人の中に息子の姿を探すほど
心が逸るものでして、自分でも笑ってしまいます。

ブログ 005

しかし、対面したらしたで、
今度は出発を見送るときまでの時間を数えてしまうのですが・・


さて、今夜は、久しぶりに、
息子Yと、息子Kとやみきちゃんと孫のC 、
そして、むぅむぅ(かみさんの父)と一緒に食事しました。

寛

場所は、「雑司が谷 寛」

以前、私たちが経営していたお店です。

かみさんの祖父である作家・三角寛の住居を懐石料理店としたお店ですが、
現在は、同じコンセプトを引き継いでくださった株式会社女将塾の経営です。

息子Yにとっても久しぶりですが、
私たちも久しぶりの懐石料理に舌鼓を打ちました。

ただ一人、孫のC だけは、離乳食。

初対面

ところで、息子YとC はきょうが初対面となりました。

息子Yは叔父さん、息子YにとってC は姪っ子という間柄・・・・

これから、息子Yにとって一生の付き合いになる関係です。

叔父姪


お初のクリスマスイブ

2010年12月24日 23:44

きょうは、一日中、孫のお守でした。

若い二人は昼間、宝塚劇場へ観劇に行っていたからです。
なんでも、息子Kの中学時代の同級生のタカラジェンヌが出演していたようです。

そんなワケで、私たちもきょうは大掃除の手を止めて、
ミルクを作ったり飲ませたり、オムツを替えたり、寝かしたり、散歩に出たりと、
慌ただしくも、孫と過ごす至福の時間をもらいました。

お初のクリスマスイブ

そして、
きょうは、クリスマスイブです。
孫のC にとっては、初めてのクリスマスイブ。

クリスマスイブ

お店に並んで、クリスマスケーキを買ってきました。
クリスマスイブに並んでケーキを買うなんて、何年ぶりのコトでしょう。

孫のC は、離乳食が始まったばかりで、まだ、ケーキを食べられませんので、
おかあさんのおっぱいにして、飲んでもらおうと、思います。

クリスマスケーキ

それにしても、夜になって深深と冷えてきました。
でも、東京のイブは雪が降りそうにありませんねぇ。
北の地方は雪で大変だそうですが・・・。


我が家も、あすは嵐になりそうです・・・。

息子Yが帰国するからです。




穴八幡宮

2010年12月23日 19:13

ブログ 007

きょうは、まず寝室の掃除をしまして、
その後、外周りの掃除をしました。
ベランダ、玄関口などがキレイになりました。

かみさんは、フラの稽古場を掃除して、模様替えをしたようです。

そして、
さっきまで、風呂場の掃除をしていたのですが、
漂白剤を使っていたので塩素を吸ってしまったようで、呼気が変な感じです。 

ブログ 005

さて、
そんな合間を縫って、早稲田の穴八幡宮へ行ってきました。

ブログ 006
           ブログ 004

昨日が冬至でしたので、
一陽来復のお守りを、いただきに行ってきたのです。

ブログ 002

毎年の恒例になっているのですが、
大晦日の夜12時ちょうどに、今年指定された方角に向けてお札を貼ります。

お札をお祭りする(貼る)場所は、家の中のなるべく高い壁か柱です。
お札は、来年の恵方に向けて貼るのが慣いなのです。

今年一年のお礼を申し上げて、拝んで参りました。

孫娘を授かったことのお礼を、申し上げて参りました。



世界で一番

2010年12月22日 10:24

夜盗虫のNから電話がありました。

「1月29・30日に夜盗虫会をやろうと思うんだけど、参加できる?」
という問い合わせでした。

夜盗虫については、以前にも書きましたが、
全寮制だった高校時代の7人の仲間を指します。

Nの話では、今年は牧之原市の旅館で夜盗虫会を開催予定だというのですが、
私は、1月末の予定がたたず、参加表明を保留しました。

ところで、このN君、
なぜだか、妙に歌舞伎に興味があるようで、

「一度、歌舞伎を観に行ってみたいやぁ」

というのです。

「歌舞伎座って、新宿に在るだか?」

と訊くので、

「新宿に在るのは、歌舞伎町」 

と答えます。

「今度逢ったら、ゆっくり歌舞伎の話を聴きたいやぁ」

と言って、電話を切りました。

実は、このN君、日本で一番高値のマスクメロンを作るのです。
マスクメロンの市場で彼の名は有名で、彼の名前が書かれた箱を見ただけで、
最高値がつくと謂われ、東京の高級果物店やデパートが買ってゆくのです。

つまり、N君は日本一、いや世界で一番のマスクメロン作りというワケです。

ところで、
この、「世界で一番」というのは、意外に私の周りにはいるもので、
私は、私の父は世界で一番美味い温州みかんの作り手だと思っています。

現在は引退していますが、むかし父の作った温州みかんの味は、
これまで食べた温州みかんの中でダントツ一番でしたし、
また、そうおっしゃってくださる方々も多かったのです。

そして、うちの息子Kが小学生の頃に私が言っていたのですが、

「K太郎は、間違いなく世界で一番歌舞伎好きの小学生だよ」

この「歌舞伎好き」というところが、ミソでして、
決して、「歌舞伎が上手い」という意味ではありません。

しかし、
なぜ、そう言えたのか・・・

それは、歌舞伎の家柄に生まれて将来歌舞伎俳優の立場を保障されている
御曹司の方たちと比べて、成れるか成れないか、まったくの未知数ながら、
歌舞伎俳優を目指して、一日中歌舞伎の振りやセリフを真似をしていましたし、
飛び六方で小学校へ登校する小学生は、歌舞伎好きという視点で言ったら、
日本一、つまりは世界で一番だろうと、思ったからでした。

この世界で一番の歌舞伎好きが高じて、
息子Kは、小学校6年生のときに当世市川猿之助丈の部屋子披露をしていただき、
ホントに、歌舞伎俳優に成ってしまいました。

こんな具合に、
貴方の身近にも、意外な「世界で一番」はいらっしゃるかもしれませんよ。 


そう言えば、むかし息子Yが私に訊きました。

「じゃあさぁ、ボクはボクは??」

「Yはね、世界で一番“歌舞伎好き”のお兄ちゃんのいる弟」




親子三人

2010年12月21日 19:21

26年前、急逝した後輩がいました。

23歳でした。

彼のアパートが、近所だったこともあって、
彼はよく遊びに来て、酒を飲みながら芝居の話などしたものです。
亡くなる直前、最後に会ったのも私の部屋でした。


私にとっては、初めて見るの積雪の中、
東北の彼の故郷で営まれた葬儀に参列させていただきました。

そんな不幸なことがキッカケで、彼のご家族とは知り合いました。

以後、上京されるたびに母上と過ごすことが増えたり、
彼のお姉さんの結婚式に参列させていただいたり、
私の結婚披露宴にご列席いただいたりして、お付き合いしていましたが、
段々に年賀状のやりとりだけの無沙汰をしてしまいましたところ、
数年前に、母上が亡くなったことを知りました。

さぞ、父上がお寂しいだろうと思っておりましたところ、
お姉さんと、弟さんから、お手紙をいただきました。
今度は、父上の訃報でした。

といっても、
亡くなったのは、今年の11月22日だったそうです。

父上のご生前のご意志で、御遺体は献体をなさったのだそうで、
ご葬儀も、なさらなかったそうです。

母上にしても、父上にしても、23歳の息子さんを亡くすという、
現在、同年輩の息子二人を持つようになった私の身では、
とても想像のできないほどの悲しみを経験なさったお二人ですから、
お歳の割りには、早い旅立ちをなさいました。

しかし、
彼の御姉弟が、ご両親を支えて差し上げたでしょうから、
きっとお幸せであったであろうと、私は思います。

いまごろは、親子三人で睦まじくなさっているのではないかしら、
と想像しています。


母上様、父上様、どうか、安らかにお眠りください。
ありがとうございました。

合掌




ぽっくり ぽっくり

2010年12月20日 23:08

ブログ 005

篆刻作家の従妹が、息子Kの家族に、この書の額を贈ってくれました。

孫娘の部屋に飾ってくださいと、手紙に書いてありましたが、

生憎、息子たちの部屋は狭くて、大きな額を飾るスペースはありません。

そこで、

私たちの家の、リビングに飾らせてもらうことにしました。

ブログ 004

お馬の

 おやこは

なかよし

  こよし

いつでも

 いっしょに

ぽっくり

 ぽっくり

あるく



そろりそろりと、おすわりをしています。

そして、寝返りも、よくうつようになりました。

離乳食も、たくさん食べています。

なにを言っているのか解かりませんが、

よく話すようにもなりました。

もうじき、お母さんのあとを追って、

ぽっくり、ぽっくり歩き始めることでしょう。


Eちゃん、ありがとう! 





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