季節感

2010年11月30日 18:06

今朝は、気持ちを切り換えて、学校に向かいました。

しかし、学校でも、
私のブログを見てくださった方々から、お悔やみの言葉をかけて頂きました。
ありがとうございました。

枯葉


さて、
午前中の授業が終って、昼食を摂りに門を出ようとしたら、
一人の学生から声をかけられました。

「先生、秋ですね! わたし落ち葉に感動して独りで踏みしめていたんです」

聴けば、
その学生Tさんは、沖縄のご出身なのだそうです。

沖縄県うるま市にご実家が在って、
通った高校は普天間基地のすぐ傍だったのだそうです。
それで、上京して初めて東京の秋を体験されたのだとか。

ですから、紅葉とか落葉とか、
初めて体験する東京の秋に感動していらっしゃたのですね。

同じ国に生まれても、南と北とでは、季節感にこれだけ違いがあります。
人が人に“共感”するということは、容易いことではないですね。

「先生!独りじゃ恥ずかしいから、一緒に落ち葉を踏んでくれませんか?」

Tさんに誘われて、降り積もった落ち葉を二人で一緒に踏みました。

久しぶりに、落ち葉のクッションを踏みしめましたが、
なかなか気持ちのいいものですよね。

一緒に経験するのは、確かに“共感”しやすいです。
しかし、傍から見たら、珍しい光景だったと思いますよ。

初めての落ち葉


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おっちゃんの葬式

2010年11月29日 21:30

徳島からの帰り道で、これを書いています。

今日は、朝早くから葬儀のお手伝いに来てくださった方、
お参りに来てくださる方々があり早起きしました。

朝は冷えましたけど、お天気には恵まれました。

横瀬の朝


朝日と、川のせせらぎと、あさげの様子を見ていると、
昔、伯父が朝飯前に玄関の座敷で、煙管で煙草をやっていた姿を思い出しました。

伯父が煙管を取り出すと、わたしは、すぐに寄っていって、
伯父が煙管を操るのを見るのでした。

伯父は煙管に煙草盆から葉を詰めますと、マッチでまず火を着けます。
すると、伯父の口元から顔にかけて、ものすごい量の煙がわき上がるのです。

伯父は、そのまま二三口吸ったら、煙管を左手に叩きつけます。
すると、まだ煙を出しながら煙草の燃えた玉が、伯父の左の手の平の上で、
コロコロ転がっています。

わたしは、伯父の手の中にある火の玉を見るのが好きでした。

伯父は、その火の玉を左手に持ちながら、
つぎの煙草を煙管に詰めて、火の玉をその上に乗せて吸うのでした。

「おっちゃん、熱うないん?」

伯父は、ニコニコ笑っていました。

「もいっぺん、やって!」

とせがむので、何度も火の着け替えを見せてくれました。
あまりにもせがむと、

「そない吸えるかだぁ、せこい(苦しい)わ」

と言って、笑うのでした。


葬儀は、12時から始まり、近所の方々がお参りに来てくださいました。
長年、伯父がその人生でお世話になった皆さんです。

13時出棺、わたしも棺を持ちました。
葬列は、家の前を時計回りに三度回りました。

阿南市の火葬場に着いたのは、13時半。
火葬には約2時間かかると書いてありましたが、
伯父は、1時間15分ほどで出てきました。

「おっちゃん、熱うなかったで?」


通夜

2010年11月28日 23:59

大阪から新神戸に移動して、
そこで浜松から来た父と、愛知県大府から来た妹と待ち合わせました。

新神戸からは、高速バスで淡路島を通過して徳島に渡ります。

父の実家でもある、本家に着いたのは夕方ちかくなっていました。


横瀬という町は、勝浦川という川が町の中を流れています。
むかしは、その川に材木や炭を筏に積んで流したのだそうです。

本家は昔、炭焼きを生業としていました。
それが、わたしの曾お祖父さんの時代に山の開拓を始めました。
その開拓事業をお祖父さんが継いで、町で初めてのミカン園を造ったのだそうです。

曾お祖父さんとお祖父さんという親子がいたから、一人が開拓をし、
もう一人が畑や炭焼きをするという具合に役割分担が可能だったのでしょう。
兵隊に行かなかったことも幸いしたのだと、思います。

そのミカン園を継いで、独りで護って働いてきたのが、伯父でした。
こどもは、いませんでした。

若い時から、炭焼きをし、狩猟をし、山のミカン園で働いてきました。
山のミカン園まで、徒歩でしか行けませんが、
往復4時間もかかるような道程を毎日のように通って働いたのです。
伯父は、ほとんど町から出たことがなく暮らしてきました。

横瀬の川が好きな伯父でした。
私や弟に釣りを教えてもくれました。

横瀬の町には、伯父にとって、すべてのものがあったのかも、しれません。


さて、通夜の夜です。

本家の二階で、枕を並べて、妹と寝ています。

上から、曾お祖父さんと、お祖父さんと、お祖母さんの写真が、
私達兄妹を見下ろしています。

孫の出来た曾孫や孫のことを、
どんな思いで、見てくれているのでしょうか?

明日は、朝早くから、
お仕事前にお参りに来てくださる方々があるそうですから、
私も久しぶりに、顔を覗き込まれながら、眠ることにいたします。






伯父が亡くなりました。

2010年11月27日 23:59

もとよりブログではありますが、私事で失礼します。


今朝、伯父が亡くなりました。

わたしの実父の兄です。

徳島の本家を継いだ伯父です。

子供はいませんでした。

ですから、わたしのこともよく可愛がってくれました。

わたしたち、従兄妹は、みな伯父が大好きでした。

人生の豊かさ、人間の器、人の優しさ、
そんなことを、伯父からいろいろ学びました。

今夜は、大阪に来ております。

今夜、ワークショップを請けおったからです。

或る意味で、徳島に行くには好都合のタイミングでした。

なにもかも、伯父が仕組んだことのような気がします。
イヤ、伯父はそんな策略家ではありませんでした。
きっと、伯父の徳の成せる技なのかもしれません。

と、いうわけで、
明日、徳島での通夜に向かいます。

明後日は、葬儀が行われます。

葬儀場ではなく、本家から送ることになっています。


父と下の叔母にとっては、夏に逝った上の叔母につづいて、
またしても兄が逝ったことになります。

何も出来ないでしょうが、もし、わたしに出来ることあればと思ったりいたします。


失礼しました。




エーデルワイス

2010年11月26日 21:32

池袋の銀行に用事があったので、西武デパートの駐車場に車を停めまして、
帰りに西武デパートで買物を済ませますと、ちょいと小腹が空きました。

そこで、8階のレストラン街に行ってみますと、
池袋西武本店のレストラン街は、最近リニューアル・オープンし、
新しいお店が13店舗加わったのだそうです。

新たに開店した回転寿司のお店の前には、長蛇の列が出来ていました。
どのお店もお昼どきだったからなのか、珍しいからなのでしょうか、
概ね繁盛している様子で、並んで待つ人がいます。

ナニを食べようか、どこで待とうか、悩んでおりますと、
待たずに入れそうなお店がありました。

西武本店 エーデルワイス

「エーデルワイス」

昔から西武に入っている老舗のレストランです。
これまで、わたしは入ったことがないのですが、
何か・・・懐かしくなって、入ってみました。
注文したのは、例によって好物のオムライス。

エーデルワイス 

実は、わたし、なにを隠そう!
18歳で上京して、この「エーデルワイス」という会社に就職したことがあるのです。

家出して上京し、
就職先を探す際の必須条件は、住む所があることだったのです。
幸い「エーデルワイス」という会社は、小田急線豪徳寺駅近くに寮がありました。
そこで、職種もなにも関係なく、就職を希望して採用されたのでした。
仕事と住む所を決めてから実家に戻り、親に詫びて、
東京で演劇を目指すことを了解してもらって、あらためて上京しました。

仕事場は、新宿の伊勢丹デパートの地下に在ったカウンター喫茶でした。
そこで、珈琲を始めとして、喫茶物を作ることを覚えて働きました。

しかし、数ヵ月後、小田急線の下北沢駅で中学時代の友人に偶然再会!
それがキッカケで、その友人のアパートに同居させてもらうことになり、
それと同時に、退社して実入りのよい配膳人の仕事に変わりました。

ですから、就職していたのは、3~4ヶ月間だったのですが、
職場と謂い、寮と謂い、濃密な時間を過ごしました。

35年前のことです。

あれから、初めて「エーデルワイス」というお店に入りました。
勿論、伊勢丹ではなく池袋西武ですが、なにか懐かしいような感じでした。
私は、あれからなにも変わっていないような、イヤ進歩していないような、
そんな気がします。ただ、あの頃の熱が醒めてしまったような一抹の・・

オムライスを食べていると、かみさんからメールが入りました。
「みきちゃんが、日にC (孫)を預かってほしいって言ってきたんだけど、大丈夫?」

やはり、隔世の感がありますなぁ・・・。



片山温州

2010年11月25日 23:59

みかん畑

実家の父が、郷里である徳島県の果樹試験場に勤めていた頃、
つまり、昭和29年から31年頃のことかと思うのですが、
片山さんという、みかん農家の畑で、“枝変わり”と謂われる、
その樹が持っている本来の特性とは違う枝を見つけました。

その穂木を試験場に持ち帰り、栽培し研究したのが、
現在「片山温州」と呼ばれている、みかんの品種です。

ですから、片山温州の発祥は、徳島の果樹試験場ということになりますが、
それを生産者として広めたのは、静岡県浜松市の三方原台地に入植した父でした。
早生みかんと、貯蔵用の晩生みかんとの中間時期に最も食味が適した片山温州は、
暮れからお正月にかけて食べるのが一番美味いと、わたしは思います。

糖度は高いのですが、酸度が少なめなのが特徴です。
それは、味がボケ(淡白)やすいとも言えますが、
それぞれの、農地の特徴を活かした作り方次第だと父は言います。

「お父さんが見つけて作ったのだから、日下温州でもよかったんじゃない?」
と、昔言ったことがありましたが、父は笑っておりました。

この片山温州は、静岡県内でも一部でしか作られていません。
そして、そのほとんどが“丸浜みかん”というブランドです。
それに、丸浜みかんは、あまり東京の市場には出回らないんですよね。

さて、片山温州の収穫が始まっています。
雨が降ってみかんが濡れると、収穫作業が出来ません。
濡れたみかんは、貯蔵してから皮が浮いたり腐ったりするのです。
ですから、風が実を乾かせてくれるのを待って収穫します。
収穫作業は、年末のギリギリまで続きます。

丸浜の生産者たち



あの空の下

2010年11月24日 23:59

2010年11月25日

仰向けの状態から、手でおもちゃを掴もうとして、ゴロリ・・
うつ伏せの状態になって、お腹の下に入った腕を抜くようになりました。

うつ伏せになっても、首をもたげて、おもちゃを掴もうとします。

首もしっかりしてきましたし、足もよく動きます。


きょうの午後は、
わたしたち夫婦が、子守を頼まれました。

息子は、三味線のお稽古。
みきちゃんは、お仕事です。

わたしたち夫婦は、二人して時間を空けて待っている、爺バカ婆バカです。


かみさんは、
「この子には刺激を与えたほうがいいね」
と言って、前出のうつ伏せ訓練に余念がありません。

わたしは、
腕の中で眠っている孫の顔にウットリ・・
ミルクの一気飲みをしている顔と口元にニンマリ・・



テレビでは、
朝鮮半島有事のニュースをやっています。

徐々に詳細が判ってくると、犠牲者の数が増しています。

反撃をされた北の軍隊にも多くの犠牲者が出ていることでしょう・・
この先、どのくらいの犠牲が出ることかしら・・?

黒煙が上がる、あの空の下には、
まだ、這い這いも出来ないうちの孫くらいの子もいるんじゃないかしら・・?




凜とした生き方

2010年11月23日 18:32

きょうは火曜日ですが、勤労感謝の日なので学校はお休みでした。
そこで、午前中から風呂をぬるめに沸かして入りました。
NHKラジオ第1で、「鎌田實 いのちの対話」を聴くためです。

今回は、“凛(りん)として生きる”というテーマで、
ジュディ・オングさん、森下洋子さん、黒田福美さんをゲストに、
岡山県矢掛町からの公開生放送でした。

実は、黒田福美さんは、かみさんの学生時代の友人なのですが、
黒田さんもブログを書いていらっしゃるので、読ませていただいております。
そのブログにきょうの情報が載っておりましたので、聴かせて頂く事にしたワケです。

わたしの妹が、この番組も含めて鎌田實ファンなので、
以前から時々、鎌田さんのラジオは、拝聴しておりました。


“凜(りん)”という字の意味を辞書で引くと、
1.きびしくひきしまっているさま。
2.寒さのきびしいさま。
3.数量がきわめて正確であるさま。
とありました。

字の形を見ると、偏が部首の「冫(にすい)」です。
「冫(にすい)」は、水が凍った状態、つまり氷を意味します。
そのイメージで言えば、厳しい寒さの中ですっくと立っている、
そんな感じを、「凜(りん)として」と言うのでしょうか。

「凜凜しい(りりしい)」という言葉も、ありますものね。


さて、“凜として生きる”って、どんな生き方なのか、
リスナーの皆さんや会場にいる方たちから、ご意見が寄せられました。
“凜とした人”のイメージは、女性を思い描く方が多かったように思います。
それも、ご自分のお母様の生き様やお亡くなりになるときのご様子を、
“凜として”と捉えたという方が多かったように思いました。

わたしにとっても、そうです。
働く母の姿や、亡くなる直前の病室での様子を思い返すと、
まさに凜然としておりました。

また、今年の夏に亡くなった叔母は、
生前から亡くなった後の段取りをしておりました。
そして、亡くなる直前には、周囲の人たち一人ひとりの名を言いながら、
○○さん、ありがとうございました」「○○ちゃん、ありがとう」
と礼を言って逝ったそうです。
そんな叔母の逝き方も、わたしには凜として映りました。


ところで、
冷え性で手足の先が冷たい私は、風呂で身体を充分に温めましたが、
“凜とする”のは難しそうです。





法務大臣発言

2010年11月22日 18:00

むかし、大学に入るための学資を稼いでいた19歳の頃、
調布市のつつじヶ丘から深大寺に向かう道の途中に、
明治大学野球部のグランドが在りました。

そのグランドと道を隔てた工場で働いていた私は、
毎日、グランドで行なわれている野球部の練習や、
近くの女子高の生徒たちが通学する様子を眺めるのを、
楽しみにしておりました。

その野球部の練習で、ナニが楽しみだったかと云えば、
不謹慎ながら、学生を叱る監督の様子が、オモシロかったのです。(失敬
当時、明治大学野球部の島岡監督は有名でした。
鉄拳制裁は当たり前、明治の野球部員だった者で殴られたことがないのは、
高田繁星野仙一の二人だけだと、謂われておりました。

その理由は、高田は真面目だったから、星野は要領がよかったからだと、
後に星野さんが述べておられます。

事ほど左様に、よく殴ってましたね、島岡監督。
なにをおっしゃっているのかは、よく聞こえませんでしたが、
なにかにつけて、コツン・パシッっとやっておられました。
ときには、後ろに腕組みなんかしたまんま、足で蹴っておいででした。
いまなら、大問題でしょうね?

その島岡監督のエピソードで、有名だったのが、
試合の最中にタイムをかけて、
キャプテンやピッチャーやキャッチャーを呼び、
「なんとかせい!」
という指示を出したのだとか。

それでも、長年の監督生活の中では伝説だけでなく、
各大会における度々の優勝など、実績のある監督であったからこそ、
歴史にその名を遺されたのでしょう。


このように、むかしは伝説のリーダーというような方がいらっしゃいました。
島岡監督の「なんとかせい!」もそうですが、
「わたくしなんぞが社長をやっておられますのも、
うちの社員がみんな優秀で、頑張ってやってくれているからでございます」

なんていう挨拶をする社長さんがいたものです。

しかし、そう言われて、その発言を真に受ける人は居ないワケで、
「ご自分は謙遜されて、社員を立てていらっしゃる」
と、聴いた人は受け取ったりしたのですね。

黒澤明監督の「椿三十郎」で、三十郎(三船敏郎)が若侍たちに言うセリフに、
「(城代家老は、)馬鹿だと思われても気にしないだけ、大物だぜ
というのが、ありました。

どうも、昔のリーダーには、こういったタイプが多かったように思われます。

しかし、いまはどうでしょう?

よく謂われることですが、
リーダーには、ビジョンを明確に示した上で、
皆を先導(リード)して事にあたる姿が求められているようです。
どちらが、よいのワルイのという話じゃありません。


それにしましても、
もし仮に、上記の社長さんのような謙遜を含んだ発言だったとしても、
法務大臣は、この二つだけ覚えときゃいいんですから」は、絶体絶命発言でしたね。


雑司が谷のエル・チョクロ

2010年11月21日 23:37

エル・チョクロ 010

昔、「母をたずねて三千里」というテレビアニメがありましたよね?

イタリアのジェノヴァで暮らしていたマルコという少年が、
アルゼンチンへ出稼ぎに行ったっきり音信不通となった母を探しに、
遠くアルゼンチンへ旅をする物語です。

うちの息子Yが大好きな物語でした。

その息子Yが、5年前に独りでバックパッカーで中南米への旅に出たことがありました。
基本的には、彼が住んでいるロサンゼルスから、メキシコへの旅だったのですが、
大学を休んで、行けるところまで行ってくるというような様子でしたので、
あの子のことだから、マルコみたいにアルゼンチンまで行っちゃったんじゃないか?
そんな冗談を云いながらも、約一ヵ月後に彼が突然我が家の玄関に現れるまで、
音信不通となった息子を案じて、夫婦で眠れぬ夜を過ごしていたものです。

エル・チョクロ 001

そんなワケで、アルゼンチンと聞くと、息子Yのことを思い出すのでありますが、
この雑司が谷に、この秋、アルゼンチン・タンゴのバーがオープンしたのであります。

エル・チョクロ 003

雑司が谷アルゼンチン・タンゴという取り合わせも面白いでしょ?

きょうは、かみさんと、シャンソンを歌っている友人たちと、
そのお店、雑司が谷タンゴ・バー「エル・チョクロ」に伺いました。

“エル・チョクロ(El choclo)”というのはスペイン語で“とうもろこし”
という意味だそうですが、“赤毛”という意味のあだ名だという説もあるようです。
多分このお店の名前は、有名なタンゴの名曲「エル・チョクロ」からつけたのでしょう。

古民家を改装して造ったという店内は、
先日、近くに在る大鳥神社で行なわれた酉の市の賑わいがウソのような異空間。

エル・チョクロ 005

話してみれば、オーナーの伊藤さんは、
わたしたち夫婦と共通の知り合いが多いこと、多いこと。
わたしたちの世間が狭いのか、いや、驚きました。

例によって、お店とお芝居の評論はしないことにしていますので、
感想は述べませんが、きっとまたすぐにお邪魔するであろうことは、
間違いがないと、思います。

エル・チョクロ 007

やっぱり、エル・チョクロの曲、かかりましたよ。




異業種交流会FTN11月例会

2010年11月20日 17:30

気づかないうちに、携帯電話に着信履歴が残っていた場合、
貴方は、どうしますか?

かけ直しますか?

それとも、またかかってくるのを、待ちますか?

それでは、携帯電話にメールが届いた場合は、いかがでしょう?

とりあえず、「届きました」「読みました」といった返信をしますか?
それとも、特に返信はしませんか?

では、
なにかを問い合わせる内容だったとしたら、いつ返信しますか?

すぐですか?
あとで、ですか?
何日後まで、延ばしたことが、ありますか?

携帯電話 002

さて、ますます多機能になって、新しいアプリもどんどん登場している携帯電話。
「携帯」しているから「携帯電話」なのに、連絡がつかないこともある携帯電話。

携帯電話は、道具です。
それも、コミュニケーションの道具です。

機能は増えましたが、機能を使いこなせていないような・・・、
まだまだ、道具として“つかい方”が定まっていないような・・・、
そんな気もいたします。

そこで、今月の異業種交流会FTNは、
参加者が一つのテーマでフリートークをする“茶飲み話例会”という形式で、
「携帯電話」について採り挙げます。

どうかお気軽に、奮ってご参加ください。

ご参加ご希望の方は、ご存知の私の連絡先にお申し込みをお願いします。
私の連絡先をご存じない方は、下記宛てにメールをお願いします。
仮メールアドレス(三浦): goodjobcoach@yahoo.co.jp




【異業種交流会FTN11月例会】

【日 時】2010年11月30日(火)午後7時~9時

【内 容】「茶飲み話し例会」ファシリテーター 三浦秀和
                
【場 所】マイ・スペース&ビジネスブース池袋西武横店「5号室」

【住 所】豊島区南池袋1-16-20ぬかりやビル2F

【電 話】03-5960-0056

【アクセス】
     池袋駅東口に出て右方向へ西武デパートに沿って歩きます。
     大きな五差路の交差点を進行方向に渡って2つ目のビル2階。
     入り口右側の「山ちゃん」という店の看板が目印(徒歩3分)

【地 図】ここをクリック 

【参加費】お一人1,000円

【懇親会】例会終了後、有志で近くの居酒屋などで懇親会を行います。
       自由参加で、参加時間に関係なく会費は基本的に頭割です。

お酉様

2010年11月19日 22:21

お酉様 004

毎年この時季に行なわれる、酉の市(とりのいち)は、
各地の鷲神社(おおとりじんじゃ)の祭礼ですが、
通称“お酉さま”とも呼ばれています。

鳥・酉・大鳥・鷲・大鷲、といろんな字を使います。

雑司が谷にも大鳥神社が在りますが、
東京で一番の賑わいを見せるのは、やはり浅草の鷲神社でしょう。

その浅草の鷲神社へ、かみさんと行って来ました。
ことしは、一の酉、二の酉までしかありませんから、
鷲神社は、ご利益を求める善男?善女?で大賑わいです。

わたしたちも例外では、ありませんがね。

お酉様 006

お酉様では、縁起物の熊手を売る露店が立ち並び、
売り手と値段の交渉成立したお客を囲んだ露天商たちが、
三本締めで、手打ちをする拍手とかけ声が響き渡りります。

お酉様 016
           お酉様 009
お酉様 008

お酉様が、鷲神社の祭礼というからは、鷲神社の“お祭り”です。
“まつり”と読む字は他に、“祀り”“奉り”という字がありますが、
もともと、“お祭り”というのは、
神を祀ることであり、神に供物を奉ることだったからでしょう。

お酉様 014

政(まつりごと)への期待がハズレた感が漂う世情において、
こちらに期待する人々で鷲神社は、大賑わいですワ。

お酉様 013





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