私には、本当の妹とは別に、“妹のような”女性がいます。
彼女は、飲食店を営む両親とお祖母さんのいる家庭に生まれました。
しかし、彼女が小さいころお父さんが事故に遭って障害を負ってしまいました。
それでもお母さんとお祖母さんが一所懸命働いて、彼女を育ててくれました。
彼女も明るく、すくすく育ち、大学を出て、栄養士になりました。
そんな彼女は、大人になってからスペインに魅せられるようになって、
何度もスペインに行くようになりました。
しかし、逆に日本文化や古いものにも興味をもって、華道を学び始めます。
私たちは、お互いに若いときにはあまり交流していませんでしたが、
気がついたら、彼女はアメリカで暮らしておりました。
結婚して、周りの人たちの趣味の指導をやるようになっておりました。
伴侶は、日本人で彼女と同郷の人でした。
若い時にアメリカに渡って、仲間と会社を起こしたというサクセス・ストーリーをもつ、
逞しい人でした。
二人は、カリフォルニアに念願の住宅を購入しました。
室内には、彼女が日本の古民家などで集めた古い家具や調度類で設えてありましたし、
台所は、夫婦二人には広すぎるくらいの典型的なアメリカ風のキッチンでした。
庭は、多くの草木がよく手入れされていて、カリフォルニアの太陽を浴びていました。
彼の仕事は、多忙を極めましたが、充実した生活でした。
彼女も、自分の趣味と日本人コミュニティーの中で趣味を教えるという仕事に、
多忙ながらも満足しているようでした。
しかし、そんな二人の生活に
青天の霹靂のような出来事が起こります。
彼が倒れたのです。
心臓でした。
幸いに、緊急手術は成功し、命は取り留めましたが、
倒れてから脳に血液が届かなかった時間があって、少し障害を負うことになりました。
リハビリに努めましたが、経営していた会社は、他人に委ねることにしました。
二人で相談して、日本に帰ることにしました。
家も売ることにしました。
サブプライムの影響で、売れるか心配しましたが、友人が仲に入ってくれて、
なんとか売ることが出来ました。
故郷に帰ったら、住宅を見つけなくてはなりません。
彼は、ほとんど周りが気づかぬほど回復していますが、リハビリは続きます。
二人とも、お父さんは亡くしていますが、お母さんの世話もしなくてはなりません。
二人の仕事も創っていかなくてはいけません。
さぞ、大変な思いをしているだろうと思って電話しましたら、明るい声で、
「一歩・一歩よ。帰ったら帰ったで、それを楽しむわ」と言っていました。
人生七転び八起きとは申しますが、
この状況をネガティブに捉えずに、楽しもうというのですから大したものです。
その二人が、きょう日本に帰ってきます。
おかえりなさい。ご苦労様でした。
最新コメント