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南風頬を撫でる都田の天

2010年02月06日 19:18

昭和4年4月4日という4並びの日が、私の母親の誕生日です。

母の父である私の祖父は、大正9年5月、32歳のときに小学校長に就任しました。
それがどのくらい前かというと、その大正9年5月に森光子さんがお生まれでした。
森さんは、今年5月で満90歳におなりですから90年前のことです。

その祖父の赴任地であった静岡県庵原郡富士川町で、昭和4年4月4日に、
母は生まれました。

昭和4年という年は、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。
世界恐慌の引き金になった年でした。

祖父母は、男子を五人、女子を四人授かりましたが、
祖父母より先に男子を三人、女子を一人病気で亡くしています。

戦後、母は幼稚園の保母をしていましたが、父と知り合って
昭和30年10月に結婚、父の実家の在る徳島県勝浦町で暮らし始めました。

その時は、農林省の果樹試験場の技師であった勤め人の父でしたが、
昭和31年に私が生まれると、父は心機一転、開拓農民を目指します。

父と母は、
昭和33年5月に、静岡県浜松市の北部に広がる三方原台地の都田に入植して
開拓農民となりました。
そのとき私は生まれて一歳五ヶ月、妹は母の腹に入って三ヶ月でした。

昭和33年5月5日 昭和33年5月5日

母は、開拓農民の妻としては、
昭和33年から始めた原野からの1.5ヘクタールの第一次開墾、
昭和44年から始めた山林からの約4ヘクタールの第二次開墾を成功させ、
子育てでは、二男一女の母親として生きました。

教師の家庭で七番目に生まれた母ですから、
お嬢様育ちとは言えなくとも、農家に生まれた人の素養は、
全く身につけていなかったであろうと思います。
ましてや、開拓農民として生きるということは全くの想定外であったでしょう。

しかし、父の親戚や周りの人々は口々に謂います。
「トシオさんの成功は、タカエさん無くしては有り得なかった」 と・・・。

母は、晩年詩吟を愉しみ、野草の効能を調べ、父と日本各地や海外を旅し、
五人の孫の成長を楽しみに見守りながら、野菜を作って暮らしていましたが、
平成12年、2000年に享年71で亡くなりました。

きょう2月6日は、母の10年目の命日です。


此の地に来たりて四十余年

試練幾多脳裏を旋る

業就りて橘香る今日の集い

南風頬を撫でる都田の天

        作詩・洋敏



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