松竹大歌舞伎「傾城反魂香」

2009年10月31日 13:00

市川海老蔵さんが一人で五役を演じた通し狂言「雷神不動北山櫻」公演が、
10月26日に福岡の博多座でめでたく千穐楽を迎え、
出演しておりました息子Kも無事帰京いたしました。

そして、短い稽古期間でしたが、本日はもう、次の巡業公演の初日を迎えます。

きょうから始まる公演は、松竹大歌舞伎「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」です。

傾城反魂香ちらし

この作品は、2007年10月に三越劇場創立80周年記念公演と銘打たれ、
三越歌舞伎として市川猿之助門下・澤瀉屋一門によって上演された作品です。

きょうの埼玉県飯能市・飯能市市民会館13時開演で初日を迎え、
来月25日の京都芸術劇場 春秋座での千穐楽まで、約ひと月の巡業です。

ご案内が遅くなりましたが、もしお近くで公演されるようでしたら、
この機会にご観劇いただければ嬉しいです。

息子Kは、土佐修理之助役を相務めます。

<11月>
1日 (日) 14時00分開演 石巻市民会館(宮城県石巻市)

3日 (火) 13時30分開演 戸田市文化会館(埼玉県戸田市)

4日 (水) 13時30分・18時00分開演 新潟県民会館(新潟市)

6日 (金) 13時00分・17時30分開演 めぐろパーシモンホール(東京都目黒区)

8日 (日) 12時30分・17時00分開演 東美濃ふれあいセンター(岐阜県中津川市)

9日 (月) 14時00分開演 サンパール荒川(東京都荒川区)

11日(水) 13時30分開演 栃木県総合文化センター(栃木県宇都宮市)

12日(木) 13時30分開演 府中の森芸術劇場(東京都府中市)

13日(金) 14時00分開演 なかのZERO(東京都中野区)

15日(日) 14時00分開演 出雲市民会館(島根県出雲市)

19日(木) 13時30分・18時00分開演 ルネッサながと(山口県長門市)

21日(土) 17時00分開演 内子座(愛媛県喜多郡)
22日(日) 12時00分・16時00分開演 同上

24日(火) 13時00分・18時00分開演 徳島市立文化センター(徳島市) 

25日(水) 17時30分開演 京都芸術劇場 春秋座(京都市) 


※詳細はココをクリックしてご確認ください。

※尚、ちらしには市川段治郎さんの写真が掲載されていますが、
 この公演は休演し、市川猿四郎さんと交代しました。


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きょうは異業種交流会

2009年10月30日 23:59

きょうは、私が代表をやっている異業種交流会FTNの、月に一度の例会日。

きょうの講師は、あたくしが務めました。
きょうのタイトルは、「9.11三浦家の大事件、白い粉の真相を語る」でしたが、
例会でお話した内容は、このブログにも書いてありますので省きます。

以前にもご説明したとおり(カテゴリ:異業種交流会FTNの記事をご参考に)、
代表になって9年目に入りました。
月に一度、身近な方々に講師をお願いして、その方のお仕事や、ご趣味のお話を聴く。
知っていたようで、知らなかった色々なご職業の方々のご苦労やアイデアや
失敗談や成功の秘訣といったお話が、とても貴重だと思っています。

初対面の場では、自分を売り込むことよりも、人の話に耳を傾けることが
実は有意義で、信頼を築きやすいということも分かりました。

私にとっては、この場に集まってくださる方、一人ひとりが大切なリソースなのです。
事実、そんな何人かの方にお仕事をお願いしたこともありました。

さて、今夜の例会ですが、
例会が終わって、懇親会、それも終わって三次会、
そして、その流れでいま自宅にお客様を迎えています。

実は、既に日にちが替わっています。

面白いでしょ?

私も年齢的に、徹夜は出来なくなりました。
はてさて、明日はセッションがありませんから、よいのですが、
無事に明日の朝を迎えられるでしょうか?





豊島区の34歳の女性

2009年10月29日 22:25

きょうは、12月5日のホイケ公演の用事で、
練馬文化センターに行った帰りに、
池袋西口に在る、豊島都税事務所に参りました。

当社の決算が終わりましたので、法人税を納付させて頂いたのです。
いや、もうお恥ずかしいくらいの金額でございますから、
わざわざそれを書くほどのことでもないのですが、その帰り道のコトです。

都税事務所は東京芸術劇場の並びに在りますが、
その前の道路に警察車両が何台も駐停車しておりました。
近くに池袋警察署もありますが、そのこととは関係がない様子です。
理由は、いまでも判っていません。
何かの警備だったのかもしれませんが・・・なんだったのでしょう?

さて、その警察署や芸術劇場の道路を挟んで向かい側に、
いま話題の「豊島区の34歳の女性」の住んで居たマンションが在ります。
昨日きょうの報道で話題なっているためか、道行く人も指を指して話していました。

帰り道、そのマンションの前を歩きながら考えたコトです。

イヤ、うまくまとめられないのですが・・・、
どのような人生を歩いてきた人なのかな、と思ったのですよ。
事件に関してというより、その女性に少しだけ興味がありました。

但し、まだ詐欺容疑がある段階であって、犯罪を犯した人かどうかは
判明していませんから、犯罪者という前提で書いている訳ではありませんから。

確か、ワイドショーの情報によれば、北海道の東部で育った人だそうですね。
勿論、豊かな自然の中で育った人だから犯罪を犯すことがないなどとはいいません。
しかし、一人の女性が故郷を出て、東京でなにを目指していたのか。
それが、今回のことへとどう繋がっているのか。
一見、どこにでもいるような人の人生が、どうしてこのようなものになったのか。
それらに興味があったのです。

私の人生だって、行き当たりばったりだったような気がするときがあります。
振り返ってみて、歩いてきた足跡だけが人生だったと言えるでしょう。

人の歩みは、ちょっとした石に躓いただけで変わってしまうことがあります。
下手をしたら、ケガを負ってしまうかもしれません。
歩きたいように、まっすぐに歩いた人なんかいませんし、
あっちへ行ったり、こっちに来たりしながらでも、大怪我しないで、
まぁまぁ歩いてこられたとしたら、それは偶然というべきかもしれませんし、
幸いに少しの必然で成り立っていたというべきかもしれません。
だから、これから先だって、まだまだ不確かなものだといえるでしょう。

私はまだ、振り返るには早すぎる歳かもしれませんが、
ここまで歩いてこれたことに、そしてそれを支えてくれた人々に感謝しています。

そして、ささやかながらも来年も無事に税金が払えるように歩いていきたいものです。


静かな時限爆弾

2009年10月28日 23:52

昔、芝居がやりたくて上京した当時、
食っていくためと、学費を貯めるために、いろいろな職業に就きました。
新宿の伊勢丹地下のカウンター喫茶で喫茶物を作っていたこともあります。

成田空港が開港する前の羽田空港の国内線出発ロビーに在ったレストランや、
芝の東京プリンスホテルのロビーラウンジでウェイターをやったりしました。

全て、十代の頃で大学に入る前のことです。

しかし、丁度その頃に亡くなった母方の祖母の葬儀で出会った、
祖母の妹である大叔母に、
「調布に在る自分の会社で働かないか」と提案されて、
入学を目指していた母校にも近いということもあり、
二つ返事でお世話になることにしたのです。

因みに、その大叔母の連合いである大叔父が、
先日入籍した常盤貴子さんのお祖父様の弟にあたります。

その大叔母と大叔父が設立し、
私の母の従弟にあたる息子さんが社長を務めていた、その会社は、
建築資材を作っている会社でした。
所謂、ガン吹き屋さんが使用する材料を作っていたのです。

私の仕事は、セメントや砂や塗料や石綿を混ぜ合わせて、
様々な材料を作って袋や缶に入れて製品にするのが、仕事でした。
大学に入学してからも世話になったので、2~3年働いたでしょうか?

さて、その時に扱っていた石綿というのは、アスベストのことです。
石綿は、ガン吹きの材料としては、定番の材料でした。
石綿の袋をカッターで開けて、
セメントやなんかの材料と一緒にカクハンさせる機械の中に石綿を投入するのですが、
この作業なんかは、一日中やっていましたよ。

丁度その頃から、アスベストの規制が始まったようですが、
アスベストが原因と思われる肺癌中皮腫の潜伏期間中であった時期ですから、
まだアスベストによる健康被害や患者の存在に社会が気づいていなかった時代でした。

しかし、潜伏期間が終わった時期である今世紀の始め、
アスベストで発生したと思われる疾患の患者が増えて社会問題化しました。

当然、私なんざー「当たり」だと思いましたね。
30年くらい経っていましたからね、潜伏期間が終わって発症してもおかしくない。
そこで、数年前ですが検査して頂きました。
すると、悪運が強いのか、そのときの検査では陰性で大丈夫ということでした。
まだ先、判りませんがね。


ところで、きょうの夕方に電話がありました。

お隣の例のマンションですが、解体するのだそうです。
解体に伴なう振動などで被害が出た場合に備えて、
周囲の家に対して、家屋調査をしたいから、明後日伺いたいという用件でした。

解体作業は、約ひと月強かかるのだそうです。
来月ひと月は、さぞ騒々しくなることでしょう。

しかし、心配はそれよりも解体に伴なうアスベスト被害です。
法律では、解体する建物にアスベストが使用されているかどうかを調査し、
役所に届出の上、専門の除去作業が義務付けられているそうですが、
業者が、それをちゃんとやってくれるかどうか、見守らなければならないと思っています。

今後、アスベストを使った建築物の建替えが増えるはずです。
建替えが進めば、同様の懸念が増えることは必然でしょう。

貴方の周りに、建替えに伴なって解体しているビルはありませんか?
そこがアスベストを適正に処理しているかどうか、
少しはお気になさったほうがよいと思いますよ。

みなさん、私のように悪運が強いとは限りませんからね。



築いた幸せ

2009年10月27日 23:59

6月23日の「ラ・フローレスの歩み」というブログをご記憶の方はいらっしゃいますか?

その昔、ロス・インディオスの二代目ボーカリストとして活躍した
ロス・インディオス&フローレス』の “ ラ・フローレス ” のお二人のライブが、
久しぶりに行われたので、かみさんと聴きに行ったというブログです。

きょうは、その “ラ・ フローレス ” のK子ちゃんの単独ライブがありましたので、
例によって、かみさんと聴きに行って参りました。

場所は、恵比寿に在るアートカフェ・フレンズ

100名ほどのお客様で満席の盛況ですが、ご年配の方々から
若者まで幅広い年代のみなさまが集まっていらっしゃいました。

その中に、学生時代の後輩達が集まっているテーブルがありましたので、
一緒に混ぜてもらいました。
思いがけず、久しぶりの再会にワインが進むこと進むこと・・・。
ライブが始まる前にすっかりいい気分になっておりました。

というワケで、実はこのブログ昨夜のうちに書きあがらなかったので
日にちが替わって、きょう28日に書き足しているのでございますよ。

ライブ

ライブは、
本当は、すご~く練習もして、緊張もしていたであろうK子ちゃんでしたが、
肩の凝らない優しく、楽しく、心穏やかに癒される雰囲気で進行し、
豊か~な、幸せ~な気分にさせていただきました。

コレ全て、K子ちゃんの元々持っている素養です。

本当は、再現できればよいのですが、
私の稚拙な文章では形容することが出来ません。

歌舞伎俳優のご主人や二人の息子さんに見守られながら歌う
K子ちゃんの幸せは、手に入れたものではありません。
築き上げたものなのです。
それをよく知っている私たち夫婦や友人たちにとっても、
幸せのお裾分けにあずかった一夜でありました。


さぁ、きょうは酒抜こ!


この国の一大事

2009年10月26日 17:47

きょうの東京は、朝から台風20号の影響で雨脚強く降っておりました。
ただ雨が降っているというだけでなく、寒い雨の一日でしたね。

そんな中、きょうのテレビ報道は、
酒井法子被告の裁判一色だったような印象をもちました。

酒井法子被告の覚せい剤取締法違反(使用・所持)の初公判が、
東京地裁で、きょう午後1時30分から開廷し、
酒井法子被告は、起訴内容を全面的に認め、
検察側が懲役1年6ヶ月を求刑したのだそうですが。

それにしても、この裁判の20席の一般傍聴席を求めて
寒い雨の中、6615人が整理券を求めて日比谷公園に集まったこと自体が
ニュースになっていましたね。
抽選の結果、傍聴券を手に入れたのは20名だとか。
倍率330.75ということで、史上最高倍率になったというのですが・・・。


むかし、

ロス疑惑と謂われた事件が世間を騒がせたことがございますな。
連日、テレビも週刊誌もこれを報道して騒いでおりました。
そのうち、名前があたくしの名前にちょいと似た方が捕まりまして、
裁判ということになりました。

これはもうマスコミ各社は、傍聴したいが席が少ないということで、
何人アルバイトを雇っても傍聴券を手に入れようと必死です。

そこで、或る出版社から私に、
傍聴券の抽選に並ぶ人集めをしてほしいという依頼が参りまして、
一肌脱いだことがあるのでございますよ。

並んでクジを引くだけで、 千円頂けて、抽選で傍聴券を当てれば
更に 万円頂けるというアルバイトですから、
身近にいた生活困窮者(役者)たちや、後輩の学生たちがすぐ集まりまして、
みんなでいいアルバイトをさせていただきました。 

こういうワケで、寒い雨の中でもあれだけの人が傍聴券を求めて集まるのですよ。

ですから、よく話題の裁判のときに傍聴券を求めて並ぶ人々の映像が報道されますが、
あれは、ほとんどがマスコミ各社が自社の記者に傍聴させて報道するために、
大量のアルバイトを雇うからであって、正確な傍聴希望者数ではないのです。

いまは、並ばなくてもよいように、番号が付いたリストバンドを配布するようですが、
私がアルバイトをやった頃は、実際に並んでクジを引きました。
割り箸のような棒を引くのです。
ですから、シルバーの方々なんかも集団で長い時間並んでおりました。


結局、マスコミ自身が人集めして、それを映して「この裁判は注目度が高い」
と報道しているのです。

きょうの夕方のテレビは、どの局もトップニュースが
「酒井法子被告初公判」でした。

きょうは、同時刻に鳩山由紀夫首相が衆参両院本会議で
政権交代して就任後初の所信表明演説を行っていたのですがねぇ・・・。

この国の一大事とは、なんなんでしょうねぇ?



浦島太郎の教訓

2009年10月25日 19:13

きょうは、日曜日でした。

いつも、朝は報道番組を観る習慣があります。

いつものように、フジテレビを観て、TBSを観て、喝 ― っ!

それからテレビ朝日という具合です。


ところが、きょうは午前中に打ち合わせの約束があって、時間が埋まりました。

午後は、かみさんがやっているフラダンスのハーラウに頼まれた進行台本作りで、

時間が埋まりました。


ちょっと、勝手違いの日曜日でした。


さて、前段に報告したことと、なんの関係もないのですが、
ちょっと、思いついて考えたことがあったので書きます。


題して、「浦島太郎という物語は、一体なにが言いたいのか?」

と、いうことについてです。


漁師の太郎が、浜で子供たちにいじめられている?亀を助けたところから
物語が始まるのですが、後に現れた亀が太郎に竜宮城行きを提案します。
その提案にのって、竜宮城に行った太郎が、乙姫に接待を受けて楽しみます。
気がつけば時間が経って、現世が気がかりな太郎が帰りたいと申し出ると、
開けてはならぬと言われながら、玉手箱を貰って太郎は現世に戻ります。
しかし、時間が経ってしまった現世では、年老いた母や村人は既に死んでいて
誰一人知った人がいません。
そして、開けてはならぬと言われた玉手箱を開けた太郎が老人になってしまう、
というこの物語、一体なにを 謂わんとしているのでしょうか?

どんな無理な約束でも守らぬと報いがある、といいたいのか?
年老いた母を放っておいて、独りよい目をみると、その報いがあるぞ、ということなのか?
現実を忘れて遊び呆けることへの戒めなのか?
亀を助けると、酷い目に遭うから助けちゃダメよということなのか?

一体なにが言いたいのでしょうか?

この物語に、教訓があるとすれば、どのようなものなのでしょうか?

ちょいと、気になったので、みなさまのご意見、公募致します。

「貴方なら、どう解釈しますか?」


相手が、自分の子にせよ、あかの他人にせよ、
なにか自分が人に役立ちたいと思って動くことがあります。

それは、子育てかもしれませんし、ボランティア活動かもしれません。
一体誰が、何のために、誰のために援けるのか?

人のためではなく、自身のためかもしれません。

太郎が助けたかったのは、亀か自身か?

妙なことを考え始めちゃいました。


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その人の歴史に立ち会うということ

2009年10月24日 19:09

昨日も書きましたが、5年前の新潟県中越地震の際に、
ボランティアに参加したときのエピソードを、もう一つお伝えします。


新潟県某市Y地区の町内会長Kさんのエピソードです。

立派な屋根のついた門が無残にも倒れ、それを乗り越えて玄関に向かうと、
庭の石灯籠や庭石がごろごろ転がっている惨状でした。

高床式の床の亀裂の隙間から下の倉庫が見えている玄関に
町内会長のKさん(70歳)は現れました。

地区内の独り暮らしの方、年配のご夫婦だけのご家庭、
昼間は独りになってしまう方がいるお宅があれば、
訪問してお相手をしたいのだがと告げると、
「じゃあそういう人たちのリストを作ろう」とおっしゃって下さいました。
その時は、我々が戸別訪問させて頂くことを喜んで下さっているようでした。

Kさんに頂いた11軒のリストと地図を参考にしながら各お宅を訪問しました。
その後、集落全体を回ってお話を伺ったりもしました。

その結果、11軒のお宅への継続した訪問の必要性と、
集落全体に対してボランティアをまとめて投入する必要性を感じましたので、
本部に帰って、そのように報告と提案をしました。

すると、本部から翌日もY地区へ赴き、
ボランティア本部と地区住民とのパイプ作りをしてきてほしいと要請されました。

翌日仲間7人とY地区に向かいました。
まず、地区会長さんに趣旨を伝えようと、再度Kさんを訪ねました。

Kさんは、丁度ご自分の敷地の中に建っていた古い土蔵を
重機で取り壊す作業を見守っている最中でした。

私がボランティア投入についての提案を説明すると

「自分たちのことは自分たちでやるからいいよ」

という返事でした。

「しかし、昨日集落を回って見てきましたが、
年配の方が危ない作業をされていました。
もしなにかあったら大変じゃないですか?」


と申し上げると、

「ほとんどのボランティアの人に悪い人はいないとは思うが、
以前他の災害地でボランティアと住民がもめたり、
盗難事件が起こったりしたと聞いたから、なにかあっては住民に申し訳ないから」


と頑なに、お断りするという主旨のお応えでした。

そんな話を続けている間にも目の前では土蔵の解体作業が続いています。
自然にその土蔵について話題が及びました。

この土蔵は百年以上前からKさんの庭に建ち、家の財産を守ってきたのだそうです。

解体作業の途中で分かったのですが、
土蔵は釘を一本も使わずに木組みと土壁だけで建てられたものです。

土蔵が解体されたその場に立って、
生まれて初めて土蔵が無くなった風景を見ているであろうKさんは、
長い時間私に土蔵の話をしてくださいました。

そのうちに、奥さんがお茶を持って現れ、作業が休憩に入りましたので、
ボランティアの件は改めて提案するにしても、
休憩を機に失礼しようとしましたら、Kさんが・・・、

「明日の夕方、地区の役員会をやるから、そこに本部の代表の人が来てくれて、
地区の班長達に直接説明してくれてもいいよ」
とおっしゃったのです。

驚きましたが「勿論喜んで説明させて頂く準備をするように伝えます」と私は応えました。

どうしてKさんの気持ちが変わったのでしょうか?
土蔵の解体作業を二人で眺めながら、
先人たちの知恵やご苦労のお話を伺っていただけなのです。

Kさんのお気持ちが変わった理由として考えられるのは、
私がKさんの土蔵の物語を聴いたからということもあるでしょうが、
多分、私が偶然にKさんにとっての歴史的な出来事に立ち会って、
その瞬間を共有しながらお話しを聴いていたからでしょう。

それは、特殊な親近感を生み出すことに繋がったのではないでしょうか?

合宿や山登りやイベント創りなど、共通の体験を通して親密度が増す
ということはよく起こることです。

私も、ボランティアの場で知り合った人の職場に呼ばれたり、
結婚式に招待されたりと、人間関係が広がった経験があります。


人は、図らずもその人の歴史に立ち会ってしまうことがあるのです。
今度は、私が貴方の歴史に立ち会うかもしれません。



物語を聴くということ

2009年10月23日 19:07

先ほど、18時31分ごろ新潟で地震があったようですね。
最大震度4の地震だそうです。


5年前、弟の家族が上京したので、東京駅に車で迎えにいって、
我が家に到着した車から、弟家族が降りている、その時、
新潟県中越地震が起きました。

5年前のきょうのことでした。


5年前、地震から3週間ほど経った11月の中旬、
私は、新潟県の某市の災害ボランティア本部にいました。

被災地でコーチングの有用性を試しながら、スキルアップを図りたいという
自分勝手な不純な動機から、ボランティアに参加したのです。


災害ボランティア本部では、ボランティアとして参加登録の際、
得意分野・専門分野を自己申告するのですが、
私はワゴン車を持参したことと、コーチである旨の説明をしましたら、
「看護・介護チーム」に配属されました。

このチームは私が参加した前日に編成されたのだと後から知りましたが、
私が参加した時は試行錯誤が始まったばかりの状況だったのだと思います。

そんな中、私が本部から受けた指示は、
「特定の地区に行って精神的に落ち込んでいる人の “ 心のケア ” をしてきて欲しい。
併せて住民の “ ニーズを引き出して ” きて欲しい」という内容でした。

“ 心のケア ” といい、“ ニーズを引き出す ” ことといい、
なんとも、曖昧な使命だなと思いながら、数人でグループになって出掛けました。


Y地区というのは、盆地である某市の中心から、車で10分程度の所に在って、
盆地から台地へと続く傾斜地から台地にかけての地域です。
集落には、125世帯の民家が点在していました。

この地区は地震で家屋の全半壊を多く含む甚大な被害に遭い、
3週間近く経った時点でも家屋調査すら始まっていませんでした。
しかし、少し前に避難所から自宅に戻ったという方が多くいらっしゃいました。

家に戻ったといっても、家の中で暮らすのは困難で、
庭や畑にテントを設けたり、ビニールハウスや倉庫・車庫を使って生活していました。
水道と電気は復旧していますが、ガスが使えない家がありました。
何より、家屋検査が済んでいないため危険かそうでないかの判断がつかないのに、
家財の持ち出しや片付け作業を行っているので、非常に危険だと思いました。


そんな、Y地区でお会いしたKさんのエピソードをご紹介します。
その理由は、この出来事がキッカケとなって、被災者のみならず、
人の物語を聴くことの重要性に気づかされたからです。

その年の1月にご主人をご病気で亡くされた78歳のKさんのお宅にお邪魔したとき、
心配して電話をかけてきた親戚の方と話している声が外まで聞こえていました。
庭で機械の修理をされていた息子さんに、私たちが遠くから会釈すると
息子さんが会釈を返してくださったので、声を掛けさせて頂きました。

お邪魔した趣旨をお伝えすると、
「そのうちに電話が終わるから、訊いてみて」と言ってくださいました。
母上のKさんと二人暮らしをされているようでした。

電話の終わったKさんに用件を伝えたところ真っ先に、
「家がこんなになってしまって、これから先どうしていいか分からない」
と、おっしゃいました。

しかし、それでも地震が起こったときの事から話し始められて・・・

地震のとき息子さんは働きに出ていて、暗い中独りで家に居て恐かったという話。
その後、ご主人が亡くなった1月の雪深い日の様子や、お葬式のときのお話。
ご主人は、戦争中は海軍の特攻隊員であったこと、戦後に戦友を新聞で探した話。
その戦友は、沖縄で健在だが、喪中はがきを投函するつもりで準備していたところへ
地震が起こり、はがきを出す前に戦友から心配の電話がかかってきて困ったという話。
お寺が壊れてしまったので一周忌は壊れていても自宅でやるしかないという話。
特攻で戦死した仲間への後ろめたさから自己嫌悪に陥っていたご主人を、
Kさんが励まして励まして戦後を生きてきたという話。
一所懸命に生きて、息子一人娘二人の3人を育ててきたという話。
そのご主人とは同じ小学校の同級生なのだという話や実家の話。
飛行機乗りだった父親の影響を受けた息子さんの趣味が同じだという話。
その息子さんが若いとき交通事故で頭部に大怪我をした話。
自分も数年前に梯子から落ちて大腿骨を折ったという話。
それでも頑張って前のように歩けるまでに回復したのだという話。
血圧は少々高いので薬を飲んでいるが、あとはまぁ元気だという話。
そして、いま思えば病弱だったご主人が、この地震を知らずに逝ったのは
幸いだったのかもしれないと話し、最後に、
「昔の苦労を思えば、この試練も乗り越えられる」 と、おっしゃったのです。

この間、2時間以上でしょうか、玄関先での立ち話でした。
私は、ただ頷きながら相槌をうってお話しをお聴きしていただけでした。
なにも励ましていませんし、アドバイスもしていませんでした。

ご自分で話して、ご自分で気持ちをシフトされたのです。
この経験は、私にとって衝撃的でした。

人には物語があります。
全ての人は、その人の物語をもっていらっしゃいます。

その物語を聴くこと。
私にとってこれが重要なテーマになりました。


貴方の物語を語ってください。
私がその物語、お聴きします。


成分はなんだか分からない物質

2009年10月22日 19:00

地元の警察署の刑事さんから、

例の “ 白い粉 ” の成分について、

科学捜査研究所が出した回答書の報告を受けました。

で、

結果、「成分はなんだか分からない」 ということだそうです。

こんなことがあっていいんですかねぇ

つまり、

我が家は “ 白い粉事件 ” が起きてから6週間待たされた挙句、

結局「成分はなんだか分からない」ということでお仕舞い、というワケですよ。

勿論、白い粉が “ 覚醒剤 ”“ 毒物 ” でなかったのはよかった事ですが、

当然 「じゃあ、一体なんだったんだ?」って、なりますよね。


刑事さんが言うには、我が家で見つかったあの “ 白い粉 ” は、

科学捜査研究所のサンプルにはない成分なんだそうです。

これって、余計に気持ち悪いじゃないですか?


物質には固有の原子配列や、分子の形があるはずでしょ?

一度でも解析されたことのある物質なら、原子の配列や分子の形を見れば、

なんという物質か分かるはずだと思うのです。・・・違いますかね?

ましてや、科学捜査研究所であるなら当然、

この世に存在する物質のデータくらいは持っているはずなんじゃないですかね?

警視庁の科学捜査研究所にサンプルがなくて、データにもない物質だとすれば、

それはそれで、大変なことなんじゃないですか


これは、いまだにブログには書いていないことですが、

拾った紙袋の中には、実はある外国の冊子が入っていたのですよ。

あの “ 白い粉 ” が、実は日本には存在しなかった物質だったとしたら、

そんな “ 未知の物質 ” を、

落し物として3ヶ月間保存して持ち主が現れなかったら処分する

なんてコトでいいんでしょうか?


もし、私が個人的に民間で調べてもらうにしても、

交番で3ヶ月後の権利を放棄していますからね、それが出来ないのですよ。


皆さんに解かって頂きたいのは、

我が家の事件は、“ 白い粉 ” によって起こったというよりは、

人間が作った “ 仕組み ” によって起こっているという点です。

  
  サンシャイン60 065




幸せの行方

2009年10月21日 18:08

女優の常盤貴子さんと劇作家で俳優の長塚圭史さんが、
婚姻届を提出したことを発表したそうですね。

常盤貴子さんは、多分ご本人も私の存在をご存知ありませんが、
実は彼女は、私の遠~い親戚です。

以前、友人が出演していたお芝居に共演なさっていて、
楽屋でお見かけしたときに、ご挨拶しようかとも思ったのですが、タイミングを逸しました。

私の母方の祖母の妹である大叔母の連合いである大叔父が、
常盤貴子さんのお祖父さんの弟、といった、遠~い親戚です。

確か、大叔母か大叔父の葬儀のときに、
まだ子供だった彼女に会った記憶があります。

お二人は、6年間のお付き合いを経て入籍されたのだそうで、
お二人にとって、これからの長い道のりの伴侶として、
末永く仲良く歩かれることを願っています。


御目出度い話題の後で、不謹慎に思われるかもしれませんが、
でも、これが人生・・・

南田洋子さんが、亡くなられましたね。

先日、ブログに書かせて頂いただけに、南田洋子さん死去の報道はショックでした。

長門裕之さんは、きょうの明治座公演を昼公演・夜公演務めていらっしゃって、
病院でお看取りにはなれなかったようです。

俳優の宿命とはいえご心境、察するに余りあります。
しかし、同じ俳優であった南田洋子さんの存在を身近に感じるのもまた、
病院ではなくて、舞台であったのかもしれませんが・・・・。

お芝居の題名は「幸せの行方」というのだそうです。

南田洋子さんのご冥福を祈ります。

合掌

幕の内弁当な日記

2009年10月20日 17:13

キンモクセイ 001

きょうも、授業がありました。
この季節になると、校門横のキンモクセイが校内いっぱいに香っています。
この香りは、遠い学生時代を思い起こさせます。


さて、3月7日のブログにも書いたみんな会の仲間で、Hさんという人がいます。

最初に会ったのは、タケちゃんが入院していた病院の待合所でした。
Hさんは、お互いに見舞いに来ているのに、ずっと文庫本を読んでいました。
白髪のまじった頭髪に髭面で、前近代的な丸い眼鏡をかけていたように思います。
その頃、Hさんは40代になったばかりだったはずです。

しかし、あれから、20年ちかい時間が経ちましたが、雰囲気は現在でもそのままです。
つまり、昔から老成していらしたということでしょう。
もしかしたら、タケちゃんと出遭った中学生の頃から、そうだったのかもしれません。

さて、そのHさんのシンボル的な髭が床屋に剃られてしまったというのです。
しかも、水ナシで!

それは、バンコクでの出来事。

Hさんの息子さんは、タイバンコクに家族をもっていらっしゃるのです。
それは、今年の9月にHさんがバンコクに行ったときの出来事です。

収入格差が激しい軍政の国、タイの市民の日常が綴られていることに興味があって、
私は、Hさんの息子さんのブログ「バンコクとレスキューと子育てとくだらない話と」
時々読ませていただいています。
イヤ本当は、私にも海外生活をしている息子がいますので、
なにか親近感があるのかもしれません。
息子さんのブログ、なかなか面白いです。ハマリますよ。

おやじさんであるHさんのブログ「幕の内弁当な日記」も、なかなか味わいがあります。
ただし、ほぼ毎日チェックしていますが、忘れた頃にならないと更新がありません。

この人は、教科書をつくるのがお仕事ですが、
ひょうひょうとしていて、どこにでも行ってフラつくのが大好きみたいです。
ですから、時々居なくなります。
芭蕉のように、日本各地やタイをフラつきながら、句を詠んでいるようです。

宮本けんじ・・・いやいや、宮沢賢治のことでは、ちょっとウルサイです。

兎に角、みんな会の仲間はみんな少し変わってますから。

そんなHさんが、珍しくブログに私に宛てて記事を書いてくださいました。
そこで、そのブログをきょうは皆さんとシェアしようと思いまして、
ご紹介する次第です。

「幕の内弁当な日記」
 http://d.hatena.ne.jp/poo-takada/20091018


このブログは、私がコメントでタイの水事情を訊いたことから始まっています。

それにしても、Hさんの髭のないお顔が見たかった。




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