かさこ地蔵は難しい

2009年09月30日 19:01

うちの二人の息子たちが通った小学校は、豊島区立目白小学校です。

目白小学校は、目白通り沿い、学習院大学の向かい側に在ります。

その目白小学校が、今年創立80周年を迎えるのだそうです。
そこで、学校から息子Kに対して記念誌への寄稿依頼がありました。

10月は博多座公演のために福岡に行った息子Kが、その原稿を置いてゆきました。

そこには、「かさこ地蔵」のお爺さん役をやったことが書かれています。
それが、息子にとっては小学校で一番の思い出だからです。

息子Kが小学校のとき、偶数年は音楽会、奇数年には学芸会が行われていました。
当然一学年下の息子Yの場合は、その逆の順番です。

かさこ地蔵」は、3年生のときの学芸会で行われたのですが、
それは豊島公会堂で行われた区の大会に出場し再演されたのです。

その時、既に歌舞伎俳優になることを目指していた息子Kでしたので、
息子Kが演じる「かさこ地蔵」の “ お爺さん役 ” は、私たち家族にとっては見ものでした。

息子Kが演じたお爺さんが登場する場面。
雪が降り積もる道中、売れ残った笠を背負って登場した息子Kは、
雪の舞い落ちる暗~い空を、ふっと見上げたのでした。


この瞬間、私は思わず大向こうを掛けようかと思ったほどゾクッと しました。

大変失礼ながら、周りの子供たちとは芝居が違いました。 
しかし、どうもそのあと息子Kの芝居が周りに合わせているように見えました。
あとで息子Kに「お爺さんを、わざと下手にやったの?」そう訊いてみると、
「そんなことないよ!難しい役だったから、あれが実力だよ」と答えました。

息子Kの、雪の降る暗い夜空を見上げた演技と、
「お爺さん役は難しい」と言っていたのを思い出し、
「やはり役者に成るべくして成ったんだ」と、思いました。


明るく、楽しく、美しく。 ・・・目白小学校。




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雑司が谷いいとこ

2009年09月29日 23:52

実は、これまで書いていなかったのですが、
我が家のお隣には、貸しスタジオが在ります。

20年以上昔、バブルの時代に一戸建てとして建てられた建物でしたが、
その後、マンションとして貸し出され、我々家族が部屋を借りていた時代もありました。

それが、企業の所有から個人の所有に移り、
この春、その個人からまた企業に渡って、それが転売され、
建物の一部が貸しスタジオになったという経緯です。

しかし、

当初私たち近隣住民には、そのことが知らされておらず、
気がついたら、そういうことになっていたのでした。

気がつけば、それらしい車が駐車していますし、
スタッフらしい人たちが動き回っていますし、
建物前の路上で撮影をすることも頻繁にありました。

スタジオは、貸しスタジオですから、毎日のように撮影隊が入れ替わります。
中には、数日間借りている撮影隊もいるようでしたが、
ほとんどは、一日撮影していなくなっているようでした。

そこで、毎日のように色々なことが起こります。

先ほども書いたように、路上の撮影があります。
道路使用許可はとっているようですが、歩行者や車を止めて撮影するのです。
道路使用許可証は、道路で撮影してもよいとはなっていますが、
あくまでも歩行者や自転車や車輌が優先されるなずなのです。
しかし、撮影が優先されて行われています。

また、スタッフの掛け声や、俳優の声が大きくてウルサイです。
それが、場合によっては夜にそれが行われることもありました。

撮影会に貸し出されることもあって、そのときにはカメラのフラッシュがすさまじいです。
連写するフラッシュが、我が家の窓にもバシャ・バシャと映ってしまいます。

それから、路上駐車やエンジンをかけて路上停車されるのも困りました。
我が家の駐車場に無断で停められたこともあります。

そして、これが近隣では一番の問題だったのですが、
アダルト物の撮影が行われることがあるのです。

コスプレの衣裳を着た役者が路上をウロウロしたり、
窓を開けた状態で撮影したりするものですから、声が聞こえてきたりするのです。
我が家の窓からは、隣の窓が見えますが、カーテンもしない場合があるものですから、
部屋の中が見えている場合もありました。
勿論、見たくて見たわけじゃありませんよ 

しかし、面白いことも起きましたよ。
以前ブログにも書きましたが、俳優の友だちがスタジオで撮影していて、
我が家の住所が「雑司が谷」だから近いのかとメールしてきたことがありました。
「隣だよ」と言ったら、仕事が終わったあとで遊びに来て、飲んで帰りました。
因みに、その撮影はアダルトじゃありませんよ。
政府広報の仕事だったそうです。

まぁ、この半年間いろいろなことがありましたよ。
私も同じような仕事をしていたので、撮影隊の事情もよく解かるのですが、
目に余って住民を代表して警察署に相談に行ったこともあります。

しかし、きょうでスタジオは閉鎖されるのだそうです。
きょうも撮影は行われ、女性が奇声を発して窓から飛び出すトコなんかやってました。
きょうが最後だと思って、寛容な気持ちで見ていましたがね。

スタジオといい、まだ解決しない我が家の大事件といい、
腰縄つけた容疑者が実況見分している様子といい、
いろいろなことが起こりますが、雑司が谷はいいとこですよ!

スタジオのみなさん、オツカレサマでした。

我が家の大事件の “ 或る物 ”

2009年09月28日 22:28

9.11三浦家の大事件というブログを書いてからきょうで、17日目です。

それをお読みくださった方々からご心配をいただきましたので、

連休明けに途中経過をブログに書きました

そこにも書いたように「検査には、1週間から10日くらいかかります」

と、警察で言われたのですが、シルバーウィークが終わっても、

週が明けて月曜日になったのに、連絡がありません。

これは、 おかしい! です。


きょうの午前中は、コーチングセッションの時間でしたが、

私自身が私のコーチに受けているコーチングセッションもありました。

コーチは、当然自身にもコーチをつけているものですからね。


そのセッションの中で、気付いたことですが、

今回この事件に巻き込まれたことを広く世間に問いかけようと思っています。


現在の時点で簡単に説明するならば、

事件は、私が9月10日に或る物を拾って、9月11日に交番に届けたことから始まります。

拾得物の扱いになった、その或る物は、地元の警察署から警視庁に送られました。

そして、或る物は、科学捜査研究所で調べられているはずなのです。

その或る物の検査結果次第では事件化する可能性があるのですが、

その結果待ちを「1週間から10日」と言われながら、17日間待っているという状況です。

なぜ、待たされているのか、その理由が判然としません。


そして、なぜ私がこの件を世間に問いたいのかと言えば、

検査結果がどういう結果だったとしても、

私たちが不安な日々を17日間おくったことには変わりがないという事実があるからです。

もはや、或る物がなんであるかという問題よりも、

この状況を17日間強いられていることの方が問題だと言えるでしょう。


コーチングセッションを終えて、早速 新聞の知人Sさんに電話をしました。

Sさんとは、地人会に居た頃、演劇制作に協力して頂いた縁で知り合いました。

いまでは、私が代表を務める異業種交流会FTNに参加していただいたりしています。


興味深く訊いてくださったSさんですが、早速動いてくださるそうです。

この先、どんな展開になるか判りませんが、皆さまにもこのブログを通して

お伝えしてゆきたいと思っています。



きのこの炊き込みご飯

2009年09月27日 19:26

きょうかみさんは、近くの旧・区立小学校の体育館でフラダンスの練習をしています。

ハワイからクムフラ(師匠)も来日し、ハーラウの皆さんが一日かけて練習しています。


フラダンスの曲というのは、長くても5分程度でしょうか?

短い曲なら2分かからないものもあります。

それを、何度も何度も練習するのですが、多分これがうちのクムのやり方です。

たった一曲のために何ヶ月もかけることだってあるのです。


きょうの練習だって、12月5日のホイケ(発表会)に向けてなのですが、

本番まで、まだ2ヶ月以上時間があるんですよ。

                     ホイケちらし

さて、そんなわけですから、今夜の食事は例によって私が作りました。

夕食の献立は、

 季節のきのこの炊き込みご飯

 みつばのお吸い物

 さんまの塩焼き

 ほうれん草のお浸し

以上ですが、別に特別な料理じゃありませんでしょ?


炊き込みご飯は、クムかハーラウの誰かが食べていくかもしれませんし、

誰も食べないなら、息子Kとみきちゃんのところに持って行くという手があります。


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問題それ自体の機能

2009年09月26日 23:40

ミルトン・エリクソン―その生涯と治療技法ミルトン・エリクソン―その生涯と治療技法
(2003/07/15)
ジェフリー・K. ザイグW.マイケル ムニオン

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私が、7月に参加した催眠の勉強会がキッカケとなって、
きょうは、ミルトン・エリクソンの勉強会に参加してまいりました。

アメリカ臨床催眠学会の創始者で、、催眠療法家、精神科医、心理学者である、
ミルトン・エリクソンさんの研究についての勉強会です。

精神分析学の創始者であるフロイトが発見したとされる “ 無意識 ” の領域を出発点に
人間の心理の理論と治療技法は、フロイト以降様々な体系や分派も生み出しました。
ミルトン・エリクソンさんが考え出した治療技法もその一つでしょう。

さて、きょうの勉強会で印象的だったのは、ミルトン・エリクソンさんの本の中にある、
「症状は保護的に機能する」 という言葉でした。

症状=問題と捉えることが出来ます。
症状(問題)が起こるには、原因(理由)があると考えられます。

エリクソン以前(或いは今でも)は、
クライアントの症状(問題)に対する治療または改善には、
症状の起こった “ 原因探し ” に重きを置くアプローチが主流でした。

しかし、エリクソンさんのアプローチは、“ 解決探し ” なのだそうです。

そして、更に進んだ “ 症状(問題) ” の捉え方として、
その “ 症状(問題) ” それ自体が、その人を保護する機能を併せ持っている
というエリクソンさんの考え方は驚きでした。


鳩山由紀夫首相は、国連総会や金融サミットから今夜帰国されました。
国連の場で、非常任理事国である日本の首相として、八面六臂の動きを見せ、
日本の新政権の印象を国際舞台に残したのは画期的なことだと思います。

まず中国との東シナ海ガス田開発問題に関して、
「いさかいの海から友愛の海へ」という合意を引き出しました。

ロシアとの北方領土問題に関しては、
「交渉を一層精力的に行いたい。独創的アプローチを発揮する用意がある」
という言葉を引き出し、交渉を加速させることで一致したようです。

アメリカとの間には、様々な懸案が残されていますが、
鳩山首相とオバマ大統領との間で、
お互いファーストネームで呼ぶまでに親密な関係を築き、
日本が変わったというメッセージが伝わったようです。

国連本部で開かれた国連気候変動サミットにおいては、
「温室効果ガス25%削減」を宣言しました。

そして、なんと言っても特筆すべきは、
国連安全保障理事会に日本も10カ国の非常任理事国の一国として参加し、
「核兵器のない世界」の実現を目指すことを謳った決議を全会一致で採択したことです。
そして、鳩山首相も演説し、
「被爆国としての責任を果たすため、日本が非核三原則を堅持し、
核廃絶に向けて先頭に立たなければならない」と宣言しました。
これは、日本の悲願である “ 核廃絶 ”へ の過程で歴史的な瞬間でした。

国と国との間にある “ 問題 ” に関しても、
“ 原因探し ” をしたり、“ 問題の排除 ” をするだけではなく、
“ 解決探し ” のアプローチや、“ 問題それ自体の機能 ” を考えてみることも
必要なのかなと、・・・勉強すると影響を受けやすい私は思いました。




異なる者同士の出会い

2009年09月25日 23:47

FTN 003

きょうは、19時から異業種交流会FTNの9月例会を催しました。

講師が、私の息子YのビジネスをサポートしてくれているGさんだということもあって、
かみさんと歌舞伎俳優の息子Kと、みきちゃんも参加してくれました。
三浦家は総動員です。


長い間、異業種交流会をやっていて思うことがあります。

異業種交流会という言葉、
言葉を分けてみれば、“ 異 ” なる “ 業種 ” の者同士が “ 交流 ” する “ 会 ”
と読めますが、そもそも人間が “ 異 ” なる者同士ではないかと思うのです。

例え同じ業種であったとしても、組織で同じような立場だったとしても、
同性でも、同世代だったとしても、そして同じ親から産まれてきたとしても、
同じ話を同じように聴いて、同じように感じ、同じように理解することがない。
人間は元々人とは “ 異 ” なるものを持ち合っているのではないでしょうか?

夫婦が、そのいい例でしょう。

そんな “ 異 ” なる者同士が交わるからこそ、そのことに価値があると思っています。
交われば、違いが発見されます。
違いが発見されて、“ 競争 ” も生まれます。
出会いから、“ 戦争 ” が起こることもあるのです。
しかし、自らをより高めたり、人と “ 共存 ” “ 共栄 ” することも可能だと思うのです。

人間は、独りで生まれて独りで死んでゆきます。
生きている間に、人と出会おうが、出会うまいが、独りで生まれて死ぬのです。

出会いは面倒をもたらします。
出会った人にストレスを感じることもあります。
出会った人と別れることもあります。

しかし、
心の部屋に閉じこもって、出会いを避けて生きるか、
出会いを求めて生きるかは、その人の運命次第だと思います。

因みに、“ 運命 ” という言葉を分けてみると、
私には、自分で自分の “ 命 ” を “ 運ぶ ” こと、と読めます。


日本の戦後処理

2009年09月24日 23:13

私が生まれたのは、1956年(昭和31年)12月10日です。
子供の頃から長い間、私は戦後生まれだと思っていたのですが、
以前 「収容所から来た遺書」 という辺見じゅんさんのノンフィクションを読んで、
私は、あの戦争終わる前に生まれたのだ、と自覚したのでした。

1956年(昭和31年)12月26日朝、興安丸は舞鶴港に碇を下ろしました。
それは、シベリアに抑留されていた日本人の最後の一団が帰国した瞬間でした。


日本時間のきょう未明、ニューヨークに滞在中の鳩山由紀夫首相は、
ロシアのメドべージェフ大統領とニューヨーク市内で会談しました。

両国にとって懸案の北方領土問題について鳩山首相は、
「我々の世代で最終的に解決し、平和条約を締結できるよう
大統領のリーダーシップに期待する」

と表明したのだそうです。

それを受けてメドベージェフ大統領は
「交渉を一層精力的に行いたい。独創的アプローチを発揮する用意がある」

と応じ、交渉を加速させることで一致したとのことです。

鳩山由紀夫首相の祖父鳩山一郎首相が、当時のソ連と交わした日ソ共同宣言が
1956年12月12日に発効され、日ソ国交回復が果たされました。
そして、11年間シベリアに抑留されていた日本人たちの帰国が成ったのです。

しかし、その1956年から53年、
中年になった私の歳と同じ月日が経ってもまだ、北方領土は還っていません。

この長い時間懸案である “ 北方領土全面返還 ” は、鳩山首相の言うとおり
“ 我々の世代で最終的に解決 ” されるのでしょうか?


昔、アメリカからの沖縄返還に向けて、
「核抜き、本土並み、72年返還」という目標を提案した一人の民間人がいました。
末次一郎という人です。

末次一郎さんは、知る人ぞ知るという存在ですが、
「戦後政治の御庭番」「歴代総理の指南役」「最後の国士」と、
いろいろな形容で表される方です。

広い分野で大きな仕事をされた末次一郎さんですが、
我々が一番理解しやすいのは、青年海外協力隊(JICA)の創設でしょう。
とにかく、一生を “ 日本の戦後処理 ” に捧げられた方です。

その末次さんと私の父は、前掲の安岡正篤先生を師と仰ぐ間柄でした。
父が浜松の開墾地へ入植して4年経った1962年(昭和37年)、父は末次さんから、
「沖縄返還後の新たな農業振興のために、沖縄農業の実態調査をしてほしい」
という依頼を受けて単身、復帰前の沖縄に渡ったことがありました。
そのとき、母の腹からは弟が生まれようとしていました。
3歳の妹は小さいので家に残されましたが、多分手がかかる5歳の私は、
沖縄に向かう途中で父の実家である徳島の祖父母に預けられました。

そのとき父の行った調査がどう役立ったか判りませんが、末次さんはこのように
沖縄が返還される10年も前から、その準備をなさっていたのでした。

その後、末次一郎さんが取り組まれたのが北方領土問題でした。
その末次一郎さんが亡くなったのは、2001年(平成13年)7月のこと。
葬儀は青山斎場。葬儀委員長は元総理大臣中曽根康弘さん。
父も浜松から出てきて参列しましたが、皆さんの後方から同志を見送ったそうです。


さて、沖縄の返還交渉には、アメリカとの間で密約があったようですが、
どうか北方四島の返還交渉は、密約なしで四島全面返還を実現して欲しいと思います。

鳩山さん、
父たちの意志を継いで、我々の時代に “ 戦後処理 ” を終わらせてくださいね。


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谷中散歩

2009年09月23日 22:15

シルバーウィークの連休中、旅行にも出掛けなかったので、
連休の最終日くらいは何処かに行ってみようかということで、
かみさんと、谷中を散歩することにしました。

谷中 001

JR日暮里駅から谷中霊園を左に見ながら、御殿坂を登ります。

谷中 003

石段を下りると谷中ぎんざの入口です。 谷中 004

谷中 007

           谷中 005

谷中 006

お惣菜屋、甘味屋、雑貨屋、お煎餅屋などが立ち並び連休中とあって盛況です。
しかし、テレビの商店街レポート物の影響でしょうか?
お惣菜のコロッケやメンチカツを売るお店の前は、どこも人が並んでいます。

谷中には、友だち夫婦のお店があります。
しばらくぶりなので、寄ってみることにしました。

谷中 008
                              谷中「かなかな」

谷中 011 
                                  かなかな

「かなかな」は、インテリアや道具や雑貨を扱うお店です。
お店のオーナーY夫妻は、私たちの古い友だち。
ご主人のY氏は俳優でもあって、私が演劇制作体地人会で制作者だった頃、
俳優として出演もして頂いたという間柄です。

因みに水上勉さんが書いた「はなれ瞽女おりん」というお芝居があります。
五月舎というプロデュース団体が初演して、後に演劇制作体地人会が、
700回近く上演を続けた有馬稲子さんや松山政路さん出演の作品です。

実は、その「はなれ瞽女おりん」の初演(1980年)時に、
Y氏もうちのかみさんも出演していたんですねぇ。

                     谷中 017

店内には、そこかしこに興味深い品々が置いてあります。

谷中 016
                               谷中 014
谷中 015

谷中は、猫と猫好きが集まる場所としても有名ですが、
猫のフキンや、珍しい招きネコチョコレートなども売っています。

谷中 010

オーナーのMさんにお茶をご馳走になって、昔話に花が咲きました。


きょうのお散歩の最後は、Mさんに教えてもらった日本料理の「うさぎ」というお店。
秋といっても少し暑い一日でしたから、やっぱり最後はコレでしょう。

谷中 018


未解決の大事件

2009年09月22日 19:19

ご記憶の方も大勢いらっしゃると思いますが、

我が家に起きた “ 大事件 ” を報せたブログから、

きょうで、11日間が経ちました。


9月11日、我が家の9.11の “ 大事件 ” のブログを読んでくださった皆様には、

ご心配をお掛けしてしまいました。

「どなたかご病気なのですか?」

「インフルエンザに罹ったの?」

「空き巣に入られた?」


こんなお問い合わせを頂きました。

そりゃ、そうですよね。

無理もありません。

しかし、“ 大事件 ” は、お問い合わせ頂いた内容ではありません。

ご心配をお掛けした皆さま、改めてお詫びを申し上げます。


しかし、“ 大事件 ” のタネ明かしは、実はまだ出来ないのです。

その理由は、或る品物を或る機関で検査している最中だから、です。

「1週間から10日かかります」

と言われたのですが、もう10日間が過ぎました。

多分、シルバーウィークの連休が含まれたからでしょうが、

そんな理由で延々になっていることが、実は最大の問題だと思っています。

その間、住民は不安な日々を過ごしていなければならないからです。


多分、連休明けには結果が出て、報告があるでしょうから、

この一件は、遠からずこのブログに掲載することを手始めに、

世間に法律の改正を提案する一石を投じたいと思っております。



「なんか大袈裟な話だねぇ」 ですって?

だって、“ 大事件 ” なんですもの。



初キックボクシング観戦記

2009年09月21日 19:00

      TITANS NEOS 6 004
                                    試合前の調整風景

試合が始まる前に、会場に入れて頂いたので、
珍しい試合の準備風景を見ることができました。

                  TITANS NEOS 6 007
     TITANS NEOS 6 008

私たち家族や、知人友人の皆さん総勢60人近くの観客は、
西サイドの一角を占めて座りました。

午後5時から始まった第1試合から白熱する試合がつづきましたが、
中でも私の印象に残った試合は第10試合でした。

それは、第10試合フェザー級3回戦でした。
立嶋篤史選手(元全日本フェザー級王者/ASSHI-PROJECT/フリー)
VS
小野智史選手(伊原道場/新日本キックボクシング協会)

手数から言えば小野選手が上回っていました。
それでも前に出る立嶋選手は、連打にちかいパンチを浴びながら、
常に小野選手をコーナーやロープに追い詰めていました。
でも悲壮にも顔面にフックやストレートをそうとうな数、喰らっています。
しかし、時折絶妙のタイミングで出るローキックが小野選手には堪えたようで、
小野選手は動きを封じられているように見えます。
パンチの連打を浴びながらも、じわじわと前に前に出る立嶋選手の姿勢に、
アウェーであるはずの観客席からも声援が大きくなりました。

          TITANS NEOS 6 010
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          TITANS NEOS 6 013
                        試合終了直前、連打を浴びる立嶋篤史選手

そして、試合終了と同時に崩れ落ちた小野選手。
立嶋選手のローが効いていたのでしょう。

判定は、2-0で2003年の交通事故以来6年ぶりに復帰した立嶋篤史(37)選手が、
7年4カ月ぶりに勝利を挙げたのです。
多分息子さんでしょう。
小さい男の子と一緒に観客席に向かって礼をする立嶋選手の姿も印象的でした。

いやーぁ、いい試合でした。
ドラマチックでしたよぉ。

やっぱ、面白いですね、キックボクシングって。

さて、昨日のメインイベント。
いよいよ、松本哉朗選手VSキセレフ・キリル選手のヘビー級の試合5回戦。
アニキが出場するはずだった試合です。

試合結果は、あっ気ないほど早く決まりました。
1R 2分26秒で松本哉朗選手のKO勝ちでした。
圧倒的な迫力と強さで、
松本選手は汗もかかなかったんじゃないかと思うほどです。
  TITANS NEOS 6 023

それにしても、
もしアニキがリングに上がっていたら・・・と思ったのは、私だけではないでしょう。
勿論、それは たら・れば です。

           TITANS NEOS 6 029   
   TITANS NEOS 6 034    

新日本キックボクシング協会主催

2009年09月20日 17:00

                   本日、17時 ゴング!

                 新日本キックボクシング協会主催

                      TITANS NEOS 6 

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今回のアニキの試合を提案し、パイプ役を担ってくださった協会のOさんと約束して、
午後4時に後楽園ホールに伺いました。

初めてお会いしましたが、息子Yを通じて旧知の間柄であるような印象をもちました。
今回、アニキの怪我でご迷惑をおかけしたことについても、
「これは、出会いのキッカケ。今後の契約料のつもりですから」
と言って頂いて、時期をみてアニキを日本でデビューさせる企画を考えてくださると、
心強い言葉を頂きました。

息子Yのなにが、Oさんの気持ちをそこまでにしたのか解かりませんが、
少なくとも、Oさんとの出会いだけでも息子Yが得た大きなものでしょう。

そして、協会会長 I さんにもお目にかかってお詫びとお礼を申し上げました。
会長も、気さくに握手をしてくださりながら、
息子Yとアニキにとても興味を持っていらっしゃるご様子で、
「今度是非一緒にメシでも食いながら、お話しを聴かせてください」と
おっしゃって頂きました。

得たものは一つ二つじゃありませんでした。

そして、試合が終わってからリングサイドで写真を撮っていらっしゃった、
カメラマンのSさんにご挨拶しました。
このSさんこそ、息子Yと協会を結びつけてくださった恩人です。
以前、ロサンゼルスでムエタイ(キックボクシング)をやっている息子Yを取材して下さり、
それがご縁で交流が始まったのが、今回新日本キックボクシング協会をご紹介頂いた
キッカケになったのです。

このSさんこそ、
実は女子プロボクサーで初のWBCチャンピオン菊地奈々子選手を育てた人。
菊地奈々子選手は、Sさんと出会い、Sさんの主宰していた代々木ブルースカイジム
(青空の下で練習する特定の場所を持たないジムだったから命名されたようです。)
に入門して世界チャンピオンになったのです。

このような、貴重なご縁を得ながらもチャンスをふいにしてしまった息子Yやアニキ
気持ちを思いながらの、私の初キックボクシング試合観戦が始まりました。

つづく



店員のから騒ぎ

2009年09月19日 23:17

「今夜は、何処か外で食べようか」

ということになりまして、かみさんと散歩がてら外出しました。


きょうの父は、教えているカルチャー・センターの皆さんと会食する日です。

父は、数年前から “ 映画 ” の話をカルチャー・センターでしています。

しかし、参加されている受講生の皆さんの観ている映画の量がスゴイのだそうですが。

兎に角、今夜は父のご飯の用意が必要ありません。


数日前にオープンしたばかりの鮮魚料理店に行くことにしました。

いかがっすかーぁ!

いっらっしゃいませーぇ!


少し後悔しながら、案内されるまま、お店の中の入口に近い席に腰掛けました。

はいー!お二人さまご案内ーぃ!

はいー!いっらっしゃいませーぇ!

はいー!ありがとーございますぅ!


「なんにする?」

はい!いらっしゃいませぇー!

「チューハイ・・・」  はい!いかがっすかー!

「なに?」       いらっしゃいませーぇ! 

「チューハ・・  」

「うるさいね」

入口近くの席だったために呼び込みの声やら、案内人の声が大きくて、

まるで、アメ横の魚屋の店先で飲んでいるようなものでした。

身体に共鳴させて声に響きをもたせた上に大声を出すのですから、

本人は気持ちがいいのでしょう。

私も、昔アメ横のお店でアルバイトしたときの経験がありますので、分かります。

しかし、  うるさーい!


かみさんと、黙々と注文したお刺身を食べて、チューハイを飲んで、

勘定をすませて、

別のお店に行きました。




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