藤間紫先生の御本葬

2009年04月30日 19:28

本日4月30日正午から、築地本願寺に於きまして、

故・藤間紫先生の御本葬が執り行われました。


連休の谷間とはいえ、平日の昼間にもかかわらず、
紫派藤間流の皆様、澤瀉屋一門の皆様を始め、
日本舞踊界、歌舞伎界の皆様が多数ご参列になっていらっしゃいました。

昨日の結婚式・披露宴から気持ちを切り替えて、私もかみさんと参列させて頂きました。

まずは、昨日の息子とみきちゃんの結婚式と披露宴が無事終了したことと、
二人が皆様から門出を祝福して頂いたことを、報告させて頂きました。

そして、二人の結婚式と披露宴を気にかけ、ご心配くださっていた先生が、
会場の何処かで、お見守りくださっていたことへのお礼を申し上げました。

あとは、あらためてお優しかった先生のお声を思い出して、
ただひたすら、ご冥福をお祈りいたしました。


御本葬に身内として列席している息子夫婦を待つ車の中で思いました。

紫先生は、最愛の市川猿之助さんに見送られ、ご家族や多くの弟子たちに
惜しまれつつも、おひとりお一人の中に大きな愛情を遺されて、お幸せだな。

紫先生は、本当に「徹子の部屋」で話されていたとおり、お幸せななかで
逝かれたのだろうな、と思いました。

紫先生は、お弟子さん以外の人にも、人生で大切なことを教えてくださいました。


祭壇には、鮮やかな紫色の藤の花が飾られていました。

合掌
スポンサーサイト

息子結婚の日・フォト日記

2009年04月29日 23:59

MIURA 002


MIURA 146  東京會舘9階から見た二重橋

MIURA 149

MIURA 186  神前結婚式

MIURA 187  三三九度

MIURA 226  披露宴

MIURA 232  献立

MIURA 249  オードブル

MIURA 246  乾杯

MIURA 258  新郎の踊り「老松」







MIURA 305  お見送り

MIURA 306  私の1番目~3番目の家族

息子Yが撮った写真を載せています。新たに写真が手に入ったらアップします。

三番目の家族

2009年04月28日 08:30

開拓農民になった父と母に連れられて、

浜松の三方原台地の奥まった地域、
都田(みやこだ)という土地で育ちました。

家の周りには、開拓された土地以外は松林が広がっていました。
赤土と松林の香りのする土地で、2歳違いで同じ誕生日の妹と、
6歳下の弟との家族5人。

これが、私の最初の家族です。


18歳のときに、父に反発して家を飛び出し、芝居の道へ。
同じ大学を出たかみさんと出逢って結婚しました。

かみさんとかみさんの両親と姉、
そして、二人の息子KYという家族構成でした。

この間に、既に若くしてかみさんの母は亡くなり、私の実の母も亡くなりました。

子どもたちも独立して、一人は明日に結婚式を控え、
もう一人はアメリカに住んでいて、事業を始めました。
もう、息子たちと暮らすことはないかもしれません。

これが、二番目の家族です。


そして、明日新たに家族が一人増えます。

これからが、三番目の家族づくりです。
これが、私の人生で最後の家族になるでしょう。


家族は、結婚したり、その家に生まれたから家族なんじゃありません。
家族は創られるものなんです。
みんなでいっしょに創るものなんです。

みきちゃん、これからもヨロシクネ!

祝婚歌

2009年04月27日 19:11

昔、アナウンサーと言えば、高橋圭三宮田輝という時代がありました。

昭和30年代、40年代のことです。
家族が揃ってテレビを見ていた時代でした。
見ていないときには、テレビに幕が下りていた時代でした。


お二人共にNHKのご出身で、確か同期だったと思います。

後に高橋圭三さんは民放へ移り、
民放は高橋圭三、NHKは宮田輝という時代が続きました。

その後、お二人共に参議院議員になられたことも共通しています。


さて、その高橋圭三さんの朗読で、吉野弘さんの詩「祝婚歌」を聴いたことがあります。

在りし日の高橋圭三さんの名調子を覚えておいでの方は、
音声はありませんが、高橋圭三さんの朗読を想像してお読みください。


吉野弘詩集 「贈るうた」より

「祝婚歌」

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することになっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい



読み返す度に、反省を促される詩であります。


贈るうた贈るうた
(1992/04)
吉野 弘

商品詳細を見る
[祝婚歌]の続きを読む

いわんや、花嫁においてをや。

2009年04月26日 13:03

うちの2階は、外が全面ベランダになっています。

そのベランダは、洗濯物を干す場であったり、
ささやかな植物園であったり、
日光浴をする場であったり、
お客様の喫煙の場であったりします。

ベランダ 003

そのベランダの物干し場のところに、
どこからか伸びてきて、花を咲かせているのは、なんという花なのでしょう?

名の知れぬ花 002


名の知れぬ花 001
どなたか、この花の名前をご存知ありませんか?

くちなしの花に似た、甘くて切ないような、いい香りがします。

壁のネットに絡み付いて、蔓(つる)が伸びてきたことは、気づいていました。
「雑草という名前の草はない」(昭和天皇)
切ったり抜いたりしないで、そのままにしておいて、本当によかったなと思っています。


さて、昔三浦綾子さんの小説「氷点」と、「続・氷点」を読んだことがありました。
その小説の中で、私にとって、とても印象的だった場面があります。

主人公の陽子が、離れて暮らす祖父の家を初めて訪ねた折に、
祖父の書斎で、木彫りの熊を見つけます。
それは、陽子の母が昔祖父に贈ったものでした。
祖父は、娘から贈って貰って以来、朝夕それを磨いていたのでした。

祖父が言います。

「何度でも手をかけることだ。そこに愛情が生まれるのだよ。
ほうっておいてはいけない。人でも物でも、ほうっておいては、
持っていた愛情も消えてしまう」


20年以上前に読んだ小説でしたが、
人生の折々に、とくに家族のことを考えるときに、よく思い出す“描写”です。


今度の水曜日は、息子K と みきちゃんの結婚式と披露宴です。

毎日毎日少しずつ、
大切に大切に磨いていれば、木彫りの熊が“宝物”になるのです。
毎日毎日、可愛がって可愛がって育てた子どもなら、尚更です。

ごしごし磨きすぎると「イタイ!」と息子たちに言われることもありますが、
私にとっては、掛け替えのない“宝物”です。

そして、

どこのなんという名かも分からぬでさえ、愛おしいのですから、
いわんや、息子と一緒に人生を歩こうと現れた花嫁においてをや。

名の知れぬ花 003



氷点 (上) (角川文庫 (5025))氷点 (上) (角川文庫 (5025))
(1982/01)
三浦 綾子

商品詳細を見る


続 氷点 (上) (角川文庫 (5072))続 氷点 (上) (角川文庫 (5072))
(1982/03)
三浦 綾子

商品詳細を見る

ブログはセルフコーチング

2009年04月25日 17:42

きょうは、一日中冷たい雨が降っている雑司が谷です。


ブログを書き始めて、気がつけば、2ヶ月以上が経ちました。

毎日書くと決めたわけではないのに、結果的には毎日書いています。

「書くことがよくありますねぇ」

なんて、言われたりします。

でも、特に書くことがなくて困ったということもありません。
書く前に、なにかしら頭の中でまとめることもありますが、
書こうと決めてパソコンに向かってから、考え始めることも少なくはありません。


ところで、きょう、このブログに初めていらっしゃった方、
また、最近になってちょくちょくいらっしゃるようになったという方は、
このブログのタイトルについて、よくお解かりにならないのではないでしょうか?

「ていちんとうりょう、ていちんとう」

ブログを書き始めて2日目にそのことについて触れただけですからね。

そこできょうは、このブログについて、あらためて少しだけご説明します。


「ていちんとうりょう、ていちんとう」を漢字で書くと「滴丁東了、滴丁東」

昔の中国の如浄禅師という方が詠んだ詩に表された一節です。

さてその詩を、日本から留学して如浄禅師の影響を大いに受けた
弟子の道元禅師が、『正法眼蔵』の中で紹介しています。

道元さんに最も影響を与えた如浄禅師の教えが、
この詩に集約されているのかもしれません。

先師曰く、
渾身、口に似て虚空にかかる、
東西南北の風を問わず、
一等、他が為に般若を談ず、
滴丁東了滴丁東。


これを、私なりに読み解きます。

先生がおっしゃいました。

宙に浮いている風鈴は、まるで全身が口のようだ。

東西南北から風が吹いてくるけれど、風を選ばず、

どの風に対しても、真理の音だけを鳴らしているよ。

ちりん、ちりん・・・と。


つまり、

「滴丁東了滴丁東(ていちんとうりょう、ていちんとう)」とは・・・

ちりん、ちりん・・・と鳴る風鈴の音(ね)のことなのです。


毎日の日常では、いろいろな風が吹いています。
温かい風もあれば、冷たい風もあります。

そよ風も吹けば、突風も吹きます。

日々の中で、私が受けとめた様々な風に対して、
私なりのささやかな音(ね)を鳴らしたいと思って、このタイトルをつけました。


私がブログを書いていて、いいなぁと思うことの一つに、
書いた文章(音)が、自分にとってセルフコーチングになっているということがあります。

文章を書きながら、または読み返してみて、
自分の声が自分の耳で聴こえるように、
自分自身の文章を、自分自身が客観で捉えることができるのです。
文章が私自身に語りかけ、質問を投げかけてくれるのです。

これによって得たものは大きかったと思いますよ。


ブログは、これからも出来れば毎日、

音(ね)を上げないで、

 「ていちんとうりょう、ていちんとう」

鳴らしつづけたいと思っています。


現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)現代文訳 正法眼蔵 1 (河出文庫)
(2004/07/02)
道元

商品詳細を見る


草謝り、報道誤り

2009年04月24日 12:26

草剛が  酔っ払って  素っ裸で  騒いで  捕まった。

確かにショッキングなニュースではあります。

犬が人を噛んでもニュースにはならないが、
人が犬を噛んだらニュースになるのです。

草剛さんがやったら、これだけの大ニュースになるのは解かりますが、
しかし、昨日そのニュースの陰で、
アフリカ・ソマリア沖に展開する海上自衛隊の、海上警備行動での
武器使用を可能にした海賊対処法案が衆院本会議で賛成多数で可決しました。

こっちの方が、大ニュースじゃないでしょうか?

このままでは、いずれこの法律は成立しちゃうのですよ。
日本は、国際社会に対して貢献を見せたい一心で旗を揚げたいのでしょうが、
そこだけを見て必要と判断されたことが、
後々禍根を残したという歴史を、日本は追体験しているように思います。

これは歴史的な大ニュースであり、大問題だと思います。

したがって、このニュースを陰に隠れさせてしまったという意味に於いて、
草剛さんの仕出かした事件(こと)の影響は“つみ”が大きい と思いますなぁ。

ニュースとしては、草剛さんのことを「最低の人間だ」と発言した総務大臣が、
発言を撤回したりすれば、確かに面白いのですが、
マスコミの皆さんも、どうか冷静にニュースの価値の軽重を判断して報道して下さい。

草剛さんは謝っても、報道は誤らないでいただきたい!


さて、その「謝る」について。
きょうは、私が代表を務めている異業種交流会FTNの4月例会日です。

その例会のテーマが「貴方は近ごろ誰かに謝ったことがありますか?」

きょうの例会は、「謝る」について皆さんで話し合って頂く“茶飲み話例会”です。

当日のご参加も歓迎しますので、直接お越し下さい。

【異業種交流会FTN4月例会】

【場 所】「マイ・スペース&ビジネスブース池袋西武横店4号室」
      住所:豊島区南池袋1-16-20ぬかりやビル2F
      電話:03-5960-0056(FTNの名前で予約してあります)
      ※池袋駅東口に出て右方向(目白方面)へ西武デパートに沿って歩きます。
      大きな五差路の交差点を進行方向に渡って2つ目のビル2階。
      入り口右側の「山ちゃん」という店の看板が目印(徒歩3分)

      地図:クリック 

【参加費】お一人1,000円

【懇親会】例会終了後、有志で近くの居酒屋などで懇親会を行います。
      自由参加で、会費は頭割です。(平均3,000円)


タメ口接客

2009年04月23日 18:30

結婚式・披露宴も間近なので、きょうは、床屋さんに行きました。


私は、美容院派ではなく、床屋派です。
しかも、早くて安い床屋さんに行ってます。

私は、トニックはつけません。
特に床屋さんの、甘~イ香りのトニックをつけると蟻が寄ってきそうな気がします。

それから、最後にセットもしてもらいません。
ドライヤーを使って、毛ブラシを当てて髪形を作るのは好きではありません。
あの髪型では、お客の私は満足できません。
あれは「床屋の満足」というものです。

したがって、髪を切ったら、洗髪してもらって、乾かしてもらうだけ。
セットしてありませんから、髪の毛はツンツンしていてお坊ちゃまみたいです。

きょうも、そんなヘヤースタイルで床屋を後にしました。
料金は、1,650円です。


次に向かったのは、某百貨店の眼鏡売り場。

老眼鏡が必需品になっていて持ち歩いているのですが、
ハードケースだと、かさ張ってしょうがない。
で、軟らかい素材で出来た小さめのケースはないかと探しにきたわけです。

眼鏡売り場の中にいた店員さんに訊ねると、「こちらでございます」と言って、
奥にいた別の店員さんの所に案内してくれ、
多分「〇〇の××をお探しだそうです」と伝えてくれたのでしょう。
「ごゆっくり」と言って戻って行きました。

さて、引き継いだ店員さん。
失礼ながら、割とベテランの店員さんとお見受けしましたが、
眼鏡ケースの棚の前で、

だと、これかなぁ・・・」

かなぁ???

「あと、これねぇ・・・」

タメかい? タメ口なの?


いや別に私、ってないですよ。
驚いたのです。 

そこには、探していたケースは無かったので、売り場を出たのですが、
どうにも釈然としない。

なぜタメ口をきかれたのか???
それが、エスカレーター近くの鏡を見て気がついた。

「この髪型のせい!?」

きょうの私は、ブルーのストライプのカジュアルシャツに白いコットンパンツ。
髪型は先ほど書いたような具合です。

案内されて近づいてくるお客が、遠目には若く見えた!・・・そういうこと?

でも、「私をよ~く見れば、貴女よりは年上ですよ、多分」

・・・タメ口のホントのところは、判りません。


確かに私は、よく歳より若く見られますが、
だからって、あまり得したこともありませんがね。

しかし、いまのようなことが昔からちょくちょくあります。
不当に若く見られることがです。

むかし、かみさんと、かみさんの父と3人で家具を買いに行ったときのこと。
店員さんが、かみさんに「奥様」私を「息子さん」と言ったものですから、
かみさんが激怒 したことがありました。
そのとき私が激怒しなかったことに、かみさんは更に激怒 したのです。

若く見られていいことなんか、ありません。 

イヤ~、かみさんだって歳よりは若いと思うんですよ、私は。
でも、一緒にいたかみさんの父が若く見えちゃったんですな~ぁ、またこれが。 


言っておきますが、
かみさんより私の方が先に生まれましたので、お気をつけください。 

俺の人生に隠し事はない

2009年04月22日 22:33

みきちゃんと息子Kと

あと一週間で、息子とみきちゃんの結婚式と披露宴です。



そんなタイミングで、古い友達から電話がありました。

用件が変わってます。

「戸籍謄本をとったらさ、昔の女房のことが記載されてないんだよ」

と言って、

「おかしいでしょ?結婚してたのは事実なんだからさ」

と言うのです。

「彼女(元・奥さん)に失礼だと思わない?」


これを、説明させて頂きますとね、こういう事なのですよ。

彼は昔、私が結婚披露宴の司会をして、
私と共通の友だちと結婚したことがあるのです。

しかし、別れてしまいました。


その後、彼は再婚したのですが、不幸にも一番下の子が生まれてすぐ、
3人の子供さんたちを残して奥さんが事故で亡くなってしまったのです。

あれから、16~7年くらい経ちますかねぇ?


幸いなことに、彼は再度再婚して、また3人の子供さんが出来たのです。

つまり彼は、前妻が遺していった子供たち3人と、いまの奥さんと、
その奥さんが産んだ子供たち3人の8人で暮らしているのですな。


今回の発端は、ご長女のことで戸籍謄本を取り寄せたことです。
彼は、最初に結婚した私の友でもある元奥さんのことが、
そこには載っていなかったと言って憤慨しているのですよ。

確かにいまの戸籍謄本には、離婚すると付く「×」の記載欄が無いようです。
以前は、それで“バツイチ”なんて言ったものですが。

しかし、彼が憤っているのも、なんだか、面白いでしょ?

「俺の人生に隠し事はない」ということなんでしょうね。


彼自身、これまで相当な苦労もしたと思うのですが、
それなのに、別れた奥さんのことも大事に考えていて、
亡くなった奥さんのことも大事、
いまの奥さんも当然大事・・・。


「こんな気持ち、KUSAKA(私の旧姓)にしか話せないからさ」
と言われてちょっと嬉しかったりしながら、
憤りを話している彼のことを、こんな風に思いました。

「こいつ、やっぱいい奴じゃん」

演劇科同窓会

2009年04月21日 19:00

きょうの話題に入る前に、
昨夜かみさんが作った、新筍を使った夕食の献立を披露します。

新筍 006
  風味があって軟らかい新筍のお造り

新筍 004
  新筍とザーサイのきんぴら

新筍 005
  これが本道、新筍と若芽の若竹煮


私もかみさんも、あまり夕食にご飯物をいただきませんから、
タケノコづくしだった昨夜は、さすがにタケノコご飯は作りませんでした。

昨夜は、古くからの気が置けない友人が遊びにきてくれたので、
筍を肴にして、久々にちょいと遅くまで飲みました。





さて、きょうの話題は・・・??


そうそう、今夜かみさんは同窓会の幹事会とかで留守なのです。

母校“演劇科”の同窓会は、
私がまだ学生だったときに準備委員会が出来て、学校を出た年に発足しました。

元々同窓会が出来たキッカケは、
母校で旧い学舎(プレハブ)を使っていた“演劇科”に新校舎が与えられるという
情報を掴んだ学生時代の私が、学生主催の旧校舎(プレハブ)の
“プレハブさよならパーティー”を目論んだことから、始まります。

せかっくのさよならパーティーだから、卒業生も参加してもらおうということで、
後輩に案内状を出してもらったところ、当日のパーティー会場は見たことのない
先輩の“大きな顔”で埋まりました。(先輩、失敬)

思えば、そのころ先輩だって若かったのです。
先輩と言っても、一番年上でも33~4歳といったところ。
世間では、まだまだ“若造”扱いされていた時期でしょう。
それが、久しぶりに母校に集まって懐かしい仲間の顔に逢ったのだから盛り上がります。
虐げられている?日常を忘れたかのように、急に先輩風を吹かせちゃったりして・・・

そんな中で卒業生たちから「同窓会つくろ―!」という声が挙りました。
後輩達もなんだか判らないのに「そうしましょ―!」なんて応えたりしているうちに、
なんだかよく判らないけど、同窓会を創ることになっていたのですよ。

最初のキッカケをつくった私としては、
個性的な先輩諸氏に全てを任せるのが心配で 
(だから、ゴメンなさいってば先輩) 
不承不承その準備委員会に名前を連ねたのです。

そんなことが始まりで、
それから16~7年同窓会の事務局を預かるお役をやらせて頂きました。

あれから、30年ちかい時間が経ち、
いまでは、私は留守番して、かみさんが同窓会の幹事会に。
かみさんは同窓会会長ですからね。

演劇科同窓会
5月17日は、
演劇科の同窓会総会とパーティーです。



あのときの先輩諸氏も還暦を過ぎました。
どうです?
久々に、先輩風吹かせてみませんか?
先輩!






そうそう。
今夜幹事会に行く前に、かみさんが用意してくれた夕食。

  新筍の「筍ごはん」
筍ごはん 001

牧之原のサムライの夢

2009年04月20日 13:17

新筍 002
新筍 003  新筍を送って頂きました。

新筍 001

きょう、みきちゃんのご実家から、新筍を贈って頂きました。

毎年、この季節になると、ご実家のお父さんが手ずから
朝裏山の竹林に行って、採ってくれた新筍を茹でて送ってくださるのです。

色鮮やかで、いかにも軟らかくて美味そうなタケノコです。
今夜の我が家の夕食は、間違いなくタケノコづくしになるでしょう。


みきちゃんの故郷は、静岡県牧之原市という所です。
牧之原市の北部に広がる牧之原台地は、お茶処としても有名です。

牧之原台地の茶畑の開拓は、
大政奉還後の徳川慶喜を警護して静岡に赴任した侍たちが、
明治になって、刀を持つ手を鍬に替えて行った開拓事業で、
山岡鉄舟の勧めに拠るものだったそうです。

仕事が無くなってしまったという状況は、現在の不況下の日本と似ていますが、
今と決定的に違うのは、社会の体制と価値観の変わりようでしょう。

しかし、将軍の親衛隊だった江戸時代のエリート集団が、
時代が変わって牧之原台地で開拓農民になった話は、
私の父が、15歳で海軍に志願入隊して、16歳で終戦を迎え、
後に農林省の技術者を経てから、三方原台地に入植して、
みかんの開拓農民になった話と重なります。

同じような大規模な社会体制と価値観の変化が起こったという点です。

そんな、大きな変化の中で開拓者が目指した“夢”はなんだったのでしょう。


私の父が目指したのは、

「日本中の家庭のコタツの上に、当たり前のように籠にみかんが盛られている」

そんな風景だったそうです。

戦後の食糧難の時代、栄養失調で亡くなる方がいた時代の“夢”です。


終戦直後は、食料が絶対的に足りませんから、
兎に角お腹にたまる芋などのデンプン農業。

それがある程度足りてくれば、卵や肉と言ったタンパク農業。

それが行き渡るようになれば、
栄養価を気にして野菜、果物などのビタミン農業へと移っていきます。

「みかん」の需要があるということは、
デンプンもタンパク質もビタミンも足りているということです。

昔のみかんは皮が厚くてすっぱくて、そして高価でしたから、
「日本中の家庭」が「当たり前のように」というのは、
みかんが「美味しく」 「安く」 「沢山」という条件が満たされたことになるのです。


父がみた“夢”の風景、つまりそれは “平和” そのものだったのです。


牧之原の開拓者たちがみていた“夢”も同じようだったと思いますよ。

牧之原では4月下旬に最初の双葉が手摘みされました。
もうずぐ八十八夜、これから牧之原は新茶の茶摘みの季節です。

みなさん、今度牧之原のお茶を飲まれる機会がありましたら、
お茶の風味を愉しみつつ、刀を捨てたサムライの“夢”を想像してしてみてください。

目白台散歩

2009年04月19日 19:03

目白通り散歩 003

きょうは、お天気もよいので、
かみさんと息子Yと近くのハンバーガー屋さんに行きがてら
散歩しようということになりました。

目白通り散歩 008
目白通り散歩 007
ハンバーガー&サンドウィッチ「base」

目白通り散歩 009

目白通り散歩 010
目白通り散歩 015
コロナビール630円 オニオンリング250円

コロナビールはライムを絞って入れるようにと、一切れ付いているのが定番ですが、
ビンの中に入れてしまうと、リサイクルのときに手間だと思って、
私はいつも入れません。

目白通り散歩 013
アボカドチーズバーガー1,150円


目白通り散歩 017
日本女子大の門と白い花のハナミズキ

アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜の木は、
日本から贈ったという話は有名ですが、贈った木の育成に当たったのが、
静岡市清水の「農事試験場興津園芸試験場」、
現在の「果樹試験場カンキツ部興津」です。

興津園芸試験場には、アメリカに贈ったものと同じ桜の木があります。
そして、桜のお返しにアメリカ合衆国から贈られたのが、ハナミズキの苗木でした。
現存するその中の1本が、果樹試験場カンキツ部興津にあります。
贈り贈られた両国の木が同じ敷地に存在しているわけです。

この女子大のハナミズキも、アメリカから贈られた木の子孫でしょうね。

ちなみに、私の父はこの興津園芸試験場で学び、
柑橘の技術指導員になった後に、開拓農民になりました。
亡くなった母の実家は興津に在りましたので、二人は結ばれたのです。


目白通り散歩 018

日本女子大の向かい側に在る、田中眞紀子邸(田中角栄邸)
目白通り散歩 019
目白通り散歩 032

田中眞紀子さんと息子Yの共通点、美容師さんが同じ。

目白通り散歩 020
目白通り散歩 021
目白通り散歩 024
目白通り散歩 029

田中眞紀子さんが相続した田中邸の相続税を物納した跡地と
元々在った、国家公務員共済組合連合会(KKR)の運動場を
文京区が取得して作られたのが、目白台運動公園です。
田中さんが、木の伐採に反対して話題になっていましたが、
今年の3月31日に開園しました。

野球グランド・サッカー場・テニスコート・フットサルコート・ドックランなどが有ります。
きょうは、小さい子を連れた人たちがたくさん来ていました。

目白通り散歩 030
目白通り散歩 026


目白通り散歩 031
目白台運動公園に隣接する和敬塾
作家の村上春樹さんもここの塾生でした。
代表作「ノルウェイの森」に登場する学生寮は和敬塾がモデルだと言われています。


目白通り散歩 033
日本女子大附属豊明幼稚園・ナースリー(保育園)の門

うちの息子たちが通ったナースリーと幼稚園です。
老朽化しているので、ちかく建て替えられる計画だそうです。


目白通り散歩 035
目白ガーデンハイツ(通称・角栄マンション)1階に在る「Organic Everyday Mejiro」

買い物好きの息子Yが買った、きゅうり3本100円/葉付き大根1本280円。
きょうはセールだそうです。


目白通り散歩 034

こうして、散歩から帰宅。

うちの息子は K と Y 。 
因みに、二人ともその場の空気読めます。

「きょうのブログは長い」



友情の二つの花―日米友好のハナミズキをさがしもとめて (イワサキ・ライブラリー)友情の二つの花―日米友好のハナミズキをさがしもとめて (イワサキ・ライブラリー)
(1997/12)
手島 悠介

商品詳細を見る


ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

商品詳細を見る


ノルウェイの森 下 (講談社文庫)ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
(2004/09/15)
村上 春樹

商品詳細を見る


最新記事