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「雑司が谷 寛」閉店

2019年12月26日 20:14

雑司が谷寛の門

【お知らせと御礼】

本日をもって、現在の「雑司が谷 寛」は閉店いたします。


作家になったばかりのかみさんの祖父・三角寛が、
雑司が谷のこの家に移り住んでから85年が経ちます。

三角寛が亡くなって17年経った1988年(昭和63年)7月、
自宅として使っていたこの家を懐石料理の店にしました。

店名を「雑司が谷 寛」と名付けました。

「雑司が谷 寛」は、近所に菊池寛さんのお宅が在ったので、
菊池寛さん所縁の店かという誤解もありましたが、
三角寛由来でもありますし、女将(母)の名が寛子でした。

三角寛が住んで執筆に励んだ当時のままを残しており、
庭をはじめ、三角寛が手ずから塗った漆塗りの柱は壁、
木彫りの双竜の板戸や映画館人世坐所縁の弁財天など、
異色の作家と謂われた三角寛を肴にお食事をしていただく、
そんな趣向の店でした。

名目上では女将は母でしたが、実質的にはかみさんが務め、
わたしは一時期支配人をしておりました。

その「雑司が谷 寛」株式会社女将塾に貸し、
同じコンセプトで新たにオープンしたのが15年前の2004年です。

しかし、
建ててから100年近くなるであろう建物の老朽化は避けられず、
東日本大震災には耐えましたが、耐震診断を受けた結果、
耐震性という点では、脆弱な建物と言わざるを得ない家です。

貴重だ、勿体無いというご指摘は当然と覚悟の上でしたが、
この家を取り壊し、新たな店づくりを決意いたしました。

わたくしどもの経営時より女将塾経営の間も、
「雑司が谷 寛」をご贔屓くださった皆様に、心から御礼を申し上げます。

長い間、ありがとうございました。

雑司が谷寛の玄関

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<わたしたちが経営していた頃のパンフレット>

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<お昼のミニ懐石松花堂>

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<ひとのよ弁財天略縁起>



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2019御会式

2019年10月18日 23:59

御会式⑥

6年前。
2013年の10月18日も金曜日でした。

ですから、翌日・翌々日がお休みで、
助かったという人も多かったことでしょう。

御会式に参加する人たちのことです。

万燈

さて、ことしも金曜日。

雑司が谷の御会式は、
雨で中止されることはありません。

ずぶ濡れでも、団扇太鼓を鳴らせます。

1571320768307 (1)

ということで、
以前、御会式の恒例だったジィジの「かきまぜ」を、
ことしは作りました。

4年ぶりに来てくれた人たちのために作りました。

2019年かきまぜ

御会式の準備

2019年10月15日 21:42

御会式準備

雑司が谷では、御会式の準備が進んでいます。

境内に、露店が並び出しました。

台風19号が東京を通過した13日の日曜日は、
雑司が谷の各講元で万燈作りが始まっていましたが、
その万燈も御会式の日(16~18日)を待っています。

露店準備

御会式のシンボルである万燈(万灯)は、
仏の明かりであるお燈明が万(よろず)集まっているという意味です。

御会式の万燈行列は、仏の慈悲の光が此の世を照らしてくれます。

被災した方々の心の平安が、一刻も早く訪れますように。

万燈準備

この世界の片隅で

2019年08月06日 03:07

またナイトキャップしている。

いまは、8月6日の未明。
夜明けまで、まだしばらくある。


8月6日は、特別な日だ。
広島にとって、だけではない。
全人類、全世界にとって特別な日だ。

だが、
この世界の片隅で暮らす人々にとって、
それは、どれだけの意味を持つだろうか?


8月6日、
去年は、野外劇を観ていた。
一昨年は、むぅむぅ(義父)を納骨した。

8月6日、
戦禍の只中にいる人もいる。
貧しさに、明日の糧を考える人もいる。

介護・看護の毎日を送る人もいる。
闘病の床に寝ている人もいる。

理不尽なテロで亡くなった人もいる。
理不尽なテロで愛する人を失った人もいる。

被災して、仮設住宅で過ごしている人もいる。

事故に遭った人もいる。事故を起こした人もいる。

被ばく体験を語る人もいる、語れない人もいる。

広島・長崎を、
知識っている人もいるが、知識らない人もいる。
知識ろうとする人もいるが、知識ろうとしない人もいる。


仕事や子育てに奮闘中の人もいる。

知識ってか知識らずか、
突然、世界のメジャー大会で初優勝し、
一夜にして日本中を虜にした笑顔の可愛い女の子もいる。


よく眠っている奴”もいる。


想いは巡る。
夜明けまで、まだ時間がある。





なにがあった豊島区!?

2019年04月16日 23:59

豊島区

池袋が、「暗い、汚い、危険の3K」と謂われた時代がありました。

駅構内と西口の東武・東口の西武デパートで買い物をしたら、
そのまま西武線・東武線・赤羽線・山手線・地下鉄に乗り換えてしまうので、
「駅袋(駅が袋状態で街に人が出ない)」と揶揄されたこともありました。

豊島区が「消滅可能性都市」だと指摘されたこともありました。


ところが、
かみさんが大塚駅前に在る24時間営業の本屋でこんな本を買ってきました。

「消滅可能性都市」から大逆転「住みたい街」へ!

なにがあった豊島区!? どうした池袋!? このままでいいのか雑司が谷!?




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