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お花まつり

2020年04月08日 16:00

お釈迦様

きょうも不要不急の雑司が谷散歩。

いつもと比べて人がいない雑司が谷鬼子母神の境内ですが、
それでもきょうはお花まつり灌仏会)、お釈迦さまの誕生日。
お詣りする人が途絶えることはありません。

例年ですと、
お釈迦さまの像に甘茶をかけたあとで甘茶をいただくのですが、
きょうは控えました。


さて、
雑司が谷鬼子母神参道のケヤキ並木は新緑に変わりました。

上を向いて歩こう!

前向きに歩こう!

ケヤキ並木の新緑

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雑司が谷公園OPEN

2020年03月28日 10:48

①

東京都から不要不急の外出自粛要請が出るなか、
此処、雑司が谷に新しい公園がOPENしました。

その名も「雑司が谷公園」

開園式こそ新型コロナウイルス対策の一環で中止されましたが、
一般開放されましたから、近所の人たちがチラホラ散歩しています。

これも、長い雑司が谷の歴史の1ページです。

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梅は咲いたか

2020年02月12日 11:30

梅


梅は咲いたか 桜はまだかいなぁー
柳ゃなよなよ 風次第
山吹や浮気で 色ばっかり
しょんがいな・・・



ことしの梅が満開です。

梅の花は、母が好きな花でした。

ところで、
田舎なので実家の庭にもありましたが、
意外にも、雑司が谷に梅の木は多くありません。

散歩しながら梅の木を探すのですが、
わたしが知っているのは雑司が谷で二ヶ所だけです。

もちろん、もっと在るのでしょうが、
余所のお宅の庭に入って探すワケにもいきません。😅


さて、
梅の花が咲いているのを見つけると、
いつもの端唄が口を突いて出るのですが、
ことしも、やはり音がとれません。😅



温故知新

2020年02月05日 10:56

祖父・三角寛、父・三浦大四郎、映画館・人世坐、文芸坐。

いま建て替えを計画しているタイミングで、
「雑司が谷 寛」の見学会が行われ、ドキュメンタリ-の放送が予定されている。


さて、
亡くなった祖父母や父母、無くなった映画館をただ偲んでいるワケではない。
また、過去を懐かしんでいるのでも、昔はよかったと言っているワケでもない。

過去は物語である。
その物語を創った人々がいるし、その所縁の人々もいたのである。

人々には意思があったであろうし、様々な想いをもって生きていたはずである。
それぞれの時代の影響を受け、葛藤し享受しながら生きていたのだろう。

その遺物が家屋であり部屋であり建具であり調度類である。
生きた証として書籍があり、映画があり、写真として遺ったものもある。

その人々の息遣いを聴くことや面影を想像することにも人が認める価値はあると思っている。

そんなことは、まったく合理的ではないが、人というものは合理性だけでは生きていない。
育ててくれた人を想い、祖先を偲び、家族や友人たちを慈しみながら生きているのだ。


ところで、わたしたちは経済性や合理性や便利さだけで行動しているワケではない。
また、映画館や劇場や飲食店などを経営していたワケではない。

様々な人々の想いを引き出したり、受け容れたりしながら、お客さまをもてなすのだ。
だから、面倒くさい。ノウハウやマニュアルがあれば出来るというほど簡単ではない。

お客様が、“何”に対して対価を払ってくださるのか深淵を覗かないと判らないのだ。

つまり、坪内逍遥が言うところの、
「たとい其の陽は一意専念過去を想うように見えたるも其の陰は
所謂温故知新の沙汰にて未来の料にとてすることなり」


それを想いながら、商売をしてゆきたいと思う。


そういえば、
昨日は3年前に89歳で亡くなった義父・三浦大四郎、
一昨日は3年前に88歳で亡くなった父・日下敏雄の誕生日だった。



「雑司が谷 寛」閉店

2019年12月26日 20:14

雑司が谷寛の門

【お知らせと御礼】

本日をもって、現在の「雑司が谷 寛」は閉店いたします。


作家になったばかりのかみさんの祖父・三角寛が、
雑司が谷のこの家に移り住んでから85年が経ちます。

三角寛が亡くなって17年経った1988年(昭和63年)7月、
自宅として使っていたこの家を懐石料理の店にしました。

店名を「雑司が谷 寛」と名付けました。

「雑司が谷 寛」は、近所に菊池寛さんのお宅が在ったので、
菊池寛さん所縁の店かという誤解もありましたが、
三角寛由来でもありますし、女将(母)の名が寛子でした。

三角寛が住んで執筆に励んだ当時のままを残しており、
庭をはじめ、三角寛が手ずから塗った漆塗りの柱は壁、
木彫りの双竜の板戸や映画館人世坐所縁の弁財天など、
異色の作家と謂われた三角寛を肴にお食事をしていただく、
そんな趣向の店でした。

名目上では女将は母でしたが、実質的にはかみさんが務め、
わたしは一時期支配人をしておりました。

その「雑司が谷 寛」株式会社女将塾に貸し、
同じコンセプトで新たにオープンしたのが15年前の2004年です。

しかし、
建ててから100年近くなるであろう建物の老朽化は避けられず、
東日本大震災には耐えましたが、耐震診断を受けた結果、
耐震性という点では、脆弱な建物と言わざるを得ない家です。

貴重だ、勿体無いというご指摘は当然と覚悟の上でしたが、
この家を取り壊し、新たな店づくりを決意いたしました。

わたくしどもの経営時より女将塾経営の間も、
「雑司が谷 寛」をご贔屓くださった皆様に、心から御礼を申し上げます。

長い間、ありがとうございました。

雑司が谷寛の玄関

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<わたしたちが経営していた頃のパンフレット>

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<お昼のミニ懐石松花堂>

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<ひとのよ弁財天略縁起>





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