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光生軒のおばさんの三回忌

2019年08月17日 16:54

梅洞寺

“光生軒のおばさん”と、ご親交のあった皆様に謹んでお報せいたします。

本日、
2年前の8月21日に満86歳で亡くなられた仙川の中華料理店
「光生軒」のおばさんの三回忌法要が、八王子に在る菩提寺、
臨済宗梅洞寺にて執り行われ、同所墓地にご親族一同と共に、
お参りさせていただきましたのでご報告いたします。

梅洞寺墓所

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盆の入り

2019年08月13日 22:40

盆の入り

実家が在る浜松での、父の三回忌法要から戻りました。

帰宅したのが遅く、
帰路の途中で寄り道をしてかみさんと飲んでしまいました。

帰宅して、すぐに荷物をほどいたのですが、
酔いと疲れで、ベットに倒れ込んで、起きたのがさきほどです。

気づけば、
きょうは8月13日ですから、盆の入りです。

かみさんの祖父母と両親を、
迎えに行ったり、迎え火を焚くことはできませんでしたが、
わたしたちの留守中に帰ってきているはずです。

遅ればせながら、
線香を焚いて、友人が贈ってくれたシャインマスカットを供えました。

おかえりなさい。



父の三回忌

2019年08月12日 23:59

岩水寺

朝7時10分に品川駅を出発した新幹線で浜松に来ました。
きょうは、父の三回忌法要でした。

去年の一周忌法要も、8月12日でした。

去年は、乘ったタクシーの女性運転手と話していて、
その人が中学の同級生だと判ったときには随分驚きました。


さて、
わたしの弟には二人の息子と、娘が一人います。

甥っ子二人は、
弟といっしょにみかん🍊農家を継いでいます。

姪っ子は、歯科病院で歯科衛生士をやっています。

一日を通じて、
甥っ子二人・姪っ子の話を聴き、夢を聴きました。

それは、伯父にとってサプライズでしたが、
それが一番の父への供養だったような気がします。



- 傷痕去らぬ君と共に - 

2019年08月09日 11:02

ナガサキ

長崎市民劇場の事務局長だった中村新七さんは、
奥さまとお二人で食堂を経営していらっしゃいました。

演劇制作者として、公演で長崎を訪れたときには、
食堂にお邪魔して、賄いご飯をご馳走になりました。

ご馳走になりながら、お二人の被ばく体験を伺いました。

広島でも長崎でも、被ばく体験を伺ったことがありますが、
人のこころは移ろいやすいものです。

8月にしか思い出さなくなっている自らの心を恥じながら、
今年も、中村新七さんの詩を思い出しています。


中村新七様

ご無沙汰しております。

きょうは8月9日。
今年もまた中村さんの詩を掲載させていただきます。

亡くなられたことを知らず、
結果的に無断で載せてしまうことをお許しください。


- 傷痕去らぬ君と共に - 中村新七

きけわだつみを見に行こう
そんなに俺が言った時
君は俺の顔を見ただけで
横にかぶりを振った
それから俺が真空地帯をさそった時も
やはり同じように
かぶりを横に振り
戦争映画は見たくないと言った
戦争が終わって八年もなろうとしているのに
戦争の傷痕は
今でも君から去っていない
水槽とながしと
玄関のたたきだけを残して飛び散った家に
中心より六百七十米の城山だと言えば
奇跡だと人々の言うように
君はかすり傷もうけずに生き残った
地獄の中でのたうつ無数の肉魂
その中で君だけが
かすり傷もうけずに生き残ったのだ
戦争映画
それが戦争をのろう映画であろうと
君はかぶりを横にふる
まして数年をへた今でも
原爆の傷痕が人命をうばっていると
誰かの口の端にのぼることがあれば
そのことが君の耳を傷つけでもするように
君は耳をふさぎ
目をかたくとざす
君は人間の最大の悲劇を
目の前に再現することを
憤怒の情をもってさえぎろうとする
だが君はそのことが
君だけでさえぎれないことを知っている今
目をとじ耳をふさぎながらも
原爆の悲惨さを会う人ごとに訴える

一本の立木も残さず
吹き飛んだ裏山に
ポッカリ残った防空壕の前で
写真までうつしたアメリカの医者は
驚きの声をあげた
他の多くの人々が言ったと同じように
奇蹟だと
だが君は無傷で生きているのではない
君は会う人ごとに話す
かすり傷もおわなかった私が
数日をへずして
頭の毛が一本も残らぬようにぬけたと
歯ぐきから血がほとばしり
身体は斑点と
眼からは涙さえでないようになった等と
いやそれ以上に
今でも肉づきの悪い身体が
直ぐに疲労を感じることを

そんな君を丁寧なあいさつをもって
ABCCの自動車は迎えに来た
だが喜んで行った君を待っていたのは
目だけしか見てやらぬアメリカの医者だった
そして悪かったら日本の医者によくしてもらえと
原爆の傷痕は目だけにあらわれるものなのか
迎えの時と売って変ったこの行為に
君は不思議なおももちで問うた
『何故身体全部を見ないのです
貧苦の中でむしばまれてゆく私達は
ただ死をまつのみですか』
アメリカの医者と日本の通訳は
くどくどと答える
アメリカから予算がこない
アメリカから送ってくる予算が少ないと
目だけしか見てやらぬことの前に        
君はアメリカの真の姿を知った
何のための調査か
君の怒りは炎となって
アメリカの医者と日本の通訳にたたきつけられた
『きれいな自動車の送り迎えが
私達にあたえられた最上のお情けなのですか
そんなちっぽけな情けを
私達は今必要としない
アメリカは
アメリカの軍備の費用をさいても
人類の最大の悲劇をおぎなうべきなのだ』
君の怒りの瞳に
アメリカの医者も日本の通訳も
何一つ言えずうつむいたと言う

アメリカは私達に
原爆を落としただけの国でしかなかった
そのことはまた
君の原爆の訴えの中に加えられ
君は目をとじ
耳をふさぎながら
原爆の悲惨さを会う人ごとに訴える
俺はもう君に
それが反戦ものであれ
戦争映画を見に行こうなどとはさそうまい
それより君の
目をとじ耳をふさぎながら進む平和への途を
君と共にさらに押進めることを誓う

1953年「芽だち」より

今宵も千鳥足

2019年08月04日 03:53

今宵も暑くて寝苦しいから、ナイトキャップしてしまった。
飲みながら書いているから、多分話題が千鳥足になるだろう。


さて、SNSの特性をそろそろわきまえたほうがいい。
ちょいとした違いにも容赦しない世の中は苦しいよ。

きょうは、日曜日だから我が家のルーティーンで、
TBSのサンデーモーニングにチャンネルを合わせる。

先週わたしは、スポーツコーナーのご意見番の“意見”に異論を表明したが、
きょう放送される、ご意見番と番組としての態度表明に注目が集まるだろう。

だが、いまのうちから云っておく、ご意見番を叩いても何も解決しないよ。

旧かろうが時代錯誤だろうが、
ご意見番はご意見番になるだけの生き方をしてきた人なの。
旧か新か、正か悪か二者択一を選ぼうとするSNSの弊害もあるんだもの。


ところで、
池袋の事故で亡くなった母子の遺族が、“厳罰を求める署名活動”を始めた。
近所の南池袋公園で行われた著名活動では署名する人が列を成したという。

逮捕されない高齢運転者を“高級国民”とか“優遇され”ていると感じる人は多い。
だが、正当な裁きは成されないのだろうか?

確かに、家庭裁判所から最高裁に至るまで過去理不尽と思う判決も多い。
忖度判決や自己主張・自己弁護判決のようなものだってある。

しかし、あの高齢運転者は法律上“正しく”裁かれることはないだろうか?
否、その意味では、たぶん・・・“正しく”裁かれるだろう。

でも、それが遺族にとって納得がいく裁きかどうかは判らない。


ところで報道は正確なのか?
報道では、“厳罰に処してもらいたい”という遺族の願いが強調されているが、
はたして、遺族の主旨はそのとおりなのだろうか?

そして遺族は、その“厳罰”署名を集めて何処に提出するつもりなのだろう?

もし、他の事例と比べての厳罰化を求めているのだったとしたら、
それは、許されることではない。

法律で、「自力救済」は戒められているからだ。

もし遺族の願いが、高齢者ドライバーの運転や危険運転への警鐘であり、
現・車社会を技術的に変革させてほしい旨の主張であったら、わたしも署名する。

しかし、この事例における高齢運転者にどれだけの罰が与えられたとしても、
ご遺族の無念が晴れるとは思えないし、もとより母子は生き返らない。


さて、話を戻すが、
わたしは、若い頃から旧い父の価値観と闘って生きてきた。

例えば、父の絶対に特攻隊員を批判させない迫力は凄かった。
たとえ息子に対しても、微塵も意見を譲ることはなかった。

そんな父に訓えられたのかもしれないし、この齢になって理解できたのかもしれないが、
正か反かではなく、まず両方を理解しようとすることが大切だ。

他国には他国の言い分がある。我が国にも我が国の言い分がある。
他国には他国の“物語”、我が国には我が国の“物語”があるのだ。
まず、お互いに相手にも言い分があることを受け容れる必要がある。
でなければ、なにも生み出すことはできない。

さて・・・、何を云っているのか判らなくなった。

高校野球の話なのか、高齢者運転の問題なのか、政なのか、SNSの危険性なのか。





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