FC2ブログ

桂歌丸さんの牡丹灯籠

2018年07月02日 23:59

桂歌丸さんが亡くなったそうですね。

お身体の具合が気になっておりましたが、残念です。


音源はありますから、聴こうと思えば聴けますが、
やはりもう一度、歌丸さんの噺を高座で聴きたかったです。

桂歌丸という噺家は落語芸術協会の会長でしたし、
笑点」の出演者から司会を務められた人でしたから、
新作落語の人だというイメージをお持ちの方も多いと思います。

しかし、
古典落語の名人でもいらしたのでした。

なかでも、
三遊亭圓朝の傑作「怪談 牡丹灯籠」は、もう一度聴いてみたいですね。

圓朝の「怪談 牡丹灯籠」は、
明治25年(1892年)に三世河竹新七の脚色で「怪異談牡丹灯籠」として、
歌舞伎座で上演され、空前の大当たりをとったお芝居であります。

また、
大西信行さんの脚本で文学座が公演した「怪談牡丹燈籠」も有名ですが、
元はと云えば落語であります。

実は、
桂歌丸さんは、三遊亭圓朝の古典落語に拘っている噺家でありました。
桂歌丸さんの「怪談 牡丹灯籠」は力演でありますよ。

怪談 牡丹灯籠」は、恐ろしい幽霊の話ではありますが、
ホントは生きている人間が真に怖ろしいのだという噺であります。

歌丸さんは、亡くなってしまわれたのですね。
桂歌丸さん・・・「昇天」

合掌


スポンサーサイト

石澤秀二、田中千禾夫を語る

2018年06月18日 23:59

一日一話と決めている此のブログですが、
きょう朝7時58分頃発生した大阪の地震で被災された皆様にお見舞いを申し上げると共に、
亡くなられた方のご冥福を祈りつつ、ご家族にお悔やみを申し上げます。


さて、
本日の話題は、成城大学で行われた恩師・石澤秀二先生の講和を聴きに行ったことです。

石澤秀二先生は、昭和5年のお生まれですから今年88歳の米寿を迎えられました。
その石澤先生が恩師と慕う、田中千禾夫先生のことを話されるというので、
どうしてもお話が伺いたくて行ってきました。

石澤先生はお若い頃、田中千禾夫先生宅の書生でした。
・田中澄田中千禾夫田中澄江ご夫妻は、石澤秀二石澤富子ご夫妻の御仲人でもあります。


ところで、
わたしは演劇科の学生時代に4回、田中千禾夫先生演出で芝居を演りました。
4年間でも田中千禾夫先生の演出4回というのは、かなり確立の高いことであります。

田中千禾夫作「三ちゃんと梨枝死に水を下から取った話
別役実作「赤い鳥の居る風景
飯沢匡作「二人で嘘を
田中千禾夫作「右往左往

しかし、
何度演出を受けても、田中千禾夫という人の意図が掴めきれなかった想い出がありました。

田中千禾夫の戯曲や、田中千禾夫の評伝を読んでも、よく解らなかったのであります。

未だに“解った”と言えるほど腑に落ちてはいないのでありますが、
帰路、石澤秀二先生とお茶をしたときに「田中千禾夫にとっての実存主義」という質問をして、
それについて応えていただいたことが、きょうの最大の収穫でした。

「千禾夫先生は、晩年になって洗礼を受けるまで生涯葛藤されていたんだよ、
でも最期には神を信じたんだ。でなければ自殺するしかないだろ?」

「イムジン河」

2017年11月22日 14:25



昨夜、
舞台「昭和芸能舎版 パッチギ!」を観てから、
頭のなかをずっと「イムジン河」が鳴っています。

1968年当時、発売自粛・放送禁止だった歌も、
いまは誰でも歌えるし聴くことができますから、
みなさんも、もう一度聴いてみたらいかがでしょう。

いまのような国際情勢だからこそ、聴いてみたら。

それか、
舞台「昭和芸能舎版パッチギ!」をお薦めします。


それにしても、
ザ・フォーク・クルセダーズって、やっぱり凄いですね。

モチロン「イムジン河」もですが、
こんなに多くの魂の震える曲を創ったなんて・・・、フォークルは凄いです。

私のやってきた音楽なんてちっぽけなものだった。
世の中は音楽なんて必要としていないし
・・・なんて。

2002年の、
ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽會

冒頭の口上で、
「生きる力が湧いてくるような音楽をどしどし創ってゆく所存でございます」
って、加藤さん言ってたじゃん。


故郷(ふるさと)

2017年09月24日 21:00

横瀬の橋

わたしの父は、
歌を歌わない人でしたが、それでも一度だけ歌を聴いた記憶があります。

みかんの収穫を祝って、収穫作業を担ってくださった人たちを慰労する宴席に、
カラオケの器械が置いてあって、一曲歌ってほしいと望まれて歌ったのでした。

それは、「故郷(ふるさと)」でしたが、
完全にテンポが外れてしまって、カラオケの意味を成さなくなっていたのですが、
父の思い入れタップリの歌が、印象に残ったのでした。

兵隊になったときも、興津の試験場で勉強していたときも、
浜松の三方原台地に入植して、開拓者になったときも、
日々みかん園の労働をしていたときも、心のなかで口ずさんでいた歌なのでしょう。

横瀬の町

その父の故郷の写真を、従妹が送ってくれました。
秋のお彼岸で、従妹がお墓参りに行ったときの写真であります。

病床の父に、その写真を見せて、「故郷」を聴かせました。


うさぎ追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき ふるさと

如何に在ます 父母
つつがなしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる ふるさと

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き ふるさと
水は清き ふるさと


鹿背山神社の鳥居

「子別れ」

2017年03月10日 18:59

繁盛していた魚屋が酒でしくじってしまうのが「芝浜
腕のいい左官が博打でしくじってしまったのが「文七元結
腕のいい大工が酒と女でしくじって女房子どもと離縁する「子別れ

いずれも、腕のいい職人が「飲む、打つ、買う」でしくじる噺です。

酒と博打と女、いずれも、
宵越しの金は持たないと謂う職人たちの生き方で楽しみだったのでしょう。

また、三毒煩悩ということを申しますが、
「欲張り、怒り、愚かさ」という人間の煩悩なんかも落語のテーマであります。


病人に、煩悩の噺を聴かせるのもどうかと思いますが、
むぅむぅ(義父)も落語好きでしたから、聴かせております。

きょうは金曜日ですから、午前中には、介護士、来客、看護師、
午後は、入浴介助のみなさん、医師、看護師、介護士の訪問とつづきました。

あまりにタイトなスケジュールですので、
文芸坐三浦館の映画や文芸坐三浦寄席の落語をゆっくり楽しむことができません。
したがって、きょうはお休みしようと思ったのですが、夕方になって一段落しましたので、
落語「子別れ」のDVDをかけました。

啖呵

子別れ」は、
通しで演りますと長い噺なので、上・中・下とに分かれております。
きょうの「子別れ」は、下であります。

腕のいい職人だった大工の熊さんが、山谷の寺での葬式で酔っ払い、
帰りに吉原に繰り込んで三日も居続けてから家に帰りました。

まだ吉原の気分が抜けない熊さんが、吉原の女郎の惚気を云ったがために、
愛想を尽かした女房が子どもを連れて出て行ってしまいます。

そこで、女郎を後添えにしたものの、
朝寝はするし、家事はやらないし、昼間っから酒は飲むしでヒドイ女。
その女も家を出ていってしまいます。ここまでが、上と中であります。

独りになって初めて目が覚めた熊さん、酒を絶ちます。
それから3年。元々腕のいい職人ですから仕事は絶えることがありません。
大きな仕事の口が舞い込みます。

或る日、
大店の番頭と木場に木を見にゆく途中で、遊ぶ我が子に再会します。

訊けば、
女房は再婚もせず、間借りして近所の仕立て物をしながら子育てしているらしい。

つましい生活をしていると聞いた熊さんは、子どもを不憫に思ってに50銭を握らせます。
「オレからもらったって言うんじゃねーぞ」と言い聞かせたのですが、
母親にその50銭が見つかってしまいます。

「この50銭はどうしたの?」と訊いても「どっかのおじさんにもらった」と応える子ども。
ウソをついていると思った母親が、ゲンノウ(金槌)でぶつよと脅しますと、
「おとっつあんにもらったんだい」と白状してしまいます。

子どもから、
おとっつぁんは、まじめに働いているようだと元亭主のことを聴いた女房は、
子どもと熊さんに逢いにゆくのでしたが・・・。

下だけで演るときには「子は鎹(かすがい)」というお題にもなる「子別れ」、
芝浜」も「文七元結」も「子別れ」もハッピーエンドです。

いいですねぇ、落語はハッピーエンドで。





最新記事