天才的な6歳の歌舞伎俳優が誕生

2017年01月03日 23:59

新橋演舞場

本日、新橋演舞場の初日でございます。
そこで、初日昼の部を観て参りました。

息子は、
三代目市川右團次丈となられた“右近さん”と、
本水の中、二人だけの立ち回りがございました。

その二人の戦いを上手から見ている、
二代目市川右近になった“タケルくん”の松若丸。

万感胸に迫るものがありました。

それにしても、
天才的な6歳の歌舞伎俳優が誕生したものであります。


例年、新橋演舞場の1月公演は2日が初日。

それが、今回は3日初日。
それだけ、大変な出し物なのでございます。

「壽 新春大歌舞伎」
市川右近改め
 三代目 市川右團次 襲名披露
二代目 市川右近 初舞台



いよいよ、2017年の歌舞伎が始まりました。
さまざまな想いが去来したのでございますが、
時代は代わりました。

みなさま、
これからも、宜しくお願い申し上げ、奉ります。


スポンサーサイト

「壽 新春大歌舞伎」

2016年12月20日 23:59

2017年壽 新春大歌舞伎

今月の歌舞伎座興行「十二月大歌舞伎」も残すところ一週間。

上に載せたポスターは、新橋演舞場の来年一月興行です。

2017年新橋演舞場「壽 新春大歌舞伎」

市川右近改め
三代目 市川右團次襲名披露

二代目 市川右近初舞台

息子は、昼の部に出演する予定です。
本水を使った立ち廻りを演じるのだそうです。


さて、
このポスターを見ながら、わたくし思いは複雑であります。

あまりにも、いろいろな思いが去来して、
それを上手く表すことができません。

これほど、いろいろなことを考えさせられるポスターも、珍しいです。

ワンピーススクラッチ

2016年04月06日 17:59

スクラッチ

宝くじ売り場の前を通ったら目に入ったのが「スクラッチ」

近年、マンガのキャラクタースクラッチが流行っているらしく、
手塚治虫さんのマンガのキャラクターが登場したかと思えば、
ちびまる子ちゃんのスクラッチがつづいておりました。

そして、
現在販売されているのが、「ワンピーススクラッチ」であります。

そこで思わず、“ 腕を伸ばして ” 買ってみました。

ところで、
散歩していて、途中で休憩したり、食事や買物をすることがあります。
きょうは、途中で歯科医院に寄って、定期健診をしていただきました。
ついでに、歯石の除去などのお掃除もしていただきました。

散歩の途中でというか、散歩と併せて未完了なことを片付けております。


さて、
「ワンピーススクラッチ」は、“ 1,000万円チャンス! ” と描いてあります。
帰宅して、さっそく削って(スクラッチ)みましたら、2枚当たりました。

きょうも散歩して、歯もキレイになって、ちょいと得した気分であります。

ワンピーススクラッチ

ところで、
4月2日から、福岡の博多座でスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」公演が始まったようです。

こちらのスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」公演は、“ 大当たり ” だそうですよ。 






市川弘太郎後援会

2015年09月10日 23:59

共奴

3歳の誕生日を迎える直前ですが、2歳のときに、
スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の初演を観て以来、
三代目・市川猿之助さんや市川右近さんを慕い、
歌舞伎と歌舞伎役者に憧れて育った息子でした。

1993年(平成5年)10歳のとき、「第一回市川右近の会」に抜擢されて初舞台。
1995年(平成7年)11歳のとき、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の3ヶ月に亘る再演で、
週に一日、初演以来憧れていた市川右近さんが演じられていた
ヤマトタケルを慕うヘタルベという少年のお役を勤めるという奇跡が起き、
それが縁で、三代目・市川猿之助さんの部屋子にしていただきました。

その頃から、
息子の幼稚園時代のお友達のお母さんたちが中心となって、
応援団のような集まりが出来、やがて後援会が組織されました。

幼稚園から、小学校、中・高一貫校、大学の友人たちや、
そのご家族や関係者で、応援してくださる方々も増えました。

また、各都市で歌舞伎の公演をすることもありますので、
大阪・京都・名古屋・博多・静岡にも、自称「〇〇市川弘太郎後援会」と
名乗ってくださる支援者の皆さまもいらっしゃいます。

そこで、
息子を長い間支え、大きくしていただいた後援会ではありますが、
組織を一新し、新たな事務局を設けていただくことになりました。

釣女

つきましては、
20年間ご支援を賜りました後援会の皆様やお客様方に、
心からの感謝を申しあげるとともに、
引き続き市川弘太郎へご声援を賜りますことと、
後援会を一層盛り上げていただくことを、お願いする次第です。

口上

クリック 
<市川弘太郎オフィシャルサイト>
<市川弘太郎後援会入会のご案内>

歌舞伎座の祟り

2015年02月23日 23:59

旧・歌舞伎座は、
老朽化のため2010年5月に建て替え工事を始め、2013年4月に開場しました。

世の中には、
工事に入って以降、歌舞伎界に不幸が続くので、祟りではないかと云う人がいます。

2011年の1月に、人間国宝の五代目中村富十郎さんが亡くなりました。
10月には、やはり人間国宝の七代目中村芝翫さんが亡くなりました。
2012年2月には、こちらも人間国宝の四代目中村雀右衛門さんが亡くなり、
8月には、市川染五郎さんが国立劇場の舞台で事故に遭われました。
11月には、市川段四郎さんと片岡仁左衛門さんが体調不良で休演され、
12月には、十八代目中村勘三郎さんが57歳で亡くなりました。
2013年には、柿落とし公演に出演予定だった十二代目市川團十郎さんが2月に急死され、
12月には、成駒屋の大名跡・中村歌右衛門の七代目を襲名すると発表された直後、
中村福助さんが倒れられました。

そして、昨夜報道されたように、
一昨日、十代目坂東三津五郎さんが亡くなりました。59歳という若さでした。

つまり、歌舞伎座の建て替え工事が始まって以降、
事故によるお怪我やご病気が4名、亡くなられた方が6名です。

いずれ劣らぬ大看板で、名優の誉れ高き役者さんたちですし、
歌舞伎界になくてはならない大きな柱だった方々でしたから、
祟り説が起こるのも、無理からぬことかもしれません。

人間国宝の御三人は、
80代・90代ですから、少し早かったとは思いますがそれなりのお齢です。

ところが、
十八代目中村勘三郎さん(57歳)、
十二代目市川團十郎さん(66歳)、
十代目坂東三津五郎さん(59歳)は、
平均寿命を持ち出すまでもなく、明らかに早すぎると思います。


さて、
話題を少し変え、歌舞伎役者の仕事について考えてみたいと思います。

歌舞伎の興行は、月ごとに約25日間、ほぼ毎月行われています。
それも、歌舞伎座はもとより新橋演舞場京都南座大阪松竹座では、
歌舞伎の常設小屋としてほぼ毎月のように歌舞伎興行が行われ、
それ以外にも大阪の新歌舞伎座博多座、名古屋の中日劇場
明治座三越劇場国立劇場でも歌舞伎興行が行われることがあります。
また、毎年お正月は浅草公会堂公演、夏には全国各地の公共の劇場を
3つの座組みに分かれて巡演しています。

歌舞伎役者と呼ばれる人は総勢約300人と謂われています。
日本中で約300人、世界中でも約300人しかいない小さな業界です。
その約300人が、各劇場に分かれて昼公演と夜公演を勤めているのです。

演目やお役にもよりますが、
人気役者であればあるほど、観客のご期待に応えて出番が多くなります。
飛んだり跳ねたり早替えしたり、ときには水の中に入ったり、
身体に無理強いすることも多々あるのではないかと思います。

三代目市川猿之助(現・猿翁)さんも、
2003年の博多座公演の途中で病が見つかり舞台を降板されました。
三代目が64歳の年でした。

数々の古典作品を復活させ、スーパー歌舞伎を創作し、
精力的に新しい試みに挑戦してこられた三代目猿之助さん。

主役を勤めるというだけでなく、通し狂言に拘られていましたので、
4・5時間かかる公演を、出ずっぱりで昼も夜も勤められたワケです。
毎日毎日、昼も夜もマラソンを走っているようなものだったでしょう。

八甲田山」とか「南極物語」といった映画は、
撮影が困難だったことでも、夙に有名ですが、
フィルムに焼き付けられた映像や演技は、繰り返されることはありません。

舞台は生ものです。
歌舞伎役者のお仕事が、いかに過酷なものか解るような気がします。

早世された歌舞伎役者さんたちの、ご冥福を祈ります。




最新記事