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最後の「夏の雲は忘れない」

2019年06月24日 23:59

「夏の雲は忘れない」

わたしは、演劇制作体地人会公演、
朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」の制作担当者の一人でした。

朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」は、
1985年の初演から2007年までの23年間、全国393市区町村で767回の公演を行いました。

しかし、演劇制作体地人会
主宰者の体力問題で25年余り8,000回を超える公演活動に終止符を打ち、
地人会公演の朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」も終了しました。


この、朗読劇「この子たちの夏」の創作イメージの原点は、1969年広島テレビ制作の、
「碑(いしぶみ)」というドキュメンタリー番組でした。

その番組は、
広島出身の女優・杉村春子さんが、被爆し全滅した広島二中の生徒たちの被爆体験を、
生徒の母たちがしたためた手記を基に朗読するという内容でした。

ドキュメンタリー番組「碑(いしぶみ)」は、
杉村さんの高度な朗読技術もありますが、聴き手の想像力が朗読という手法によって、
映画やテレビドラマが如何にリアルに描いたよりも生々しく迫力を持つことに気づいたのが、
朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」の創造につながったのでした。


杉村春子さんは1906年生まれでいらっしゃいますから、当時の子どもたちの母親世代ですが、
地人会公演で朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマ ナガサキ」に長年出演されていた
女優の皆さんのほとんどは、当時の子どもたちの世代でした。

この地人会公演「この子たちの夏」に出演してきた18人の女優さんたちは、
2008年に「夏の会」を立ち上げ、朗読劇「夏の雲は忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を創り、
毎年夏に全国を巡演してこられました。

しかし、戦時中子どもだった女優の皆さんも高齢となり、今年の公演・巡演が最後になってしまいました。

そこで、
きょうは、地人会公演「この子たちの夏」夏の会公演「夏の雲は忘れない」で、
35年という年月、暑さ厳しい時季にご苦労されて活動をつづけてこられた女優さんたちに
感謝と労いの言葉をかけさせていただきました。

女優の皆さま、長い間おつかれさまでございました。ありがとうございました。
そして、どうかご無事で千穐楽をお迎えになられますように!

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三谷かぶき初日

2019年06月01日 11:59

「月光露針路日本」

本日初日!

歌舞伎座「六月大歌舞伎」
夜の部 三谷かぶき「月光露針路日本」風雲児たち

今宵、船出です。

何処に如何にして到着するのでしょうか?

「誰がために憲法はある」

2019年05月16日 15:16

「誰がために憲法はある」パンフレット

きょうは、
「ポレポレ東中野」という映画館で「誰がために憲法はある」を観ました。
終映後、井上淳一監督とお話してきました。


以前、わたしが所属していた演劇制作体「地人会」は、
主宰者のプロデューサー兼演出家の木村光一さんの体調不良により、
存続できなくなり2007年10月をもって解散しました。

その地人会の活動として1985年から2007年までつづけられていた、
朗読劇「この子たちの夏」という作品があります。

母親や子供たちの被爆体験の文章を6人の女優等が朗読するという作品で
「地人会」が上演する“本公演”と、各地の有志が上演する“自主上演”とに
活動は分けられていましたが、日本各地で上演されていました。

しかし、演劇制作体「地人会」の解散により、
“本公演”も“自主上演”も上演をつづけることが出来なくなってしまいました。

なぜかと言えば、台本や演出や俳優だけが存在しても、
この作品を“制作”する母体組織が無くなってしまったためです。

演劇制作体「地人会」は、毎年夏に上演する“本公演”にしても、
一年を通して上演されていた“自主上演”にしても、
その公演に関しての全責任と事務処理を担ってきました。

それは、
その文章を書かれた、お一人おひとりの被爆された方々に対する責任でした。

この作品を創り、上演するにあたって演劇制作体「地人会」の主宰者である
木村光一さんを始め、制作メンバーは書かれた方やそのご遺族に連絡をとり、
その文章をお借りするというお約束で作品化していたのです。
いわば、その責任を担うことこそが“制作”の中心であったのです。

そこで、
その朗読劇「この子たちの夏」の制作を引き受けてくれる団体や組織を見つけ、
そこにバトンタッチをしていただくためのお手伝い、いわば運び屋を担おうと思い、
2008年9月の或る日、わたしは木村光一さんのお宅を訪ねたことがあります。

わたしの申し出た主旨を受け止めてくださった上で木村さんはこう言いました。
「この子たちの夏の使命は終わったんだよ。もし地上から核兵器を無くすため
活動をつづけたいのなら、君は君の旗を立てなさい。」

その意味で、
「この子たちの夏」に出演していた女優たちは、新たに「夏の会」という組織を創り
「夏の雲は忘れない」という朗読劇を始めていました。

2010年11月、
わたしは「二重被爆」という映画を観て、監督の稲塚秀孝さんと出逢いました。
そこで、「二重被爆」の舞台化の可能性について、ご相談を受けたのでした。

それがキッカケとなって、
木村光一さんに言われた「君の旗を立てなさい」という課題と、「二重被爆」が重なり、
具体的に“核兵器を一発でも無くすことにつながる演劇づくり”を模索するようになりました。

そして、2011年3月、そのためにアメリカに行く準備をしていたときに東日本大震災が起き、
あの忌まわしい原発事故が起こったのでした。

3月下旬、わたしはニューヨークに居ましたが、
“核兵器を無くすためにはどうしたらよいか”を模索するための旅行が、
“原子力発電所を無くせるのか”を模索する旅に変わってしまいました。

以来、
偏にわたしの才能の無さと怠慢から、“核兵器を一発でも無くすための演劇創り”は
頓挫したままです。

ですから、「この子たちの夏」から「夏の雲は忘れない」まで34年間にわたって、
夏の暑い盛りに日本各地を回って上演をつづけてこられた女優の皆さんや、
「憲法くん」「誰がために憲法はある」を創られた井上淳一監督に敬意を表します。

そして、わたしは後ろめたくて頭が上がりません。

井上淳一さん

ただ、言えることは、
わたしたちが全国各地を回っていた二十数年前は、「核兵器廃絶」を訴えていたのに、
いまは「憲法9条を護れるかどうか」が俎上に乗っていることです。

こうして見てくると、
演劇は、どれほどの役割を担ってきたのだろうという虚しさを禁じえません。

誰がために憲法はあるのでしょう?
誰がために映画はあるのでしょう?
誰のための演劇なのでしょうか?



「壁の中の妖精」

2019年05月11日 20:42

「壁の中の妖精」

Pカンパニー第27回公演
春風ひとみさんの一人ミュージカル「壁の中の妖精」を観ました。

この作品は、1993年4月から2007年8月まで、
故・木山潔さんが主宰された木山事務所の公演として上演されました。

初演時には、
作・演出の福田善之さんと春風ひとみさんが紀伊国屋演劇賞を受賞し、
各地の演劇鑑賞団体でも高評価で話題になっていた作品でした。

それなのに、
当時、地人会の制作者として忙しかったことを理由にもできますが、
偏にわたしの怠慢から未だ拝見していなかった舞台でありました。

渡辺美佐子さんの「化粧 -二幕- 」や、
小沢昭一さんの「唐来参和」という一人芝居の名作が、既に観ることができないように、
春風ひとみさんの「壁の中の妖精」を観ることは叶わないのだと勝手に思い込んでおりましたが、
図らずも観劇できて幸せでした。

あらためて、
この作品を製作された故・木山潔さんのご功績を想い出すとともに、この作品の再演を実現され、
2時間半、20数役を一人で演じられた春風ひとみさんに拍手を送りたいと思います。
そして、これからも演じつづけていただきたいと思います。


三谷かぶき

2019年04月27日 12:11

歌舞伎座「月光露針路日本」

きょうは、平成最後の土曜日であります。

もうなんでも“平成最後”なのでありますが、
その平成も残すところ3日間になりました。

そして、いよいよ令和の時代が始まります。

しかし
キーで「れいわ」と打ってもまだ「令和」と変換されません。

さて、
令和が始まる5月になると、三谷かぶきの稽古も始まります。

歌舞伎座公演「六月歌舞伎」夜の部
みなもと太郎 原作、三谷幸喜 作・演出

三谷かぶき
「月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと)」風雲児たち


小さいときから三谷幸喜ファンであった弘太郎も出演いたします。



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