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森崎東監督と「黒木太郎の愛と冒険」

2020年07月18日 10:58

黒木太郎の愛と冒険

森崎東監督が亡くなられた。

森崎監督の作品に、
黒木太郎の愛と冒険」という映画がある。

1977年のATG映画だが、主演は田中邦衛
財津一郎倍賞美津子伴淳三郎清川虹子沖山秀子小沢昭一
三國連太郎緑魔子杉本美樹岡本喜八火野正平殿山泰司井川比佐志・・・

錚々たるキャストだが、その中にかみさんの亡くなった従姉もいる。
彼女が24歳の年のときだったはずだ。

さて、
黒木太郎の愛と冒険」という映画のタイトルから、
松竹の喜劇映画のようなものを想像するかもしれないが、
実は戦争への憎悪と絶望的な憤怒のメッセージが込められた映画だ。

ふざけたようなお気楽なタイトルこそ、
当時の世相に対する作者の挑発だったのかもしれない。

そして、
森崎東監督の実の兄上・森崎湊氏は終戦直後に割腹自殺している。
その兄上が遺された『遺書』という本が、映画のなかに登場する。

その『遺書』という本を出版したのが、
義父の兄で出演していた従姉の父である伯父が経営していた出版社だ。

森崎東監督を語るのに、「黒木太郎の愛と冒険」は避けられないと思う。

合掌

遺書



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加藤剛さんを偲ぶ

2020年06月18日 10:52

加藤剛さん

早いもので二年、三回忌です。

舞台俳優でもあられましたが、銀幕に映った数々のお姿が偲ばれます。

小林正樹監督作品「上意討ち 拝領妻始末
野村芳太郎監督作品「砂の器
むぅむぅ(義父)が製作した今井正監督作品「子育てごっこ
木下惠介監督作品「新・喜びも悲しみも幾歳月

そして、
わたしにとって最も印象的で加藤剛さん以外のキャスティングを思いつかない、
石井裕也監督作品「舟を編む」の国語学者。

このコロナ禍のなか、あらためて観たくなります。

合掌



「キネマの神様」

2020年06月16日 19:51

キネマの神様

或る人から、小説「キネマの神様」の著者である原田マハさんは、
むかし文芸坐で、もぎりのアルバイトをしていたと教えてもらった。

「シネマの神様」は、
志村けんさんが主演するはずだった山田洋次監督作品の原作で、
主演が沢田研二さんに交代したことくらいしか認識がなかった。

原田マハさんの文芸坐のエピソードは、
「キネマの神様」の文庫の解説で女優の片桐はいりさんが記している。

その片桐はいりさんもむかし、
文芸坐の女性トイレで男性と間違われてトイレの“個室”に籠城した、
そんなエピソードをカミングアウトしていらっしゃる。


そこで、
きょう書店が開くと同時に「キネマの神様」を買い求めて読んでみた。

なるほどご本人が、
「限りなく私小説に近く、物語の3割ほどは実体験に基づいたものであり、
残りの7割はファンタジー風だが、自分の人生がこんな感じになればいいな
という願望を込めた」とおっしゃっているのが解かる。

映画、とりわけ映画館を生業としていた家族を持つ身としては、
登場人物たちの心情に相槌を打つことが多かった。

原田マハさんによる、映画へのリスペクトとオマージュに溢れた小説だ。

だが「キネマの神様」は、
映画に魅せられ、映画によって人生を豊かにした人たちの物語なのだが、
映画とはノスタルジーだけではない。

映画は、常に“現在”を切り取るものでもあるからだ。
その時代、その世界を切り取ってフィルムに焼き付けたものでもあるのだ。

その意味では、
これまでも、いまも、これからも、伝説の映画は創られつづけていくだろう。

それにしても、羨ましい。
演劇はで「キネマの神様」のような物語は描けない。消えてしまうからだ。


男はつらいよ 50

2019年09月14日 16:05



「男はつらいよ」シリーズを批判する向きがある。
それも尤もだろう。

思えば、
設定といい寅次郎の性格といい毎度の展開といい、ツッコミ所は随所にある。


しかし、
そんな非現実的な設定や性格やストーリーであっても、盆休みと正月休みに、
この映画を楽しみに観てくれた国民の笑いと涙で真のリアリティーをもった。

その時代その時代、その社会その世の中でせっせと生きてきた国民が、
リアルに感じながら、寅次郎の失恋に泣き、寅次郎の言葉に元気づけられ、
寅次郎に笑ったのだ。

いまだって、
寅次郎に話を聴いてほしい人はいるんじゃないか?
寅次郎の前で大声で泣きたい人もいるんじゃないか?

それでも、
明日を信じたほうがいいんだということを再確認したい、
そんな人もいるんじゃないかしら?

現実の世界に車寅次郎はいない。
だが、日本人のこころの中に車寅次郎は生きている。

2019年12月27日(金)公開 「男はつらいよ50 お帰り寅さん」


「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」

2019年08月11日 17:01

「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」

きょうは、調布文化会館で上映された、
記録映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」を観てきた。


帰りの電車の中で想いを巡らせていた。

記録文学、小説、詩、短歌、絵画、彫刻、舞台劇、朗読劇、映画、記録映画、
様々な様式によって描かれてきた戦争や被ばく体験・・・。


わたしは何百回も上演してきたけれど核兵器を一発も減らせなかった。
そう言った演劇人がいる。

作品創りを続けているだけで、
平和のためにナニかいいことをやっていると勘違いしてしまうかもしれない。
そう言って自身を戒めた演劇人もいる。


特攻隊や戦闘が描かれると、観客の中に同化作用が起きることがある。
だから、特攻隊が描かれていると物語を美化しているという批判が起きる。

ドラマとして描かれた映像や舞台には想像力の限界があるが、
記録映像や朗読には想像力を高める効果があると言われることがある。

そんななかで、創り手は試行錯誤を繰り返しながら、
なぜその作品を創るのかを自問自答し葛藤しながら、創りつづけている。

誰が、誰の作品を批判しようが肯定しようが、作品の良し悪しを測る秤はない。
だから、その作品を創ろうとしする動機の方向性のみに、わたしは興味をもつ。

それでも、戦の準備をしようとする者、戦争をしようとする者たちを止められない。

忸怩たる想いで、
反戦・平和の作品を創り創ろうとする人たちを、一体ダレが批判できるだろう。


電車の中で、そんなことを想いながら、
現在は、作品を観ることしかできない自分の不甲斐なさを感じている。





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