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男はつらいよ 50

2019年09月14日 16:05



「男はつらいよ」シリーズを批判する向きがある。
それも尤もだろう。

思えば、
設定といい寅次郎の性格といい毎度の展開といい、ツッコミ所は随所にある。


しかし、
そんな非現実的な設定や性格やストーリーであっても、盆休みと正月休みに、
この映画を楽しみに観てくれた国民の笑いと涙で真のリアリティーをもった。

その時代その時代、その社会その世の中でせっせと生きてきた国民が、
リアルに感じながら、寅次郎の失恋に泣き、寅次郎の言葉に元気づけられ、
寅次郎に笑ったのだ。

いまだって、
寅次郎に話を聴いてほしい人はいるんじゃないか?
寅次郎の前で大声で泣きたい人もいるんじゃないか?

それでも、
明日を信じたほうがいいんだということを再確認したい、
そんな人もいるんじゃないかしら?

現実の世界に車寅次郎はいない。
だが、日本人のこころの中に車寅次郎は生きている。

2019年12月27日(金)公開 「男はつらいよ50 お帰り寅さん」


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「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」

2019年08月11日 17:01

「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」

きょうは、調布文化会館で上映された、
記録映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」を観てきた。


帰りの電車の中で想いを巡らせていた。

記録文学、小説、詩、短歌、絵画、彫刻、舞台劇、朗読劇、映画、記録映画、
様々な様式によって描かれてきた戦争や被ばく体験・・・。


わたしは何百回も上演してきたけれど核兵器を一発も減らせなかった。
そう言った演劇人がいる。

作品創りを続けているだけで、
平和のためにナニかいいことをやっていると勘違いしてしまうかもしれない。
そう言って自身を戒めた演劇人もいる。


特攻隊や戦闘が描かれると、観客の中に同化作用が起きることがある。
だから、特攻隊が描かれていると物語を美化しているという批判が起きる。

ドラマとして描かれた映像や舞台には想像力の限界があるが、
記録映像や朗読には想像力を高める効果があると言われることがある。

そんななかで、創り手は試行錯誤を繰り返しながら、
なぜその作品を創るのかを自問自答し葛藤しながら、創りつづけている。

誰が、誰の作品を批判しようが肯定しようが、作品の良し悪しを測る秤はない。
だから、その作品を創ろうとしする動機の方向性のみに、わたしは興味をもつ。

それでも、戦の準備をしようとする者、戦争をしようとする者たちを止められない。

忸怩たる想いで、
反戦・平和の作品を創り創ろうとする人たちを、一体ダレが批判できるだろう。


電車の中で、そんなことを想いながら、
現在は、作品を観ることしかできない自分の不甲斐なさを感じている。



プロパガンダ

2019年07月30日 23:59

「新聞記者」という映画は、既にわたしも観たが、
現政権を俎上にのせた心意気と話題性は認める。

だが、映画として、或いは社会派作品として、
それほど突出したものはないと思っていた。

だから、
このタイミングでこれを創るかという企画性と、
話題性を除いたら、観なかったと思われる。

それが、
イオンと野党と東京新聞がバックアップした
映画だと気づいた。

ご存知、岡田三兄弟だ。

岡田君は、息子の親しい友人でもあるから、
他意はないけど、映画が宗教の宣伝だったり、
政治的プロパガンダだったりすると、興醒めだ。

勿論、プロパガンダがいけないわけではない。
世の中は、プロパガンダで溢れている。

コマーシャルがそうだし、テレビの創り方もそうだ。

だから、メディア・リテラシーというのは困難だ。

それだから、映画にだけそれを期待するのも、
根拠はなかったワケだ。

しかし、
あらためてプロパガンダだと思って観てしまうと、
ガッカリしてしまうのは、なんでだろう?

無意識に映画に何を求めているんだろう?

今度の日曜日

2019年07月18日 11:25

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今度の日曜日、7月21日(日)、
池袋の数か所の会場で、毎年恒例の「東京フラフェスタin池袋2019」が催されます。
例によって、かみさんとフラの生徒さんたちも出演します。

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また日曜日は、
これまた恒例の、うちのメロンパンの店も出店する「飛鳥山マルシェ」が催されます。

参議院選挙

でも、まずは参議院選挙の投票に行って、
7月21日(日)18時からHUMAXシネマ池袋で上映される
稲塚秀孝監督作品「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」をご覧ください。

最後の二重被爆者東京特別上映会チラシ

最後の二重被爆者 チラシ裏


「金子文子と朴烈」

2019年05月13日 23:59

「金子文子と朴烈」

例によって、映画・演劇・料理の感想や評論は書かない。

感想は十人十色である。

それを生業にしているワケでもないし、
感想は自分のものであって他人には役立たないと思うからだ。

映画「金子文子と朴烈」を観た。
そこで、感想ではなく、思い出したことを記そうと思う。


この映画の背景となっている時代に関東大震災が起こったとき、我が師・千田是也は19歳だった。

この「千田是也」という名は、謂わば芸名で本名は「伊藤圀夫」という。
千田是也」は「センダコレヤ」と呼ばれているが、ホントは「コレナリ」。

ただ、その芸名を付けたエピソードと関東大震災が関係していることは、
学生時代から知っていたことだったのだが、その真意は知らなかった。

千田是也(伊藤圀夫)は、
「千駄ヶ谷」で「コリアン」に間違えられて日本人に虐殺されそうになった。

そのドジな出来事を自虐的に捉えて芸名を付けたのだろう位に思っていたのだが、
それは、師にとっては事件を忘れられない自戒の名だったのだ。

「自分も加害者側にいた」という思いだ。

そのことを初めて知ったのは、
千田先生から直接聴いたのかNHKのドキュメンタリー番組だったのかよく憶えていないが、
「加害者側にいたから」という説明は、わたしにとって衝撃的だった。

千田是也は、
関東大震災が起きたとき、朝鮮人が日ごろの恨みで日本人を襲撃しているとか、
井戸に毒を投げ込んだり、通りで避難民に毒まんじゅうを配ったりしているとか
そんなデマを信じてしまった。

軍隊が朝鮮人の集団と交戦中だという話も聞こえてきた。

そこで、家に有った刀を持ち出して家の警備についていのたが、
ただ待つのも不安で自ら朝鮮人を狩りに友人と出掛けたのだった。

それだけ、
“朝鮮人に恨まれている”ということにリアリティーがあったからだろう。

ところが、
千駄ヶ谷駅近くの線路の土手を登ってゆくと、自身が自警団に朝鮮人と間違えられ、
取り囲まれて暴行され、もう少しで殺されそうになった。

幸い、我が師のことを知っている人がいて間違いだと解かってもらうことができたが、
間違えられて死亡した日本人も大勢いたことや、朝鮮人の多くが理不尽に虐殺された事実を知るに至り、
自身が助かったことよりも、自身が「加害者の側にいた」ことを忘れないで戒めるために「千田是也」と名付けたのだ。

あの千田先生でさえ加害者側に立ってしまうという時代や集団心理の恐ろしさを思う。

思えば、千田演劇のキーワードは、
「物事の本質を惑わされずに自ら見極めるために演劇は存在する」と定義できるかもしれない。



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