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ボチボチ いきヨ

2019年08月14日 11:30

絵はがき

むかし、或るテレビドラマの方言指導をやったことがあります。

浜松の言葉(遠州弁)を年配の男性俳優に指導したのですが、
若い頃から、江戸弁も大阪弁も流暢に使われる俳優でしたが、
浜松の言葉にはご苦労されました。

“指導”などと言うのはおこがましいのですが、
言葉をいじる作業というのは、俳優の役作りに触れてしまうのです。

そのセリフを指導することは、
イントネーションを直すだけでなく、セリフのニュアンスを伝えること、
延いては、その人物の性格や気質などを創ることに関わるのです。

したがって方言指導が、
その俳優の役作りとバッティングしてしまう場合があるわけです。


さて、
徳島の叔母が描いた絵ハガキをもらいました。
徳島弁が一言書いてあったりします。

「ほなけんど」
意味はお判りですか?

「だけどね」「だからね」みたいな意味でしょう。

「ほなけんゆうたでぇ」と言えば、「だから言ったでしょ」、
前に「ほれみーだ」が付けば「だから言ったじゃねーか」という感じ。

「ほれみーだ」は、「それみたことか」という意味です。

極め付けは「あるでないで」

どういう意味だと思われますか?
「あるの?ないの?」ではありません。

「あるじゃないの」です。

但し、コレ意味を伝えただけではニュアンスは伝わりません。
一言の中に、独特の徳島県人の性格・気質がにじみ出ているのです。


ボチボチ いきヨ


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御霊前

2019年08月10日 12:44

御霊前

我が三浦家のご先祖さまである祖父は浄土真宗の寺で育ち、
自らも浄土真宗の信徒でしたが、墓は曹洞宗の寺に在ります。

その浄土真宗では、
香典袋の表書きに「御霊前」とは書かない慣わしなのだそうです。

浄土真宗は仏教の縁起の教えに従い、
「霊魂の不滅」や「輪廻転生」といった考えを採っていないからです。

したがって、
浄土真宗信徒のご葬儀に持参する不祝儀袋、香典袋の表書きは、
「御仏前」ないし「御香典」とお書きになるのが適当なのだそうですよ。

とは言っても、
一般的には宗派の違いによらず、お通夜・告別式には「御霊前」、
七七日忌法要(四十九日)から故人が「仏」になったという意味で、
それ以降の法要では「御仏前」だと思われております。

したがって、
わたしも「御霊前」と「御仏前」の表書きを使い分けておりますが、
近頃「御霊前」の不祝儀袋の減りが早いこと・・・。

昨日は、日本一地価が高いと評判の銀座「鳩居堂」のギャラリーで、
友人が書道展に書を出展していると知ったので観に行ったついでに、
鳩居堂で不祝儀袋を購入しましたが、「御仏前」は余っている?ので、
「御霊前」の袋ばかりを買ってきました。


一期一会

2019年05月31日 23:08

CIMG5622.jpg

昨日も、
わたしの生涯で出逢った貴重なお一人のことを記しました。

その方のお通夜をお手伝いしながら、
その方と、生前どれほど言葉を交わしただろうかと考えました。
二人だけで直接言葉を交わした記憶がなかったからです。

印象に残っているのは、
すべてフェイスブックでやりとりした「いいね!」やメッセージです。
それなのに、貴重だったと思えるから出逢いとは不思議です。


さて、
きょうは、去年3月のメロンパン店開店当時から働いてくださっていた、
Tちゃんが、ご主人のお仕事の都合で関西に引っ越されることになり、
当店を退職されるので、その送別会を催しました。

場所は、店長が“当店の会議室”と位置付けている十条の居酒屋「源」。


「一期一会」という言葉がありますが、
ご縁とは一生涯にただ一度めぐり逢うかどうかわからぬほどの機会だという訓え。

Tちゃんに出逢えたことと、支えてもらったことに感謝した送別会でした。


「和」

2019年04月02日 20:58

御祖父さんの「和」

賛否両論が、喧しい。

いいかげんにしてほしい。

天皇制に批判的立場もあるだろう。
肯定的な気持ちをもつ人たちもいるだろう。

それぞれの人たちにとって、
“郵便ポストが赤い”のも、“電信柱が高いのも”
状態になっていやしないか?

想像していたとおり、
発表し説明した為政者に対するアレルギーだって、
あるだろう。

でも、
「令」にも、「和」にも、よい意味はあるよ。


なにも、
ダレかにナニかを命令されたワケじゃあない。
次の時代を、わたしたちが創っていけばいい。

時代は、
「字」じゃなくて、自分たちで創ってゆくものだろう。

和子、和歌子、和枝、和代、和彦、大和、秀和・・・、
それにしても、「和」って、いい字だよね。


ごうぐみ

2019年03月30日 09:51

ごうぐみ

次はどんな元号なのかと喧しい。

いよいよ、
明後日4月1日に政府によって発表される新・元号

「安倍(あんばい)」なんていう冗談もあれば、
「安久(あんきゅう)」、「安永(あんえい)」など、
「安」の字が使われるのではないかという尤もらしい説もある。

もうこの時点で「安」の付く元号の可能性はないだろうが、
ことほど左様に、次の元号がみな気になるらしい。

しかし、
北海道のブレンド米じゃないが、
中身がいいものなら名前なんかひどくてもいいんじゃないか?

いっそ、「合組(ごうぐみ)」なんて、
国民が皆で力を合わせようよという意味で、いいんじゃね?


しかし、
こんな記事をしたためながらも、基本的には、あまり新・元号に興味はない。

元号で気になっていることは二点。

「平成」の場合、昭和54年(1979年)に成立した元号法を受けて、
安岡正篤さんや宇野清一東大名誉教授ら4人に考案が委嘱され、
安岡正篤さんが「平成」、宇野さんが「正化」などの案を提出したが、
安岡正篤さんが亡くなって、物故者の“案”は無くなったはずだった。

それが、
なぜ東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎さんの“案”として、
「平成」と決まったのかということ。

山本達郎さんは、
安岡正篤さんの「平成・案」をご存知なかったのかご存知だったのか。
いつか、公表される日が新・元号の時代にあるのだろうか?

もう一点は、
官房長官が発表し総理が説明する新・元号が、
どのような意味合いをこめられていたとしても、
国民の共感を呼び、支持されるだろうかという点。

新たな時代、国民がその中身を創ってゆくしかないのだと思う。



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