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毅然として

2019年01月10日 18:35

朝貢(ちょうこう)、コウモリ、二元、弱腰、スタンプラリー、ATM、
キャッシュディスペンサー、小切手、対米追随、微笑み、etc.

これ等に共通する言葉は何かお判りになるでしょうか?

そう!「外交」であります。

これ等の言葉に
「外交」をつけて熟語にすると、ほとんどが揶揄した言葉になります。

事ほど左様に、
外交とは、どうやっても揶揄され批判されやすいものであるようです。

批判は、
国外から向かってくることもありますが、国内から起こることもあります。

きょう、隣の国の大統領から「日本はもっと謙虚な態度をとるべきた」と
言及があったという報道がありました。

わたしも流石にイラッとしましたが、イライラしては外交は務まりません。

理不尽だと思える言及や要求に対して、よく「毅然とした態度で臨め」
と言う人がいます。

さて、
昔々の中国の陽明学者・崔後渠(さいこうきょ)に影響を受けたと思われる
良寛和尚の「六然(りくぜん)」という人生訓があります。

それには、
チョウゼン
超然として天にまかせ
ユウゼン
悠然として理知を楽しむ
ゲンゼン
厳然として自らを慎み
アイゼン
靄然として人に接す
キゼン
毅然として節を持し
タイゼン
泰然として難に処す

とあります。

「毅然とした態度」というのは、
頑固な態度や高圧的な態度を指しているワケではありません。

「節を持している」の意味は「信念や志を貫いて守る」ことです。

「謙虚な態度」で「毅然として」いればいいのではないでしょうか?





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時短

2018年12月27日 18:09

最近よく使われるようになった言葉の問題です。

「勤務」、「家事」、「メイク」、「家電」、「レシピ」
といった言葉などに共通する形容詞は何?

そう!「時短」です。

時短勤務、時短家事、時短メイク、時短家電、時短レシピ(時短料理)

「時短」とは「時間短縮」の意味ですが、本来は「労働時間短縮」のこと。
労働基準法第32条で週40時間労働制が企業に課せられたことに始まります。

使用者は、労働者に休憩時間を除き1週間について40時間を超えて労働させてはならない。
使用者は、1週間の各日については労働者に休憩時間を除き1日について8時間を超えて労働させてはならない。


ところが、
この「時短」が独り歩きし出した感があり、なんでもかんでも「時短」が流行るようになりました。

時短野菜

スーパーへ行けば、時短料理を実現できる商品が数多く並んでいます。

サラダでも、例えば20種類の野菜が切って混ぜてある商品があって、
袋から器に取り出してドレッシングをかければ、一品出来上がりです。
炒め野菜でも煮物でも同様です。

確かに20種類の野菜を買って来て、それらすべてを切って作るとなれば大変です。
その意味でいえば、割高感も薄れるというものでしょう。

フルタイムで仕事をして子育てや介護をしている人たちにとっては便利な商品ですが、
時間やゆとりがある人たちにも人気があるというのは、どういった傾向でしょうか?

わたしも、
便利だから、つい買ってしまいますが、時短で生み出した時間でなにをやっているのでしょう?
なんでも時短・時短だと、人生そのものが時短になっちゃいませんかねぇ・・・?



平成30年天皇誕生日

2018年12月23日 17:48

天皇陛下のお言葉

天皇陛下が、
本日満85歳のお誕生日をお迎えになられるにあたり、
国民に向けてお言葉を述べられました。

以下のとおり、
全文を宮内庁のホームページから転載させていただきました。

思いやり” と “人の考えていることを忖度できる能力”、
この日本国民の特性を活かして、陛下のお言葉を胸に刻みたいと思います。

天皇陛下ご近影

<天皇陛下のお言葉>

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉えんを迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵どしています。

そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来じらいこの伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労ねぎらいたく思います。

そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。


天皇皇后両陛下



儒教の教え

2018年12月07日 17:46

孔子といえば「儒教」の始祖である思想家です。

孔子といえば「論語」と思われるでしょうが、
論語」は孔子が亡くなってから、弟子たちがまとめた孔子の語録集です。

その孔子も、
中国の文化大革命の時代には封建的な思想家だと批判されました。

儒教仁、義、礼、智、信という五つの徳目から成るのですが、
その中の「礼」は、祖先崇拝や家父長制を軸とした身分制度を基にしていたからです。

文化大革命時代の中国共産党は特別だとしても、
中国を始め朝鮮・韓国もモンゴルも台湾、そして古くから日本にも影響を与えました。
なんでも、論語儒教が日本に伝来したのは仏教伝来よりも早かったのだそうです。


ですから、日本人のメンタリティーにも深く影響を与えている儒教ですが、
仁、義、礼、智、信の中の「礼」だけが突出して影響を及ぼしていたことが、
歴史から垣間見えます。

社会秩序や身分制度を維持するための道徳的な規範でもあった「礼」の考え方は、
歴史上ほとんどの統治・政治体制や戦略が基にしていたのではないでしょうか?

身分制度身分差別家父長制家督相続家制度年功序列etc.


ところで、去年の今頃、横綱から暴行を受けて被害者だった相撲取りが、
付け人に暴行した加害者としての責任をとって相撲取りを引退しました。

わたしも儒教の教えについて深く知識っているワケではありませんが、
現代人は「礼」について捉えなおしたほうがいいのではないでしょうか?

それと、他の「仁」「義」「智」「信」については、もっと勉強すべきでしょう。

3年間で69人の外国人技能実習生が死亡する国が、入管難民法を改正して、
外国人労働者の受け入れを拡大させようとしています。

外国の「労働力」が入国して来るのではありません。
儒教の教えを知る国の「人間」が入国して来るのですから。


報酬比例部分

2018年10月10日 23:59

年金

年金の請求をするようにという書類が届きました。

年金は、
65歳になってから支給されるのかと思っていたら、
わたしの場合(昭和31年12月生まれの男性)には、
62歳から「報酬比例部分」が支給されるのだそうです。

そこで、池袋の年金事務所に相談に行ってきました。

報酬比例部分」というのはわたしの場合、
62歳から65歳までの間に受け取ることができる老齢厚生年金の内、
在職中の給料に比例して支給される“部分”のことだそうです。

その“部分”は、
支払われた給料が高ければ高いほど、加入期間が長ければ長いほど
年金額が多くなりますが、65歳からは「老齢厚生年金」として支給されます。

この「報酬比例部分」は、
あとから請求できないのだそうですから、わたしの場合は、
満62歳になる12月の誕生日以降請求することになります。


それにしても、
年金を請求して支給される年になっちゃいましたか・・・。





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