グリーフケア

2017年05月23日 18:19

トキワツユクサ


会うは別れの始め」という諺がありますよね。

これは、
生者必滅会者定離(しょうじゃひつめつえしゃじょうり)」
というお経の一文から生まれた諺だそうです。

「生まれた者は死に、会う者は離れる定めにある」と言っています。

この現実の世界が、いつまでも変わらずに永遠に続くということはありません。
親子でも、夫婦でも、友人でも、いずれは互いの別れの時が必ずやってきます。

つまり、諸行無常であります。


先日、何か月間もペットロスを抱えている友人と会いました。
会えるまでに何か月もかかりました。

大切な存在がいなくなったら、どうなるか?
わたしたちにとっても、誰にとっても他人事ではありません。

早く元気をとり戻さなくちゃ・・・。
考えても仕方がないのだから、思い出さないようにしなくちゃ・・・。
早く忘れなくちゃ・・・。
明るく笑って生きていかなくちゃ・・・。

そんな葛藤がつづき、
“なくちゃ、なくちゃ!”と自身を励まして疲れ果ててしまうのでしょう。

だから、
頑張らないでいいと、思います。

どっぷり悲しみに浸ればいいと思います。
悲しみが、貴方を癒してくれると思います。


先日、突然亡くなった人がいます。
古くからの友人たちは、それぞれのやり方で悲しもうとしています。

3日前、最愛の奥さんを病で亡くした先輩がいます。
先輩は、昨日その報告をFacebookに載せました。

まだ、
どう悲しんでよいのかさえ分からない状況なのではないでしょうか。

いまは、
わたしたちが会える状況かどうかも分かりません。
わたしたち夫婦で先輩と会うことだって躊躇われます。

いつか、先輩が話せるようになるまで、見守っていたいと思っています。


スポンサーサイト

和解と寛容

2016年12月28日 23:59

わたしは、
上げ足を取ったり、水を注したりするつもりはありません。

歴史的な慰霊であり、感慨深いスピーチだったと思っています。

同じように、あの場に立った者として、
そのスピーチの内容にも大いに同意するものです。

そして、
あの場に行ってみれば、日米どちらの国民であったとしても、
多分、みな同じことを思うでしょう。

但し、雄弁なスピーチの美辞麗句だけに囚われるのは危険です。

なぜなら、
勇ましい美辞麗句によって、75年前に戦が始まったのであり、
憎しみの美辞麗句によって、報復が始まったのですから。

そしていまでも、
シリアでは、アメリカとロシアの代理戦争が進行中であり、
多くの子供や女性や老人を含む無辜(むこ)の民が亡くなっている現実があります。
また、次期アメリカ大統領は、核能力を強化する必要を説いています。

我が国の沖縄では、
日米地位協定の変更もされないまま、オスプレイが再び飛行を再開し、
辺野古の工事も再開されています。

これが、
本当の「和解と寛容」の姿でしょうか?

きょうの、総理のスピーチの全文を載せさせていただき、
あらためて、これらのことについて考えてみたいと思います。



オバマ大統領、ハリス司令官、ご列席の皆さま、そして、全ての、米国民の皆さま。
パールハーバー、真珠湾に、今私は、日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。
降り注ぐ陽の、柔らかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
私の後ろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
あの、慰霊の場を、オバマ大統領と共に訪れました。

そこは、私に、沈黙を促す場所でした。亡くなった、軍人たちの名が、記されています。
祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、
さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、
あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いた時、紅蓮の炎の中で、死んでいった。

75年が経った今も、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。
耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。

あの日、日曜の朝の、明るくくつろいだ、弾む会話の声。
自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。
最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。
愛する妻や、恋人がいた。成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。
それら、全ての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実をかみしめる時、私は、言葉を失います。

そのみ霊よ、安らかなれ-。
思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。

オバマ大統領、米国民の皆さん、世界の、さまざまな国の皆さま。
私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々のみ霊に、
ここから始まった戦いが奪った、全ての勇者たちの命に、
戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜(むこ)の民の魂に、
永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます。

戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。私たちは、そう誓いました。
そして戦後、自由で民主的な国を造り上げ、法の支配を重んじ、
ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、
この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、米国民の皆さまに、世界の人々に、
固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。

昨日、私は、カネオヘの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのを諦め、引き返し、戦死した、
戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。
攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。死者の、勇気をたたえ、石碑を建ててくれた。
碑には、祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め、
「日本帝国海軍大尉(だいい)」と当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave. 「勇者は、勇者を敬う」。

アンブローズ・ビアスの、詩は言います。
戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。
そこにあるのは、米国民の、寛容の心です。

戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、
食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、米国民でありました。
皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。

そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。
米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差し伸べられた、こうした皆さんの善意と支援の手、
その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。
私たちも、覚えています。子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。

オバマ大統領と共に訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
 「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。
 「永続する平和を、われわれ全ての間に打ち立て、大切に守る任務を、やり遂げる」。
エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。

私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、
改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
あの「パールハーバー」から75年。
歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。
それは、今までにも増して、世界を覆う幾多の困難に、共に立ち向かう同盟です。
あすを開く、「希望の同盟」です。

私たちを結び付けたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領と共に、世界の人々に対して訴えたいもの。
それは、この、和解の力です。戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。
憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
 
寛容の心、和解の力を、世界は今、今こそ、必要としています。
憎悪を消し去り、共通の価値の下、友情と、信頼を育てた日米は、
今、今こそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。
日本と米国の同盟は、だからこそ、「希望の同盟」なのです。

私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。
パールハーバー。真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。

私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さん米国人の子どもたちが、
またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、
パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います。
そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。
オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。ありがとうございました。
(2016/12/28)

インフォームド・コンセント

2016年12月27日 18:22

わたしは、
むかし、ホームヘルパー2級の資格を取得したことがあります。

その学習・研修期間を通じて何度も聴いた言葉が、
QOL」つまり「クオリティ・オブ・ライフ(quality of life)」です。

介護や看護におけるベースとなる概念であり考え方です。

講師は、口が酸っぱくなるほどこの言葉を繰り返し、
わたしは、耳にタコができるほど聴いた言葉でした。

それには、単に“快適な環境を提供してあげましょうね”というよりは、
“その人らしい生き方を模索”することから始まる、利用者に向き合う姿勢が重要です。

なぜならば、その人の人生は、その人のものだからです。

同じく、
医療分野には、「インフォームド・コンセント」という概念があります。

これもまた、その人の人生はその人のものなのですから、
患者や患者の家族への「説明」と「合意」と「決定」を尊重した考え方に立っています。


この「QOL」と「インフォームド・コンセント」は、
医療従事者であれば、イロハのイとして習ったことでしょう。

しかし、
実際には、このイロハが徹底していないどころか、
高齢者の場合は軽んじられているように思います。

その背景には、
「医師の方が患者や患者の家族よりも判断が適切だ」という自惚れや、
「高齢者は難しい話が解らないだろう」、「高齢者は認知機能が下がっている」、
「高齢者は痛みに鈍い」、「高齢者は判断力が劣っている」といった偏見や、
医師の優位性意識が垣間見えます。


さて、今からわたしの家族に云っておこうと思うのですが、
もしわたしが病に倒れたら、それが終末期だったとしても、
必ず正確な病状と治療の選択肢とそのリスクを説明してくれる医師に掛かりたいと思います。

そして、全てを理解し、全てを自ら決定したいと思っています。
そこのところ、ヨロシク!




とんでもない

2016年12月09日 19:57

某・乳製品の会社の制服を着た青年が、インターフォンを鳴らしました。

インフルエンザの季節ですから、定期購入しませんかと、
自社製品のヨーグルトを勧めるために個別訪問していたようです。

その製品を見て、「それ、時々飲んでますよ」と伝えたら、
青年は「ホントっスか!?」と喜んだのですが、定期購入は断りました。

さて、
この「ホントですか!?」

若い人たちに顕著な言葉遣いでありますが、わたしの耳には障ります。

「ウソ!?」と云われるよりいいでしょうが、こんな場合なにか不適切な気がします。


さて、
かみさんが電話で話していて、「とんでもありません」を連発することがあります。

いまや、
市民権を得たかのような「とんでもありません」「とんでもございません」ですが、
やはり気になっています。

「とんでもない」の「ない」の代わりに、
丁寧に云うつもりで「ありません」や「ございません」を付け足しているつもりでしょうが、
「とんでもない」で一語ですから、正しく云うなら「とんでもないことでございます」、
或いは「とんでもないです」でしょう。

わたしは、「とんでもない」とだけ申しますが・・。

それより、
最近「~してもらっていいですか?」「~ってもらっていいですか?」という、
こんな言い回しをする人が増えました。

お互いの関係にもよりますが、
いんぎん無礼な感じがして、どうにも違和感や不快感を感じてしまう言い回しです。

だって、「もらって」や「いい」は、丁寧でも敬語でもありませんからね。
本来は「~していただいてもよろしいですか?」「~っていただけますか?」
といったところでしょう。

少なくとも、
誤用であっても「とんでもありません」のように、丁寧に伝えようという配慮を感じません。


「そんなに、言葉遣いをいちいち注意しないでもらっていいですか?」

「とんでも八分、歩いて十分! 

「鬼の十則」の呪い

2016年11月12日 19:35

“広告界のガリバー”と謂われ、
我が国一番であるのみならず、世界最大の売り上げを誇る広告代理店。

その広告代理店の“広告の鬼”と呼ばれた伝説的な経営者が示したという、
鬼の十則」という規範が、最近“話題”になっています。

この“広告の鬼”が、
第4代社長に就任し「鬼の十則」を示したのは昭和26年のことでした。

敗戦と戦後の混乱期を経て、昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が起きましたが、
翌・昭和26年(1951年)という年には、サンフランシスコ講和条約が結ばれ、
連合国による日本の占領が終わり、日本に平和が訪れようとしていました。

朝鮮戦争による軍需景気を背景にしながら、そんな朝鮮半島の戦争を尻目に、
経済成長という日の出を迎えようとしていた時代に、「鬼の十則」は示されたのです。

それは、“広告の鬼”にとっては、
戦争で焼け野原となった日本を再興するための戦後処理の一貫であり、
敗戦から立ち上がろうとした戦前派・戦中派共通の志だったでしょう。

このようにして、
戦争に敗け、生き残った人々が志を高くして生きてきたのもまた事実です。
そう思って読めば、その意志が伝わってきます。

【鬼の十則】
・仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
・仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
・大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
・難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
・取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
・周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
・計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
・自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
・頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
・摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

わたしたちは、このような先達を父に持ち、祖父に持って生きてきました。
そして、その訓えは或る時代にとっては貴重で有効なものだったでしょう。

しかし、
右肩上がりの経済成長の時代は終わり、石油ショックのようなグローバルな状況を経験し、
バブル景気に踊り、バブル崩壊リーマンショックトランプ大統領の誕生など、
“まさか”ということが起きる先行き不透明な時代にあって、貴方は・・・、
この「鬼の十則」を読んで、どう思われたでしょうか?

わたしの父は、“広告の鬼”ならぬ“みかんの鬼”でした。
わたしたちの世代は、この“鬼”たちの影響を受けて生きてきましたよね。
“鬼の挫折”を知り、“鬼の夢”を聴き、“鬼の意志”を継ぐつもりで生きてきました。
しかし、そろそろ、そんな“鬼の呪い”から醒める時代が来たのかもしれませんね。

併せて、
1970年代に、その広告代理店グループが提唱したという、
戦略十訓」もご紹介しましょうか。

【戦略十訓】
・もっと使わせろ
・捨てさせろ
・無駄使いさせろ
・季節を忘れさせろ
・贈り物をさせろ
・組み合わせで買わせろ
・きっかけを投じろ
・流行遅れにさせろ
・気安く買わせろ
・混乱をつくり出せ


この人吉田秀雄




最新記事