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リアリティーショーとブルーインパレス

2020年05月31日 10:57

ヤクザ映画を観た人が、なんとなく影響されて映画館を出てくるという話は有名だ。

同様のことは戦争映画でもアクション映画でも起こる。

それはテレビでも舞台でも起こるのだが、
フィクションを本気(マジ)に受け取る人、本当(ガチ)だと思う人はいる。

これを同化作用と言う。

アリストテレスは、
演劇で観客は感情を揺さぶられカタルシス(精神的浄化)を得ると言った。

だが、カタルシスを起こす前提には感情移入があるはずだから、
カタルシスという現象は「感情移入」→「同化作用」のことだろう。

ベルトルト・ブレヒトは同化に否定的で、
観客に冷静で批判的な視点も与えるべきであると主張した。

そのため、
演技に引き込まれて感情移入することを敢えて妨げる演出を採り容れ、
同化作用ではなく異化効果を作り出すべきであるとした。

これらのことは、
映画・演劇人としては常識的なことだし、ナチスのプロパガンダの教訓もある。

だから、
ドラマであれ、リアルであれ、リアリティー・ショーであれ、
感情移入というコンセプトと異化効果というジレンマのなかで、
製作する側が、そのことを自覚している必要はあるだろう。


その延長で話すのだが、ブルーインパルスの飛行に感動(同化)した人たちが多くいた一方、
あれが何故医療従事者への応援になるのだという批判(異化)をする人たちもいた。
あのブルーインパルスの飛行を、お金の無駄遣いだ、政治的プロパガンダだというのだ。

感動した人、批判的な人、その両者が存在することは正常なことだと思う。
是か非かにスッキリ分かれるワケでもなくグラデーションがあるのではないだろうか?

確かに“感動”した人は、
お金のことや、あれを行わせた人たちの存在を知りながら目をつぶったのかもしれない。

そういった背景や意図や演出を感じながらも、率直に応援飛行に関わった人たちの心情や、
それを見て元気づけられるであろう医療従事者やそのご家族たちの心情を想像して、
是とした人が多かったのではないだろうか?

演劇でもブルーインパルスのような事象でも、同化か異化、是か非かだけではなく、
グラデーションがあることが大事だと、わたしは思う。


ブルーインパルスは自衛隊である。自衛隊は軍隊である。
軍隊とは人を殺傷することを手段として目的を果たそうとする国家的集団である。
であるからして、医療従事者を応援するのは・・・って、野暮は言うなよ。



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碁敵は憎さも憎し懐かしし

2020年05月27日 11:32

碁盤

「碁敵(ごがたき)は憎さも憎し懐かしし」という川柳がある。
その川柳が引用される「笠碁」という落語がある。

いろいろな噺家が演るが、わたしは五代目柳家小さん師匠の「笠碁」が好きだ。
小さん師匠の堅物さが、更に可笑しみを醸し出すからだ。

「笠碁」はヘボだが碁好きの商家のご隠居二人の碁勝負の噺。

碁敵のご隠居同士が碁を打ちはじめるが、
しばらくして一方が「待った」と言い出し相手は待てないと返す。
「待って」「待てない」とお互いに強情を張るうちに絶交してしまう。

喧嘩分かれした二人だったが、相手と碁が打ちたくて仕方がない。

長雨がつづくある日、とうとう辛抱出来なくなったご隠居が雨が降るなか、
菅笠をかぶって碁敵の店の傍まで出かける。

相手も碁を打ちたくてしょうがなかったのだが、
碁敵が笠をかぶって店の前を行ったり来たりしているのは判っていても、
意地もあり照れくさくて中へ呼び入れることができなかったのだが・・・


地味な噺だがヘボな碁好きの碁勝負の機微を絶妙に描きながら、
喧嘩しても離れられない人生の友人との人情も鮮やかに描いている。


三密を避けるためのステイホームやソーシャルディスタンスの世界観と、
いまや人間は対局(対極)にある。


「新しい生活様式」と営み

2020年05月26日 19:15

営み

厚生労働省が、新型コロナウイルス感染症専門家会議からの提言を踏まえ、
新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」を日常生活に採り容れるよう公表している。

新しい生活様式

提言を踏まえたのか、
飲食店では客と客の間に衝立が置かれたり、
フェイスマスク飲み会をする人たちが現れたり、
劇場は客席に2メートル間隔で入場させたり、
自主的にさまざまな対策が講じられている。

しかし、
確認しておきたいのだが、
「新しい生活様式」はコロナ禍の緊急避難的なものだろう?

時間はかかるかもしれないが、いずれワクチンや治療薬が開発される。
「新しい生活様式」はそれまでの対策であるはずなのだ。

確かに、
手洗いやマスクなど恒久的に習慣化されてもよいこともあるだろう。

だが、「三密」といったことが戒められるのは緊急時だけであるべきだと思う。
そもそも、人は人と密接に交わるものだからだ。

握手もハグもスキンシップも会話も大切なコミュニケーション・ツールなのだ。
セクハラやパワハラでない限り、それらは忌み嫌われることではない。
寧ろ、人間の営みにとっては必要不可欠なことではないのか。

だから、
正しくは「新しい生活様式」ではなく「しばらくの間の生活様式」だろうと思う。


じゃないと、世界中でこどもが生まれてこなくなっちまうよ。

三密

2020年04月04日 13:13

お不動様

三密」という言葉をご存知ですか?

新型コロナウイルス対策として、
「密閉空間」「密集場所」「密接場面」の3つの「密」を避けなければいけないという、
あの「3密」のことではありません。


「三密」は、
仏教用語、密教の用語です。

真言密教では、
修行を「三密の行」と言い、修行で目指すものを「加持」といいます。

「三密」とは、
生命現象は身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つから成り立っていると説いています。

「加持」とは、
人の心が、仏の光明(太陽)を感じ取るための修行のことです。

三密加持」とは、
手で仏の象徴である印を結び(身密)、
口で仏の言葉であるご真言を唱え(口密)、
心を仏の境地に置く(意密)努力をする修行です。

真言密教の御本尊である仏様とは「大日如来」を指しますが、
その大日如来が優しさだけでは通用しない人々を救済するために、
あえて怒りの形相に化身したのが「不動明王(お不動様)」です。

そんな、大日如来のご真言と不動明王のご真言を数年前から毎日唱えています。

大日如来ご真言光明真言
「おん あびら うんけん ばざら だと ばん」
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」

不動明王ご真言
「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かん まん」


若い頃、元気で“一人”で生きていたときには怖いものなしでしたが、
齢をとるにしたがって、自分では抗えないどうすることもできない事柄が増えました。

我が身一つを心配するだけでしたら、大して怖くないのですが、
大切な人たち、手が届かない人たちのことを考えるだに心配で怖ろしくなります。

すると、自然と仏にすがりたくなって、
わたしの場合は、大日如来・不動明王のご真言に行きついたというワケです。

「仏にすがる」といっても、仏に頼り切るワケではありません。
自らの心を穏やかに、強くするための手段なのであります。

「おん あびら うんけん ばざら だと ばん」
「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かん まん」



フェーズ

2020年02月24日 23:59

最近多用される「フェーズ」という言葉。

わたしは「フェーズ」という言葉の意味を知りませんでした。

英語では「phase」だそうですが、
簡易翻訳したら「段階」という意味だそうです。

「フェーズ」の使われ方は「段階、局面、時期」となるそうですが、
「新型コロナウイルスの感染対策のフェーズが変わった」と云うと、
「段階が変わった」というような意味で使っているのでしょう。

しかし、
だとしたら、この「フェーズ」という言葉の使われ方が気になります。

この「フェーズ=段階」という言葉は、「予定されていた」「予見できた」
または「見通しが立てられていた」といったニュアンスを感じるからです。
或る法則の上に成り立っている位相の変化を指しているように感じます。


では、
この新型コロナウイルスのフェーズは予見ができていたのでしょうか?

去年の
12月8日に中国の武漢市で原因不明の最初の肺炎患者が報告されました。

今年の
1月7日に原因が「新種のコロナウイルスである」ことが確認され、
1月9日に最初の死亡者が出ました。

そして、
1月16日には日本でも最初の感染者が確認されていたのです。

にもかかわらず、1月24日から中国は春節連休に入りました。
何十億もの人が大移動し、日本にも何百万人かが訪れました。

中国も初動対応を見誤ったと思われますが、我が国も同様です。

「フェーズ=段階」という言葉を使うなら、
感染対策が構築されていなくてはならなかったでしょう?

もし、予見できていなかった、想定できないことだったというならば、
「フェーズが変わった」ではなく「有害事象が変化した」というように使うべきでしょう。

言葉の使い方で事実が時として曖昧になってしまいます。
もし、予見できていた、想定できていたことだったというなら、これは「人災」です。




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