生きていると、いいことがある。

2017年09月06日 18:12

9月6日の中国新聞

「生きていると、いいことがある」

息子が、
昨夜の試合後の食事会の挨拶で云った言葉です。

幾つもの奇跡的な出逢いや出来事が重なって、
息子がカープ応援のメインキャラクターや始球式を務めることになりました。

今朝の中国新聞には、
昨夜の逆転サヨナラホームランのニュースがでかでかと載り、
昨日、わたしたちの乗った機の前に離陸した機のエンジン火災が載り、
息子が務めた始球式のことが載っています。

その新聞を読みながら、
広島から羽田に戻る機内からは、眼下に故郷の空の雲海が見えました。

あの雲の下では、実家の父が病と闘いながら入院しています。

故郷の空




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9月6日中国新聞
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特攻と自爆テロ

2017年08月04日 18:00

特攻と自爆テロ

「特攻ってのは、自爆だからね。いまのイスラム過激派の自爆テロとおんなじさ」

毎日観ているドラマ「やすらぎの郷」の主人公・菊村(石坂浩二)が、
やすらぎの郷のなかに在るバー「カサブランカ」で、
元女優の水谷マヤ(加賀まりこ)を相手に語る、戦時中の話をしているときのセリフです。

このセリフを聴いたとき、わたしは正直言って拒否反応を起こしました。
もしかしたら、世間でこのセリフを問題視する向きがあるかもしれません。

でも、
まず、押さえておかなくてはならないのは、このドラマはフィクションだということ。
そして、劇中の人物を描くためのセリフなのであって、このドラマの脚本家である
倉本聰さんのお考えと、セリフが同一かどうかは、また別物であるということです。

ただ、
“特攻”と、“イスラム過激派の自爆テロ”が同じだという捉え方は、
或る意味では、正しいでしょうし、また或る意味では違っているでしょう。

但し、
「特攻とイスラム過激派の自爆テロとはおなじ」という一言だけをもって、
けしからんということにするのは、早計に過ぎると思いますよ。

脚本家が、
このセリフをどんな思いで書いたのか、どれだけ逡巡しながら書いたのか、
それは、その脚本家のすべての仕事から判断するしかないほど、
その人の本質を表しているでしょうから、慎重に捉えるべきと思います。

そのへんが、“100”とか“ゼロ”とは違うところでしょう。


さて、この脚本家のこのセリフは、
努々、白か黒か、右か左か、改憲賛成派か反対派か、
などといった次元で捉えるべきではないと思っています。

それでも、
特攻隊について、少しでも知見を得たことがある人なら、
拒否反応を起こすこともまた、自然なことではないでしょうか?

むかし、女優の渡辺美佐子さんと、
鹿児島の知覧に在る「知覧特攻平和会館」に行ったことがあります。

美佐子さんは、
その2年ほど前に、特攻隊員を描いた「月光の夏」という映画に出演しており、
旅公演の合間に是非、知覧に行ってみたいとおっしゃって同行したのでした。

その知覧特攻平和記念館を見学したときの経験は、
本で読んだり、父から話を聴いたり、映画やテレビを観たりして、
わたしが人生のなかで僅かながら得た知識を、すべて統合してくれるものでした。

ただ、とてもここに簡単に書けるような内容ではありません。

その経験をもって、冒頭の「やすらぎの郷」のセリフを聴きますと、
やはり違和感といいますか、拒絶したい衝動に襲われます。

しかし、
“特攻”と“自爆テロ”との差異を明確に表すことができないのも事実であって、
その葛藤こそ、現代の日本人にとっても必要な自問なのではないでしょうか?



トカゲの尻尾切り

2017年08月02日 18:24

大阪の、人騒がせな夫婦が逮捕されました。

彼らが主張するように、
この騒動が、決して「トカゲの尻尾切り」で終わってはいけません。

所謂、
本丸は、8億円の値引きをダレが何のために行ったのかでありましょう。


但し、
生物学的に申しますと、蜥蜴(トカゲ)は自ら尻尾を切り離すのであって、
ダレかに尻尾を切られるのではありません。

身を守るための機能だと云われていますが、
外敵に襲われたときに、尻尾などの主要ではない器官を切り離すことで
捕食される確率を下げるための適応反応であると考えられています。

そして、切り離しても、やがて尻尾はまた生えてくるのであります。
これを、自ら尻尾を切り離すことから「自切」といいます。


その意味では、
夫婦は自らを“トカゲの尻尾”に喩えて物申しているのでありますが、
そのことで、トカゲの本体を守ろうとしたワケではないのでしょうから、
切り離された尻尾から、頭を生やそうとでも思っているのでしょうか?

トカゲの尻尾が、
自らが生き残るために、“頭”を外敵に捕食させようとしたようにも見えます。

いずれにしても、
“頭”であっても、“尻尾”であってもトカゲはトカゲ、一心同体なのであります。


「夢のあとさき」

2017年07月26日 22:30

「夢のあとさき -帰郷祈願碑とわたし-」

兎に角、興味深く、おもしろくて、一気に読みました。

誤解を畏れずに言えば、
一種、著者の歴史ミステリーの謎解きに同行しているような気分になりました。

しかし、
著者は、ミステリーハンターを気取るような気軽な生易しい旅をしたのではなく、
それは、彼女がミッションを感じた、慰霊と巡礼の旅のようなものだったでしょう。


さて、
このご本を、まだお読みになっていない向きも多くいらっしゃるでしょうから、
所謂ネタバレしないように、わたしの視点を少なめに記したいと思います。

まず、
この本を読み終えて、あらためてこの本のタイトルに注目しました。

タイトルは「夢のあとさき -帰郷祈願碑とわたし-

このご本は、
まさに著者が見た「夢」から始まっています。
それは眠っていて見た不思議な「夢」です。

では、
「夢のあとさき」の「あとさき」とはなんのことでしょう?

「あとさき」は漢字だと「後先」の筈ですが、本来なら「物事の前後」という意味です。
この場合、素直に解釈すれば、「夢を見た前後」という意味になります。

「物事の前後」という意味では「先後(せんご)」という言葉もありますが、
「夢の先後(せんご)」では語呂がよくありませんよね。


何故、そんなことに拘るのかというと、
引っかかったのは、なぜ「あとさき」を平仮名にしたのかという著者の意図でした。

「後先(あとさき)」は、
この本に記された内容からすれば、朝鮮と日本の歴史を指していると思われます。

「先(前)」とは、朝鮮が日本に併合され“日本であった時代”に起きた様々なこと。

「後」とは、著者が夢を見た後の、
現在に至るまでの経緯と、まだ解決を見ない難しい二か国間の様々な状況。

しかし、
著者は、多分「さき」に、二か国の「この先(未来)」の意味をこめたのではないでしょうか?
「さき」にかかる言葉は「夢」です。その「夢」は眠って見る「夢」ではなく「希望」のことでしょう。

それにしても、
これは大変に貴重な記録であり、執筆にはとても勇気が必要だったことでしょう。
特に芸能人は歴史や政治に物申すなという風土の国では尚更です。

今後、
この本を、韓国・日本、すべての読者が真摯に読んでくださることに期待しています。



行年と享年

2017年07月11日 23:59

位牌を作るので、仏壇店に行ってきました。

仏壇が狭いので、3基までしか安置できません。
現在、祖父母それぞれと母の位牌の3基が安置されています。

祖父は僧籍があったので、祖母といっしょにはできないのだそうです。
そこで、母と先日亡くなった父の位牌をいっしょにしようと思っています。


ところで、
行年」と「享年」、「数え年」と「満年齢」の違いをご存知ですか?

これらは、それぞれ微妙に違う考え方をします。

お位牌やお墓に描くのも、

享年であったり、行年であったり、満年齢であったり、さまざまなのだそうです。

お墓でも、統一されていない場合があるのだとか。

我が家は、
お寺の過去帳に倣うことにします。





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