病床詠

2017年11月18日 12:00

ママの手紙

へたの横好き、
はずかしいので、詠みすてゝ下さい。

父・母が亡くなった頃より センチメンタル
な詩歌集も三さつ位になりましたが
いっこうに自己満足のラインより 上に
ゆく事が出来ません。 では

秀ちゃんへ              F


我が家のご近所で一人暮らしをしているFさんと、
一昨日の夜、二人で中華料理を食べに行きました。

Fさんは、七十代半ばの女性ですが、
今年の春に頚椎を損傷して、ずっと入院していました。

ことし亡くなったむぅむぅ(義父)とも親しくしていましたので、
リハビリの病床で、むぅむぅのことを心配してくれていました。

Fさんは、なんとか退院できましたが、
リハビリはつづいており、来月には心臓の手術を控えています。

そんなFさんが、
入院中に詠んだという短歌集を、我が家のポストに入れてくれました。

傑作だったので、ご本人の了解を得て、いくつかご披露します。


打ち付けて しびれ動けず 集中室 身ぐるみはがされ 肉のかたまり

五日過ぎ 寝たままトイレも うまくなり 赤んぼならば スクスク育つに

人は皆 己の道を 生きてきた しわがれ声が 若きナースに

おふくろよ 兄貴はダメだ 連絡ないと 嘆きつ茶髪 老母へ一さじ

リーゼントも 茶髪も働く 院内で きびきびとただ 下の世話する

相部屋の 昔乙女の 三人は 揃っておむつの ふくらむパジャマ

せつなげに オーイオーイと 誰を呼ぶ 老人ありて 父を偲びぬ

五分間 ただ歩くだけの リハビリに 部屋に戻れば 力尽きたり

酒やけの 顔したおやじ 自慢げに 飲み屋のはしご 目をとじ語る

味薄き 料理にかけよと 醤油ビン 無骨な男が 唐突に置く

お返しに ごま塩そっと 差し出しぬ 四人の男が それぞれ笑顔に

退院の 日近づけば ラブホテル 並びし路地を 歩くリハビリ

入院で 気付かせられし 事ばかり 毎日修行の 日々になりけり

四十年 丹精してきた ぬか漬けを 食べよと友は 退院祝いに



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蓋棺事定

2017年10月09日 17:33

昭和39年夏(満7歳)
<1964年(昭和39年)夏>


きょうは「体育の日

1964年(昭和39年)10月10日に行われた、
東京オリンピックの開会式が由来です。
(※2000年からは、10月の第2月曜日)

1964年10月のわたしは、満7歳でした。
(※12月に満8歳)


ことしは、
身内や身内のような人々がつづけて亡くなって、
慌ただしい日々がつづいておりましたので、
ゆっくり想い出したり偲ぶ時間がありませんでした。

きょうは、久しぶりに予定もなくボーッとしています。

6月21日に亡くなったむぅむぅ(義父)は昭和3年生まれ。
8月21日に亡くなった光生軒のおばさんは昭和5年。
9月2日に亡くなった恩師・永曾信夫先生も昭和5年。
10月2日に亡くなった実の父親は昭和4年生まれでした。

映画館経営と演劇の世界で生きたむぅむぅ。
中華料理店を切り盛りして生きたおばさん。
俳優養成を生涯の仕事とした永曾先生。
みかんを豊かさと平和の象徴と位置づけた父。

その仕事や生き方は違っても、共通していたのは、
昭和一桁生まれだったというだけではありません。
「絶対に戦争をしたら駄目だ」と言っていたことです。

その言葉の重みを、直に聴いたわたしたち世代が、
後の世代に確実に伝えてゆかなくてはなりません。


この先、
ゆっくりと、一人ひとりを想い出して偲びたいと思います。

蓋棺事定
わたし自身の評価が下されるその日まで、まだ少し間がありそうですから。



子午線の祀り

2017年09月26日 17:59

地球の中心から延びる一本の直線が、地表の一点に立って空を見上げるあなたの足の裏から頭へ突きぬけてどこまでもどこまでも延びて行き、無限のかなたで天球を貫く一点、天の頂、天頂。

地球を南極から北極へ突き通る地軸の延長線がどこまでもどこまでも延びて行き、無限のかなたで天球を貫く一点、天の北極。

遥かに天の北極をかすめ遥かに天頂をよぎり、大空に跨って目には見えぬ天の子午線が大宇宙の虚空に描く大円を、38万4400キロのかなた、角速度毎時14度30分で月がいま通過するとき月の引力は、あなたの足の裏がいま踏む地表に最も強く作用する。

そのときその足の裏の踏む地表がもし海面であれば、あたりの水はその地点へ向かって引き寄せられやがて盛り上がり、やがてみなぎりわたって満々とひろがりひろがる満ち潮の海面に、あなたはすっくと立っている。



ご存知、木下順二の戯曲、
子午線の祀り」の冒頭のセリフを抜粋しました。

いまは、戯曲を開かなければ思い出せませんが、
以前には諳んじていたセリフです。

なんとも、美しい言葉、セリフなのであります。


さて、
お彼岸の終わるきょう、朝早くに墓参してきました。

たまたま、
この彼岸の入りからきょうまでの彼岸の最中は、
父の主治医が診立ててくださった時間でありました。

しかし、
父の天命は、医者も含めて人知の及ばないところであります。


それにしても、いずれ彼岸から眺めてみれが、
なんと、此岸の出来事の愚かしいことでしょうか。

天からの眼で見れば、
壇ノ浦の源平ほどの大儀もない争いに明け暮れる輩ばかり。

やがて滅ぶまでの、馬鹿騒ぎ。



贈られた言葉

2017年09月22日 23:59

明日・明後日、
母校の演劇科では、学園祭が行われます。

学園祭では、
毎年、演劇科同窓会が「同窓会の部屋」を設置。
各期の公演資料などを展示したりしてくれています。

きょうは、
かみさんと、同窓会の部屋を準備している執行部の面々の
陣中見舞いに行ってきました。


そこで、
わたしの期が上演した卒業公演のパンフレットを見つけました。

1979年
戯曲:別役実、演出:田中千禾夫 「赤い鳥の居る風景

これが、
演劇科のわたしたちの期の卒業公演でした。

その上演パンフレットに、
恩師お一人おひとりが、学生に贈る言葉を寄稿してくださっていました。

今月2日に急逝された永曾信夫先生が贈ってくださった言葉も載っていました。

様々な取り組みにチャレンジした期だったと、書いてくださっています。


わたしは卒業後、演劇専攻科に昇級して残りました。

その専攻科の終了公演のパンフレットに、
永曾信夫先生が、学生一人ひとりに向けて、言葉を贈ってくださっていました。

不肖の弟子であるわたしは、すっかり忘れていたのですが、
永曾信夫先生の訃報に接して、先生のわたし宛ての言葉を思い出してくれた人がいました。

その文章の中に、
「君は、いつも親父の話をしていた。これからも親父さんの話を思い出してみるように…」
というような内容だったというのです。

きょうは、
そのことを、メールで教えて頂きながら、親父の入院している病院に向かったのでした。




生きていると、いいことがある。

2017年09月06日 18:12

9月6日の中国新聞

「生きていると、いいことがある」

息子が、
昨夜の試合後の食事会の挨拶で云った言葉です。

幾つもの奇跡的な出逢いや出来事が重なって、
息子がカープ応援のメインキャラクターや始球式を務めることになりました。

今朝の中国新聞には、
昨夜の逆転サヨナラホームランのニュースがでかでかと載り、
昨日、わたしたちの乗った機の前に離陸した機のエンジン火災が載り、
息子が務めた始球式のことが載っています。

その新聞を読みながら、
広島から羽田に戻る機内からは、眼下に故郷の空の雲海が見えました。

あの雲の下では、実家の父が病と闘いながら入院しています。

故郷の空




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9月6日中国新聞


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