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ひまわり

2019年09月20日 23:59

きょうは、友人の件で、弁護士事務所に担当弁護士を訪ねました。


ところで、弁護士が胸につけている弁護士記章というバッチがあります。

このバッジは、
外側に向日葵(ひまわり)、中央に秤(はかり)がデザインされています。


向日葵は「自由と正義」を表しているのだそうですが、
なんで向日葵が「自由」と「正義」を表しているのか、判りません。

向日葵の花言葉は
「貴方だけを見つめる」「情熱」「憧れ」「崇拝」とかが一般的なんだそうですが、
「偽りの富」なんていうのもあります。


秤は公正と平等を追い求めることを表しているのだそうです。

向日葵(ひまわり)の花弁の中央に描かれている秤は、
古代エジプト神話の女神マァトの羽根の神話がモチーフになっているようです。

マァトの羽根は真実の羽根とも謂れ、
秤の片方にマァトの羽根を乗せ、もう片方に死者の心臓を乗せて量ります。

マァトの羽根と心臓のつり合いがとれたら楽園へ行けますが、
生きているときに悪事を働くと心臓が重くなり、永遠に復活できないのだそうです。

悪事を働くと何故心臓が重くなるのか、・・・これも判りません。


いずれにしても、
弁護士は、向日葵の「自由と正義」、秤の「公正と平等」を意味するバッチを胸に着け、
「自由と正義」・「公正と平等」を追求するお仕事をされています。



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ウリ文化

2019年09月04日 11:33

今朝、ワイドショーを観ていたら、
韓国(朝鮮)には、日本語の「忖度」や「斟酌」に充る言葉がないのだそうだ。

但し、日本語の「配慮」に充る言葉はあるのだそうだ。

そのかわり、韓国語には「ウリ」という言葉と概念があるという。
韓国語の「ウリ」を日本語に訳すと「私たちの」「我々の」となる。

たとえば、
韓国で우리아빠(ウリアッパ)、우리엄마(ウリオンマ)と云えば、
「私たちのお父さん」、「我がお母さん」というような意味だが、
日本人は「我らがお父さんは、サラリーマンです」とは言わないだろう。

韓国では、身近にいる人に親しみの「ウリ」をつけて話すウリ文化があるワケだが、
つまり言葉は訳せても使い方が日韓で違っているのだ。

ウリ文化の根底には「わたしたち」「我々の」という共同体意識があるだろうし、
親しい我々は「一心同体」なのだというメンタリティーすらあるようだ。

そのウリ文化は、
親しい者同士だったら「わたし」と「あなた」を分けない同化意識を持たせ、
よいこともワルいことも、シェアしてしまう国民性を醸成しているのかもしれない。

それが、韓国の賄賂政治などに顕著に見られるのだそうだ。


さて、
「共同体意識」「一心同体意識」「我々意識」といった韓国のウリ文化
「相手の気持ちを忖度し」「人のこころを斟酌し」といった日本の他人の顔色をみる文化、
ウリ文化忖度斟酌も本来は美徳だろう。その使い方が間違っているだけだ。


防災の日に想い出す言葉

2019年09月01日 13:22

空

貴方が受け容れられる人だから、
どうにかできる人だから、そういう人に“そういうこと”が起こるんじゃない?


丁度4年前、或る人にこう言われたことがありました。
わたしが若い頃から可愛がってくれて、よく話を聴いてくれた人でした。

4年前、
人生で滅多に起こらないようなことが、わたしの身の周りで起こっていたのでした。

でも、そう言ったその人も2年前に亡くなってしまいました。


さて、
ことしも、甚大な被害をもたらした災害が起こりました。

きょうは9月1日、
1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起こった防災の日です。

“なぜ私の人生に、こんなことが起こったのだろう?”
被災されたみなさんも、そんなことをお考えになるかもしれません。

被災者のみなさんが、
受け容れられる、どうにかできる人たちだから災害が起きたワケじゃありません。

でも、
被災したみなさんが、いつかそう思える日が、早く来たらいいと思っています。

ボチボチ いきヨ

2019年08月14日 11:30

絵はがき

むかし、或るテレビドラマの方言指導をやったことがあります。

浜松の言葉(遠州弁)を年配の男性俳優に指導したのですが、
若い頃から、江戸弁も大阪弁も流暢に使われる俳優でしたが、
浜松の言葉にはご苦労されました。

“指導”などと言うのはおこがましいのですが、
言葉をいじる作業というのは、俳優の役作りに触れてしまうのです。

そのセリフを指導することは、
イントネーションを直すだけでなく、セリフのニュアンスを伝えること、
延いては、その人物の性格や気質などを創ることに関わるのです。

したがって方言指導が、
その俳優の役作りとバッティングしてしまう場合があるわけです。


さて、
徳島の叔母が描いた絵ハガキをもらいました。
徳島弁が一言書いてあったりします。

「ほなけんど」
意味はお判りですか?

「だけどね」「だからね」みたいな意味でしょう。

「ほなけんゆうたでぇ」と言えば、「だから言ったでしょ」、
前に「ほれみーだ」が付けば「だから言ったじゃねーか」という感じ。

「ほれみーだ」は、「それみたことか」という意味です。

極め付けは「あるでないで」

どういう意味だと思われますか?
「あるの?ないの?」ではありません。

「あるじゃないの」です。

但し、コレ意味を伝えただけではニュアンスは伝わりません。
一言の中に、独特の徳島県人の性格・気質がにじみ出ているのです。


ボチボチ いきヨ


御霊前

2019年08月10日 12:44

御霊前

我が三浦家のご先祖さまである祖父は浄土真宗の寺で育ち、
自らも浄土真宗の信徒でしたが、墓は曹洞宗の寺に在ります。

その浄土真宗では、
香典袋の表書きに「御霊前」とは書かない慣わしなのだそうです。

浄土真宗は仏教の縁起の教えに従い、
「霊魂の不滅」や「輪廻転生」といった考えを採っていないからです。

したがって、
浄土真宗信徒のご葬儀に持参する不祝儀袋、香典袋の表書きは、
「御仏前」ないし「御香典」とお書きになるのが適当なのだそうですよ。

とは言っても、
一般的には宗派の違いによらず、お通夜・告別式には「御霊前」、
七七日忌法要(四十九日)から故人が「仏」になったという意味で、
それ以降の法要では「御仏前」だと思われております。

したがって、
わたしも「御霊前」と「御仏前」の表書きを使い分けておりますが、
近頃「御霊前」の不祝儀袋の減りが早いこと・・・。

昨日は、日本一地価が高いと評判の銀座「鳩居堂」のギャラリーで、
友人が書道展に書を出展していると知ったので観に行ったついでに、
鳩居堂で不祝儀袋を購入しましたが、「御仏前」は余っている?ので、
「御霊前」の袋ばかりを買ってきました。




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