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ダムウェイター

2019年12月11日 23:59

ダムウェイター

1983年4月に、
アメリカ国外初のディズニー・テーマパーク「東京ディズニーランド」が開園しました。
わたしの後輩や先輩たちが各アトラクションのオーディションを受けキャストになりました。
開園時よりは遅れましたが、やはり或るアトラクションのキャストになった友人がいました。

その友人・Tさんは、卒業後或る劇団に入団してアメリカ公演も行いましたが、
劇団が活動を休止し、やがて解散し、アルバイトをしながら演劇活動をつづけていました。

1983年、
わたしはTさんが企画したハロルド・ピンターの「料理昇降機(ダムウェイター)」に出演しました。
出演したといっても、わたしが「ベン」、Tさんが「ガス」、二人だけの芝居です。

どうも“殺し屋”らしい二人が“誰か”の命令を待っています。
その“誰か”が“誰か”判らないまま、“誰か”の注文に対応して料理昇降機と格闘するという、
不条理劇の傑作です。

劇場は下北沢のザ・スズナリで5日間6回の公演でした。
そう!36年前のこの季節でした。


さて、
きょうはその「ガス」・・・、Tさんのお見舞いに行ってきました。
最近、入院して治療を受け始めたと聞いていたからでした。

共通の友人の話や、わたしの近況、闘病の経緯と体調と治療の様子などが話題でしたが、
1時間少々面会したので、疲れさせてしまったかもしれません。

しかし、わたしが帰るときには、
エレベーター(昇降機)の前まで来て見送ってくれました。

「ダムウェイター」から36年。
あの年に生まれた息子が36歳です。
歳をとったら身体にガタがくるのも、無理からぬことです。


それでも、
来年3月に放送予定のNHKBSのドラマに出演したのだそうです。

今年の台風19号が襲来した最中に、長野県の諏訪でロケしたのだとか。
それを観るのが、いまから楽しみです。



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イワンのばか

2019年12月09日 17:37

我が家の茶の間で、かみさんと話題になった話です。

かみさんが小学生だった頃、
劇団四季がこどものためのミュージカル「イワンのばか」をやったことがるのだそうです。

劇団四季は、
慶應義塾大学文学部仏文科の学生だった浅利慶太さんや日下武史さん等10名が創立した、
ジャン・アヌイジャン・ジロドゥの作品などストレートプレイを上演する劇団でした。

その劇団四季が、
1964年(昭和39年)日生名作劇場「こどものためのミュージカル」をスタートさせます。

第1回公演の作品はアンデルセン童話はだかの王様」で脚本は寺山修司さんが書きました。

第2回公演は、
翌1965年(昭和40年)ギリシャ神話の「王様の耳はロバの耳」で、やはり寺山さんが書きました。

そして第3回公演は、
1966年(昭和41年)トルストイの童話イワンのばか」で、脚本はやはり寺山修司さんが書きました。

つまり、
劇団四季の「こどものためのミュージカル」の最初の3作品は、いずれも寺山修司さんが脚本を書き、
歌の作詞もされているのでした。

かみさんんが話題にしたのは、
その「イワンのばか」のなかで歌われる歌が良かったので覚えてしまったという話でした。

はだかの王様」や「王様の耳はロバの耳」の曲も有名ですし歌詞もおもしろいものですが、
寺山修司という人の才能だったことはあまり知られていません。

ちなみに、俳優・田中明夫さんが後から劇団四季に参加したので、
親友であったむぅむぅ(義父)が劇団四季を応援していたのですが、
浅利さんや田中さんに「イワンのばか」の上演を盛んに薦めたのはむぅむぅだったのだそうです。



みどりさん

2019年11月27日 11:33

木内みどりさん

かみさんが中学生のころだったらしい。

劇団四季の創立メンバーではないが、
創立メンバーたちより少し年長の俳優・田中明夫さんが、
1955年から劇団四季に合流して活躍していた。

親友の田中明夫さんのために、
むぅむぅ(義父)は後援会を組織したりチケットを売ったりしていた。

多分、観客と俳優たちとの親睦を兼ねたバス旅行で、
かみさんの隣の席に座ったのが木内みどりさんだったらしい。

以来かみさんは、
みどりさんに「庸子ちゃん、つねこちゃん」と親しく呼んでもらい、
妹のように可愛がっていただいた。

ご相伴して、
わたしも一緒に食事したり、飲んだり、お宅に遊びに伺ったりした。
勿論、お芝居も拝見した。

日常的にお逢いしていたわけではないが、
たまに遇う親戚のお姉さんのような存在だった。


だから、
かみさんにとっては殊の外ショックが大きかったようだ。

かみさんは、
最新刊の雑誌に載っていた写真を見つけ切り抜いて仏壇に飾った。

かみさんがそこまでするのは、珍しい。

これで、毎朝掌を合わせる対象が一人増えたというワケだ。


3年前のきょうからの7か月

2019年11月24日 12:03

3年前のきょう、
真冬並みの寒気と低気圧の影響で、東京には朝から雪が降りました。

11月に東京で降雪を観測したのは1962年以来54年ぶりでしたが、
午前11時には積雪も確認され、観測史上初めてのことだったそうです。

それにしても、
前日の11月23日には日韓秘密軍事情報保護協定が締結されていました。
いま話題の日本と韓国が秘密軍事情報を提供し合うGSOMIA締結のことです。

ですが、
テレビ各局は早朝からずっと東京の雪についてばかり報道していました。


その日、
前日の昼にわたしが作った「すき焼き」を食べてショートステイに向かったむぅむぅ(義父)が、
午前中から熱を出し、夕方には38.5℃に上昇したと施設から連絡をもらいました。

むぅむぅは、11月23日から25日まで2泊3日でショートステイすることになっていました。
しかし、高熱を出した場合には引き取ることになっていました。

むぅむぅを迎えに行って、その足で最寄りの開業医の病院で診ていただこうと向かうと、
病院は休診日でしたので連れて帰ろうかと思ったのですが、都立病院の救急外来に
電話して受け容れていただくことにしました。

“救急”といっても、ほんとうに長い時間待たされました。
病院の車イスに乘って診察を待つ間、むぅむぅは意識を朦朧とさせておりました。

診察につづき、血液・エコー・CTと検査をつづけた結果、即入院となりました。

引きつづき検査を重ねて高熱の原因を特定したいということもありましたが、
全体症状が重篤だということでした。

むぅむぅは要介護状態でありましたから、不思議はないのかもしれませんが、
家族としては“青天の霹靂”でした。


その日から2ヵ月入院したものの、担当医師や病院に度々不信感を覚えて、
病院の反対を押し切って、翌年1月24日にわたしたちはむぅむぅを退院させ、
我が家に連れて帰ってきました。

それから約5ヵ月間、むぅむぅは自宅の自分の部屋で過ごして旅立ちました。

あの7ヵ月間は、次々に様々なことが起こり判断に判断を迫られた日々でした。
でも、3年経ってみると後悔はありませんし、懐かしい時間です。




まだ合掌できない

2019年11月22日 10:42

木内みどりさん


一日経ったが、まだ動揺が収まらない。


昨日、突然にもたらされた訃報。
女優の木内みどりさんの訃報

まだ愕然としている。


友人の懲役1年執行猶予3年の判決が出て以来、
代理仕事でバタバタとしている中飛び込んできた訃報。

なにがあったとしても、
生きてるうちが花なのよ、死んだらそれまでよ・・・


みどりさんは、
劇団四季時代からの、うちのかみさんの友人。

庸子ちゃん・ツネコちゃんと可愛がってくださった。

モチロン、お芝居も観に行った。
ご主人共々飲んだこともある。
深夜のお宅に遊びに行ったこともある。
ご相談を受けたこともあった。

いつもお元気で活発でお話し好きだった。
所謂、姐御肌の方だった。


さびしいなぁ・・・。

まだ、合掌する気持ちにはなれない。







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