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ベテルギウスの記憶

2019年10月10日 12:41

未明の4時頃だった。

目が醒めていて、窓を開け空を見上げた。
南の天空にオリオン座大三角形が見えた。

台風が近づいているというのに、嵐の前の星空が広がっている。


わたしが小学生の頃、父が星空を見上げて星の話をしてくれた。

オリオン座を観ながら、あの星たちは何百光年も遠くにあって、
いま光っている星の光は何百年も前の光が今地球に届いているのだと、
光の速さや一光年の説明をしてくれた。

だから、光より速い乗り物があったら光を追い越して、
過去の地球の光を観ることが出来るのだと話すのだった。

おもしろい話だったし、星空を見上げたまま話を聴いていたので、
わたしが途中で深呼吸するつもりでため息をついたら、
父は話を止めてしまった記憶がある。😓

父の星の話はおもしろかったし星に興味をもったが、
ご多分に洩れず平凡な子であったわたしは、天文学者にはならなかった。

因みに、オリオン座の赤い星ベテルギウスは、地球から640光年離れているが、
星の寿命が尽きようとしているらしい。

今、ベテルギウスが超新星爆発を起こしたら、640年後の人々がそれを観るだろう。


さて、
ノーベル化学賞の受賞が決まった吉野彰さんは小学4年生のときに、
新任の女性教師から英国の科学者ファラデーの「ロウソクの科学」という本を薦められ、
「ロウソクはなぜ燃えるのか、炎はなぜ黄色いのか、化学はおもしろそうだな」と思ったそうだ。

やはり才能のある人は違う。😄


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レジェンド二人

2019年10月06日 17:32

日本演劇界のレジェンド二人

木村光一さんの誕生日は10月3日だったが、
その日、10月6日に木村さんのお宅で誕生会をやりたいから来ないかと誘いをうけた。

そこで、
かねてから、会うと木村さんの話題で盛り上がっていた演劇評論家で演出家で恩師の
石澤秀二さんを、きょうの誕生会に誘うことにした。

木村さんと石澤さんの好物である豆大福を買って、石澤さんと西荻窪の駅で待ち合わせ、
善福寺の木村さんのお宅に伺った。


木村光一

劇団の文学座、プロデュース団体の五月舎を経て、
1981年、演劇制作体 地人会を設立した演出家で製作者。

1963年、英国の劇作家A・ウエスカーの『調理場』で衝撃的なデビュー。
1964年、T・ウイリアムズ杉村春子主演の『欲望という名の電車』の演出を担当。
その後 J・オズボーンの『怒りを込めて振り返れ』、水上勉の『山襞』『雁の寺』『飢餓海峡』、
宮本研の『美しきものの伝説』『阿Q外傳』、J・フォードの『あわれ彼女は娼婦』など
国内外の作家の作品を幅広く演出。

'71年には文化庁の研修派遣により1年間ロンドンに留学。
その後、井上ひさしと出会い、氏の作品の演出本数は20作品を越える。

海外との交流も活発に行い、これまで
化粧』『藪原検校』『はなれ瞽女おりん』『日本の面影』の海外公演は
いずれも各地で絶賛され、海外公演の延べステージ数は121ステージを数える。

水上勉宮本研、また山田太一斎藤憐といった作家諸氏との共同作業の傍ら、
日本では紹介されずにきた海外の秀でた作品を掘り起こした上演を多く手掛けた。

そして特筆すべきは、
広島と長崎で被ばくした母と子が記した文章を舞台に立つ6人の女優たちが朗読するという、
1985年から2007年までの23年間続けた朗読劇「この子たちの夏」の演出だろう。
地人会公演は全国393市区町村で、767回というステージ数を数えている。


石澤秀二

劇作家・田中千禾夫田中澄江夫妻の書生を経て、演劇雑誌「新劇」の編集長を務めた。

また劇団青年座の演出家・文芸部長を経て、
日本演出者協会副理事長や国際演劇評論家協会日本センター会長を歴任している。

1968年の桐朋学園短期大学演劇専攻創設に加わり、22年間同学教授を務め、
2005年には「祈りの懸け橋-評伝田中千禾夫」で河竹賞受賞した。

日本の劇作家の登竜門「岸田国士戯曲賞」の選考委員を1974年から1981年の間務めた。


木村光一、1931年生まれ88歳。
石澤秀二、1930年生まれ89歳。

間違いなく、日本演劇界のレジェンド二人だ。


文芸坐の喫茶店

2019年09月30日 16:42

文芸坐の喫茶店①

こんな写真が見つかりました。

池袋東口に在った、映画館・文芸坐の建物の1階、
地下劇場・文芸坐ル・ピリエの入口と、映画館・文芸地下劇場入口の間に、
1981年(昭和56年)12月5日にオープンした「文芸坐の喫茶店」という名の喫茶店です。

文芸坐の喫茶店」というロゴは、緒形拳さんが揮毫してくださったものです。

珈琲や紅茶など喫茶ものはモチロンですが、カレーやオムライスが人気の店でした。

映画や芝居や寄席を待つ時間にお使いになられるお客様、
待ち合わせに使われるお客様、近所の風俗店のお嬢さんたちの食事処でもありました。

文芸坐の喫茶店で自主上映会も催して、その後有名映画監督になられた方もいました。

1997年(平成9年)3月、文芸坐が閉館すると同時に閉店した、
みなさんが伝説にしてくださったお店です。

文芸坐の喫茶店②

飯沢匡さんとの想い出

2019年09月21日 15:50

もう一人のヒト

青年劇場公演「もう一人のヒト」を上演中です。

わたしは観ていませんが、きょう劇評を読みました。

そこで、
このお芝居の作者・飯沢匡さんのことを想い出したので、
このブログに記しておこうと思います。


わたしも学生時代に田中千禾夫先生の演出で、
飯沢匡・作「二人で嘘を」を演ったことがあります。

その数年後、
縁あって飯沢さんを車でお宅までお送りしたことがありました。

「この車はなんという車ですか?」と、後部座席の飯沢さんが、
わたしに尋ねられたので「フランスのルノーです」と応えましたが、
そこで止めておけばよいものを、
「フランスの人は車は道具でしかないと思っているらしいですよ」
などと口幅ったいことを申しました。

あとで飯沢匡ともあろうお方に生意気なことを言っちまったなと、
今となっては穴があったら入りたい心境です。

ちなみに、
飯沢匡さんのお墓は、我が家の近くの雑司が谷霊園に在ります。


硫黄島の浜辺

2019年09月03日 15:01

20190903145555f5d.jpg

8年前のきょう、Tクンが朝7時55分に亡くなりました。

2011年6月17日に末期のすい臓ガンと告知を受けてから約2カ月半の短い闘病でした。

青天の霹靂のような、あっという間の出来ごとでしたが、
Tクンは、見た目には淡々と53年間の人生を受け容れたように見えました。

「Tです。一応経過入院ってことで、○○病院に昨日入院しました。とっても体調も現在気分よく過ごしてます。面会は、平日午後1時半、土日10時半だってさ。こう書いたからには、こちとら江戸っ子だからさ、キレイ奴はべらせて・・・な~んてね。退屈してるから、来てちょ」

「クサカ(わたしの旧姓)です。入院したかぁ・・・退屈だよな。甲子園も終わったし、民主党の代表選も終わったしなぁ。こっちは岩手の大槌町で河川敷の石コロ拾いだわさ。今から昼めしだ、ガレキ見ながら。」

「Tです。こっちより、体調気をつけてよ。無理するなよ!」

「クサカです。元来、百姓なもんで農民の血が騒ぐんだなこれが。また戻ったら顔を見に行くよ。」

「Tです。そうでした!話聴かせてくれな!」


これが、Tクンとの最後のやりとりです。


いまごろは、
Tクンが暮らしたあの島の浜辺で、未だに還れぬ兵たちと語らっているんじゃないかしら?



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