上月左知子さん

2018年01月31日 12:00

上月左知子さん

上月左知子さんが、亡くなられました。

上月左知子さんは、宝塚歌劇団ご出身の女優でした。
宝塚の同期には、有馬稲子さんや南風洋子さんがいます。

このお三人は共に、
演劇制作体地人会の公演に出演してくださった女優でした。


1995年夏、
わたしは朗読劇「この子たちの夏」公演の制作担当者でした。

7月14日、
わたしは九州の日豊本線柳ケ浦駅(大分県宇佐市)の改札口におりました。
その日、東京から現地入りする上月左知子さんをお待ちしていたのです。

到着された上月左知子さんと主催者の車に乗せていただき、
戦時中に宇佐海軍航空隊と、その滑走路が在った場所を通りますと、
車窓から掩体壕が見えました。

わたしたちは主催者の方から、
掩体壕宇佐海軍航空隊を狙った宇佐空襲のお話を伺いながら、
劇場に向かったのでした。

宇佐平野の稲穂の中に戦争の跡がそのまま遺っていたのが印象的でした。


上月左知子さんは、1930年昭和5年生まれでいらっしゃいました。

1995年のあの年、
朗読劇「この子たちの夏」で全国巡演をご一緒した13人の女優のなかで、
これまでに6人の女優が亡くなられたことになります。

戦争と戦争の悲惨を語られる人たちが、本当に少なくなりました。


上月左知子さんのご冥福を祈ります。合掌



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極東大寒波

2018年01月25日 14:29

極東大寒波

東京都心では、
今朝の最低気温が-4℃を記録したのだそうですが、これは48年振りのことだそうです。

しかし、
今から55年前の1963年(昭和38年)の寒波はそれ以上でした。

昭和38年ですから「三八豪雪」とか「極東大寒波」と呼ばれた、
記録的な寒波が日本全土に襲来したのでした。

日本全土というのも大袈裟ではなく、
九州各地から種子島や屋久島でも雪が降ったと謂われています。


さて、わたしの故郷である浜松もその例外ではありませんでした。
雪は他の地域に比べれば大したことはありませんでしたが、
寒波(低温)は凄まじいものがありました。

単に低温だというだけでは「寒波」とはいいません。
低温状態が何日もつづくことを「寒波」といいます。

昭和33年に開拓農民として浜松の三方原台地の一角に入植した父母でしたが、
昭和38年1月は、前年の秋から暮れにかけての初収穫を終えたばかりの時でした。
その時期に極東大寒波に遭ったのでした。

みかんの実を生らせて疲弊していた樹にとってこの大寒波は致命的でした。
葉は落ち樹も枯れて、地域のみかん農園はほぼ全滅したのでした。

しかし、わたしの父にとっては、
「極東大寒波で一本のみかんの樹も枯らさなかった」というのが生涯の自慢です。

父は、
初収穫したばかりみかんの樹を、根元から上を少しだけ残し、幹を伐ってしまったのでした。
そして、切り株となった樹の横に穴を掘り、その土を切り株に盛って樹と根を守ったのです。

みかん園でシャツ一枚になって鍬をふるっていた父、
夕食後に鍬を担いで出掛けてゆく父の姿を、6歳になったばかりだったわたしも憶えていますが、
初めて実ったばかりの樹を全て伐るしかなかった、そのときの父の心情を想うと胸が痛くなります。

しかし、
そのお蔭で、我が家のみかんの樹は一本も枯れることなく、その年の春にはまた芽吹いたのでした。

去年10月に亡くなった父が、もし生きていたら、
「極東大寒波のときは、こんなもんじゃなかったよ。しかし、あの頃が一番楽しかったなぁ・・・」と、
言ったでしょう。


「アパートの鍵貸します」

2018年01月24日 16:16

「アパートの鍵貸します」

自分がいる正確な位置を確認するために星を観ることがあるように、
自分の現在を確かめるために、過去を探って現在を認識することがあります。


一年前。

去年、1月24日の午後2時、
むぅむぅ(義父)は、病院を退院しました。

高熱で緊急入院して、61日経っての退院でした。

主治医たちからは、
「退院させたら何が起こってもおかしくない」と云われていました。


自宅の部屋には、
酸素吸入の機械、痰を吸引する機械、点滴用の可動式スタンドを入れ、
転落防止用に、介護ベットの手すりを増やしました。

訪問診療医師、訪問看護師、介護ヘルパーの皆さんの体制もつくりました。

むぅむぅには、
いずれ栄養を摂るために「中心静脈栄養」の処置をする旨説明し、同意を得ました。

しかし、
一年前の時点では、まだ少しずつですが食事を経口摂取できていました。


去年のきょう、
いよいよ始まる在宅医療、在宅介護に向けて張り切っていた自分たちがいました。

しかし、
考えてみれば、それから5ヶ月間の介護生活でした。
たった5ヶ月間・・・、むぅむぅが倒れたときから数えたって14ヶ月間のことでした。

あっけないものです。

去年のきょう、
久しぶりに自宅の部屋に戻ったむぅむぅは、映画「アパートの鍵貸します」を観ていました。




司会

2018年01月20日 19:34

34年

【独り言】

かれこれ、40年来のおつきあいだ。


34年前に、
二人で、友人の結婚披露宴の司会をやったことがある。

そのとき、
わたしは体重53キログラムで痩せていたが、
彼もまた痩せていた。

それが、
34年も経つと、いまわたしは63キログラムだ。

彼はいまでも体重をキープしている。

現役の俳優だからだ。


結婚を披露した二人は、残念なことに別れてしまったが、
わたしたちのおつきあいは、つづいている。

司会

“女子”高校生時代

2017年12月24日 15:38

女子高生

父の遺品を整理したときに、
わたしのアルバムを見つけて、持ち帰った。

大掃除のついでに、
何十年ぶりかでそれを開いてみると、こんな写真が出てきた。

43年前、わたしたちの“女子”高校生時代の写真・・・。

一人は、日本一高く売れるマスクメロンを作っている。
一人は、日本一の温州みかん産地の組合長をやっている。
一人は、故郷の愛媛に帰って議員になったと聞いている。
一人は、製造業の会社を立ち上げた。

わたしは一番右端に写っている。
あのころは美しかったケド、生意気な顔してるワ。




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