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「雨傘運動」前夜

2019年06月15日 14:55

香港2014年5月

2014年5月、わたしは香港を旅行していた。

香港中環(セントラル)の街を散策していたときに、
選挙運動中の一団に遭遇した。

一団は、ラッパを吹いたりしながら賑やかに行進していた。

その人たちが、どういう人を支持して運動していたのか、
どのような主張をしていたのかは判らなかったが、
香港の選挙運動風景に興味があったのでカメラを向けた。

しかし、
いまにして思えば、所謂「雨傘運動」の直前だったのだ。

雨傘運動」というのは、
2014年9月28日から79日間続いた民主化要求デモのこと。

2017年の香港行政長官選挙をめぐって、
中国の中央政府により民主派候補者は実質的に排除され、
親中団体のみに投票権が与えられるという決定に抗議した
学生と市民数万人が行ったデモ活動のことだ。

要するに、
香港行政長官に誰でも立候補できる“普通選挙”を求めたのだ。

そして、
現在香港で起こっている103万人が参加したと謂われる大規模デモは、
表面上は犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める「逃亡犯条例」、
その改正案に反対するというものだが、香港の民主主義を守ろうという、
1997年の香港のイギリスから中華人民共和国への主権返還時からの、
香港人の民主化運動が背景にあるワケだ。

だが中国外務省報道官が、
「香港で起きたのは平和集会ではなく、公然とした組織的な暴動だ」と発言。

中国外務省は、抗議デモは「香港の主な民意に反している」としたうえで、
条例改正で香港の表現の自由や自治が揺らぐ可能性を指摘したアメリカなどに
「内政干渉だ」と反発している。

中国では海外メディアの放送を遮断する一方、デモの詳細を報じないだけでなく、
条例改正の必要性と条例改正の支持者が主流派だと繰り返し伝えているらしい。

香港人は、香港は民主的に“普通”でありたいということなのだが、
香港は、“天安門”がある国に返還されちまってるというワケだ。

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夜盗虫最後の父逝く

2019年06月05日 23:59

全寮制の農業高校時代、
生徒指導の小林先生から「夜盗虫」と命名された七人のことは、
以前から何度か書いています。

夜盗虫(ヨトウムシ)は夜盗蛾の幼虫のことで、
昼間は地中で眠っていて夜になると地表に現れ作物の葉を食べてしまう。
その音は、暗闇の中うるさいくらいなのです。

その生態がわたしたち七人と同じだというので、
小林先生が夜盗虫と呼んで以来、我々七人で「夜盗虫」と名乗っているのですが、
その家族たちも、我々のことを「夜盗虫」と呼んできました。

夜盗虫も齢六十を越えたので、その両親たちもそれなりの年齢なのですが、
夜盗虫の最後の父親が亡くなりました。

これで、
七人の夜盗虫のうち、父親は全員亡くなりました。
母親は、うちを含めて二人亡くなりました。
そして、夜盗虫一人と小林先生も亡くなっています。

きょうは、
父親のなかで一番長生きしたTの親父さんの告別式。

親父さん、お世話になりました。
ありがとうございました。合掌



三浦家にとっての天安門事件

2019年06月04日 22:42

うちの次男が中学生の頃、友達に○君という子がいた。

○君は、我が家に来たときに流ちょうな日本語を喋ったが、
○君のお母さんは、その頃ほとんど日本語を話せなかった。

○君と○君のお母さんは、
我が家の近所に在る坂を下ったところに住んでいたが、
○君のお父さんは日本人だと聞いた。

はじめは、中国人と日本人の国際結婚の一例だと思っていたが、
○君の本当のお父さんは、天安門事件の時に行方不明になって、
○君と○君のお母さんは、弾圧から日本に逃げてきたのだと、
その後、○君のお母さんは日本人と結婚したのだと聞いた。

これが、我が家にとって、一番身近に感じる「六四天安門事件」だ。


民主化支持者だった胡耀邦元総書記が死去し、
民主化を求める学生を中心に自然発生的に始まったデモは、
1989年6月4日未明に天安門広場に約10万人が集まっていた。

中国人民解放軍は銃と戦車を使って、その人たちに向けて発砲した。

その犠牲となった死者の数は、中国共産党が発表しているだけでも、
319人だが、1万人という報道や数万人だったという説もある。

あれからきょうで30年。
○君は自衛隊員になったが、いまなにをしているのだろうか?




字が小さすぎて読めない!

2019年04月08日 12:47

老眼めがね博物館

字が小さすぎて読めない!!

わたしの場合、
スマートフォン、手帳の鉄道路線図、特に宅配便の伝票の印字が読めない。

これらの字の小ささは尋常じゃない! と、思う。

ということで、
話題のルーペは高価だから、近所の「老眼めがね博物館」という眼鏡屋によく行ってみる。

老眼鏡の度数が+1.0から+1.5、+2.0、+2.5という具合にどんどん進み、
家のあちこちに置いてある老眼鏡が、次第に目に合わなくなってしまう。

だから、
散歩がてら「老眼めがね博物館」に寄って、気に入ったデザインがあると買ってしまう。

なにせ、安い!

というワケで、散歩のついでに寄って買い物をして店を出たところで取材を受けた。
いま話題のルーペを安く売っていることまで話しちゃったケド、ホントは秘密らしい。

讀賣新聞

読売新聞←クリック!

それがこの記事だが、字が小さすぎて読めない!!


宮ちゃん

2019年04月07日 11:44

宮ちゃん
<1982年 劇団音楽座八ヶ岳合宿 テッペンが宮ちゃん>

若い頃、
宮ちゃんから教えてもらったことは数多くあるのですが、
わたしは真面目に聴いていなかった不肖の後輩です。


例えば、いっしょに芝居を演ったときの稽古場で、
宮ちゃんは稽古中・休憩中に限らず、宛名書きをしていました。

宛名だけではなく、自筆の手紙を書いて同封するのでした。
「DMってのはなぁ、必ず手書きの手紙を入れなきゃダメだぞ」
そう言って教えてくれました。

袖すり合うも他生の縁、
飲み屋の隣の席で飲んでいる人たちにもチラシを配り芝居の説明をし、
「ぜったい面白いから」と営業するのでした。

文学座時代、
「俺は、杉村先生(杉村春子)が生涯売った数より多くチケットを売った」
そんな自慢をしていましたが、どんな数字を根拠に言っているのか、
そもそも杉村先生がチケットを小売りしていらっしゃったのか甚だ疑問でしたが、
ツッコみを入れさせない勢いで話すのでした。

或る日、そんな宮ちゃんが終電に乗って帰宅するときの話です。
電車で隣に腰かけていた女性に声を掛けました。
例によってチラシを渡して芝居の説明をしたのでした。

その電車が終点の駅で停まりました。
宮ちゃんのアパートは、その駅からいくつか先が最寄り駅でしたから、
宮ちゃんは終点の駅から国道へ出て真っすぐ歩き出しました。
その先を、さきほどの女性が歩いてゆきます。

すると、警察署の前まで来たときに女性が中に飛び込んで行きました。
間髪入れず、その後ろを歩いていた宮ちゃんは拘束されたのでした。

女性は宮ちゃんを、いまで言うストーカーのように思ってしまったのでした。

しかし、その誤解はすぐに解けました。

宮ちゃんが、
平身低頭する警察官たちにチラシを渡して営業したことは言うまでもありません。


5年前の1月12日、弟のYさんから危篤状態だと連絡をもらいました。
その前年の2月7日、宮ちゃんは大事故に遭ったのでした。

しかし、驚異的な回復力を見せ、
意識不明の状態から、一時はわたしに電話してくるまでになったのでした。

1月20日に倉敷の病院に逢いにゆきました。

肺炎も起こし予断を許さないという説明が、医師からありました。
「輸血をすれば、3~4週間延命できる可能性はあるのですが・・」
弟のYさんは、輸血を承諾しました。

ですから、
持っても4週間くらいだと思って、心のなかでお別れして帰ってきました。

それからちょうど11週間。事故から14ヵ月。
5年前のきょう4月7日、宮ちゃんは“あちら”に向かいました。

“あちら”で宮ちゃんは、
あれだけの事故に遭って自分がいかに延命したか自慢していることでしょう。






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