38年前

2015年09月20日 23:59

演劇科

きのうときょう、母校・演劇科の学園祭が行われていました。

学園祭には、毎年演劇科同窓会が「同窓会の部屋」を設置します。

演劇科同窓会の会長でもあるかみさんも、
期間中交代で「同窓会の部屋」に詰めることにしています。

そこで、きょうは二人でまご娘を連れて学園祭に行ってきました。

演劇公演史

「同窓会の部屋」は、2号館の奥にありました。
むかし、演劇科の衣裳倉庫として使っていた部屋ですが、
いまは、改装されて教室として使われています。

その部屋の壁面には、演劇科公演の舞台写真が飾ってありました。

しかし、わたしたちが在学していた頃の写真は、ありません。

なんせ、わたしが入学したのは38年前、
かみさんに至っては、40年前です。
(かみさんは、わたしと同い年です。)

その頃の写真を飾るスペースがありません。


それにしても、
その写真に写っている学生や、キャンパスを歩いている人たちの若いこと・・。

むかしのわたしたちも、こんなに若かったのだろうかと思います。

この人たちとわたしたちとの年齢差を数えてみると、
この人たちは、はるかに5歳のまご娘に近い年齢なのでした。

38年前
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逢魔時

2014年11月13日 22:03

逢魔時

逢魔時(おうまがとき)という時間帯があります。
日没後、夕焼け空が藍色に変わり、闇になる頃を指します。

逢魔時は、大禍時(おおまがとき)とも書きます。
魔物や魑魅魍魎や災禍に遭う時間帯だという意味で、
そう呼ばれるのだそうです。

わたしが子供の頃は、この時間帯まで外にいると、
サンカが来るよ」「サンカに連れてかれちゃうよ」などと、
大人から脅かされたものです。

実際に、
子供の頃、夕暮れまで川岸で遊んでいて、
川の向こう岸で、ジッとこちらを見ている男の人に遇ったことがあります。
その様子から土地の人ではなく、都会の人でもないと思いました。
わたしと顔を合わせて暫くすると、素早く岩と岩の間を走って行ってしまいました。
走るといってもそれは飛ぶようで、まるで忍者のようだという印象を残しました。

おとなになって、
山窩(サンカ)小説家と呼ばれた人のまご娘と結婚することになるとは
思ってもみませんでしたが、このようにわたしは、子供のときから
サンカ」と呼ばれる人たちのことは、聞いて育ったワケです。

しかし、
義理の祖父が記した研究が、真実だけを書いたものかどうかは
判りませんが、サンカと呼ばれる人たちは実際にいたのも事実でしょう。
その人たちは、犯罪者でも魑魅魍魎でもありません。
定住しない独特の文化と生業をもつ、放浪民です。

ホントの魔物や魑魅魍魎は、都会の雑踏の中にいます。
逢魔時になると何処からともなく現れて、
欲望をエネルギー源にして徘徊を始めます。

赤坂辺り、六本木辺り、虎ノ門辺り・・・永田町辺り。


夜がまた来る 思い出つれて 
俺を泣かせに 足音もなく・・・

みそぎ?

2014年10月09日 23:11

月食

<独り言>

古来、皆既日食や皆既月食や彗星など、
天体の異常は天変地異と考えられていたので、
それを見ると、運勢が落ちると云っている人がいる。

「そういう文化があったことを知って欲しいと思います。」
とブログに書いている。明治天皇の玄孫にあたる人だという。

早く云ってよ~!
ゆうべ見ちゃったじゃない皆既月食。
バッチリ写真まで撮っちゃったじゃない。

運勢・・落ちるの?ねぇ?落ちるの~?

穢れ(けがれ)を(はら)って(みそぎ)をしろというんだが・・・、
でも、こんなん出ましたケド?

【2012年5月21日朝日新聞】
両陛下も皇居で金環日食を観察。天皇、皇后両陛下は21日朝、皇居・御所で金環日食を観察した。専用の日食グラスを使ったとみられる。同日に記者会見した風岡典之宮内庁次長が明らかにした。


訃報

2010年02月12日 07:50

一昨日見舞った友人のYさんが、亡くなったと、

深夜に連絡がありました。


なにがなんだか、判りません。


「自分で、もうダメだって思ってないんでしょ?」

という私の質問に、

即座に、ハッキリ、「うん!」と頷いたのに


しかし、そんなやりとりの前に、

脊椎に出来た病巣のせいで痛みと闘っている様子を聴いていました。

詳しくその痛みについて説明してくれました。

その説明の仕方も、Yさんらしく、どこかサービス精神が垣間見えて


そんな話をひとしきりしたあとで、フッとこんなことを洩らしました。

「こんなに辛いんならさ、ショウジキもうあっちへ逝ちゃいたいと思うよ」

そして、

「でもさぁ、こんなことかみさんには言えないもんなぁ・・」

そう言ったあとで、

それでも、これから痛み止めの影響で弱った肝臓や腎臓の状態を立てなおして、

抗がん剤治療に挑戦するのだと話していたのです。

そして、退院したら車椅子で動けるように家を直し始めたのだ、とも言っていました。

眼の前に越えなくてはならない幾つもの山を観ながら、

それでも、その山の先を観ていたのだと、思います。


だから、帰り際に訊いたのです。

「自分で、もうダメだって思ってないんでしょ?」って

そしたら頷いたんです。

ハッキリ 「うん!」 って。









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