FC2ブログ

暖冬

2020年01月20日 17:53

蝋梅

きょうは二十四節気の大寒です。

大寒は一年間で最も寒い日とされ、
大寒の朝の水は一年間腐らないと謂われています。

ところが、
東京は未だに最低気温0℃未満の冬日がありません。
つまり、今季はまだ冬が到来していないのであります。

散歩に出ると、雑司が谷霊園の蝋梅が咲いていました。
春の芳香が辺りに漂っていました。

今季は、冬が遅れているというよりは、来ないのかも?


スポンサーサイト



マジックミラー

2020年01月19日 21:25

寛のマジックミラー外

「雑司が谷 寛」の話題がつづきます。

きょうは、玄関の扉。

扉や障子や襖や窓で、
細工を施していないものはないのですが、
この玄関扉の特徴は指物細工だけではなくガラスです。

実はこの玄関扉のガラスはマジックミラーです。

マジックミラーとは、
刑事ドラマで取り調べを受ける被疑者や証言者などの様子を、
刑事が隣の部屋から覗いているという描写がありますが、
あの鏡(窓ガラス)のことです。

でも、
実際の警察の取調室にマジックミラーがあるかは分かりません。

例えば、
劇場の客席の後方にある母子室のガラスはマジックミラーです。

マジックミラーは、
ガラスに薄い反射膜を施した半透明のガラスのことですが、
大体は、反射膜として錫や銀がめっきされているようです。

透過する光が0%なら通常の鏡ですが、
50%なら明るい場所から暗い場所を見たら鏡になるのですが、
暗い場所から明るい外を見れば窓ガラスの機能があるわけです。

原稿を待っている各社の編集者たちがなにを話しているのか、
欄間にマイクを仕込んで聞いていたらしいというウワサがあった
祖父・三角寛が考えそうな玄関であります。 

寛のマジックミラー内


数寄屋門

2020年01月18日 12:15

雑司が谷寛の門

「雑司が谷 寛」の顔といえば、やはりこの門と塀。

この数寄屋造りの門と塀は出来ればこのまま残したいと思っていた。

ところが、
消防法によると、2メートルを超える建築物は防火の観点から不燃性の材質でなければならない。

また、まちづくり条例によると、扉の幅は1.2メートル以上なければならないとか、
出入り口はバリアフリーでなければならないのだそうだ。😨

アルミ製の数寄屋門?🤔


金魚

2020年01月17日 18:00

金魚

体長30センチ、一尺、これでも金魚。

孫娘か、もしかしたら息子たちがこどものときに、
露店の金魚すくいで獲った金魚だろうと思う。

自宅で飼っていたが、それが少し大きくなると、
「雑司が谷 寛」の池に放していた。

出入りの猫にやられてしまう不幸な金魚もいたのだが、
何匹かは生き残って成長をつづけた。

だから、
はじめはちいちゃな金魚だったが、
いまや、錦鯉かと見紛うように大きくなった。

だが、
「雑司が谷 寛」を取り壊すことにしたので、
この金魚たちにも立ち退いてもらうことにした。

縁日の露店で、たった数百円で買った金魚だが、
「雑司が谷 寛」のお客様たちに愛でていただいた。

よく働いてくれたのに、
主のことを情け知らずだと思うだろう。

だが、神田川に放流するワケにもいかず、
引き取り先を探し、近所の金魚店に引き取ってもらった。

ホント、金魚には申し訳ない。

達者でな。


寒中見舞い

2020年01月16日 11:39

寒中見舞い

この先輩は、わたしが母校・演劇科に入学したときに、
ドイツ留学を経て帰国し、母校の講師になっていた。

わたしたち学生の公演の際には、
田中千禾夫先生などの演出助手を務めてくれた。

だが、わたしにとって先輩は、
先生というよりは、共に同窓会を創り運営した同志だ。

同窓会会長はテレパックの元・ディレクターOさん、
先輩が会計を担当し、わたしは事務局長だった。

よく話したし、よくいっしょに酒も飲んだ。
お宅に遊びに行ったことも度々だった。


去年、かみさんが楽しみに観ていた
テレビドラマ「きのう何食べた?」にレギュラー出演していたが、
病気療養のために降板した。

お見舞いに行った友人たちもいたが、
わたしは回復するまで逢わないでいようと思っている。

時間がかかったとしても、
お大事に養生をつづけてほしいと願っている。

同志


五の間

2020年01月15日 18:39

五の間

「雑司が谷 寛」は、かつて祖父・三角寛が暮らした三浦家の自宅でしたが、
住宅の裏に、「演房」と名付けられたお芝居の稽古場が在りました。

祖父・三角寛がこの家を買ったときにはメリヤス工場だった建物を改修し、
祖父は漬物や梅干と作る作業場にしていたようです。

その当時大勢いた書生やお手伝いさん達を使って1,730種にも及ぶ大量の漬物を作り、
そのレシピを「つけもの大学」という本にしました。

つけもの大学

三角寛の死後、
その漬物工場だったのをお芝居の稽古場に改修し「演房」と名付けたのは父・三浦大四郎です。

「演房」は、本田延三郎さんが創立したプロデュース団体「五月舎」の稽古場でした。

五月舎は、数多くの名作舞台を創りましたが、
井上ひさしさんの「雨」、水上勉さんの「はなれ瞽女おりん」、「越前竹人形」などは、
「演房」で稽古した作品です。
(演出はいずれも木村光一さん)


稽古場には、演出家や俳優をはじめ劇作家もやってきて、
稽古の合間に我が家の茶の間は休憩所になったのでした。

我が家の茶の間だった部屋は「雑司が谷 寛」の五の間といわれている部屋です。

そのむかし、演出家や劇作家や俳優たちが集い、
茶をすすり、煙草をふかしながら芝居の話をしていた部屋です。




一年振りの夜盗虫会

2020年01月14日 16:30

雑司が谷寛の門

きょうは、もうじき取り壊される「雑司が谷 寛」の中を見たいというので、
豊島区長でもある高野之夫さんと、池袋地域の方たちをご案内しました。

家の話、各部屋の説明をした後、
この家で暮らした祖父・三角寛、父・三浦大四郎や母や家族の話をさせていただき、
映画館人世坐・文芸坐が池袋に於いて果たした役割についても話させていただきました。

このタイミングに、こういった話が出来たのは絶好の機会だったと言えましょう。


それから新幹線に飛び乗って浜名湖へ。

一年振りの夜盗虫会です。

夜盗虫というのは、全寮制だった高校時代の親友七人の集まりですが、
寮で夜中に騒いで夜食を食い、昼の授業中に寝ているわたしたちを見て、
夜地上に出てきて野菜を食い荒らし、日中は地中で寝ている夜盗蛾の幼虫になぞらえて
「お前たちゃ夜盗虫みたいな奴等だなぁ」
と言った生徒指導の教師で既に亡くなられた小林先生の奥様も毎年参加されます。

ですが、夜盗虫は一昨年の秋に一人欠けました。
そして、もう一人も大病を患いました。

ですから、きょうは一年振りの夜盗虫会です。

これからも一人欠け、また一人欠けてゆくと、
夜盗虫会はいつまでつづけられるのでしょうか?

「雑司が谷 寛」然り、諸行無常であります。


最新記事