通夜の祈り

2017年06月27日 22:35

遺影

午後3時30分、
むぅむぅ(義父)は、自宅を出発し教会に移動しました。

午後5時、納棺の式を行いました。

午後7時、通夜の祈り、式のあと喪主が挨拶し、献花。

午後8時半すぎから、故人を偲びながら会食。

いま、自宅に帰ってきました。

通夜の式


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最後の時

2017年06月26日 19:04

1997年12月

いまから20年前の1997年12月27日に撮られた写真です。

たぶん、
文芸坐の建物とむぅむぅ(義父)を写した最後の写真です。

この日は、
この年の3月6日に閉館した文芸坐の解体工事が始まる直前でしょう。

解体工事が始まる前に文芸坐を見ておこうと、
むぅむぅと連れ立って文芸坐に行ったときに撮ったのだそうです。

この写真を撮ってくださった方が、
むぅむぅの訃報を知って、わたしに送ってくださいました。

やはり、
最後の時というものはあるもので、
今夜は、むぅむぅと過ごす最後の夜です。


むぅむぅ

2017年06月25日 12:55

「破れ太鼓」

むぅむぅ(義父)は、
きょうも、いつもと同じように眠っています。


ところで、
むぅむぅが、何故“むぅむぅ”と呼ばれているのか、というお話です。

うちの長男がまだ発語したばかりの頃、
むぅむぅが、夜帰宅すると息子に歌を歌ってくれていました。

それが・・・、
木下惠介監督の映画「破れ太鼓」の挿入歌で、
次男役で出演していた木下忠司さんがピアノを弾いて、兄妹が歌います。


むーかし むかし その昔

銀のお靴を拾われて

愛のお馬車に乗ったのは

可愛い顔したシンデレラ・・・


なぜその歌だったのか判りませんが、
孫の顔を見ているうちに、自然に口ずさんだのが始まりでしょう。

うちのカミさんは歌ってもらったことがないと云いますから、
孫に向けた歌だったのだと思います。

或る日、
むぅむぅは、夜になってもなかなか帰ってきませんでした。
すると、息子が這い這いしながらむぅむぅを探すのでした。

しかし、
そのとき、「むぅ・・・むぅ・・・」と云いながら探しているので、
かみさんが「きっと、“むーかし むかし”を歌ってもらいたいんだ」
そう思って帰宅したむぅむぅにその話をしたところ、
「それじゃ、この子にはジィジじゃなくて“むぅむぅ”と呼んでもらおう」
ということになったのでした。

むぅむぅ以外にも、
ばーぷちゅん”と呼ばれた人や、
いまだに“イエィちゃん”とか、“クンクン”と呼ばれる人が存在します。

いつものように

2017年06月24日 11:09

眠る

いつものように、
朝になって、部屋の灯りをつけて、
ロールカーテンを開けて、窓を開け、
テレビをつけて、「おはようございます」と挨拶をしました。

むぅむぅ(義父)は、
いつものように、いつもの表情で眠っています。

いや、いつもよりちょっとだけ安らかな寝顔です。

ベットの周りは花で囲まれていて、
胸には、義母の写真と、最期を迎える前に観た、
むぅむぅが大好きな「駅馬車」のDVDが置かれています。



「七月大歌舞伎」

2017年06月23日 13:29

2017年「七月大歌舞伎」


きょうの訃報に接し、言葉がありません・・・。


ただ、
歌舞伎役者たちは、深い悲しみやいろいろな想い、
さまざまな気持ちを抱えながらも、きょうも舞台に立っています。

一人はシアターコクーンの舞台、もう一人は歌舞伎座の舞台です。

この二人とそしてお子さんが、来月同じ舞台を勤めます。


観ていただければ幸いです。



エンバーミング

2017年06月22日 23:59

エンバーミングって、ご存知でしょうか?


きょうは、各関係者・各団体・各新聞社へ、
むぅむぅ(義父)の死を知らせる対応に追われましたが、
何人かの親しい人たちがむぅむぅの顔を見に来てくれて、
むぅむぅとお別れしてくれました。

そんな最中、
葬儀社のエンバーミングの専門チームが来てくれて、
むぅむぅの身体を清めてくれました。

それはそれは、
凄い技術です。

わたしのときにも、お願いしたい。


さて、
多くの知人・友人から温かいお言葉を頂戴しています。

むぅむぅも、わたしたち家族も幸せです。


三浦大四郎永眠

2017年06月21日 23:59

一日の終わり、お疲れのところを恐縮ですが、訃報です。

私の岳父、三浦大四郎は、
昨年11月下旬から病気療養中でしたが、
本日6月21日18時26分、心不全により、
豊島区雑司が谷の自宅で永眠いたしました。
満89歳でした。

父は、
映画館経営者として池袋の「文芸坐」は元より、
「人世坐」「弁天坐」「文芸地下劇場」「文芸坐ル・ピリエ」などの経営に携わり、
演劇を愛し、映画と共に一生を送りました。

戦争や戦後を経験しましたし、仕事上でも、苦労したとは思いますが、
かなり幸せな人生だったと、家族は思っています。

ここに生前の皆様からのご厚誼を深謝しつつ謹んでお知らせいたします。

三浦秀和




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