月命日

2017年07月22日 20:04

夕食


月命日

きのうは、むぅむぅ(義父)の月命日。

きょうは、小林麻央さんの月命日。

なんとか、
息子も海老蔵さんと勸玄クンも元気で、
今月の歌舞伎座の舞台を相勤めているようです。


しかし、
この一ヶ月間、わたしは呆けたように過ごしました。

ボーっとするわ、物事は忘れるわ、集中できないわ、
むぅむぅが、去年の5月、要介護状態になったときから、
2ヶ月入院し、在宅介護・看護を経て亡くなるまでのことが、
頭の中をグルグル回っているばかりで、先に進めません。

それで、
料理を作るのですが・・・、
考え事ばかりしていて、作り過ぎています。



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牛丼

2017年07月21日 16:59

牛丼

久しぶりに、牛丼を食べました。


去年は、
むぅむぅ(義父)と映画館に行った帰り、
必ずいっしょに此処の牛丼を食べました。

むぅむぅは、
いつも、牛丼と生たまごを注文しました。

わたしも、食事するのは速いほうですが、
むぅむぅも、ほぼ同時に食べ終わるのでした。


ところで、
牛丼店といえば、いまから40年近く前に、
この牛丼のチェーン店を運営する会社は、
一度、倒産したことがあります。

そして、むぅむぅの親友で、
我が家の顧問弁護士を務めてくださっていた
M岡さんが亡くなったのは昨夏のことでしたが、
その倒産した牛丼の会社の更生管財人を引き受け、
その会社を再生させたのがM岡さんだったのです。

当時、経営者たちと管財人M岡さんの出合いは、
“奇跡の出逢いと再生”と謂われたのでした。


今頃は、
あの世で、二人して牛丼を注文しているかしら?
「オレ、生たまごつけてね」なんてね・・・。

ありきたりな想像をしてしまいました。




百貨店という恐竜

2017年07月20日 18:30

オリジナルの贈答品を作り、名簿を渡して発送してもらいたいと思って、
先日、或るデパートの担当者を呼んで相談しました。

しかし、
他の既成商品を薦められるわ、オリジナル商品を入れる箱がないと言われるわ、
対応がむずかしいわで、自分でメーカーを探し、作って発送してもらうことにしました。

オリジナルといっても、巷にはいくらでもあるような品物です。
デパートだと、なぜ対応できないのでしょう?


そもそも、
デパートは、百貨店と言っていた時代がありました。

“ゆりかご”から“墓場”まで、なんでも売っている“百貨”の店、
それが“百貨店”、そう謂われたことがありました。

日本では1904年に三越呉服店(越後屋)が、
デパートメントストア宣言をしたのがデパートの始まりだと謂われています。

以来、
百貨店は、それぞれの時代の消費をリードしてきました。
日本では、高度経済成長を経て人々の生活が豊かになる一方で、
華やかなファッション、高級商品、素材の優れた物、趣味の良い物など、
人々の消費意欲をそそる商品が次々に並び、消費されたのでした。

しかし、いまでは、
大手量販店やディスカウントショップやインターネットの無店舗販売など
様々な流通形態が登場する中で、百貨店業界も生き残りを懸けています。


そんな時代に、
“オリジナル商品を作って発送することくらい”
の事に対応できなくて生き残れるでしょうか?

生き残れるとしたら、差別化を図るということでしょう。

買い物を演出する。ライフスタイルを提案する。
豊富な品揃えと、多様な商品を提供する。
様々なニーズに対応できる仕組みづくりをする。
いろいろあります。

デパートは、
店舗もシステムも巨大になりすぎたのでしょうか?
それでは、大きくなりすぎて絶滅した恐竜のようなものです。

三越の前身である越後屋は、掛け売りが当たり前であった時代に
“現金掛け値なし”という画期的な販売方法を考案し、現金商売を始めました。

いまのデパートも、その当時の小売店の発想に立ち返ったらどうでしょうか。


レッドカード

2017年07月19日 18:32

そもそも、
去年7月8日に起こった大統領派軍と副大統領派軍との間の銃撃戦、
最初の“戦闘”で100人が死傷し、南スーダンは再び内戦状態へ逆戻りしました。

国際協力機構(JICA)の関係者ら在留邦人47人も退避し、
日本大使館員のうち4名も自衛隊機で近隣国のジブチへと避難しました。

南スーダンに踏み止まった大使を含む日本大使館員も、
ジュバの大使館では身の安全を図れないと判断して陸上自衛隊の宿営地へ駆け込み、
“戦闘状態”が終息するまで同宿営地で宿泊を続けたのだそうです。

この時、国連の平和維持活動に参加していた中国人隊員2名が殺害されました。
また、5名が重軽傷を負いました。

まずこの事態を記録した、
南スーダンPKO(国連平和維持活動)活動の日報についての情報公開請求を受け、
「陸上自衛隊のなかにはなく、破棄していた」と返答していたのですが、
今年1月ごろまで陸上自衛隊の中でも日報が保管されていたことが分かりました。

その日誌に、7月8日のことが“戦闘”と記録されていた点を指摘された防衛大臣は、
「一般的な辞書的な意味で戦闘という言葉を使ったと推測している。
法的な意味の戦闘行為ではない。武力衝突だ」との見解を示したのでした。

更に、陸上自衛隊の中で日誌が保管されていた事実を非公表とする方針を、
大臣は、ことし2月の防衛省最高幹部による緊急会議で防衛省幹部から伝えられ、
そのことを了承していたことが明らかになりました。

防衛省・自衛隊の組織的隠蔽を、防衛大臣が容認していたとすれば、
大問題中の大問題でしょ!?

戦闘を武力衝突と言い換え、有ったものを、無くしたことにし、その事実を隠蔽し、
ウソまでついたのです。

なぜか?

戦争しちゃいけないからですよ。
行かせてはいけない所に自衛隊員を送り込んだからです。

戦場にいた自衛隊員はたまったものではありませんよね。
そのご家族やご友人のご心配なお気持ちを考えるだけで、
防衛大臣や、その人を任命した首相に対する怒りがわいてきます。

これ、レッドカードですよね。
でも、これで何枚目のレッドカードですか?



生き証人

2017年07月18日 17:24

日野原重明さんのご冥福を祈ります。


いつかは、“この日”を迎えるものですね。
日野原重明さんも人間ですから。

しかし、
「医者の不養生」という言葉がありますが、
ご健康でご長命だったことは称賛に値するでしょう。

日野原重明さんのご子息の奥さまとは、
コーチ仲間として、昔いっしょに活動したことがあります。

そのとき、お嫁さんから見たお義父さんの生活ぶりを、
伺ったことがありますが、大変に興味深いものでした。


それにしても、
日野原重明という人には、医療・健康分野だけでなく、
わたしたちは、多くのことを教えられ、学びました。

戦中・戦後の体験、
なかでも東京大空襲の教訓から得た病院施設への投資。

その結果が、
不幸にも地下鉄サリン事件で発揮されたことは有名です。

わたしたちは、
また一人、戦争の生き証人を失ったのです。

戦後70年 私の中の戦争 ~著名人たちの“8月15日”~
私の中の戦争 医師 日野原重明さん ~救えなかった命への誓い~




ポツダム会談

2017年07月17日 18:15



深夜、
ケーブルテレビのチャンネルで、「日本のいちばん長い日」を観ました。
半藤一利原作、原田眞人監督作品です。

役所広司さんが、阿南惟幾陸軍大臣を、
本木雅弘さんが、昭和天皇を、
山崎努さんが、鈴木貫太郎首相を演じ、
先日亡くなられた中嶋しゅうさんが、東条英機元首相を演じています。


72年前の7月17日。

1945年7月17日から8月2日の間、
イタリアとドイツが降伏して以降、連合国側の戦後処理構想を話し合う会談が、
アメリカのトルーマン大統領・イギリスのチャーチル首相・ソ連のスターリン書記長
という三者(途中で首相を辞任したチャーチルに代わってアトリー首相が後に参加)によって、
ベルリン郊外のポツダムで行われたのでした。

会談は、ドイツの戦後処理についてと、
日本に対する“無条件降伏勧告”と“戦後処理方針”について話し合われました。

そして、この会談期間中の7月26日、
日本に対して、無条件降伏の勧告である「ポツダム宣言」が出されたのでした。

さて、
その7月26日から8月15日までの間の20日間、
日本は、「ポツダム宣言受諾して和平」か「戦争継続して本土決戦」か、
軍人が、政治家が、日本人が、御聖断と国体護持、そしてクーデターの狭間で苦悩した、
日本で一番長い二十日間であったかもしれません。


ところで、1945年7月17日、ポツダム会談の初日、
トルーマンチャーチルの下に、或るメモが届けられました。

メモには、アメリカが原子爆弾の実験に成功させたと書いてありました。
チャーチルトルーマンは、これで日本を降伏させられると確信したそうです。




夫婦どっちが先に逝くべきか

2017年07月16日 18:37

小室山

やすらぎの郷の住人である三人は、この山を背にして、よく釣りを楽しんでいます。
この山を、小学4年生だったわたしは見上げて暮らしていたことがあります。


ところで、先週の「やすらぎの郷」は、涙を誘いました。

主人公・菊村栄(石坂浩二)は、
やすらぎの郷に入居しているテレビ界を支えた裏方の一人、
元・美術職人の茅野やん(伊藤初雄)と50年ぶりの再会をします。

懐かしい時代の会話を交わした茅野やんですが、
共にテレビ創成期を過ごしたタイムキーパーのカメコ(長内美那子)と結婚。
夫婦揃ってやすらぎの郷に入居したのだそうですが、
カメコはがんを患い、余命数日の状態だというのです。

カメコの病室を訪ねた菊村は、かつて茅野やんの下で働いて修行した、
今は舞台美術の大御所として活躍する兄やん(村田雄浩)と再会します。
茅野やんの弟子たちが、むかし世話になったお礼にと、
カメコが大好きだった昔のドラマの美術を別室に再現しています。
カメコは朦朧とする意識の中で電飾の星空を眺めながら、
中島みゆきの「ファイト!」を小さな声で口ずさむのでした。

カメコの通夜が、やすらぎの郷のゲストハウスで営まれました。
棺は、茅野やんが育てた大道具製作のベテランたちによる手作り。
簡素ながらやさしさにあふれる裏方たちの弔いに、
菊村たち弔問客は胸を締め付けられるのでした。

最愛の妻を看取った茅野やんは、翌朝カメコの後を追うようにこの世を去ります。
葬儀はカメコとの合同葬となり、二人の魂はカメコが亡くなる直前まで口ずさんでいた、
中島みゆきの「ファイト!」の大合唱で見送られたのでした。

死んだ茅野やんが、菊村に生前こう云っていました。

ずっと考えてたんだよね。夫婦どっちが先に逝くべきかって・・・。

長いことオレずっとさ、絶対先に逝きたいと思ってたんだよね。だってそうでしょ?
かみさんに先に逝かれちまって、オレ独りこっちに遺されちまったらさ、
オレ淋しくてとても生きていく自信なんてないもん。

だけどさ、或る日突然考えが変わったのね。
オレが先に死んだら、あいつ独りでどうやって生きていくんだろうって・・・。
先に逝く方と遺される方、どっちが辛いだろうって想像するとさ、
遺される方が絶対辛いよね。 じゃオレ、辛い方を引き受けてやろうって、
あいつが死ぬとき手を握ってやって、辛いその後を引き受けてやろうって、
男の方が強いはずだしさ、そのくらい男が引き受けるべきだって・・・。

茅野やんの気持ちが痛いほど解ります。
むぅむぅ(義父)も、その辛さ引き受けたんですよね・・・。


さて、やすらぎの郷の住人たちが釣りを楽しんでしる海の景色は、
わたしが小学5年まで眺めていた風景です。

川奈の海



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